美智子さま、親族について ※敬称略/2013年製作


※続柄は「紀子様から見た場合」です
高祖父母 曽祖父母 祖父母 父母 --- 子供
曽祖伯叔父母 伯叔祖父母 伯叔父母 兄弟姉妹・従兄弟姉妹 甥・姪-----------------------


父方親族



【正田家】
高祖父 文右衛門(3代)(1818年(文政元年)7月2日〜1895年(明治28年)3月26日)(享年78歳)
・館林で誕生
・祖父の業を継ぎ米穀商を営み、その傍らで質屋も家業とした
・明治維新に至り、世の中の変革を見て、明治六年に米穀業を廃して醤油業を始めた
 (正田家の醤油醸造は大正六年十二月会社組織に改め、正田醤油株式会社と称す)
・凶年天災にあたっては窮民に対して私財を投げ打って救済したことは一度や二度のことではない。
ことに、安政の大地震のときは、倉庫にあった米穀を舟に満載させ、急遽、江戸に向かって被災民を救った。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-861.html
高祖母 氏名不明
(次男)
  曽祖父
作次郎(1846年(弘化3年)生〜1871年(明治4年)5月没)(享年26歳)
・横浜で外国米輸入商売をしていた
(伴侶)
  曽祖母
長?幸(1850年(嘉永3年)年生〜1922年(大正11年)4月没)
・長家の長女
・野州足利付近の小生川の長家の長女として生まれた。長家は代々代官をした格式の高い家柄であった。
広大な宅を構え常に名僧、学者、画家、俳人などが食客として出入していた。渡辺崋山なども一時寄食していたことがあった(『正田貞一郎小伝』16頁)
(長男)
  祖父
貞一郎(明治3年(1870年)2月28日〜昭和36年(1961年)11月9日)
・正五位勲三等、旭日中綬章
・館林の叔父(文右衛門(4代)?)が急逝したため、東京高等商業卒業と同時にか秒の醤油業を継いだ(文藝春秋2012/10号)
・明治33年、館林製粉を創業、その後横浜の日清製粉を吸収合併して社名をあらためる
・日清製粉株式会社社長(日清製粉グループ本社の創業者)、東武鉄道株式会社会長、社団法人如水会理事長などを歴任
・貴族院議員
(伴侶)
  祖母
正田きぬ
・正田文右衛門(5代)の長女
・弟?(文右衛門(5代)の次男)の卓治は元オリエンタル酵母会長
 (卓治の次男の宏は正田醤油社長)
(長女) はる(1898年(明治31年)9月生〜?)
(長男) 明一郎(1899年(明治32年)12月生〜1922年(大正11年)3月没)
(次男) 建次郎(1902年(明治35年)2月生〜1977年(昭和52年)3月没)
・群馬県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)出身
・数学者・大阪大学長(6代総長)、武蔵大学長
・従二位勲一等旭日大綬章
(伴侶)
  先妻
平山多美
・正田健次郎の先妻
・天文学者・平山信の次女
・兄(平山信の次男)の平山嵩は建築家
・姉(平山信の長女)の百合は地質学者・鉱物学者で元東京大学教授の坪井誠太郎に嫁す
・妹(平山信の三女)の厚は元東洋製作所社長の佐竹義利に嫁す
・妹(平山信の四女)の千枝は元東京電気保全社長の川上寿一に嫁す
(長男) (1929年(昭和4年)1月13日〜2009年(平成21年)6月1日)
       ・法学者・慶應義塾大学名誉教授
(伴侶) 小池百合子
       ・小池淳之介(元山一証券相談役)の娘
       ・彬との間に2男1女をもうける(実、真、信子)
(長女) 絢子
(伴侶) 川角辰雄
       ・東洋化学
       ・川角五郎(元東洋繊維社長)の息子
(次女) さだ子
(伴侶) 上田隆郎
(伴侶)
  後妻
伊藤禎子
・正田健次郎の後妻
・元九州大学教授・伊藤栄三郎の娘
(次男) 
       ・元ソニーチャイナ董事長(会長)
(伴侶) 博子(姓名不明)
(次女) 勅子(1908年(明治41年)8月生〜)
(伴侶) 水島三一郎(1899年3月21日〜1983年8月3日)
・化学者(専門は構造化学・分子構造・分子科学)
・東京大学名誉教授、日本学士院会員
(長男) 恵一
       ・文教大学元学長
(次男) 昭二
       ・元東京大学教授
(三男) (1933年9月22日〜2008年5月7日))
       ・元参議院議員(自民党)、聖マリアンナ医大名誉教授
       ・息子の水島昇は東京医科歯科大学・教授
       ・娘は政治家の水島広子
(長女) 千恵子
(伴侶) 廣部雅昭
       ・薬学者(薬品代謝化学)
       ・東京大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授
       ・瑞宝中綬章
(次女) 節子
(伴侶) 榊原高之
       ・榊原記念病院院長
(三女) 井澤雅子
(三男)
  父
英三郎(1903年(明治36年)9月生〜1999年(平成11年)6月没)
・昭和2年、東京高等商業卒業
・卒業後、三菱商事に入社
・結婚の直後に日清製粉に入社
・日清製粉名誉会長
(伴侶)
  母
副島冨美子(1909年9月29日〜1988年5月28日)
・副島網雄(中支那振興・常務理事)の長女
・中国の上海(当時は英国租界)で誕生
・1923年(14歳)に帰国。双葉高等女学校に入学
・昭和4年(20歳)に英三郎に嫁す(仲人は児玉謙次)
(長男) 
       ・元日銀幹事
       ・ベルリンで誕生
(伴侶)  濱口淑
・濱口雄彦(雄幸の長男、元東京銀行頭取、元国際電電 (KDD) 会長)の次女
・祖父は元内閣総理大臣の濱口雄幸(正二位、勲一等旭日桐花大綬章)
・叔父(雄幸の二男)は濱口巌根(銀行家・元長期信用銀行会長)
・イトコ(巌根の次女)英子は、古沢義文(元日本輸出入銀行総裁古沢潤一の長男)に嫁す
・叔母(雄幸の三女)の富士は大橋武夫(政治家)に嫁する
(長女) 美智子(1934年10月20日〜)
       ・1959年4月10日、結婚
(伴侶) 明仁親王
(次女) 恵美子
       ・孝之との間に1男1女(美樹、孝史)をもうける
(伴侶) 安西孝之
・昭和エンジニアリングの社長
・元昭和電工社長・安西正夫の長男
・実弟の直之は16代目住友吉左衛門・住友友成の娘と結婚
(次男) 
       ・日清製粉社長
(伴侶)  大原泰子
・元クラレ社長・大原総一郎の次女
・母は侯爵野津鎮之助の次女・真佐子(旧薩摩藩士・侯爵野津道貫の孫娘)
・修との間に2女(純子、悦子)をもうける
・姉の(総一郎の長女)麗子は犬養健の長男・犬養康彦(元内閣総理大臣犬養毅の孫)に嫁す
(三女) 祐子(1910年(明治43年)8月生〜)
(伴侶) 脇村禮次郎(1904〜1988)
・東京商科大学(現在の一橋大学)を経て三菱銀行に入行
・元日魯漁業監査役
・脇村市太郎の次男
・脇村 義太郎(経済学者、東京大学名誉教授)の実弟
(?男) 脇村春夫(東京都文京区・1932年1月15日 -)
       ・第5代日本高等学校野球連盟会長
(?女) 健子
(伴侶) 白井完彦
       ・三菱重工
(四男) 順四郎(1906年(明治39年)4月生〜1945年(昭和20年)5月没)
・1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で死亡
・日本農産工業社長
(伴侶) 郁子(姓名不明)
(?女) 袖木紀子
(四女) 千鶴子(1915年(大正4年)11月生〜)
(五男) 篤五郎(1913年(大正2年)10月生〜没)
・学者・東京大学教授
(伴侶) 公子(姓名不明)
(?男) 晋一郎
       ・東北大学教授
(五女) 和子(1917年(大正6年)7月生〜)


母方親族



【副島家】肥前国多久郷(現佐賀県多久市)
高祖父 五郎左衛門(1819?〜1876年没(享年57歳))
・安政四年に板屋町の酒場屋敷を買い入れている
・家臣団の中でも下級の「御歩行」ではあったが、酒造をなし、また多額の献金なし得るほど経済的には相当の成長をなしていたのである
高祖母 氏名不明
(?男)実父?
  曽祖父
哲吾
・戊辰戦争では会津城攻めに加わっている
・明治10年前後には炭礦経営にあたっている
(伴侶)実母?
  曽祖母
氏名不明
(長男) 呉郎
・東京銀行小樽?支店長
(伴侶)
  祖母
ふみ
(次男)
  祖父
網雄(1880〜1941年11月27日(享年61歳))
・分家の副島富五郎に養子入り?
・大阪高等商業学校卒
・卒業後、半田棉行(綿花商)入社。上海に渡る
・1916年、江商(現・兼松)が上海支店を出すにあたり支店長として引き抜かれる
・1923年に帰国。東京に居を構える
・元江商常務取締役
・元中支那振興会社常任理事
・1941年11月27日21:45、淀橋区戸塚にて死去(「新聞に見る人物大事典」毎日新聞社)
(伴侶)
  祖母
アヤ(姓名不明)
・佐賀県鹿島出身
(長女)
  母
冨美子(1909年9月29日〜1988年5月28日)
・6人兄弟の二番目
(伴侶)
  父
正田英三郎
(?女) 氏名不明
(伴侶) 松田博彦
・東銀ニューヨーク支店勤務など
(?男) 呉郎
・冨美子の実弟
・元東京銀行監査役
(?男)養父?
  曽祖父
富五郎(1851?〜?(明治2年時点で18歳))
・哲吾の弟
・明治4年に石炭採掘の申請
(伴侶) ミス
 
---- 五郎助(1825?〜?(明治2年時点で44歳))
・五郎左衛門の弟
・分家して酒屋を営んでいたと言われる


【参考・正田家】
http://oriharu.net/gabana_n/keizu/keizu-list.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/kmy22jp/32797258.html
正田英三郎氏インタビュー
 http://file.mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/55521022.jpg
 http://file.mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/55226fb2.jpg(該当部分掲載)

【参考・副島家】
・http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1337484919917.jpg
多久市史 : 人物編 /多久市史編さん委員会/編 多久市 2008に副島綱雄氏などの記述があるっぽい
・「副島家文書」、副島俊彦氏旧蔵。現在多久市立図書館へ寄贈。多久市立図書館刊『副島家資料目録』
・https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/13687/1/p195.pdf
 近世初期以来五郎左衛門、五郎兵衛を通称としてきた家であることが分る。
 但し多久家の家臣団の中での位置は必ずしも明らかではない。
・文藝春秋 2012年10月号
594 名前: 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2013/05/19(日) 00:48:07.33 ID:5jFQCjB80
文藝春秋2012/10号借りてきました。
副島家(美智子さま母方)の資料は少ないので
関係ありそうなとこだけ抜粋します

「美智子さま母から受け継いだ改革精神」(敬称略)
文藝春秋2012/10号 P372〜/石井妙子
・副島家は福島県多久市の出身
・多久は佐賀藩にとって支藩以下の小さな「領」で多久家によって統治された
・佐賀本藩からは非常にきびしく貢租米をとりたてられた
 そのため多久の士族は非常に貧しく耕作や商売をして糊口をしのがなければならなかった
 副島家も酒造業を営んでいる
・戊辰戦争では綱雄(正田冨美子の実父)の父、副島哲吾も会津城攻めに加わっている
・綱雄は明治14年生まれ、大阪高等商業学校卒
・大阪高商を卒業後、半田棉行に入社し、上海に渡った
・江商が上海支店を出すにあたって、大正五年、(綱雄が)支店長として引き抜かれる
・江商に綱雄を紹介したのは横浜正金銀行上海支店長であった児玉謙次
 ・児玉は高等商業学校の出身で、正田貞一郎の一年後輩にあたり、正田家とも親しかった
 ・正田英三郎と副島冨美子結婚のさいの仲人
・綱雄は上海のイギリス租界に佐賀県鹿島の出身である妻のアヤと子供たちとともに暮らした
・副島家の六人兄弟の二番目に生まれた長女が冨美子
・日本の物資を統括する機関として国策に沿って中支那振興会社が立ち上げられた
 その総裁に児玉謙次が就任、綱雄も常任理事となり再び上海へと赴任する
 しかし、過労から健康を害し、昭和16年60歳で亡くなった
・副島家には他にも満州やブラジルに新天地を求めて渡った人がおり
 商社や銀行に勤める傾向が見られる
・冨美子の弟の呉郎は元東京銀行監査役

(おまけ)
・綱雄とほぼ同世代で東京高商を卒業後、三井物産に入社し、上海紡織代表取締役となった
 黒田慶太郎は、綿花を扱う商社マンで綱雄にとってはライバルであり、よく見知った関係で
 あったと思われる。実際、黒田と綱雄の子供達は上海で同じ小学校に通っている。
・この黒田慶太郎の孫が紀宮の結婚相手の黒田慶樹

1. 副島家の記述が「美智子さまと皇族たち」にあるらしく
19 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/09/04(金) 13:53:21
河原敏明『美智子さまと皇族たち』から転載

副島家系図

五郎右衛門(1653没)―(七代略)―銀助(1857没)―| ―五郎(1876没)―哲郎(1889没)
(始祖 多久藩士)          (ここまでが藩士)

―俊雄((1960没)――俊彦(1980没)
              (元市議会議長)
20 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2009/09/04(金) 13:58:31
河原敏明『美智子さまと皇族たち』から転載

副島家系図

銀助の子、富五郎が本家から分家し、本家の五郎の子を養子に迎えた。その養子が
美智子皇后の母堂・正田富美子さんの父である副島綱雄氏。
     ↑
ということで佐賀藩の中の多久領というところに仕えていた武士だそうです。
同じ地域に同じ姓というのは副島に限らず北九州だったら古賀(こが)
久我(くが、こが)とか有名だね。大昔に九州に移住してきた同じ豪族の血筋
だったりするけど、たまに渡ってきたチョンが名乗ってることもあるようだ。

2. ↑を図表化すると多分↓になるのですが、これだと誕生年などいろいろおかしいので

〔副島家系図〕 『美智子さまと皇族たち』河原敏明

(始祖) (ここまでが藩士↓) .
五郎右衛門――(七代略)――
(多久藩士)
(1653没)
銀助――
(藩士)
(1857没)


五郎――
(1876没)


哲郎―――
(1889没)
俊雄――――――
(元市議会議長)
(1960没)
俊彦
(1980没)

綱雄
┃養子
富五郎

3. 他の情報などを加えて整理修正すると多分↓こんな感じ

〔副島家系図〕

(始祖) (銀助まで藩士↓) .
五郎右衛門――(七代略)――
(多久藩士)※
(1653没)
銀助――
(藩士)
(1857没)



五郎左衛門―――
五郎
(藩士?酒造?)
(1819?-1876没)



哲吾――――――
哲郎
(藩士?→炭鉱?)
(1889没)



俊雄―――――――
(元市議会議長)
(1960没)
俊彦
(1980没)


五郎助
(酒屋)
(1825?-?没)





富五郎━━━━━
(1851?-?没)


綱雄―――――――
(1880-1941没)
┛養子
富美子―――美智子
(1909-1988没)

※慶長5年(1600年)に廃され、多久藩は鍋島藩内の多久邑となった