1984((昭和59)年9月6日 昭和天皇スピーチ
国賓大韓民国(全斗煥)大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
 このたび、大韓民国大統領閣下が、国務御多端の折にもかかわらず、令夫人とともに、国賓として、我が国に御来訪になったことに対し、私は、心から歓迎の意を表します。大統領閣下の御来訪は、貴国元首の初めての公式御来日として、両国の関係史上、画期的なことであり、両国の友好増進のため、誠に喜ばしいことであります。ここに、御一行をお迎えして、宴席をともにできるのは、喜びに堪えません。
 顧みれば、貴国と我が国とは、一衣帯水の隣国であり、その間には、古くより様々の分野において密接な交流が行われて参りました。我が国は、貴国との交流によって多くのことを学びました。例えば、紀元六、七世紀の我が国の国家形成の時代には、多数の貴国人が渡来し、我が国人に対し、学問、文化、技術等を教えたという重要な事実があります。永い歴史にわたり、両国は、深い隣人関係にあったのであります。このような間柄にもかかわらず、今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います。
 今日、両国の努力と協力により、将来に向かって益々友好と親善が深められ、ともに繁栄する時代が開かれつつあることは、私の深く喜びとするところであります。このたびの大統領閣下の御来訪が、新しい日韓関係の一層の発展と強化をもたらす大きな契機となることを希望いたします。
 閣下が、大統領御就任以来、貴国民の期待を担い、国運の進展のため内政に外交に日夜努力しておられることに対し、私は、深く敬意を表します。また、大統領閣下の卓越した御指導の下に、貴国が、政治、経済、文化、社会等の各分野においてめざましい発展を遂げていることは、国際社会から高い評価を受けております。先般のロスアンゼルス・オリンピックにおける貴国選手の活躍は、貴国の国運隆昌の象徴であり心から祝意を表します。四年後には、ソウルで、平和の祭典オリンピックを開催されると伺っておりますが、その御成功をお祈りいたします。
 閣下御夫妻の御滞在は極めて短く、また、御多忙の御日程でありますが、どうか快適に、また、有意義にお返しになりますよう希望いたします。
 ここに杯を挙げて、大統領閣下並びに令夫人の御健康と御多幸をこい願い、併せて、大韓民国国民の繁栄を祈ります。

84年の昭和天皇「お言葉」 中曽根氏が決断(1990年5月20日)

 5月21日午後、都内の事務所で記者団と懇談。〈1984年(昭和59年)に韓国の全斗煥大統領(当時)が来日した際に昭和天皇がお述べになった「今世紀の一時期に於いて(日韓)両国の間に不幸が存在したことは誠に遺憾」とする「お言葉」は政府部内で検討を重ねた上で最終的には、首相だった中曽根氏自身の決断で決まったものであることを明らかにした。〉という。
 昭和天皇が過去の植民地支配などにどう言及されるのが適当か、ということで外務省や宮内庁などの間で様々な議論があり、このため首相官邸を中心に政府部内で、それまで諸外国に対して述べられた「お言葉」の先例を参考にしながら文案づくりが進められた。
 中曽根首相「全大統領は政治生命をかけて日本にやってくる。大統領が(ソウルの)金浦空港に帰ったとき、韓国国民が喜ぶような環境づくりをすることが日韓親善促進の上で、キーポイントだ。ついては私に一任させてほしい(朝日新聞縮刷版1990年5月P970)

大韓民国全斗煥大統領の答辞

 天皇陛下、総理大臣閣下ご夫妻、ならびに、内外貴賓のみなさん。
 私は本日、私たち夫妻と私たち一行を心から歓迎して下さり、かつ、このように盛大な晩餐会を催して友誼にみちたお言葉を賜わりましたことに対して、衷心より感謝の意を表するものであります。
 合わせて、貴国政府の指導者と国民が、私と私たち一行をあたたかく迎えて下さったことに対しても、深い感謝の意を表するしだいであります。
 私は、有史以来初めて貴国を公式訪問した大韓民国の国家元首として、陛下とともに交歓する歴史的な機会を得ましたことを、なによりも意義深いものと考えております。
 歴史的な韓日関係の新たな幕開けに際して、陛下が過ぐる日の両国関係史における不幸だった過去について述べられるのを、私はわが国民とともに厳粛な気持ちで傾聴しました。
 われわれ両国には、「雨降って地固まる」という共通のことわざがあります。
 親しい仲どうしは、一時争うことがあっても、その瞬間が過ぎたらたがいに胸襟を開きあい、前よりももっと親しくなる、という意味に使われることわざであると私は承知しております。
 われわれ両国のあいだにあった不幸な過去は、今や、より明るく、より親しい韓日間の未来を開拓していくうえで、貴重ないしずえにならねばならないと信じております。
 われわれ両国を結束させる原動力は、平和を目指すわれわれの意志にあります。
 わが国は近世以降だけでも、数多くの戦争の惨禍を経験しました。
 もっとも最近の例だけをあげても、一九五〇年から三年間、私たちは同じ民族どうしの戦争を体験しました。
 戦争の被害による苦痛が人一倍大きく、その傷痕がいまなお治らずに続いているため、わが大韓民国は平和がすなわち信仰であり、それを守るための実践意志もまた、だれに劣らず強烈であると申し上げることができます。
 私と大韓民国政府が非暴力平和主義を国家指標の一つとし、また、民族統一問題においても平和的達成のために努力しているのは、そのような歴史を通じて鍛えられた平和意志に基づくものであります。
 日本は、その憲法に明示された平和主義に立脚して、今日の富強な国を建設しました。
 そのため、平和の理想は、世界のどの民族よりも切実な韓日両国の共同の理想として、それを指向する韓日両国の真摯な献身が要求されているのであり、このような事実は、われわれ両国と国民を善隣と相助で結束させる強力な絆になっている、と私は確信しております。
 私は、戦後の日本が今日の自由と繁栄を享受するようになるまで、貴国の政府と国民が一致団結、勤勉と誠実で忍苦し努力してきたのをよく承知しております。
 その結果として日本が成し遂げた驚くべき発展相を直接目にしながら、私は短期間のうちにこのような偉大な業績を積み上げた日本国民の努力に対して、深い敬意を表するとともに、汗を流さずにはいかなる幸福も手に入れることはできないという真理を、あらためて吟味しております。
 わが大韓民国は今、五千年の歴史の正統性を継承、民族の底力を躍動させるべく、あらゆる努力を傾けております。
 私たちは祖国の発展と平和的統一のための前進に拍車を加えており、世界の平和と繁栄に寄与する国際社会の責任ある一員として、献身的な努力を尽くしています。
 今や、われわれ両国は自由と民主、そして平和と繁栄という共通の理念のもと、この地球村でもっとも親しい隣人どうしとして、全世界の亀艦となる善隣関係を樹立していかねばなりません。
 そのようにして、両国の国民がともに未来を開拓していく新たな同伴者時代を強力に築いていかねばなりません。
 地球の生成とともにはじまった両国の近隣関係は、この地球が消滅しないかぎり変えることのできない宿命なのであり、また、今日のわれわれはもちろんのこと、われわれの遠い子孫に拒否できない摂理でもあります。
 したがって、われわれは地球の堅固さを信じているのと同様に、両国同伴者時代の開幕に対する当為性をわれわれの確信たらしめてともに努力することを提言しながら、きょうのこの席がそのような約束の場となるよう、心から祈ってやみません。
 内外貴賓のみなさん。
 天皇、皇后両陛下の万寿と日本国の無窮な繁栄のために、そして、新たな韓日両国同伴時代の開幕のために、ともに祝杯を挙げましょう。
政府が皇太子夫妻の訪韓検討を発表(朝日新聞1986年1月1日)
皇太子夫妻、訪韓検討を発表(朝日新聞1986年1月1日)

皇太子夫妻(当時)、訪韓検討の報道(全斗煥大統領の訪日に対しての答礼訪問。昭和天皇の名代。秋頃を予定)
1986年1月15日(朝日新聞縮刷版1986年1月)

皇太子夫妻の訪韓について北朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」が論評で『全斗煥大統領が「(訪韓は)喜ばしいことだと」述べた問題を取り上げて、これは「卑屈な対日姿勢」をあらわしたものであって、彼らの庇護の下に政治的残命を維持しようとする親日的売国根性の表れである』と厳しく批難した
1986年3月11日(朝日新聞縮刷版1986年3月)

日韓両外相が訪韓を推進するとの談話を発表
※3月17日〜 美智子さま、子宮筋腫のため入院・手術(卜部侍従日記2巻P297)
※3月25日 皇居の半蔵門内に2発の火炎弾が打ち込まれる(卜部侍従日記2巻P303)
※3月31日 新宿区に停めてあった軽トラックから手製の金属弾が発射され赤坂御用地に落下(卜部侍従日記2巻P305)
1986年4月24日

「第104回国会 大蔵委員会」にて訪韓についての質疑応答
1986年7月19日(朝日新聞縮刷版1986年7月P813要約)

政府が皇太子夫妻の訪韓延期の方針を固める
・韓国の第一野党「新韓民主党」の幹部らが「日本は韓国の独裁政権を支持している」などの理由で反対
・当初は5月末に訪韓を内定していた
・10月訪韓で再検討したが、美智子さまの術後の健康状態について秋頃に国内旅行は可能だが、海外は分からない
・10月末の中曽根首相の総裁任期切れと絡めて皇室の政治利用ではないかとの見方
・1984年9月の全斗煥大統領の訪日の晩餐会において昭和天皇が「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」と述べた。この「お言葉」に添った筋のお言葉を皇太子殿下も述べられる方向で検討が進んでいた
1986年8月20日(朝日新聞縮刷版1986年8月)

政府が「美智子さまの健康問題に絡む訪米延期による日程上の都合とのニュアンス」を理由に訪韓延期を正式に発表
1990(平成2)年5月24日(木) 天皇陛下スピーチ
国賓大韓民国(盧泰愚)大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
 このたび,盧泰愚大韓民国大統領閣下は,国務御多忙の折にもかかわらず,令夫人とともに,我が国を訪問されました。貴国のめざましい発展を導いてこられた大統領閣下を,国賓として我が国にお迎えできますことは,誠に意義深く,また,喜ばしいことであります。御一行を心から歓迎申し上げます。
 朝鮮半島と我が国は,古来,最も近い隣人として,密接な交流を行ってきました。我が国が国を閉ざしていた江戸時代においても,我が国は貴国の使節を絶えることなくお迎えし,朝野を挙げて歓迎いたしました。しかしながら,このような朝鮮半島と我が国との長く豊かな交流の歴史を振り返るとき,昭和天皇が「今世紀の一時期において,両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり,再び繰り返されてはならない」と述べられたことを思い起こします。我が国によってもたらされたこの不幸な時期に,貴国の人々が味わわれた苦しみを思い,私は痛惜の念を禁じえません。
 このような時代を経たのち,日韓友好の再生を願う両国各界各層の方々の強い熱意によって,両国関係が回復し,あらゆる分野で友好と協力の関係が見られるようになりました。関係者の方々に対して深く敬意を表します。
 いまや日韓両国は,ともに,世界の平和と繁栄のため,大きな役割を果たすことを求められる国となりました。私は,今後両国民がますます相互理解を深め,両国関係の一層の成熟を図り,力を合わせて,この課題にこたえていくことを切に希望いたします。
 特に,次代を担う若者たちの交流が活発化し,そこに両国を結ぶ新たな友情が生れつつあることを,私は心強く思います。この新たな友情は,今後両国が力を合わせて人類の将来に対して大きな貢献をしていくための礎となりましょう。
 今回の大統領閣下の御訪日は,21世紀に通ずるこのような新しい日韓関係の礎となるものと信じます。
 大統領閣下は関西地方にも赴かれると聞いております。幸いに新緑の爽やかな季節でもあります。御滞在が快適で,有意義なものとなりますよう心から願ってやみません。
 それでは,ここに杯を挙げて,大統領閣下御夫妻の御健康と御多幸,並びに,大韓民国国民の皆様の一層の御繁栄を祈念いたしたいと存じます。
1994(平成6)年3月24日(木) 天皇陛下スピーチ
国賓大韓民国(金泳三)大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
 このたび,金泳三大韓民国大統領閣下が令夫人とともに,国賓として,我が国を御訪問になりましたことに対し,私は心から歓迎の意を表します。御夫妻とその御一行をお迎えし,今夕を共に過ごしますことを,誠にうれしく思います。
 貴国は我が国に最も近い隣国であり,人々の交流は,史書に明らかにされる以前のはるかな昔から行われておりました。そして,貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ,私共の祖先は貴国の人々から多くのことを学びました。
 このような両国の永く密接な交流のあいだには,我が国が朝鮮半島の人々に多大の苦難を与えた一時期がありました。私は先年,このことにつき私の深い悲しみの気持ちを表明いいたしましたが,今も変わらぬ気持ちを抱いております。戦後,我が国民は,過去の歴史に対する深い反省の上に立って,貴国国民との間にゆるがぬ信頼と友情を造り上げるべく努めて参りました。
 近年,喜ばしいことに,両国の人々のたゆまぬ熱意と努力により,様々な分野で友好と協力の関係が進み,一昨年の伽耶文化展を始めとする「韓国文化通信使」の事業や昨年の大田市の国際博覧会など,両国国民を結ぶ絆は強くなってきております。あらゆる機会に,両国国民の相互理解が深まることを念願してやみません。
 世界は,現在,大きな変化の波に遭遇しております。そうした中で,大統領閣下がかねてより述べていらっしゃるように,日韓両国は友好協力の関係をますます強め,手をたずさえて未来への道を切り開いていかなければなりません。「新韓国の創造」を推進し,日韓両国関係の強化に真摯に取り組んでいらっしゃる大統領閣下のこのたびの御来訪は,両国の将来にとって限りなく大きな意義を持つものと確信いたします。
 このたびは短い御滞在ですが,我が国の春の風情をお楽しみになりますとともに,広く各界の人々とお接しになり,親しく我が国の実情を御見聞になって御訪日が実り多いものとなりますよう希望いたします。
 ここに,日韓両国の友好関係の更なる発展を願いつつ,杯を挙げて,大統領閣下及び令夫人の御健康と御多幸,並びに大韓民国国民の幸せを祈りたいと思います。
1998(平成10)年10月7日(水) 天皇陛下スピーチ
国賓大韓民国(金大中)大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
 この度,大韓民国大統領金大中閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。
 一衣帯水の地にある貴国と我が国の人々の間には古くから交流があり,貴国の文化は我が国に大きな影響を与えてまいりました。8世紀に我が国で書かれた歴史書,日本書紀からは様々な交流の跡がうかがえます。その中には,百済の阿花王,我が国の応神天皇の時,百済から,経典に詳しい王仁が来日し,応神天皇の太子,菟道稚郎子に教え,太子は諸典籍に深く通じるようになったことが記されています。この話には,当時の国際社会の国と国との関係とは別に,個人と個人との絆が固く結ばれている様が感じられます。後には百済から,五経博士,医博士,暦博士などが交替で来日するようになり,また,仏教も伝来しました。貴国の多くの人々が我が国の文化の向上に尽くした貢献は極めて大きなものであったと思います。
 このような密接な交流の歴史のある反面,一時期,我が国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは,常に,私の記憶にとどめられております。
 両国の間には,様々な局面をもつ長い歴史があります。私たちは,このような関係にある両国の歴史を,常に真実を求めて理解することに努めるとともに,両国の人々の努力によって芽生えつつある相互の評価と敬愛の念を,未来に向かって育てていかなければならないと思います。日韓両国が,共通の目的としてよりよい民主国家としての在り方を求め,互いに心して,在るべき今後の関係を築いていくことを切に念願いたします。
 近年,幸いなことに,両国の人々の熱意と努力によって様々な分野で交流が進み,相互理解と友好関係が増進してきていることは喜ばしいことであります。特に若い世代の人々の交流が盛んになってきていることは,今後の両国関係の発展に大きな期待をもたせるものであります。先日も政府の主催する日本・韓国青年親善交流事業の一つとして貴国を訪問した青年韓国派遣団に会いましたが,団員が貴国の人々の心に触れ,貴国への理解と親しみを深めて来たことをうれしく感じました。また,昨年5月,大阪において開催された「日韓青少年交流ネットワークフォーラム」は,様々な分野で国際交流に携わる日韓の青少年が一堂に会し,自らの手で今後の交流の在り方を論議し,展望を開いていく上で大変に意義深い試みでありました。今後とも,両国民が,共に,揺るがぬ信頼と友好をはぐくみ,豊かな友好協力の関係を築いていくことを切に願ってやみません。
 大統領閣下が,この度,我が国を御訪問になったことは,両国関係の将来にとって極めて大きな意義をもつものであります。短く,御多忙な御滞在ではありますが,我が国各界の人々と広くお接しになるとともに,深まりゆく我が国の秋の風物をお楽しみいただきたく思います。この度の御訪日が,秋の実りのごとく,大統領閣下並びに令夫人にとって実り多く快適なものとなりますよう希望いたします。
 ここに大統領閣下並びに令夫人の御健勝と大韓民国国民の幸せを祈って,杯を挙げたく思います。
2001(平成13)年12月18日(金) 天皇陛下の記者会見
天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)
問3 世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。

天皇陛下:
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
しかし,残念なことに,韓国との交流は,このような交流ばかりではありませんでした。このことを,私どもは忘れてはならないと思います。
ワールドカップを控え,両国民の交流が盛んになってきていますが,それが良い方向に向かうためには,両国の人々が,それぞれの国が歩んできた道を,個々の出来事において正確に知ることに努め,個人個人として,互いの立場を理解していくことが大切と考えます。ワールドカップが両国民の協力により滞りなく行われ,このことを通して,両国民の間に理解と信頼感が深まることを願っております。

ベクトルの和と、ブラックボックス。
デリケートな「おことば」のつくられ方
岩井克己 Katsumi Iwai 編集委員
http://globe.asahi.com/movers_shakers/100111/01_01.html

(略)
天皇の外国要人との会見や「おことば」の作成過程は、概してブラックボックスの中にある。副主席との会見は、宮内庁長官・羽毛田信吾が「1カ月前ルール」を表に出して遺憾の意を表明するという異例の展開となった。天皇会見はわかりやすい例で、むしろもっとデリケートなのが天皇の「お言葉」の扱いだろう。

【会見前夜の挿入】
「お言葉」といっても、国事行為、国会開会式、公式晩餐会でのあいさつ、相手国元首との会見から記者会見、非公式の発言まで様々なレベルのものがある。だから戦前は「勅語」と呼ばれたようなフォーマルなものは「おことば」と仮名表記し、固有名詞化される。宮内庁では国内向けは宮内庁官房総務課が、外国向けは式部職が担当する建前だが、たたき台はそれぞれ出席を依頼した側や担当官庁が作ることが多い。その後は側近の侍従職が天皇の意向を踏まえて手直しする。天皇自らが書き直すケースもある。記者会見や「感想」となると、ほとんど本人の書き下ろしとなるようだ。
一方、中国、韓国など過去の歴史の根深い傷跡が絡む場合などは、外交的綱引きの焦点となり、内閣の重大判断が求められてきた。朝日新聞は過去に何回かそうした「おことば」案のペーパーを入手したことがある。その通り天皇が読み上げたこともあるが、かなり変わったこともあった。官邸、外務省、宮内庁のいずれかで入手したから、その官庁の案とは限らない。文案は様々にキャッチボールされ、手直しを重ねて原形をとどめなくなることもあり得る。
2001年、日韓共催となったサッカーW杯の開会式を翌年に控えた誕生日会見で、天皇は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べ大きな反響を呼んだ。このくだりは会見前夜に挿入され、宮内庁審議官室が確認・調整に追われた。
翌年6月30日の横浜での決勝戦には当時の韓国大統領・金大中が出席したが、その前日、黄海で南北朝鮮警備艇同士の砲撃戦で両国の兵士数十人が死傷する軍事衝突が起きた。金大中とスタジアムで顔を合わせた天皇は「お気持ちをお察しします」と述べた。筆者がある宮内庁幹部に「軍事衝突にまで言及するのは危険ではないか」と疑問をぶつけると、「お二人限りの個人的やりとりにとどめ、公表すべきではなかったかもしれない」と語っていた。
宮中では、「おことば」などの発言について、天皇が相談したい場合は主に長官、侍従長が受け、資料集めや字句点検などは審議官が行い、最終的には長官が総合判断して固めるのが大筋だが、ケース・バイ・ケースで天皇を含む関係者の属人的な価値判断と力関係のベクトルの和として決まるといっていい
藤森昭一が長官の時代は、内閣官房副長官を経験した藤森の判断が政府・宮内庁内で重きをなしていた。阪神大震災発生直後の95年1月の国会開会式の「おことば」では、震災への異例の言及が盛り込まれた。閣議や宮内庁内で、より踏み込んだ言及を求める意見が出たが、藤森が抑えた。(略)
2003(平成15)年6月6日(金) 天皇陛下スピーチ
国賓大韓民国(盧武鉉)大統領閣下及び同令夫人のための宮中晩餐
 この度,大韓民国大統領盧武鉉閣下が,令夫人と共に,国賓として我が国を御訪問になりましたことに対し,心から歓迎の意を表します。ここに,今夕を共に過ごしますことを誠に喜ばしく思います。
 貴国と我が国とは,昨年,ワールドカップ・サッカー大会を共同開催いたしましたが,この大会が,両国の選手の活躍によって両国国民に深い関心を持たれるとともに,両国国民間の友好関係の増進に資する意義深いものとなったことは非常に喜ばしいことでありました。ソウルにおける開会式には,小泉内閣総理大臣と共に,今は亡き高円宮が日本サッカー協会名誉総裁として同妃と共に出席し,貴国国民との友好関係の増進に務めてくれたことが思い起こされます。また,横浜で行われた決勝戦と閉会式には当時の金大中大統領御夫妻が御出席になり,再会の機会を持ったことはうれしいことでありました。
 この大会開催の年は,日韓国民交流年と名付けられ,両国において,多彩な文化交流行事が繰り広げられました。皇后と私も,東京の国立劇場で催された,韓国国立国楽院と宮内庁楽部による日韓宮中音楽交流演奏会に出席しましたが,一年間にわたる様々な分野での幅広い交流を通じて,両国国民間の相互理解が一層深められたことと思います。
 今年より両国の間で始められた「青少年交流」「スポーツ交流」を目標とする「日韓共同未来プロジェクト」が現在順調に進んでいることは,両国の明るい未来に繋(つな)がるものとして,喜ばしいことであります。
 日韓両国の友好関係がこのように発展してきた陰には,多くの人々の苦労と努力の積み重ねがありました。私どもはそのことに思いを致し,古くから両国の人々がたどってきた歴史を,常に真実を求めて理解しようと努め,その上に立って,両国国民間の絆(きずな)を揺るぎないものにしていかなければならないと思います。
 大統領閣下には,御就任以来,多忙な日々をお過ごしのこととお察ししております。今回の御滞在も短く,お忙しい日程ではありますが,我が国各界の人々との相互理解をお深めになり,御訪日が今後の日韓関係の更なる発展に意義あるものとなるよう願ってやみません。
 ここに,杯を挙げて,大統領閣下並びに令夫人の御健勝と,大韓民国国民の幸せを祈ります。
【参考】国連「水と衛生に関する諮問委員会」などに関して


=世界水フォーラム、国連「水と衛生に関する諮問委員会」などに関して
H9 1997 3月 第1回世界水フォーラム(モロッコ)
H10 1998
H11 1999
H12 2000 3月 第2回世界水フォーラム(オランダ・ハーグ)
H13 2001 5月 皇太子が第3回世界水フォーラムの名誉総裁に就任
H14 2002
H15 2003 3月16日 第3回世界水フォーラム開会式で皇太子が記念講演(京都)
H16 2004
H17 2005
H18 2006 3月 第4回世界水フォーラム開会式に皇太子が出席(メキシコ)(メキシコ国大統領からの招待)
H19 2007 11月 皇太子が国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任
2007年 「「水関連災害」に関する有識者委員会(HLEP)」設立(国連「水と衛生に関する諮問委員会」(UNSGAB)の要請に基づき、ハン・スンス現韓国国務総理・前韓国水フォーラム会長を委員長として設立された)
H20 2008 ※7月 ハン・スンス韓国国務総理、竹島上陸
H21 2009 3月16〜18日 第4回世界水フォーラムに皇太子が出席(トルコ)(トルコ国政府及び第5回世界水フォーラム運営委員会からの招待)
H22 2010
H23 2011 ※3月11日 東日本大震災
4月28日 「水と災害に関する東京会議」(東京都新宿区・JICA研究所)
  ・JICA、水と災害に関する有識者委員会、国連水と衛生に関する諮問委員会
・被災地の視察を基に防災施策のあり方などを議論
・議長:ハン・スンス氏来日
H24 2012 3月 第6回世界水フォーラム参加(フランス政府とフォーラムの運営委員会から招待)のため皇太子が渡仏予定だったが取りやめ→ビデオメッセージ
H25 2013 2月28日 国際連合日本政府代表部・西田大使定例記者会見
   昨年11月に行われた国連「水と衛生に関する諮問委員会」(UNSGAB)の定期会合における議論の結果、UNSGAB議長のオランダ皇太子殿下と国連「水災害関連に関する有識者委員会」(HLEP)議長のハン・スンス氏の連名で国連事務総長に「水と災害に関する特別会合」開催を諮問し、このたび同会合が開催されることとなった。同諮問委員会の名誉総裁を務めている皇太子殿下にもご臨席、基調講演の依頼があったものである。

3月5〜8日 国連「水と災害に関する特別会合」に出席のため皇太子が訪米(ニューヨーク)(潘基文バン・キムン国連事務総長からの招待)
  【皇太子日程】
・5日 日本とオランダの国連常駐代表共催レセプション出席(国連本部)
・6日 「水と災害に関する特別会合」で基調講演(国連本部)
・6日 ハン・スンス韓国元首相(「水関連災害」に関する有識者委員会の設立委員長/国連「水と衛生に関する諮問委員会」のメンバー)主催の昼食会に出席
H26 2014
H27 2015 4月12日〜17日 第7回世界水フォーラム(韓国の大邱市と慶尚北道で開催)→「日程上の都合」を理由に皇太子は欠席