■東宮大夫・侍従 |
皇太子ご夫妻の長女、愛子さまの教育や養育を担当する東宮侍従1人の増員が、来年度予算財務省原案の復活要求で21日、認められた。愛子さまは今月1日に満2歳を迎えており、今後、幼稚園入園や学校教育に向けた本格的な準備が始まる。
宮内庁では、ご夫妻の意向を踏まえながら、進学先の検討・選定や準備、候補となる教育機関との折衝、東宮御所内での教育・養育内容の検討にあたらせたい考えで、今後具体的な侍従の人選に入る。
東宮侍従は現在4人で、愛子さまを専門に担当する侍従はいなかった。
(2003/12/21/21:46 読売新聞 無断転載禁止)
愛子さま担当侍従が就任 厚労省キャリアの吉野氏
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(2つ)を担当する東宮侍従に、12日付で厚生労働省の吉野隆之氏(43)が就任した。将来の幼稚園通園など、教育にかかわる事務全般を受け持つ。東宮侍従は愛子さま担当として、4月に4人から5人に定員が増やされたが、人選が難航していた。吉野氏を起用した理由について、林田英樹東宮大夫は「当初から厚労省に推薦をお願いしていた。キャリア、人柄ともに素晴らしい方だと聞いている」と話している。吉野氏は東大卒。1983年4月、旧厚生省に入省し、会計課長補佐、少子化対策企画官などを歴任した中堅のキャリア官僚。6月にも、愛子さまの養育担当として幼稚園教諭の女性が採用されている。
2004/07/1122:01【共同通信】 |
http://www.wakayama-nct.ac.jp/news/news-syousai2009/sintaisei09/taisei.htmより抜粋
校長に、4月1日付けで堀江振一郎(ほりえ しんいちろう:53歳)が新たに就任しました。
堀江新校長は、東京大学教育学部を卒業、昭和53年に文部省(現文部科学省)に入省、初等中等教育局、ユネスコ・アジア地域事務所(バンコク)、臨時教育審議会総務課、青森県教育委員会文化課長、総務庁青少年対策本部非行対策専門官、同国際交流専門官、在アメリカ大使館一等書記官(ワシントン)、文部省学術国際局研究協力室長、同局ユネスコ担当企画官、教育助成局海外子女教育課長、国際交流基金人物交流部長を歴任。この間、平成5年から2年間、埼玉大学大学院政策科学研究科の非常勤講師を併任。平成12年から宮内庁東宮侍従、平成19年から国立大学法人東京芸術大学理事・副学長・事務局長を務めた後、国立和歌山工業高等専門学校校長に就任しました。
週刊新潮2006年6月22日号:ワイド100万回の言い訳 【4】「東宮「報道担当」を外された「宮内庁のホリエモン」
宮内庁のホリエモンこと堀江振一郎東宮侍従(事務主管)が6月1日をもって報道担当を外れる。左遷人事ではないがワケありの様子。堀江氏は旧文部省出身で2000年4月東宮侍従就任、2003年東宮事務方トップの事務主管となるが今回肩書きは事務主管のママで報道担当だけを外れるという異例の措置。「雅子妃が静養に入ってから何事も隠そうとする東宮と記者クラブの関係が悪化していた」とある宮内庁関係者が明かす。前東宮大夫林田英樹氏(=リンダ)とは同じ文部省出身で二人とも適切な情報開示をしようというタイプではなかった。宮内庁のホリエモンも典型的役人タイプでリンダの横でひたすらメモを取るだけ。今年4月に東宮大夫となった野村一成氏はざっくばらんで記者にも出来るだけ理解してもらおうという姿勢。記者から両殿下に聞いてほしいと要望を出すとちゃんと対応する。ホリエモンは2004年の皇太子山登りの写真を公表しなないように記者に一筆書かせたりしてイッセイとはうまくいかなかったようだ。今回の人事を記者は歓迎しているが、地方公務などのブリーフィングでは事務主管が報道担当した方がスムーズにいくはずであり指揮命令系統上不安があるとも |
東宮大夫に小町恭士氏就任へ
7月1日11時11分
皇太子ご一家のお世話をする東宮職の責任者を5年余りにわたって務めた宮内庁の野村一成東宮大夫が勇退し、後任にオランダ大使などを務めた小町恭士氏が就任することが1日の閣議で決まりました。
新しい東宮大夫に決まった小町恭士氏は65歳。昭和44年に外務省に入省し、オランダやタイの大使を歴任したほか、地球環境問題担当の大使などを務めました。オランダ大使在任中の平成18年には、皇太子ご一家が、体調の回復に努めていた雅子さまの療養を兼ねてオランダに滞在されたこともありました。一方、勇退が決まった野村氏は、平成18年に東宮大夫に就任し、翌年には皇太子さまのモンゴル公式訪問に首席随員として同行しました。また、雅子さまの体調の回復のために力を尽くし、先月には、東日本大震災の被災地、宮城県への皇太子ご夫妻の訪問に同行するなど、ご一家を支えてきました。
内閣府、外務省前官房長を訓告処分
日経新聞 http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20031017AT1E1600L16102003.html
内閣府は16日、タクシー券を不正使用したとして、外務省前官房長の小町恭士・内閣府国際平和協力本部事務局長を訓告処分にした。
外務省によると、小町氏は出向していた国際協力事業団(現国際協力機構=JICA)から同省に復帰した後の2001年4月4日から同年6月23日までの間、JICAが支給したタクシー券約2万4000円分を不正使用した。(07:03) |
【皇室御一行様★part1573】
62名前:可愛い奥様:2009/06/15(月)18:00:40ID:Y0KERkAU0
週刊朝日
皇太子さま雅子さま「ブレーン不在」の孤独
民主党の津村議員の要求で宮内庁が明らかにしたデータ表↓あり。
「昭和天皇側近・今上側近・今上皇太子時代側近・現皇太子側近の氏名・役職・在職年数」
現皇太子側近の平均在職年数は3年
ちなみに昭和天皇側近18年、今上側近7年、今上皇太子時代側近9年、が平均
498名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)11:55:15ID:MYHco1820
週刊朝日で東宮侍従の勤続表を見てきた。
今年の4/1で8年以上1人、2年8月、2年4月、2年、10月(氏名付)。
計算してみたら、悠仁親王殿下の誕生前後に2人入っている(つまりは2人辞めている)
「当時、雅子様は精神的に不安定になることもあり…」と週刊誌にあったが、さぞ大変だったんだろうね。
530名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)13:09:27ID:MYHco1820
週刊朝日。侍従で8年務まっている人は雅子さまの気に入りで外食につきあったりしているが、皇太子の公務の助けになるタイプでない(意訳)。
確か昔の文春でも、皇太子の気に入った内舎人は言いなりで逆らわない人だと読んだ覚えがある。あの夫婦の好みはイエスマンらしい。
648名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)17:29:22ID:2K04rmPb0
週刊朝日買ってきた。
567名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)14:31:19ID:AdOQGXIz0
8年務まっている侍従って誰なんだろ?
そんなに相性が合うんならもっとエピソードとか出てきてもよさそうなもんなのに。
>>567
野本勲という人です。
今週の週刊朝日の記事によると、この野本氏は2009年4月1日現在で在職年数8年4ヶ月とあるから、2000年12月1日ごろ東宮侍従になったということだよね。
前職は民間人(東京電力出身)
703名前:可愛い奥様:2009/06/16(火)19:00:35ID:iIl70lAp0
>>700に関連して、
週刊朝日には「明るく温厚、博識との評判で、雅子さまの私的なお出かけにも同行することが多い。
ただ、ときには厳しく、見識をもって皇太子さまを公私共に支える役割とはまた違うようだ。」と書かれている。 |
288名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/12/20(火)19:16:42.54ID:xzNPq2lR0
再び避難所から転載
189名前:可愛い奥様@避難所生活[sage]投稿日:2011/12/20(火)19:15:34ID:kywf3l8s[2/2]
文春2011/12/29超ざっくりこちらもぜひぜひ買ってね!
・現在の報道担当は外務省出身の岩間東宮侍従。記者からは「瞬間湯沸かし器」と評され評判は高くない。
・事務主管は侍従の要。大谷事務主管は岩間氏より年令は下。「行啓よりも報道体制」との東宮職の姿勢が表出。皇太子がカメラ片手にお召列車の際に同乗していたのが大谷氏。 |
「週刊現代」2012年2月25日号より
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/31826
あまり知られていないが、東宮家(皇太子一家)に仕える侍従、内廷係の状況は、ここ1年で大きく変化している。
'11年7月には、5年以上にわたって東宮大夫を務めた野村一成氏が退任。後任には、同じく外務省出身の小町恭士氏が就任したが、皇太子一家との関係は必ずしもしっくりいっていない。天皇の学友で、皇室研究家の橋本明氏がこう証言する。
「昨年夏に就任した小町大夫は、いまだに雅子妃との面会が叶わないと聞いています。年末も、ご一家で表参道のイルミネーションを見学されたことを記者に聞かれ、『明るいところが治療にはいいので』とトンチンカンな返事をしていた。ご一家と意思の疎通が取れていないのでしょう」
結果、前東宮大夫の野村氏が3月末まで「御用掛」の肩書で残ることになった。雅子妃と小町氏の仲介役という意味合いのようだ。
(2011年)9月になると、厚労省から出向していた原口真氏が侍従を退任、後任として国交省の道路政策企画室長だった櫛田泰宏氏が就任したが、原口氏の穴は埋まっていないようだ。前出の宮内庁職員が解説する。
「原口氏は、殿下の地方出張、施設慰問などの公務を担当していました。原口氏は新任の小町大夫と折り合いが悪かったようです。
後任の櫛田氏がまだ不慣れなため、いまは中村久之侍従が公務に随行しています。中村さんは本来、音楽会や山岳関連などプライベート部分が担当なのですが」
官僚出身侍従は、2~3年で出身官庁に戻ることが多く、皇太子夫妻にとっては「何でも話せる側近」という関係になりにくい。中村氏は皇太子の学習院の後輩で、旧華族中村家の出身。現在東宮にいる5人の侍従のうち、3人は官僚出身で、中村氏と、雅子妃担当で東京電力元企画部長の野本勲氏の二人が「民間」出身だ。結果、中村氏と野本氏の二人にかかる負担が大きくなる。しかもその野本氏も、すでに72歳で、東京電力福島第一原発事故の直後には退任が噂された。 |
【樫山和民氏(カシヤマ/カズタミ)】
・1943年東京都生まれ。東北大学文学部卒業。
・東宮侍従退任後?、宮内庁正倉院事務所所長(2000、2002年の開封の儀で名前が出てくる)
2003年には宮内庁正倉院事務所所長に三宅氏が就任してるので、2003年に千代田の侍従に就任?
・2006年9月の悠仁さま誕生時の陛下の北海道行幸啓に「侍従」として随行
野本東宮侍従:25日で退任へ 皇太子ご一家支え11年半
毎日新聞 2012年07月22日 02時31分(最終更新 07月22日 02時31分)
皇太子ご一家に長年仕えてきた宮内庁東宮職の野本勲東宮侍従(72)が25日付で退任することになった。11年7カ月にわたり主に病気療養中の皇太子妃雅子さま(48)や皇太子ご夫妻の長女愛子さま(10)を支えてきた。ご夫妻の希望で、愛子さまの1学期が24日に終了するのを待っての退任となる。
野本氏は東京電力を定年退職後、01年1月に東宮侍従に就任。ご夫妻の信頼が厚く、療養中の雅子さまが泊まりがけの地方公務に一時復帰した07年6月の長野県、同年10月の徳島県訪問などに同行した。
10年春に愛子さまが学校生活に不安を感じて一人で登校できなくなった時は、雅子さまとともに学習院初等科へ足を運んだ。昨年9月、愛子さまが初めてクラスメートと一緒に山梨県に宿泊した際や、今年6月の長野県での校外学習にも同行し、愛子さまを見守った。
野本氏は「愛子さまがお元気になられたことを見届けることができて、本当にうれしい」と振り返った。【真鍋光之】 |
ttp://www.okinawatimes.co.jp/jin/19990522_1.html
<1999年5月22日 朝刊 3面>
2代目沖縄担当大使に就任した野村一成さん
一九九〇年のヒューストン・サミットでは在米国大使館公使として受け入れを取り仕切った。その経験から「サミットは一つの大きなオペレーション。それぞれの仕事をこなし、全体として成り立つ」という。基地問題では現場を踏むことから始める。「基地所在市町村を一日も早く訪れ、実態を把握したい」。局長経験者の「大物大使」にサミット成功、基地問題前進に期待がかかる。
着任してまず沖縄本島南部の戦跡に。平和の礎で沖縄戦で亡くなった紀子夫人の叔父の名前を見つけ、手を合わせた。「沖縄の原点」と心に刻んだ。
沖縄とのかかわりは思いやり予算を義務付けた日米特別協定更新くらいというが、逆に「フレッシュな気持ち。課題も多いが、チャレンジング」と前向きの姿勢だ。
「談笑死生間(だんしょうしせいのかん)」が座右の銘。陸軍軍医で八十四歳で亡くなった父静寿さんの形見。憲政の神様と称される尾崎行雄の書で、父が直接譲り受けたものだ。「生きるか、死ぬかの修羅場のときも、語り、笑う余裕を持って人生に対処しなさい」と解釈している。
野球が大好き。前任地のマレーシアで沖縄尚学高校のセンバツ決勝戦を衛星放送で観戦。沖縄担当大使の内示を受けており、海の向こうから声援を送った。兵庫県淡路島で小、中学生時代を過ごし、映画になった瀬戸内少年野球団はわがことのよう。同島の洲本高校がセンバツで優勝し、小学六年の少年の大きな励みになった。「沖尚の優勝、サミットも若い人たちに影響を与えるだろう」
在ソ連邦大使館勤務時代にウオツカをたしなんだ。泡盛は本格的にはこれから。運動不足を補うゴルフは90台の腕前。東大法学部卒。愛知県出身。一九四〇年五月二十日生まれ。五十九歳。王貞治と同じ誕生日が自慢。二男一女。昨年四月、長女に初孫が誕生した。長男も在中国大使館の外交官。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl a=20060404-00000502-yom-soci
宮内庁東宮大夫に野村ロシア大使
皇太子ご一家のお世話をする宮内庁東宮職のトップ、林田英樹東宮大夫(64)が6日付で勇退し、後任に野村一成駐ロシア大使(65)を充てる人事が、4日午前の閣議で決まった。
野村氏は外務省出身でロシア畑。1991年には内閣審議官として国連平和維持活動(PKO)協力法案の審議、99年からは沖縄担当大使として沖縄サミットの準備などを担当した。
皇太子妃雅子さまが2―4歳だった60年代後半には、在モスクワ日本大使館で雅子さまの父小和田恒氏と一緒に勤務していた経験がある。
林田氏は旧文部省出身で、学術国際局長、文化庁長官などを歴任。2001年11月、東宮侍従長に転じ、02年5月から約4年間、東宮大夫として、雅子さまの長期静養や、長女の愛子さまの養育などへの対応にあたった。
(読売新聞) - 2006年4月4日12時7分更新 |
■東宮女官長・女官 |
830名前:可愛い奥様:2009/10/19(月)01:57:28ID:+r0V64DG0
皇室アンケートの載っていた婦人公論を引っ張り出してきましたわ。
以下引用
「二代目となる今の木幡清子(こわたきよこ)東宮女官長(65歳)はシリア大使や外務省研修所長を務めた外交官、昭七氏(故人)の妻で、青山学院大学文学部仏文学科卒。昭七氏は、雅子さまの父で国際司法裁判所所長の小和田恆氏と同い年の外交官だった。」
・・・・
夫が小和田氏と東大のクラスメイト(雅子妃とミカドの世界P162)
・・・・
(「女性自身」2008年10月21日号にも詳細な記事があるらしい) |
木本彰子氏
・1972年、東京大学文学部西洋史学科卒業。翻訳業。夫(故人)は広中和歌子氏の実弟
・広中和歌子氏は1986年12月30日、東宮御所でのお茶会に小和田家が招かれた際、夫妻で出席(浩宮と雅子さんも出席) |
中町芙佐子氏(雅子妃とミカドの世界P160要約)
・大阪大学文学部哲学科卒
・S57年に夫と死別
・NYコロンビア大学院に留学、精神障害者のセラピストとして訓練を受け、私立ウッドポール病院精神科に勤務
・H13年10月半ばに森幸男氏とともに東宮職御用係りに就任(着帯の儀式で皇太子夫妻の代拝を勤めるため) |
箱嶋明美氏(雅子妃とミカドの世界P162要約)
・就任当時42歳
・四谷双葉出身、青山学院大学文学部卒。S27年生まれ |
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080401-00000014-mai-soci
<愛子さま>養育専任の東宮女官に小山久子さん就任
4月1日5時0分配信 毎日新聞
皇太子ご一家を身近でお世話する東宮女官に1日付で長女愛子さまが通っていた学習院幼稚園園長の小山久子さん(61)が就任した。
昨年9月に女官の1人が辞めたための補充人事の形だが、愛子さまの養育専任の女官となる。天皇家のお子さんに養育専任の女官が就任するのは初めて。
小山さんは、都内の私立幼稚園を経て、78年から学習院幼稚園に勤務、01年から園長を務め、3月31日付で同園を選択定年退職した。
野村一成東宮大夫は「学齢期を迎えられ、ご養育に万全を期したい」と説明。直接養育に当たるほか、養育担当などの女性職員の指導、養育に関して皇太子ご夫妻の相談に応じるなどの役割を期待しているという。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008040100058
2008/04/01-06:21 学習院幼稚園長が東宮女官に=愛子さま養育担当−宮内庁
東宮女官に学習院幼稚園長の小山久子氏(61)が就任する人事が決まり、1日付で発令された。小山氏は、
皇太子ご夫妻の長女愛子さまが3月に同園を卒業するまでの園長で、愛子さまの養育専任の女官になるという。
宮内庁東宮職は、愛子さまが今月学習院初等科に進学するなど学齢期に達し、養育に万全を期したいとする
ご夫妻の意向があり、人選を進めた結果、定年退職する小山氏が選ばれたと説明している。通常の女官の仕事ではなく、
必要に応じて愛子さまのお世話をする職員の監督や、養育に関するご夫妻の相談に乗るという。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/13448?c=160
愛子さまに養育専任女官 学習院幼稚園前園長小山氏 2008年4月1日 06:09
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(6)の養育専任東宮女官として、学習院幼稚園園長を退職した小山久子氏(61)が
1日付で就任した。
宮内庁東宮職によると、内親王の養育に専任の女官が付くのは初めて。学齢期を迎えた愛子さまの教育に
万全を期すため夫妻が以前から要望していたという。
小山氏は東京都出身。お茶の水女子大の幼稚園教員養成課程を修了し、1968年から1年間、松濤幼稚園
(東京都渋谷区)に勤務。78年に学習院幼稚園に移り、2001年から園長を7年間務め、この3月で定年退職した。
野村一成東宮大夫は「人格、見識ともに優れ、子どもの教育に豊かな経験のある専門家」と評価。身の回りの
世話をする職員を指揮監督するほか、夫妻の相談役も務める。 |
1993年女官の就任時期について
■木幡清子 平成5年(1993年)6月1日東宮女官就任
■中町芙佐子 平成5年(1993年)6月23日東宮女官就任(1993年6月23日東宮女官になる『女性セブン』2004年7月8日号)
・『ミカドと女官―菊のカーテンの向う側―』小田部雄次
皇太子夫妻結婚当初、3人の女官を選出。1人は中町芙佐子さん。2人目は高木みどり東宮女官長。そして3人目が木幡清子さん。
・『雅子妃とミカドの世界P157』小田部雄次
結婚の儀までにそろった女官は高木と中町の二名だけで、全員そろうのは結婚の儀以降の公算が大きくなったと6月7日の毎日新聞は伝えている
4年半ぶりに決まった「雅子妃の女官長」のお役目.
http://www.gruri.jp/article/2015/08041800/
4年半という空白の時間にピリオドが打たれた。
皇太子妃に仕える東宮女官長。長きにわたり不在という異例の状態が続いていたが、7月31日の閣議で西宮幸子氏(58)の就任が決定されたのである。
女官長は雅子さまに仕える側近で、国内外のご公務に付き添う渉外役を担う。採用にあたり大事な条件があると話すのは、皇室ジャーナリストの神田秀一氏だ。
「昼夜を問わず妃殿下に一心同体でお仕えするため、私生活に負担がないよう、これまでも独身女性が選ばれてきました」
前任の木幡(こわた)清子氏も、シリア大使を務めた木幡昭七氏の未亡人。ご主人が雅子さまの実父・小和田恆氏と外務省の同僚だった縁で1993年に東宮女官となり、2003年から女官長を務めたが11年に退任していた。
「愛子さまの不登校が深刻化した時期で、東宮ではご一家を支える職員ら5人が離脱をして世間を騒がせた。療養中の雅子妃との意思疎通が不十分だったと言われています」(宮内庁記者)
この7月にトンガご訪問を果たし、ご回復の兆しを見せる雅子さま。西宮氏は重責を果たせるだろうか。
「彼女は津田塾大を卒業後、銀行勤務を経て外交官の西宮伸一氏と結婚しますが、彼は民主党政権下の12年、中国大使に任命された直後に急死してしまいました。子供たちも独立し、雅子妃のお世話に専念できる状況にあります」(同)
専業主婦として朗らかな人柄との評判だ。夫がニューヨーク総領事として赴任した際は、夫婦で当時ヤンキースの松井秀喜氏の表彰式に出席したことも。茶会、朗読会などのレセプションを取り仕切るなど海外経験も積んできたが、皇室にかかわる公職の経験はない。
「人選の責任者は小町恭士東宮大夫。外務省出身の彼の周囲で了承を取り付けられた適任者は西宮さんしかいなかったワケですが、これで雅子妃の本格的なご公務再開に向けての体制は整った格好です」(神田氏)
特別職の女官長に定年はなく、齢70を過ぎるまでお仕えするのが通例だという。末永く東宮ご一家を支えられるかどうかに注目が集まる。
週刊新潮 2015年8月13・20日夏季特大号 掲載 |
■医療関係者 |
定月みゆき博士
・群馬大学医学部卒(雅子妃の新しい皇室づくりP58に経歴)
<愛子さま>誕生時の担当医 国立国際医療センターに異動
宮内庁は18日、皇太子ご夫妻の長女敬宮愛子さま誕生の際に担当医を務めた定月みゆき宮内庁病院産婦人科医長(45)が、国立国際医療センターに異動したと発表した。
異動は16日付で、後任は公立昭和病院産婦人科医長の高江健太郎氏(34)。
定月医師は在勤が3年を超え、宮内庁は通常の異動としている。
(毎日新聞)-2004年10月18日18時55分更新 |
大野裕医師・プロフィール(PHP3月号)
1950年愛媛県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。
コーネル大学医学部、ペンシルバニア大学医学部留学を経て現在慶應義塾大学保健管理センター教授。
近著に「うつを癒す」(飛鳥新社)、『「だから自分はダメなんだ」と決めつけない』(大和書房)など。
噂の真相2001年6月号 雅子妃懐妊騒動の真実
堤医師=専門は不妊治療に不可欠な腹腔鏡。「体外受精」「顕微授精」の成功例も数多い。
97年、突如として宮内庁の非常勤医に就任し、女性週刊誌が「人工授精治療の開始か」と大騒ぎを繰り広げた。
この時、宮内庁は「職員の治療をお願いしているだけ」などと報道を完全否定していた。
しかし実際は鎌倉節宮内庁長官(2001年3月に退任)が坂元正一東大名誉教授に依頼して立ち上げた、
皇太子夫妻の「不妊治療プロジェクトチーム」の一員(中心メンバー)だった。
ただしスタート直後、皇太子が坂元医師の説得に「自分たちで計画的にちゃんとやります」と断り、
ほどなく解散。堤も翌年に非常勤医の職を辞した。
ところが99年5月、再び非常勤医として宮内庁病院に復帰。仕掛け人は鎌倉長官。
鎌倉長官は支持率低迷に悩む小渕首相と連携する形で99年春から再び不妊治療プロジェクトを始動。
皇太子夫妻もその説得のプレッシャーに耐えられず、 夏過ぎには同意し、秋に東宮御所内に医療機器が運び込まれ堤教授が検査を始めた。
流産に終ったあとの2000年1月下旬、堤教授が東大医学部の「体外受精」をテーマにした講義で
「体外受精では稽留流産の可能性が高い。それをどうのこうの言われてもね」と発言
記者が同学部の学生から聞いたのが、その学生曰く「具体的に名前を出したわけではないですが、明らかに雅子妃の流産を指していることがわかりました」
つまり2001年3月に御用掛に就任する前にも「陰の主治医」だった。
陛下に寄り添う「侍医」 東大閥、背広にネクタイなどの特徴
http://www.news-postseven.com/archives/20141016_281405.html
2014.10.16 11:00※女性セブン2014年10月23・30日号
(略)
皇室を支える医師団にはもうひとつ“例外”がある。元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんが言う。
「適応障害に悩む雅子妃殿下の主治医は慶應大学卒の医師で国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センター長の大野裕さんです。妃殿下の担当医になるからには、『東宮侍医』や非常勤の『御用掛』という役職を与えて宮内庁の指揮命令系統に入っていただいたうえで治療に当たってもらうべきですが、そうはなっていません。そのため、妃殿下の病状を皇室医務主管が把握できていないという問題が指摘されています」
実際、2012年7月に金澤医務主管が『文藝春秋』(2012年8月号)で衝撃的な発言をし、世間を驚かせた。
<大野先生に来ていただいたところまでは良かったのですが、少なくとも私が意図した方向で治療システムが構築されたとは残念ながら思ってはおりません。その点に関しては、私は皇室医務主管として残念ながら失格だったと思っています> |
奥山眞紀子氏
小児精神保健が専門。
10年前は愛子さん担当で参内。
初等科入学頃の愛子さんの意思表示は首を縦、横に振るしぐさだけ。
だんだん雅子カウンセラー役になった。
雅子「宮内庁は酷い」
奥山氏「ご自身も変わっていただかなければ。」(週刊文春2014/10/30)
818 :可愛い奥様@転載は禁止 :2014/10/24(金) 08:34:41.07 ID:axMLqHPS0
長野県出身で東京教育大学(現筑波大)卒業の60歳。
都立戸山高校退職後は都立青山高校非常勤講師。
中教審代表委員を務めたこともある優秀な数学教師。
御用掛になった経緯は書かれていません。
進学校戸山の進路担当教師だったからfdrrとの校長の言葉がありますがよく分かりません。
(週刊新潮2014/10/30)) |
■その他 |
福迫美樹子氏(44歳)の略歴
鹿児島の歴史ある名家の出身。雅子妃の田園調布双葉の3年先輩。
高校卒業後、聖心女子大教育学科幼稚園コースで学んだ後、 双葉小学校付属幼稚園で16年間教諭を務めた。
東宮着任は04年6月←皇太子の人格否定発言の1ヶ月後。
(週刊現代2006/2/4号) |
事務主管補佐A氏
・東宮職に「事務主管補佐」という、課長職の下に位置し、かつ行啓や医務などの係を束ねるポストがある。数人の補佐で各係を分担、うち2004年からそのポストに就いていた50代のベテラン職員がおり、昨年4月、補佐の中でも上席である「総括職」という地位に昇格した。(東宮関係者)
・しかし、その男性がわずか3ヶ月で任を解かれ、7月初めには東宮から宮内庁本庁へと異動になった。
・東宮内の予算を取り扱う要職に就いたばかりの職員にとって、きわめてイレギュラーな異動。さらに異動先は本庁主計課の課長補佐。8月末の概算要求の提出期限を控えて大忙しのセクションで、この時期に人を入れ替えるなど通常では考えられない。東宮で何かあったのでは、ともっぱら職員の間で囁かれていた。(同関係者)
・ちょうどこの時期、皇太子ご一家は須崎の御用邸を静養で訪れていた。それにさきがけて、雅子さま周辺から滞在中に生じる経費についての要望があり、この補佐が首を縦に振らなかったのでは、という生々しい話も。彼は昭和天皇の時代から東宮職に籍を置き、皇太子殿下との付き合いも長く、殿下からの信頼も厚い。そのことから、雅子さま周辺との間に「何か」があったとの推測が飛び交った。(同関係者)
週刊新潮(2011.01.27号) |
809名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/07/27(水)23:52:18.64ID:wPs/04T50
霜鳥加奈氏(週刊文春2011.08.04号)
・霜鳥さんは、上智大学英文科を卒業し、08年に同大学の修士課程を修了した20代の女性だそうです。その後、2年間中学校の英語教師のキャリアを経て、迎えられることになった、いわば“英語教育のスペシャリスト”です。修士論文では“イギリス小説の父”ヘンリー・フィールディングについて69ページにわたって英語で論文を書いています。」
・霜鳥氏が2年間教員として務めていたのは、健常児と自閉症児の「混合教育」が特色の、武蔵野東中学校。自閉症児が1学年のうち約3分の1在校し、そのユニークな指導法や、自閉症児の治療法は世界的に注目されている。
・「彼女は1〜3年の英語を指導していました。今年3月に『家庭の事情で』という理由で退職したのですが、非常に優秀で、教師の間でも『早く担任を持たせ、昇進させたい』と評判でした。」(理事長 寺田欣司氏)
・霜鳥氏は「熱心な先生」として教え子からの人気が高い先生だった。「英語の発音が綺麗でカッコよかった。」(在校生の一人)
・大学時代はホッケー部に所属していた霜鳥さん。同部の古いHPには自己紹介が残っていた。(注:顔写真あり)好きな言葉の欄には、<There-is-always-a-better-way>というトーマス・エジソンの言葉が。 |
・宮内庁は丸30年勤務すればその功労として永年勤続のご褒美がいただけ、園遊会にも呼んでいただけるようになります(殿下の料理番P202) |
中央公論2006年11月号
皇室典範改正は避けられない
井上茂男(読売新聞編集委員)
宮内庁秘書課によると、その定員は秋篠宮付が九、東宮職五一。
東宮職は前ロシア大使の野村一成・東宮大夫をトップに、東宮侍従長、東宮侍従五人、東宮女官長、東宮女官三人、東宮侍医長、東宮侍医三人がおり、庶務や行啓、会計、監理などの事務職員が一三人、看護師四人、身の回りのお世話をする女嬬などがいる。
秋篠宮付の定員には運転の担当と料理の担当が含まれるが、東宮職は運転や料理・配膳担当は別。
皇太子ご一家の運転を担当するのは車馬課配車第二係の六人、料理を作るのは大膳課厨房第五係の五人、配膳を担当するのは大膳課主膳第二係の五人で、東宮職以外にも計一六人がお世話に携わっている。
これらの職員を含めると、皇太子ご一家のお世話係は計六七人になる。
東宮職には東宮侍医長も含めて四人の医師がいて、二四時間体制で詰めている。
一方、愛子さまの場合は、誕生後に看護師四人が公費で置かれ、その後、小児科の侍医一人、愛子さま担当の侍従一人、看護師二人、お世話係の出仕一人の計五人が増員された。 |
742 :自治スレでLR等議論中@可愛い奥様@\(^o^)/:2015/08/13(木) 22:01:59.97
ID:Cqm3xdcZO.net[4/4]
池田元一東宮侍従 1979年東京大学工学部大学院・化学工学専攻・修了。同年、東京ガス株式会社入社
川埜亮東宮侍従 内閣府国家公務員制度改革推進本部事務局企画官(東大法93年建設省)
唐橋在倫東宮職御用掛
>唐橋子爵家(からはしししゃくけ)は、日本の華族(公家)。姓は菅原朝臣。半家。
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http://www.ne.jp/asahi/kina/dream/sketch/concert/london/londonconcert.htm
唐橋 在倫(からはし ありみち)
1967年(昭和42年)京都生まれ。1991年に独協大学法学部卒業後、國學院大学神道学専攻科で学び、1992年に新宮神社奉職、現在は轄n謌迚p会取締役をしておられるそうです。
年2回、宮中でご前演奏会に出演、京都蹴鞠保存会会員として、京都御苑で春秋一般公開時に出演、宮中月次御歌会に詠進するなど、多彩に活躍されていらっしゃいます。
パンフレットにあった唐橋家の歴史を見ると、「菅原道真公から6代目の子孫にあたる、定義公と藤原実方公の娘の間に生まれた在良公が家祖である」と書かれていました。 |
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