小和田雅子氏、独身時代の動向 1962年〜1993年6月

年齢は1月1日時点のもの

ソビエト連邦 / 米国 / 英国在住
入学 / 転校・編入 / 卒業 / 中退・終了*
(*修士号取得できなかったため修了ではなく、終了と表記することとする)
仕事に関する事項
お楽しみ
旅行・宿泊を伴うイベント
マスコミ取材・記事
皇族との接触

■メモ
※=カレンダーには反映させないメモ

=「よみうり報知写真館」の写真と説明文により出席と判断されたもの
「美智子さま雅子さま 涙の日、深まる絆」渡辺みどり著
【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。「敬宮愛子さまご誕生-宮中見聞記」椎谷哲夫著
「雅子妃の新しい皇室づくり」松崎敏弥著
:朝日新聞縮刷版
:週刊文春(ザ・プリンセス雅子妃物語)
  2012年6月14日号より開始された友納尚子氏の連載
  これまで報道されてたことと異なる点(今までの報道の否定)が多く真偽は不明
・学歴の日付は「人間皇太子さま 雅子さまとのちょっと気になる話
 (松崎敏弥著)」より


・・・・・【その他・備考など】・・・・・
上記以外の項目の出来事、ソースが不明瞭な情報
徳仁親王(皇太子・浩宮)動向
 皇室アルバム<皇太子さまの365日>(1991年2月23日〜8月31日)
 皇室アルバム<皇太子さまの365日>(1991年9月1日〜1992年2月23日)
皇太子(浩宮)外遊・旅行
皇族の動向
×皇族の外遊・旅行
川嶋家関係の動向
 http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1352626205333.jpg

小和田恒氏・職歴
江頭豊氏・職歴
小和田家関係の動向

小和田家親族
 父方祖父母:小和田毅夫、小和田静
 母方祖父母:江頭豊、江頭寿々子

 小和田恒(1932年9月18日)
 小和田優美子(1938年1月30日)(旧姓:江頭)
 小和田礼子・節子(1966年7月8日)


資料「”お妃候補”の10年史」(1982年3月〜1992年2月)

【小和田家と交流がある人物】
 □エドウィン・オールドファザー・ライシャワー氏
  1960〜1966年 駐日アメリカ特命全権大使
  1973〜1980年10月 ハーバード大学講師・日本研究所所長
  (帰国後、ハーバードに戻ってから、教授、大学院生、学部生に対する
   日本研究奨学金制度の設立に尽力。
   これは、その資金の90%を日本の財界よりの援助によって実現
  1980年 小和田恒氏と「日米関係研究センター」設立
  1990年9月1日 死去

 □小川東洲氏
  ・小和田家と親交が深い書家。
  ・ハーバード大学客員教授、ライデン大学客員教授(オランダ)
  ・小和田恒とともに「財団法人 美術文化振興協会」の理事に名を連ねてもいる
  ・1992年春、NYや日本のテレビ局からエズラ・ボーゲル教授
   (雅子さんが卒業論文を相談)との対談を収録を申し入れられる
   (実現したかは不明)(北海道新聞2008年2月9日 夕刊)

 □アンドルー・ゴードン氏
  デューク大学教授を経て、1995年以降ハーヴァード大学歴史学教授。
  1998-2004年、同大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所所長。
  現在、同大学歴史学部長。皇太子・小和田雅子さんの結婚式にも出席

【小和田雅子さんを皇太子妃に推したと言われる人物】
 □中川融氏
  元駐ソ大使(駐ソ大使時代、小和田恒氏が秘書官を務めた)
  雅子さんの存在を宮内庁に推薦
   (「美智子さま雅子さま愛子さま」松崎敏彌、P82)
  浩宮の英国留学で主席随員を務め、三週間のアメリカ旅行にも同行 
  ・文藝春秋1993年3月号

 □柳谷謙介氏
  元外務省事務次官、JICA総裁
  皇太子とのデートに自宅を提供したり、雅子さんを説得した人物。
  1992年10月の新浜鴨場での極秘デートにも同席

 □山下和夫氏
  東宮侍従長(1989年〜1995年)、1996年5月死去
  1927年外務省入省。モロッコ大使、前アルゼンチン特命全権大使など
  1992年10月の新浜鴨場での極秘デート(プロポーズ)に立ち会う

 □領之部量三氏、東宮職参与(元外務省事務次官)
  外務省OB、韓国大使などを歴任

 □団藤重光氏、東宮職参与(元最高裁判事) 
「(江頭氏は)すくなくとも結果的に(水俣病の)被害者達のために役立ちこそすれ恨まれる筋合いはないのです。この考えは私は終始、ずっと主張し通してきました」(週刊朝日1993/1/29号に談話を掲載(皇太子妃とマスメディアP77より抜粋))


【小和田雅子さん入内に反対したと言われる人物】
 □富田朝彦氏、元宮内庁長官(1978年5月26日〜1988年6月14日)
 □藤森昭一氏、元宮内庁長官(1988年6月14日〜1996年1月18日)
・水俣病の公害病認定(S43年)当時、厚生省公害部庶務課長
・その後環境庁の企画調整局長や事務次官を歴任
・水俣病問題の経緯を知り尽くした人物であり水俣病発生に江頭氏がまったく関与していないことはよく知っていたP130

 ※年齢は1月1日時点のもの
1962年(昭和37年)
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
 
1963年(昭和38年)
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
12月9日 東京・虎ノ門病院にて誕生(本籍地は新潟県村上市本町)
 
1964年(昭和39年) 雅子さん0歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※12月9日 1歳誕生日
 
1965年(昭和40年) 雅子さん1歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
□8月 ソビエト連邦・モスクワに引越し(家政婦・井上道子さんも同行)
※12月9日 2歳誕生日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
5月 江頭豊氏、日本興行銀行退職。新日本窒素肥料叶齧アに就任
10月7日 小和田恒(30)と江頭優美子(24)結婚(ホテルオークラ)(媒酌人は初代フランス大使西村熊雄・とよ夫妻)(世田谷区桜上水の外務省官舎に入居?)
※小和田夫妻の結婚間もない頃 石黒絢子氏が官舎を訪問。優美子さんは風邪で臥せっており、小和田氏がかいがいしく看病していたP101
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1963〜1988年 小和田氏、東大非常勤講師就任(ただし在外勤務中を除く)

※1963年 熊本大学が「水俣病の原因はメチル水銀化合物で,これは水俣湾内の貝や新日本窒素工場の汚泥から抽出された」と公式発表
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
5月 江頭豊氏、日本窒素肥料叶齧ア取締役に就任
※9月 井上道子さん(16)が家政婦として小和田家に入る
12月1日 江頭豊氏、日本窒素肥料且謦役社長に就任(参考:皇太子妃・雅子を生んだ小和田家の犯罪のルーツを徹底追跡
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
8月 小和田氏、在ソ連大使館一等書記官就任(ソ連モスクワ)
※1965年 新日本窒素肥料梶ィチッソ鰍ノ改称
4月13日 浩宮、学習院幼稚園入園
11月1日 浩宮、着袴の儀
11月30日 礼宮ご誕生
1966年(昭和41年) 雅子さん2歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
7月頃 優美子氏の出産のため、一時的にジュネーブに移動
□9月 モスクワ市立保育園(ジェツキサート1127)入園
※12月9日 3歳誕生日
1967年(昭和42年) 雅子さん3歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
1月 モスクワにてスキーデビュー
※11月 満3歳、七五三をやったかどうかは不明
※12月9日 4歳誕生日
12月 日本大使館でのクリスマス会に出席
1968年(昭和43年) 雅子さん4歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
□5月 アメリカ・ニューヨーク市リバデールのヘンリーハドソン・パークウェイに引越し(皇太子妃雅子さまP114)
□9月 N.Y.市立第81キンダガーデン入園(担任フィーリス・タンドリス氏P108)
※12月9日 5歳誕生日
入園4ヵ月後に初英語「May_I_go_to_the_bathroom?」
※ニューヨーク時代 日本人学校の補習に通っていたP107
1969年(昭和44年) 雅子さん5歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
1969年 ニューヨーク郊外のモホンク湖でピクニック
□6月 キングガーデン卒園
7月 グランドキャニオン観光
7月 米国・ディズニーランド旅行
□9月 N.Y.市立第81パブリックスクール入学
※5歳頃、ピアノを習い始める(中学で辞める)/ゲレンデデビュー(スキー)
※12月9日 6歳誕生日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
6月頃 小和田氏が一ヶ月半のジュネーブ出張。ジュネーブについてから、出産のため優美子氏を呼び寄せる(モスクワでの出産に不安を感じたため)
7月8日 礼子・節子誕生(スイス・ジュネーブ私立病院)
出産後しらばらく(3週間)、優美子氏と礼子・節子はベルンの大使公邸でお世話になることに。小和田氏と雅子さんだけモスクワに戻り井上道子さんと3人での生活をおくる
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
5月 小和田氏、 国連政府代表部一等書記官就任(米国ニューヨーク)

※1968年9月26日、厚生省は、熊本における水俣病は新日本窒素肥料水俣工場のアセトアルデヒド製造工程で副生されたメチル水銀化合物が原因であると発表した(政府がチッソと水俣病の因果関係を公式に認める
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4月8日 浩宮、学習院初等科に入学
9月11日 川嶋紀子さん、誕生(静岡済生会総合病院、2850g)
×5月9〜31日 皇太子夫妻(当時)、ペルー・アルゼンチン・ブラジル訪問(ご名代)(アメリカ合衆国立ち寄り)
9月 川嶋氏、ペンシルベニア大大学院留学(米国フィラデルフィアに一家で引越し)
7歳 浩宮、フィギュアスケートを始める(大学生の頃まで。その後スピードスケートに転向。稲田悦子氏指導)
11月14日 皇居、新宮殿落成式 4月18日 紀宮ご誕生
4月14日 浩宮、国賓と始めて会う
9月 川嶋紀子さん、ローズモンド・トゥリニティー・スクールに通園
1970年(昭和45年) 雅子さん6歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
4月中旬 van_cortland_parkで乗馬
7月 スイス旅行(レマン湖)
※12月9日 7歳誕生日
12月 米国バーモント州キリントンにてスキー
1971年(昭和46年) 雅子さん7歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
□2〜3月頃 アメリカから帰国(新宿区の官舎に入居)
※帰国後?に新潟に墓参り(1993年の23年前に墓参りをしたらしい)
※2〜3月頃 田園調布雙葉学園小学校の編入学試験不合格
□3月 目黒区立原町小学校1年に編入
□4月 新宿区立富久小学校2年に編入(担任・中坪静子氏P110)
※1971年 和田育子氏(美智子さまの双葉幼稚園時代の先生)の幼児教育の個人塾(四ツ谷)に雅子さん入塾。公立校から田園調布双葉への編入試験にそなえて週に1日2時間マンツーマン授業(美智子皇后と雅子妃・平民妃十年の苦闘P138)(週刊文春2012年7月19日号)
5月21日 川崎市向丘遊園?に遠足
※11月 満7歳、七五三をやったかどうかは不明
※12月9日 8歳誕生日(神社?前にて(キャプは七五三になってるが、「皇太子と雅子さん(P74)」などでは誕生日として紹介されているとのこと))
1972年(昭和47年) 雅子さん8歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※双葉学園転入前? 制服をつくるために一般人宅で採寸(2012年7月26日号)
3月27日 江頭寿々子氏と新幹線で関西旅行奈良公園など)
4月 田園調布雙葉小学校3年に編入
※春頃 江頭豊氏宅にて同居開始(目黒区)
7月 ゴルフデビュー(軽井沢)
11月26日 砧緑地児童サイクリングコース
※12月9日 9歳誕生日
時期不明(子供、ちびっ子という言葉が何度か出てくる) 福田赳夫氏の次男・横手氏一家(横手香代子さん、弟二人)と小和田家で毎年冬になると1〜2週間、苗場でスキー
1973年(昭和48年) 雅子さん9歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
2月 同級生の誕生会に出席
5月 遠足
※4年生 友人と散歩中に怪我した小鳥をみつけ、友人と二人で朝まで看病。看病の甲斐なく死亡してしまい「ひどいじゃないの、どうして!」と泣き崩れた(軽井沢の小和田家別荘にて)
夏 浅間山(鬼押出し)
※11月 ピアノの発表会
※12月9日 10歳誕生日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
10月10日 小和田毅夫氏、高田市教育委員長・教育委員を退任
※11月28日 チッソ滑博蜻拷。総会はわずか5分で閉会
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1971年 欧亜局大洋州課長就任
※2月 家政婦の井上道子さんが帰国とともに離職し、新潟に帰郷2012年7月19日号)
3月(1年間) 外務大臣秘書官事務取扱就任(週刊現代1993/2/6)→帰国することとなる 
・1971/7/5〜1972/7/9福田赳夫外相
※1970年より、小泉純一郎氏が福田赳夫の書生を務めていた(1972年12月、衆議院当選)

時期不明 西欧二課長就任
7月27日 江頭豊氏、チッソ社長を退任し、会長に就任
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1月7日 江頭豊氏が会長を勤めるチッソ鰍ェ暴力団を雇い患者や支援者を襲撃させた五井事件を起こすユージン・スミス氏が片目失明、脊椎骨折の重傷を負う
1972年 外務省国際連合局政治課長就任
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4月 礼子さんがカトリック派にて洗礼(洗礼名・マドレーヌ)(節子さんも?(洗礼名・マリー))←カトリックに入信してるのは節子さんのみという説もあり、真偽は不明
5月30日 江頭豊、チッソ会長を退任し、相談役に就任
×2月19〜28日 皇太子夫妻(当時)、マレーシア・シンガポール訪問(マレーシアはご名代)
9月 川嶋紀子さん、セントメリー幼稚園に通園
×6月3〜12日 皇太子夫妻(当時)、アフガニスタン訪問(ご名代)(イラン,タイ立ち寄り)
8月8日 浩宮、沼津での合宿で集団食中毒
9月 川嶋紀子さん、フィラデルフィア市立リー・スクール入学
×9月27日〜10月14日 両陛下(昭和天皇)ベルギー・英国・ドイツ連邦共和国訪問(アメリカ合衆国,デンマーク,フランス,オランダ,スイス立ち寄り)
10月23日 須崎御用邸完成
3月25日 浩宮、学習院初等科を卒業
4月8日 浩宮、学習院中等科に入学
×5月6〜23日 皇太子夫妻(当時)、オーストラリア・ニュージーランド訪問
6月 川嶋家、帰国。紀子さん、静岡市立中田小学校一年に編入
7月26日 川嶋舟さん、誕生
9月 川嶋紀子さん、新宿区立早稲田小学校一年に編入
×10月11〜22日 皇太子夫妻(当時)、スペイン訪問(アメリカ合衆国,ベルギー立ち寄り)
1974年(昭和49年) 雅子さん10歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※5年生 手芸部に所属
※5年生 体育の先生の愛犬の子(雑種)をもらい「プッチー」と名づけた
※12月9日 11歳誕生日
12月31日 草津スキー場
1975年(昭和50年) 雅子さん11歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※6年生 近くのクラブでテニスを習う
5月 林間学校(ハエをお尻に敷いて「押し虫」にした)
夏 鎌倉見学
夏 新潟・赤倉に家族旅行
※6年生の夏休み ハツカネズミ3匹が漬物の樽のなかでネズミ算(約50匹)繁殖。その後、樽をかじって脱走事件
9月 朝日小学生新聞にて懸賞の自転車が当選
10月 修学旅行(一泊)(静岡・登呂遺跡、伊豆山荘)
・AM4:30まで起きていた
※11月14日 生物部で「コジュウケイ」の剥製製作(先生が翼を切り落としてしまい失敗)
※12月9日 12歳誕生日
1976年(昭和51年) 雅子さん12歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※6年生 生物部に所属(将来は獣医になりたいと卒業文集に記した)
□3月 田園調布雙葉学園小学校卒業
※6年生の謝恩会で腰元役
□4月 田園調布雙葉学園中学校入学
7月 家族で白馬岳登山

※12月9日 13歳誕生日
※中学時代は読売巨人軍・多摩川グランド(お弁当持参で練習見学)が近かったこともあり高田繁選手のファンとなった
雅子さんが中学の頃、福田赳夫元総理の孫達(越智隆雄さんなど)と一緒にスキー(週刊新潮)
1977年(昭和52年) 雅子さん13歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
中学2年 関西旅行(ツアーコンダクターに「急病人が出た」と言って部屋に呼び出し閉じ込めるといった悪戯をする)
・学校の文化教室(京都2泊3日)、消灯後に缶詰、パン、マヨネーズなどをひろげ”宴会”
※中学2年 学校と掛け合ってソフトボール部を作る(この記事では、中学1年でサークルのような形でソフトボール部創立。中学2年のときに部に昇格(2012年8月9日号))
※中学2年 大洋ファンになる
※12月9日 14歳誕生日
※中学2年 学校のスキー合宿に参加P31
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1974年 外務省条約局条約課長就任
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
12月〜1978年12月 福田赳夫内閣総理大臣秘書官として出向(秘書官には他に福田康夫、保田博、棚橋祐治ら)
1976年 小和田毅夫・静夫妻、東京に移住(調布市の小和田氏の弟宅(2012年8月9日号))
※1976年 チッソ鰍フ吉岡喜一元社長(江頭豊氏の前任者)と西田栄一元工場長を業務上過失致死傷害罪で起訴
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※12月、ユージン・スミス氏、脳溢血で死去(59歳)
8月16〜30日 浩宮、オーストラリア旅行 ×2月20〜28日 皇太子夫妻(当時)、ネパール訪問(ネパール国王陛下戴冠式ご参列)(バングラデシュ,インド立ち寄り)
3月24日 浩宮、学習院中等科を卒業
4月7日 浩宮、学習院高等科に入学
4月 川嶋紀子さん、豊島区立目白小学校三年に編入
7月17日 皇太子夫妻(当時)、ひめゆりの塔事件(沖縄県糸満市)
×9月30日〜10月14日 両陛下(昭和天皇)アメリカ合衆国訪問
4月 川嶋紀子さん、学習院初等科四年に編入
×6月8日〜25日 皇太子夫妻(当時)、ヨルダン・ユーゴスラビア・英国訪問(ヨルダン,ユーゴスラビアはご名代)(タイ立ち寄り)
8月7〜18日 浩宮ベルギー・スペイン旅行
11月10日 天皇在位50年式典
1976年ごろ 浩宮、日本オラトリオ連盟の故浜田徳昭氏指導でビオラの勉強を始めるP250
8月 川嶋氏、国際応用システム解析研究所主任研究員に就任。一家でウィーンに引越し。紀子さん、アメリカン・インターナショナル・スクール・イン・ヴィエンナ六年に編入
1978年(昭和53年) 雅子さん14歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
夏休み 雙葉学園「宗教合宿」(ホスチア事件)
※中学3年 正式にソフトボール部になる
中学3年 世田谷区のソフトボール大会で優勝(優勝カップにジュースを注ぎ回し飲み)
※10月 文化祭(出し物はお化け屋敷)(2012年8月30日号)
※12月9日 15歳誕生日


※時期不明 写生大会中(多摩川土手)に巨人軍の練習を見に行った
1979年(昭和54年) 雅子さん15歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※正月 小和田氏が渡米の意志を娘達に伝える(2012年8月30日号)
2月 上越でスキー教室(2012年8月30日号)
3月 田園調布雙葉学園中学校卒業
4月 田園調布雙葉学園高校入学
高校1年 学校主催の高原教室(日光)
高校1年 ソフト部の夏合宿で、部員と口論になり一人で帰宅
※ハイスクール時代に体育でテニスを選択
※時期不明 米国引越しにともない愛犬プッチーを親戚の家に預ける
※7月11日 教室での送別会(ドイツ語でハイネの詩を朗読)
※7月12日? 合唱コンクールで雅子さんのクラスが特別賞(課題曲「ともしびを手に高く」自由曲「流浪の民」(2012年8月30日号))
□7月14日 アメリカ・マサチューセッツ州ベルモント市へ引越し
※7月14日 姉妹3人で?サンフランシスコ総領事公邸を訪問
7月? 成田空港からサンフランシスコとワシントンに観光で立ち寄り2012年9月6日号では9月になってるが、たぶん7月の間違い)
□9月 マサチューセッツ州立ベルモントハイスクール編入(2年に編入(ベルモントは4年制らしいので日本の高校2年=11年生と表記すべきと思われる)(ソフトボール部数学クラブ所属)
※12月9日 16歳誕生日
※12月 自宅でパーティ
1980年(昭和55年) 雅子さん16歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
1980年代初期? スイス・ツェルマットにて撮影された小和田家三姉妹
16歳 アメリカ・ロッキー山脈を旅行
8月 双子とヨセミテ国立公園
※12月9日 17歳誕生日
※時期不明(ベルモントハイスクール時代) ドイツ総領事賞など受賞
※高校(12年生)から大学1年にかけて講談社がアメリカで編集製作していた「エンサイクロペディア・オブ・ジャパン(英語版日本百科事典)」の編集を手伝う(編集責任者・板坂元・創価女子短大教授

時期不明 雅子さんがハーバード大学へのアーリィ・ディシィジョン(一種の推薦入学)を受け、リチャード・パパントニィス氏(ベルモント・ハイスクール教師)が推薦状を書いた(GAKKEN_ROYAL_MAGAZINE/皇室アルバムVol.10/特集 皇太子殿下・小和田雅子さんご成婚間近)
1981年(昭和56年) 雅子さん17歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
6月 ベルモントハイスクール卒業
※7月? 小和田氏がモスクワに赴任(単身、寮生活となる)
8月 ハイスクール卒業旅行(スイス・チューリッヒ)
□9月 ハーバード大学経済学部入学(国際経済学専攻、学生評議会の広報担当P119)(心身障害児の運動指導、フランス語のサークル、日本文化クラブ*1などに在籍)
時期不明 セイヤーハウス入寮
7月? 小和田氏のソ連赴任にともない引越しした家族とともにモスクワに行き、ひとりカナダ経由でボストンに戻り、迎えにきてくれた友人親子の家で数日をすごす2012年9月6日号)
10月 小川東洲ハーバード大客員教授(書家)の部屋で開かれたコンパに参加
※12月9日 18歳誕生日
12月 ハーバード大恩師オールドマン夫妻とクリスマスを過ごす
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
7月4日 福田首相主催の宇佐美さん(宇佐美毅元宮内庁長官?1953年12月16日〜1978年5月26日)の送別会に小和田氏出席(入江侍従長、富田宮内庁長官などが出席)(入江侍従日記5巻P364、397)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1979年 在米大使館公使就任
1979〜1981年  米国ハーバード大学法学部客員教授就任(国際法)(週刊現代1993/2/6では1979年7月から一年間)(1973年頃から招聘をうけていた(1993年2月6日号)
※時期不明(この頃?) 「小和田氏は、ライシャワー氏など(小川東洲氏も?)と協力し、ハーバード大学で書道などの日本文化を実技と共に教えたことがある」と横浜にある眼科の公式ブログ


※7月 新しい家政婦の皆川薫さん(23歳)が小和田家の米国赴任に同行2012年9月6日号)
1979〜1981 ライシャワー氏と小和田家はたいへん親しく付き合っていたとのこと(ハル・ライシャワー夫人インタビュー記事)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1980年 ライシャワー教授、マックドゥーガル准教授、小和田客員教授らによる日本政治研究(衆議院選挙の結果を分析)のジョイント・セミナー(複数教員による共同授業)
※1980年 日米関係研究の重要性にかんがみ、ライシャワー氏と小和田氏により「日米関係研究センター」設立(初代所長・エズラ・ボーゲル教授)
※1980年 ライシャワー氏、ハーバード大学定年退職
1980年 ブッシュ氏が小和田夫妻をケネンバンクポートの別荘に招待。対日政策と対アジア政策についてのレクチャーを依頼(レーガン政権の副大統領候補になったとき)(皇太子妃雅子さまP126)
「あまり知られていないことですが、「小和田雅子さんが皇太子様のお妃にふさわしいのでは」という話題は、ライシャワー邸周辺*1では80年代初めから語られていたそうです」とのブログ記述あり(ブログ・山崎淑子マリーカダン日記)(真偽不明)
*1 ライシャワー邸と小和田一家の住宅は近所にあったようである
1980年 小和田毅夫氏、新潟市泉性寺にある先祖の墓碑の台座を補修
※渡米から1年3ヶ月ほどで皆川薫さんは帰国2012年9月6日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
7月〜1984年 在ソ連特命全権公使就任(モスクワ)雅子さんを残し、一家で引越し
※小川東洲氏はボストンでは雅子さんの寮と道一本隔てた向かいに住んでいた

*1 大学1年のときに日本文化クラブ(ジャパニーズ・カルチャー・ソサエティー)創立。
1年のときに書記を担当、2年で副会長、3年のときには会長を勤める。
活動は、ライシャワー氏などの著名人を招いての講演会、浮世絵や能の紹介、黒澤明監督作品などの映画上映、習字・折り紙の紹介、日本食の試食会、ダンスパーティーなど日本文化を紹介するイベントを企画
3月 浩宮、学習院高等科を卒業
4月8日 浩宮、学習院大学文学部史学科に入学(音楽部に入部)
×6月12〜27日 皇太子夫妻(当時)、ブラジル・パラグアイ訪問(日本人ブラジル移住70周年記念式典ご参列)(アメリカ合衆国立ち寄り)
8月5日 浩宮、式典ではじめてお言葉を述べる
川嶋家帰国?
9月 川嶋紀子さん、学習院女子中等科一年に編入
×10月5〜14日 皇太子夫妻(当時)、ルーマニア・ブルガリア訪問(ご名代)(オランダ・ベルギー立ち寄り)
2月23日 浩宮、成年式(加冠の儀)(3日前に記者会見)(皇后美智子さま愛と喜びの御歌P75)
×8月11〜24日 礼宮、ニュージーランド旅行
11月7日 寛仁親王・麻生信子さん、結婚
12月20〜29日 浩宮、タイ旅行
×2月27日〜3月7日 皇太子夫妻(当時)、サウジアラビア・スリランカ訪問(タイ,シンガポール立ち寄り)
×7月26日〜8月2日皇太子夫妻(当時)、英国訪問(英国皇太子、結婚式ご参列)(ご差遣)(ベルギー立ち寄り)
7月29日 「沖縄民謡・舞踊の催し(桃華楽堂)」、沖縄の小中学生が沖縄の民謡を昭和天皇・香淳皇后に披露(昭和天皇をお偲びしてP76)
12月21日 浩宮、卒論「中世瀬戸内海水運の一考察」を提出
1982年(昭和57年) 雅子さん18歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※時期不明(ハーバード大在籍中) 2ヵ月ほどゴードン教授の助手として日本関係の資料研究を手がける
※2〜4年生 別の寮に引越し(ローウェルハウスF41号室)(中国系アメリカ人と、オーウィン・ベーカーさん(医学部生?)と同室)(殿下の愛に守られて・P78)
1年の夏休み ドイツのゲーテ・インスティチュートでドイツ語の特訓(婦人公論1994年7月号P23)(ドイツに二ヶ月滞在(2013年4月11日号))
※12月9日 19歳誕生日
12月中旬 舞踏会出席(当日ギリギリに参加決定)
1983年(昭和58年) 雅子さん19歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
8月 スイス・ツェルマット
※12月9日 20歳誕生日
2年の夏休み モスクワの家族の元を訪れる(家族全員でモスクワからイタリアまで三週間の日程でドライブ)*1
2年の夏休み(1983年夏P256〜) フランスのグルノーブル大学のフランス語夏期講座に参加(「婦人公論」1994年7月号P23)
※時期不明(ハーバード大学在学時の夏休み) 帰国の際に日本国際交流センターでアルバイト(毎日お母様手作りのお弁当で食事をしていた)
※時期不明 大学時代、クリスマス休暇で学寮閉鎖の間、ワシントンで公使をしていた兵藤長雄氏(後にベルギー大使となり、訪問中の皇太子夫妻を案内)の自宅によく泊まっていた
1984年(昭和59年) 雅子さん20歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※6月〜8月? 一時帰国
6月9日 広尾の外務省官舎でホームパーティ
※1984年夏 日本研究所から資金援助を受け卒論製作のため日本で当該分野の専門家にインタビュー(2012年9月20日号)
8月 ソフトボール部を中心とした田園調布雙葉時代の同窓生と食事会
※12月9日 21歳誕生日
1985年(昭和60年) 雅子さん21歳
1月 2月 3月 4月
5月 6月 7月 8月
9月 10月 11月 12月
※3月20日 卒論完成(2012年9月20日号)
6月 ハーバード大学経済学部卒業*1(卒業論文「輸入価格ショックへの外的調整・日本の石油貿易」糠澤和夫・真野輝彦・榊原英資協力)(エズラ・F.ヴォーゲル教授(japanasNo.1の著者)に相談
・卒業式には日本から優美子氏がかけつけた(2012年9月20日号)
※6月 卒業から一週間後に帰国(2012年9月20日号)
・目黒の家は改装中だったため両親と妹が暮らしていた官舎に引越し。「やっぱり日本が一番」とのこと(2012年9月20日号)
*1マグナ・クム・ラウデ受賞
※12月9日 22歳誕生日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1983年 在ソ連特命全権公使就任

*1 「運転が好きだった雅子さまもハンドルを握って(雅子さんが日本での運転免許を取得したのは1987年2月頃)スイス、デンマーク、スウェーデンまで足を伸ばした。(中略)それからというもの夏休みは語学学習のために、ドイツやフランスに滞在して本学的に勉強した(雅子妃の明日・P97)」
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1月27日 外務省条約局長就任(一家で帰国)

※小和田氏が条約局長時代に書いたメモなどが含まれた「核搭載艦船の寄港をめぐる密約関連文書」が意図的に廃棄された可能性があると2010年3月に元条約局長達が参考人質疑(記事全文)←(クリック)
核密約文書後任に引き継ぎ、情報公開法時意図的破棄を示唆 参考人質疑で東郷元条約局長
2010.3.19 12:55

 核持ち込みなどに関する日米間の「密約」問題をめぐり、衆院外務委員会(鈴木宗男委員長)は19日午前、東郷和彦元外務省条約局長ら4人を参考人として呼び、質疑を行った。東郷氏は昭和35年の日米安保条約改定時の核搭載艦船の寄港をめぐる密約関連文書平成11年に5つの赤いファイルに収め、後任の条約局長の谷内正太郎前外務事務次官に引き継いだと証言。その後、「外務省の内情をよく知る人から、(平成13年の)情報公開法施行前に文書が破棄されたという話を聞いた」と語り、外務官僚による意図的破棄があった可能性を示唆した。
 5つのファイルは密約文書58点を収め、16点に最重要を意味する二重丸を付したという。文書のリストを当時北米局長だった藤崎一郎駐米大使に届けたことも明らかにした。
 東郷氏は、外務省有識者委員会が9日に公表した報告書では16点のうち、8点の資料が発見されず未公表となっていると指摘。外務省の文書管理のあり方に苦言を呈した。
 紛失した文書には核搭載艦船の寄港に関する対処方針を献策する小和田恒、丹波實両元条約局長のメモが含まれていたことも明らかにした。
 東郷氏は両メモが非核三原則について(“持ち込ませず”を緩和する)非核二・五原則に収斂し、国民に示すべきだとする中身だったと説明した。その上で、米国が艦船に核兵器を搭載しない政策を今後変更する可能性に触れ、「海上への(核)持ち込みを認めるという非核二・五原則に立つのが最善だ」と語った。
 東郷氏以外の参考人は、昭和62年から2年間、外務省条約局長を務めた斉藤邦彦元外務事務次官、旧大蔵省主計局課長補佐として沖縄返還交渉にかかわった森田一元運輸相、沖縄返還時の米軍基地跡地の原状回復費肩代わり問題をスクープした元毎日新聞記者の西山太吉氏。
 斉藤氏は核持ち込み秘密合意について「何が密約に当たるか、日米に了解の差が存在すると思っていた」と証言した。大平正芳元首相の秘書官を務めた森田氏は大平氏が外相時代の49年に非核三原則の「持ち込ませず」を緩和する二・五原則化を検討していたことを明らかにした。
 森田氏は、沖縄返還に伴う原状回復費肩代わり密約について、大蔵省担当課長補佐当時に外務省から要請を受け了承したと語った。 
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4月 礼子さん、慶應大法学部政治学科入学?
2月19日 浩宮、母校試験管の初バイト
3月20日 浩宮、 学習院大学文学部史学科を卒業(文学士)
4月8日 浩宮、 学習院大学大学院に入学(史学・中世の交通・流通史)
4月10日 川嶋紀子さん、学習院女子高等科入学
7月 皇太子夫妻(当時)沖縄行啓「ひめゆり塔における火炎瓶事件」
10月3日〜18日 浩宮、ブラジル訪問(メキシコ立ち寄り)(初の海外公式訪問)





※1982年に北海道で「深川東洲会」が発足され、アメリカ合衆国のボストン美術学校の教授と、ハーバード大学の客員教授に任命された。(ハーバード大学の講義は小和田氏ライシャワー氏の希望で実現したとのこと(2012年9月20日号))
×3月10〜25日 皇太子夫妻(当時)、ザンビア・タンザニア・ケニア訪問(ご名代)(ルクセンブルグ,ベルギー,タイ立ち寄り)
6月20日 浩宮、英国留学(オックスフォード大学マートンコレッジ)(トム・ホール退役大佐家に寄宿。富士亮東宮侍従、末綱隆警視随行(天皇家の愛と苦悩P29)
10月15日 浩宮、マートン・カレッジ入学
浩宮、英国留学中(1983年6月20〜1985年10月31日)に視察
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
英国
リヒテンシュタイン
スイス
ベルギー
イタリア
フランス(プライベート旅行?(コルマール、メリベル))
オランダ
オーストリア
サンマリノ
バチカン
チェコスロバキア
ハンガリー
ノルウェー(国王の配慮で、英国留学中の浩宮を呼び寄せノルウェー来訪中の皇太子夫妻(当時))と再会)(美人記者スナップ写真事件)
スペイン(スペインのフェリペ皇太子殿下には,私がイギリスに留学中にスペインのマヨルカ島にあるスペインの国王陛下のご別邸にお招きを頂いた折,国王陛下とご一緒に終始温かくおもてなしを頂きました)
ドイツ連邦共和国
アメリカ合衆国(帰国時の旅行?(ブルック・シールズとデート))
×2月25日〜3月8日 皇太子夫妻(当時)、ザイール・セネガル訪問(ご名代)(ベルギー,英国立ち寄り)
×7月28日〜8月12日 紀宮、英国旅行
8月13〜20日 浩宮一時帰国(紀宮さまと一緒に帰国)
9月11日〜? 浩宮がプライベート旅行(フランス・コルマール)、小和田雅子同行説有り(アルザスの恋(9月23日 ベルギー王女の結婚式に出席)
12月6 憲仁親王・鳥取久子さん結婚(高円宮家創設)
12月23日〜?(約10日間) 浩宮がプライベート旅行(フランス・メリベル)、小和田雅子同行説有り
2月22日 誕生日用記者会見で、浩宮が「結婚する相手として(中略)贅沢を避けるという意味において、金銭感覚が自分と同じ人がいいと思います。例えばニューヨークのテファニーに行って、あれやこれや物をこう買うってことではちょっと困ると」と発言
×2月23日〜3月9日皇太子夫妻(当時)、スペイン・アイルランド訪問(ご名代)(ポルトガル,英国立ち寄り)
×2月25日〜3月11日 礼宮、英国旅行
4月 川嶋紀子さん、学習院大文学部心理学科入学
×6月1〜15日皇太子夫妻(当時)、スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・フィンランド訪問(スウェーデン,デンマーク,ノルウェーはご名代)(ノルウェーで、国王の配慮で、英国留学中の浩宮を呼び寄せ再会)(ノルウェー旅行中、浩宮が家庭週刊誌「イエメット」の記者エバ・グロービゲン嬢(24歳)に「スナップを一枚撮っていいですか」と話しかける(天皇家の愛と苦悩P40))
×8月14〜24日 礼宮、タイ旅行
秋 川嶋紀子さん、自然文化研究会に入会
1985年 浩宮、大学内で行われた夕食会でアウンサン・スー・チー氏と対面(→2013年に28年ぶりに再会)
10月10日(3週間) アメリカ訪問(「(留学先から)お帰りの際はアメリカ経由で三週間ほどご旅行なさった」と中川融氏(元駐ソ大使・浩宮留学時の主席随員))(P256〜では9月30日に訪米へと旅立っている)
10月16日 プリンストン大学でブルック・シールズとデート。その後、バイニング婦人を訪問P256〜
10月31日 浩宮、英国留学を終え帰国
12月6日 昭和天皇在位60年の内宴(東宮御所)(卜部侍従日記2巻P275)
12月28日 礼宮と川嶋紀子さんが、三浦半島で初デート(皇太子夫妻(当時)に正式に紹介)
12月 中川融氏、宮内庁関係者からお妃探しの協力を要請される。後に小和田雅子さんを推薦する

1986年1月(昭和61年) 雅子さん22歳
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
正月 京都旅行。久しぶりの京都では洛北の大原にも足を伸ばす(週刊文春2012年9月20日号)
1986年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
1986年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
1986年4月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
4月 東京大学法学部3年に学士入学(100人中3人の合格(人間皇太子さま 雅子さまとのちょっと気になる話P55))
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1日 皇太子夫妻(当時)、訪韓検討の報道(全斗煥大統領の訪日に対しての答礼訪問。昭和天皇の名代。秋頃を予定)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
11日 青年海外協力隊創設20年のお茶会(東宮御所)、皇太子夫妻、浩宮出席(昭和天皇をお偲びしてP197)
17日〜 美智子さま、子宮筋腫のため入院・手術(卜部侍従日記2巻P297)
※25日 皇居の半蔵門内に2発の火炎弾が打ち込まれる(卜部侍従日記2巻P303)
※23日 川嶋紀子さん、祖先の墓前に礼宮さまとの婚約の報告(和歌山県有田郡清水町の修善寺)
※31日 新宿区に停めてあった軽トラックから手製の金属弾が発射され赤坂御用地に落下(卜部侍従日記2巻P305)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4月 浩宮、 学習院大学大学院に復学
1986年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
1986年6月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
6月 外交官試験受験
1986年7月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
1986年8月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
9日 外務省試験終了の打ち上げ
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
5月9日 浩宮、英国チャールズ王太子夫妻を出迎え。翌日、京都案内
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
9日 紀宮、友人5人と東京ディズニーランド(一般の列に並び入場券を購入)(1986年6月)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
20〜27日 浩宮、イギリス訪問(7/23アンドリュー王子、セーラ・ファーガソン嬢の結婚式に参列)
23日 浩宮、キャサリン・ホール嬢(21才・ホール大佐令嬢)をエスコートして舞踏会に出席(1986年7月P1010)
※エレナ女王のパーティの3ヶ月前 中川融氏が正式に雅子さんをお妃候補に推薦(小和田家は知らなかった)(2012年10月18日号)/※中川融氏の手記では、雅子さんを推薦したのは「外交官試験合格が内定」していたころ(試験終了の8月以降?)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
8月 目黒の小和田邸完成(有泉峡夫氏設計)
×8月13〜23日 礼宮、マレーシア・ シンガポール・ タイ旅行
8月 川嶋氏、紀子さん、スイス・オーストリア・ポーランドを旅行
※20日 政府が「美智子さまの健康問題に絡む訪米延期による日程上の都合とのニュアンス」を理由に訪韓延期を正式に発表(1986年8月)
1986年9月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
9月 北陸旅行(岡田直樹氏案内)(京都立ち寄り)
1986年10月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
10月 外交官試験合格(6日 合格通知が届く)
6日 日本経済新聞夕刊「(外交官試験に)父娘2代の小和田さん 合格28人、女性は3人」の記事掲載
※外交官試験に合格した直後 学習院大学で外交官を希望する学生を対象としたセミナーの教師に招かれる
上旬 「FOCUS(1986/10/17号)」用写真撮影(淺岡敬史氏が小和田邸にて数時間かけ144枚撮影)同誌にて浩宮記事掲載(その夜の浩宮―渋谷のハウスレストランでご学友と“グルメ”)
皇太子に見初められる数日前 福島県磐梯高原に一泊二日のグループ旅行(東大の友人たち(男性5人、女性4人))
18日 スペイン・エレナ王女歓迎パーティーに急遽飛び込み参加浩宮と初対面
※19日 「日本国際交流センター」の関係者に、外交官試験合格の報告をかね、挨拶に出かけた(2012年10月18日号)
28日 「日の丸自動車学校(目黒)」に通学開始(卒業検定まで規定の27時間を1〜2時間オーバーしただけで、年末までに卒業)
1986年11月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
2日 江頭夫妻の金婚式のお祝い
11月 日英協会主催のパーティ(英国大使館)に出席し浩宮と顔合わせ(消えたお妃候補たち、2012年10月18日号他)
11月 江頭夫妻の金婚式を一家でお祝い
※11月 友人・村岡ルリ子さんの結婚式で介添え役を務める
時期不明 入省内定でTVインタビュー
※外務省に内定後 茶道を習い始める
1986年12月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
6日 小和田雅子記事「麗しき外交官の“卵”」掲載(毎日新聞夕刊)
9日 23歳誕生日
※?日 原宿の料理店で誕生パーティ
□30日 東宮御所での内輪のお茶会に一家(礼子さん、節子さんも(2012年10月18日号))で招かれる。出席者は外務省関係者や広中氏など学者家族など。皇太子夫妻(当時)・浩宮を囲み約2時間歓談
(大晦日に浩宮が食事に招待。ハーバード大学教授・広中平祐夫妻同席P124←30日の間違い?)
12月〜1988年6月 和食料理教室「イカロスの会」に通う
1986〜1987年? 巨人軍・原田治明氏と六本木バーにて2ショット写真
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
19日 浩宮、柏原芳恵のデビュー7周年リサイタルにバラの花を持参して訪問(厚生年金会館)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
6〜13日 浩宮、ドイツ連邦共和国訪問(ベルリン日独センター開所式臨席)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1987年1月(昭和62年) 雅子さん23歳
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
□1月9日 日英協会主催の新年餅つき大会。浩宮と対面(消えたお妃候補たち、2012年10月18日号他)
1987年2月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
2月 日英協会のパーティーで浩宮と顔合わせ(「消えたお妃候補たち」のみなので真偽不明)
1987年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
※3月 東京大学中退
3月 スキー(新潟・苗場スキー場)
3月 友人と二人でレンタカーで九州旅行(大分・国東半島、熊本・阿蘇、長崎など)(免許取得したて)
(雅子さんは3月に東大法学部を中退し、新潟苗場にスキーにでかけ、帰京してすぐ友人と二人で九州旅行した(2012年10月18日号))
3月 東京大学法学部中退
1987年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
4月1日 外務省入省
※一ヶ月間、外務省の前期研修(研修9:30〜17:45(2012年10月25日号))
4月上旬 日英協会のパーティーで浩宮と顔合わせ(「消えたお妃候補たち」のみなので真偽不明)
※4月下旬 高円宮家の侍従から「お茶会の招待」の電話(侍従ではなく宮務官のあやまり?)(2012年10月25日号)
□25日 高円宮邸でお茶会
・12:20に研修が終わる。その後高円宮家に(訪問時間は不明)(2012年10月25日号)
・高円宮夫妻・浩宮と歓談、夕食(雅子さんの帰宅時間は午前一時を過ぎていたP126)(1993年1月P282)
・当日キャンセルになった夫妻がいた(2012年10月25日号)
・当日はまず雅子さんを高円宮邸に招きそこへ浩宮さまが訪問されるというかたちで設定していたが、雅子さんより一足早く着かれた浩宮さまが雅子さんを出迎えることになった(美智子さまと雅子さまの新皇室づくりP57)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1月23日 外務大臣官房長就任
1987年 江頭・小和田邸(土地)、根抵当権設定(債権者 日本興業銀行、債務者・江頭豊、極度額2000万)→1997年に抹消
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1987年 小和田氏、米国ハーバード大学法学部客員教授(国際法)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
10〜25日 浩宮、ネパール・ブータン訪問(タイ立ち寄り)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1987年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
5月 研修後に経済局国際機関第二課配属・OECD担当P121
※配属の二日目 徹夜で仕事。その後も徹夜は無いが、週に3日は帰宅が午前様になる(週刊文春2012年10月25日号)
□5日 田園調布双葉の友人の結婚式出席
1987年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
6月 外務省研修時代のパーティー(同日?、ヨット船上パーティー)
1987年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
□16日 岩井克己氏に外務省内でインタビューを受ける(お妃候補の件)(週刊文春2012年10月25日号/天皇家の宿題)
1987年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
8日 浩宮とデート(河原敏明「皇太子妃雅子さま」P24のみなので真偽不明)

入省1年目 課内旅行(テニス/ヨット
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
×8月16〜25日 礼宮、タイ旅行
この年、浩宮だけが、恒例の軽井沢旅行を中止P84
1987年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
1987年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
□24日夜(3時間ほど) 東宮御所でお茶会
・浩宮、雅子さん、賀陽正憲氏
・10月に賀陽氏に東宮侍従から招待の電話。賀陽氏と雅子さんと初対面
・賀陽正憲氏手記(1)(2)

※「2012年10月25日号」にて「雅子さんは24日・東宮御所は訪問していない」との記事
1987年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
※87年暮れ 斉藤智子氏(朝日新聞社会部・88年新年に上司から下心を持って親しくなれと指示を受ける)から取材を受ける。
1987年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
※9日 24歳誕生日(皇太子からの花束が東宮事務官を通じて小和田邸に届けられる
※15日8:35 自宅を出て歩いていくと男性(澤田記者)から声をかけられる(お妃候補の件で取材)(2012年10月25日号)
18日 指差し写真撮影事件(FOCUS)
□19日8:40 「名刺を見せなさい」事件(自宅近くでマスコミ4社のカメラマンが、雅子さんの前方に群がり一斉にフラッシュをたいた。「あなたたち、どこの会社なの。名刺を見せなさい」と雅子さんは憤りをあらわにしながら、カメラを避けて 行ったり来たり。前日も某写真週刊誌のカメラマンに写真を撮られ、注意を促したという(日刊スポーツ'87年12月20日))
※雅子さんのお妃候補の記事がでるようになる
□19日 日刊スポーツに、雅子さんお妃候補記事(第1報)
□20日 日刊スポーツに、雅子さんお妃候補記事(第2報)
□21日 週刊女性(1988年1月14日号)に「小和田雅子さん、お妃候補 電撃浮上!」の記事(美智子さまと雅子さまの新皇室づくりP65、2012年10月25日号)←雅子さんの初のお妃候補報道
※23日頃 さる人に「お妃候補のことを前向きに検討するように」→正式に断るのではなく無かったことにしてもらう
12月〜1989年11月 某新聞社の女性記者と16回にわたり、会食(週刊女性1993/6/29)おそらく朝日新聞の斉藤智子氏
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
19〜22日 浩宮、沖縄県訪問(夏季国体)(訪問をめぐり羽田周辺でデモ、京都大学で授業ボイコットなどが起きる(1997年9月P813))
9月22日〜10月7日 昭和天皇入院(開腹外科手術)
87年秋 富田朝彦前宮内庁長官が浩宮と「小和田さんについては殿下に『(お妃候補は)こういう問題が付随しますからね』と申し上げました。殿下は『分かった』と言われてましたよ」という遣り取りをする(週刊朝日1991年3月8日号)
9月〜11月 川嶋紀子さん、「東南アジア青年の舟」に参加。タイ、インドネシアなど六カ国訪問
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
×3〜10日 皇太子夫妻(当時)、アメリカ合衆国訪問(ライシャワー邸に2晩滞在(皇后美智子さま愛と喜びの御歌P111))
24日 「第42回国民体育大会(沖縄)」戦後初の昭和天皇の沖縄行幸啓予定だったが、体調の悪化により皇太子夫妻(当時)が名代として行啓(昭和天皇をお偲びしてP90)「思わざる病となりぬ沖縄をたづねて果たさむつとめありしを」
24〜25日 皇太子夫妻(当時)、沖縄県行啓
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
22〜23日 小和田毅夫・静夫妻と小和田恒・優美子夫妻が村上市の瀬波温泉に宿泊。西真寺の先祖の墓碑に参拝(小和田兵五郎の墓?。小和田氏の家の墓は新潟市泉性寺)。小和田豊春・昭三兄弟の家や郷土資料館を訪れる。翌月、雅子さんが「皇太子妃候補」としてマスコミに取り上げられることになる
3〜6日? 浩宮、西ドイツ訪問
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1988年1月(昭和63年) 雅子さん24歳
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
「FOCUS(1988/1/1・8号)」最強の「浩宮妃候補」登場―東宮に招かれた”女性外交官”記事
1988年2月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29          
2月 深夜1時半まで六本木のパブでカラオケ
5日 「昨年12月のお誕生日に、浩宮からお花が贈られたそうですね」という記者の質問に「そんなこと…ありえません」と発言
9日 「浩宮が小和田雅子さんに誕生日プレゼントした」との報道について「神に誓ってそういうことはありえません」と発言
1988年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
3月 福田赳夫元首相の孫娘横手香代子さんとスキー旅行(札幌国際スキー場)
・小川東洲氏宅(札幌)を拠点にスキー旅行(20〜21日 北海道滝川市・ホテル三浦華園貴賓室使用で二泊)、居合わせた黒柳朝氏が東洲氏に「雅子さまが皇太子妃に決まっていただきたいもの」などと、熱心に話した(黒柳氏は1991年4月に東洲氏の「魔性月光」が大英博物館に収蔵されるときに応援団として一緒に渡英する仲)(北海道新聞2008年2月9日 夕刊、他)
・「2012年11月8日号」では札幌から滝川市に移動し、小川夫妻と合流。ホテル三浦華園に二泊し、富良野でスキー。
「週刊新潮(1988/3/3号)」特集「頂上が見えた」というご発言で絞られる浩宮妃候補記事
※3月から?3ヶ月 外務省後期研修(週刊文春2012年11月1日号)
1988年4月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
4月 伊豆海岸
4月25日 外務省研修所での研修に遅刻。9:30過ぎに駆け込む
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
6日 創価学会が小和田外務省官房長宛に、池田大作会長の香港ならびにアセアン三ヶ国訪問のために便宜を図ってくれと要請する文書を送る
1988年 東大非常勤講師退任
※1998年にロンドンの大英博物館が主催する書展としては、初となる「小川東洲書の芸術展」を4ヶ月間もの間開催
88年はじめ 富田朝彦宮内庁長官が皇太子に「(小和田雅子さんには)チッソの問題が付随しますから。お諦めください」と進言
OECD大使就任が決まってから 宮内庁の侍従から小和田氏に「(小和田夫妻がパリ赴任で)不在中に雅子さんを東宮御所に招待する許可」を求める電話→一ヵ月後に断りの電話(2012年11月1日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1988年2月〜1989年 小和田氏、OECD政府代表部大使就任(フランス・パリ在住)(4月に成田空港での小和田優美子氏・礼子さん・節子さんの写真があるため、小和田氏だけ先に出発?
18日 OECD大使としてパリに赴任する小和田夫妻が東宮御所へ挨拶(途中まで雅子さんも同乗)
1987年12月のすぐ後〜1991年2月 賀陽正憲氏、英国留学
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
3月 小和田氏、パリに赴任(2012年11月1日号)
3月 浩宮、学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了(人文科学修士)
※3月 チッソ鰍フ吉岡元社長と西田元工場長に最高裁で有罪が確定
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4月? 礼子さん、パリ留学・語学学校でフランス語を学ぶ(大学4年にあがるとき、小和田氏がパリに転勤。慶應大学を休学し渡仏)←「2012年11月8日号他」ではソルボンヌ大学留学
※29日 団藤重光東宮参与、須之部量三東宮参与、富田朝彦長官が会談(浩宮妃問題について?)(卜部侍従日記3巻P340)
1988年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
5月 外務省の同僚と尾瀬旅行
※5月頃 料理教室「イカロスの会」講師で、銀座の割烹「晴美」の料理長山田寿男氏を囲んでの記念写真
1988年6月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
□2日 英国留学送別会
※15日 研修終了(2012年11月8日号)
※留学前 イカロスの会(場所は銀座の割烹「晴海」)で雅子さん留学の送別会。山田寿男氏より包丁が贈られる→雅子さんからお礼状とウィスキーが届く(2012年10月18日号、P160)
※留学前 茶道を習っていた平野宋欣氏にムクゲの鉢植えをもって留学のご挨拶(2012年10月18日号)
※留学二週間前 双葉学園の同窓生が送別会を開いてくれる。その席で「イギリス中をサイクリングでまわってみたい」と発言したとのこと(2012年11月8日号)
1988年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
7月1日 渡英(外務省の英国オックスフォード大学院での在外研修(国費留学)に出発。ロンドンの日本大使館付となる)
7月 イギリス留学についての写真誌記事
※ホリウェル・マナー学生寮に入寮(2012年11月8日号)
7〜8月 授業が始まるまでパリの小和田夫妻のもとで過ごす(2012年11月8日号)
1988年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
15日 浩宮、礼宮さま入院中の正田富美子さんをお見舞いP256〜
※28日 正田富美子さん逝去、享年78歳
・28日 20時、危篤の知らせ。同日深夜、美智子さま、礼宮さま、紀宮さま、正田家親族で看取る
・6月4日 葬儀(皇族方も出席(美智子さま、浩宮、礼宮さま、紀宮さま弔問))
・6月10日 宮内庁記者会からの質問(富美子さん逝去について)に礼宮さまが文章で回答
(皇后美智子さま愛と喜びの御歌P99))
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
12日 ショコラ誕生(購入時期不明)
×14〜27日 礼宮、ブラジル訪問(日本人ブラジル移住80周年記念式典ご臨席)(アメリカ合衆国立ち寄り)
雅子さんが留学する直前にしかるべき人を介して「皇太子妃云々はありえません」とはっきり(皇室に?)伝える
→「小和田家ではある宮家を通じて『断った』とも宮内庁のある人に『噂を否定してくれと頼んだとも言われています』」(週刊文春1990/1/11号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
生後一ヶ月のショコラを買い始める(2012年11月8日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
7日 礼宮、英国留学(オックスフォード大学セント・ジョーンズ・カレッジ(動物学))
× 礼宮英国留学中(1988年8月7日〜1990年6月21日)に視察
英国・ベルギー・リヒテンシュタイン(’89年フランツ・ヨーゼフ二世葬儀?)・スイス・ルクセンブルグ・オランダ・ノルウェー・フランスご視察(デンマーク立ち寄り)

×12〜22日 紀宮、スイス・ リヒテンシュタイン旅行
1988年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
9月 英国オックスフォード大学院ベリオール・カレッジ、留学開始
ボート部所属(パンティング(パント船に乗り棹で川底をついて進む川遊び)に夢中になったが、水におちて風邪をひいてしまい半年ほどで退部(小和田雅子さん素顔の29年)(2012年11月8日号))
※「オックスフォード時代には学部長のアダム・ロバーツ教授の研究室で、日本の国防産業や次期支援戦闘機選定問題(FSX問題)について語っていた」(フォーブス93年3月号)
1988年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
1988年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
※一年の冬には体調をくずし長期間授業を休んだこともある(美智子さまから雅子さまへP75) 
11月 皇太子が学んだマートンカレッジ前で記念撮影
1988年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
12月 OECD大使(パリ在住)小和田氏ら家族を訪問。優美子氏と妹(礼子さん?)とルーブル美術館へ
9日 25歳の誕生日を小和田夫妻とパリで迎える(2012年11月8日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1〜9日 礼宮、帰国(帰国日は卜部侍従日記5巻P434、出国日はよみうり報知写真館より)(1日に成田より皇居直行。昭和天皇のお見舞い)
6日 (昭和天皇から?)田中侍従にヒオウギアヤメの資料を読むようにと指示(卜部侍従日記5巻P435)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
7日〜?日 礼宮、昭和天皇のお見舞いのため一時帰国P256〜←間違い?
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1989年1月(平成元年) 雅子さん25歳
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
1989年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
2月 妹とイタリアローマ旅行(美智子さまから雅子さまへP101)
1989年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
1989年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
□7日 昭和天皇崩御(小川東洲が「天皇崩御」と「昭和天皇大葬」の題字を揮毫)
7日、昭和天皇の崩御により、浩宮が事実上の皇太子となった。これを機に独立し、2月に赤坂東邸(東宮仮御所)に転居した(以降、皇太子と表記する)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
2月 皇太子は側近に「小和田雅子さんではだめですか?」と尋ね、彼女との結婚にこだわりを見せたといわれる(「消えたお妃候補たち」P159より)
□24日 大喪の礼
28日 皇太子、東宮仮御所に転居
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1989年 小和田氏、米国ハーバード大学法学部客員教授(国際法)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4月? 礼子さん、パリ留学を終え慶應大学4年?に復学
1日 皇太子、日本赤十字社の名誉副総裁に就任
4月 川嶋紀子さん、学習院大大学院人文科学研究科(心理学専攻)に進学
1989年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
1989年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
※6月末〜10月1日 夏休み
※時期不明 オックスフォード大学に研修留学していた時、夏期講習のためドイツに短期滞在(2013年4月11日号)
1989年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
7月頃 友人らとヨーロッパ各地を旅行
※7月 ザブリン大学(フランス)の夏季コース受講(2012年11月8日号)
1989年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
7月後半〜8月いっぱい ほぼパリの小和田夫妻宅のもとに
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※26日 鷹司和子さん、心不全のため逝去(享年59歳)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
「週刊ポスト(1989/7/7号)」「女性自身(1989/7/18号)」が1984年(5年前)の浩宮の小旅行に雅子さんが同行していたとの記事(アルザスの恋)を掲載する
×7月16日〜8月18日 礼宮、タイ旅行(魚類の調査研究のため)
26日 皇太子、オックスフォード大学マートン・カレッジの日本人初の名誉研究員に
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
8月 海外訪問記者会見で「皇太子妃にどんな人を?」と質問され「紀子さんとうまくやっていける、そういう人柄の女性が必要であると思います」と発言
×16〜24日 紀宮、スペイン旅行(ベルギー国王王妃両陛下のお招きにより)
×8月18日〜9月26日 礼宮、一時帰国
26日 礼宮・川嶋紀子さんの婚約内定が報道される
妹がソルボンヌ大学に留学中「サンデー毎日(1989/10/8号)」←語学学校に通っていた礼子さんのこと?
10日 小和田氏、フランスより帰国
1989年8月18日〜1991年 小和田氏、外務審議官に就任
1989年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
※9月に入ってから消息不明に(国外に出るには大使館に連絡義務があるため英国旅行でもしてるのではとのこと)
※9月いっぱいフランス、ベルギーを旅行する雅子さん(FLASH1989/9/19号抜粋)
※27日 大学の寮からオックスフォード市内バードウェルロードのアパートメントに引越し(美智子皇后「40年の心模様」P134)(高級住宅街のイギリス人宅のホームスティ。10畳の部屋にミニキッチン(2012年11月8日号))
28日 TV取材を受け「(皇太子妃問題に)私は関係していない」と発言←「2012年11月8日号」では9月の皇太子ベルギー訪問中にパリで二人が落ち合うのではないかとの憶測により記者たちは雅子さんを取材(大意)
1989年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
※1日 夏休み終了
4日 何故か路上でカメラを向けられ満面の笑顔でカメラに収まる(日付はよみうり写真館、写真説明より推察)
※留学1年が過ぎたころの秋? 斉藤智子氏(朝日新聞社会部)が海外出張の帰りに雅子さんを訪問。
1989年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
※11月 浩宮の母校・オックスフォード大学“マートン・カレッジ”を訪問(理由は不明)
※11月頃 マスコミの取材に疲れ、体調をくずし微熱が続く(2012年11月22日号)
1989年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
※12月9日 26歳誕生日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
9月? 8月に帰国したことで小和田家への取材攻撃が再発。優美子氏が心神耗弱で救急車で病院に運ばれ、20日間ほど入院(週刊新潮1989年11月23日号)
23日〜10月1日 皇太子、ベルギー訪問(ユーロパリア日本祭に開会式ご臨席)(フランス立ち寄り)、小和田雅子さんと会っていたのではとの憶測記事あり記事その1/記事その2
9月 皇室会議(礼宮・川嶋紀子さんの結婚に関して)。全会一致で可決
9月 ライシャワー婦人来日。皇居に訪問し美智子さまと面会(皇后美智子さま愛と喜びの御歌P113))
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
小和田氏が帰国し、最近足しげく宮内庁や赤坂御所に出入りしているという話も伝わってきている(FLASH1989/9/19号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
×22〜24日 礼宮、リヒテンシュタイン・スイス旅行(フランツ・ヨーゼフ二世、の葬儀にご参列)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1990年1月(平成2年) 雅子さん26歳
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
※1月 土川純代氏、結婚。結婚式に雅子さんがビデオレターを贈る(2012年11月22日号)
1990年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
※時期不明 土川夫妻がオックスフォードを訪問。土川氏(夫)の先輩の家での夕食会に雅子さんも参加(2012年11月22日号)
1990年3月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
3月 オックスフォード郊外、ブレナム・パレスで記念撮影
1990年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
12日 礼宮・川嶋紀子さん、ご婚約(納采の儀)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
6日 「昭和天皇をしのぶ歌会(御題・晴)(宮殿)」(昭和天皇をお偲びしてP103)
2月13日〜3月9日 川嶋紀子さん、お妃教育受講
2月28日 皇太子、独立のため東宮仮御所(赤坂東邸)に引越し(殿下の料理番P88)
※皇太子が東宮仮御所に引っ越した1990年2月より1992年12まで天皇家の静養を分かる限り記述する(宮内庁サイト・両陛下の日程、1990年2月〜1992年12月などより)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
3月? 礼子さん、慶應大法学部政治学科卒業?
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
5日 音大卒業生演奏会(桃華楽堂) 久邇晃子さんと父・邦昭氏出席(皇太子も?)(卜部侍従日記4巻P335)
×10〜25日 礼宮、ケニア・マダガスカル旅行(動植物の自然保護区等をご視察のため)
1990年5月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
1990年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
6月 オックスフォード大学院終了(修士号取得失敗)
※20日 修士論文を書き終えることなく帰国(P130)(米国と違ってオックスフォードは卒業後に追加の論文を出して修士を取得する人がいるが雅子さんはそうしなかった(2012年11月22日号)
6月 土川純代夫妻宅で、田園調布双葉の同級生たちと雅子さんの帰国パーティ(礼宮、川嶋紀子さんの婚約が話題になった)(2012年11月29日号)
6月 北米局北米二課に配属(市場開放・規制緩和を担当)
1990年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
28日 妹・小和田礼子ジュネーヴ留学歓送会
7月 「先進国首脳会議(7月9日〜11日・ヒューストンサミット)」の海部首相の通訳の一人とて小和田氏とともに出張(半導体市場の開放問題担当)(2012年11月29日号)
1990年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
「週刊ポスト(1990/6/22号)」卑劣な怪文書「それなら僕は結婚しない」皇太子を激怒させた「妃選考の密謀体質」を許してはいけない、記事
21日 礼宮、英国留学を終え帰国
□29日 礼宮、川嶋紀子さんご成婚(秋篠宮家を創設)(結婚の儀にはタイのシリントン王女も出席)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
7〜13日 皇太子、軽井沢静養7〜12日・両陛下、7日〜9日・紀宮さま(1990年8月P292)
17〜27日 皇太子、ベルギー旅行(第10回国際経済史学会に出席)(ルクセンブルク・アメリカ合衆国立ち寄り)
19〜26日 両陛下、那須御用邸静養(附属邸使用)(日程不明 香淳皇后も那須御用邸で静養中(1990年8月P818))
×19〜31日 紀宮、アメリカ合衆国・カナダ旅行(ロサンゼルス市での「二世週祭」50周年記念祝賀行事にご出席のため)
※「もし小和田さんとのご縁があったなら秋篠宮さまの前に決まっていたと思います。そうでなかったというのは小和田さんを含めて、当時、可能性のある方はいらっしゃらなかったということでしょう」by浜尾実氏
1990年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
□15日 手作りヨーグルトムース持参で友人宅訪問
1990年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
1990年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
1990年 小川東洲作品展(三越新宿)のオープンレセプションに出席。黒柳朝氏から「マスコミで騒がれている気遣い」の言葉をかけられる
1990年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
※12月9日 27歳誕生日
※12月 愛車(トヨタカローラII(125万円))を池上営業所から)購入
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
9月? 礼子さん、ジュネーブ大学付属の国際問題高等研究所大学院に留学(スイス)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
□12日 即位の礼
22日 大嘗祭
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※環境庁企画調整局・山内豊徳局長自殺(水俣病訴訟で各地の高裁で相次いだ和解勧告に国側の責任者として拒否を表明。患者の反発が出ていた(卜部侍従日記4巻P509))
12月末〜新年? 「ホテル・プルミエール箕輪(猪苗代箕輪スキー場)」に小和田夫妻、礼子さん、節子さん宿泊(ホテルオープン(1990年)以来の小和田家の恒例行事らとのことだが、1991年は宿泊しなかった模様)
1991年1月(平成3年) 雅子さん27歳
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
「フラッシュ(1991/9/3号)」にて雅子さんのマイカー通勤発覚(父名義駐車場許可証利用(外務省内規違反))
91年 友人宅訪問?
1991年2月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28    
2月 横浜中華街のレストランでソフト部を中心とした雙葉学園の同窓会
1991年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
3月23日 ”ボストンの父”オールドマン夫妻、月川真理菜さん、小和田邸訪問
3月 海部首相の通訳
3月 ワシントンに出張P124
5日 日米半導体協議に日本側スタッフとして出席
18日頃? カールソン・スウェーデン首相の歓迎夕食会に(通訳で?)出席(1991.3.18に両陛下がスウェーデン首相夫妻とご引見してるのでおそらくこの頃と思われる)
1991年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
12〜17日 両陛下、葉山御用邸静養
※17日 湾岸戦争勃発
28〜2月1日 皇太子、ノルウェー旅行(ノルウェー国王オラフ五世陛下葬儀参列)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
23日(満31歳) 皇太子(浩宮)、立太子の礼
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
×24〜27日 秋篠宮、アメリカ合衆国訪問(「ヒューストン・インターナショナル・フェスティバル」臨席)
26〜30日 両陛下、須崎御用邸静養
※26日 「ペルシャ湾掃海派遣部隊」が編成され出発。初の自衛隊海外実務(6月5日から9月11日まで多国籍軍派遣部隊と協力して掃海作業を実施)
4月 フンセン首相(カンボジア)が順天堂病院に3泊4日の日程で入院。全く同じ期間、小和田氏が入院。二人が退院した夜、フンセン首相を囲む夕食会が開かれ、カンボジア和平の進め方について、非公式に話し合ったという記事あり
1991年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
5月 日米半導体協議に日本側スタッフとして出席
12日 友人宅訪問
1991年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
※6月 日米半導体新協定締結
1991年7月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
91/7/17? 土川純代夫妻宅?訪問
1991年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
10日 テニス(軽井沢?)
□11日 軽井沢
25日 ゴルフ場(軽井沢)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・ ・・・・・【その他・備考など】・・・・・
29日 皇太子、特別講師として学習院大学で初講義
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
17日 両陛下、皇太子の毎年恒例の軽井沢の静養の中止を発表(雲仙普賢岳噴火の影響を考慮して)(1991年7月)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
2日 外務省事務次官就任(外務事務次官であった湾岸戦争の際には、自衛隊の派遣に反対の立場をとった)
18〜19日 皇太子、那須御用邸静養16〜21日・両陛下(那須付属邸使用)、8月19日〜9月3日・香淳皇后(1991年8月)
8月 礼子さん、スイス・ジュネーブ大学法科大学院 修了
1991年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
1日 江頭豊氏が趣味の絵画で個展開催(雅子さんも訪問)
9月 ピアニスト・中村紘子さんの難民奨学生のためのチャリティーコンサートの打ち上げの席に高円宮が雅子さんをつれてきていた(優美子氏同席)(東京芸術劇場)
9月 「経済文化画人展」を江頭豊氏、優美子氏と訪問(豊氏が作品を出品していた?)
1991年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
29月 マイカー(「カローラII)で外務省に車出勤
1991年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
11日? ベーカー国務長官、渡辺美智雄外相、竹下登氏、中曽根氏の会談の通訳(港区外務省飯倉公館)(海部優子氏(外務省通訳担当官・旧姓児島)と一緒に通訳(2012年11月22日号))(11日の「日米外相会談(渡辺美智雄・ベーカー氏)で通訳(【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P332)」と同じ?)
14〜16日頃 ヒルズ米通商代表と三塚博氏(元通産相)の会談で通訳
20日? 日米草の根サミットのパーティに出席(2012年11月29日号)(20日夕 都内のホテルで米国参加者の歓迎パーティ1991年11月P1005)
1991年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 27 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
※12月9日 28歳誕生日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
5日 皇太子、皇室会議の予備議員に選ばれる
11〜24日 皇太子、モロッコ・イギリス訪問(英国「ジャパンフェスティバル1991」開会式臨席)(フランス立ち寄り)(18日 オックスフォード大学で法学博士号を授与される)
×26日〜10月6日 両陛下、タイ・マレーシア・インドネシア訪問
9月 英国外務省から「小和田氏を国連事務総長にどうか」と打診(VIEWS1994年11月号P34)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
23日 眞子さまご誕生
8〜11日 皇太子、那須御用邸静養(皇室アルバムVol.6学習研究社より)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
【参考】11月 米国ベーカー国務長官、来日について(スケジュール)
・11日AM9時 渡辺外相と会談(外務省)
・11日夕 竹下氏と会談(都内ホテル)
・11日夕 宮沢首相と会談(首相官邸)
1991年11月P412)(「日本語→英語」のみ通訳を入れる(宮沢首相は英語に堪能なので不要だが、英語を喋ってる姿が気障だと不評だったため1991年11月9日大意))
・12日 竹下氏、中山前外相などとゴルフ(川崎市内)(通訳は米国側が用意)1991年11月P578)
・・・・・・・
【参考】14〜16日 ヒルズ米通商代表、来日について(スケジュール)
(ウルグアイランドなどについて協議のため(ガットの新多角的貿易交渉)
・16日 渡部通産相と会談
・16日 米国大使館で記者会見
・16日 田名部農水相と会談

20日 紀宮さま、草の根交流サミットウエルカムパーティに出席(椿山荘)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1992年1月(平成4年) 雅子さん28歳
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
※1日 このときの冬休みは1月1日のみ(2012年11月22日号)
1月 日米環境セミナー(東京)で竹下登氏が基調講演(このとき読んだ「蓮の葉クイズ」は雅子さんが練ったもの)(2012年11月29日号他)
9日? ブッシュ大統領が宮沢首相との晩餐会で嘔吐。雅子さんは近くにいて冷静に対応(首相官邸)2012年11月29日号)
「FOCUS(1992/1/3号)」皇室の最重要課題」32歳を迎える皇太子のお妃選び>記事(「最近、小和田さんが、“皇太子さまご自身、あるいは皇后さまから直接、お言葉をいただいたら……”と漏らしたという話が親戚筋から伝わっています」という内容も)
1992年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
□11日 ハワイへ出張
2月 米国に出張(11日のハワイ?)から帰国した数日後に記者に声をかけられる(2012年12月6日号)
1992年 半年間で東京−ワシントンを出張で4往復2012年11月29日号)
1992年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
3月15日 海部元首相長男・正樹氏と外務省同僚・児島優子さんとの結婚式披露宴に、小和田氏とともに出席(ホテルオークラ)(2012年11月29日号)態々小和田雅子さん出席をクローズアップして報じる「FOCUS(3/27号)」捨てがたい「美」と「気品」―海部前首相長男の結婚披露宴に出席した小和田雅子さん
1992年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
7日前後 N.Y.出張
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
14〜15日 皇太子、葉山御用邸静養(皇室アルバムVol.6学習研究社より)
14〜21日・両陛下、1〜2日間・紀宮さま、18〜?日・秋篠宮家、(日本経済新聞刷版1992年1月661)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※13日 日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせをする
誕生日会見の打ち合わせで、皇太子が「小和田雅子さんではだめでしょうかと」と発言(したらしい)2012年11月29日号)
19日 皇太子誕生日記者会見で「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」と発言
23日 梓スポーツクラブ設立(代表幹事・和田吉民氏(46歳?))
※25日 中国、領海法公布、釣魚島を中国領土と明記
27日 小和田氏、楊・中国駐日大使に、中国政府が領海法に尖閣諸島領有を明記したことに抗議
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※20日 紀宮学習院大学卒業
27日 皇太子がスキー旅行(岩手県)
27日 小和田氏が非公式に御所を訪れ『最終的にノーということではない』『娘はアメリカ育ちだから殿下のお気持ちのニュアンスがわからないかもしれない』と皇室に前向きな発言をした」と言われたがこれも事実ではなかった(2012年12月6日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1日 皇太子、学習院大学史料館の客員研究員に就任
※4月頃 柳谷氏が小和田家に接触を始めるP132
4月頃 小和田毅夫・静夫妻が、茨城県水戸市の介護付き有料老人ホーム「ケアレジデンス水戸新館」に入居
1992年 節子さん、東大卒業後、本田技研入社(同年退職)、退職後、東大教養学部教養学科に学士入学
※27日夜 千代田区内のホテルで極秘会議、小和田雅子さんをお妃の最優先候補に決定(宮尾盤氏、菅野弘夫氏、山下和夫氏、団藤重光氏、須之部量三氏、藤森昭一氏)【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P 
1992年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
5月のゴールデンウィーク(2〜5日?) 土川純代一家と「育児合宿」(伊豆高原・赤沢/土川家別荘)
・2日は長女リサちゃんに絵本を読んであげる
・最終日はローストチキン(2012年12月6日号)
※23日19時頃 新宿伊勢丹「クイーンズ・シェフ」で買い物(牛肉のブロック、赤ワイン、野菜、ソースなど)
1992年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
※6月 両親と小和田毅氏、静氏のお見舞い(ケアレジデンス水戸)
1992年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
7月23日 NYに出張
1992年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
□16日 皇太子と5年ぶりの再会デート。柳谷謙介氏宅(東京都千代田区)(問2:警備なしという極めて無防備な状態ではあったわけですけれども,それをする価値は十分にあったという,このことに関してはそういうふうに思っています)→(2012年12月13日号では柳谷氏宅ではなく「千代田区三番町の宮内庁の分室」だったと否定)
※再会後、皇太子から電話やFAXが自宅に届くようになる(2012年12月13日号)
※8月 外務省の同期の友人と(おそらく上田奈生子さん)。月川真理菜さんのピアノリサイタル「真夏の夜の夢」を観賞(2012年12月13日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※1日 公務員が完全週休二日制になる
※このころ、土川一家は小和田邸の近所にある社宅住まい(だったらしい)(2012年12月6日号)

※宮内庁は1992年の5月にはお妃候補は雅子さんに絞っていた(らしい)(2012年12月13日号)
※5月 皇太子の意向を聞いた藤森宮内庁長官が、外務省OB(元外務次官)のJICA総裁・柳谷謙介氏を通じ小和田家との接触を開始→「雅子妃の明日(P10)」では藤森氏が須之部量三氏を通じて小和田氏に「正式にお妃候補として考えてほしい」と申し入れる。「雅子本人に伝えますがお断りすることがあっても構わないでしょうか」と返答。雅子さん自身は「いまは結婚そのものが考えられない」とのこと。
※連休明けに、柳谷氏と小和田氏がホテルで会合。皇太子の気持ちを伝える(2012年12月13日号)

5日 皇太子、赤坂御用地でハーフマラソン(梓スポーツクラブ主催)(両陛下と、秋篠宮夫妻が応援)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※6月 柳谷氏から小和田氏に電話。8/16に雅子さんと皇太子の再会することが決まる(2012年12月13日号)
14〜?日 皇太子、葉山御用邸静養12〜16日・両陛下、12〜15日・秋篠宮夫妻(1992年6月))
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1992年7月17〜21日 両陛下、須崎御用邸静養
18〜8月4日 浩宮、スペイン・ベネズエラ・メキシコ訪問(スペイン「セルビア万国博覧会」「バルセロナオリンピック開会式臨席」)(アメリカ合衆国立ち寄り)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
8月19日〜9月4日 香淳皇后、那須御用邸静養(1992年8月P850)
17日 「天皇陛下の中国公式訪問に関する有識者意見聴取」に小和田外務事務次官が出席(首相官邸)
8月 礼子さん、国際問題高等研究所大学院 修了(在学中に「JPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)」に応募→合格し1ヶ月後、ベトナムへ
8月(旧盆) 小和田氏、一人で新潟市泉性寺に墓参。住職と挨拶を交わす。(皇太子妃雅子さまP161〜)
※8月から小和田家前に警戒BOX設置。表向きの理由はPKO問題以来、小和田氏の警備P132
※雅子さんと皇太子が再会した1992年8月から求婚受諾の返事をする12月まで皇太子の日程も分かる限り詳細に記述する1992年8月〜12月などより)
・・・・・【皇太子8月日程】・・・・・
24〜27 京都府・秋田県行啓(京都「第29回万国地質学会」)、25日に秋田県に移動(26日「全国農業青年交換大会」)(1992年8月P1044)
8月 単独で軽井沢で静養。団藤氏の別荘訪問(軽井沢静養時には毎年訪れていた)【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P43(7〜8月の海外訪問から帰国した後に軽井沢静養が二週間から一週間に短縮が決定(2012年12月13日号))
28〜30日 皇太子、那須御用邸静養24〜31日・両陛下(那須付属邸使用)、27〜30日・紀宮さま(1992年8月))
1992年9月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
※9月に入ってから夏休み(北海道旅行)(2012年12月13日号)
9月 外務省同僚上田奈生子さんと北海道支笏湖旅行(ホテル「夕陽のあたる家」宿泊?)
小川東洲氏を訪問(小川夫妻とバーベキュー(2012年12月13日号))
※9月 皇太子から御料鴨場のお誘いの電話。雅子さん了承(2012年12月13日号)
1992年10月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
□3日 皇太子からプロポーズ(新浜鴨場)
(このとき雅子さんを送り届けたのは外務省上司が運転する車)
□20日頃 小和田家サイドから断りの返事がなされる(【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P61では「(雅子さんの)気持ちが決まらない」と伝えてきた)
1992年11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
□3日 大蔵省に勤める友人?の結婚式に出席
11月中旬 皇太子との電話連絡が頻繁になる【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P68
※11月中旬 外務省を風邪を理由に10日ほど欠勤(美智子さまから雅子さまへP112)(結婚のことで悩んでいたため【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P64)
□28日 優美子さんと一緒に車で自宅を出て、ホテルニューオータニで鴨場のときのワゴンに乗り換え【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P68→東宮仮御所を訪問(皇太子「ぼくが一生全力でお守りします」発言(「美智子さま雅子さま愛子さま」松崎敏彌、P88))
【参考】殿下の料理番の記述

■時期不明、雅子さん、初めての御所の訪問(P126〜)
・皇太子(葉山静養中/東宮仮御所在住)の内廷職員から渡辺氏に来客の連絡、メニューの相談→渡辺氏、中華料理のメニューをFAX→皇太子側が食材のグレードアップを要求→イセエビとフカヒレを追加→OK
・翌々日、本来ならまわってくる依頼伝票無しで、調理→来客→職員には最後までお客さまの素性は分からなかったが、渡辺氏が成婚後、雅子さま本人から礼を言われる
1990年2月28日〜1992年12月まで皇太子が葉山で静養したのが以下の二件(判明分)
・1992/1/14〜15日
・1992/6/14〜?日
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
9月 礼子さん、UNHCR勤務(ベトナム・ハノイ赴任
×13〜28日 秋篠宮、タイ旅行(魚類の調査研究のため)
※雅子さんが北海道旅行から帰った数日後に、団藤氏が小和田邸訪問(2012年12月13日号)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
2日 小和田外務事務次官、陛下にご進講(赤坂御所) 
×23〜28日 両陛下、中華人民共和国訪問(総理大臣・宮澤喜一氏、外務事務次官・小和田氏(小和田氏は外務次官として随行・「人間皇太子さま 雅子さまとのちょっと気になる話」P33))
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
11月 柳谷氏が最説得に乗り出すとともに、皇太子から連日のように電話での説得が行われる
両陛下が小和田氏を赤坂御所に招待(美智子さまと雅子さまの新皇室づくりP90)
12日 小和田夫妻、名古屋で元駐英大使が中心となって開いた国際会議にゲストとして参加(【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P64)
×5〜21日 紀宮、オーストラリア・ニュージーランド旅行(外国事情ご視察のため)
×5〜24日 秋篠宮夫妻、スリランカ・パキスタン・インド・タイ訪問(国交樹立40周年を記念、タイ王妃陛下の還暦祝賀に際し訪問)
1992年11月17日〜12月1日 香淳皇后、葉山御用邸静養1992年11月P850)
・・・・・【皇太子9月日程】・・・・・ ・・・・・【皇太子10月日程】・・・・・
【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P62〜(*は憶測です))
・2日 「第39回伝統工芸展(日本橋三越本店)」(1992年10月P104)
・8日 「ベルサイユのばら(東京宝塚劇)」鑑賞(9日の高照らす日の皇子の間違い?)
・9日 「高照らす日の皇子(宝塚歌劇団)」鑑賞
・12日 「日中国交正常化20周年記念展−桜蘭王国と悠久の美女(国立科学博物館)」(1992年10月P606)
*17日? 神嘗祭賢所の儀
・17〜19日 身体障害者スポーツ大会(山形県)
・20日 皇后陛下誕生日
・23〜28日 両陛下、訪中のため国事行為代行
・24〜26日 石川県行啓(国民文化祭)(1992年10月P1202)
・29日 「ロックフェラー三世夫妻コレクション−アジア美術名品展(出光美術館)」(1992年10月P1470)
・31日〜11月2日 全国育樹祭(高知県)
・・・・・【皇太子11月日程】・・・・・
【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P62〜(*は憶測です))
・5〜6日 英国フェア・テムズ川物語(大阪・阪急デパート)(オックスフォード大ダウニングカレッジ学長、恩師ピーター・マサイアス氏らと再会)
12日 全国歴史資料保存利用期間連絡協議会全国大会(名古屋
・13日 園遊会
・14日 コンサート鑑賞(サントリーホール)
・15日 実りの秋フェスティバル見学(晴海)
・15日 室内楽の集まりに参加(音楽の聞こえる小さな家P56)
・16日 美術展鑑賞(上野・国立博物館)、宇宙会議(都内ホテル)、コンサート鑑賞(津田ホール)
・19日 日本賞授賞式(京王プラザ)
・21日 ゆうあいオリンピック(駒沢)
*23日 新嘗祭神嘉殿の儀
*渡辺氏の「雅子さん初訪問」の記憶が正しいなら26日に葉山御用邸で静養
・27日 写真展(板橋区・日本書道美術館)
・28日 東宮仮御所で雅子さんと再会。雅子さん帰宅後、目白の中華料理店で学習院大学OBオーケストラの練習打ち上げに参加
・29日 スペイン国立サルスエラ劇場「山猫(日生劇場)」観賞(1992年11月P1474)
*30日 秋篠宮さま誕生日夕食会
1992年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
2日 銀座のデパートで「クリニーク」の化粧品をお買い上げ
※12月頃? 土川純代氏宅を訪問(2012年12月27日号)
※9日 29歳誕生日(AM0時過ぎに、皇太子から誕生日祝いの電話(2012年12月27日号))
※11日 同僚の上田奈生子氏を車で自宅に送る際に結婚の意志を伝える(2012年12月27日号)
□12日 東宮仮御所訪問。プロポーズ受諾の返事約一週間後、小和田家から宮内庁に正式に受諾の意向が伝えられる
・タクシーで訪問し、16時頃に銀座の小川東洲個展に向かう、30分後に小和田夫妻が到着(2012年12月27日号)
12日 小和田夫妻と小川東洲氏の個展を鑑賞(銀座三越7F・三越ギャラリー)(潟tァーストランナー(滝安治社長(元巨人軍のコーチ))開催)
12日 東洲氏個展鑑賞にて、個展を企画した元巨人軍コーチ瀧安治氏と記念撮影
12日 夜は東洲、小和田夫妻とともにで中華料理店にてパーティ(その後、小川夫妻を雅子さんが車で自宅まで送る(2012年12月27日号))
□19日 皇太子とデートを重ねる
※19〜21日 アメリカ通商代表部担当官らを迎えて半導体協定のフォローアップ会議P140
※21日の数日後 美容院HIRO・INで髪の毛先をカット(2012年12月27日号)
20日前後 美智子さまが「私も”手鍋さげて”と言われて嫁いできた」と説得(沖ユニシス元社長・鎌田勇氏宅)→2001年天皇誕生日の会見で、陛下が『私が「柳行李一つで」と皇后に結婚を申し込んだと今も言われていますが,このようなことは私は一言も口にしませんでした』と発言
24日 友人のジャズ歌手のライブ【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P77
□25日 初めて両陛下に紹介。19:30頃、一人で仮御所訪問。4人で2時間ほど歓談。両陛下が帰宅後も2人で深夜0時近くまで滞在(朝日新聞朝刊1993年1月8日)
※25日(26日の25時くらい?) 両親に贈るクリスマスカードをプレゼントを机にそっと置いておく(冒頭には「一足遅れのクリスマス」と記述されている)2012年12月27日号)
□28日 外務省年末仕事納め
※12月末 帝国ホテル・インペリアルタワー内のブティック(SARLI)でコートの試着
□30夕方〜新年 「ホテル・プルミエール箕輪(猪苗代箕輪スキー場)」に宿泊
小和田夫妻、礼子さん節子さんは二度目、雅子さんは始めての宿泊
・両親、節子さん、外国人夫妻の計6人
・29日午前に自家用車で出発、雅子さんと節子さんだけで新幹線乗車。両親は銀座のホテルの駐車場に車をおいてから別の新幹線に乗車)【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P79で
・小泉純一郎氏に会う(2012年12月27日号)
・和泉実芳さん(学習院卒・高円宮と同期)も滞在
・31日、元旦はプールでジョーズのテーマ曲を口ずさみながら子供たちと遊んでくれる優しい一面を見せた
【参考】殿下の料理番の記述

■時期不明、雅子さん誕生日(P134〜)
・皇太子からロッシーニの注文
・無理なら別の食材でもいいとのお言葉(フレッシュフォアグラは仏から空輸して、金〜日まではおいしく食べられると以前皇太子に話したことがある)
・外務省に勤務されていた雅子さんが御所に見えるのはどうしても土日になる。
そこで殿下は美味しいフォアグラ(ロッシーニ)を雅子さんに召し上がっていただきたかったのだろうと推測。
・その日は雅子さんのお誕生日だった(先に知っていればシャンパンでもお出ししたのに)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
9日 両陛下茶会(中華人民共和国ご訪問関係者)(宮殿)←おそらく小和田氏も出席
13日 小和田家から柳谷氏に受諾の返事【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P72 
読売新聞・三沢記者が26日に小和田邸に取材、28日に小和田氏に自宅前で取材(皇太子妃とマスメディアP27)
30日 両陛下が、小和田夫妻を招いてお会いになる(赤坂御所)
※31日 小和田昭三氏死去(村上市の勝手に親戚認定された人
・・・・・【皇太子12月日程】・・・・・
【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P62〜(*は憶測です))
・8日 太古八訪問(偶然であった長島茂雄とおでんを食べながら野球談義)(目白・日本料理)
・10日 紀宮さまと外交団鴨場接待(新浜鴨場)(鴨場接待デビュー)(週刊新潮2006/2/2号)
*14日頃 崇峻天皇式年祭の儀(592年12月14日没)
*12月中旬頃 賢所御神楽の儀
・20日 ハーフマラソン(赤坂御用地)
 1993年1月(平成5年) 雅子さん29歳
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
□1〜2日 「ホテル・プルミエール箕輪(猪苗代箕輪スキー場)」宿泊
・2日 21:00頃帰宅。新聞記者に声をかけられる(2012年12月27日号)
※4日 新年初出勤(最後の出勤)P136
※4日 帝国ホテル・インペリアルタワーで「HERNO」のカシミヤコート(55万円)を新春セールで約半額でお買い上げ
□4日 読売新聞が自宅前で雅子さんに取材。「おめでとうございます」と話しかけたところ「ありがとうございます」と返答/NHKが雅子さんを隠し撮り(皇太子妃とマスメディアP27)
□5日 朝日新聞が雅子さんに取材(皇太子妃とマスメディアP27)
□6日 ワシントンポストが皇太子妃内定記事を掲載(本来は1/31まで日本の報道関係者にはお妃報道自粛の協定があったがこの記事により急遽解除される)(「ワシントンポストの掲載を最初に知ったのは外務省だと言われており、情報源も外務省だろうとの憶測も出ている」(皇太子妃とマスメディアP27より))
※7日 「風邪で寝ている」と姿を見せなかったとのことなのでおそらく外務省欠勤
※7日午後0時40分 「風邪の具合は少しよくなりましたが、いましばらく静養したいと思います」とコメント(朝日新聞1993/1/7)
※8日 帝国ホテル・インペリアルタワー内のブティック(SARLI)で試着したベージュのコート(13万3千円)を購入
※8日 皇室会議用の写真撮影(帝国ホテル)
※8日 自宅で婚約会見用の衣装の打ち合わせ(古くから付き合いのある洋装店の女性3人が、服地を持ち小和田家を訪問)(週刊女性1993年1月26日号)
8日 「英国タイムズ、ガーディアン両紙はお妃選びの「お見合い」を始め皇太子と小和田さんとの秘密のデート場所に東京の英国大使館が使われていたと伝えた」(1993年1月P330)
※時期不明 靴(河村龍介)・帽子(ベル・モード)の型を自宅や東宮仮御所で採寸(週刊文春2012年6月21日号)
※発表から5日後 銀座「古窯」のおかみと料理長、小川東洲氏が小和田家訪問(フグの菊盛りとてっちりなべの差し入れ。お皿の献上)(北海道新聞2008年2月9日 夕刊)
※10日前後〜19日直前まで礼子氏が住んでいるベトナム・ハノイに旅行予定だったが、婚約内定報道のため断念。礼子氏が急遽帰国
13日 報道後はじめて東宮仮御所訪問P141/4時間半、東宮仮御所に滞在、小和田邸帰宅は18:37/秋篠宮夫妻も30分ほど参加(1993年1月P613)
※14日 内定後初のデートのはずだったが、外出とりやめ
※15日 外務省の同僚が小和田邸を訪問。引継ぎを行う
□16日 西麻布の美容院に
※16日 山下東宮侍従長、小和田邸を訪問
□17日 報道後2度目の東宮仮御所訪問
※18日 辞表提出(19日受理)P136
※18日 有楽町にある老舗の宝石店で優美子氏が記者会見で雅子さんがつけていたパールのネックレスを誂える(10mm×約40個のシルバーピンク玉)(人間皇太子さま 雅子さまとのちょっと気になる話P65)
※1月下旬 小和田邸で婚約会見用の衣装の試着(優美子さん、礼子さん同席)(2012年6月21日号)
※19日 婚姻について皇室会議が開かれる
※19日 婚約発表記者会見(婚約内定の時も風邪を引いていたとの記事有り
□19日 一家で天皇家と夕食会(礼子さん節子さん二人とも写っているが礼子さんはハノイから一時的に帰国?)
 皇室会議後、初めてのデートでは雅子さんの帰宅予定時刻が宮内庁から発表されていたが、話がはずみ2時間以上も伸びたため、その後の発表はなくなった(1993年4月P507)
□28日 デート(東宮仮御所)
□31日 デート(東宮仮御所)
日付不明(婚約発表後) 田崎真珠の博物館訪問
1993年2月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28            
3日 皇太子と車で移動(詳細不明)
5日 小和田夫妻とMOMA展鑑賞(上野の森美術館)
□6日 東宮仮御所訪問(理由不明)
8日 両陛下と夕食会(赤坂御所)故東久邇成子さんの子供、・池田厚子氏、島津貴子氏、皇后陛下のご兄妹、川嶋家、小和田家、天皇一家が出席。秋篠宮殿下を除き皇族方(常陸宮・三笠宮・桂宮・高円宮)は欠席。
□9日 外務省退職(小和田氏と渡辺美智雄外相を訪問)
※10日 日本真珠振興会(会長・田崎俊作氏)の提案で数百万円相当の真珠を贈呈される(即お返ししたとのこと)
11日 東宮仮御所でデート
※バレンタイン ジュネーブからステットラーの生チョコレートをお取りよせして皇太子にプレゼント
□14日 デート
□18日 クラシックコンサート?
20日 小和田氏と観劇
□21日 デート(東宮仮御所)
※22日 優美子氏とともに雙葉学園訪問
□22日 外務省北米二課の歓送迎会に出席(入り口で女の子から花束を贈られる
23日 皇太子誕生日の夕食会(東宮仮御所)
28日 雙葉学園同窓会でスピーチ(六本木・国際文化会館)
※2月 知人を通じ、石川県金沢市の「辰巳屋」に桐箪笥を注文
※2月下旬 小和田夫妻、雅子さんが柳谷謙介氏宅訪問
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
4日PM10:15 小和田氏が自宅前で記者達に「今の段階では何もお話することができませんので」とコメント
9日 セキセイインコのピッピ(♂)が肺炎のため優美子氏と節子さんが獣医に連れて行く
15日 外務省が?英・仏・エジプトの大使を大相撲に招待。小和田氏が案内役?
18日 「雅子さんの写真(81枚)」を小和田家が宮内記者会やJMPAに提供(週刊ポスト2月5日号は、宮内庁からの提供として写真を全て掲載。後日宮内庁から「「写真を提供したのも、説明文をつけたのも小和田家」との抗議に、ポスト3月号で「訂正とお詫び」を掲載)
18日 村上市市長がお祝いに名産の酒などを持参し、小和田家を訪問(多忙のようなのですぐに退きそれ以上の話にはならなかった)(皇太子妃雅子さまP159)
18〜22日 愛犬ショコラが動物病院アニマル・メディカル・センター(川崎市)に入院
19日午後 小和田夫妻が宮内庁内で記者会見P142
20日 小和田夫妻が宮家などの挨拶(写真では外務省を出発するところしか写っていないのでどこに向かったなどの詳細は不明)
23日午前 白川浩司氏が小和田邸で小和田夫妻にインタビュー(そのさい小和田氏がショコラをヒョイと抱きあげて隣りの部屋に放り込んだ、らしい)(週刊ポスト2012.3.9号)
1月 皇太子、那須御用邸静養(両陛下、秋篠宮家合同)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※25日 解放同盟、抗議文書「皇太子妃報道差別助長する」(朝日)
17日 皇太子、「国連大学開所式のレセプション」に出席(森山真弓文相、ガリ国連事務総長ら出席(J-LoUPEより)
19日 皇太子、誕生日用会見(雅子さんとのテニスのことを質問され「まだ1度しか一緒にやったことはない(以下略)」と発言
23日 『テムズとともに(徳仁親王著・学習院教養新書)』.発刊P256〜
24日 マスコミ側と小和田家側の話し合いにより、雅子さんの外出に関しては全て知らせるということでマスコミの小和田邸前の張り込みを解除
1993年3月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
□3日 両親と妹(節子さん?)と「リチャード3世」観劇(雅子さまと紀子さま・P66)
□4日 デート(東宮仮御所)
※6日 皇太后陛下の誕生祝いの記帳のため両親と皇居訪問
□3月半ば 両家と親交のある音楽家による祝いの演奏会が東宮仮御所で開かれた(両陛下、皇太子も演奏)(1993年4月P507)(2013年1月17日号によると11日。両陛下、小和田夫妻、節子さん出席)
□12日 お妃教育スタート(8科目50時間)
参考:正田美智子さんは大学を主席で卒業ということで一般教養は省かれ、97時間の進講を受けられた
14日 デート(東宮仮御所)
17日 浩宮誕生に携わった元宮内庁病院産婦人科医長・目崎鑛太氏が小和田家にご挨拶
□17日 東宮仮御所訪問(理由不明)
□20日 東宮仮御所訪問(理由不明)
□21日 バイエルン放送交響楽団演奏会(田崎真珠主催)に招待され、優美子氏と訪問
□22日 優美子氏と「フォーヴィスムと日本近代洋画展」鑑賞(東京国立近代美術館)
□27日 老人ホーム・ケアレジデンス水戸(茨城県水戸市)を訪れ小和田毅夫・静氏に婚約の報告
□28日 東宮仮御所訪問(理由不明)
※時期不明 山田寿男氏(イカロスの会・講師)、結婚の祝いのため小和田邸を訪問。講習会のメニューとレシピをまとめた「イカロスの料理献立集」贈呈。優美子氏同席(雅子さんがその場にいたかどうかは不明)P160

」=お妃教育
1993年4月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
4月 新宿区立富久小学校の恩師、中坪先生を自宅に招く
□1日 皇太子とアルバムを見る(東宮仮御所)(美智子皇后40年の心模様P165)
※2日 向かいお宅にケーキを持って訪問(息子さんが志望大学の受験に失敗したことを(お妃報道のためかと)気にかけ、お詫びのため)
□4日 皇太子とお花見(東宮仮御所)
□8日 お妃教育
※9日 神宮神武天皇山陵及び昭和天皇山陵に勅使発遣の儀(結婚に関係する儀式第一弾)
□10日 東宮仮御所訪問(理由不明)
12日 納采の儀(最初は3/17と発表されていたが変更(3/2に発表))
※1/19(皇室会議)〜4/12(納采の儀)までに二人だけで19回、家族を交えると22回会っている(1993年4月P507)
14日 東宮仮御所訪問
□15日 お妃教育
□16日 お妃教育
□17日 小和田夫妻と墓参り(新潟市泉性寺)近くの親戚(嵩岡家?)の家に立ち寄り(1万円のお弁当で昼食)1993年4月P748など)
□18日 お妃教育
※20日 告期の儀
24日 東宮仮御所訪問
□26日 お妃教育からの帰宅時、お向かいの家にいた寿々子氏、ショコラに向かって手をふる
27日 お妃教育最終日
※27日 ユカワフェニチュアより婚礼3点(姿見など(キットファニチュア))が小和田家に納入
※27日 夕方から大型トラックに嫁入り道具積み込み
※27日 17時から優美子氏と外出。

28日 皇太后さまに婚約報告の挨拶のため、吹上大宮御所に参内


」=お妃教育
1993年5月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
□1日 皇太子の学習院の学友たちとのお祝いの席で、雅子さんをサプライズ紹介(東宮仮御所)(1993年6月P266)
※5日夕方 梓室内管弦楽団が東宮仮御所で二人のお祝いの演奏会を開く予定(ハイドンの「オックスフォード」・皇太子がビオラ担当)だったがカンボジアPKOの文民警察官の悲報により当日中止
5/1の一週間後 赤坂御用地でテニスの会。皇太子とペアを組む(1993年6月P266)
□8日 東宮仮御所訪問(理由不明)
15日 一泊二日で箱根旅行(箱根湿生花園など)(町の自然科学館訪問。館長が挨拶。訪問の一時間前に入場制限。東宮侍従の指示で入場料(5人2000円)の入館料支払い(1993年6月P128))(江頭夫妻、小和田夫妻、節子さん同行)
※18日 新浜鴨場でデートの予定だったが、雅子さんの風邪で中止
□23日 東宮仮御所訪問(理由不明)
24日 宝石店「メレリオ・ディ・メレー」のアトリエに飾ってある雅子さんのサイン入り写真
※30日 メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団のオペラ(NHKホール)に二人で出かける予定だったが文民警察官の公葬の日だったため取りやめ

※この5ヶ月でのデートでテニスを数回したとのこと
1993年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
1日 デート(東宮仮御所)
1日 天皇ご一家と小和田家が夕食会(赤坂御所)
□2日 結婚の儀のリハーサル(J-LoUPEより)
□3日 結婚の儀のリハーサル(皇居)
(皇太子に伴われて初めて車で外出。雅子さんは窓の外に犬をみつけては喜び、その種類などをこまかく殿下に説明されたという。【個人的メモ】皇太子と雅子さんとのデートのための工作の様子が詳しく書かれている。想い人との逢瀬というより組織のミッションと言ったほうがしっくりくる緊迫感。P96)
4日 「シェ松尾(渋谷区松濤)」にて一家で食事(江頭夫妻、小和田夫妻、礼子さん、節子さん)
□5日 一家で映像撮影
※日付不明 結婚式数日前、森村桂氏手作り「結婚披露宴用」ケーキを二人で食べてしまい作り直させる事件
□6日 東宮仮御所訪問(理由不明)
8日 目黒区で提灯行列(自宅前で花束贈呈)
※1/8からご成婚までの5ヶ月で2人のデート(親族らを招いた食事会なども含む)は40回以上に及んだ
9日 結婚
9日
・皇太子:身長163cm、趣味はテニス、登山、ビオラ演奏など
・雅子さん:身長164cm、趣味は音楽鑑賞、スキー、テニス。仕事以外の分野で関心があるのは「貧困、飢餓、エイズ、環境問題」(宮内庁を通しての記者クラブへの回答)(1993年6月P407「お二人の横顔」より抜粋)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
1日 皇太子、高円宮夫妻、コンサート観賞。会場には小和田夫妻の姿もあった(2013年1月17日号)
8日 皇室報道に対する抗議と申し入れ(解放新聞)
27日 両陛下、目白の川嶋家を訪問(川嶋夫妻、舟さんと一時間歓談)(美智子皇后「40年の心模様」P170)
時期不明 巻町が結婚を祝って小和田家に「越後鶴亀(清酒)」などを献上
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
優美子氏が4月開学の静修女子大学の客員教授に招かれることになっていたが、雅子さんが皇太子妃に決まったことで白紙に(推薦者・小川東洲氏)
18日 小和田夫妻が中山競馬場に来場、来賓の各国大使のホスト役を務めた
×6〜8日 秋篠宮夫妻、スペイン旅行(スペイン国王陛下御尊父バルセロナ伯爵の葬儀にご参列のため)
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
※結婚の20日前? 十二単が納入
18日 吹上御苑に「御所」落成
18日 阿久比町青年会議所・理事長の竹内啓二氏(2002年に阿久比町長に就任)から小和田家に「新美南吉童話集」を進呈したいとの申し込みをうけ、小和田氏が外務省で竹内氏と7分間面会(後に優美子氏からお礼状発送)
20日 園遊会に小和田夫妻出席(昭和天皇をお偲びしてP167)
※31日 桐箪笥を注文していた「辰巳屋」で納入予定の金箔桐箪笥をマスコミお披露目
6月1日 上記の報道を見た優美子氏が直接、テレビ局に事実関係とそれに基づく訂正の申し入れをする。箪笥は注文したものと違うとのことで受け取り拒否
※6月2日 辰巳屋からお詫び状が関係者に届けられる
・・・・・【その他・備考など】・・・・・
日付不明(6月4には帰国) 礼子さんが結婚式のためハノイから帰国
3日 東宮仮御所に嫁入り道具搬入(以降、優美子氏がマイカーで東宮仮御所に上がっては荷物の整理を手伝っていた)
※3日 森村桂氏が手作りのウェディングケーキを持って上京。赤坂御所を訪問。