職員・就任辞任一覧 1982年〜2009年12月
あまりに複雑でちょっと自信がありません(特に千代田)。だいたい合ってる………はず。多分。合ってるといいな…。


=「雅子妃とミカドの世界」小田部雄次著
=「卜部亮吾侍従日記(数字は巻数)」
入江日記=「入江相政日記1〜6巻」朝日新聞社発行版
=朝日新聞縮刷版(2000年ごろまでの索引は「各省庁→宮内庁」、それ以降は「皇室」)
--=日本経済新聞縮刷版(索引は「宮内庁」)
西暦
東宮大夫
東宮侍従長
東宮侍従
東宮女官長・女官
東宮侍医、医療関係
東宮その他
備考(その他・メモ)
千代田
千代田(侍従長・侍従)
千代田(その他)
秋篠宮家
秋篠宮家(その他)
西暦
備考 ★東宮大夫就任
〓退任
+外務省出身者在任中
■東宮侍従長就任
〓退任
+外務省出身者在任中
■東宮侍従就任
〓退任
※東宮職事務主管=侍従のうち侍従職の庶務をつかさどる者
◆東宮女官就任
■東宮女官就任(定員4人)
〓退任
●東宮侍医就任
■東宮侍医就任(3人→4人)
※愛子さま誕生後に小児科医1人を追加

□その他医療関係、就任
・看護師、4人(2008年時点)
〓退任
■職員の就任
・東宮内舎人(4人)
・東宮女嬬(4人)
・大膳課厨房第五係(5人)
・大膳課主膳第二係(5人)
・運転:車馬課配車第二係(6人)
・内閣府事務官(会計などの事務職員)

□東宮職以外の就任(16人)
□皇宮警察・護衛二課
〓退任
・現在(2014年4月時点?)の職員定数は67人(文藝春秋2014年5月1日号) 備考 (就任順)
宮内庁長官
宮内庁次長
侍医長
式部官長
女官長
★侍従長
☆侍従次長就任
■侍従就任(7名)
〓退任
★参与就任(3〜5人くらい?)
□皇宮警察・護衛一課
■女官(女官長除き5名?)
■侍医(侍医長除き5名(2015年度に1名増員))
備考 【正規職員18人(公務員)*=2015年7月時点
★宮務官2人?*(2013年4月?1人増員?)
◆侍女長1人*
■事務官9人?*(2012年、2015年に増員で計9人?)(侍女長補はここにカウントされてる?)
■運転技官5人?*(2007・2011年・2014年度に1人ずつ増員?)
■調理員(技官)2人*(2011年の記事では2人になってたけど、その後の記事の感じでは2015年頃は1人なのかも)

【その他】
□臨時職員3人(公務員、2011年12月時点)、他部署との併在辞令を受けた職員
□侍女2人(民間人扱い(宮家の私費)・2008年1月時点)
□悠仁さま付きの看護士3人(2006年から。うち1人は宮内庁職員として採用)
□御用係

〓退任
1958
S33
以前
★1945年8月 穂積重遠氏、東宮大夫、東宮侍従長就任(兼任)
★1949年2月26日 野村行一氏、東宮大夫、東宮侍従長就任(兼任)(1957/7/29死去)
※野村氏の死後、瓜生順良宮内庁次長が事務取り扱い
★1957年11月12日 鈴木菊男氏、就任
■1945年8月 穂積重遠氏、東宮侍従長就任(兼任)
■1949年2月26日 野村行一氏、東宮侍従長就任(兼任)
1944年7月 黒木従達氏、東宮傅育官就任
1951年 浜尾実氏、東宮傅育官に就任
■1954年 伊集院実韶氏、侍従就任
■1949年 由本正秋氏、東宮侍医就任(東京帝大卒)
■1956年 星川光正氏、東宮侍医就任(以降24年間務める)
1958
S33
以前
1936年11月20日 徳川義寛氏、侍従就任
■1939-1945年 小倉庫次氏、侍従就任(東京帝大卒、初の平民出身者(らしい))
1943年 入江相政氏、侍従就任
■1953年 穂積重道氏、侍従就任
■1915(大正3)年11月 秋山徳蔵(27才)、初代・宮内省大膳職主厨長の拝命
■1953年4月10日 今城誼子氏、女官就任
1958
S33
以前
1959
S34
-
1972
S47
■1959年4月1日 山田康彦氏、就任 ◆1959年4月1日 牧野純子氏、東宮女官長就任
■1959年4月1日? 佐久間玲子氏、名和栄子氏、今村淑子氏、東宮女官就任














※1960年2月23日 浩宮誕生
※1965年11月30日 礼宮誕生
※1969年4月18日 紀宮誕生
1959
S34
-
1972
S47
西野重孝氏(侍医長)1966年2月18日〜1983年10月1日)(S15年から侍医)
北白川祥子氏(女官長)1969年5月20日〜1989年1月11日)
〓1959年3月30日? 山田康彦氏、侍従退任(東宮侍従長に転任)
〓1959年 小池昌雄氏、侍従退任
■1959年 小川真三氏、侍従就任(秘書課課長補佐)
■1959年4月26日 松平潔氏(三河西尾藩主家の松平乗光氏の弟)、侍従就任
1960年4月 重田保夫氏、侍従就任(人事院出身(S23入省))
〓1962年 小川真三氏、侍従退任(自治省官房調査官に転出)
1963年6月頃? 重田保夫氏、侍従退任(人事院に転出)
■1963年6月頃? 山本岩雄氏、侍従就任
〓★1965年3月30日 稲田周一氏、侍従次長退任→侍従長就任
1965年3月30日? 入江相政氏、侍従次長就任
1965年7月1日 田中直氏、侍従就任(2006/4/10没・享年84歳)(例の雑草刈った人)
■1965年7月19日 諏訪部信氏、侍従就任
1968年4月1日 安楽定信氏、侍従就任(人事院出身)
1968年11月 井関英男氏、侍従就任
1969年9月16日 稲田周一氏、侍従長退任
〓★1969年9月16日 入江相政氏、侍従次長退任→侍従長就任
1969年 徳川義寛氏、侍従退任→侍従次長就任
1969/10/1 卜部亮吾氏、侍従就任(人事院出身、2002/3/11没・享年78歳)
■就任退任時期不明 角田素文氏、侍従就任
■時期不明 村山浩一氏、侍医長就任
〓1963年6月22日 高木顕氏、侍医退任(防衛庁に転出)
■1963年 富家崇雄氏、侍医就任(高木氏の後任)
■1964年 谷部金次郎氏、管理部大膳課厨房第一係(和食担当)に就任
■1964年 杉村昌雄氏、侍医就任(東京帝大医学部卒)←例の香淳皇后の腰痛の人
■1970年 渡辺誠氏、管理部大膳課に厨司として勤務
■1971年 今城誼子女官、自主退職に追い込まれる
〓1972年10月18日? 秋山徳蔵氏、大膳職主厨長退任
■1972年10月18日? 中島伝次郎氏、大膳職主厨長就任
■就任時期不明 斉藤文次郎氏、宮内庁御用係就任(晩餐会のときなどに駆けつけて料理をつくる非常勤の主厨長という立場。中島伝次郎氏の後任。丸の内ホテルシェフ)(天皇家の食卓 ふしぎの国の和の食)
1959
S34
-
1972
S47
・1959年4月10日 皇太子(明仁親王殿下)、正田美智子嬢、ご成婚
〓1965年3月31日 山田康彦氏、退任(書陵部長)(1967年4月6日死去)
■就任時期不明(1965年4月1日?) 戸田康英氏、就任
※1961年5月17日 浜尾氏、皇太子殿下から浩宮の養育係を依頼(皇太子の愛P74)
1964年 八木貞二氏、就任
1965年 重田保夫氏、就任
1970年5月1日 富士亮氏、就任(東大助手。魚類の専門家)
1971年4月1日 浜尾氏、退官(退官後、聖心女子学院中等科・高等科に勤務、2006年10月26日没。81歳)

■就任時期不明(1966年頃?) 小河清氏、就任
〓1969年 牧野純子氏、東宮女官長退任
◆1969年4月16日 松村淑子氏、東宮女官長就任(島津忠弘の次女。久邇俔子の姪。女子学習院卒)
■1971年 小櫃美智子氏、東宮女官就任(紀宮さま誕生時に東京大病院看護婦長。お子様三人の出産にたずさわる)
□1959年8月17日 小林隆氏(東大教授)、皇太子妃専任産科医に就任(おそらく御用係)
■1960年6月1日 緒方安雄氏、浩宮の小児医に就任(S23年まで明仁親王殿下の侍医)(1960年6月P173)
◆就任時期不明 佐藤久氏、東宮侍医長就任(小児科?)
●時期不明 由本正秋氏、東宮侍医長就任(1973/2/16(入江日記5巻P63に東宮侍医長として記述あり))(1995年11月12日死去。83歳)
■1972年7月〜1976年8月 大友英一氏、東宮侍医就任(専門は内科、神経内科、老人科)
1966年 目黒勝介氏、宮内庁入庁(日本大の水産学科を卒業後、宮内庁入り。一般の職務の他に、陛下と魚類の研究も共にすることに)
1973
S48
-
1977
S52
10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12
〓1977年9月 鈴木菊男氏、退任
1977年9月20日 安嶋彌氏、就任(1922年生まれ。1946年文部省入省、元文化庁長官)
10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12
〓1977年4月1日 戸田康英氏、死去にともない退任
1977年4月12日? 黒木従達氏、就任
〓1973年 伊集院実韶氏、侍従退任
1973年4月1日 曽我剛氏、就任(人事院)
■1973年4月1日 目賀田八郎氏、就任(東京学芸大付属小教諭)
■1974年11月1日 寺嶋将起氏、就任(科学技術庁)
■就任退任時期不明 中島宝城氏、東宮侍従就任(入江日記5巻P333(1977/12/15)に記述有り)
※1977年7月17日 香淳皇后が転倒し第一頚椎の圧迫骨折。診断や治療方針をめぐり杉村昌雄侍医(外科)の退任問題に発展する(入江日記5巻P331) 1973
S48
-
1977
S52
1973年1月16日(式部官長) 島重信氏更迭。湯川盛夫氏が就任(前駐英大使) ■1972年1月13日 杉原正純氏、侍従就任(自治省出身)
1972年1月18日? 井関英男氏、侍従退任(自治省に転出)
〓1973年5月1日 山本岩雄氏、侍従退任(侍従職事務主管)
■1973年5月1日 松平潔氏、侍従就任(侍従職事務主管)
1974年 小林忍氏、侍従就任(人事院出身、2006/7/3没・享年83歳)
〓1974年7月1日 杉原正純氏、侍従退任
■1974年7月1日 石田淳氏、侍従就任
1977年11月頃 徳川義寛氏、目の手術のため長期入院(入江日記5巻P333)
■1971年11月10日 福永泰子氏、女官就任
■就任時期不明 小野慰子氏、女官就任
■就任時期不明(1977年頃?) 原田リツ氏、女官就任
■就任時期不明 市村菊重氏、女官就任
■就任時期不明 久保喜美子氏、女官就任
■1974年から5年間 工藤極氏、管理部大膳課第二係(洋食担当)に就任
■1977年6月 東園基文氏、掌典長就任
★参与(就任・退任時期不明) 森永貞一郎氏(元大蔵次官・日銀総裁)
★参与(長官退任後の1978年5月以降就任?・退任時期不明) 宇佐美毅氏(元宮内庁長官)
1973
S48
-
1977
S52
元号 西暦
昭和29年 1954
昭和30年 1955
昭和31年 1956
昭和32年 1957
昭和33年 1958
昭和34年 1959
昭和35年 1960
昭和36年 1961
昭和37年 1962
昭和38年 1963
昭和39年 1964
昭和40年 1965
昭和41年 1966
昭和42年 1967
昭和43年 1968
昭和44年 1969
昭和45年 1970
昭和46年 1971
昭和47年 1972
昭和48年 1973
昭和49年 1974
昭和50年 1975
昭和51年 1976
昭和52年 1977
昭和53年 1978
昭和54年 1979
昭和55年 1980
昭和56年 1981
昭和57年 1982
昭和58年 1983

1978
S53
-
1982
S57
10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12
10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12

10 11 12
就任退任時期不明 井関英男氏(1972年1月に、侍従から自治省に転出したが、その後、宮内庁にもどり東宮侍従や秘書課長などをつとめる(入江日記4巻P405))
1978年4月1日 小倉義弘氏、東宮侍従就任(1962年 科学技術庁入庁)
■1979年 和辻雅子氏、東宮女官就任(哲学者・和辻哲郎氏の長男・夏彦氏の妻) ※星川光正氏、1973/11/22に東宮侍医長として記述あり(入江日記5巻P399)(1880年に退任?)
【1978年当時の東宮職員の構成(職員数約70人)】

・東宮大夫
・東宮侍従長
・東宮侍従(8人)
・東宮女官長
・東宮女官(5人)
・東宮侍医長
・東宮侍医(3人)
1978
S53
-
1982
S57
1979年8月14日-1989年6月20日(元国連大使・2005/6/3没)
富田朝彦氏(宮内庁次長)1974年11月26日〜1978年5月26日
富田朝彦氏(宮内庁長官)1978年5月26日〜1988年6月14日
山本悟氏(宮内庁次長)1978年5月26日〜1988年4月13日(東大卒/S23年総理府入省)
安倍勲氏(式部官長)1979年8月14日-1989年6月20日(元国連大使・2005/6/3没)
■就任退任時期不明 侍従・山本岩雄氏(1973/5/1(入江日記5巻P66)に侍従として記述あり(事務主管就任))(「正倉院・開封の儀1979/12/3に「侍従(勅使)」として記述あり)
1982年4月1日 森猛氏、侍従就任(1981/11に死去した山本岩雄侍従の後任。人事院北海道事務局長)
〓1979年「2月5日 杉村昌雄侍医、辞表提出(4月1日退官?)(入江日記5巻P410)
〓1979年1月16日 原田リツ氏、女官退任
■1979年1月16日 田村和子氏、女官就任
1978
S53
-
1982
S57
1983
S58
10 11 12
                       
10 11 12
                       
1月19日 黒木従達氏、某お風呂屋さんで死亡。心臓病の治療中だった(入江日記6巻P317)
※1/19〜6/16? 安嶋東宮大夫が兼任(入江日記6巻P321)
6月16日 山口広次氏、就任(元レバノン大使)(入江日記6巻P321)
1983年 手塚英臣氏就任(学習院寄宿舎で皇太子(明仁親王)殿下と同室だった。銀行員)(1989年1月P446) ■浩宮の大学卒業(1982年3月20日)後、団藤重光(1983年11月就任)、須之部量三が東宮参与になり憲法、経済学などを学んでいる(FACTA・2011年2月号要約)
■6月16日? 須之部量三氏、皇太子の相談相手に就任(入江日記6巻P321)
・6月20日 浩宮、英国留学(首席随員:中川融氏 随員:富士亮東宮侍従・末綱隆警視)
(随員として富士東宮侍従と篠宮隆(末綱隆の間違い?)皇宮警視が同行。随員の二人は外務事務官の身分で浩宮の側近事務をとることになる(入江日記6巻P320)
1983
S58
星川光正氏(侍医長)1983年10月1日〜1987年6月1日 1983
S58
1984
S59
10 11 12
                       
10 11 12
                       
■主任時期不明 高松政晴氏(入江日記6巻P394に記述あり)(前科学技術庁愛媛原子力連絡調整官事務所長)
〓7月2日 綾村宏氏退任(入江日記6巻P396)
■7月2日 小林光氏就任(入江日記6巻P396)(1948年生まれ。東京大学農学部卒)
・浩宮の登山の指南役(らしい)

〓10月1日 児嶋弘氏、退任(用度課長に転任)(入江日記6巻P397)
■10月1日 飯野徳雄氏、就任(入江日記6巻P397)
〓1984年7月? 和辻雅子氏、東宮女官退任(1985年からは宮内庁御用掛や侍従職御用掛を務めた。2013年8月20日死去(87歳))
■1984年7月? 村上寿満子氏、東宮女官就任(前東京ガス社長の故村上武雄夫人)
1984
S59
〓4月1日? 斉藤(誠治?)侍従退任?(入江日記6巻P344)
4月1日 鈴木武氏、侍従就任(消防庁救急救助室救急専門官)(入江日記6巻P393)
12月24日頃? 森猛氏、侍従退任?(入江日記6巻P389)
12月24日頃? 樋口英昭氏、侍従就任?(人事院出身)(入江日記6巻P398)
※10月15日 波田野氏 外務省中近東アフリカ局長から外務大臣官房外務報道官になる。天皇の国際情勢の御進講
約である(入江日記P397)→
■10月頃就任? 波多野敬雄氏、侍従職御用掛(外務事務官)としてご進講を担当(1985/1/16P25)
1984
S59
1985
S60
10 11 12
                       
10 11 12
                       
※1985年 侍従の枠が1名増員(実際の補充は1996/4/15)(1986年4月) ・10月31日 浩宮、英国留学より帰国
※2/27 三宅和助氏・波田野敬雄氏、新旧(外務?)報道官と(卜部氏?)の会食P50
1985
S60
※3/4 新旧侍従歓送迎会(斉藤誠治氏、森猛氏、鈴木武氏、樋口英昭氏)P55(鈴木氏と樋口氏が新任?)
9月29日 入江相政氏、侍従長退任(1985/9/29没・享年81歳。退官を目前(10/1予定)に虚血性心不全で、自宅にて死去)
〓★1985年10月1日 徳川義寛氏、侍従次長退任→侍従長就任
10月1日 安楽定信氏、侍従退任→侍従次長就任P186(1996/6/19没)
■1985/2/1?〜1987 柳谷謙介氏、侍従職御用係就任(外務省情報文化局長として国際情勢について進講)(P37) 1985
S60
昭和天皇崩御・今上陛下即位に伴う人事について
1989年1月11日発令(1989年1月P446)

元東宮職(赤坂御所(元東宮御所))

【侍従就任】
重田保夫氏(侍従次長)(元東宮侍従長)
手塚英臣氏 
八木貞二氏 西園寺公友氏 石藤守雄氏 
目黒勝介氏 富士亮氏(礼宮の英国留学随行中?)

【女官就任】
松村淑子氏(女官長)
■小櫃美智子氏 ■黒木不二氏 ■村上寿満子氏
■西田美恵子氏 ■清輔起代子氏

【侍医就任】
■池永達雄氏 ■本木達也氏(東宮侍医兼任) ■浦部晶夫(東宮侍医兼任)

旧千代田(皇居(昭和天皇時代の職員))

【侍従留任】
★山本悟氏(侍従長)
安楽定信氏(侍従次長)(皇太后宮大夫兼任)
中村賢二郎氏(皇太后宮職参事兼任)
小林忍氏 卜部亮吾氏 田中直氏
井原好英氏 菅原直紀氏
※山本侍従長以外は、皇太后宮職と侍従を一時期兼任

【女官退任→皇太后宮職就任】
■北白川祥子氏(元女官長)以下、女官5人(計6人)が皇太后宮職に就任


【侍医留任】
■高木顕氏(侍医長留任)(皇太后宮職兼任)
■内田俊也氏(侍医留任)

【侍医退任→皇太后宮職就任】
■大橋敏行氏 ■加藤健三氏 ■伊藤貞三氏
 
1986
S61
10 11 12
                       
10 11 12
                       
4月 山口広次氏、退任(2003/08/26没・享年86歳)
4月15日? 重田保夫氏、就任P316(人事院出身。2008/8/7没・享年83歳)
4月15日 重田保夫氏、退任→東宮侍従長に
〓4月15日 高松政晴氏、退任(科学技術省に戻る)
4月15日 石藤守雄氏(53歳)、就任(文化庁(文化財の専門家))
4月15日 目黒勝介氏(43歳)、就任(20年間、東宮職技官として皇太子(明仁親王)の研究のお手伝い)(魚類の専門家。ハゼに関する論文を陛下と共著で多数発表)
4月15日 樫山和民氏(43歳)、就任(宮内庁書陵部で浩宮の歴史の研究の相談にのっていた)
※4/15の人事は1986年4月より
7月14日 竹元正美氏、就任(初の外務省出身の東宮侍従)1986年7月P576)
※7/5富士亮東宮侍従から浩宮の挨拶につき申し入れ(P368)

■11月4日 島本健氏、高円宮家付・宮務官、就任P449
1986
S61
4月1日 中村賢二郎氏、侍従就任(1958年文部省入省)P308(P267によると樋口侍従の後任候補として1986/1/30に侍従長と面会) ■4月1日 今井賢氏、宮内庁主膳長就任P308 1986
S61
1987
S62
10 11 12
                       
10 11 12
                       
1987年 西園寺公友氏就任(西園寺公望氏のひ孫。システムエンジニア) 〓4月1日 長沢潤氏、東宮侍医長退任P79
4月1日 菊池武彌氏 東宮侍医長就任P79(2002/3/13没・享年85歳。1980年4月東宮侍医就任)
■1987年 浦部晶夫氏、東宮侍医就任
1987
S62
高木顯氏(侍医長)1987年6月1日〜1989年6月20日 8月4日頃? 鈴木武氏、侍従退任P150
8月4日頃? 井原好英氏、侍従就任P150
〓1月27日 波多野敬雄氏、侍従職御用掛退任(1月9日最後のご進講)(P24、35)
■1月27日 松田慶文氏(外務省審議官)、侍従職御用掛(外務事務官)就任(波多野氏の後任)(P24、35)
1987
S62
1988
S63
10 11 12
                       
・1月、胃の手術(1989年4月P1434)
4月、仕事に復帰
(噂の真相1988年10月号)
10 11 12
                       
7月30日 竹元正美氏、退任(外務省経済局海洋課長)1988年8月P2)
8月1日 吉原修氏、就任(外務省スペイン大使館一等書記官)(1988年8月P2)
4月1日 菊池武彌氏 東宮侍医長退任P324
●4月1日 小山昭二氏、東宮侍医長就任P324
□1988年 渡辺誠氏、主厨として東宮家担当?
■東宮参与(就任時期不明) 団藤重光氏、須之部量三氏(P340・4/28)
・8月7日 礼宮、英国留学(富士亮東宮侍従随行?) 1988
S63
藤森昭一氏(宮内庁次長)1988年4月13日〜1988年6月14日
藤森昭一氏(宮内庁長官)1988年6月14日〜1996年1月19日
宮尾盤氏(宮内庁次長)1988年6月14日〜1994年3月31日
1月17日 樋口英昭氏、侍従退任(人事院に出向)(1988年1月P708)
1月18日 菅原直紀氏、侍従就任(人事院)(1988年1月P708)
4月12日 徳川義寛氏、侍従長退任
4月13日 山本悟氏、侍従長就任(旧自治省出身)
★参与(長官退任後の1988年6月以降就任?・退任時期不明) 富田朝彦氏(元宮内庁長官、2003年没。2006年に「富田メモの一部」が公開) 1988
S63
1989
H1
・1月7日 昭和天皇崩御浩宮が立太子
・1月8日 元号法に基づき平成元年に改元

※1月11日? 皇太后宮職がおかれる(皇居)(北白川祥子氏など旧職員が就任)
1989
H1
・1月7日 昭和天皇崩御皇太子(明仁親王殿下)が即位 1989
H1
10 11 12
                       
5月1日 安嶋彌氏退任
5月1日 菅野弘夫氏就任(1923年 臨時人事委員会事務局(現在の人事院)入職、前国立公文書館長(1989.03.31定年退職))
10 11 12
. .
        + + + + + + +
1月11日? 重田保夫氏、(赤坂御所の)侍従次長に就任
※1月12日〜4月30日 (安嶋彌氏、東宮侍従兼任)(年1989月4P1434)
5月1日 菅野弘夫氏就任(東宮大夫兼任)
6月20日 菅野氏、退任
6月20日 山下和夫氏就任(1927年外務省入省、モロッコ大使、前アルゼンチン特命全権大使)
※1月11日 9人のうち6人が千代田の「侍従」に就任
■1月11日 東宮侍従9人のうち3人が残留。徳仁親王は独身のため侍従3人の体制に減員P151

【この3名が東宮残留?】
曽我剛氏(事務主幹)(1989/1/29P36)
吉原修氏(1992年から2年半、エジプト日本大使館勤務、らしい)
樫山和民氏(1989/2/1P40)(1943年誕生。東北大学文学部卒業)
※本木達也氏、浦部晶夫氏、千代田の侍医に就任(東宮侍医兼任)(1989年1月P446) ※9月頃 渡辺誠氏、徳仁親王付きに決定?仮御所引越しの準備を開始する(殿下の料理番P88)

・佐藤勉東宮侍衛官(1989/8/20P173)
【1月 新組織の辞令】
松村淑子氏(女官長)1989年1月11日〜1990年4月17日(1969年から皇太子妃美智子さまに仕えたP341)

池永達雄氏(侍医長)1989年6月20日〜1999年4月1日
角谷清氏(式部官長)1989年6月20日-1995年9月8日(前フィリピン大使(P128)、外務省出身?
【1月 新組織の辞令】
詳細( ..昭和天皇崩御・今上陛下
即位に伴う人事について.. )参照→

■1月11日 人事発令
・侍従長1人、侍従次長2人、侍従12人(東宮侍従9人のうち6人が侍従に就任)(1989年1月P446)
・新旧の侍従が並存する二重構造が一年余り続く(P33)

5月1日 井原好英氏、侍従退任(自治省に移動P89)
5月1日 佐藤和寿氏、侍従就任(自治省)(1989年5月P30)(井原好英氏の後任。後任者は「赤坂」とのこと。赤坂御所のこと?P98)
? 菅原直紀氏→1989/6/5菅原氏と一緒に送別会P122(どこかに移動?)
7月1日? 西園寺公友氏、侍従退任(P140)
7月1日? 楠本祐一氏、侍従就任P140)(1971年 外務省入省))
7月 山中誠氏、侍従就任(1971年外務省入省、同志社大学卒)
※東宮参与から参与に就任?
★1989年? 参与就任 団藤重光氏(退任時期不明)
・元最高裁判事
・皇太子の結婚に関して「江頭氏はチッソ再建のために社長に就任したもので、水俣病発生の責任はなかった」と判断
・2012/6/25没、98歳

★1989年 参与就任 須之部量三氏(退任時期不明)
・外務省出身、元駐韓国大使、事務次官
・歴史教科書問題をめぐる「日韓歴史研究促進に関する共同委員会」の日本側座長なども務めた
〓4月7日 富田朝彦氏、参与退任(国家公安員)(1989年4月P376)
〓1989年 谷部金次郎氏、昭和天皇崩御とともに管理部大膳課を退職辞職
1990
H2
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・2月28日 皇太子徳仁親王、東宮仮御所に引越し(新東宮の体制スタート) 1990
H2
井上和子氏(女官長)1990年4月17日〜2004年3月31日(木戸幸一内大臣の三女P339。2014/9/9死去) 1990
H2
・6月21日 礼宮、英国留学より帰国 1990
H2
・6月29日 ご成婚(秋篠宮家創設)
富士亮氏、秋篠宮家の初代宮務官
1990年 笠松祐子氏、就任
・1984年清泉女子大文学部卒
・東宮職、侍従職を経て、侍女長に就任
【正規職員7人(公務員)】
★宮務官1人(富士亮氏)
◆侍女長1人(笠松祐子氏)
■事務官1人
■仕人1人
■運転技官2人
■調理員1人
【その他】
□侍女(私費)3人
1990年6月P1409)
※結婚の儀のお裾持ちを小櫃美智子女官が担当
1991
H3
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7月30日 吉原修氏、退任(外務省情報調査局情報課長)(1991年8月P3)
8月1日 太田裕造氏、就任(外務省大臣官房総務課企画官)(1991年8月P3)
〓3月31日? 浦部晶夫氏、東宮侍医退任
■4月1日 服部明徳氏、東宮侍医就任(侍医兼任)(東京大学付属病院助手)(1991年4月P3)
■4月1日 瀧島聡氏、常陸宮家宮務官就任(楽部事務長)(1991年4月P3)
■4月1日 宮崎茂氏、高松宮家宮務官就任(宮務課専門官)(1991年4月P3)
1991
H3
3月16 中村賢二郎氏、侍従退任(文部省大臣官房に出向)
3月31日 安楽定信氏、侍従次長退任(皇太后宮大夫専任に)→侍従次長が重田保夫氏のみの体制に
3月31日 石藤守雄氏、侍従退任(文部省大臣官房付)(1991年4月P3)
■4月1日 小林孝男氏、侍従就任(文化庁)(1991年4月P3)
※4月1日 手塚英臣氏(侍従職事務主管)就任(1991年4月P3)
〓7月1日 小林忍氏、卜部亮吾氏、田中直氏、→侍従を依願免職。同日、侍従職・皇太后宮職御用係の辞令P31
※昭和天皇時代の侍従が全て退任
8月? 山中誠氏、侍従退任(外務省経済局国際エネルギー課長)
8月14日? 楠本祐一氏、侍従退任(外務省経済国際エネルギー課長)(1991年8月P15)
■8月15日 平岡邁氏、侍従就任(外務省大臣官房領事移住部邦人保護課長)(1991年8月P15)
〓4月 東園基文氏、掌典長退任(2007/4/12没・享年96歳)
〓3月31日? 浦部晶夫氏、東宮侍医退任
■4月1日 服部明徳氏、侍医就任(東宮侍医兼任)(東京大学付属病院助手)(1991年4月P3)
1991
H3
◆期間不明 侍女長【空席】
※10月23日 眞子さま誕生
1991
H3
1992
H4
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4月27日 千代田区内某ホテルで宮内庁幹部6人が、雅子妃実現に向け秘密会議

・宮内庁長官 藤森昭一氏
・宮内庁次長 宮尾盤氏
・東宮大夫 菅野弘夫氏
・東宮侍従長 山下和夫氏
・宮内庁参与 団藤重光氏
・宮内庁参与 須之部量三氏
※MEMO
賀陽正憲氏(1959年誕生)
・1982年3月 学習院大学卒業(留年などがなかった場合)
・おそらく1982年4月 文具メーカー・コクヨに入社
・時期不明 三井信託銀行入行
・時期不明 宮内庁入省(→外務省出向(賀陽氏が東宮職に就いた時もすぐに外務省に出向した(テーミス2012年9月号)))
・1988年?〜1991年2月 英国留学
1992
H4
7月30日 佐藤和寿氏、侍従退任(自治省)(1992年8月P3)
8月1日 諸橋省明氏、侍従就任(自治省)(1992年8月P3)
1992
H4
1992年? 犬伏紗知子氏就任 1992
H4
1993
H5
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・4月12日 山下和夫東宮侍従長が「納采の儀」で使者として口上を述べる
※結婚により3人から4人に増員
6月4日 入江誠氏、就任(55歳、元コスモ石油東京本社直売課長)
10 11 12
                       
6月1日 高木みどり氏(61)、東宮女官長就任(故・高木進(学習院大学教授(フランス文学))夫人)
6月1日? 木幡清子氏(49)、東宮女官就任(青山学院大学出身。シリア大使を務めた木幡昭七氏(1992年没)の未亡人。夫が小和田恒氏と外務省の同僚だった縁で東宮女官に就任)
・1993年時点の侍医長は小山昭二氏P154

※結婚により兼任だった侍医2人が専任1人に変更
93年 川口政行氏(宮内庁病院の副院長)、東宮侍医就任
・皇太子の結婚により12人人員が増え50人にP154
・雅子さまが嫁がれたことで東宮女官3人、女嬬、雑士などが増員された(雅子妃の新しい皇室づくりP163)
・二人の世話をする東宮職は女官長1人に女官4人。侍従1人事務官1人、運転手1人で合わせて12人が増員され、合わせると50人(週刊文春2013年2月7日号(プリンセス物語))
6月30日 安楽定信氏、皇太后宮大夫退任(1992年9月より病気療養中)
■7月1日 井関英男氏、皇太后宮大夫就任
1993
H5
1993年 千沢治彦氏、侍従就任(1964年学習院大学卒業)
1993年11月 多賀敏行氏、侍従就任(外務省出身)
〓93年 今井賢氏、宮内庁主膳長退官(昭和天皇、天皇、皇太子の3代で食事など担当)
■1993〜1995年 野々山忠致氏、式部副長(外務総括)。(外務省欧亜局大洋州課長などP33)
■1993年 若林寛氏、大膳課主厨長就任(天皇家の食卓 ふしぎの国の和の食)




※5月18日 吹上新御所落成
・12月8日 両陛下、皇居へご移転
1993
H5
1993
H5
・6月9日 皇太子・小和田雅子さん結婚
8月? 太田裕造氏、退任(8月から外務省領事移住部旅券課長に就任)
8月 篠塚保氏、東宮侍従就任(慶応卒。1975年、外務省入省)
6月23日? 中町芙佐子氏(51)、東宮女官就任(寡婦)(臨床心理士(セラピストのキャリア有り)、元家裁調査官)
1994
H6
10 11 12
                       
4月1日 菅野弘夫氏退任(2009/11/2 すい臓がんにより死去、享年86歳)
4月1日 森幸男氏就任(厚生省薬務局長、環境事務次官)
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■1月14日 岡山いち氏、東宮女官就任(学習院出身、1993年頃?、夫と死別。子供二名。2006年頃?、母親が死去(女性セブン2011年2月3日号)(女性セブン(2013年5月30日号))
■6月1日 箱嶋明美氏、東宮女官就任

東宮御所改築・3億800万円

・7月東宮御所改修工事終了
・7月6日 東宮御所設置
1994
H6
鎌倉節氏(宮内庁次長)1994年4月1日〜1996年1月19日 7月1日 富士亮氏、侍従に就任(日本経済新聞縮刷版1994.7.1P6)
12月15日? 富士亮氏(59歳)、退官(1994年12月P723)(2006/3/24?没)
12月16日 百武伸茂氏、侍従就任(建設省出身院、祖父は元侍従長)(1994年12月P723)
〓3月31日 石田善義氏、侍医退任(1994年4月P3) 1994
H6
6月30日? 富士亮氏、退任(退任後、千代田の侍従に就任)
※12月29日 佳子さま誕生
「12月29日 紀子さまの出産について樋口英昭宮務主官と山口弘康宮務官が会見」。山口弘康氏が秋篠宮家の宮務官?
1994
H6
1995
H7
10 11 12
                       
10 11 12
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9月8日 山下和夫氏退任(1996年5月没(5月25日 従三位受勲))
9月8日 古川清氏就任(1957年外務省入省、前アイルランド特命全権大使(1995.09.05願により本官を免ずる))
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1995
H7
渡邉允氏(式部官長)1995年9月8日-1996年12月12日(外務省出身、駐ヨルダン大使、中近東アフリカ局長、儀典長など歴任) 3月31日? 重田保夫氏、(侍従次長として?)退官(2008/8/7没・享年83歳)
4月1日 八木貞二氏、侍従退任→侍従次長就任(1995年3月P1322)
4月1日 佐藤正宏氏、侍従就任(東京銀行ブリュッセル支店)(1995年4月P3)
1995
H7
1995
H7
1996
H8
10 11 12
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1月19日 森幸男氏退任(退任後:1996年1月19日〜2000年3月31日、宮内庁次長就任)
1月19日 古川清氏就任(1957年外務省入省、前東宮侍従長)
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1月19日 古川清氏退任(退任後:東宮大夫就任)
1月16日 曽我剛氏就任(1553年人事院入職、前東宮侍従)
1月16日? 曽我剛氏退任(退任後:東宮侍従長就任)
1996年8月? 篠塚保氏、東宮侍従退任(総合外交政策局軍備管理軍縮課長)
1996年 大嶋英一氏、東宮侍従就任(東京大学理学部卒業後、1978年外務省に入省。1990年 在香港日本国総領事館領事。中国語研修を受けたチャイナ・スクール)
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96年 栗山基朗、東宮侍医就任P154(東大卒、漢方と免疫アレルギー専門) 1月 渡辺誠氏、退職(大膳・勤続26年)(退任後:くらしき作陽大学・食文化学部講師就任)(2003/1/21没) ※8月25〜?日 山本侍従長、一過性脳虚血とみられる症状で入院(1996年8月P1146) 1996
H8
鎌倉節氏(宮内庁長官)1996年1月19日〜2001年4月2日
森幸男氏(宮内庁次長)1996年1月19日〜2000年3月31日

苅田吉夫氏(式部官長)1996年12月12日-2003年7月8日、外務省出身
4月1日 諸橋省明氏、侍従退任(自治省)(1996年4月P38)
■4月1日 小西敦、侍従就任(自治省給与課長補佐)(1996年4月P38)
1996年11月頃? 多賀敏行氏、侍従退任(1996年11月より在イギリス日本大使館参事官就任)
12月12日 山本悟氏、侍従長退任(2006/12/17没・享年81歳)
♪12月12日 渡邉允氏、侍従長就任
長官退任後の1996年1月以降? 藤森昭一氏、参与就任(元宮内庁長官) 1996
H8
1996
H8
1997
H9
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+ + + + + + + + + + + +
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3月31日 樫山和民氏、東宮侍従退任(正倉院事務所長)(1997年4月P3)
4月1日 加地正人氏、就任(警視庁長官官房付き)(就任時期不明だが東宮職事務主管も経験)(1997年4月P3)
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3月31日 川口政行氏、東宮侍医退任
〓3月31日 小山昭二氏、東宮侍医長退任(1997年3月P1258)
4月1日 川口政行氏、東宮侍医長就任P154
■4月1日 新啓一郎氏、東宮侍医就任P154(高血圧、循環器科専門)(1997年4月P3)
東宮御所改築・5億8000万円
・1992年10月3日の鴨場デートにワゴン車を運転して皇太子を送り届けた内舎人、1997年11月に出版した本の中で「つい先日亡くなった」との記述(「昭和天皇に魅せられて 天皇番記者の秘話」1997年11月25日初版/P263)
1997
H9
■4月1日 大西洋平氏、侍医就任(米国ミシガン大学医学部研究員)(1997年4月P3)
※97年 堤氏、非常勤医として宮内庁病院に勤務(噂の真相2001年6月号)
1997
H9
1997年? 犬伏紗知子氏退任
1997年 飯島蘭子氏就任
1997
H9
1998
H10
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1998年? 大嶋英一氏、東宮侍従退任(1998年 外務省大臣官房国内広報課長。国連代表部公使、フィリピン首席公使兼マニラ総領事、在大韓民国日本国大使館公使、など)
1998年 水谷章氏、就任(外務省・在ドイツ大使館(一等書記官)など)
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1998
H10
4月1日 百武伸茂氏、侍従退任(式部副長)(1998年4月P2) 〓3月31日 中島宝城氏、式部副長辞職(宮内庁退官)(S34宮内庁入庁、式部副長、皇太子の立太子の礼・結婚式の儀を総括担当)(退官後、宮内庁歌会始委員会参与就任)(1998年4月P2) 1998
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1999
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・曽我氏、1999年末頃から病気がちとなって入退院を繰り返す
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3月 中町芙佐子東宮女官、退任
■6月7日 安東博子氏、東宮女官就任
※99年の雅子さまの懐妊のときは坂元教授をリーダーとして計5人の医師団を結成(坂元教授、東京女子医大、愛育病院から選んだ精鋭ぞろい。女医2人は雅子さまの強い希望によるもの)に掲載された2001.5.19週刊現代の記事)
・岡井崇氏(主治医(愛育病院の産婦人科部長・東大助教授))
・川口東宮侍医長
・堤治教授
・坂元御用係
・超音波診断担当、安達知子(東京女子医大助教授)
(週刊文春2013年5月16日号 プリンセス物語)
■4月1日 板倉幸治氏、三笠宮家宮務官就任(1999年4月P7) 1999
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森憲二氏(侍医長)1999年4月1日〜2001年4月1日(東大医学部教授、森鴎外家当主)(兼任は持たず侍医長に専任) 3月31日 八木貞二氏、侍従次長退任(退官)(2009/12/7没・享年81歳)1999年月P)
4月1日 石藤守雄氏、侍従次長就任
■4月1日 川村紀夫氏、侍医就任(東京大学付属病院助手)(1999年4月P7)
※5月 堤氏、非常勤医として宮内庁病院に復帰(堤氏は、坂元氏が以前つくった雅子さまの不妊治療チームの中心人物だったが、皇太子が「自分たちで計画的にやります」と断ったためチームは解散し、当時非常勤医だった堤氏も辞任した(P56・噂の真相2001年6月号))

■99年 宮田拓矢氏、大膳課に所属(女性自身 2015年7月11日)
1999
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■時期不明 大膳課の宮田拓矢氏が一時的に秋篠宮家の調理を担当(女性自身 2015年7月11日)(宮田拓矢氏 1999年、宮内庁大膳課/2001年、帝国ホテル内“東京三田倶楽部”副料理長) 1999
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2000
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・10月はじめ 曽我氏の結核感染判明
3月31? 加地正人氏、退任(4月1日 岐阜県警本部長就任)(2000年4月P2)
4月1日 堀江振一郎氏、就任(昭和53年に文部省入省)(日本経済新聞縮刷版2000.4.1P4)
2000年? 水谷章氏、退任(外務省 領事移住部邦人保護課長)
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・6月16日 香淳皇后、崩御 2000
H12
湯浅利夫氏(宮内庁次長)2000年4月1日〜2001年4月2日・外務省出身 4月1日 水野豊氏 侍従就任(文部省出身、文化庁文化部長)(日本経済新聞縮刷版2000.4.1P4)
■就任退任時期不明 侍従・坂本秀之氏(※「正倉院・開封の儀2000/10/6/に「侍従(勅使)」として記述あり)(2012年、外務省・フランクフルト総領事就任の坂本秀之氏と同一人物?)
4月 中島敏次郎氏(最高裁判事)、参与就任
4月 大西勝也氏(最高裁判事)参与就任
6月 平岩外四氏(日本経団連名誉会長、元東京電力会長)参与就任
■就任時期不明 掌典長・本多康忠氏(P329・7/27)
2000
H12
2000
H12
2001
H13
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
・12月1日 古川清東宮大夫、賜剣の儀・落として踏む事件
10 11 12
                   
3月31日 曽我剛氏、宮内庁を退職(2001/9/25、食道ガンのため死去(享年71歳、9月25日 従三位受勲))
■3月31日〜11月2日 【空席】入江誠氏(東宮侍従)が東宮侍従長事務代理
11日2日 林田英樹氏就任(1966年文部省入省・前国立科学博物館長(2001.03.31定年退職)・59歳)
1月 野本勲氏、就任(週刊女性2012/8/14号)
・元東京電力企画部長(週刊現代2012年2月25日号)
・定年退職後に就任
・2011年1月時点で71歳、雅子さまとの関係が良好らしい(週刊新潮2011.01.27号)
10 11 12
                       
3月1日 堤治氏(東大教授)、東宮御用掛就任
・雅子さま出産の医師団は堤氏を中心に専門医7人が加わり、川口東宮侍医長ら約10人の規模になる見通し。数人の看護婦も予定されている(雅子妃の新しい皇室づくりP45)
・堤治教授
・定月みゆき氏
・超音波診断担当、岡井崇氏(昭和大教授)
・小児科、五十嵐隆氏(東大教授)
・麻酔担当、花岡一雄(東大教授)

12月 中川直美氏、東宮に派遣(皇太子夫妻の健康管理と愛子さまの保育看護スタッフ、宮内庁東宮職看護師長として派遣。福井赤十字病院勤務)
■10月半ば 中町芙佐子氏、森幸男氏、東宮職御用係りに就任(着帯の儀式で皇太子夫妻の代拝を勤めるため) ※2001年6月30日 香淳皇后一周年祭が終了したため皇太后宮職が廃止される

東宮御所(愛子さまの部屋)改築・3000万円
・10月26日 雅子さまの「着帯式(賢所皇霊殿・着帯奉告の儀」」に森幸男元東宮大夫、中町芙佐子元東宮女官が参加
・12月1日 愛子さま誕生
2001
H13
中村雄二氏(侍医長)2001年4月1日〜2004年4月1日
湯浅利夫氏(宮内庁長官)2001年4月2日〜2005年4月1日・外務省出身
羽毛田信吾氏(宮内庁次長)2001年4月2日〜2005年4月1日
■4月1日 小山永樹氏、侍従就任(日本経済新聞縮刷版2001.4.1P3)(※「正倉院・閉封の儀2002/11/28に「侍従(勅使)」として記述あり) ※3月末 坂元正一東大名誉教授(産婦人科)が御用掛を辞任
■4月1日 真島浩聡氏、侍医就任(日本経済新聞縮刷版2001.4.1P3)
7月16日 定月みゆき博士(42歳)、宮内庁病院産婦人科医長の辞令(雅子さま出産時の担当医)
■時期不明(おそらく1999年〜2001年の間) 岡弘文氏、総務課長就任(警察庁長官官房給与厚生課長)
2001
H13
※10月から秋篠宮さまの地方での公務に宮内庁病院の医師一人が同行 2001
H13
2002
H14
10 11 12
+ + + +                
5月1日 古川清氏、退任
5月1日 林田英樹氏就任(1966年文部省入省、前東宮侍従長)就任
10 11 12
              + + +
5月1日 林田英樹氏、退任(退任後:東宮大夫就任)
■5月1日〜10月11日 【空席】入江誠氏(東宮侍従)が東宮侍従長事務代理(5ヶ月)
10月11日 小林秀明氏就任(1968年外務省入省、国際連合日本政府代表部 特命全権大使、前儀典長)
10 11 12
                       
□愛子さま誕生後に看護師4人が公費で置かれ(誕生時のみの措置?)、その後、看護師2人が増員(1人は中川さん?)
※明けて2002年、東宮職では侍医が2人から3人、看護士が2人から4人に増員された(週刊文春(ザ・プリンセス雅子妃物語)(2013/06/20)より抜粋)
→2008年時点での東宮の看護師は4人とのこと

■就任時期不明 中村嘉宏氏(小児循環器専門)→この人?(愛子さま誕生後に小児科医1人を追加)
7月1日 川口政行東宮侍医長(70歳)辞職
7月1日 小西富夫氏(東大卒、大森赤十字病院副院長兼外科部長・62歳)、東宮侍医長に就任
2002
H14
2002年3月31日? 水野豊氏 侍従退任(4月1日,新居浜工業高等専門学校長)



2002年 福田直行氏、侍従就任(旧日本興業銀行)
■4月 金澤一郎氏、宮内庁皇室医務主管就任(東京大学医学部卒業、専門は脳科学分野)
■2002年 井関英男氏 掌典長就任
■2002〜2004年 梅津至氏、式部副長(外務総括)。(朝鮮半島エネルギー開発機構などP33)
2002
H14
■2002年頃? 調理員A氏就任?(2012年4月退職。10年ほど勤めた) 2002
H14
2003
H15
10 11 12
                       
・時期不明 林田東宮大夫、雅子さまに「(愛子さまの教育には)『ABC』より、まず『いろは』を」と進言してご不興事件(真偽不明)
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
※2003年 堀江振一郎氏、東宮職事務主管担当
2003年5月頃? 須賀正広氏、東宮侍従就任?「6月2日:外務省国際社会協力部人権人道課企画官須賀正広氏が異動され〜」
12月21日 愛子さまを担当するため侍従1人の増員が承認される
10 11 12
                       
7月8日 高木みどり氏、東宮女官長退任
7月8日 木幡清子氏、東宮女官長就任
6月堤氏、宮内庁御用掛を辞職
・堤教授は「雅子さまは妊娠中もタバコを辞めなかったんだ」などと周囲にもらしていたという(テーミス2004年7月号)
〓2003年?6月 今井紘子氏、東宮女嬬退官(今井賢氏の妻) ・6月10日湯浅長官「(東宮家に)もう一人ほしい」発言
・12月 雅子さま静養開始
2003
H15
川島裕氏(式部官長)2003年7月8日-2007年6月15日外務省出身、元駐韓国特命全権公使、事務次官、田中真紀子外務大臣との省内騒動を受けて辞任) 3月31日 石藤守雄氏、侍従次長退任?
〓☆4月1日 手塚英臣氏、侍従退任→侍従次長就任(2003年3月P1586)
■就任退任時期不明 侍従・宮下孝之氏(※「正倉院・閉封の儀2003/11/28に「侍従(勅使)」として記述あり)(外務省国内広報課長・宮下孝之と同一人物?)
2003年 高橋恒雄氏、主厨長就任(1965年、宮内庁入庁)
〓9月1日 岡弘文氏、総務課長退任
9月2日 高橋美佐男氏、総務課長就任(警視庁暴力団対策第一課長)
2003
H15
2003
H15
2004
H16
10 11 12
                       
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
※4月に定員4人から5人に増員(入江氏、須賀氏、堀江氏、野本氏、7月に吉野氏が就任で5人?)
7月12日 吉野隆之氏(43歳・厚生労働省)、愛子さま担当東宮侍従に就任
10 11 12
                       
□6月以降 大野裕・慶応大保健管理センター教授が雅子さまの治療を担当(礼子氏の夫、池田祐久氏の紹介)(※2009年4月21日の第171回国会・決算行政監視委員会で風岡氏が「大野医師は、皇太子妃の担当医師として、東宮側が委託をするという形で、東宮職の他の医師とともに治療に当たっている。特に公的な肩書を持ってということではない。必要な経費については公費をもって負担をしている」と発言) 6月 福迫美樹子氏が愛子さま養育係(仕人(つこうど)/出仕/内閣府事務官)に就任
・田園調布双葉、聖心女子大学出身
・田園調布双葉幼稚園教諭(美智子皇后と雅子妃 平民妃十年の苦闘P136)
【メモ】2004年頃? 奥山眞紀子氏(小児精神保健医)が、愛子さま担当として参殿していた→ある出来事からお声がかかることはなくなったが、2014年でもご進講はしている云々(週刊文春2014/10/30)→その後東宮職から記事への抗議
・6月11日 林田東宮大夫、皇太子ご夫妻の相談相手を外部から招く方針を明らかにした。皇太子さまが「気軽に相談できる人を」と希望したという(一流のお友達募集事件)
11月19日 江頭寿々子氏死去
2004
H16
濱本松子氏(女官長)「2004年3月31日〜2013年3月31日(学習院大卒。1990年に宮内庁侍従職御用掛就任。1992年に女官就任。2013年時点に70歳。木戸孝允の血筋(週刊新潮2013年4月11日号))
大城秀巳氏(侍医長)2004年4月1日〜2009年12月1日
10月16日 定月みゆき宮内庁病院産婦人科医長(45)、辞任(→国立国際医療センターに異動)
■10月16日? 高江健太郎氏(34)、宮内庁病院産婦人科医長就任(公立昭和病院産婦人科医長)
2004
H16
※2004年 赤木攻氏、秋篠宮さまの学術顧問に就任(タイ政治・社会論専門。1999年、大阪外国語大学学長に就任) 2004
H16
2005
H17
10 11 12
                       
10 11 12
+ + + + + + + +        
9月6日 小林秀明氏退任(59歳)(退任後:2006年9月外務省・大臣官房付→2005年11月在タイ日本国大使館 特命全権大使就任)
9月6日末綱隆氏就任(1974年警察庁入庁、警視庁副総監)
10 11 12
                       
3月10日 楠田恵美氏、東宮女官就任(上智大学英語学科卒、エール大学留学経験有り)
2005
H17
2005年4月1日 羽毛田信吾氏、宮内庁長官就任
2005年4月1日 風岡典之氏、宮内庁次長就任(元国土交通事務次官)
2005年3月 手塚英臣氏、侍従次長退任
〓☆4月1日 千沢治彦氏、侍従退任→侍従次長就任(日本経済新聞縮刷版2005.3.29E2)
■就任退任時期不明 侍従・本間和義氏(※「正倉院・開封の儀2005/10/4に「侍従(勅使)」として記述あり(1993年に旧自治省に採用。地方公務員災害補償基金訟務課長などを経て、2012年からさいたま市審議監を務めている。2013年時点で43歳)
2月28日 藤森昭一氏、参与退任
6月2日 湯浅利夫氏(69歳、前宮内庁長官)、参与就任
2005年6月時点の参与(4人)
・中島敏次郎 ・平岩外四氏
・湯浅利夫氏 ・大西勝也両氏
2005
H17
2005
H17
2006
H18
10 11 12
      + + + + + + + + +
4月6日 林田英樹氏、退任(依願免本官)(退職後:2006年7月 国立新美術館長就任)
4月6日 野村一成氏、就任(1963年外務省入省、前駐ロシア大使。1999年時点で長男は在中国大使館の外交官)
10 11 12
                       
・6月 堀江振一郎氏、報道担当から外れる
9月5日? 須賀正広氏、退任(退職後:外務官房付)
9月5日 大森茂氏、就任(外務省国内広報課勤務)(須賀氏の後任)
10 11 12
                       
オランダ旅行同行者(旅行命令簿より)(※東京新聞06年8月18日朝刊によると随員は計11人)

【ファーストクラス利用】
 東宮侍従長・末綱隆氏
 東宮侍従・野本勲氏
 東宮侍医・中村嘉宏氏
 東宮女官・箱嶋明美氏
 出仕・福迫美樹子氏
【ビジネスクラス利用】
 内閣府事務官・川上泰男氏
 東宮内舎人・平山学氏
 東宮女嬬・小山内さち子氏
 看護師・中川直美氏
【?】
 医師・大野氏
 ヘアードレッサー・水尻美雪氏
■就任時期不明 平山学氏(東宮内舎人)
■就任時期不明 小山内さち子氏(東宮女嬬)
■就任時期不明 川上泰男氏(内閣府事務官(宮内庁の一般事務職の肩書き)
・3月28日 学習院院長・田島義博氏(75歳、2002年就任)在任中に死去(以降、6月まで空席)
・2006年 中島平三氏、学習院初等科長就任(学習院大学文学部教授兼任)
・4月11日 愛子さま、学習院幼稚園入園
・6月1日 波多野敬雄氏(元国連大使)、学習院院長就任
・8月 東宮一家オランダ静養
・7月 富田メモ騒動(日本経済新聞)
9月24日 江頭豊氏死去
2006
H18
〓9月20日 山本広行氏、侍従退任(外務省へ出向(外務事務官(大臣官房儀典総括官)))
9月20日 川上恭一郎氏、侍従就任(外務省ロシア課課長補佐(野村一成氏の元部下?)
就任時期不明 侍従・田島研介氏(おそらく保険会社(皇室ウイークリー273))(※「正倉院・開封の儀2006/10/4」に「侍従(勅使)」として記述あり)(2012年9月の岐阜行幸啓に随行)
3月31日 中島敏次郎氏(80)、参与退任
3月31日 大西勝也氏(77)、参与退任
4月1日 栗山尚一氏(74)、参与就任
・外務省出身、元事務次官
・2006年12月?、外交フォーラムに「和解−日本外交の課題」を寄稿(小泉首相の靖国神社参拝中止を求めた論文)
★4月1日 三谷太一郎氏(69)、参与就任
・東大名誉教授(日本近代史)
・日韓両国による「日韓歴史共同研究委員会」の日本側座長

5月31日 平岩外四氏(91)、参与退任(後任はおかない)
8月16日 高橋美佐男氏、総務課長退任(宮城県警本部長)
8月17日 沖田芳樹氏、総務課長就任(香川県警本部長)
2006
H18
就任時期不明 5月の時点で宮務官・徳丸久衛氏が在任(2005年2月は鹿児島県環境保護課長)

□悠仁さまをお世話する専任看護士1人(宮内庁職員として採用)
□悠仁さまをお世話する専任看護師2人(宮内庁の公費)
※9月6日 悠仁さま誕生
□犬伏紗知子氏(元侍女長)、悠仁さま誕生後に、非常勤として勤務
【正規職員9人(公務員)】
★宮務官1人(環境省から出向)
◆侍女長1人
■事務官?人(侍女長補1人、事務担当の主査3人)
■運転技官2人
■調理員1人
【その他】
□私的職員2〜3人
□悠仁さま付きの看護士3人(うち1人が宮内庁職員として採用されたが、2006度中は欠員枠を使ったため、定員にはカウントされない)
(中央公論2006年11月号)
2006
H18
2007
H19
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
10 11 12
                       
1月18日? 堀江振一郎氏、退任(退職後:文部科学省へ出向)
1月18日 坂根工博氏、就任(国土交通事務官)(堀江氏の後任)
5月1日? 入江誠氏、退職(依願免職)
■5月1日 中村久之氏、就任(中村旧男爵家の出身。故橋本元首相夫人・久美子氏の甥)(入江氏の後任)(音楽会や山岳関連などプライベート部分が担当(週刊現代2012年2月25日号))
10 11 12
                       
9月10日 楠田恵美氏、東宮女官退任(春頃から体調をくずしていたため)
3月26日 筒井美奈氏、「東宮職内廷係員(愛子さま養育係)(出仕)」就任(1999年、芦屋大学教育学部・英語英文学教育科を卒業。同大・教育学研究科博士後期課程に進学(博士号の取得は不明)。東大寺龍松院院主・筒井寛昭師のお嬢さん) 2007
H19
原口幸市氏(式部官長)2007年6月15日-2009年10月4日
外務省出身
・日朝国交正常化交渉担当大使として、拉致問題で北朝鮮側との交渉役を務めた
6月15日 渡邉允氏、侍従長退任
6月15日 川島裕氏、侍従長就任
侍従職御用掛就任(侍従長退任後の2007年6月以降就任?・退任時期不明) 渡辺允氏 2007
H19
□2007年4月 運転技官1人増員?(文春2007.9.13によると増員されたらしいので)
12月31日 飯島蘭子氏、退任
・身体をこわし、仕事は年度末までとする診断書提出
・退任後、千代田の女官に就任
【正規職員12人(公務員)】
・秋篠宮家付の職員は、悠仁さまが生まれ、看護師や運転手が増員された今でも12人(週刊文春2007.9.13)
2007
H19
2008
H20
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
10 11 12
                       
7月25日? 吉野隆之氏(東宮職事務主管)、退任(退職後:厚生労働省)
7月25日 原口真氏、就任(東宮職事務主管)(前厚生労働省事務官)(吉野氏の後任←愛子さま担当侍従も引継ぎ?)
※7月25日 坂根工博氏、東宮職事務主管、担当
10 11 12
                       
4月1日 小山久子氏、愛子さまの養育専門の東宮女官として就任(同年4/1付けで学習院幼稚園園長職を定年退職)
4月3日 福迫美樹子氏が愛子さま養育係を退職
■7月 天野尚子氏(26歳)、愛子さま養育係(出仕)に就任(学習院経済学部卒業、愛子さまの音楽の先生?)
〓2008年 T氏、那須御用邸勤務に移動(宮務課から(東宮職の?)総務課を経て2008年那須御用邸所長、2010年御料牧場庶務課長)(2002年12月の豪州訪問に随行)
・4月 愛子さま学習院初等科入学
・10月30日ヤフオク祭
2008
H20
4月1日 千沢治彦氏、侍従次長退任
4月1日 佐藤正宏氏、侍従退任→侍従次長就任
4月1日 沖田芳樹氏、侍従就任(視庁警備1課長、香川県警本部長、科学技術事務次官・伊原義徳氏の甥)
4月1日 福田直行氏、侍従退任→宮内庁式部職就任
■4月1日 下均氏、侍従就任(59歳、前職・京都事務所長)
※2008年4月 「侍従」には、侍従長、侍従次長と、7人の侍従がいる(皇室ウイークリー22)→計9人?
1月1日 飯島蘭子氏、女官就任
3月31日 飯島蘭子氏、女官退任
3月 高橋恒雄氏、主厨長退任(65歳で定年退職)
2008年3月31日? 沖田芳樹氏、総務課長退任
2008年4月1日? 坪田眞明氏、総務課長就任(奈良県警本部長)
(■2008年4月1日? 岡弘文氏、審議官就任(国際警察センター所長))
2008
H20
◆1月1〜31日 侍女長【空席】?
2月1日 大内映子氏、就任
8月1日 宮務官・徳丸久衛、退任(環境省へ出向)
8月1日 中島慶二氏(内閣府環境技官)、宮務官就任
※1月のインドネシア訪問に沼田恭子氏(宮内庁宮務課嘱託・元大使夫人)随行←秋篠宮家付きの職員?
※2月18日 大内映子氏、皇太子夫妻に就任の挨拶(皇室ウイークリー16)

【その他】
□私的職員?人(侍女2人(私費))
(アエラ2008年2月25日号)
2008
H20
2009
H21
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
10 11 12
                       
3月31日 末綱隆氏退任(退任後:警察庁長官官房付警視監、定年退職(60歳))→2009年4月21日ルクセンブルク駐箚特命全権大使に任命
3月31日 加地正人氏就任(1977年警察庁入庁、皇宮警察本部長・55歳)
7月31日 大森茂氏、退任(退職後は、外務省に戻りラオスの公使に就任?(2010年にはラオスで公使をしていた模様)
7月31日 岩間公典氏、就任(86年外務省入省。63年生まれ。雅子さまの一年先輩。ジュネーブに赴任経験あり、ベルリンの壁崩壊当時はベルリン勤務)
10 11 12
                       
東宮御所改築・10億円
・2009年? 三浦芳雄氏(前職・副科長)、学習院初等科長就任

※12月15日 陛下が習近平国家副主席と会見
2009
H21
10月4日 原口幸市氏(宮内庁式部官長)、死去
・糸魚川市の雨飾山で(宮内庁職員らでつくる登山同好会「千代田山岳会」のメンバーとともに)登山中に死亡(正午ごろ昼食を取った後、突然あおむけに倒れ、心肺停止状態)
肥塚隆氏(式部副長)、式部官長事務代理就任(2009年10月8日-2009年10月20日)(外務省、2007年4月 宮内庁式部官式部副長就任、2010年9月 在オランダ特命全権大使就任)
河村武和氏(式部官長)2009年10月20日〜2012年8月31日(外務省出身、2004年時点で62歳、1977〜1979年N.Y.国連代表部、2001年頃?NY総領事)
2009年12月1日 市倉隆氏、侍医長就任
7月30日 川上恭一郎、侍従退任(依願免職)
7月31日 菊田豊氏、侍従就任(48歳、外務省出身)
〓5月? 井関英男氏、掌典長退任
5月 手塚英臣氏、掌典長就任(元掌典次長。元侍従次長)
2009
H21
6月30日 大内映子氏退任(家庭の介護のこともあり退職を願い出た)
7月1日 池上礼子氏就任
・2009年3月に40年の役所勤めを終了
・着任後わずか1週間余で欠勤

以降、侍女長が【実質空席】の状態が1年以上つづく
□■2009年 谷みどり氏、経産省に在籍のまま内閣府事務官(宮務主管付)に就任(2009年8月のオランダ訪問に随行?)(他部署との併在辞令を受けた職員3人のうちの1人?)
2009
H21
2010
H22
10 11 12
+ + + + + + + + + + + +
10 11 12
                       
3月31日 坂根工博氏(東宮職事務主管)、依願免職(退職後:国土交通省 大臣官房 地方課長?)

4月1日 大谷圭介氏、就任(文科省)
※4月5日 原口真氏、東宮職事務主管、担当
10 11 12
                       
12月27日 小山久子氏、体調不良を理由に東宮女官依願免職(小山氏の退職に伴い養育専任東宮女官のポストを廃止)(2010年夏頃より体調不良で休職(週刊新潮2011.1.13号))
7月以前? 中川直美氏退任(愛子さま担当看護師) ※4月5日 阿部秀明氏(東宮職事務主管補佐)、官官房総務課報道室長に昇任
〓7月 事務主管補佐A氏、東宮職から宮内庁本庁(主計課・課長補佐)に移動(2004年に「事務主管補佐」に就任。2010年4月「事務主管補佐・総括職」に昇格。昭和時代から宮内庁に勤務する50代のベテラン職員)
・3月 愛子さま、学習院初等科不登校(雅子さま付き添い登校)開始
・7月頃 宮内庁職員T氏、自殺(2010年3月頃 御料牧場庶務課長就任、5月頃より体調不良)
2010
H22
3月31日 侍従・樫山和民氏、依願免職
4月1日 清水明氏、侍従就任
〓8月2日 侍従・河野太郎氏、依願免職
8月3日 佐々木克之氏、侍従就任
〓■4月5日 岡弘文氏、審議官退任→書陵部長就任 2010
H22
8月2日 宮務官・中島慶二氏、依願免職
8月3日 小原邦彦氏(内閣府事務官)、宮務官就任
11月末 池上礼子氏、退任
◆就任時期不明 山崎敦子氏、侍女長就任
・昭和天皇、皇太后に仕えた経験から抜擢されたが、激務であるため当初は固辞
・2年で戻す約束
2010
H22
2011
H23
10 11 12
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7月5日 野村一成氏、依願免職(71歳?)(退職後:御用掛)
7月5日 小町恭士氏就任(65歳、1969年外務省入省、前駐オランダ大使など)
10 11 12
                       
9月2日 原口真氏(東宮職事務主管)、依願免職
9月2日 櫛田泰宏氏、就任(国土交通省道路政策企画室長)
※9月8日 大谷圭介氏、東宮職事務主管、担当
※就任時期不明(20011年12月時点) 報道担当・岩間氏
10 11 12
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1月17日 木幡清子氏(67)、本人の希望により東宮女官長を退任
※1月17日〜2015年7月31日 【東宮女官長空席】岡山いち氏(東宮女官)が東宮女官長事務代理
■1月17日 木本彰子氏、東宮女官就任(東京大学文学部西洋史学科卒業。翻訳業。夫(故人)は広中和歌子氏の実弟)
5月16日 糸川順子氏(56歳・東京都の元公立小教諭)、愛子さま学習指導係(御用掛)に就任
7月5日 野村一成氏、東宮家の御用掛に就任
7月20日 筒井美奈氏、退職
■7月21日 霜鳥加奈氏、東宮職出仕に就任(20代。上智大学英文科卒。武蔵野東中学校で2年間勤務)
◎7月の時点で霜鳥氏を含め3人の出仕(20〜30代女性)が愛子さまに仕えている
・7月 堤公長氏披講会会長に就任(S25年誕生、S48年、玉川大学卒業後、宮内庁掌典を拝命)

・9月14〜16日 山中湖付き添い事件
2011
H23
8月11日 池田憲治氏、侍従就任(侍従職事務主管担当)
8月15日 侍従・沖田芳樹氏、依願免職(官房審議官警備局担当)
1月31日 坪田眞明氏、総務課長退任(警察庁に出航)
2月1日 坂井孝行氏、総務課長就任(大分県警本部長)
6月1日 湯浅利夫氏(75、元宮内庁長官)、参与退任
★6月2日 原田明夫氏(71、元検事総長)参与就任
2011
H23
□就任時期不明 松田慶文氏、秋篠宮付御用掛(秋篠宮家の外国交際を任される。悠仁さまの着袴の儀を担当)
〓3月 富士幸子氏(非常勤)、退職(故・富士亮氏夫人。没後の2006年以降に勤務?)
3月31日 宮務官・小原邦彦氏、依願免職
★4月1 坪倉昭氏、宮務官就任
□2011年4月? 運転技官1人増員?(平成23年度概算要求書(宮内庁費))
※10月23日 眞子さま20歳誕生日
□就任時期不明(2011年12月時点) 人手不足のため、他部署との併在辞令を受けた職員を臨時に3人配置
□年末頃 近藤茂夫氏(旧自治省)、御用掛就任
□年末頃 板倉敏和氏(長野県副知事、旧福島藩主板倉家20代目当主)、御用掛就任
【正規職員15人(公務員)】
★宮務官1人
◆侍女長1人
■事務官7人(侍女長補1人含む?)
■運転技官4人(2006年以降に2人増員)
■調理員2人(2006年以降に1人増員)

【その他】
□臨時職員3人(公務員)
□私的職員?人(私費)
□悠仁さま付きの看護士3人(公費)看護士一名は正規職員にカウント?
(週刊新潮2011/08/18、文藝春秋 2012年1月号)
2011
H23
2012
H24
10 11 12
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7月25日 野本勲氏(72歳)退任
■7月26日 池田元一氏、就任(1979年に東京大学工学部大学院・化学工学専攻・修了。同年、東京電力ガス株式会社入社)(妻が正田家の遠縁(らしい)(週刊女性2012/8/14号)
9月30日 岩間公典氏、退任(外務省へ復帰(タイ公使))
■10月1日 木村徹也氏、就任(国連日本政府代表部公使)
10 11 12
                   
3月31日? 小西富夫氏(71)、東宮侍医長退任
●4月1日 井上暁氏、東宮侍医長就任(1980年東京大医学部卒。東大医学部第1外科などを経て、2002年から墨東病院外科部長。58歳)
6月20日 栗山基朗東宮侍医、退任
■10月10日 大庭成喜氏、東宮侍医就任(東大医学部付属病院腎臓・内分泌内科助教)
3月31日 野村一成氏、御用掛退職(2011年12月末予定だったが、2012/3/31まで延長) 2012
H24
※羽毛田氏、残留
※3月30日 宮内庁が風岡次長の定年を一年延長し、2013/3/31までとする人事を発令

6月1日 風岡典之氏(65)、宮内庁長官就任
6月1日 山本信一郎氏(61)、宮内庁次長就任(1973年京大法卒、自治省入省。総務省審議官、内閣府事務次官、2011年9月消防試験研究センター理事長)
小田野展丈氏(式部官長)2012年9月1日〜2014年9月1日(慶大経卒。欧州連合(EU)政府代表部大使、2011年5月から1年間、査察担当大使。岩手県出身)(2014年依願退官)
6月1日 佐藤正宏氏、侍従次長退任(71歳)
6月1日 高橋美佐男氏、侍従次長就任(59歳、前警察大学校長)
7月31日 菊田豊氏、侍従退任(8月1日から外務省)
8月1日 木戸大介ロベルト氏、侍従就任(外務省北米局日米安全保障条約課)
3月31日 栗山尚一(80)、参与退任(元駐米大使)
4月1日 渡辺允(75)、参与就任(元侍従職御用掛)
★4月1日 国松孝次(74)参与就任(元警察庁長官)
※2012年時点で参与が4人
〓6月1日 金澤一郎氏・皇室医務主管(70)退任
■6月1日 名川弘一氏(60)、医務主管就任予定(前労働者健康福祉機構理事長。東大医学部卒・消化器外科専門)
〓5月31日 齊藤哲也氏、侍医退任
■6月1日 内野悠一、侍医就任
〓6月 小櫃美智子氏(83)、侍従職御用掛退任
〓7月31日 野沢宏彰氏、侍医退任
■8月1日 大谷研介氏、侍医就任(焼津市立総合病院外科医長)
2012
H24
□2012年4月? 職員1人増員?(事務官?)(平成24年度概算要求書(宮内庁費))

〓2012年4月末 調理員A氏退職
・10年ほどつかえた料理人。定年までしばらく間があり、中学生くらいの子供がいるが退職。殿下の友人の紹介(週刊文春2012/07/05)
・男性技官、沖縄出身。秋篠宮さまと縁の深い沖縄の重鎮を介して、沖縄の調理師学校から送られた。秋篠宮家の調理員のなかで最も長く勤めた(週刊文春2015/7/9号)

■2012年4月頃? 調理員B氏就任(調理員A氏の後任。女性。長年レストランで懐石料理を担当していた)(週刊文春2015/7/9号)
【職員16人】
・上記に加え長官官房宮務課との掛け持ち3人
・2009年から経産省のキャリア女性官僚が兼務で赴任
・悠仁さまの誕生を受け専属の御用掛が2人に増える、私費で数人の侍女を雇いいれる(週刊新潮2012/5/24)
2012
H24
2013
H25
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3月31日 大谷圭介氏、依願免職(文部科学省へ)
■4月1日 松永賢誕氏、就任(文部科学省生涯学習政策局政策課生涯学習企画官)
※4月1日? 櫛田泰宏氏、東宮職事務主管、担当
10 11 12
                   
※4月30日 箱嶋明美氏、オランダ王室の即位式に雅子さまに付き添い
・3月21日 「東宮家の職員は東宮大夫のほか、定員50人」(正規職員 計51人?)(参議院・内閣委員会、有村治子氏の質疑においての山本信一郎宮内庁次長の答弁)

※2013年度から国家公務員の採用を56%減予定。皇宮警察本部の皇宮護衛官も対象
2013
H25
2013年4月1日 伊東典子氏(70)、女官長就任(国際金融コンサルタント事務所を経て2004年女官就任。2013年4月時点で70歳。大久保利通のひ孫(週刊新潮2013年4月11日号)) 3月31日 田島研介氏、侍従を依願免職
3月31日 清水明氏、侍従を依願免職(文部科学省へ)
4月1日 坂井孝行氏(50歳)、侍従就任(宮内庁官房総務課長)
■4月1日 岩井一郎氏(44歳)、侍従就任(厚生労働省大臣官房付)
※6月14日 河相周夫氏(外務省事務次官(60歳))を川島裕侍従長の後任候補とするとの発表→結局、河相氏は外務省顧問に就任
7月31日 佐々木克之氏、侍従退任(依願免。総務省へ)
■8月1日 西野博之氏、侍従就任(京都市京都創生推進部長)
※2013年4月? 侍従職に両陛下の過去のご活動の記録を整理する「情報管理専門官」が設置されることに(皇室ウイークリー264)
3月31日 坂井孝行氏、宮内庁官房総務課長退任→侍従就任
■4月1日 高橋章子氏、女官(侍従職御用掛)就任
4月1日 牛嶋正人氏、総務課長就任(警察庁警備局外事情報部外事課長)
〓7月1日 石井正紀氏、侍医退任(依願免)
■7月2日 大瀬貴元氏、侍医就任(東大医学部付属病院腎臓・内分泌内科助教)
2013
H25
□2013年4月? 職員1人増員予定(秋篠宮ご夫妻のご公務が増えていることなどから、秋篠宮家の公務スケジュールなどを調整する宮務課の「宮務専門官」が1人増員(皇室ウイークリー264))
※4月 悠仁さま小学校入学
・3月21日 「秋篠宮家の職員は宮務官以下定員16人、ただの職員2人の実員18人」(参議院・内閣委員会、有村治子氏の質疑においての山本信一郎宮内庁次長の答弁)

・8月? 併任3名を含めて職員19名(週刊文春2013/8/8)
2013
H25
2014
H26
10 11 12
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9月19日? 櫛田泰宏氏退任(国土交通省官房参事官(土地市場担当))
■9月20日? 川埜亮氏、就任(国土交通省(土地・建設産業局総務課公共用地室長))(東大法93年建設省)(発令事項:辞職(宮内庁東宮侍従))
※9月20日? 松永賢誕氏、東宮職事務主管、担当
10 11 12
                   
10月15日 糸川順子氏、退任(愛子さま学習指導係(御用掛))
■10月16日 大橋志津江氏(60歳)、御用掛就任(愛子さまの家庭教師役。東京教育大学(現筑波大)卒。元高校教員。就任時は都立青山高校非常勤講師(専門は数学))
※報じられてはいないが(愛子さまには)理科の家庭教師も御用掛としてではなく私的についている(週刊女性2014年11月11日号 )
※4月 愛子さま、学習院女子中等科入学 2014
H26
河相周夫氏(式部官長)2014年9月1日〜2015年4月30日(元外務次官) 2月2日 目黒勝介氏(71歳)、侍従退任(依願退官)
■2月3日 河南健氏、侍従就任(農林水産省畜産振興課飼料需給対策室長)
7月31日 木戸大介ロベルト氏、侍従を依願免(外務省へ)
■8月1日 錦織有史氏、侍従就任(外務省アジア大洋州局南東アジア第1課課長補佐)
2月2日 手塚英臣氏(79歳)、掌典長退任
2月3日 楠本祐一氏(66歳)、掌典長就任(外務省に入省後、国連連合局科学課長を経て1989年7月から2年間、侍従を務め、2002年9月から掌典次長)
□9月から非常勤の医師1人を採用
2014
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□2014年4月? 職員1人増員?(運転技官?)(平成24年度概算要求書(宮内庁費))
〓3月末 宮務官A氏、秋篠宮家の担当から移動(50代。京都出身。早大大学院卒。20代の頃、外務省の派遣員としてロンドン勤務。宮内庁勤務の前は経産省傘下の財団法人で研究員。2011年、秋篠宮家の担当に就任(週刊文春2014/11/27))(→2014/11/8に公然猥褻で逮捕)
※12月29日 佳子さま20歳誕生日
・4月? 現在の職員定数は17人。非常勤や併任で対応してスタッフは約30人。常勤は24、5人(文藝春秋2014年5月1日号)
・非常勤御用掛3人(男性は元国土事務次官と元消防庁長官、女性は元ラオス大使)(文藝春秋2014年5月1日号)
2014
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2015
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10 11 12
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10 11 12
                       
10 11 12
                   
8月1日 西宮幸子氏(58歳)、東宮女官長就任(津田塾大卒、夫は西宮伸一元中国大使(2012年死去))
■就任時期不明 唐橋在倫氏、東宮職御用掛に就任(独協大学法学部卒業後、國學院大学神道学専攻科。唐橋子爵家の子孫)(2015年7月9日に東宮職御用掛として神武天皇山陵に参拝。2014年10月15日に「掌典」として陛下に拝謁しているので、御用掛に就任したのはおそらくその後) 2015
H27
秋元義孝氏(式部官長)2015年5月1日〜年月日(前オーストラリア大使(62才)) 4月30日 川島裕氏(72)、侍従長退任
相周夫式部官長(62)、侍従長就任(一橋大卒。元外務事務次官)
7月23日 坂井孝行氏、侍従退任(依願免 警察庁へ(京都府警本部長(官房付)))
■7月24日 北風幸一氏、侍従就任(文化庁文化活動振興室長)
8月10日 池田憲治氏、侍従退任(依願免、総務省へ)
8月11日 牛嶋正人氏、侍従就任(総務課長から移動)
〓4月1日 三谷太一郎氏(78)、参与退任
★4月1日 竹崎博允氏(70)、参与就任(前最高裁長官)
※2015年時点で参与が5人
※2015年度に侍医を1人増員する予定
8月10日 牛嶋正人氏、総務課長退任(侍従へ移動)
■8月11日 野村護氏、総務課長就任(国家公安委員会会務官)
2015
H27
□2015年4月? 職員1人増員?(事務官?(秋篠宮家の事務体制を強化するため))(平成27年度概算要求書(宮内庁費)) ・7月? 現在、秋篠宮家の職員の定員は18名、他部署との併任職員が3名(週刊文春2015/7/9号) 2015
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西暦 東宮大夫 東宮侍従長 東宮侍従 東宮女官長・女官 東宮侍医、医療関係 東宮その他 備考(その他・メモ) 千代田 千代田(侍従長・侍従) 千代田(その他) 秋篠宮家 秋篠宮家(その他) 西暦