職員-資料


【平成に入ってからの人事】(2014年8月時点)
?就任時期不明 / ?退任時期不明 / *前任者不明 / 【 】外務省出身者 / *下記参照

※東宮職まとめ(予想)敬称略
1989
H1
1990 1991 1992
1993
結婚
1994
1995 1996 1997 1998
H10
1999 2000
2001
誕生
2002
2003
H15
2004 2005 2006 2007 2008
H20
2009 2010 2011 2012 2013
H25
2014 2015 ---- ----
東宮大夫
 
菅野
 
幸男 【古 川】
   
林田
 
野村
 
小町
侍従長
 
山下
 
曽我
 
小林 秀明
 
末綱
   
加地 正人



1 【吉 原】
  *
太田
*
【篠 塚】
  *
大嶋
*
水谷
 
*
【須 賀】
 
大森
 
岩間
   
木村
2 曽我 *
   
池田
3 樫山
 
加地 正人
 
堀江 坂根
   
大谷
   
松永
4
   
入江
   
中村
5
 
吉野
   
原口
   
櫛田
   
川埜
女官長
 
高木
 
木幡
   
西宮



1
 
木幡
 
 
楠田
 
 
小山 木本
2
 
中町
 
安東
3 岡山 ≪女 官長 事務 代理
 
4
 
箱崎

1 ※愛子さま担当
 
福迫 (幼 稚園
天野 (音 楽?
2
 
筒井 (絵 本)
 
霧島 (中・ 英語
御用掛
 
糸川 (小
) 
橋 ( 高)


※千代田まとめ(予想)(昭和天皇時代からの侍従は省略)敬称略
1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 ---- ----
長官 藤森 鎌倉
   
湯浅
   
羽毛
   
風岡
次長 宮尾
   
鎌倉 森幸
 
 
羽毛
   
風岡
   
山本 信一
侍従長 山本
 
渡邊
 
川島
 
河相
侍従次長 重田
   
八木
   
石藤
   
手塚
 
千沢
   
佐藤 正宏
   
高橋

1 手塚
   
?* 樫山 ---- ---- ---- ----
--  
清水
   
坂井
 
北風
2 ↓西 園寺 八木
   
佐藤 正宏
   
沖田
   
池田
 
牛嶋
3
 
楠本
平岡
? *
多賀 】--- ?
?*
坂本
? ?*
宮下
? ?*
山本
広行 -
【川 上】
 
菊田
 
木戸
錦織
4
.? *
山中
 
  *
千沢
   
?* 田島 ---- ---- ---- ---- ----
--  
岩井
5 ↑富 富士 目黒
 
河南
6 石藤
 
林孝 ?
... ....
百武
   
*- 水野
? ?*
福田 ---- ---- ---- ----
--  
7
   
佐藤 和寿
   
諸橋
--
小西 ? *- 小山 ---?
?*
本間 ? ?* 河野
--  
佐々
   
西野
式部官長
 
角谷 清】
苅田 吉夫
川島 裕】
口幸
】【
河村 武和
【小
田野
】【
】【
秋元
総務課長 前田 健治 坂東
 
 
地隆
 
 
高橋
   
沖田
   
坪田
   
坂井
 
牛嶋
 
野村
女官長 松村
   
井上
   
濱本
   
伊東

 
【不明箇所】

【東宮】
*:前任者など不明だが見やすさを優先
 太田裕造氏(詳細な退任時期不明)1991/8/1〜1993/8?(1993/8 外務省領事移住部旅券課長)
 篠塚保氏(詳細な就任退任時期不明)1993/8〜1996/8?(1996/8 総合外交政策局軍備管理軍縮課長)
 大嶋英一氏(詳細な就任退任時期不明)1996〜1998?(1998年 外務省大臣官房国内広報課長)
 水谷章氏(詳細な就任退任時期不明)1998〜2000年(2000年 外務省 領事移住部邦人保護課長)
  (一橋大学:http://www.ipp.hit-u.ac.jp/faculty/professor/mizutani.htmlより)
 須賀正広氏(就任時期不明) 2003年5月頃、就任?
  法制審議会刑事法(ハイテク犯罪関係)部会議事録によると、第四回(2003/6/2)のときには移動してた模様
   (6月2日:外務省国際社会協力部人権人道課企画官須賀正広氏が異動され〜)
   (第三回は2003/5/15)

【千代田】
【退任時期不明】
■1996年4月1日〜(退任時期不明) 小西敦(自治省)
■1991年8月15日?〜(退任時期不明) 平岡邁氏(外務省)
■1991年4月1日〜(退任時期不明) 小林孝男氏(文化庁)
■2000年4月1日〜(退任時期不明) 小山永樹氏(「正倉院・閉封の儀2002/11/28に「侍従(勅使)」として記述あり)
2000年4月1日〜2002年3月31日?(退任時期不明(ほぼ確定)) 水野豊氏(文化庁)(退任後、新居浜工業高等専門学校長)

【就任時期不明】
1993年11月〜1996年11月頃?(就任退任時期不明) 多賀敏行氏(外務省)(1996年11月より在イギリス日本大使館参事官就任)
■(就任時期不明)〜2006年9月20日退任 山本広行氏(外務?)
2002年(就任時期不明)〜2008年4月1日 福田直行氏(旧日本興業銀行) →(水野氏か坂元氏?→福田氏?)
2003年?〜2010年3月31日 樫山和民氏(宮内庁正倉院事務所所長に三宅久雄氏が就任してるので、2003/4/1に千代田の侍従に就任?)
■(就任時期不明)〜2010年8月2日退任 河野太郎氏
■?〜2013年3月31日  田島研介氏(2005年4月1日 千沢治彦氏の後任?)

【就任退任時期不明】
■2000年頃在職 坂本秀之氏(外務?)
■2003年頃在職 宮下孝之氏(外務?)
■2005年頃在職 本間和義氏


人事異動、資料

■東宮大夫・侍従
 皇太子ご夫妻の長女、愛子さまの教育や養育を担当する東宮侍従1人の増員が、来年度予算財務省原案の復活要求で21日、認められた。愛子さまは今月1日に満2歳を迎えており、今後、幼稚園入園や学校教育に向けた本格的な準備が始まる。
 宮内庁では、ご夫妻の意向を踏まえながら、進学先の検討・選定や準備、候補となる教育機関との折衝、東宮御所内での教育・養育内容の検討にあたらせたい考えで、今後具体的な侍従の人選に入る。
 東宮侍従は現在4人で、愛子さまを専門に担当する侍従はいなかった。

(2003/12/21/21:46 読売新聞 無断転載禁止)
愛子さま担当侍従が就任 厚労省キャリアの吉野氏

 皇太子ご夫妻の長女愛子さま(2つ)を担当する東宮侍従に、12日付で厚生労働省の吉野隆之氏(43)が就任した。将来の幼稚園通園など、教育にかかわる事務全般を受け持つ。東宮侍従は愛子さま担当として、4月に4人から5人に定員が増やされたが、人選が難航していた。吉野氏を起用した理由について、林田英樹東宮大夫は「当初から厚労省に推薦をお願いしていた。キャリア、人柄ともに素晴らしい方だと聞いている」と話している。吉野氏は東大卒。1983年4月、旧厚生省に入省し、会計課長補佐、少子化対策企画官などを歴任した中堅のキャリア官僚。6月にも、愛子さまの養育担当として幼稚園教諭の女性が採用されている。
2004/07/1122:01【共同通信】
http://www.wakayama-nct.ac.jp/news/news-syousai2009/sintaisei09/taisei.htmより抜粋

 校長に、4月1日付けで堀江振一郎(ほりえ しんいちろう:53歳)が新たに就任しました。
 堀江新校長は、東京大学教育学部を卒業、昭和53年に文部省(現文部科学省)に入省、初等中等教育局、ユネスコ・アジア地域事務所(バンコク)、臨時教育審議会総務課、青森県教育委員会文化課長、総務庁青少年対策本部非行対策専門官、同国際交流専門官、在アメリカ大使館一等書記官(ワシントン)、文部省学術国際局研究協力室長、同局ユネスコ担当企画官、教育助成局海外子女教育課長、国際交流基金人物交流部長を歴任。この間、平成5年から2年間、埼玉大学大学院政策科学研究科の非常勤講師を併任。平成12年から宮内庁東宮侍従、平成19年から国立大学法人東京芸術大学理事・副学長・事務局長を務めた後、国立和歌山工業高等専門学校校長に就任しました。

週刊新潮2006年6月22日号:ワイド100万回の言い訳 【4】「東宮「報道担当」を外された「宮内庁のホリエモン」

宮内庁のホリエモンこと堀江振一郎東宮侍従(事務主管)が6月1日をもって報道担当を外れる。左遷人事ではないがワケありの様子。堀江氏は旧文部省出身で2000年4月東宮侍従就任、2003年東宮事務方トップの事務主管となるが今回肩書きは事務主管のママで報道担当だけを外れるという異例の措置。「雅子妃が静養に入ってから何事も隠そうとする東宮と記者クラブの関係が悪化していた」とある宮内庁関係者が明かす。前東宮大夫林田英樹氏(=リンダ)とは同じ文部省出身で二人とも適切な情報開示をしようというタイプではなかった。宮内庁のホリエモンも典型的役人タイプでリンダの横でひたすらメモを取るだけ。今年4月に東宮大夫となった野村一成氏はざっくばらんで記者にも出来るだけ理解してもらおうという姿勢。記者から両殿下に聞いてほしいと要望を出すとちゃんと対応する。ホリエモンは2004年の皇太子山登りの写真を公表しなないように記者に一筆書かせたりしてイッセイとはうまくいかなかったようだ。今回の人事を記者は歓迎しているが、地方公務などのブリーフィングでは事務主管が報道担当した方がスムーズにいくはずであり指揮命令系統上不安があるとも
東宮大夫に小町恭士氏就任へ
7月1日11時11分

 皇太子ご一家のお世話をする東宮職の責任者を5年余りにわたって務めた宮内庁の野村一成東宮大夫が勇退し、後任にオランダ大使などを務めた小町恭士氏が就任することが1日の閣議で決まりました。
 新しい東宮大夫に決まった小町恭士氏は65歳。昭和44年に外務省に入省し、オランダやタイの大使を歴任したほか、地球環境問題担当の大使などを務めました。オランダ大使在任中の平成18年には、皇太子ご一家が、体調の回復に努めていた雅子さまの療養を兼ねてオランダに滞在されたこともありました。一方、勇退が決まった野村氏は、平成18年に東宮大夫に就任し、翌年には皇太子さまのモンゴル公式訪問に首席随員として同行しました。また、雅子さまの体調の回復のために力を尽くし、先月には、東日本大震災の被災地、宮城県への皇太子ご夫妻の訪問に同行するなど、ご一家を支えてきました。
内閣府、外務省前官房長を訓告処分
日経新聞 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20031017AT1E1600L16102003.html

 内閣府は16日、タクシー券を不正使用したとして、外務省前官房長の小町恭士・内閣府国際平和協力本部事務局長を訓告処分にした。
 外務省によると、小町氏は出向していた国際協力事業団(現国際協力機構=JICA)から同省に復帰した後の2001年4月4日から同年6月23日までの間、JICAが支給したタクシー券約2万4000円分を不正使用した。(07:03)
【皇室御一行様★part1573】

62名前:可愛い奥様:2009/06/15(月)18:00:40ID:Y0KERkAU0
週刊朝日
皇太子さま雅子さま「ブレーン不在」の孤独

民主党の津村議員の要求で宮内庁が明らかにしたデータ表↓あり。
「昭和天皇側近・今上側近・今上皇太子時代側近・現皇太子側近の氏名・役職・在職年数」
現皇太子側近の平均在職年数は3年
ちなみに昭和天皇側近18年、今上側近7年、今上皇太子時代側近9年、が平均

498名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)11:55:15ID:MYHco1820
週刊朝日で東宮侍従の勤続表を見てきた。
今年の4/1で8年以上1人、2年8月、2年4月、2年、10月(氏名付)。
計算してみたら、悠仁親王殿下の誕生前後に2人入っている(つまりは2人辞めている)
「当時、雅子様は精神的に不安定になることもあり…」と週刊誌にあったが、さぞ大変だったんだろうね。

530名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)13:09:27ID:MYHco1820

週刊朝日。侍従で8年務まっている人は雅子さまの気に入りで外食につきあったりしているが、皇太子の公務の助けになるタイプでない(意訳)。
確か昔の文春でも、皇太子の気に入った内舎人は言いなりで逆らわない人だと読んだ覚えがある。あの夫婦の好みはイエスマンらしい。

648名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)17:29:22ID:2K04rmPb0
週刊朝日買ってきた。
567名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)14:31:19ID:AdOQGXIz0
8年務まっている侍従って誰なんだろ?
そんなに相性が合うんならもっとエピソードとか出てきてもよさそうなもんなのに。

>>567
野本勲という人です。
今週の週刊朝日の記事によると、この野本氏は2009年4月1日現在で在職年数8年4ヶ月とあるから、2000年12月1日ごろ東宮侍従になったということだよね。
前職は民間人(東京電力出身)
703名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)19:00:35ID:iIl70lAp0
>>700に関連して、
週刊朝日には「明るく温厚、博識との評判で、雅子さまの私的なお出かけにも同行することが多い。
ただ、ときには厳しく、見識をもって皇太子さまを公私共に支える役割とはまた違うようだ。」と書かれている。
288名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/12/20(火)19:16:42.54ID:xzNPq2lR0
再び避難所から転載
189名前:可愛い奥様@避難所生活[sage]投稿日:2011/12/20(火)19:15:34ID:kywf3l8s[2/2]
文春2011/12/29超ざっくりこちらもぜひぜひ買ってね!

現在の報道担当は外務省出身の岩間東宮侍従。記者からは「瞬間湯沸かし器」と評され評判は高くない。
・事務主管は侍従の要。大谷事務主管は岩間氏より年令は下。「行啓よりも報道体制」との東宮職の姿勢が表出。皇太子がカメラ片手にお召列車の際に同乗していたのが大谷氏。
「週刊現代」2012年2月25日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/31826

 あまり知られていないが、東宮家(皇太子一家)に仕える侍従、内廷係の状況は、ここ1年で大きく変化している。
 '11年7月には、5年以上にわたって東宮大夫を務めた野村一成氏が退任。後任には、同じく外務省出身の小町恭士氏が就任したが、皇太子一家との関係は必ずしもしっくりいっていない。天皇の学友で、皇室研究家の橋本明氏がこう証言する。
「昨年夏に就任した小町大夫は、いまだに雅子妃との面会が叶わないと聞いています。年末も、ご一家で表参道のイルミネーションを見学されたことを記者に聞かれ、『明るいところが治療にはいいので』とトンチンカンな返事をしていた。ご一家と意思の疎通が取れていないのでしょう」
 結果、前東宮大夫の野村氏が3月末まで「御用掛」の肩書で残ることになった。雅子妃と小町氏の仲介役という意味合いのようだ。
 (2011年)9月になると、厚労省から出向していた原口真氏が侍従を退任、後任として国交省の道路政策企画室長だった櫛田泰宏氏が就任したが、原口氏の穴は埋まっていないようだ。前出の宮内庁職員が解説する。
「原口氏は、殿下の地方出張、施設慰問などの公務を担当していました。原口氏は新任の小町大夫と折り合いが悪かったようです。
 後任の櫛田氏がまだ不慣れなため、いまは中村久之侍従が公務に随行しています。中村さんは本来、音楽会や山岳関連などプライベート部分が担当なのですが」
 官僚出身侍従は、2~3年で出身官庁に戻ることが多く、皇太子夫妻にとっては「何でも話せる側近」という関係になりにくい。中村氏は皇太子の学習院の後輩で、旧華族中村家の出身。現在東宮にいる5人の侍従のうち、3人は官僚出身で、中村氏と、雅子妃担当で東京電力元企画部長の野本勲氏の二人が「民間」出身だ。結果、中村氏と野本氏の二人にかかる負担が大きくなる。しかもその野本氏も、すでに72歳で、東京電力福島第一原発事故の直後には退任が噂された
【樫山和民氏(カシヤマ/カズタミ)】
・1943年東京都生まれ。東北大学文学部卒業。
・東宮侍従退任後?、宮内庁正倉院事務所所長(2000、2002年の開封の儀で名前が出てくる)
 2003年には宮内庁正倉院事務所所長に三宅氏が就任してるので、2003年に千代田の侍従に就任?
・2006年9月の悠仁さま誕生時の陛下の北海道行幸啓に「侍従」として随行
野本東宮侍従:25日で退任へ 皇太子ご一家支え11年半
毎日新聞 2012年07月22日 02時31分(最終更新 07月22日 02時31分)

 皇太子ご一家に長年仕えてきた宮内庁東宮職の野本勲東宮侍従(72)が25日付で退任することになった。11年7カ月にわたり主に病気療養中の皇太子妃雅子さま(48)や皇太子ご夫妻の長女愛子さま(10)を支えてきた。ご夫妻の希望で、愛子さまの1学期が24日に終了するのを待っての退任となる。
 野本氏は東京電力を定年退職後、01年1月に東宮侍従に就任。ご夫妻の信頼が厚く、療養中の雅子さまが泊まりがけの地方公務に一時復帰した07年6月の長野県、同年10月の徳島県訪問などに同行した。
 10年春に愛子さまが学校生活に不安を感じて一人で登校できなくなった時は、雅子さまとともに学習院初等科へ足を運んだ。昨年9月、愛子さまが初めてクラスメートと一緒に山梨県に宿泊した際や、今年6月の長野県での校外学習にも同行し、愛子さまを見守った。
 野本氏は「愛子さまがお元気になられたことを見届けることができて、本当にうれしい」と振り返った。【真鍋光之】
ttp://www.okinawatimes.co.jp/jin/19990522_1.html
<1999年5月22日 朝刊 3面>
2代目沖縄担当大使に就任した野村一成さん

 一九九〇年のヒューストン・サミットでは在米国大使館公使として受け入れを取り仕切った。その経験から「サミットは一つの大きなオペレーション。それぞれの仕事をこなし、全体として成り立つ」という。基地問題では現場を踏むことから始める。「基地所在市町村を一日も早く訪れ、実態を把握したい」。局長経験者の「大物大使」にサミット成功、基地問題前進に期待がかかる。
 着任してまず沖縄本島南部の戦跡に。平和の礎で沖縄戦で亡くなった紀子夫人の叔父の名前を見つけ、手を合わせた。「沖縄の原点」と心に刻んだ。
 沖縄とのかかわりは思いやり予算を義務付けた日米特別協定更新くらいというが、逆に「フレッシュな気持ち。課題も多いが、チャレンジング」と前向きの姿勢だ。
 「談笑死生間(だんしょうしせいのかん)」が座右の銘。陸軍軍医で八十四歳で亡くなった父静寿さんの形見。憲政の神様と称される尾崎行雄の書で、父が直接譲り受けたものだ。「生きるか、死ぬかの修羅場のときも、語り、笑う余裕を持って人生に対処しなさい」と解釈している。
 野球が大好き。前任地のマレーシアで沖縄尚学高校のセンバツ決勝戦を衛星放送で観戦。沖縄担当大使の内示を受けており、海の向こうから声援を送った。兵庫県淡路島で小、中学生時代を過ごし、映画になった瀬戸内少年野球団はわがことのよう。同島の洲本高校がセンバツで優勝し、小学六年の少年の大きな励みになった。「沖尚の優勝、サミットも若い人たちに影響を与えるだろう」
 在ソ連邦大使館勤務時代にウオツカをたしなんだ。泡盛は本格的にはこれから。運動不足を補うゴルフは90台の腕前。東大法学部卒。愛知県出身。一九四〇年五月二十日生まれ。五十九歳。王貞治と同じ誕生日が自慢。二男一女。昨年四月、長女に初孫が誕生した。長男も在中国大使館の外交官
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl a=20060404-00000502-yom-soci
宮内庁東宮大夫に野村ロシア大使
皇太子ご一家のお世話をする宮内庁東宮職のトップ、林田英樹東宮大夫(64)が6日付で勇退し、後任に野村一成駐ロシア大使(65)を充てる人事が、4日午前の閣議で決まった。
野村氏は外務省出身でロシア畑。1991年には内閣審議官として国連平和維持活動(PKO)協力法案の審議、99年からは沖縄担当大使として沖縄サミットの準備などを担当した。
皇太子妃雅子さまが2―4歳だった60年代後半には、在モスクワ日本大使館で雅子さまの父小和田恒氏と一緒に勤務していた経験がある
林田氏は旧文部省出身で、学術国際局長、文化庁長官などを歴任。2001年11月、東宮侍従長に転じ、02年5月から約4年間、東宮大夫として、雅子さまの長期静養や、長女の愛子さまの養育などへの対応にあたった。
(読売新聞) - 2006年4月4日12時7分更新
■東宮女官長・女官
830名前:可愛い奥様:2009/10/19(月)01:57:28ID:+r0V64DG0
皇室アンケートの載っていた婦人公論を引っ張り出してきましたわ。
以下引用

「二代目となる今の木幡清子(こわたきよこ)東宮女官長(65歳)はシリア大使や外務省研修所長を務めた外交官、昭七氏(故人)の妻で、青山学院大学文学部仏文学科卒。昭七氏は、雅子さまの父で国際司法裁判所所長の小和田恆氏と同い年の外交官だった。」
・・・・
夫が小和田氏と東大のクラスメイト(雅子妃とミカドの世界P162)
・・・・
(「女性自身」2008年10月21日号にも詳細な記事があるらしい)
木本彰子
・1972年、東京大学文学部西洋史学科卒業。翻訳業。夫(故人)は広中和歌子氏の実弟
・広中和歌子氏は1986年12月30日、東宮御所でのお茶会に小和田家が招かれた際、夫妻で出席(浩宮と雅子さんも出席)
中町芙佐子氏(雅子妃とミカドの世界P160要約)
・大阪大学文学部哲学科卒
・S57年に夫と死別
・NYコロンビア大学院に留学、精神障害者のセラピストとして訓練を受け、私立ウッドポール病院精神科に勤務
・H13年10月半ばに森幸男氏とともに東宮職御用係りに就任(着帯の儀式で皇太子夫妻の代拝を勤めるため)
箱嶋明美氏(雅子妃とミカドの世界P162要約)
・就任当時42歳
・四谷双葉出身、青山学院大学文学部卒。S27年生まれ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080401-00000014-mai-soci
<愛子さま>養育専任の東宮女官に小山久子さん就任
4月1日5時0分配信 毎日新聞

 皇太子ご一家を身近でお世話する東宮女官に1日付で長女愛子さまが通っていた学習院幼稚園園長の小山久子さん(61)が就任した。
 昨年9月に女官の1人が辞めたための補充人事の形だが、愛子さまの養育専任の女官となる。天皇家のお子さんに養育専任の女官が就任するのは初めて。
 小山さんは、都内の私立幼稚園を経て、78年から学習院幼稚園に勤務、01年から園長を務め、3月31日付で同園を選択定年退職した。
 野村一成東宮大夫は「学齢期を迎えられ、ご養育に万全を期したい」と説明。直接養育に当たるほか、養育担当などの女性職員の指導、養育に関して皇太子ご夫妻の相談に応じるなどの役割を期待しているという。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008040100058
2008/04/01-06:21 学習院幼稚園長が東宮女官に=愛子さま養育担当−宮内庁

 東宮女官に学習院幼稚園長の小山久子氏(61)が就任する人事が決まり、1日付で発令された。小山氏は、 皇太子ご夫妻の長女愛子さまが3月に同園を卒業するまでの園長で、愛子さまの養育専任の女官になるという。
 宮内庁東宮職は、愛子さまが今月学習院初等科に進学するなど学齢期に達し、養育に万全を期したいとする
ご夫妻の意向があり、人選を進めた結果、定年退職する小山氏が選ばれたと説明している。通常の女官の仕事ではなく、 必要に応じて愛子さまのお世話をする職員の監督や、養育に関するご夫妻の相談に乗るという。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/13448?c=160
愛子さまに養育専任女官 学習院幼稚園前園長小山氏 2008年4月1日 06:09

 皇太子ご夫妻の長女愛子さま(6)の養育専任東宮女官として、学習院幼稚園園長を退職した小山久子氏(61)が 1日付で就任した。
 宮内庁東宮職によると、内親王の養育に専任の女官が付くのは初めて。学齢期を迎えた愛子さまの教育に 万全を期すため夫妻が以前から要望していたという。
 小山氏は東京都出身。お茶の水女子大の幼稚園教員養成課程を修了し、1968年から1年間、松濤幼稚園 (東京都渋谷区)に勤務。78年に学習院幼稚園に移り、2001年から園長を7年間務め、この3月で定年退職した。
 野村一成東宮大夫は「人格、見識ともに優れ、子どもの教育に豊かな経験のある専門家」と評価。身の回りの 世話をする職員を指揮監督するほか、夫妻の相談役も務める。
1993年女官の就任時期について

木幡清子 平成5年(1993年)6月1日東宮女官就任
中町芙佐子 平成5年(1993年)6月23日東宮女官就任(1993年6月23日東宮女官になる『女性セブン』2004年7月8日号)

・『ミカドと女官―菊のカーテンの向う側―』小田部雄次
 皇太子夫妻結婚当初、3人の女官を選出。1人は中町芙佐子さん。2人目は高木みどり東宮女官長。そして3人目が木幡清子さん。
・『雅子妃とミカドの世界P157』小田部雄次
 結婚の儀までにそろった女官は高木と中町の二名だけで、全員そろうのは結婚の儀以降の公算が大きくなったと6月7日の毎日新聞は伝えている

4年半ぶりに決まった「雅子妃の女官長」のお役目.
http://www.gruri.jp/article/2015/08041800/

 4年半という空白の時間にピリオドが打たれた。
 皇太子妃に仕える東宮女官長。長きにわたり不在という異例の状態が続いていたが、7月31日の閣議で西宮幸子氏(58)の就任が決定されたのである。
 女官長は雅子さまに仕える側近で、国内外のご公務に付き添う渉外役を担う。採用にあたり大事な条件があると話すのは、皇室ジャーナリストの神田秀一氏だ。
「昼夜を問わず妃殿下に一心同体でお仕えするため、私生活に負担がないよう、これまでも独身女性が選ばれてきました」
 前任の木幡(こわた)清子氏も、シリア大使を務めた木幡昭七氏の未亡人。ご主人が雅子さまの実父・小和田恆氏と外務省の同僚だった縁で1993年に東宮女官となり、2003年から女官長を務めたが11年に退任していた。
「愛子さまの不登校が深刻化した時期で、東宮ではご一家を支える職員ら5人が離脱をして世間を騒がせた。療養中の雅子妃との意思疎通が不十分だったと言われています」(宮内庁記者)
 この7月にトンガご訪問を果たし、ご回復の兆しを見せる雅子さま。西宮氏は重責を果たせるだろうか。
彼女は津田塾大を卒業後、銀行勤務を経て外交官の西宮伸一氏と結婚しますが、彼は民主党政権下の12年、中国大使に任命された直後に急死してしまいました。子供たちも独立し、雅子妃のお世話に専念できる状況にあります」(同)
 専業主婦として朗らかな人柄との評判だ。夫がニューヨーク総領事として赴任した際は、夫婦で当時ヤンキースの松井秀喜氏の表彰式に出席したことも。茶会、朗読会などのレセプションを取り仕切るなど海外経験も積んできたが、皇室にかかわる公職の経験はない。
「人選の責任者は小町恭士東宮大夫。外務省出身の彼の周囲で了承を取り付けられた適任者は西宮さんしかいなかったワケですが、これで雅子妃の本格的なご公務再開に向けての体制は整った格好です」(神田氏)
 特別職の女官長に定年はなく、齢70を過ぎるまでお仕えするのが通例だという。末永く東宮ご一家を支えられるかどうかに注目が集まる。
週刊新潮 2015年8月13・20日夏季特大号 掲載
■医療関係者
定月みゆき博士
・群馬大学医学部卒(雅子妃の新しい皇室づくりP58に経歴)
<愛子さま>誕生時の担当医 国立国際医療センターに異動
宮内庁は18日、皇太子ご夫妻の長女敬宮愛子さま誕生の際に担当医を務めた定月みゆき宮内庁病院産婦人科医長(45)が、国立国際医療センターに異動したと発表した。
異動は16日付で、後任は公立昭和病院産婦人科医長の高江健太郎氏(34)。
定月医師は在勤が3年を超え、宮内庁は通常の異動としている。
(毎日新聞)-2004年10月18日18時55分更新 
大野裕医師・プロフィール(PHP3月号)
1950年愛媛県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。
コーネル大学医学部、ペンシルバニア大学医学部留学を経て現在慶應義塾大学保健管理センター教授。
近著に「うつを癒す」(飛鳥新社)、『「だから自分はダメなんだ」と決めつけない』(大和書房)など。
噂の真相2001年6月号 雅子妃懐妊騒動の真実

堤医師=専門は不妊治療に不可欠な腹腔鏡。「体外受精」「顕微授精」の成功例も数多い。
97年、突如として宮内庁の非常勤医に就任し、女性週刊誌が「人工授精治療の開始か」と大騒ぎを繰り広げた。
この時、宮内庁は「職員の治療をお願いしているだけ」などと報道を完全否定していた。
しかし実際は鎌倉節宮内庁長官(2001年3月に退任)が坂元正一東大名誉教授に依頼して立ち上げた、 皇太子夫妻の「不妊治療プロジェクトチーム」の一員(中心メンバー)だった。
ただしスタート直後、皇太子が坂元医師の説得に「自分たちで計画的にちゃんとやります」と断り、 ほどなく解散。堤も翌年に非常勤医の職を辞した。
ところが99年5月、再び非常勤医として宮内庁病院に復帰。仕掛け人は鎌倉長官。
鎌倉長官は支持率低迷に悩む小渕首相と連携する形で99年春から再び不妊治療プロジェクトを始動。
皇太子夫妻もその説得のプレッシャーに耐えられず、 夏過ぎには同意し、秋に東宮御所内に医療機器が運び込まれ堤教授が検査を始めた。
流産に終ったあとの2000年1月下旬、堤教授が東大医学部の「体外受精」をテーマにした講義で 「体外受精では稽留流産の可能性が高い。それをどうのこうの言われてもね」と発言
記者が同学部の学生から聞いたのが、その学生曰く「具体的に名前を出したわけではないですが、明らかに雅子妃の流産を指していることがわかりました」
つまり2001年3月に御用掛に就任する前にも「陰の主治医」だった。
陛下に寄り添う「侍医」 東大閥、背広にネクタイなどの特徴
http://www.news-postseven.com/archives/20141016_281405.html
2014.10.16 11:00※女性セブン2014年10月23・30日号

(略)
 皇室を支える医師団にはもうひとつ“例外”がある。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。
「適応障害に悩む雅子妃殿下の主治医は慶應大学卒の医師で国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長の大野裕さんです。妃殿下の担当医になるからには、『東宮侍医』や非常勤の『御用掛』という役職を与えて宮内庁の指揮命令系統に入っていただいたうえで治療に当たってもらうべきですが、そうはなっていません。そのため、妃殿下の病状を皇室医務主管が把握できていないという問題が指摘されています」
 実際、2012年7月に金澤医務主管が『文藝春秋』(2012年8月号)で衝撃的な発言をし、世間を驚かせた。
<大野先生に来ていただいたところまでは良かったのですが、少なくとも私が意図した方向で治療システムが構築されたとは残念ながら思ってはおりません。その点に関しては、私は皇室医務主管として残念ながら失格だったと思っています>
奥山眞紀子氏
小児精神保健が専門。
10年前は愛子さん担当で参内。
初等科入学頃の愛子さんの意思表示は首を縦、横に振るしぐさだけ。
だんだん雅子カウンセラー役になった。
雅子「宮内庁は酷い」
奥山氏「ご自身も変わっていただかなければ。」(週刊文春2014/10/30)
818 :可愛い奥様@転載は禁止 :2014/10/24(金) 08:34:41.07 ID:axMLqHPS0
長野県出身で東京教育大学(現筑波大)卒業の60歳。
都立戸山高校退職後は都立青山高校非常勤講師。
中教審代表委員を務めたこともある優秀な数学教師。
御用掛になった経緯は書かれていません。
進学校戸山の進路担当教師だったからfdrrとの校長の言葉がありますがよく分かりません。 (週刊新潮2014/10/30))
■その他
福迫美樹子氏(44歳)の略歴
鹿児島の歴史ある名家の出身。雅子妃の田園調布双葉の3年先輩。
高校卒業後、聖心女子大教育学科幼稚園コースで学んだ後、 双葉小学校付属幼稚園で16年間教諭を務めた。
東宮着任は04年6月←皇太子の人格否定発言の1ヶ月後。
(週刊現代2006/2/4号)
事務主管補佐A氏
・東宮職に「事務主管補佐」という、課長職の下に位置し、かつ行啓や医務などの係を束ねるポストがある。数人の補佐で各係を分担、うち2004年からそのポストに就いていた50代のベテラン職員がおり、昨年4月、補佐の中でも上席である「総括職」という地位に昇格した。(東宮関係者)
・しかし、その男性がわずか3ヶ月で任を解かれ、7月初めには東宮から宮内庁本庁へと異動になった。
・東宮内の予算を取り扱う要職に就いたばかりの職員にとって、きわめてイレギュラーな異動。さらに異動先は本庁主計課の課長補佐。8月末の概算要求の提出期限を控えて大忙しのセクションで、この時期に人を入れ替えるなど通常では考えられない。東宮で何かあったのでは、ともっぱら職員の間で囁かれていた。(同関係者)
・ちょうどこの時期、皇太子ご一家は須崎の御用邸を静養で訪れていた。それにさきがけて、雅子さま周辺から滞在中に生じる経費についての要望があり、この補佐が首を縦に振らなかったのでは、という生々しい話も。彼は昭和天皇の時代から東宮職に籍を置き、皇太子殿下との付き合いも長く、殿下からの信頼も厚い。そのことから、雅子さま周辺との間に「何か」があったとの推測が飛び交った。(同関係者)
週刊新潮(2011.01.27号)
809名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/07/27(水)23:52:18.64ID:wPs/04T50
霜鳥加奈氏(週刊文春2011.08.04号)

・霜鳥さんは、上智大学英文科を卒業し、08年に同大学の修士課程を修了した20代の女性だそうです。その後、2年間中学校の英語教師のキャリアを経て、迎えられることになった、いわば“英語教育のスペシャリスト”です。修士論文では“イギリス小説の父”ヘンリー・フィールディングについて69ページにわたって英語で論文を書いています。」
・霜鳥氏が2年間教員として務めていたのは、健常児と自閉症児の「混合教育」が特色の、武蔵野東中学校。自閉症児が1学年のうち約3分の1在校し、そのユニークな指導法や、自閉症児の治療法は世界的に注目されている。
・「彼女は1〜3年の英語を指導していました。今年3月に『家庭の事情で』という理由で退職したのですが、非常に優秀で、教師の間でも『早く担任を持たせ、昇進させたい』と評判でした。」(理事長 寺田欣司氏)
・霜鳥氏は「熱心な先生」として教え子からの人気が高い先生だった。「英語の発音が綺麗でカッコよかった。」(在校生の一人)
・大学時代はホッケー部に所属していた霜鳥さん。同部の古いHPには自己紹介が残っていた。(注:顔写真あり)好きな言葉の欄には、<There-is-always-a-better-way>というトーマス・エジソンの言葉が。
・宮内庁は丸30年勤務すればその功労として永年勤続のご褒美がいただけ、園遊会にも呼んでいただけるようになります(殿下の料理番P202)
中央公論2006年11月号
皇室典範改正は避けられない
井上茂男(読売新聞編集委員)

宮内庁秘書課によると、その定員は秋篠宮付が九、東宮職五一。
東宮職は前ロシア大使の野村一成・東宮大夫をトップに、東宮侍従長、東宮侍従五人、東宮女官長、東宮女官三人、東宮侍医長、東宮侍医三人がおり、庶務や行啓、会計、監理などの事務職員が一三人、看護師四人、身の回りのお世話をする女嬬などがいる。
秋篠宮付の定員には運転の担当と料理の担当が含まれるが、東宮職は運転や料理・配膳担当は別。
皇太子ご一家の運転を担当するのは車馬課配車第二係の六人、料理を作るのは大膳課厨房第五係の五人、配膳を担当するのは大膳課主膳第二係の五人で、東宮職以外にも計一六人がお世話に携わっている。
これらの職員を含めると、皇太子ご一家のお世話係は計六七人になる。
東宮職には東宮侍医長も含めて四人の医師がいて、二四時間体制で詰めている。
一方、愛子さまの場合は、誕生後に看護師四人が公費で置かれ、その後、小児科の侍医一人、愛子さま担当の侍従一人、看護師二人、お世話係の出仕一人の計五人が増員された。
742 :自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@\(^o^)/:2015/08/13(木) 22:01:59.97 ID:Cqm3xdcZO.net[4/4]

池田元一東宮侍従 1979年東京大学工学部大学院・化学工学専攻・修了。同年、東京ガス株式会社入社
川埜亮東宮侍従 内閣府国家公務員制度改革推進本部事務局企画官(東大法93年建設省)
唐橋在倫東宮職御用掛
 >唐橋子爵家(からはしししゃくけ)は、日本の華族(公家)。姓は菅原朝臣。半家。
  http://www.ne.jp/asahi/kina/dream/sketch/concert/london/londonconcert.htm
唐橋 在倫(からはし ありみち)
1967年(昭和42年)京都生まれ。1991年に独協大学法学部卒業後、國學院大学神道学専攻科で学び、1992年に新宮神社奉職、現在は轄n謌迚p会取締役をしておられるそうです。
年2回、宮中でご前演奏会に出演、京都蹴鞠保存会会員として、京都御苑で春秋一般公開時に出演、宮中月次御歌会に詠進するなど、多彩に活躍されていらっしゃいます。
パンフレットにあった唐橋家の歴史を見ると、「菅原道真公から6代目の子孫にあたる、定義公と藤原実方公の娘の間に生まれた在良公が家祖である」と書かれていました。


千代田・その他
湯浅宮内庁長官が辞任=「人格否定」発言で批判も−後任に羽毛田次長

 宮内庁の湯浅利夫長官(69)が1日付で辞任し、後任に羽毛田信吾同庁次長(62)が就任する人事が、同日の閣議で決まった。新しい次長には、前国土交通事務次官で同省顧問の風岡典之氏(58)が就任する。同日午後、皇居で新長官の認証官任命式が行われる。
 湯浅氏は同庁次長を経て2001年4月から長官。特別職の退官年齢の目安とされる70歳を待たず、年度初めの人事異動時期の辞任となった。在任中は昨年5月、皇太子さまが雅子さまの静養に関して述べた「人格否定」発言をめぐり、批判の矢面に立った。
 羽毛田氏は旧厚生省出身。厚生事務次官などを経て01年4月から次長。風岡氏は旧建設省出身で、03年7月から約1年間、国土交通事務次官を務めた

2005/04/01(金)
「身の引き締まる思い」 宮内庁の風岡新次長が抱負

 宮内庁の風岡典之次長が5日、就任後初めての定例記者会見で「責任の重い仕事で身の引き締まる思い。両陛下や皇族の方にお仕えするのが任務なので、長官や各部局の意見を聞いて宮内庁一体となってやっていきたい」などと抱負を語った。
 当面の課題として、皇室典範改正を検討する政府の有識者会議への対応や、天皇、皇后両陛下の外国訪問、紀宮さまの結婚準備などを挙げ「どの仕事も誠心誠意やり、課題には前向きに取り組む」と意欲を見せた。
 風岡氏は旧建設省出身で昨年夏まで国土交通事務次官。国交省顧問から1日付で次長に。これまで宮内庁とかかわるような仕事はなく、次長を打診された際には「宮内庁の経験も知識もない。自分で務まるのかな、と最初は思った」と打ち明けた。

(共同通信)-4月5日16時26分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl a=20050405-00000119-kyodo-soci
両陛下相談役に湯浅前長官 宮内庁参与に就任

 宮内庁は1日、皇室の重要事項について天皇、皇后両陛下の相談役となる宮内庁参与に湯浅利夫・前宮内庁長官(69)を2日付で起用する、と発表した。 湯浅氏は旧自治省出身。自治事務次官などを経て2000年に宮内庁次長、01年に長官に就任。皇太子家の長女愛子さまの誕生に立ち会ったり、紀宮さまの婚約の実現を支え、今年4月1日付で退任した。 参与は、元最高裁判事の中島敏次郎、大西勝也両氏、平岩外四・元東京電力会長と合わせ4人。藤森昭一・元宮内庁長官が今年2月に参与を退いていた。

2005/06/0121:48【共同通信】
【水野豊氏】
昭和48年 4月 文部省採用
平成10年 7月 文化庁文化部長
平成12年 4月 総理府侍従
平成14年 4月 新居浜工業高等専門学校長
 「オク」の中核にあり、両陛下の“秘書”的な役割を果たす「侍従」には、侍従長を筆頭に、ナンバー2の侍従次長と7人の侍従がいるが、平成5年から侍従を務め、17年からは侍従次長をしていた千沢治彦氏が退職し、後任の侍従次長に平成7年から侍従を務めていた佐藤正宏氏が就任した。佐藤氏は旧東京銀行出身の元銀行マンだ。
 また、宮内庁総務課長だった沖田芳樹氏が佐藤氏の後任の侍従に。沖田氏は警視庁警備1課長や香川県警本部長を歴任した警察キャリアだ。
 さらに、平成14年から侍従を務めた旧日本興業銀行出身の福田直行氏が、宮中儀式などを担当する宮内庁式部職にスライドし、後任の侍従に宮内庁の前京都事務所長、下(しも)均(ひとし)氏が就いた。(皇室ウィークリー22)
宮内庁長官 羽毛田氏続投(2012/3/7? 読売新聞)

 政府は、宮内庁の羽毛田信吾長官(69)を当面続投させる方針を固めた。宮内庁長官は天皇陛下の認証が必要な「認証官」ポストで定年はないが、過去には70歳を機とした交代例が多い。
宮内庁、風岡次長の定年を1年延長/2012.3.30 05:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120330/imp12033005010001-n1.htm

 宮内庁は30日付で、風岡典之次長(65)の定年を1年延長し、来年3月31日までとする人事を発令した。
 宮内庁人事(30日)定年退職 管理部長鈴木武
国家公務員採用56%減を閣議決定 来年度
http://www.asahi.com/politics/update/0403/TKY201204030201.html

 野田内閣は3日、2013年4月1日付で新規採用する国家公務員数を、09年9月の政権交代前より56%削減することを閣議決定した。09年度の新規採用8511人に対し、13年度は3780人となる。
 野田佳彦首相は同日の行革実行本部の会合で「一体改革と同時にやり遂げていかなければならないのは行政改革。大変厳しい抑制方針を決定したい」と述べ、消費増税に理解を求めるための改革だと強調した。
 国家公務員の総人件費2割削減をマニフェストに掲げた民主党政権は、11年度に09年度比で37%減、12年度に同26%の採用抑制を実施。岡田克也副総理はこれを上回る抑制を指示していた。総務省によると、最も削減したのは総務、財務、農林水産、経済産業の各省で61%、削減率が低いのは環境省の39%だという。岡田氏は記者団に「本命は総人件費の削減。新規採用抑制は入り口だ」と語った。
警察庁長官、採用半減「大変厳しい」 国家公務員削減/2012年4月5日18時27分
http://www.asahi.com/national/update/0405/TKY201204050410.html

 警察庁の片桐裕長官は5日の定例会見で、野田内閣が2013年4月に新規採用する警察庁の国家公務員数を09年度に比べて51.7%減らすと決めたことについて、「治安や国民の安全確保に一定の配慮がなされたと認識しているが、大変厳しい方針だ。限られた人員の中で安全確保などに支障が起きないよう万全を期したい」と述べた。
 野田内閣は3日、国家公務員の新規採用を全体で56%減らす方針を閣議決定した。警察庁は09年度に207人を採用したが、13年度は最多でも100人しか採用できない。対象は、国家公務員採用1種試験合格の「キャリア」のほか皇宮警察本部の皇宮護衛官、管区警察局の技官、科学警察研究所の職員らだ。
 警察庁幹部の一人は「東日本大震災直後に通信回線が軒並み使用不能となった際、唯一使えた警察無線を守り抜いたのは管区の技官ら。皇族を守る皇宮警察本部の削減も心配だ。影響は少なくない」と話す。対応策として、いったん辞めた人の再任用や警察本部からの出向者増などを考えるという。(編集委員・緒方健二)
式部官長に小田野氏 /2012/8/28 10:25
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2800S_Y2A820C1EB1000/

 宮内庁の河村武和・式部官長(69)の後任に、欧州連合(EU)政府代表部大使などを務めた小田野展丈氏(64)が就任することが28日の閣議で決まった。発令は9月1日付。式部官長は天皇、皇后両陛下の外国訪問や、国賓を迎えての宮中儀式を取りしきる式部職のトップ。

 小田野 展丈氏(おだの・のぶたけ)70年(昭45年)慶大経卒、外務省へ。欧州連合(EU)政府代表部大使、2011年5月から1年間、査察担当大使。岩手県出身。
外務次官に斎木氏、拉致解決へ対北シフト鮮明に 河相氏は侍従長候補に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl a=20130614-00000519-san-bus_allより抜粋
産経新聞 6月14日(金)10時34分配信

 政府は14日、外務省の河相周夫事務次官(60)の後任に斎木昭隆外務審議官(60)を起用する方針を固めた。河相氏は川島裕侍従長(71)の後任候補とする。斎木氏の後任には杉山晋輔アジア大洋州局長(60)をあてる。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36131より抜粋
2013年06月15日(土)歳川隆雄
スクープ!斎木新事務次官"以外"の外務省人事。宮内庁川島侍従長は留任へ

事務次官退任後の河相氏は、すぐには侍従長にはならない
 焦点は、河相氏の処遇である。
 次期駐国連大使が有力視されていたが、『産経新聞』(電子版)が14日午前に配信した「宮内庁侍従職侍従長の有力候補」は基本的に間違っていない。
 筆者が得ていた人事情報は、川島裕侍従長(元外務事務次官・64年)が高く評価している河相氏を、取り敢えず小田野展丈式部職式部官長(元査察担当特命全権大使・70年)の後任に据えて、しばらく後に自分の後任の侍従長に起用するというものだった。
 川島氏夫人が脳溢血で倒れ回復したものの障害が残ったことから、天皇・皇后両陛下も激務の川島侍従長を気遣い、夫人の介護に専念したほうがいいのではないかと考えておられるというのだ。

 筆者の宮内庁内ソースは、夫人介護を抱えるが、川島氏は引き続き侍従長に専念する意向だという。
 加えて、入省年次からしても河相氏は川島氏より11年も後輩であり、いきなりの「河相侍従長」は、霞が関の自然調和人事に馴染まないという。
 ただ、川島外務事務次官時代、河相氏は総合外交政策局総務課長、北米局参事官を歴任、川島氏の信任が厚い。
 因みに、河相氏の祖父・故河相達夫もまた外交官出身であり、情報局総裁兼外務次官、終戦連絡中央事務局次長を歴任するなど「家系」的にも宮内庁入りは適任だと見られるだろう。
河相周夫外務事務次官の辞任は事実上の更迭 佐藤優氏が指摘
2013.07.12 16:00 ※SAPIO2013年8月号
http://www.news-postseven.com/archives/20130712_199582.html

 安倍政権が霞が関の幹部人事で民主党政権時代の布陣を刷新した。とりわけ外務省のトップ人事では「安倍カラー」が明確に打ち出されたとされるが、対米、対中、対露と難題が山積する中で新体制は成果をあげることができるのか。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が安倍人事の「功罪」を解説する。
 * * *
 安倍晋三内閣は、6月28日の閣議で、斎木昭隆外務審議官(政務担当、60歳)が外務事務次官に、後任の外務審議官に杉山晋輔アジア大洋州局長(60歳)が就任する人事を決定した。
河相周夫外務事務次官(60歳)は辞任し、当面、外務省顧問に就くことになった。
 外務省顧問に実質的権限はない。外務省では不祥事でもない限り通常2年は次官職に就く。河相氏が次官に就いたのは去年9月11日なので、10か月弱で辞任を余儀なくされた。事実上の更迭と言ってもよい。
 河相氏は、極めて政治的な人物だ。時の権力者に擦り寄ることによって自己の栄達を図っていると見られても仕方ない面がある。外務省には、出世のために「義理を欠き」「人情を欠き」、そのうえ「恥をかく」ようなことが平気でできる「サンカク官僚」がときどきいる。通常、このような「サンカク官僚」は、局長レベルで淘汰され、外務審議官や次官にはならないのだが、河相氏は“例外”だった。
 鈴木宗男氏(新党大地代表)が権力の中枢にいるときは、徹底的に鈴木氏に擦り寄った。しかし宗男バッシングが起きると、その流れの中心になった。河相氏は自民党では中川昭一氏(元財務相、故人)との関係を重視し、政界人脈を拡大した。外務省内でも中川氏のことを日常的に「昭ちゃん」と呼んでいた。
 政治家を「ちゃん」づけで呼ぶ外務官僚は珍しい。2010年1月、鳩山由紀夫内閣で河相氏は内閣官房副長官補に就任した。このポストは、通例では外務官僚として「終わり」のポストだ。官房副長官補をつとめた後は、大使に転出することが多い。
 しかし、河相氏は野田佳彦政権のときに、当時の玄葉光一郎外相に接近。外務事務次官人事で最大の影響力を持つのが外相であることを念頭に置いた上での行動だ。ちなみに河相氏とコンビを組んで民主党政権に擦り寄ったのが杉山氏である。
 野田政権当時、首相官邸と民主党幹部の中には「河相官房副長官補ではなく、能力が高く筋を通す斎木インド大使を次官にすべきだ」という意見もあったが、外務省内の一部勢力が「斎木は自民党系なので民主党政権の権力基盤の強化には資しません」とか「斎木は人望がありません。斎木が次官になると部下が潰されてしまいます」という情報操作を民主党政治家やマスメディアに対して行なった。河相次官が誕生したのはこのような「地道な努力」を積み重ねた結果だと筆者は見ている。
 しかし、河相次官にとって想定外だったのは、自民党への政権再交代が起きたことだ。河相氏は、“そもそも自民党系である”ことを強くアピールしたようだが、そのような小細工は安倍晋三首相に通用しなかった。
 特に今年1月、安倍首相の訪米日程を取り付けるために河相次官がワシントンを訪れたが、具体的な日程はもとより、首相訪米のおおまかな時期すら取り付けることができなかった。河相次官の能力不足によって、日米同盟が脆弱であるという印象が国際的に植え付けられてしまった。河相氏が外交実務から離れることによって日本の国益に与えるマイナスが極小化される。

陛下側近・侍従長に河相氏 川島氏退任
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0126866.html
04/24 09:02、04/24 10:19 更新

 宮内庁の川島裕侍従長(72)が5月1日付で退任し、後任に前外務事務次官で宮内庁の河相周夫式部官長(62)を充てる人事が24日の閣議で決まった。侍従長は天皇陛下の側近のトップで、国家公務員法で規定する特別職。式部官長の後任には、前駐オーストラリア大使の秋元義孝氏(62)が就任する。
 河相氏は東京都出身で一橋大卒。1975年に外務省に入省後、総合外交政策局長や官房長などを歴任し、2012年9月から13年6月まで外務事務次官を務めた。外務省顧問を経て、14年9月に宮内庁の式部官長に就任した後は、歌会始など宮中儀式や皇室の国際親善を取り仕切った。
侍従長含みの河相周夫氏に求められる“宮内庁の品格”
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140905-00004322-sbunshun-soci
週刊文春 9月5日(金)13時1分配信
<週刊文春2014年9月11日号『THIS WEEK 社会』より>「週刊文春」編集部

 9月1日、宮内庁式部職のトップ「式部官長」が交代して注目を集めている。
「式部職とは、天皇、皇族の結婚や葬儀などの儀式や、園遊会などの行事、国賓を接遇する晩餐会を仕切る部署。式部官長はその責任者で、天皇の外国訪問にも同行し、外国元首との会見に立ち会う。会見内容を記者に説明することも仕事です。このポストに元外務次官の河相周夫(かわい・ちかお)氏(61)が就きました」(宮内庁担当記者)
 この人事が注目されるのは、歴代式部官長を見れば一目瞭然。過去、同職に就いた渡辺允氏、川島裕氏ともに外務省出身で、式部官長を経て天皇の秘書役である侍従長へと昇格している。今回も「侍従長含み」と目されているのだ。
 ただ、“天皇の最側近”とも言える要職に河相氏が相応しいかというと、一部の関係者は苦笑いを浮かべるのだ。
「式部官長や侍従長には、人当たりのよさや上品であることが求められます。どちらも両陛下や皇族に代わって人と接するため、人柄が皇室そのものの評価に繋がることがあるのです」(宮内庁関係者)
 つまり、氏の品格に疑問符が付いているわけだが、それには理由がある。元外務官僚で作家の佐藤優氏が解説する。
「河相氏はかつて『サンカク官僚』と呼ばれた。義理と人情を“欠き”、恥を“かく”という意味です。鈴木宗男氏が外務省に影響力を持っていた時には鈴木氏に、失脚後には中川昭一氏に接近した。民主党政権下、猟官運動をして12年9月に事務次官となりました」
 だが、自民党の政権奪回で潮目が変わり、13年6月、僅か10カ月弱で辞任。
「事実上の更迭で、与えられたのは『外務省顧問』という塩漬けポスト。安倍政権の心証が良いはずもなく、更迭直後に要職に就かせるのは早すぎるということで、1年後の今回、ようやく宮内庁勤務が決まった」(外務省関係者)
 70歳定年が慣例という侍従長。現職の川島氏は72歳のため、「遅すぎたくらいの人事」(前出・宮内庁担当記者)とも言われるが、河相氏は決して歓迎されているわけではない。前出の宮内庁関係者はこう言うのだ。
「良い所は、彼は総合外交政策局長時代、両陛下にご進講をした際の印象が悪くなかったことくらいでしょうね」
 今度こそ、滅私奉公で平成皇室を支えてもらいたい。
両陛下の侍医増員を要求 宮内庁「健康に万全期したい」
http://www.asahi.com/articles/ASG8Y63X3G8YUTIL03C.html
2014年8月29日21時51分

 宮内庁は29日、来年度予算で、天皇、皇后両陛下の侍医1人の増員を要求すると発表した。天皇陛下に続き、皇后さまも10月に傘寿を迎える中、同庁は「活発に公務をこなす両陛下の健康に万全を期したい」としている。
 侍医は現在4人で、平日昼は1人が両陛下に付き添っている。両陛下がそれぞれ別の公務をこなす日もあるため、2人体制で両陛下それぞれに同行させるという。同庁は当面の措置として、9月から非常勤の医師1人を採用する。
【メモ(書陵部長)(宮内庁長官官房・審議官)】

国会会議録検索システム
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=20706
 
H2
1993
H5
1994
H6
1995
H7
1996
H8
1997
H9
1998
H10
1999
H11
2000
H12
2001
H13
2002
H14
2003
H15
書陵部長         古居儔治       角田素文   山口均  
審議官 河部正之 古居儔治 角田素文 角田→
伊原正躬
    斉藤恒孝 山口均 山口 折笠竹千代 折笠  
  2004
H16
2005
H17
2006
H18
2007
H19
2008
H20
2009 2010 2011 2012 2013 2014
書陵部長 田林均 田林   折笠竹千代 4/1鈴木武         佐藤和寿 4/1牧野尊行
審議官       鈴木武 4/1岡弘文         牧野尊行 4/1和田裕
・宮内庁長官官房審議官等が事前に発言チェックするが、政治的発言、 日本国憲法との整合性等形式的な部分で、感情の吐露といった箇所は ノータッチ (04/05/13頃発売の週刊文春)
・宮中では、「おことば」などの発言について、天皇が相談したい場合は主に長官、侍従長が受け、資料集めや字句点検などは審議官が行い、最終的には長官が総合判断して固めるのが大筋だが、ケース・バイ・ケースで天皇を含む関係者の属人的な価値判断と力関係のベクトルの和として決まるといっていい。
http://globe.asahi.com/movers_shakers/100111/01_01.html
警察関係
<<警察幹部人事・人格スレ(第七部)>>
197 名前:名無しピーポ君:02/11/22 21:25
人事課長質問があります。皇居警察本部の課長は警察庁のキャリア官僚が課長職につくの?
またはノンキャリア?それと階級も教えてください。

199 名前:名無しピーポ君:02/11/23 02:14
>>197
皇宮警察本部の護衛二課長は、皇太子殿下の担当でキャリアポストです。
結構年次の高い警視が行きます。
で、仕事は・・・。皇太子殿下の車の助手席に乗って、ドアを開け閉めする ことです。とほほ。

201 名前:名無しピーポ君:02/11/23 18:43
>>197,>>199

(参考)警察庁皇宮警察本部内における有資格者の指定ポスト

皇宮警察本部長(階級;皇宮警視監)
皇宮警察本部警務部長(階級;皇宮警視長)
皇宮警察本部警備部長(階級;皇宮警視正)
皇宮警察本部護衛部長(階級:皇宮警視正 ※ノン・キャリアポスト)
皇宮警察本部護衛部護衛第二課長(皇宮警視)
皇宮警察学校長   (階級;皇宮警視長 ※ノン・キャリアポスト)

<内閣府宮内庁>
[宮内庁長官官房]
宮内庁行幸主務官(宮内庁長官官房官房総務課長)→警察庁ポスト
【宮内庁長官官房総務課長】
38名前:可愛い奥様:2008/04/01(火)09:31:40ID:uneEClez0
これも
872可愛い奥様[sage]Date:2008/04/01(火)05:29:04ID:Kd4f1iQf0Be:
週刊現代の4/12号も買ったので、既出ですが宮内庁の警察出身人事、資料記録のため書いておきます。

侍従職事務主管 沖田芳樹氏 (元・香川県警本部長、現・総務課長)
審議官       岡弘文氏  (前・国際警察センター所長)
総務課長     坪田真明氏 (前・奈良県警本部長)

・「総務課長」は、公務訪問先で警察庁・地元県警・宮内庁の三者をコーディネートする重大な仕事のため昔から警察出身者の指定ポスト
・しかし、侍従職や東宮職などを束ねる「侍従職事務主管」、皇室関係の重要事項の調査・立案などを総括する「審議官」は、総務省や厚労省などの持ち回りが慣例だった
・「この異例の人事は、今日の皇室の危機的状況を鎮めるために、調整能力の高い警察出身者で固めよう、という羽毛田長官の差配でしょう」(宮内庁担当記者)
警察幹部人事・人格スレ 第十一部
661 :名無しピーポ君:2006/06/17(土) 01:30:25
訃報:前田健治さん66歳=元警視総監
 前田健治さん66歳(まえだ・けんじ=元警視総監)16日、前立腺がんのため死去。
 在韓国日本大使館1等書記官、大阪府警本部長、警察庁官房長などを歴任。
88年7月に宮内庁総務課長に就任し昭和天皇の病状の記者発表を担当した。96年12月〜99年8月、警視総監を務め、大手自動車メーカーの商法違反事件などを指揮。警視庁とソウル市警の友好提携も実現させた。
坂東自朗
http://news.marketgeek.net/officer/48123/

昭和45年4月 警察庁入庁
5年1月 宮内庁長官官房総務課長
7年4月 同庁 秘書課長

加地隆治( 昭和27年11月17日生)
昭和50年4月警察庁入庁
平成10年7月宮内庁長官官房総務課長
平成12年8月24日 警察庁生活安全局生活安全企画課長

http://www.uforeader.com/v1/se/E04149_S0000M8H_7_56.html
http://www.geocities.jp/okeydoke_y/police/personnel0008.html
岡弘文 宮内庁長官官房総務課長 就任(前職・警察庁給与厚生課長)
http://www.geocities.jp/okeydoke_y/police/personnel0008.html

----
参議院会議録情報 第145回国会 国民福祉委員会 第8号(1999/04/15 )
警察庁長官官房 給与厚生課長 岡 弘文君

****

#####群馬県警本部長はどうかな#####
13 :長官官房人事課長:2001/08/09(木) 21:11
>>12
昭和52年警察庁入庁者の人事動向を記載しておきます。
参考に(五十音順)(2001年08月09日現在、在任者)

岡弘文  内閣府宮内庁長官官房官房総務課長(人事交流)

2003/9/2
官房付(宮内庁総務課長)岡弘文▽
宮内庁総務課長(暴力団対策1課長)高橋美佐男
人事:警察庁(17日)
▽宮城県警本部長(宮内庁総務課長)高橋美佐男
毎日新聞 2006年8月16日 14時19分

県警本部長の沖田氏、宮内庁総務課長に(香川県警?)
2006/08/04 11:20

 警察庁は三日、県警本部長の沖田芳樹氏(49)を、宮内庁総務課長に充てる人事を発表した。発令は十七日付。
※2008/4/1に沖田氏は侍従に就任しているので、おそらくこのときに坪田氏に交代
警察庁官房付(宮内庁管理部長)田林均=2008年3月31日付で定年退職
警察庁人事(31日)

2011/2 /1日付
【任警視長】長官官房付(宮内庁総務課長)坪田眞明
◇辞職【警視長】宮内庁長官官房総務課長(警察庁長官官房付)坂井孝行
ttp://policeofficer.seesaa.net/article/182977924.html
2011/02/09付け官報より

ttp://kanpou.npb.go.jp/20110209/20110209h05492/20110209h054920010f.html
宮内庁
(長官官房総務課長)内閣府事務官 坪田眞明 警察庁に出向させる
(警察庁長官官房付)警視長 坂井孝行 長官官房総務課長に転任させる(以上二月一日)
宮内庁人事(2013年3月31日)
▽辞職 官房総務課長坂井孝行(侍従へ)
宮内庁人事(1日)/時事通信 2013/4/1 06:50
▽総務課長(警察庁警備局外事情報部外事課長)牛嶋正人






【メモ:岡弘文氏】
警察庁(20日)/2005/07/20 09:24
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/personal_change/20050720000069

 警察庁首席監察官(長野県警本部長)岡弘文
 岡 弘文氏(おか・ひろふみ)東大卒。77年警察庁。奈良県警本部長、警察庁給与厚生課長などを経て03年9月から長野県警本部長。52歳。国分寺町出身。

906 名前:可愛い奥様 :2008/03/31(月) 15:42:39 ID:fHNbSJQb0
見つけてきた↓岡さん関連のレス(警察板の人事異動総合板)

649 :名無しピーポ君:2008/03/21(金) 19:40:47
>>646
岡さん?
愛子さま御誕生時、宮内庁総務課長で名前発表会見→長野県警本部長(田中康夫知事とバトル)在任中に警視監→首席監察官(万博当時の愛知県警本部長・宮本氏の退任まで3か月ほど、前任の縄田氏は刑事局長に)→左遷?
管区局長か皇宮警察本部長あたりで終わるか?


このカキコの →左遷?  ていう時期が実は国際警察センターだったってことだね。
あー、解ってさっぱりした。
田中知事とバトルったって話もワロタ

2008/4/1 宮内庁審議官就任
2010/04/05付官報より

ttp://kanpou.npb.go.jp/20100405/20100405h05286/20100405h052860011f.html
(審議官)内閣府事務官 岡弘文  書陵部長に昇任させる

2011/9/8時点は書陵部長
2012/4/1時点は管理部管理部長


【メモ:沖田芳樹氏】
県警本部長に沖田芳樹氏−警察庁/2004/08/06 19:28
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/personal_change/20040806000400

 警察庁は六日、県警本部長の岩瀬充明氏(48)を同庁長官官房総務課長に起用し、後任に同庁長官官房国家公安委員会会務官の沖田芳樹氏(47)を充てる人事を内定した。発令は二十日付。(略)
 新本部長の沖田氏は一九八一年警察庁採用。警視庁警備第一課長、同庁第一方面本部長、愛知県警警務部長などを歴任。〇三年一月から警察庁国家公安委員会会務官を務めた。東京都出身。東大法学部卒。警視長。

【人事】警察庁(2011年8月11日)
(2011年8月11日) 官房審議官警備局担当(宮内庁侍従)沖田芳樹
 



秋篠宮家
池上礼子氏
779名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/08/03(水)10:10:28.92ID:qc+8OGkP0

898:朝まで名無しさん:2011/08/03(水)09:48:19.60ID:6tjxXv5I
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊新潮(2011/08/18)秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ

・仮名を菊池明子さんとするこの侍女長は09年7月に任命され10年11月末に退任したが、今に至るまで官報に記載にされていない。
・菊池さんは70年に採用されて内閣官房への出向が長く、総理官邸事務所で歴代内閣の裏方を務め、古川貞治郎氏の回顧録にも記されているほどの活躍ぶり。09年3月に40年の役所勤めを終えた菊池さんはそのキャリアを惜しむ周囲からの勧めで同年7月に秋篠宮家侍女長に就任。
・しかし自身が過ごしてきた役所とはまるで異なるしきたりにとまどい、またイメージと実際の仕事が余りに乖離していたことで神経をすり減らし、ノイローゼのような状態になって着任後わずか1週間余で出勤できなくなってしまった。
・菊池さんについて改めて宮内庁に問い合わせると「明確な理由について本人から聞いていない」。彼女の前任者が1年数ヶ月で退任しているのは「家庭の介護のこともあり退職を願い出た」
・菊池さんの体調不良で宮家の重要ポストが1年半近く「空位」だったわけで、後任の侍女長も昭和天皇、皇太后に仕えた経験から抜擢されたが、比類無き激務であるため当初は固辞。2年で戻すと必死の説得で宮邸に。
谷みどり氏

802 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2012/01/26(木) 09:24:13.23 ID:HGeygZZY0、他
週刊文春(2012/02/02)宿命の女たち/秋篠宮家に雇われた東大卒−経産省スーパーキャリアウーマン
・2009年から経産省と併任で秋篠宮家に務め、侍女長と間違われる女性のプロフィール。
・彼女が秋篠宮家に仕えている事は宮内庁内で極秘扱い。 経産省と併任も異例で採用の経緯もよくわからない。野村も最近まで知らなかったと話す
・2009年から経産省に在籍のまま内閣府事務官(宮務主管付)として秋篠宮家に仕えているそうな。
・東大経済学部卒、環境省課長、経産省消費経済部長、大臣官房審議官と歴任。英語のほかロシア語も。
富士亮氏

・宮内庁オーケストラのビオラ奏者(だったらしい)
・1994年 退官
・2006年3月24日死去?(享年70歳?)
・メモ 「消えたお妃候補」に記述があるらしい

448名前:可愛い奥様:2006/07/18(火)10:42:38ID:zPsEp9Md
ガイシュツでしょうか、
web版には出ていないようですが、今朝の産経新聞に
天皇ご一家に仕えた元侍従の富士亮さんが3月にひっそりと亡くなったという
記事が載っていました。
農学博士、音楽(ピアノ・ビオラ)に優れ語学に堪能で、両陛下の侍従として
だけでなく、浩宮・礼宮の英国滞在時のお世話係も勤めた方だそうです。

最後の10年はアルツハイマーの闘病生活だったとのことで
(お名前を検索していたらこの方の奥様の介護日記が出てきた)、
陛下からは知人を通して病状を心配していることが伝えられ、
亡くなったあとも使者を通じて哀悼のお気持ちが伝えられたそうです。
喪が明けたあと奥様は秋篠宮邸にご挨拶に行かれたそうな。
秋篠宮家・その他
36名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/08/10(水)22:04:55.97ID:vgQdXmn+0
ぶったぎりスマソです。資料として書くだけ書いておきます。

『雅子妃とミカドの世界』(小田部雄次著 小学館文庫 2002年1月1日発行)という本を買いました。
まだ読んでないけど、p166〜167に、各宮家の侍女長一覧(「宮内庁職員名簿」より作成)が載ってた。
それによると秋篠宮家の侍女長さんは

平成2年   笠松祐子
平成3年   ( − )       (←欠員)
平成4〜8年 犬伏紗知子
平成9年〜 飯島蘭子     (←この本が刊行された平成14年当時の状況。飯島さんは平成19年末まで)

だそうです。
この本のp170から引用

>笠松祐子は昭和五十七年に清泉女子大文学部を卒業し、東宮職、侍従職を経て、侍女長となったのであった。

昭和57(1982)年に大学卒業だと22〜23歳、平成2(1990)年侍女長就任時は30〜31歳。
この人はまだ若かったから、結婚で辞めたのかね?
(女官や侍女は泊まり勤務もあるから独身か未亡人がほとんどだそうな)

45名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/08/10(水)22:45:04.68ID:vgQdXmn+0
>>36追加
で、この笠松さん。この本(『雅子妃とミカドの世界』」)や同じ著者の『ミカドと女官』に載っている
昭和時代の美智子妃殿下の東宮女官一覧にも、
今上の即位後平成になってからの女官一覧にも名前が載っていない。
てことは、「東宮職、侍従職」の時は、皇族の身近でお世話する役職ではなく一般事務とかだったのでは。
41名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/08/10(水)22:22:25.93ID:JUCivqoE0
秋篠宮家侍女長
平成02年 笠松祐子
平成03年 不在
平成04-08年 犬伏紗知子
平成09-19年 飯島蘭子(〜12/31)侍女長→女官(1/1〜3/31)
平成20年 大内映子(2/1〜翌6/30)
平成21年 池上礼子(7/1〜)
中央公論2006年11月号
皇室典範改正は避けられない
井上茂男(読売新聞編集委員)

宮内庁秘書課によると、その定員は秋篠宮付が九、東宮職五一。
秋篠宮付の職員は環境省から出向している宮務官のほか、侍女長、侍女長補、事務担当の主査三人、運転担当二人、料理担当となっている。
このほか身の回りのお世話をする私的職員が二〜三人いる。
秋篠宮付の定員には運転の担当と料理の担当が含まれる。
秋篠宮家など宮家に常駐する医師はいない。宮内庁は2001年10月から、秋篠宮さまの地方での公務に宮内庁病院の医師一人を同行させているが、それは秋篠宮さまに軽い不整脈があるためだ。紀子さまの出産や、眞子さまや佳子さまの病気などは、ご夫妻の意向もあって、かかり付けの医師に任せているという。
悠仁さまが生まれて、宮内庁は秋篠宮家に看護師三人を公費で配置した。
宮家のお子さま担当の看護師は私的に雇われており、宮内庁が公費負担としたのは初めてだった。
うち一人が宮内庁職員として採用されたが、今年度中は欠員枠を使ったため、定員にはカウントされないという。
週刊文春 2007.9.13
東宮家との格差は変わらず

 さらに、以前から指摘されていた東宮と宮家の格差の問題も、悠仁さま誕生から一年経った現在も具体的な解決策は示されていない。
 東宮家には約五十人の職員がいるのに対し、五人家族の秋篠宮家付の職員は、悠仁さまが生まれ、看護師や運転手が増員された今でも十二人。保育士の採用も現在のところ検討されていない。宮邸では、お子様方が使われる二階建てのプレハブの建物を増築する工事をしているが、東宮御所とは大きな差がある。
 京都産業大学教授の所功氏も嘆く。「秋篠宮が遠慮されるのは制度の制約上当然のことです。宮家としてスタッフなどが手薄で今も不安定な状態が続いています。昭和天皇は幼少の頃、後の鈴木貫太郎夫人となった足立たかが長らくご養育係を務め、全幅の信頼をえて、彼女の影響で生物学にも興味をもたれたといわれるほど、様々なものを学ばれた。彼女のように責任を持てる方が長期的視野で皇族教育、その後の帝王教育を担っていける制度と環境が必要なのではないでしょうか。皇室典範改正論議も一向に進まない現状では、将来皇位につかれる悠仁親王の教育にも支障をきたしかねません」
アエラ2008年2月25日号より抜粋
〜秋篠宮ご夫妻はインドネシア訪問で慌ただしい日程をこなした。舞台裏をのぞくと、「東宮家」との格差が見えた〜

今回のご夫妻のインドネシア訪問(1月19日〜25日)は、両国の外交関係樹立50周年を記念する「友好年」行事に参加するのが目的。
両陛下が外国訪問をされる場合、随行員は34人前後。美容師もいる。
皇太子夫妻の場合も、東宮職幹部ら16人前後が随行する。

今回の秋篠宮ご夫妻には、元フィンランド大使の近藤茂夫氏が首席随員を務め、元大使夫人の沼田恭子(宮内庁宮務課嘱託)、宮内庁の女性式武官、宮家の宮務官と侍女長補の計5人がついた。
今回は特別に、整形外科医と和服の着付けをする美容師が別途合流する配慮がされた。
しかし、いわゆる事務方といえるのは、式武官、宮務官、侍女長補の3人だけ。
ふだん、宮邸では、職員はコックや運転手を除くと5人で、私的に雇用している侍女2人を合わせても7人。
今回、宮邸の留守を守る職員は、事務官3人と私的に雇用している侍女2人だけ。
悠仁さまには3人の看護師が交代でついてはいるが、眞子さま、佳子様のお世話やご夫妻の帰国後の公務の準備などもありとても完全な当直体制を組めない。
『AERA』2008.2.25

 今回(※平成20年1月18日〜平成20年1月25日のインドネシアご訪問)の秋篠宮ご夫妻には、元フィンランド大使の近藤茂夫氏が首席随員を務め、元大使夫人の沼田恭子(宮内庁宮務課嘱託)、宮内庁の女性式武官、宮家の宮務官と侍女長補の計5人がついた。今回は特別に、整形外科医と和服の着付けをする美容師が別途合流する配慮がされた。しかし、いわゆる事務方といえるのは、式武官、宮務官、侍女長補の3人だけ。両陛下や皇太子ご夫妻と比べると、雲泥の差がある。現地大使館が全面的にバックアップしたが、側近らは日程管理や関係者との連絡や外務省への報告などに追われ、一睡もできない日もあったようだ。
 留守の間、ご夫妻の気がかりだったのは幼い悠仁さまのことだったろう。
 ふだん、宮邸では、職員はコックや運転手を除くと5人で、私的に雇用している侍女2人を合わせても7人。皇太子家を支える東宮職は、大膳課員や運転手を除いても職員50人余の体制で、敬宮愛子さまの養育係の女性2人が配置されているほか、看護師4人、小児科を含む侍医4人、東宮女官長以下女官5人、東宮侍従長以下侍従5人や東宮内舎人、東宮女嬬各4人、事務官らがそれぞれ当直ローテーションを組んでお世話しているのとは大違いだ。
746名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/09/14(水)09:23:46.48ID:m8V732qO0
レポ輸入です。

週刊文春(2011/09/22)紀子さま45歳、秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」−10人以上の職員が
・事務方トップの宮務官、オクを仕切る侍女長。この二つのポストだけでもこの4年で6人が辞め、他のポストも含めれば10年で10人以上が交代している。
・飯島蘭子氏という"重し"がなくなった現在の宮家を牛耳っているのは"両殿下の三人の側近"(前出・宮内庁関係者)として1.富士幸子氏、2.松田慶文氏、3.犬伏紗智子氏
190名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/09/14(水)14:31:03.38ID:WnKhQrUi0
ちなみに文春の3人の情報をまとめると
・富士幸子氏。富士亮氏(今上の東宮侍従で農学博士・ビオラが趣味。秋篠宮家初代宮務官。94年に陛下の侍従を
 最後に退官。06年死亡)の妻。非常勤(何の?)で今年3月退職。手話ができる。
・犬伏紗知子氏。飯島蘭子の前の侍女長。悠仁様誕生の後、非常勤(何の?)で戻る。富士幸子と自由学園同窓。
・松田慶文氏。秋篠宮付御用掛。自治省より外務省に出向。フィリピン大使経験。国際情勢進講や行事随行。
 秋篠宮家の外国交際を任される。
□2011年4月? 運転手1人増員?

平成23年度概算要求書(宮内庁費))より
・秋篠宮家における自動車運転業務体制の充実を図るため
週刊文春(2011/08/25)
<紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ 宮内庁職員が「秋篠宮家には異動したくない」。なぜ境遇に変化が…> 

「問題はスタッフの規模が急激に大きくなり、人員のバランスが崩れていることなのです。
侍女長の件もそういった環境の激変のなかで起きている。十年以上務めた調理師も退任しています。悠仁さまがお生まれになってから、看護師を増員するなど、職員が九名から十五名に増えていますが、経験の無い新人も配置され、『秋篠宮家に新人を配属して大丈夫なのか』と関係者から声が上がったほどです」
紀子さま45歳、秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」 10人以上の職員が交代! 1(週刊文春 2011/09/22)

 悠仁さまがお生まれになる前と比較すると職員数は増えている。現在は侍女長を支える侍女長補と、料理を担当する技官が一人ずつ増えたほか、運転技官も二名増え、四名になった。
196名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/08/03(水)18:10:04.45ID:6cZTNCY40
週刊新潮(2011/08/18)秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング−侍女長がノイローゼ
秋篠宮家職員15人の内訳は、
・宮務官(1人) ・侍女長(1人) ・事務官7人 ・運転技官4人 ・調理員2人
以上15人が公務員。
他に民間人扱い(宮家の私費で雇われる)の侍女。
241 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2011/12/10(土) 10:51:54.04 ID:Gx4i9Pp20
転載します レポ主様ありがとうございます

846 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2011/12/10(土) 10:48:02.98 ID:ZjBOCO7j [1/2]
詳細は各自ご確認ください。
文藝春秋 2012年1月号 問題提起 民主政権下で平成が終わる日  大島真生

・東宮職の定員が51人に対し秋篠宮家職員の定員は15人だが、5人家族になったため9人から特別に増員された。 実際には18人が配置されているが眞子内親王殿下のICU進学、悠仁様の入園などで、いっそう人手不足となったため、 他部署との併在辞令を受けた職員で臨時の三人分をまかなっている。
・職員の身分を含めた法の穴の問題を指摘後、次の御代を考えれば様々な側面から秋篠宮家をサポートするために「皇太弟」の明文化など、法改正の検討が必要になってくる。
□2012年4月? 職員1人増員?(事務官?)

平成24年度概算要求書・宮内庁費P19より
・秋篠宮家における事務体制を強化するため 1人
244 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2012/06/28(木) 12:48:24.32 ID:05GvAvNR0
文春、後半部に新ネタが。
キャリア官僚2人が御用掛として新しく秋篠宮家に仕えた。
旧建設省出身の近藤茂夫氏と旧自治省・長野県副知事の板倉敏和氏。
近藤氏はウガンダ同行。板倉氏はもと福島藩主の入り婿で昨年末より就任。

【近藤茂夫氏】 1942年4月13日誕生
東京大学法学部卒業後、建設省に入省。都市局長、国土庁長官官房長、国土事務次官を歴任後、
内閣官房内閣広報官室内閣広報官に就任。その後、中央省庁再編に伴い初代内閣広報官(01年1月から03年7月まで)となる。2003年7月30日退官。
退官後に駐フィンランド特命全権大使を務めている(2003年9月15日 - 2006年12月5日)。社団法人霞関会理事。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E8%8C%82%E5%A4%AB

【板倉 敏和氏】
元総務官僚。元消防庁長官。旧福島藩主板倉家20代目当主。先代の旧子爵板倉勝宏の養子
週刊文春(2012/07/05)
紀子さま秋篠宮家「過酷すぎる職場」−10年間で職員10人以上が交代

・本庁の優秀な女性職員が秋篠宮家に引き抜かれた。周囲は「本当に良いのか?」と慎重に確認したが、 本人の「お可愛らしい眞子さま佳子さまのお近くで働きたい!」との強い意向で 秋篠宮家の侍女候補に収まった。 が、飯島侍女長に相当厳しくやられたらしく、「精神的に限界」と辞めていった
・秋篠宮家には大膳職が無い。宮家に雇われた料理人が、和洋中すべてを作らなければいけないので大変。
・この料理人は中学生の子が居て、殿下の友人の紹介で勤めたが、定年まで何年もあるのに(2012年4月末に)辞めていった。
615 名前: 可愛い奥様@転載禁止 [sage] 投稿日: 2014/04/10(木) 12:52:08.55 ID:J3w/Rzcd0
文藝春秋 2014年5月1日号
・現在の職員定数は17人(東宮家は67人)。非常勤や併任で対応してスタッフは約30人。
 常勤は24、5人居て机もなかったので、昨年末にプレハブ事務棟二階建てを新設。
 非常勤御用掛3人(男性は元国土事務次官と元消防庁長官、女性は元ラオス大使)名前は出てない。
 公的活動や海外訪問はこの3人と経産省出向の女性職員、それに宮務主管、宮務課長が手分けして同行。
 「重厚な布陣」と高評価。
・外国訪問には非常勤の医師が一人同行。宮内庁は「できれば複数置きたい」
・秋篠宮家の公的活動の窓口と初期対応は宮内庁宮務課、外国訪問は宮内庁式部職が受け持つ。
 悠仁様の沖縄訪問は宮務課長と同職員が現地で写真撮影などのプレス対応。
・宮務主管と宮務課長は週一度は夫妻と会って打ち合わせや同行。
 宮内庁と宮家が密接で意思疎通がスムーズ。宮務課長は両陛下の侍従経験者なので、千代田側近ともスムーズ。
『秋篠宮家の料理番』の告白 「一言で申し上げるならブラックバイト…」 (「週刊文春」2015年7月9日号)

・現在、秋篠宮家の職員の定員は十八名、他部署との併任職員が三名います
・とりわけ料理番は、過酷なポストだと言われている。定年まで勤め上げた料理番が未だかつていないというのが、その証左だという。
・「秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われている職員です。
・ある料理人はショックが大きすぎて、抑鬱状態となり、『宮家を下がりたい』と言い出し、まったく料理とは無関係の部署へ異動しました。その後、庁内の閑職を転々としていましたが、定年前に病気でお亡くなりに……。
・近年、秋篠宮家の料理番をもっとも長く務めたのは男性技官のA氏だ。だが、このベテラン職員も2012年4月で退職している。
・秋篠宮さまと縁の深い沖縄の重鎮を介して、沖縄の調理師学校から送られたのがA氏だった。
・A氏は沖縄での仕事を辞めて、家族も一緒に上京してきました。A氏を受け入れる際、宮内庁サイドは『まずは単身赴任から始めては?』と提案したそうですが、『大丈夫です』と張り切っていた。
・ところがいつの日からか出勤してこなくなり……。定年までしばらく間がありましたが、最終的に自己都合で退職したのです
・現在はA氏の後任として、女性の技官が秋篠宮家の厨房を切り盛りしている。長年レストランで懐石料理を担当していた人物だという。