2011年1〜6月
2011年1月
【皇室ウイークリー】(165)皇居のお餅つきに雅子さま、愛子さま 眞子さまと佳子さま「お誘い」の相手は?2011.1.107:00
 元旦に合わせ、宮内庁は両陛下と皇太子ご一家、秋篠宮ご一家の計10方が映られた映像、写真を発表した。中には皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまが秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さまと次女の佳子さまの間で談笑されている珍しいショットがあった。
 側近によると、「この間にいらっしゃい」と、いとこにあたる眞子さま、佳子さまがお誘いになったのだという。
 また、映像には撮影の場に愛子さまが持ってこられたという自作の貝の標本と図鑑を、みなさまでご覧になっている場面も。皇后さまが愛子さまに「持っていらっしゃい」と言ったためで、皇后さまはご自分でも、大事に持っておられた貝がらを持参されたという。
 皇后さまが持参された貝の1つは、今年の干支のウサギのような、真っ白で大きな「ウミウサギガイ」。秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまがご自分や、秋篠宮さま、秋篠宮妃紀子さまの耳に貝をつけられているほほ笑ましいシーンもみられた。
 さて、両陛下が正月に召し上がる宮中料理の一つに「菱葩」(ひしはなびら)という料理があるのをご存知だろうか。餅の上に味噌と、甘く似た細いゴボウが添えられた伝統料理だ。皇居・東御苑の三の丸尚蔵館で昨年、両陛下のご成婚50年・ご即位20年を記念して開かれた特別展「両陛下−思い出と絆の品々I」の図録に、菱葩の写真が掲載されている。それを見ると、白くて薄い円形の餅の上に、小豆色の菱形の餅、その上に味噌とゴボウがのっている。
(略)
 新年に先立つ12月28日、両陛下は皇居・御所で餅つきを催された。公表されない私的なご活動だが、例年、両陛下はこの時期にご家族や宮内庁職員を交えて餅つきをされるという。この日は皇太子ご一家と秋篠宮ご夫妻、悠仁さまが参加された。黒田清子さんも御所を訪問した。
 午前10時50分ごろ、皇太子さまが一人で皇居にご到着。その約1時間後に、皇太子妃雅子さまと愛子さまが車で半蔵門を通られた
 側近によると、皇后さまはご家族や職員らとともに、できあがった餅で「餅花」という正月飾りを作られる。できあがった飾りは宮家などに贈られるそうだ。
 前日の27日にも、両陛下は皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻、三笠宮さまなどの皇族方を皇居・宮殿に招いて年末恒例の午餐(昼食会)を開き、歳末のあいさつを受けられた。黒田清子さんなども出席した。
 事前の発表では雅子さまは欠席の予定だったが、当日朝に出席を決められた。ご夫妻の車は予定より7分遅れで出発し、皇居・半蔵門に午前11時50分すぎご到着。ご夫妻はにこやかに手をふられていた。
 12月25日、皇居・宮中三殿の皇霊殿で、大正天皇例祭の儀が行われ、両陛下、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻、常陸宮ご夫妻が拝礼された。高円宮妃久子さまと長女の承子さま、次女の典子さまは多摩陵(東京都八王子市)で、大正天皇山陵例祭の儀に臨まれた。
陛下「少しでもよい年に」 一般参賀に約8万人2011.1.215:23

 新年恒例の一般参賀が2日、皇居・宮殿で行われ、7万7000人あまりが訪れた。天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻などの皇族方は計5回、長和殿のベランダに立ち、東庭に集まった人々の祝意に笑顔で手を振って応えられた。
 モーニング姿の陛下はすべての回であいさつし、「今年がみなさん一人一人にとり、少しでもよい年となるよう願っています。年頭に当たり、世界の平安と人々の幸せを祈ります」などと述べられた。
 陛下や皇族方は午前に3回、午後に2回ベランダに立ち、午前10時すぎに行われた初回には、この日最多の15方が姿を見せられた。
 病気療養中の皇太子妃雅子さまは、午後の2回分の出席は未定としていたが、結局、体調を勘案してすべての回でベランダに立たれた
皇居で一般参賀 ご一家そろって夕食会も日本テレビ系(NNN)1月3日(月)1時20分配信

 皇居で2日、新年恒例の一般参賀が行われた。
 天皇陛下「新しい年を共に祝うことをうれしく思います。今年が皆さん一人一人にとり、少しでも良い年となるよう願っています」
 天皇・皇后両陛下は皇太子ご夫妻らと共に宮殿のベランダに姿を見せ、集まった人々に笑顔で応えられた。一般参賀は5回にわたって行われ、約7万7000人が皇居を訪れた。
 夜には愛子さまや悠仁さまも皇居を訪れ、天皇ご一家そろっての夕食会が開かれた。
673名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/04(火)19:14:25ID:Xr1Xdq5zP
ポスト』買って来ました。1/3日頃から余り皇室には関心のない男性に対する、簡単な「入門書」って感じ。
別枠に掲載されている小林よしのりの文章は、支離滅裂。「男系男子」の縛りは明治以降なんだと。愛子さまが直系だから天皇にしろって言ってるんだけど、悠仁さまも立派な直系だと理解出来ないらしい。
〆は天照大神が女性なんだから、女帝に道を開け...だとさ。
以下、項目を羅列します。個人的に気になった所のみ、/の後に内容をかいつまんで。

1)天皇は皇族ではない
2)皇室には名字がない
3)皇室が「倭」という姓を名乗った時期がある
4)「天皇」号は自立の証
5)いまでも天皇は国家元首
6)世界最古の君主の家柄
7)菊のご紋章は後鳥羽天皇に由来/正式には「十六葉八重表菊形」で、天皇陛下と内廷皇族のみが使う。
8)君が代の「君」は天皇のことではなかった
9)「三種の神器」は5つある/鏡と剣は本体と分身があるから
10)海に沈んだ神器がある/剣の分身。本体は無事
11)八咫鏡にはキズがある
12)神さまのお墓も宮内庁管理
13)年間で2000件以上の書類を決済
14)火曜と金曜は必ずお仕事
15)民主党政権が陛下にご負担
16)お休みはわずか60日ほど。
17)陛下に背中を向けてはいけない
18)首相らも新年の挨拶
19)地方では県知事らが同行
20)大使を馬車で送迎
21)サイパン島ご訪問は例外だった/相手国からの招聘ではなく、陛下の強いご希望によるものだった
22)お小遣いは、ほぼない
23)皇室の国民負担は年間200円/内廷費と宮家の費用なら一人頭5円
24)天皇はパスポート不要/他皇族は宮内庁長官が要請し外務省が交付
25)天皇は筆で書かれた免許証をお持ち
26)「お召し列車」はベルが鳴らない/さまざまな配慮がなされるが、有料で人数分の料金を宮内庁が支払う
27)皇居を掃除して陛下に会える
28)天皇は宮中でみずからモミ蒔き
29)1月1日午前5時半から「四方拝」
30)皇居の中に「祭りの場」がある
31)宮中三殿で奉仕する「神職」がいる
32)天皇だけがかぶれる冠がある/立纓のこと
33)年間の祭祀は恒例のものだけで30回以上
34)新嘗祭は天皇が給仕役/もち、神さまに対して
35)建国記念日には毎年、臨時御拝/紀元節がGHQの意向で廃止されたのに伴い祭祀も停止したが、昭和天皇が臨時御拝と称して礼拝を続行。現在も踏襲されている
36)北方神話と南方神話の統合
37)天皇「韓国とのゆかり」発言の真相/陛下の発言を朝鮮起源説とするのは完全な間違い
38)皇室の祖先にワニがいた/ワニ=鮫
39)『古事記』『日本書紀』に「神武天皇」は出て来ない/初代天皇はカンヤマトイワレビコだと伝えている
40)伊勢神宮は国内統一の象徴だった
41)皇統断絶の危機があった/5世紀末、皇位をつぐ人物が途絶えそうになった。懸命に皇統につながる人物を探し、応神天皇の5世孫という遠縁の人物を見つけることができた。継体天皇だ
42)経済的に困っていた天皇がいた/戦国時代、皇室の経済は困窮を極めた。それでも君主の自覚を持ち、疫病流行などの祭は、乏しい経費を割いて自筆の写経を各地の神社に納め、民衆の救済を祈った。
44)大正天皇は希有な詩人だった
45)「遠眼鏡事件」の真相/以前、筒に入れられていた詔書が逆さだったことがあり、その後、開く前に内面の向きをチェックされただけ
46)マッカーサーが昭和天皇に感動
47)「人間宣言」はなかった/敗戦後初めての正月に昭和天皇が下した詔書を「人間宣言」と呼ぶ向きもあるが、昭和天皇は、その冒頭に「五箇条の御誓文」を入れた。昭和50年の記者会見でも、それが「詔書の一番の目的」と明言。日本の民主主義は「御誓文」に由来する自前のものであることを伝え、国民に「誇りを忘れさせない」よう詔書とされた
48)天皇は「自由は望まない」/「皇位以外の人生や皇位にあったは享受できない自由は望んでいません」
49)結婚で一番大切なこと/「どんな結婚の場合でも、一番大切なことがございます。普通の男女の結婚と根本的に少しも変わりありません」by清水一郎
50)皇室の存在意義は「祈り」/皇后陛下は皇室の存在意義についてのお考えを次のように述べられている。「陛下が(略)国民の叡智がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます」

読みにくくて、ごめんなさい。
514名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)09:15:13ID:VJjt6v9/0
輸入したレポですが、週刊誌の混同等がありましたので、週刊新潮のレポと共に補足レポ。
女性自身とあったのは、週刊女性の記事ですね。
詳細は皆様各自でご確認ください。

週刊新潮2011.1.13号
愛子さま「養育女官」が辞めた深いワケ
1/2頁程の記事

・昨年12月27日、小山久子さんが東宮御所を去った。
宮内庁は、小山さん本人から「健康上の理由で務めが果たせない」と辞職願いが出ていたとするが、実際、「小山さんは昨年夏頃から半年近くずっと休んでいた」(宮内庁担当記者)
・愛子さま不登校問題が公表されたのは昨年3月5日だが、こういう時こそ「養育専任」である小山さんが力を発揮すべきだったはずなのだが、そのわずか数ヶ月後に出仕が出来ない状態に。
・「漏れ聞いたところでは、小山さんは不登校問題発生当時、学習院幼稚園から進学した愛子さまの同級生の父母から初等科内の情報を取っていたのだが、その内容が的確ではなく、東宮職から評価されなかったというのです」(前出・宮内庁担当記者)
・もともとは、養育面で万全を期したいという皇太子夫妻の要請を受け、鳴り物入りで小山さんを迎え入れたという経緯があったのだが。
・「就任当初から、小学校の児童の教育を元幼稚園長が担当するのはおかしいなどといった危惧の声もあった一方、期待も高かったのも事実。でも結局“不登校”という事態に至り、東宮職、皇太子夫妻の信任を失うことになった。これが心身に相当なダメージを与え、辞職せざるを得なくなったのだろう」(皇室ジャーナリスト)

〆は、後任は未定だが、愛子さまも4月には4年生に進級される。状況が状況とはいえ、いつまでも“養育”ではないはずなのだが…
478名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)07:48:11ID:VJjt6v9/0
レポ輸入します。レポ主さん、乙でした。

988名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/01/06(木)07:32:42ID:BjC6ZiWm
週刊誌レポ。至極簡単で申し訳ないです。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/01/27)
雅子さま「同伴登校」巡り愛子さま専任女官「お役目果たせない」退任
・退任した小山女官は雅子さまのたっての希望で養育専任女官に。
・幼稚園長時代、制服ボタンの掛け違いを注意するばかりでなくその場で直させるなどとても厳しかったが、すべては子ども達を思えばこそ。
・女官に就任したものの、その厳しさ故にだんだん雅子さまとの距離が。
・あの不登校会見後まもなく、小山さんは(以下太字)「一学期いっぱいで付き添いをやめてはいかがでしょうか」(ここまで)
・しかし二学期も付き添いは続き「これではお役目が果たせない」と退任。
・雅子さまは愛子さまを慰めようと腐心。終業式当日一家でバレエ鑑賞。23〜25の3日間学友を東宮御所へ招く。25日は約20人。愛子さまは楽しそうな表情。
〆はあの会見からもうすぐ一年、だったような…。
516名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)09:17:32ID:VJjt6v9/0

女性セブン2011.1.20日/27日号
皇太子妃雅子さま「同伴登校」巡り 愛子さま専任女官「お役目果たせない」退任
2頁の記事

・「臨月を迎えたある母親が、子どもの送迎を父親にしてもらったことがありました。(以下太字)そうしたら、小山園長がそのお母さんを呼ばれて、“お子さんはね、お母さんに送ってもらえなくて寂しい思いをしていますよ。いまが大事な時期ですから、なんとか頑張ってください”と言われたそうです。
普通に考えると、何と厳しいと思うかもしれませんが、常に子どものことを考えて、母親はその役割を果たさなくては、というのが園長の一貫した姿勢でした」(学習院関係者)
・12月22日、終業式のあった日の夕方、東宮一家は東京・五反田にある「ゆうぽうとホール」で『くるみ割り人形』の舞台を鑑賞。
12月23日~25日の3日間に渡り、愛子さまのお友達を東宮御所に招く。(以下太字)「3日間も続けてお友達をお呼びになるのはとても珍しいこと。
 とりわけ12月24日のクリスマスには、20名ほどのお友達が集まり、“クリスマスパーティー”が開かれ、愛子さまは終始楽しげな様子だったといいます」(宮内庁関係者)
・12月28日には“イルミネーション見学”。「今年は車で表参道から丸の内と二カ所まわられたそうです」(前出・宮内庁関係者)

※輸入レポでは、クリスマスパーティーは12/25日とありましたが、女性セブンには24日と書いてあります。
※イルミネーション見学は29日
478名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)07:48:11ID:VJjt6v9/0
レポ輸入します。レポ主さん、乙でした。

女性自身(2011/01/25)雅子さま、英国&ドイツ、海外W訪問へ、執念の2011年復活計画!
・4月の訪英は秋篠宮両殿下か皇太子一人ではないか。
・皇太子夫妻の訪独は6月頃?
・雅子さまは英語ドイツ語に堪能で東宮大夫も駐ドイツの経験があるのですんなり決まるのでは?
・しかし3つの問題が(以下太字)
 1.愛子さまの不登校問題が解決しているか
 2.海外での公務で体調が整うか
 3.国内公務はできないのに海外公務ができるのかという批判(ここまで)
・精神科医野田氏が海外へ行くことを擁護のコメント
〆は忘れました、済みません
518名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)09:20:54ID:VJjt6v9/0

女性自身2011.1.18/25合併号
雅子さま英国&ドイツ海外W訪問へ執念の’11年「復活計画」
2頁の記事

・(以下太字)「今年は雅子さまが意欲を燃やされているという海外訪問計画が2つある」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・1つは4月下旬のイギリス訪問。もう1つはドイツ訪問。
・「皇太子さまの訪独時期は未定だが、ドイツでは5月から6月にかけて、日本の文化を紹介する大きなイベントも開催されるので、その時期に合わせて出発されるのではないか。
 (以下太字)もちろん雅子さまの同行も検討中。日程によっては、4月下旬のイギリスから、5月のドイツまで、ゴールデンウィークに2カ国を歴訪されることになる」(宮内庁関係者)
・実は雅子さまは12年前からドイツ訪問を熱望していた。
 「’99年は『ドイツにおける日本年』で、イベントが多数行われた。この時の名誉総裁は皇太子様でしたが、開幕式典のために訪独されたのは秋篠宮さまご夫妻だった。(以下太字)雅子さまは“なぜ私たちではいけなかったのでしょうか…”と強いショックを受けていた」(雅子さまの古くからの知人)
・「愛子さま誕生前の雅子さまへの“海外訪問制限”は目に余るものだった。たとえ、“ぜひ皇太子夫妻に”という外国からのオファーがあっても、宮内庁が他の皇族方にお願いするケースが多かったのです。(以下太字)’99年のドイツのときにも、“あくまでもお世継ぎ問題が解決するまでは海外訪問は認めない”という宮内庁の非情な仕打ちに驚いた(太字ここまで)。この時の訪独が認められなかったトラウマは、その後の適応障害の発症にもつながっていった」(松崎氏)
・12月23日、天皇陛下お誕生日の夕食会。24日、妹・池田礼子さんの自宅でクリスマス会。27日、両陛下へ歳末のご挨拶と昼食会。28日、両陛下主催のもちつきの会。1月2日、御所で両陛下や秋篠宮ご一家らと新年の夕食会。
・特に、27日の昼食会は、旧宮家のご親戚たちも集う大きな会合だった。
 「食事の前後に30分位ずつ、別室で食前酒や食後酒などを楽しむ時間があります。雅子さまはとても明るい表情だったようです」(宮内庁関係者)
・皇太子夫妻と交流のある兵庫県在住の古結さんは、「12月13日に東宮女官から電話を頂き、雅子さまからのお言葉を頂いた」
・「雅子さまの4月訪英、5月訪独が実現するためには愛子さまの学校生活が正常に戻っていなければならないだろう。しかし、そのハードルを乗り越えて、雅子さまの完全復活のきっかけにして頂きたいと思う。(以下太字)訪独が実現すれば、12年前からの“執念”が実ったと言えるのではないか」(松崎氏)
〆は、年女・雅子さまの2011年の跳躍は目前だ―

以上です。
637名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)11:29:48ID:VJjt6v9/0
女性自身特集記事レポ。
女性自身2011.1.18/25合併号

シリーズ人間 皇室「新世代プリンセス」の肖像
秋篠宮眞子さま「20歳・成年皇族」デビューへ!

7頁の記事 眞子さま、佳子さまの他に、女王たちについても記述あり。
詳細は皆様各自でご確認ください。

・昨年12月23日、喜寿をお迎えになった天皇陛下は、お誕生日恒例の記者会見で、微笑ましいエピソードを交えつつ、秋篠宮家とのご交流についてお話しになった。とりわけ、今年20歳になられる眞子さまの成長ぶりを頼もしく思われているご様子。
・「皇室典範改正の議論は立ち消えになっているが、今のままだと、内親王や女王は結婚後、皇室から離れてしまい、皇室に残られるのは悠仁親王殿下おひとりになってしまう。将来的には女性であっても、皇族として育てられ、同じような価値観をもった内親王の方々が、それぞれ皇室をサポートし、支えていく必要があるかと思う」(元・宮内庁報道第一係長、山下氏)
・眞子さまは平成3年10月23日、宮内庁病院でお生まれになった。天皇陛下にとっては初孫にあたるため、眞子さまにまつわる「初めて」「皇室初」は多い。
・眞子さまのために抜擢されたご養育係は保母資格を持つ秋本さん。専門の保母さんがお子さまの相手をするのは皇室では初めてのことだった。
・「社会一般には、秋篠宮さまは自由奔放というイメージがあるかもしれません。ですが、実際は、シャイで、周囲にとても気配りをするタイプの方です。教育に関しては、優しく、ときに厳しく、お子さま方と接していらっしゃいます。それは秋篠宮さま自身が、天皇、皇后両陛下から育てられ、強い影響を受けたからでは」(元宮内庁担当記者で秋篠宮さまの友人の江森氏)
・「秋篠宮さま自身が動植物がお好きなのはよく知られていますが、3人のお子さまたちも同様に動植物がお好き。強制するのではなく、自然にお子さまたちをご自分のフィールドに巻き込んでいらっしゃる。これはなかなか出来ることではない」(江森氏)
・小学校6年生の夏には最初の海外旅行として、秋篠宮ご一家でのタイご訪問があった。
 「私的なご旅行ではあったが、視察も多く、公務といっていいようなものだった」(同行取材した当時の宮内庁担当記者・現在は産経新聞記者の山本氏)
 「眞子さまは大変しっかりされていて、マスコミを前にしても、非常に落ち着いていらっしゃいました。タイ王室の方々ともお会いになり、皇室と王室の交流もされ、その後は地方の暮らしぶりもご一家で見学し、勉強されたようです。眞子さまも佳子さまも、両殿下のご意向を受けたのか、皇族としての教育を随分早い段階からされているのだなと驚かされました」(同)
・その後も、眞子さまは頻繁に秋篠宮ご夫妻の公務に同席。高等科1年の夏休みには『全国高等学校馬術競技大会』に、平成20年4月には初めての単独公務『子ども動物園開園60周年野間馬贈呈式』に臨まれた。
・宮内庁関係者によれば、まだ成人されていない内親王殿下が公務に出席されるのは異例のことだという。しかしそこに、秋篠宮さまのお考えの神髄を見る人は多い。「これは、両陛下をお支えするのだという、秋篠宮ご夫妻の薫陶の賜物」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・妹である佳子さまも、ご両親の公務の様子を幼いころからご覧になっている。昨年は全国高等学校総合文化祭の視察に参加。昨年の開催地は口蹄疫災禍に揺れた宮崎県。ときには、厳しい現実と向き合わなければならないのが公務。15歳という若さで、佳子さまは真剣な表情で立ち合われた。
・ネットでアイドル的に扱われるほど人気者でもある佳子さま。手芸や料理も得意で、悠仁さまの満1歳の誕生日には、空き箱にフェルトを張り、鈴を入れたおもちゃを眞子さまと一緒に手作りし、プレゼントされた。紀子さま不在の時などには、姉妹で悠仁さまの面倒をみる、優しいお姉さまに成長されているという。
・「皇室を守っていくためにも、宮家の若い皇族方はインターネットなどで、公務などのご感想を発信してもよろしいかと思う。ご活動はやはり、福祉やスポーツ関係が中心になるとは思うが、同年代の文化であるコミケやダンス大会などもよいのではないだろうか。時代に合わせた露出もして頂きたい」(前出・山下氏)
・しかし、その半面、露出が多くなればプライベートの自由度は狭まらざるをえない。
 「公私のバランスをとれる環境づくりが必要」と山下氏は強調。
 「これは皇室や宮内庁だけではなく、国民、マスコミの問題でもある。我々が皇室をどう考え、どう接するのかによっても、今後の皇室の姿は当然今とは違ってくると思う」(山下氏)

〆は、プリンセスたちが国民とともに、のびのびと歩めるように―
私たちもまた、皇室のあり方について真剣に考えるべき時にきている。文/川上典子

以上です。
478名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)07:48:11ID:VJjt6v9/0
レポ輸入します。レポ主さん、乙でした。

週刊文春 雅子さま妃側近「愛子さま養育係」がまたひっそり退職
・12/27年内最後の東宮大夫会見の数時間後、1枚のペーパー。「小山女官退任」
・小山氏の女官就任に「雅子さまが引き抜いたのでは」
・いじめ会見前後のころ厳しく電話を掛けてきた(大意)が間もなくこの問題に関わらなくなった。
・とても厳しい一面、叱った職員を駅まで送りながらさだまさしの曲を車内に流すなどの心遣い。
・学習院の定年は65歳。61歳で選択制定年を選んだ小山氏は64歳。今も残っていれば。
〆は忘れました、済みません。
641名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/06(木)11:34:03ID:VJjt6v9/0
週刊文春2011.1.13号補足レポ
雅子さま妃側近愛子さま養育係がまたひっそり退職

・「小山さん退任の理由は、『体調が悪いため』だと言われているが、12月12日の皇太子殿下のお出ましで目撃されているので、本当の理由ははっきりしない。基本的に異動は3月なので、(会見後に退任の旨が書かれた紙が配られたのは)会見で質問されたくない理由があったのではないかと言われている」(宮内庁担当記者)
・小山さんの献身的な活躍は度々目撃されていた。
 「初等科1年の父母会で雅子さまのお伴、秋の初等科祭では妹の池田礼子さんとその息子さんを案内していて、“お気に入り”と言われていた。ところが、小2の父母総会以降は姿を見る機会は減っていました」(皇室担当記者)
・ここ数年、皇太子、雅子さま妃側近の退職が続いている。小山さんの退職はこの4年で4人目だ。
・小山氏は、「曲がったことは大嫌い。注意されると父兄が涙ぐむこともあったが、的を射ているので、父兄からの信頼も厚かった」(学習院関係者)
〆は、小山氏は現在64歳。「園長先生を続けていらっしゃれば…」学習院関係者からは、惜しむ声も聞かれた。

以上です。

※皇太子一家のイルミネーション見学ですが、週刊女性では12/29、セブンでは12/28となっていました。
399名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/07(金)18:34:16ID:V6FYrLGH0
移植します。レポ主様ありがとうございます

9名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/01/07(金)18:17:06ID:ylOLZORp
レポ。詳細は各自ご確認ください。
別冊正論Extra.14皇室の弥栄、日本の永遠を祈る−皇統をめぐる議論の真贋
※八木秀次氏「皇位継承をめぐる危機とは何か」
・「月刊正論」平成13年10月号で発表したものの再録。
〆は女性天皇・女系継承の容認は「万策尽きた際の選択肢」であり、それはあくまで立憲君主制を維持するための措置。
 それはこれまでの皇室の姿とは異なるものとなる認識と覚悟を持って行うべき。
 現段階では男系を維持すべく、旧宮家の男系男子に皇族復帰ないしは皇籍取得してもらえるよう典範改正を模索すべき。
 悠仁親王誕生により皇位はやはり男系で継承されるべきとの考えを強め、悠仁親王をお支えするべく
 旧宮家の男系男子に皇族復帰ないしは皇籍取得実現のための典範改正を主張する。
※新田均氏「墜ちたゴーマニズム−なぜかくも無茶苦茶なのか」
・64頁もの長さで小林氏の主張に疑問・反論をしていてまとめ切れませんので〆の部分だけ。
 皇室のことは皇室自らが決定するという旧皇室典範の基本方針に立ち帰るべきというのが基本的見解。
 そこで第一段階、天皇陛下を中心に、皇位継承問題などについての決定権を有する皇族会議を設ける。
 第二段階はその皇族会議で国民間での議論を踏まえつつ、皇位継承に関わる典範改正を進めていただくのがベストだと思う。
※竹田恒泰氏「絶対君主と立憲君主の間」
・皇位継承を巡る問題は典範改訂を中心とする立派な政治問題。
 そのよう政治問題について側近・政治家・官僚・学者・評論家などが大御心を語って持論の正当性を主張してよいのか。
 大御心を伝聞で語る者はいても今上に拝謁し政治的な意見を直接聞いた者は一人もいない。
・これまで今上から皇統問題のご沙汰がないことはその時期が到来していないことの証。
 もし皇統問題で大御心を伺ってもその通りに閣議決定されるとも、法案が国会を通過するとも限らない。
 これらが担保されない限り直接大御心を伺うことはできない。
〆は忖度の美名の下に天皇の政治利用が許されるべきではない。

※長尾一紘氏「"皇室軽視"民主党の理論的支柱を粉砕する」
・民主党閣僚の言動を振り返りながら憲法学者、宮沢俊義氏の天皇論を批判。
〆は宮沢氏の天皇論はその時々の権力状況によってカメレオンのように変転する。
宮沢氏の生きた時代は歴史の激動期にあり、この流れの中で常に主流の立場に身を置いてきた。
天皇に関する憲法学説は全く新たに再構築すべき時期にさしかかっているのではなかろうか。
※百地章氏「皇位世襲」の憲法解釈と「女系天皇」への疑問
・悠仁親王誕生によりひとまず男系による皇位継承の危機は回避された。にもかかわらず不遜にも「陛下のお考え」を持ち出して
女系天皇の容認どころか優先さえ主張している人々がいる、として小林よしのり氏・笠原英彦氏の名を挙げる。
〆は(忖度について小林氏・笠原氏の発言にはきわめて危ういものを感じると前振りしたのち)
陛下のお気持ちやご意志を忖度申し上げよというならば今上はもちろん昭和天皇や歴代天皇のお考えやご意志、
つまり125代にわたる「男系継承の歴史と伝統」に思いを馳せることこそが肝要ではないか。

およそここまでで前半。後半は後ほど。


【皇室ウイークリー】(166)愛子さまの養育専任ポストは“廃止” 天皇陛下のお忙しい元日…行事18件2011.1.807:00

 宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫は7日の定例会見で、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまの「養育専任東宮女官」を昨年12月27日付で退官した小山久子さんの後任の女官を、小山さんと同様の養育専任とはしない考えを明らかにした。
 野村氏は、元学習院幼稚園園長の小山氏が、健康上の理由で辞めたことを改めて説明。代わりとなる「通常の女官」を人選中とした。
 養育専任東宮女官のポストを「廃止」する理由については「彼女は専任女官ということで採用しましたし、やっていただいたんですが、『もういいでしょう』という感じです。宮様のご成長もございますし、全体でしっかりとお支えするというほうがいいという判断です。侍従もしっかりとお支えをしておるわけで、東宮職という組織全体で対応することになります」と説明した。(以下略)
週刊朝日2011年1月21日号
ワイド兎の耳
皇太子妃雅子さまを“隠密行動“にしてしまう宮内庁東宮職の愚

・愛子様の「通学問題」は未解決のまま年を越した
・問題の長期化とともに表面化したのは宮内庁東宮職の対応のまずさ
・たとえば、昨年女性セブンに掲載された「かまぼこ事件」記事への対応
・東宮職は、付き添いは一週間前に決まっていたと主張、抗議
・「問題は親が見学に付き添い、愛子様が特別扱いされたこと雅子さまに子離れを進言できない環境が東宮御所にあり、問題を長引かせ、過熱報道の一因に」学習院初等科関係者

・宮内庁は皇族の私的外出をオープンにしていないが、取材は過熱している
・「宮内庁記者クラブでは東宮大夫が週一会見で、皇太子一家の活動を発表記者クラブに入ってないメディアは独自に情報をつかみ、激しい取材合戦に」皇室担当記者
・とくに雅子さまは公務出席がごく稀で、私的外出が取材対象になりやすい。
・東宮職がそれを公表しないため、東宮一家が“隠密行動“をしているように報じられかねない

・実際、12月22日の皇太子・愛子様の行動がネット上で批判を浴びた
・「お二人はバレエ「くるみ割り人形」を鑑賞。この日は終業式で、愛子様は雅子さまと登校、ホームルームだけ出席のせいか、東宮職は極秘にしたかったのだろうが、ネットにお二人の“隠密行動“の目撃情報が。東宮夫妻への批判的書き込みも相次いだ」別の皇室担当記者
・東宮職が根本的解決に乗り出さない限り、東宮一家と国民の距離は広がる一方だろう

1ページ弱・安藤麻子。
117名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/09(日)07:50:51ID:zmwKsYlE0

月刊誌レポ。
※昭和天皇のお歌に込められた激動の時代を読み解いていく記事です。
長い記事ですので、ごく一部分だけのレポです。詳細は皆様各自でご確認ください。

文藝春秋2011.2月号
御製でわかる昭和天皇の喜びと嘆き

10頁の記事。保阪氏と辺見氏の対談形式。

・昭和天皇は、美智子さまに向けられたあたたかい視線のお歌を詠まれている。
・しかし、香淳皇后が詠まれたお歌には、美智子さまだけでなく、浩宮さまのことを詠んだ歌というのが、いくら探しても出てこない。古くからの侍従に聞いても、「さあ、存じ上げませんね」。
・昭和天皇には浩宮さまのことを詠まれた歌がたくさんあるのに、香淳皇后にそういった歌がないというのは不自然。
・侍従から聞いた話でとても不思議な歌がある。
 昭和天皇が昭和57年に詠まれたお歌だが、「わざわひ多き」という表現が入っていて、お側に仕えた侍従でも、何について詠まれたのかわからない。
「わざわひ多き」とは他のお歌では見られない強い表現。
・昭和天皇が詠まれたテーマというのは、今でも重要な問題であり続けていることに改めて驚く。
・皇室の内々のこと、たとえば雅子さま妃の問題も、昭和天皇がいたら、状況は変わっていたかもしれないと思わせるものがある。

同じく文藝春秋2011.2月号。
こちらもごく一部分だけのレポです。詳細は皆様各自でご確認ください。


死の床より申し上げます 学習院教授として皇族と接してきた立場から諫言する
誰よりも深く愛子さまの教育を憂う/学習院大学名誉教授・篠沢秀夫
11頁の記事。

・自宅の一室に昭和末期撮影の皇太子殿下(今上陛下)と一緒に写っている写真を置いてある。私はこの写真の前に来るとピアノに両手をついてお辞儀をするが、訪問看護師は、人によって「あっ、天皇陛下!」と叫び、私の真似でお辞儀をする人もある。中年だと、「皇太子さまね」と当時の称号が出る。
・ところが、ごく若い女性看護師は「ああ、テレビによく出ている人ね」。
 翌週、同じ看護師が来て、少しマシな反応。「あ、天皇陛下ね」。が、その後に「今は皇太子っていうんだっけ」。
・根本の理解が不足している。皇室については、女性週刊誌を見出しでチラチラ見るだけなのだ。こういう人は男女年齢を問わず、案外多いのではないか。
・最近のマスコミの話題は愛子さまの不登校問題。
雅子さまの付き添い登校について批判の声もあるようだが、徐々に出席時間は増え、決定的な不登校に落ち込んでいるわけではないので、何とかなりそうではないか。
・優秀な雅子さまには心配でならないとは思うが、お気を楽にと申し上げたい。
・皇族の第一の役割は宮中祭祀であり、それを次代に滞りなく伝えていくこと。それ以外のことは「まあまあ」で良い。
・皇族というのは生まれながらにして皇族なのではなく、ご自身の覚悟と努力である時“皇族”になられるというのが私の実感。
・今上陛下、皇太子さま、秋篠宮さまも成年式を迎えられると、みるみる姿勢が変わった。
 皇族としての責任を痛感、それを背負う覚悟をするからだろう。
・学習院は皇族を特別扱いしない。私も、皇族には丁寧に挨拶すれば、あとは普通に接していた。
・今上陛下に初めてお会いしたときか、クイズダービー出演中の年。陛下がお子さまたちと一緒に見ていると仰り、「問題、難しいですねえ」とお笑いに。

・学習院について。
 一つ目。入学についての特別扱いや裏口入学はない。
 入試の結果だけで判断を下す。幼稚園や初等科では保護者の面接試験もあるが、これは学校の成り立ちやそれに賛同する親御さんの意見を伺うのが必要なためではないか?
 幼稚園や初等科の試験に立ち会ったわけではないので、ハッキリしたことは言えないが、幼稚園でもそうだと思う。
 多分、皇族児童が今まで皆受かっているのは、成績が良いということと、たまたま、幼稚園の試験は皇族児童にはやりやすいからだ。
 教員の指示で色々な動作をする時も、皇族児童は教員を別の女官くらいに思って平然と言う通りに動作するだろうから、丸が沢山つくのでは?
 二つ目。上級の学校へ上がるのは、完全な「エスカレーター式」ではない。
 進学にあたって、外される者がある。初等科から中等科、中等科から高等科、高等科から大学へと、それぞれ関門がある。外しが激しいのは高等科から大学への場合。
 三つ目。皇族生徒についての学校の対応を、自分勝手に出来るとは皇族の親は考えていない。それは正しいし、勝手には出来ない。
 美智子さまも皇太子が在籍中に勝手に思うままを要求など決してなさらなかった。

・帝王教育の本質とは。
 昭和天皇も今上陛下も、美智子皇后陛下も宮中祭祀に熱心であられる。これこそ、次の世代の皇族に対する「帝王教育」。
・天皇陛下は祭祀を行うとき、国民のことを「大御宝(おおみたから)」と言っておられるそうだ。
・国民の安泰、発展を祈るのを最大の責務とする日本の皇室は世界に類の無い得意な存在であり、しかも世界最古王朝。
・皇族自身が日本の伝統を重んじる姿勢を示し、それを国民が敬意を持って支える、これこそが理想的なあり方。

〆は愛子さまもこれからそれを体現していかれることだろう―

以上です。
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011101000374.html
3学期も雅子さま付き添い 愛子さま、始業式は欠席2011/01/1112:10【共同通信】

 皇太子家の長女で学習院初等科3年に通う愛子さま(9)は、3学期が始まった11日朝、これまで通り雅子さまの付き添いで登校した。始業式には欠席し、クラスのホームルームだけに出席した。
 宮内庁関係者によると、愛子さまと雅子さまは、車で住まいの東京・元赤坂の東宮御所を出発し、近くの学習院初等科(新宿区)に。帰りは、歩いて御所に戻ったという。
 愛子さまは1、2学期も始業式に出ず、ホームルームのみに出席。学校への不安感を訴え、雅子さまの付き添いで、時間を限った通学を続けている。
愛子さま:始業式は出ず ホームルームだけ出席毎日新聞 2011年1月11日 15時00分

 皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)が通う学習院初等科(東京都新宿区)で11日、3学期の始業式があった。愛子さまは雅子さまに付き添われて登校したが、式は欠席し、式後のホームルームだけ出席した。野村一成東宮大夫によると、愛子さまは冬休み中は元気に過ごしたという。愛子さまは1学期、2学期の始業式、終業式それぞれに雅子さまの付き添いで登校したが、いずれも式を欠席し、ホームルームだけ出席している。
木幡・東宮女官長の退任決定2011/1/149:29

 皇太子妃雅子さまのお世話にあたる木幡清子・東宮女官長(67)が退任する人事が14日の閣議で決まった。発令は17日付。木幡女官長は皇太子ご夫妻の結婚を控えた1993年6月に東宮女官となり、2003年7月に東宮女官長に就任した。宮内庁によると、在任が長期にわたり本人から退任の希望が出されていたという。
木幡東宮女官長、17日付で退任 閣議決定2011年1月14日10時14分
http://www.asahi.com/national/update/0114/TKY201101140124.html

 皇太子妃雅子さまのお世話をする宮内庁の木幡清子(こわた・きよこ)・東宮女官長(67)が17日付で退任することが、14日の閣議で決まった。後任は空席で、岡山いち・東宮女官が当分の間、東宮女官長事務代理を務める。木幡氏は2003年7月から現職。
皇太子妃殿下
吹く風に舞ふいちやうの葉秋の日を表に裏に浴びてかがやく
このお歌は、昨年十一月終わり頃、皇太子妃殿下が愛子内親王殿下の御通学になる学習院初等科にいらっしゃいました折に、校庭に立つ一本の大きないちょうの木の黄金色の葉が、吹いてきた風に舞い、秋の日を受けてかがやきながら散りゆく美しさにお心を動かされて、お詠みになられました。
文仁親王妃紀子殿下
天蚕はまてばしひの葉につつまれてうすき緑の繭をつむげり
悠仁親王殿下は、昨年五月下旬に皇后陛下からきれいな緑色の天蚕を頂かれ、まてばしいの葉を与えて育てられました。毎日、天蚕が成長する様子をご関心をお持ちになりながら観察され、食べる葉が少なくなると、新しい葉の茂る枝を与えられました。二週間ほどして、天蚕は、何枚かのまてばしいの葉に包まれるように、美しいうす緑色の繭を作りました。秋篠宮妃殿下は、悠仁親王殿下がお世話をされた天蚕が美しい繭を作った時の情景を、このお歌にお詠みになりました。

両陛下、天蚕飼育農家を視察 群馬・中之条2010年8月29日19時58分
http://www.asahi.com/national/update/0829/TKY201008290192.html

 群馬県で静養中の天皇、皇后両陛下は29日、帰京を前に、全国一の生産量をあげる中之条町の天蚕(てんさん)飼育農家を視察した。天蚕はクヌギの葉を食べるヤママユガ。幼虫は緑色で、皇居でも皇后さまが育てている。天皇陛下は「今年は天蚕の飼育の時(皇后さまを)手伝ったのですよ」などと話し、「がんばってやってください」と励ましていた。
【皇室ウイークリー】(167)雅子さまをお支えする女官トップが退任へ 「天覧相撲」に白鵬が熱い視線?2011.1.1507:00

 皇太子妃雅子さまのお世話をする東宮女官のトップ、木幡清子・東宮女官長が17日付で退任することが14日、決まった。
 木幡氏は、皇太子さまと雅子さまの「結婚の儀」が行われた平成5年6月に東宮女官となり、以降、約17年間にわたって雅子さまを支えてきた。14日は67歳の誕生日だった。
 昨年末には、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまの養育専任東宮女官、小山久子さんが退任したばかり。新たに女官1人が17日付で入るものの、女官は女官長を含め当面、通常の5人から4人態勢となる。
 宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫は14日の会見で、欠員が一時的に生じても、お世話の面では支障は生じないとする認識を示した。木幡氏の退任理由については、「かねてより本人から希望があったが、新年行事が一段落するこの時期を選んだ」と説明。「たいへんよくやっていただいた」とねぎらった。
 皇室に関連する一連の新年行事は続き、今週も天皇、皇后両陛下は、講書始の儀(12日)、歌会始の儀(14日)をはじめとするさまざまな行事に臨まれた。
 歌会始では、両陛下と皇族12方のお歌が披露された。天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻の作品については、当日の記事で詠まれた背景などを紹介しているので、ここではそのほかの皇族方のお歌について触れてみたい。
 秋篠宮妃紀子さまの作品は「天蚕(やままゆ)はまてばしひの葉につつまれてうすき緑の繭をつむげり」。これは、長男の悠仁さまが世話をされたカイコ(天蚕)が、美しい繭を作ったときの情景を詠まれたものという。
 宮内庁によると、カイコはきれいな緑色で、悠仁さまが昨年5月下旬に皇后さまからもらい、マテバシイの葉を与えて育てられていた。毎日観察し、食べる量が少なくなるとまた新しい枝を与えられるなどした結果、約2週間後に繭を作ったのだという。
59名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/18(火)08:04:54ID:gAsw6yzH0
議論板よりレポ輸入。レポ主さん、ありがとうございました。

258名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/01/18(火)08:00:19ID:fe2TZFmn
至極簡単なレポで済みません。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/02/01)雅子さま、<復活>支える新女官は東大卒のスーパー翻訳家!
・長年東宮侍従を務めてきたA氏(70)が今春東宮職を去るらしい。
 編集部が本人に直接確認「…僕がいま辞めるわけにはいかないですよね…」。
 愛子さまが戻った後再度話を聞く機会「僕は辞めないですから」
・野村東宮大夫も特別職で定年がないとはいえ、今春退職するのでは。
 人事異動の激しい東宮職のなか新しく東宮女官に就く木本彰子氏。
・木本氏は東大卒で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の翻訳者。
 英語に堪能な木幡女官長の後任になるのに適しているのでは。
 木本氏がOG会(東京大学女子卒業生同窓会、さつき会?)のときわ会長を務めていた当時、東大総長だった吉川氏は、皇室典範改正有識者会議の座長を務めていたためシンパシーを感じるところがあるのでは。
〆は忘れました。
95名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/18(火)08:50:33ID:gAsw6yzH0
先ほどの輸入レポ、少し誤記もありましたので簡単に補足。

女性自身2011.2.1号
雅子さま、“復活”支える新女官は東大卒のスーパー翻訳家!
4頁の記事

・今春に退職するらしい東宮侍従のAさんは入れ替わりの多い東宮侍従の中でも10年以上務めてきた。愛子さまもなついているし、登校にもしばしばお供をしている。
・後任の東宮女官長は未定だが、木本彰子さんという女性が東宮女官として新しく採用された。(宮内庁関係者)
・今回の人事には、雅子さまの強い意向があったそうだ。(宮内庁関係者)
・東宮女官にという話があったのは、(雅子さまと東大の)同窓で、英語が堪能などの経歴があったからだそうだ。もともと雅子さまと親交があったわけではないが、何人か候補者がいた中で、雅子さまと(経歴が)近いということで白羽の矢が立ったと聞いている。(本の共訳者で、前参議院議員の広中氏)
・「木本彰子さんを採用することに関して雅子さまはとても前向きだったと聞いている。(中略)しかし残念ながら、今回の抜擢人事に疑問を呈する声も上がっている。“いくら東大卒といっても、古くからの慣習も多い宮中でどれほどの役に立つのか”といった意見」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・始業式が行われた1月11日、本紙記者は雅子さまと愛子さまの帰宅の様子を目撃。
元気よく腕を振りながら歩く愛子さまとその数メートル後ろを歩く雅子さま。
・今後は木本さんも愛子さまの教育に携わっていくことになるだろう。

〆は、“新東宮女官の抜擢”という芽は、春には大きな花を咲かせるに違いない―
172名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/18(火)11:07:54ID:9MAKrVao0
補足の補足、木本氏のなくなったダンナは広中(和歌子)の実弟。
海外留学の経験のある人だから雅子さまと話が合うでしょうと。
173名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/18(火)11:09:14ID:7bdt0pg5P
女性誌チラ読みしてきた。
・東宮女官は公務員だが、公募はしておらず、基本的に縁故採用。
 皇室関係者や宮内庁職員の推薦があった人物から選ばれる。
・近い将来、木本さんの東宮女官長就任もあるといわれている。
 女官として仕事に慣れた段階で昇進か。
・東大卒というキャリアを重視した登用にせよ、女官長を前提とした採用にせよ、前例のない大抜擢。
・木本さんも、アメリカやイギリスで6年間生活していた。
女性自身の記事ですが、なんだかね…
59名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/18(火)08:04:54ID:gAsw6yzH0

週刊女性(2011/02/01)愛子様、学校前で「15分間籠城」一部始終
・「まだ降りてきませんねえ…」東宮職員が心配そうに見る先にワゴン車。
1/14、通常の10時20分頃より2時間余り遅れた12時過ぎ到着。しかし雅子さまと愛子さまが降りてこない。
・校庭に出ていた児童達が校舎に戻り、付き添っていたSP達が雑談を始めてしまった約15分後、女官と共に二人が降りてくる。
 歩き始めて間もなく、後ろを歩く雅子さまに何かを訴えている様子。
・小山氏が退職したことで愛子さまは不安を覚えたのではないか。(小山氏は)甘えてもいい、安心できる人だったのでは。祖父母を失ったような喪失感があるのでは。(大意・カウンセラー某氏名前失念)
・2時間後の愛子さまはうってかわって上機嫌。
・翌15日、皇太子に連れられてスケートを楽しんだ
〆は忘れました、済みません。
96名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/18(火)08:51:31ID:gAsw6yzH0

週刊女性2011.2.1号
「愛子さまが車から出てこない!」学習院前で15分の“籠城”一部始終
1頁の記事

・1月14日。いつもの10時半ごろより大幅に遅い12時20分ごろに、2台の護衛の車とともに学校に到着。
・宮内庁関係者も顔を曇らせる。
「11日の始業式は、ホームルームのみの出席でしたが、新学期のお疲れが早くも出てしまわれたのでしょうか…。おそらく、学校に行きたがらない愛子さまを説得されて昼過ぎに学校までお連れしたが、やはり行きたがらないということだったのではないでしょうか」
・3分…5分…チャイムが鳴り、昼食のため生徒たちが校庭から引き上げても3台の車の位置はそのまま。10分。車の前に立っている出迎えの侍従もキョロキョロ。15分ほどたつと、ようやく二人が女官と車から出られて校門へ。
・しかし2時間後には打って変わって上機嫌でいつもの3人のお友達と校門前で遊んでからバイバイをされ、雅子さまと車で帰宅
・冬休み中は大丈夫だったかもしれないが、いざ抵抗感のある学校が始まると、身近に甘えられる人や世話を焼いてくれるひとがいなくなったことに気付かれ、リズムを崩されたのではないか。(教育評論家・尾木氏)
・翌15日には、都内でスケートを楽しまれた。
「皇太子さまがスケート場まで見送られて、午前中いっぱい“初滑り”を楽しんだご様子です」(別の宮内庁関係者)

〆は、今週から再び元気に登校が続けば、雅子さまのご公務本格復帰もみえてくるはず―
以上です。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20110119k0000m040116000c.html
愛子さま:3学期初めて1人で歩いて下校毎日新聞 2011年1月19日 2時26分

 皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科3年=が18日、3学期になって初めて学校から1人で徒歩で帰宅した。1人での下校は昨年7月23日の1学期の終業式以来。登校時は車で雅子さまが付き添ったが、この日は授業終了後に父母会があったため、雅子さまは愛子さまと別れ、同会に出席してから東宮御所に戻った。野村一成・東宮大夫によると、愛子さまは11日の始業式は欠席したが、その後のホームルームには出席。3学期も雅子さまが付き添い時間を区切っての通学が続いている。【真鍋光之】
12名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/19(水)22:53:08ID:RNReKedZ0
週刊誌最新号レポです。
文春、新潮どちらもがっつり!4ページありますので、ざっとお伝えします。(それでも長くなりましたが)
詳細は本誌をお読みください。

週刊新潮(2011.01.27号)
2年で5人が去った「東宮」に何が起きているのか!

・昨年12月27日、小山久子さんが「自己都合」で退職した。これまでの先生が今度は仕える立場に、という“構図”の逆転に、小山さんが悩んだのは想像に難くない。(宮内庁担当記者)
・1月17日付けで木幡清子さんが退任。前々から辞めたい、と話されていたのをこちらから引き止めていた。新年行事が一通り終わったのを機に退職届を受理した。(野村東宮大夫)
・しかし、引き止めるのであれば小山さんが辞めてすぐの時期は避けるべきで、やはり何らかの問題があったとみるべき。(前同記者)
・お二方とも「任期満了」に伴う退職では決してないのは一目瞭然だが、どうやらそこには、根深い“事情”が横たわっているようだ。
・小山さんの退職理由については「健康上の問題」と表向きされている。しかし、雅子さまとの距離が遠ざかったというのが真相。事実、昨夏以降、お二人は互いに連絡が取れない状態に陥っていた。(全国紙記者)
・学習院の「緩衝剤」役を期待されていたが、それに応えられなかったというのが、原因のひとつ。古巣との間で板ばさみになってしまい結局、学習院側から正確な情報を取ることができず、不登校の改善にも寄与できなかった。これで雅子さまの信頼を失ってしまったもよう。(前同記者)
・木幡さんもまた、雅子さまとの「軋轢」を抱えていた。昨年、愛子さまの不登校問題について、木幡さんが周囲に「学習院だけに責任があるわけではない」といった趣旨の発言があった。その言葉が巡り巡って雅子さまの耳に入ってしまった。(東宮職関係者)
・当初、雅子さまは「どうしてそんなことを」と理解に苦しんだご様子。そうした疑念はいつしか幼い愛子さまにも形を変えて伝わって、「ますます学校へ行きたがらなくなってしまわれた」。(同関係者)
・徐々に木幡さんとのすれ違いが広がり、雅子さまは「分かってくれるはずの人が、なぜ分かってくれないのでしょうか」と周囲に漏らされた。(同関係者)
・木幡さんを“切る”方向で進んでいた話が急展開をみせたのは、1月11日。1、2学期と同様、愛子さまは始業式には出ず、HRのみのご出席となった。これが決定打となり、3日後の発表へと至った。(同関係者)
・あたかも「雅子さまシフト」においてパージに遭ってしまった格好のお二方。しかし、何も女官に限った話ではない。わずか2年足らずの間に、皇太子ご夫妻のお傍からは、ほかに3人もの職員が「不本意な離脱」を遂げている。
・2009年3月、末綱東宮侍従長が退任。雅子さまと折り合いが良くなかったとも言われており。わずか3年半で去ることになった。(宮内庁関係者)
・その1ヶ月後、養育係の福迫さんが突然の辞職。信任が厚く、愛子さまとも大変仲がよかったのだが、立場的にはるか上の地位である専任女官に小山さんが就いてから、仕事がしづらくなったよう。(同関係者)
・皆後任が決まらないうちに辞めている。いずれにしても役所という組織からすれば、尋常でない事態。やはり両殿下と東宮職がうまくいっていない表れか。(元宮内庁職員山下晋司氏)
・前述した4人はいずれも職を辞して去った人々だが、一方で人事異動によって東宮をあとにする職員もいる。その中には不可解な事例も。
・東宮職に「事務主管補佐」という、課長職の下に位置し、かつ行啓や医務などの係を束ねるポストがある。数人の補佐で各係を分担、うち2004年からそのポストに就いていた50代のベテラン職員がおり、昨年4月、補佐の中でも上席である「総括職」という地位に昇格した。(東宮関係者)
・しかし、その男性がわずか3ヶ月で任を解かれ、7月初めには東宮から宮内庁本庁へと異動になった。
・東宮内の予算を取り扱う要職に就いたばかりの職員にとって、きわめてイレギュラーな異動。さらに異動先は本庁主計課の課長補佐。8月末の概算要求の提出期限を控えて大忙しのセクションで、この時期に人を入れ替えるなど通常では考えられない。東宮で何かあったのでは、ともっぱら職員の間で囁かれていた。(同関係者)
・ちょうどこの時期、皇太子ご一家は須崎の御用邸を静養で訪れていた。それにさきがけて、雅子さま周辺から滞在中に生じる経費についての要望があり、この補佐が首を縦に振らなかったのでは、という生々しい話も。彼は昭和天皇の時代から東宮職に籍を置き、皇太子殿下との付き合いも長く、殿下からの信頼も厚い。そのことから、雅子さま周辺との間に「何か」があったとの推測が飛び交った。(同関係者)
・こうした人事がまかり通っているのだとすれば、東宮職はもはや機能不全に陥っている。「物言えば唇寒し」の風潮が東宮にあるとしたら、大問題。現在、雅子さまと良好な関係にある東宮職は、野村東宮大夫、野本勲侍従の二人。しかし、二人とも今年71歳で、退任まで長くない。心安いスタッフで固めたつもりでも、前述した特別職の「不文律」に倣えば、体制刷新へのカウントダウンは始まっているのかもしれない。
・木幡さん、小山さんは、雅子さまに「愛子さまと少しずつお離れになってはいかがですか」と進言したという。徐々に女官との間に距離が生じ、ついには自分の二人の妹や母親と“ホットライン”で相談をして方針を決めるようになってしまったとも聞く。もはや雅子さまを支えていく組織そのものが崩壊の危機にある。(ベテラン皇室記者)
・雅子さまが愛子さまを構いすぎる傾向があり、傍らの養育担当も思うように仕事ができない、ということがあったのかもしれません。(皇室ジャーナリスト稲生雅亮氏)
・雅子さまはおのずと孤立を深めていくような道を選んでしまいかねない。退任した木幡さんを自宅に訪ねると、「私からは何もお話はございません。ご苦労様です」落ち着き払って応えるばかりであった。(で、〆)
83名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/19(水)23:38:05ID:RNReKedZ0
週刊誌最新号レポ続きます。
新潮と重複する箇所は省略します。

週刊文春(2011.01.27号)
「東宮女官長」辞任の衝撃!この4年で5人目
雅子さま「側近たち」はなぜ次々去るのか〜深層レポート
※友納の記名なし。無記名レポート。

・木幡清子氏は、退任の午後9時過ぎ、都内の高級住宅地にあるマンションに帰宅した。片手に花束を持ち、もう片方の手には、記念の贈り物か、それとも荷物なのか、紙袋を三袋ほど重そうに運んでいた。「お話することはございません、失礼します。」小誌の取材には応えなかったが、木幡氏の表情は晴れ晴れとしていた。
・小山さんが退任されたばかり。ひと月も経たないうちに、女官長まで退任する事態に。通常、人事異動は3月末。小山さんは「体調不良」が理由。木幡さんは「体調は悪くない」という。
・木幡さんは新潟出身。おしとやかで品が良い。自分のことをあまり話さない方でしたが、皆の憧れの的でした。青山学院大学文学部仏文科を卒業してすぐ、外交官と結婚した。(大学の同級生)
・夫である木幡昭七氏は、大使時代小和田恒氏と官邸に一緒に報告に行ったことも。中山太郎外務大臣(当時)が顔色が悪いことを指摘され、昭七氏は病院へ行ったらガンと分かったが、その時点ではもう手遅れだった。(外務省の同僚)
・立て続けに起こる東宮女官の退任事件。東宮さまのところはどうなっているの、と関係者からいぶかしがる声も上がる。木幡さんは前々から辞意を表明。小山さんも木幡さんも退任したのは、雅子さまの病気と無関係ではない。今の東宮御所は愛子さまにかかりきりで、公務もほとんどない。女官としても居場所がなくなったと感じたのでは。(宮内庁関係者)
・女官の仕事は、以前は当番制だったが、数年前から、ある女官が重用されていると噂されるようになった。皇居に来られる時も、その女官がお付きのことが多く“雅子さまのお気に入り”と見られている。木幡さんからすれば、自分を差し置いて、お気に入りの方がいたらやりづらいでしょう。(同関係者)
・最近、初等科などで度々姿を見せていたのも、その女官のようだ。がっしりした体格なのにすごく細やかなので、すぐ覚えたほど。運動会に同行していた時には、ひざかけを二つも三つも袋に入れて、雅子さまや優美子さん、礼子さんに「お寒くありませんか」と渡していた。応援しているうちに温かくなった雅子さまが「暑いわね」と言うと、パッと扇子を取り出し「お使いになります?」。愛子さまもとても懐いており、愛子さまの担当なのだと思っていた。(初等科父兄)
・一方、小山さんは当初は愛子さまご養育専任という任命だったはずが、徐々にその任を重んじられなくなったように見られていた。野村大夫の発言で、木幡さんには「たいへんよくやっていただいた」と感謝の念を示しているのに、小山さんの場合は「もういいでしょうという感じです。」といささか冷たかった。請われて東宮へ入ったのに、これではさすがに失礼なのでは。(皇室ジャーナリスト)
・小山さんは正論をハッキリおっしゃる方ですが、両殿下と意見が合わなくても、自分の意見を主張されるのはないかと心配していた。幼稚園では「夜8時以降に子どもが起きている場合、それは虐待です。あなた方は違うと思いますけど…。」とおっしゃっていたので驚いた。(児童の父兄)
・小山さんは退任前に関係者に漏らしていた。「園長の時には言えていたことも、女官にあがると部下なので、アドバイスもしてさしあげられない」。女官は役人として、“召使”としての仕事と両方をこなさなければならない。
・おそばの者なら、妃殿下のお部屋の中のことだって、わかるはずだというかもしれないが、雅子さまの場合は「おやすみなさいませ」と言ってプライベートなお部屋に入られたら、なかで何があっても私たちにはわからない。天皇皇后両陛下は、侍従や女官がお部屋に入ることも、あまり苦とお感じにならないらしいけれど、東宮御所は公私の部分がはっきり分かれている。それに雅子さまは何でもご相談される性格ではないので、ご体調が悪くても、周りが気づいて差し上げることができない。(雅子さまに仕えたある東宮関係者)
雅子さまは仕事に対して厳しいところもあり、私たちがしかられることも多い。しかし女官とはそういうものだと思わないと務まらない。召使としての覚悟があるかどうか。語弊を恐れずに言えば、優秀な人ほど出て行きたくなるような仕事なのだ。(同関係者)
・側近の退職者はこの4年間で5人。2007年9月に楠田恵美子東宮女官、2009年3月に末綱東宮侍従長、2009年4月には福迫美樹子氏が辞めている。天皇皇后両陛下に比べると、比較的若く、しかも短期間で辞めている退職者が目立つ。
・楠田さんの勤務は、2005年3月からの2年半。雅子さまの東宮女官の中で最も短かった。上智大学外国語学部英語学科を卒業し、エール大学に留学経験もある。英語が堪能で、雅子さまが定期的に聴講されている国連大学へのお出ましの際には、大学の事務方と流暢な英語で打ち合わせ。ご主人が亡くなってからは、近所の子どもたちに英語を教えていた。(前皇室ジャーナリスト)
・雅子さまは優秀な楠田さんを気に入り、休日にも出られる日は出てもらうこともあった。しかし楠田さんは、御所には内緒で休日や早く帰れる日にはまだ英語を教えていた。生徒には「もう教えてあげられない」と言っていたようだが、ぜひ教えてほしいと請われた。ただ、休日に仕事が入れられるかどうかという話の時に、英語塾のことが知られてしまい、雅子さまからお叱りを受けたという。このことが退職につながったもよう。(楠田氏知人)
・末綱氏の場合は、皇太子ご夫妻との関係が退任に影響したと言われている。就任当時は、2004年5月に皇太子の「人格否定発言」があったこともあり、末綱氏の着任によって、千代田との関係改善が進むものと期待する向きもあった。就任当初は「大丈夫。皇太子さまとは何でも話せますから」と自信を見せていたそうだが、天皇皇后との関係が深いことがかえって、皇太子ご夫妻との関係を築く上で障害になったと見られている。(別の宮内庁関係者)
・退任の数ヶ月前から噂はあったものの、「長官まで務める」と見られていただけに、周囲は「東宮御所の仕事はそんなに大変なのか」と受け取った。
・退任直前の末綱氏の、警察庁のOBや宮内庁長官を訪れて、苦しい胸の内を訴えていたという。「皇太子妃との関係がうまくいかない。これ以上続ければ、かえってご迷惑をおかけする」と話し、時折涙を見せていたそうだ。期待が高かったのは本人も承知していたから、無念だったはず。(同関係者)
・福迫さんの場合はどうか。愛子さまは福迫さんに懐き、オランダご静養にも同行。2006年新年の「ご近影」撮影中に千代田サイドからクレームがつく“事件”が起こった。愛子さまがおむずかりにならないようにあやしたり、カメラマンの側で愛子さまに向かって手を振って注意を引いたりしえいたのが、皇室ではありえない振る舞いと思われ、千代田側から苦情が伝えられた。(皇室関係者)
・福迫さんは辞める数ヶ月前に知人にこう漏らしていた。「宮さまはかわいいし、雅子さまにもよくしてもらっている。でも私は一人の子の面倒ではなくて、たくさんの子と関わりたくて、幼稚園教諭になったから、やっぱり現場に戻りたいわ」
・木幡さんと入れ替わりに着任したのは、翻訳家の木本彰子氏。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・ヴォーゲル氏は、小和田恒氏と交流があり、雅子さまのことは米国の高校・大学時代から知る人物。愛子さまご誕生の際には祝電を寄せている。「家族、友人はもちろん、天皇家の血筋が途切れないことを望んでいる日本の国民も喜んでいるだろう。(中略)彼女が米国で高校生活を送っていたころ、私が小和田さん宅を訪ねると、彼女は母親の手伝いをし、客をよくもてなす思いやりがあった。彼女は皇室に入って多くのものを犠牲にしたと、数多くの西洋人は思っているが、私はそう思わない」
・側近たちの退任理由はそれぞれだが、雅子さま妃のご病気が長引くなか、お仕えする苦労もひとしおだろう。一日も早いご回復を祈るばかりだ。(で、〆)急いでうちましたので、誤字脱字スミマセン!
240名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/20(木)06:43:55ID:iZbqisBE0

週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性セブン2011.2.3号
東宮女官長退任で抜擢
「皇太子妃雅子さまの盾に!」新リーダー“命の献身”
3頁の記事

・愛子さまは年を追うごとにスケートの練習に熱心に取り組まれている。
・1月15日。東京郊外のスポーツ施設のリンクで新年初滑り。午前10時過ぎ、愛子さまは皇太子さまと二人で姿を見せ、お友達数人と約2時間スケートを楽しまれた
・この日午後から公務があった皇太子さまは、愛子さまをスケート場に送ったあとすぐに帰られたが、いつもは付き添われるはずの雅子さまの姿は結局見られなかった
・「関係者の間では、“体調を崩されて同伴を取りやめたのでは”と、心配の声も上がったようだが、実はこの直前、雅子さまに不安を抱かせる出来事があった。その影響もあったのかもしれない」(宮内庁関係者)
・その出来事とは、木幡東宮女官長が1月17日付けで退任することになったこと。
・これまで東宮には女官長を筆頭に常時5人が皇太子夫妻に仕えてきたが、最近では愛子さまの養育掛を務めていた福迫さん、昨年12月には養育専任女官だった小山さんが退任するなど、側近たちが立て続けにいなくなっているのが実情。
・そして今回、女官たちを束ねる“トップ”である女官長までが退任するに至った。雅子さまとしては心寂しいことであり、その不安もさぞかし大きいことだろう。
・元外交官夫人であった木幡さんが東宮女官に任命されたのは、雅子さまが皇室に嫁がれたのと時期が同じ93年6月。
「それだけに、常に雅子さまに思いを馳せる方だった。(中略)ときには関係各所とのパイプ役となり、またときにはクッション的な役割を果たし、日々腐心された姿が印象に残っている」(別の宮内庁関係者)
・木幡さんは03年に女官長に就任。宮内庁が雅子さまの病気を「適応障害」と発表してから、木幡さんの腐心の日々はさらに続くようになった。
・「公務がなかなか果たせない雅子さまに対して、厳しい意見を耳にすることもありました。そんな時、木幡さんは必死に歯を食いしばるようにして雅子さまを支え、ときには盾にもなってお仕えしてきました」(前出・宮内庁関係者)
・雅子さまはそんな木幡さんを信頼され、木幡さんがいれば大丈夫と何よりの頼りとされるようになった。
・退任理由を宮内庁は「17年もの長きに渡って務めを果たしてきたため」としているが、「(以下太字)木幡さんは責任感の強い方でした。彼女が何より大事にしたのた組織の和を守ること。しかし、福迫さん、小山さんと立て続けに辞めてしまい、東宮職内部に少なからず混乱が生じました。リーダーである木幡さんはそのことに心を痛め、責任を重く感じてしまったようです(太字ここまで)。そのために退任という道を選んだのではないでしょうか。そうでなければ雅子さまの体調がいまだに回復していない状態で、辞めるわけがない」(ある皇室関係者)
・後任はまだ決まっていないが、当分の間、岡山いち・東宮女官が東宮女官長事務代理を務めることとなった。
・「15年近く木幡さんの下で女官として働いてきた岡山さんに、木幡さんは絶大な信頼を寄せてきた。(以下太字)それだけに、雅子さまを支えてくれる人はこの人しかいないという思いで、木幡さんは次のリーダーに彼女を推挙したようです」(前出・宮内庁関係者)
岡山さんは学習院出身。「児童養護施設の仕事をボランティアとして手伝ったり、いのちの電話の手伝いもされていたと聞いたことがある」(岡山さんの知人)
・岡山さんは、母親が介護と必要とする状況になったときも、東宮女官としての務めを果たさなければという思いを貫いた。5年ほど前に母親が亡くなった時も、東宮女官の職を第一に考える気丈な姿であった。そんな姿勢に前出の知人は感嘆しながら、「母親の死に直面しても、雅子さまのために命をかけて献身する。責任感の強いあの方は東宮女官としていつも自分に言い聞かせているのだと思う。(以下太字)いつだったか、“雅子さまのご病気が心配です”と伝えると、“一日も早くお元気になっていただきたいと願っているんです”と、それは祈るような眼差しで話されたことがありました」

〆は、前東宮女官長の意志を受け継ぎ、岡山さんは東宮女官の新リーダーとして、「雅子さまの盾」となるべく思いを新たにしていることであろう。
雅子さまも新しい体制にこれからの希望を託されているに違いない。

以上です。
皇室ウイークリー(168)皇后さま、草なぎさんに「SMAPって大変でしょう」 愛子さま、1人で下校も2011.1.2207:00

 (略)
 皇太子妃雅子さまのお付き添いを受けながら学習院初等科(東京都新宿区)への登下校を続けてきた皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまが今週、お1人で下校された日があったことが明らかになった。
 宮内庁の野村一成東宮大夫が21日の定例会見で認めた。小学2年生だった昨年3月、通学にご不安が生じたことが発覚して以降は連日、雅子さまが登下校に付き添われていた。
 ただ、野村東宮大夫は「(通常は)妃殿下の付き添いのもとでご通学、というのは変わりがない」と、“楽観論”を否定。あまり状況は変わっていないとする認識を示した。
 一方、雅子さまは17日、お住まいの東宮御所で皇太子さまとともに、今年になって人事発令があった東宮女官らに対する「ご会釈」に臨まれた。東宮女官は、雅子さまのお世話役のポストにあたる。
 野村東宮大夫は、年末以降人事異動が続いた東宮女官や、東宮職の新体制についての記事が週刊誌に多く出ていることについて、「内容は憶測に基づくものがほとんどでございまして、私個人的には、指摘したい部分もございますけど、ある一部を取り上げて私が発言することがかえって憶測を呼ぶということも考えられますので、私からはコメントを避けたい」と批判的に言及した。(以下略)
846名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/25(火)07:48:34ID:JQcHVheF0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性自身2011.2.8号
雅子さま念願の英国訪問は「秋篠宮ご夫妻に…」宮内庁の“冷酷”!
2頁の記事

・1月18日、愛子さまは今年初めて一人で歩いて下校。
・(以下太字)愛子さまの不登校問題に明るい兆しが見える一方、雅子さまは最近あることで強いショックを受けられたのだという。
・「雅子さまが悩んでいらっしゃるのは、4月29日にロンドンで行われるウィリアム王子の結婚式のことです。ダイアナ元妃が最後に来日したとき、東宮御所で歓談されたのは皇太子夫妻でした。08年10月にチャールズ皇太子とカミラ夫人が来日したときも夕食会にお招きしています。そういったご縁もあって、“私たちがイギリスにうかがったほうがよいのでは”と考えていらっしゃいますし、雅子さま自身も訪英を強く希望されているのです」(皇太子夫妻の知人)
・「(以下太字)しかし、宮内庁から反対の声が上がっていることをお聞きになり、“私の訪英は認められないのでしょうか”と落胆されているというのです」(前出・知人)
・「宮内庁の反対の声とは大きくいえば2つの意見。1つは“格の問題”。もう1つは、“雅子さまは日本国内の公務もお休みになっているのに、いきなり海外公務に行かれて大丈夫なのか”という危惧の声」(前出・知人)
・皇族の海外ご訪問はどうやって決まるのか。「基本的には、外務省から“どこそこの国からオファーがきています”という連絡が、宮内庁式部職の外事担当に来ます。式部職のトップである式部官長、宮内庁長官、次長ら宮内庁の幹部たちが、どなたに行っていただくかを相談したうえで、両陛下のご許可を得るという流れです」(元宮内庁職員・山下氏)
・(以下太字)現在、宮内庁内は“慣例では、イギリスには秋篠宮ご夫妻に行っていただくのが順当だし、無難なのでは”という意見が大半を占めているという。
・(以下太字)「雅子さまが海外訪問に意欲的でいらっしゃることは、政府にも伝わっています。しかし、宮内庁からの意見は“雅子さまご自身のご病状の他に、愛子さまの不登校問題が解決していない以上、雅子さまの早期の海外ご訪問(訪英)は、困難と拝察している”というものなのです」(政府関係者)
・「愛子さまが誕生される前、雅子さまの海外ご訪問が認められない時期が続きました。海外ご訪問よりも、お子さまを産まれることを優先するべきだという宮内庁内の意見が強かった。(以下太字)私には雅子さまに対して非常に冷酷な仕打ちであると感じましたが、今回の訪英でも同じことが繰り返されようとしています」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・「不登校問題はあせって解決出来るものではない。しかし、このままでは雅子さまへの負担も大きいだろう。もし私が主治医たとしたら、4月の新学期からは、愛子さま一人での登校をお勧めすると思う」(精神科医・磯部氏)
・「ウィリアム王子の結婚式は後々まで“世紀のウエディング”として記憶されることになるだろう。ヨーロッパ中の王族がお祝いに駆けつける場ですし、皇太子夫妻では格が高すぎる、という意見には違和感を覚える。(以下太字)4月の訪英は、それを希望している雅子さまにとっては、公務復帰への最大のチャンス。さらに、愛子さまの不登校問題のチャンスでもある」(文化女子大客員教授・渡辺氏)

〆は、雅子さまのご希望が尊重され、ご公務復帰への道が拓かれることを祈りたい。
848名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/25(火)07:50:47ID:JQcHVheF0
週刊女性2011.2.8号
雅子さま春・秋大型公務を「決断」へ!
2頁の記事

・先週21日。(以下太字)「5時間目を終えた愛子さまは、駆け足で校門を出られ、雅子さまに呼び止められたのか、一瞬、雅子さまを振り返られ一緒に歩いて帰られました。とてもお元気になられた様子で…」(宮内庁関係者)
・変化の兆しは「籠城事件」の翌15日から見られた。「愛子さまは江戸川区内のスケート場でお友達と初滑りを楽しまれました。今までは皇太子さまや雅子さまが付き添われ帰りも一緒でした。しかし、この日は行きに皇太子さまがついてこられましたが、ご公務のためそのままトンボ帰り。お帰りの時もご両親はいらっしゃいませんでした。ご両親がいなくても、愛子さまは平気なのだな、と思いました」(前出・宮内庁関係者)
・週明けもその様子は続き、18日もお一人で下校。3学期の2週目にきて急速にお元気になられてきたようだが、これには愛子さまのある“選択”がきっかけになっているのでは。
・「18日の父母会では、4年生から始まる『特別クラブ活動』についての説明会がありました。これは、5年生から全員が所属するクラブとは別に、4年生の2学期から自由参加するもので、剣道部、合唱部、管弦楽部があります。(以下太字)少し先の話ですが、愛子さまは管弦楽部に入部されるのではという話で持ちきりです」(学習院関係者)
・運動会のリレー選手に選ばれたころから愛子さまは、目に見えるように元気になり、徒歩での下校も増えている。
・そんな前向きな愛子さまをご覧になって、雅子さまも本格的にご公務復帰への道を模索し始めているという。
・「春と秋口に地方へ泊まりがけの公務を検討しているそうです」(前出・宮内庁関係者)その中で有力候補にあげられているのが、『雲仙・普賢岳大火砕流20年』の追悼式典
・5月には、『日本車椅子バスケットボール選手権』の40回目の大会、学習院OB・OG会『桜友会』の創立90周年式典。いずれも過去に夫妻で出席している。
・さらに、少しでも早く愛子さまが以前のように学校生活を送ることが出来るように、雅子さまは新たに取り組まれていることがあるという。「小学校低学年の子どもの心理を解説している子育ての本をよくお読みになっておられます。皇太子さまや主治医はまだ愛子さま中心の生活でもよいのではという考えのようですが、雅子さまはもう一歩踏み込んで、愛子さまの自立をお考えのようです」(東宮職関係者)
・今後の展望について、メンタルトレーナーの久瑠氏。「雅子さまが望まれているのであれば、外国訪問をされるほうが適応障害の回復や自己の生きがいを取り戻すためには近道であるかと思う。ただ、それが現実的に難しいのであれば、国内のご公務の中でやりがいを見つけられるのが何よりも重要なことだと思う」

〆は、春以降のご一家の活動からは目が離せそうにない。
以上です。
http://paper.standartnews.com/en/article.php?d=2011-01-25&article=35306
Japan'sCrownPrinceNaruhitotoVisitBulgaria
Tokyo,AntoanetaPeteva,ReporteroftheStandart
Japan'sCrownPrinceNaruhito,thenation'sfavorite,andthecountry'sPrimeMinisterNaotoKanaregoingtovisitBulgariaattheinvitationofPMBoykoBorissov.

"ThePrinceacceptedmyinvitation.Ihopehe'llcometoSofiabytheendoftheyearoratthebeginningofnextyear,atthelatest,"Borissovsaidappearingfromtalkswiththetwostatesmen.Yesterday,BorissovvisitedNaruhito'sresidenceinthedistrictofAkasaka,inTokyo.
ThetalksbetweenPMBorissovandJapan'sCrownPrinceNaruhitocontinuedtwicethanthepreviouslyplannedtimeandpassedinpleasantatmosphereastherulesoftraditionalprotocolwerequiteflexible.Thetimeprovidedforthemeetingontheagendaofthevisitwas25minanditlasted35.
ThetwoofthemtalkedaboutthetraditionallygoodrelationsbetweenBulgariaandJapanandthecooperationinpolitics,economyandenergy.PMBorissovandPrinceNaruhitodiscussedbilateralprojectsinthesphereofnewtechnologiesandgreenenergyandthestrategicroleofBulgariaontheBalkans,membersofBulgariandelegationrevealedafterthemeeting.
259名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/27(木)07:00:28ID:0NoGD6aO0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

女性セブン2011.2.10号
愛子さま「管弦楽部入部希望」に学習院保護者がとまどう理由
2頁の記事

1月18日。学習院初等科では3学年の保護者会が開かれ、雅子さまも出席。
雅子さまが学習院をあとにしたのは午後6時過ぎ。
・「この日雅子さまが愛子さまと一緒に登校されたのは午前10時半ごろでしたから、雅子さまはかれこれ8時間近く学校にいらっしゃったことになります。親しい保護者立ちと和やかにお話なさっていましたが、さすがに終了間際には少しお疲れの様子でした」(学習院関係者)
・父母会は三浦科長の挨拶から始まり、「各教科別に3学期の学習の進め方や、家庭学習における留意事項、3学期の行事などについての話があり、4年生から始まる“特別クラブ活動”の説明がありました。雅子さまはこのクラブ活動の説明を熱心にお聞きになっていました」(父母会に出席した母親)
・(以下太字)この「特別クラブ活動」は、4年生になると希望者のみが入部出来る。
初等科には管弦楽部、剣道部、合唱部の3つがある。
「4年生1学期に各部の見学会が開かれ、実際にクラブ活動がスタートするのは夏休み明けから」(前出・学習院関係者
・アイススケートの練習に夢中になったり、テレビで大相撲や野球観戦したりとスポーツに関心が強い愛子さまだが、(以下太字)この「特別クラブ活動」では管弦楽部に入部したいという気持ちを強く持たれているという。
・(以下太字)「愛子さまは、いま東宮御所内でピアノやバイオリンを習われて、“ソルフェージュ”にそれは熱心に取り組まれているようです。
それに、皇太子さまはビオラを演奏されますし、参内されたときには、美智子さまに好きな曲を弾いていただいたりと、音楽への関心もスポーツ同様に深いんです」(宮内庁関係者)
・そんな愛子さまが憧れる舞台が学習院初等科には年2回用意されている。
それは、春の「オール学習院の集い」と冬の「小さな音楽会」。
・(以下太字)「昨年12月初めに行われた『小さな音楽会』に、愛子さまは数人のお友達と一緒にいらしていました。体を乗り出すようにして、目を輝かせながら演奏をお聞きになっていました。
きっと管弦楽部への思いを強くされたことでしょう」(前出・学習院関係者)
・学習院は創立時から音楽活動に熱心な学校で、有名な音楽家も多数輩出している。
それだけに、初等科とはいえ、管弦楽部の練習はとても厳しく、ときには外部から講師を招いたりすることもあるほどだ。
・(以下太字)「部の練習は週に2回“朝練”があり、その日は午前7時までに登校しなくてはなりません。
また月に2回、土曜日の午前中に登校して練習したり、春休みも夏休みも練習があります。生半可な態度ではついていけないわけです」(前出・学習院関係者)
・愛子さまは、いまだに雅子さまの同伴登校が続き、また、3時間目から登校という日が多い。4年生になってからもこれが続くとすれば、管弦楽部に入部した場合、“朝練”への愛子さまの参加は難しくなってくる。
・この現状にある学習院の保護者がとまどいの声をあげる。
(以下太字)「いくら愛子さまといえども、“朝練”を毎回お休みになるのはいかがなものでしょうか。逆に、今の状態が続けば、管弦楽部の練習にも雅子さまが毎回お付き添いになるやもしれません。そうなれば、児童たちは練習に集中できない状況も考えられ、愛子さまの入部を必ずしも歓迎できないという雰囲気が生じるかもしれません」
・せっかく愛子さまが気持ちを前向きにされ、入部されようとしているのに、もしそのようなことになったら極めて残念な事態といえる。
・教育コンサルタント。山本氏。
「これまで雅子さまは学校に行きたいけれど行けない愛子さまの背中を、母親としての愛情で愛子さまの背を押し続けられた。賛否はあるだろうが、これで良かったと思う。しかし愛子さまも来春は4年生。ここらで自立のために一歩距離を置かれて見守る姿勢が必要に思えてならない」

〆は、3月でいじめ問題発覚から1年が経つが、愛子さまの気持ちに前向きな変化が見られている今、母である雅子さまにも変化が必要な時期に来ているのかもしれない。
262名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/27(木)07:02:42ID:0NoGD6aO0
週刊文春2011.2.3号
ウィリアム王子挙式列席は皇太子か、秋篠宮か
1頁弱の記事

・誰を招待するかは、表向き英国王室が判断することになっているが、実際には各国の意向を聞いて決めている。
通常、招待客の決定は三ヶ月前ぐらい。もう期限が来ているのに、宮内庁は日本の皇室からどなたが参列されるのか、まだ決めていない。
おそらく皇太子殿下か、秋篠宮両殿下が出席されるのだろう。(外務省担当記者)
・宮内庁が迷う理由は“格”。皇太子では“格上”になってしまうから。
・カウンターパートは悠仁さまなのだが、四歳でお一人のご公務は無理。必然的に秋篠宮ご夫妻が同行することになる。
・1月11日の宮内庁会見でも記者からの質問が出たが、英国王室側にゲタを預けてお茶を濁すような回答に終始。
「現時点で招待状は届いていない。挙式の日取りは決まっている。連休前だということもあり、英国王室から連絡があってもいい時期だと思いますが…」(宮内庁次長)
・一方、外務省からは皇太子夫妻の出席に期待が高まっている。
「確かに皇太子殿下だと格上になるが、宮内庁が了承するなら英国王室は大歓迎するはず(後略)」(外務省職員)
・別の外務省関係者は、悠仁さまのご出席が望ましいという。
「秋篠宮ご夫妻だけでもいいでしょうが、悠仁さまをお連れになって行かれれば、四歳にして外交デビューとなります。可愛らしいお姿は、きっと国内外でも大きな話題になるでしょう」
・ある幹部はこう明かす。
「やはり、格上の皇太子殿下の出席は考えにくい。とはいえ、秋篠宮両殿下と悠仁さまにご出席いただくことにすれば、皇太子殿下のみならず、愛子さまも軽視したととられかねないでしょう」

〆は、東宮関係者も、皇太子の出席は考えにくいと指摘する。
以上です。
347名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/01/29(土)15:29:53ID:jOCOxZ2N0

月刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
THEMIS2011/2月号
皇室危機を示す雅子さま巡る「東宮の空白」
2頁の記事
■「通学問題」は陛下にご負担も

・昨年12月23日、喜寿を迎えた天皇陛下は、お誕生日に際した記者会見で、愛子さまとの交流について発言されたが、その直前の12月9日の雅子さまお誕生日の夜、両陛下は東宮御所を訪問し、愛子さまを交えて食事をされていただけに、皇室周辺からは「陛下が皇太子ご夫妻にお灸を据えたのではないか」との声が上がっている。
・「陛下は皇太子ご一家の現状に非常にご心痛だと思う。06年のお誕生日会見で陛下は、『愛子とあまり会う機会がない』と発言された。以来、両陛下と皇太子ご一家の関係は不安定な印象があった。きっと愛子さまは陛下とあまり打ち解けておらず、お会いになってもほとんどお話をされないのではないか」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・一方、陛下は秋篠宮家3人のお孫さんとのエピソードについては具体的に語られ、新年に際して悠仁さまをテーマに御製も詠まれた。
・ある皇室関係者の指摘。「陛下はただ単に『もっと愛子と交流したい』といっているわけではない。皇族としての自覚や振る舞い方は、年に数回、それも公式行事のようなときだけ会うのでは身につかない。通学問題がもう1年になろうとしている中で、陛下には皇太子ご夫妻に対して腹に据えかねるような感情があっても不思議ではないだろう」
・ご高齢の陛下にとって、愛子さまの通学問題は大きな負担だろう。
・陛下のご体調はどうなのか。「いまのところ、さほど心配ないと思います。ただ、確実にお年は取られている。(中略)一般参賀の時も何度か読み間違えられていた。こんなことはいままで記憶にありません」(皇室担当記者)

■養育掛の退任はこれで2人目
・それでも、雅子さまと愛子さまはマイペースだ。1月11日の学習院初等科の始業式も、式は欠席し、HRだけの出席。
・愛子さまの通学問題が長期化する中、「養育担当専任女官」というポストを新設して迎え入れた小山さんが昨年12月27日に退任。
・小山さんは雅子さまの代理で父母会に出席したり、1年生の初等科祭には池田礼子さん親子を案内するなど、雅子さまのお気に入りと見られていた。
・小山さんは野村東宮大夫の“いじめ会見”直前に、数人の初等科の母親から聞き取り調査をするなど、愛子さま入学以来、学習院側との連絡役も担っていた。
・さらに1月17日付で木幡東宮女官長が突如退任し、激震が走っている。
・「長年、皇太子ご夫妻を支えてきたはずの女官長や女官がこの時期に辞めたのは、やはり雅子さまから何らかの“ご意向”があったからとしか思えない。その原因が愛子さまの教育に関するものなのか、雅子さまのご病気に関するものなのかは分からないが、東宮職が次々に辞めていくのは明らかに異常事態だ」(宮内庁関係者)
・09年3月には末綱東宮侍従長も辞めており、これでは東宮は崩壊状態と言われても仕方ない。

■木本さん就任に小和田家の影
・東宮女官長の後任はしばらくの間空席で、岡山東宮女官が東宮女官長事務代理を務める。
・そして、木幡さんと入れ替わりで新しく東宮女官に就いたのは木本彰子さん。「木本さんは『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を翻訳したことでも注目を浴びた。著者のヴォーゲル氏はハーバード大学名誉教授で、小和田氏とも親交があり、雅子さまのこともよく知っている。いずれ、木本さんは女官長に就任するのではないか」(宮内庁関係者)
・木本さん就任の裏に小和田家の何らかの意向もあったのか。
・さらに、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の共訳者の広中和歌子氏は本民主党副代表でもとは(創価学会員ではないが)公明党議員だった。木本さんの亡き夫は広中和歌子氏の実弟だということで、政治的な人脈も噂されるのだ。

〆は、東宮職トップの野村東宮大夫や野本侍従もすでに70歳となり、2人とも退任が「秒読み段階」(宮内庁関係者)といわれている。
「東宮の空白」は、やがて皇室の危機につながる可能性が高い。

以上です。
英王子結婚式 皇太子ご夫妻参列を検討[2011年1月31日15:13]

 宮内庁は31日、4月に予定されているウィリアム英王子の結婚式に、皇太子ご夫妻が参列する方向で検討していることを明らかにした。
 英王室から27日、エリザベス女王の意向として天皇、皇后両陛下に招待の打診があった。
 宮内庁は英王室に両陛下の祝意を伝え、両陛下の代わりに皇族が参列する可能性があると回答。英王室からは「喜んで皇族を招待したい」と返答があった。両陛下と相談し、皇太子ご夫妻の訪英を検討することにしたという。
2011年2月
556名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/01(火)12:16:16ID:OyXVbMJx0

週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
サンデー毎日2011.2.13号
学習院父母会で涙を浮かべた雅子さま
2頁の記事

・1月26日午後2時から父母総会が行われた。ほとんどの保護者約700人が出席したが、雅子さまはこれに参加せず、午後1時半ごろ、愛子さまと徒歩で下校
・「毎日のように学校にいらっしゃっているのに、この日は私たちと入れ違いにお帰りになったのでおやっと思いました」と、やや違和感を感じる保護者もいた。
・この日の父母総会は、外部から招いた講師による講演に続き、三浦科長が授業や生活面について話をした。そして、保護者に対し次のような発言。「学校内の写真や情報がマスコミに漏れています。マスコミ側へ取材に関しての申し入れをしたところ、『正当な理由により入手しているので問題ない』ということでした。いろいろな行事において、各自が写真やビデオの撮影をすることは自責にて可能ですが、外部報道機関への提供、または流出させることはおやめください」
・これまでも学習院初等科では同様の注意がなされたこともある。
・「今回は言葉こそ丁寧なように感じられるが、どちらかというと『厳禁である』というような強い口調で言っているように受け取れた。それだけ、内部には焦りがあるのではないだろうか」(学習院関係者)
・1月16日には3年生の学年父母会が開かれている。西館2階にある集会室で、学年全ての「全体会」がまず行われた。雅子さまは大きな白いマスクをし、ダークスーツに身を包み、会場の中央よりやや前方の左端の席に座った。
・「比較的穏やかな表情で、まっすぐ前を見つめ、今後の授業の進め方や来年度から始まる特別クラブなどの説明に聞き入り、時折メモを取られていたようです」(学習院関係者)
・その後、同じ2階にある南組へと移動して父母会は続き、午後5時過ぎに散会。
・雅子さまはそのまま教室や廊下で他の保護者に囲まれながら話し込んでいた。
・「何やらお話されているうちにやや気持ちが高ぶったのか、うっすらと目に涙を浮かべているように見えた。(中略)昨年の運動会のときも、昇降口のあたりで同じような様子をお見かけした」(学習院関係者)
・雅子さまはこの一年、今まで以上に愛子さまに多くの時間とエネルギーを注いできたのは言うまでもない。
・「自分の子どもの身の回りで起きた出来事を、我が事のように敏感に感じ取るのは母親として当たり前。ただ、それは程度の問題。親の不安感や緊張感は子どもも容易に感じ取ってしまい、影響を与えることもあるので注意が必要」(新潟青陵大教授・碓井氏)
・確かに、お二人の登下校の歳にはある種の緊張感が漂っている。その反面、プライベートな時間はそうでもなく、その落差を指摘する声もある。
・1月15日、愛子さまはある公共施設を借りきってスケートをした。7、8人の友人と一緒だったが、雅子さまは終始笑顔を絶やさず、初等科にいる時とはまるで違ったという。
年明け早々、東宮御所に友人数十人を招いた時も同様。午前中から午後6時近くまで、昼食をはさみ愛子さまは友人とドッジボールや縄跳び、リレーなどに興じ、雅子さまは柔和な笑顔を浮かべ、リラックスされていたという
・「問題がここまで長引いたのは今となっては致し方ないが、しかし、そろそろ親離れ子離れする時期だろう」(文化女子大客員教授・渡辺氏)
・「3年生ともなれば自力でいろいろな問題を解決していく能力を備えている。放っておいて本人に任せるのも一つの手段ではないだろうか。親が深く立ち入ってしまうことは、子どもの成長にとって良いこととは言えない」(元学習院初等科長・小野氏)

〆は、少しずつではあるが、良い兆しが見え始めている愛子さま。
進級を控えて、学校生活がより楽しいものになることを願いたい。
660名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/03(木)06:56:41ID:YI/r08bt0

週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性セブン2011.2.17号
皇太子妃雅子さま「英王子結婚式」出席実現を前に
皇后美智子さまへ「タイガーマスク」の決意
2頁の記事

・宮内庁は、ウィリアム王子の結婚式に皇太子夫妻の出席を検討していることを明らかにした。
・今回の件は両陛下の強い後押しがあったそうだ。海外親善は雅子さまが皇室に嫁がれて以来、望まれていたもの。
今回の訪英によって、雅子さまの気持ちがさらに前向きになり、本格的な公務復帰につながればという考えもおありのようだ。(宮内庁関係者)
・今回、両陛下が皇太子夫妻の出席を後押しされた理由には、「タイガーマスク現象」が関係しているという。
・今年はじめ、両陛下と皇太子夫妻が歓談される機会があったが、さまざまな話題の中で、両陛下も皇太子夫妻もともに関心を寄せられたのが「タイガーマスク現象」。
・特に雅子さまはこの現象に対して深い感銘を受け、(以下太字)「ご自身もタイガーマスクのような活動、つまり“子どもたちに希望を与えられることがしたい”という願いを両陛下に話されたそうです。そのため、今後はできるだけ多くの児童養護施設へ訪問したいという意向も話され、その雅子さまの姿に美智子さまは大変喜ばれていたそうです。この前向きな気持ちこそが、両陛下の英国訪問の後押しにつながったのではないでしょうか。また、雅子さまは側近に、今後のスケジュールに施設訪問がないかなども確認されるなど、真剣な様子だったとも聞いています」(前出・宮内庁関係者)
・雅子さまが子どもへの思いを特に強くしたのは愛子さまの存在が大きい。02年での会見でも、同年の児童養護施設訪問での感慨を話し、同年にオーストラリア訪問した際も小児病院を訪ね、事故で車椅子の生活が続く9歳の少年の頬に思わずキスをされ、その胸にある思いを「(以下太字)やはり難しい境遇に置かれている子どもたちには心を寄せていきたいと思っておりまして…(後略)」と述べられている。
・雅子さまのこの根底にある思いこそ、タイガーマスクの思いに通じるものであろう。
・さらに今回、その気持ちを強くさせたのは東宮女官長事務代理の岡山さんの存在があったという。(以下太字)「岡山さんは若い頃から児童養護施設の仕事に関わり、現在も養護施設の理事をなさっている。当然、今回のタイガーマスク現象はお二人の間でも話題となり、岡山さんが雅子さまに“公務復帰はここから始められては”などとお話しになったのではないか」(前出・宮内庁関係者)

〆は、英国訪問に児童養護施設訪問―次々と前向きな計画が進みつつあり、今年は雅子さまにとって新しい春の訪れが待っているのかもしれない。
英ウィリアム王子の結婚式、招待は皇太子ご夫妻2011年2月4日20時57分

 英国で4月29日に行われるウィリアム王子の結婚式について、宮内庁が英国王室に、招待状が皇太子ご夫妻あてになるように連絡したことが分かった。野村一成東宮大夫が4日の定例会見で明らかにした。
 宮内庁によると、結婚式に関して先月末、英国王室から天皇、皇后両陛下への招待が打診された。同庁は、両陛下と相談の上で皇太子ご夫妻が出席する方向で調整。ご夫妻の出席を検討していると英国王室に連絡したという。
 実際に雅子さまが出席するかなどについて、野村東宮大夫は「招待状を受け取ってから検討する」と話すにとどまっている。
皇太子ご一家、小学生作品展に(2011/02/05-13:08)

 皇太子ご一家は5日午前、東京・銀座の百貨店松屋銀座で「第26回東京私立小学校児童作品展」を鑑賞された。
 作品展には、長女愛子さまが通う学習院初等科など、東京の私立小学校26校の児童の作品が出品されている。宮内庁東宮職によると、学習院初等科の作品は「お化け」がテーマ。愛子さまはご夫妻に、粘土で作ったご自身の作品などについて丁寧に説明。ご夫妻は熱心に聞きながら見入っていたという。
【皇室ウイークリー】(170)英国に「皇太子ご夫妻検討」を連絡 常陸宮ご夫妻、大雪でお帰りが深夜0時に2011.2.507:00

 4月29日にロンドンで行われる英王室のウィリアム王子とケイト・ミドルソンさんの結婚式について、宮内庁は今週、皇太子ご夫妻が出席される方向で調整していることを明らかにした。
 病気療養中で、4年以上海外訪問のない皇太子妃雅子さまが、皇太子さまと一緒に出席されることはできるのか…という点が注目を集めている。宮内庁関係者によると、その後、英国王室側にも皇太子ご夫妻の出席で検討を進めることを伝えたため、仮にお二方で出席できないことになっても、代わりにほかの皇族方の出席が検討される可能性はほぼなくなったという。
 「出席される、と連絡した後に、欠席に転じることは避けたい」(宮内庁幹部)との配慮から、ギリギリまで雅子さまのご体調を見極めるため、今後英国から招待状が届いても、出欠についての判断を、可能な限り先に延ばす可能性があるとみられる。
 宮内庁の野村一成東宮大夫の4日の定例会見でも、雅子さまの出席の可能性について質問が繰り返されたが、野村東宮大夫は「招待状が届いていない段階でお話しするのは控えたい」「どういうご招待があるのかを正式に把握しないで推測に基づいて話すのはよくない」などと、慎重な言い回しに終始した。
 宮内庁の風岡典之次長による31日の記者会見をもとに、今回の経緯を振り返ってみよう。
 まず1月27日、エリザベス女王の意向として、天皇、皇后両陛下のご出席の可能性について尋ねる打診があった。だが、ご出席が難しいため、「仮に招待をお受けにならない場合は、女王陛下が皇族の誰かを招待していただけることに問題はないか」と宮内庁側が28日にファクスで返答。すると翌29日、英国側から宮内庁の式部官長に電子メールで、「仮に両陛下がご出席頂けない場合には、喜んで皇族の方をご招待したい」とする回答があった。
 宮内庁はこれを踏まえ、両陛下にもご相談をした結果、皇太子ご夫妻が出席される方向で調整することが決まった、というのが今回の流れだ。
 ところで、ウィリアム王子は、英国の王位継承順位が2位。皇太子さまが“格が上”になられるため、今回は異例の人選だとする意見が週刊誌などでみられている。
 風岡次長はこの点について、「いろいろな考え方がある。例えば、ヨーロッパの王室はいろんなつきあいがあるから、格でやるというわけでもないように思う。それぞれのご招待があったときに、総合的に判断して、ということ」「先方のご招待の考え方みたいなのを加味しながら判断する。ある国は大事にし、ある国は機械的に、ということではない」などと説明している。
205名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/07(月)07:49:09ID:NPhDHn3C0
レポ来てたので輸入します。
レポ主さん、乙です。

774:朝まで名無しさん:2011/02/07(月)07:39:15ID:yaP3exVL
週刊誌レポ。至極簡単で済みません。詳細は各自ご確認ください。
週刊現代[2011年2月19日号]
明日を知る風を感じる人を見る/「いじめ」の声も紛糾した宮内庁次長会見
・約半頁の記事。
・風岡次長の会見に「あれではまるで"皇太子いじめ"」と憤慨する宮内庁関係者
・今まで皇太子は"皇太子"の結婚式に出席していたが、(王子の結婚式出席では)イギリスだけ別格扱いになるのではないか?
・出席までの経過を明らかにしたことについて。
・出席するもしないもどちらでも皇太子夫妻は叩かれる。
〆は皇太子夫妻を支えるはずの宮内庁がこれでは、お二人の苦衷は察するにあまりある、とか何とか。
364名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/07(月)10:19:55ID:MWz6qWCnO
現代チラ見。
・英王室から事務的に来た打診を皇太子夫妻に振った。
・王子の結婚式に皇太子夫妻が行くのは異例だし、断るのも先方に失礼。
・出席しても欠席しても、皇太子夫妻が叩かれるのに、なぜ途中経過を発表した?
・これは長期療養中の雅子さま妃へのあてつけではないのか?
こんな感じの記事でした。
527名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/08(火)21:55:01ID:gAMcFITg0
現代読んだ。
風岡氏の会見における結婚式出席問題の報告で紛糾したという内容だが・・・

以下引用(「」内は風岡氏の言)

「英王室の儀典担当局長から、両陛下をご招待することの可能性について事務的な打診がありました。(中略)宮内庁において検討した結果、皇太子ご夫妻に行っていただくことについて、現在東宮職において調整しているところであります」
 要するに、天皇・皇后の出席を打診されたが、宮内庁の判断で皇太子に話を振ったというのだ。

引用終わり
372名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/08(火)07:46:49ID:F2xHAYvR0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

女性自身2011.2.22号
美智子さま雅子さま“復活”を阻む宮内庁に「前例なき処断」!
3頁の記事

・2月4日に行われた野村東宮大夫の定例記者会見は、時間は20分ほどだったが、いつになく質疑応答が白熱。
・記者たちの質問は皇太子夫妻のイギリス訪問に関するものばかり。
・野村東宮大夫は基本的にはノーコメント。
・ウィリアム王子とケイトさんの結婚式には皇太子夫妻が出席される方向で検討―
宮内庁のこの発表は、宮内庁担当記者ばかりではなく、宮内庁職員たちにも意外だったという。
・その理由について。
多くの職員たちが、“イギリスには秋篠宮ご夫妻が行かれることになるだろう”と考えていたから。(ある宮内庁職員)
・皇太子夫妻が訪英を希望されていることや、これまでの皇太子夫妻と英王室の交流などは、宮内庁内の倫理では特に顧みられることもなかった。
・だが、この流れが変わったのは1月28日のことだったという。
・「式部職が28日に、27日に打診があったことを明らかにした。皇族の海外訪問については、“どなた宛てに招待が来ている”など、そのプロセスが公になることはこれまでありませんでしたから、大変驚きました。式部職の独断で公表することは絶対にありえません。
“これは両陛下のご意向があったからに違いない”と宮内庁内で話題になったのです」(宮内庁職員)
・これを受け、風岡次長が明らかにしたのはわずか3日後の1月31日。
「次長も皇太子夫妻の出席は、“両陛下とご相談した結果”と、明言しています。それで、一連の裁定をしたのは両陛下でいらしたことがはっきりしました」(前出・宮内庁職員)
・「今回の裁定の理由は、天皇ご一家にとっては両刃の剣といえる。単に雅子さまが希望されているからという単純なことではない。メリットとしては、かねて海外訪問を望まれていた雅子さまにとって、体調や心理面でプラスになるということでしょう。しかし、結果的に体調が思わしくなく、訪英出来なかった場合、イギリス王室にも大変失礼でしょうし、雅子さまもとても落ち込まれるでしょう。今後の静養生活に悪影響を及ぼすことになるかもしれない。そうしたリスクがあるにも関わらず、両陛下が皇太子夫妻の訪英を決められたのは、皇太子一家をとりまく状況を打開するための大きなチャンスであると判断されたからのようです。美智子さまは、雅子さまの訪英を、愛子さまのお一人登校のきっかけにもしたいと考えていらっしゃるようです」(宮内庁関係者)
・これまでの例ではイギリスでの挙式のために、皇太子夫妻は4月27日には日本を発つ。
もし愛子さまの登校状況が改善していなくても、27日、28日は雅子さまの付き添いなしで登校しなくてはならない。
・「お母さまが世界中から注目されている場で、しっかり公務されている姿をみて、愛子さまも勇気を持たれるのではないか。“親離れ・子離れ”のまたとない機会。適応障害やうつの患者さんの場合、今の日常と切り離された非日常の場面に飛び込むことは治療にも効果がある」(精神科医・香山氏)
・「私は今回の訪英問題で、宮内庁の前例主義について心配していた。官僚たちが前例にこだわるあまり、雅子さまの公務復活、愛子さまのお一人登校復活の最大のチャンスを潰してしまうのではないかと…。英王室から打診があってからの一連の動きはあっという間の出来事だった。陛下と美智子さまの強いご意向があったことははっきりしている。実に明晰なご判断だったと思う。特に美智子さまは愛子さまの通学問題に関して、とても心配されていましたから」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
2月4日、野村東宮大夫の定例会見があった日も、愛子さまは雅子さまと車で登校
しかし、「この日は10時の登校で、この数カ月で一番早かった。年が明けてから、少しずつだが、登校時間が早まってきている」(学習院関係者)
・翌2月5日、皇太子一家は松屋銀座を訪問。『東京私立小学校児童作品展』を鑑賞したが、おもちゃ売り場にも立ち寄った
「愛子さまはアクアビーズファインの追加ビーズを購入されたそうです。雅子さまが、“昨年買ったものがあるのだから、それで遊んだら”と、追加ビーズの購入を愛子さまにお勧めしていました」(デパート関係者)

〆は、土の中で生まれた小さな芽が、少しずつ地表を目指すように、雅子さまと愛子さまは復活を目指し、一歩一歩進み続けられている。
訪英まであと80日ほど、春にはきっと、大きな目に育っていることだろう―
376名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/08(火)07:52:28ID:F2xHAYvR0

週刊女性2011.2.22号
英国訪問検討の波紋早くも心配される雅子さま帰国後のバッシング!
2頁の記事

・「今回の発表には驚いた。雅子さまの体調は大丈夫なのか、愛子さまの学校の問題はそれまでにクリア出来るのか。ちょっと心配」(元・東宮関係者)
・訪問検討が発表された先週も、3日は1時40分ごろ、4日は3時過ぎに雅子さまと車で下校。まだ全ての授業に出席できる状態ではない。
・5日に一家でお出かけされた東京銀座のデパートでも、愛子さまはこころなしか元気がないように…。
・「雅子さまが英国訪問されることはほぼ確実だと思う。
27日に打診、31日に発表だから、異例の早さ。ファックスが到着する前から、皇太子夫妻が訪問されることは、両陛下、宮内庁の間で決まっていたと思う。両陛下は、これを機に妃殿下に自信を持ってもらいたいというお気持ちがあるのではないか」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
・宮内庁の発表を、東宮サイドも承知していたはずだが、4日の野村東宮大夫の会見は、ご訪問については聞いてない、と言わんばかりの歯切れの悪いものだった。
・野村東宮大夫は何も知らされていなかったのか?
「31日の風岡次長の会見後、東宮職員に確認しても正確なことは分からないという返事だった。情報を隠しているようには見えなかったので、急遽決まったことなのかと思った。
しかし、両陛下と皇太子の間では話し合いが持たれ、名代での訪問の報告が決まっていたと考えるほうが自然だと思う。
情報は、ごくごく限られた東宮職の幹部までしか知らされていなかったのかもしれない」(宮内庁担当記者)
・前出の元・東宮関係者は、皇太子夫妻の訪英にあくまでも懐疑的で、
「決定ではなく調整するということなので、結果的に雅子さまの訪問が難しくなり、皇太子さまお一人や秋篠宮ご夫妻のご出席という可能性も残っている」と主張。
・「適応障害という病気は、自分が不快だと感じる環境にいると症状が出るが、そうでないときはいい状態というもの。訪英はハードな日程になると思うが、本人が他の公務よりリラックス出来るのであれば、問題ないということもありえる。主治医の大野先生も、十分なカウンセリングをして問題ないと判断をした可能性はある」(精神科医・和田氏)
・「欠席になるにしても、海外訪問がここまで本格的に検討されたということが、雅子さまが回復傾向にあることを物語っていると思う」(宮内庁関係者)
・皇太子夫妻が公務で不在となると、愛子さまの登下校が気がかりだが、東宮職員の間では意外な効果を期待する声もあるという。
「愛子さまも近ごろ“ひとりで行ってみようかな〜”と、ぽつりと漏らすことがあるそうです。雅子さまも訪問をきっかけに、親離れ子離れできればとお考えでは、と職員は話していました。皇太子さまも、そろそろ母娘がひとり立ちしたほうがよいとの考えをお持ちだそうです」(元・東宮関係者)
・とはいえ、早くも関係者の気がかりになっているのは帰国後のバッシング。
「英国訪問を無事終えれば、“完全復帰”とみなされるでしょう。その後、公務にお出ましがないと、“なぜ外国ばかり”とまた批判されるのでは、ということです」(前出・元東宮関係者)
・その解決方法のひとつは「温かく見守ること」と和田氏。
何も出来ないよりは、国外の公務で親善に努められたほうが国民のためになるし、雅子さまも自信を付けることが出来て病気の回復にもつながるからです。(和田氏)

〆は、外務省勤務時代に留学したイギリスの空気が、雅子さまに回復を運んでくることを祈るばかりだ。

以上です。
天皇陛下、心臓の検査入院へ=運動負荷で虚血状態―宮内庁

 宮内庁は9日、天皇陛下が定期健診で、一定以上の運動負荷がかかると心臓の血液の流れが悪くなる「心虚血状態」になると判明したため、
11日に東大病院に入院し、再検査を受けられると発表した。
 同庁によると、昨年12月に77歳になった陛下は先月22日、東大病院で定期健診を受けた。その結果、運動により心拍数を上げる心臓の検査で異常が判明した。
 陛下は11日に同病院で
冠動脈造影検査を受け、経過観察のため1泊する。同日の宮中祭祀(さいし)は検査と重なり欠席するが、今後の公務変更は予定しておらず、日常生活にも支障はないという。
669名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/09(水)00:29:31ID:ZZ4TprZu0
文春入手しました。レポします。

「1月の終わりの1週間ほど、天皇皇后両陛下ともこの件に関してかかりきりだったそうです。宮内庁と外務省の関係各部署も、陛下のご意向を実現すべく、東宮御所との調整に奔走したようです(宮内庁関係者)」

英国女王から天皇皇后に打診があったのが1月27日。
国内での日程が決まっており、出席が難しいため、天皇が「皇太子はぜひ行くべき」と意向を示す。
これを受け、宮内庁は英国に「仮に招待を受けない場合、他の皇族を招待するか」と打診。
「29日に英国から宮内庁式武官長宛にOKのメール、皇太子夫妻出席の方向で本格的な調整」開始。

天皇は19歳のとき英国女王戴冠式に出席、「自分は変わった」(皇位継承者として自覚が深まった)思いが強く、皇太子にも英国王室の大事な儀式を経験させたいという意思。

皇太子の出席に問題はないが、問題は雅子さまの体調。
2月4日野村東宮大夫会見では「今日は慎重な言い回しをする」と発表は英国からの正式な招待状を待ってからという方針を示す。
判断はギリギリまで引き伸ばすだろう

国内世論も心配。国内はドタキャンするのに、海外は行くのかという批判される可能性があり、東宮職はその点も多少は気にしているだろう(以上、担当記者)

宮内庁内部は出席を後押しする雰囲気。
「今回は陛下のお墨付きがあるのが一番だが、2年ほど前から雅子さまに対して厳しくいうのはやめ、自由にさせて回復のきっかけをつかむのが皇室にとって一番ではないかという空気に。両陛下も同じ気持ちのはず」(宮内庁関係者)

しかし、儀式出席には問題も。パーティーやカメラは難しい。出席できるかは回復度にかかっている(別の宮内庁関係者)

カメラについては最近、学習院初等科で事件。
「1月26日、父母総会で三浦芳雄科長が「あってはならないことが起きた」と報道陣への写真流出を厳しく注意。
愛子さまだけに配慮する学校側の対応を疑問視する声も。
また東宮御所から厳しい申し入れがあったのでは、との噂(学習院関係者)

この後、2月5日銀座の件の紹介、皇太子が留学後植えさせたクロッカスの話。
皇太子夫妻それぞれの思い出の地に、クロッカスの季節に行けるだろうか、との〆。
61名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/09(水)13:20:18ID:vgVFoiWPO
文春チラ見。
松屋銀座は、開店前の10時には帰る予定だったのに、45分オーバーだったそう。
146名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/09(水)14:32:38ID:bCxwcOdl0
文春追加。松屋は愛子さまの友人家族も一緒だったらしい。
764名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/10(木)06:38:37ID:TyHJZGcl0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

女性セブン2011.2.24号
銀座にお出かけで発見!“愛子と私は似ている…”
1頁のカラーグラビア記事
・2月5日、皇太子一家が松屋銀座に出かけた際の愛子さまのファッションと、3年前の美智子さまのファッションを並べ、同じく3年前の美智子さまのお誕生日ご感想文を引用して、お召し物のテイストも似ているという記事。
・写真は美智子さまも愛子さまも白のケープ、下はチェックの洋服。

独占インタビュー草なぎ剛心震えた美智子さまとの3時間
2頁の記事
(ほとんど既出のエピソードで、特に目新しいものがなかったので簡単に)
・草なぎ剛さん主演の映画試写会に美智子さまが出席された時のエピソード記事が主体。
・上映後の会談で、美智子さまが「空の映像が綺麗でしたね」「気持ちをつなげて撮影されるのは本当に大変なことでしたね」と話されると、一同の緊張もとけ、和やかな雰囲気に。
・スマップのことをよくご存知で、草なぎさんが日韓交流のかけ橋になっていることにも関心をお持ちになっていた。
・「韓国語をどのくらい勉強しているのですか」と美智子さま。「10年間になります」と答えると、「とても素晴らしいことですね」とおっしゃり、草なぎはその言葉を聞いて心が震え、「ご褒美を頂いた気分です」。
・お出迎えから試写、会談まで計約3時間に及んだ交流の締めくくりに、草なぎが「握手をお願いできますか」と尋ねると、美智子さまは笑顔で応じられた。警護の人はちょっとびっくりしていた。
・美智子さまからはスマップのメンバーにも激励の言葉が。草なぎはメンバーに後日伝える。

〆は、「美智子さまにも“またお会いしましょう”と声をかけていただけたので、ぜひコンサートのもおいでになってください、ってご招待したいです!」(草なぎ)

以上です。
天皇陛下、動脈硬化・狭さく見つかる…宮内庁(2011年2月11日20時42分読売新聞)

 宮内庁は11日夜、天皇陛下(77)が同日、東大付属病院(東京・文京区)で受けられた精密検査の結果、心臓を動かす筋肉に血液を供給する冠動脈全体にある程度の動脈硬化が認められ、また、一部で血管が狭くなる狭さくも見つかったため、当面、内服薬による治療を行うと発表した。
 重度のものではなく、手術などは行わない。
 宮内庁の金沢一郎・皇室医務主管と、同病院循環器内科の永井良三教授が同庁で発表した。それによると、激しい運動をしなければ症状は出ないこと、狭くなっている部分の血管は血液を供給する範囲が比較的少ないことなどから、手術をするような重い症状ではなく、当面、薬物治療で経過を見ることにした。血液の塊ができにくくなる薬を服用すると見られる。血管を広げるカテーテル治療などはメリットはあまりないと判断したという。陛下も診断画像などを見られた。
【皇室ウイークリー】(171)皇太子ご夫妻の英国は「順序」で決定 天皇陛下が検査でご入院2011.2.1207:00

 宮内庁の羽毛田信吾長官は10日の定例会見で、英王室のウィリアム王子とケイト・ミドルソンさんの結婚式(4月29日)の皇室からのご出席者を、皇太子ご夫妻で検討することになった理由を明らかにした。
 羽毛田長官は「最初は(招待は)『両陛下に』というお話だったので、検討の順序としては、皇太子ご夫妻に行っていただくことをまずご検討いただくのがよろしいだろう、ということになった。両陛下が行かれることができないとなれば、順序としてはそういうことかなと」と、理由を説明。今回の判断に天皇、皇后両陛下のご意向があったこともあらためて述べた。
 さらに、皇族としての立場がウィリアム王子と「釣り合う」とされる秋篠宮ご夫妻が選ばれなかったことについて、「そういうご招待というのは、結婚式をされる側の意向によって基本的に決まる。ご身位をそろえなきゃいけないという慣行があるわけではない。宮内庁的にもそうだし、外国の皇族の結婚式に、他の国から行かれるときもそう」と述べた。
 羽毛田長官は、最初に英国王室側から誘いを受けた両陛下については、同じ時期に国内で重要な日程が検討されていることなどから、仮にご訪問の意思があったとしても、出席は難しかったとする認識を示した
 皇太子ご一家は5日、東京・銀座のデパート「松屋銀座」で、敬宮愛子さまが通う学習院初等科など、東京都内の私立小26校の児童の作品が出品されている「第26回東京私立小学校児童作品展」をご覧になった。ご一家は昨年2月にも同じ作品展を訪問されている。
 宮内庁東宮職によると、学習院初等科の作品の統一テーマは「おばけ」。愛子さまが通われる3年生の作品は「やおやのおばけ」がテーマで、各児童が粘土で野菜やきのこのおばけを作った。
 愛子さまはご自身の作品を丁寧に説明し、ご夫妻も熱心に聞かれたという。
 普段、通学の際に愛子さまと付き添いの雅子さまは、途中の授業に間に合うよう通学されることがほとんどだが、この日は開店前に到着するよう、午前8時50分にお住まいの東宮御所を出発された
 デパートでの滞在は約1時間40分に及び、出発されたのは開店時刻を大きく回った10時45分ごろ。滞在時間が延びた理由は「楽しまれたから」(野村東宮大夫)とのことだった
 愛子さまは週明けの7、8日には体調不良で学校を欠席された。インフルエンザではなく、9日には通学されたという。
 天皇、皇后両陛下は9日、来日中のウズベキスタンのカリモフ大統領夫妻と皇居・宮殿で会見し、続いて午餐(ごさん=昼食会)に臨まれた。午餐には皇太子さまと常陸宮ご夫妻も出席された。
 この日の午後には、宮内庁から陛下の健康状態に関する発表があった。
1月22日に東京大学医学部付属病院(東京都文京区)で行った健康診断の心機能検査の結果、激しい運動を行うと、陛下は動脈血の流れが減少し、心臓に必要な栄養や酸素が行きわたらない「心虚血状態」になられることが分かったというものだ。一般的に、症状が進むと、狭心症や心筋梗塞(こうそく)になる恐れがあるとされる。
 
陛下は皇后さまとともに11日朝に東大病院をご訪問。心機能を詳細にみるため、「冠動脈造影検査」を受けられた。検査では、陛下の左手首から細い管(カテーテル)を入れ、心臓の周囲にある冠動脈の状態を調べた。幸いにして手術が必要な状態ではなく、投薬をお受けになりながら、当面経過観察を行うという結論に至った。
 
陛下は病院に1泊し、12日に退院される。建国記念の日の11日に恒例で行っていた皇居・宮中三殿参拝は取りやめられた。
 宮内庁によると、
現在のところ陛下には特に自覚症状はなく、今後のご公務日程の変更も予定されていない。日常的に行われている朝の散策やテニス程度の運動は問題がないとみられている
 これに先立ち、葉山御用邸(神奈川県葉山町)で静養していた両陛下は7日、帰京された。御用邸からの帰路には「シルク博物館」(横浜市中区)に立ち寄り、常設展をご覧になった。今回が初訪問となったが、同博物館は両陛下に縁のある場所でもある。皇居で養蚕に取り組んでいる皇后さまが、平成10年、同博物館の特別展に、繭や生糸の標本のほか、蚕について詠んだ御歌などを貸し出されているのだ。
 館内には、繭から糸を取り出す体験コーナーがあり、陛下が皇后さまに「やってみたら」と声をかけられる場面があった。皇后さまは「糸が切れたとき、つなぐのが大変」と言いながら、糸繰り装置のハンドルをゆっくり回され、にこやかに「陛下も」とバトンタッチ。皇后さまから作業を引き継いだ陛下も笑顔でハンドルを回された。
 タイのシリントン王女から寄贈されたタイシルクの前で陛下は「タイは普通の蚕ですか?」「タイで野蚕は?」と次々に質問されていた。
 さて、健康管理のため、週末にテニスをすることが多い両陛下だが、葉山御用邸で過ごした先週末はプレーをされなかったという。宮内庁の風岡典之次長は7日の定例記者会見で、「テニスでも、という話はあったが、週末で場所の確保も難しいようで、結果的にされなかった」と説明した。葉山御用邸の中にはテニスコートがなく、プレーされる場合は周辺のコートを借りる必要があるという。

 一方、皇太子さまは6日、赤坂御用地内でテニスをされたという。皇太子さまの週末の運動といえばジョギングが多く、側近も「週末にテニスをされることは珍しい」というが「週末以外の日はときどきされる」そうだ。(以下略)
331名前:可愛い奥様@避難所生活[sage]投稿日:2011/02/14(月)16:21:31ID:jj2BepyY
週刊朝日2011年2月25日号
ウィリアム王子結婚式
雅子さま訪英に向けて問われる「皇太子妃の覚悟」

・2月5日午前9時過ぎ、児童作品展鑑賞のため皇太子一家が銀座松屋に姿を見せた
・「ご一家はお友達家族・初等科の三浦科長といっしょにゆっくり鑑賞。開店の10時を過ぎても15分ほど会場に。デパートを出たのは10時45分ごろ」皇室担当記者
・開店と同時に一般客が入ってきた。ご一家に気づいて写真を撮ろうとした男性は、きつく制止された
・ご一家は地下1階(食品)と6階(おもちゃ)を回り、フォンデュ用チーズ・はちみつ、アクアビーズを購入
・「ご夫妻は愛子様に社会体験を積ませようとお連れになったと思う。だが雅子さまが愛子様の通学にかかりきりで、公務が極端に少ない現状ではやや軽率では」松崎敏弥
・「ご一家は去年も作品展を鑑賞、閉店後も会場にとどまった。写真撮影を制止され不満顔の一般客がいたのも同じ今は訪英で国民の注目を集めているので、早足で回るなど配慮があってもよかった」前出:皇室担当記者
・1月27日に英王室から宮内庁に結婚式出席の打診
・両陛下とも相談した結果、31日に皇太子夫妻の訪英を検討と発表
・「宮内庁の早い動きに驚き。おそらく雅子さま妃の体調はかなりよくなっているのでしょう。公務復帰に、両陛下・両殿下・宮内庁が一致団結して勝負に出たと思う」山下晋司
・しかし千葉のスポーツ大会を欠席、愛子様のスケートに付き添っていたこともあり、いきなり海外公務は国民が違和感をもつ
・「訪英までにいくつかの公務をこなしてもらい、4月上旬に決定、中旬に閣議了解という流れでは。3〜4月の祭祀にご出席の可能性も」山下晋司
・雅子さまは今も愛子様に付き添って登校。
・「最近では登校時間が早まり、最後の授業を受けることも多い。休み時間も友達とのびのび過ごす。男子とも楽しそうに遊ぶ」初等科関係者
・「(通学問題の解決は)雅子さまの『覚悟』次第。訪英までの2カ月、子離れを試みる頃合いでは」皇室担当記者
・宮内庁は2月9日、陛下の心虚血状態を発表、11日には再検査
皇太子一家は12日にも江戸川区にスケートへ
・訪英が雅子さま回復のきっかけとなり、両陛下の安心につながるか

2ページ。安藤麻子記者
330名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/15(火)08:53:47ID:LgTIBMAHP
レポ輸入。レポ主さん、乙でした。
20名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/02/15(火)08:40:28ID:YnM6qx4o
週刊誌レポ。至極簡単で済みません。詳細は各自ご確認ください。

女性自身(2011/03/01)美智子様"ずっとおそばに…"激痛耐える陛下支える"孤独な闘い"
・今上の検査結果と病状について。
・異変は昨秋の葉山ご静養にあった。悠仁親王たちを乗せて和船を漕がれたが、岩が多かったりなどなかなか難しい海。
・陸に上がられてまもなく、近くの公園入り口の石にベンチまで歩いて行けず座り込まれてしまう。
・美智子様やお付きが周りを囲み医師も駆けつけるなど緊迫した20分だった。
・ご静養中は朝の海岸散歩が日課で私たちも会えるのを楽しみしているが、今回は無く、(歩く)今上の左に美智子様が回り込まれて支えられるなど、これまでとは違う。(地元住民)
・葉山での友人宅訪問・2/5のテニス取りやめを始め、いくつもの外出公務を取りやめられた皇后陛下。今上の病状については簡単に周囲に相談できるものではないため、孤独に闘われてきた。
・今上は今後(楽しみにされてきた)登山や船漕ぎなどはできないだろう。
〆は忘れました、済みません。
330名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/15(火)08:53:47ID:LgTIBMAHP

週刊女性(2011/03/01)天皇陛下動脈硬化で改めて"公務軽減"を!
・愛子さまは2/7,8と欠席したが風邪。不安感などではない。9日に登校したときは元気そうだった。
・下校時には仲良しの3人の友達とつないだ手を高く上げる挨拶をした後、帰るかと思いきや、そのまま後ろ歩きでグイグイ。一度友達の元に戻ってから帰途に。
・動脈硬化には老化やストレスなどいくつかの原因があるが、今上は前立腺がん治療でホルモンバランスが崩れているほか、雅子さま・愛子さまの問題、皇統問題などストレスが多いのだろう。
・皇太子一家は12日、都内のスポーツセンターにあるスケートリンクへ。愛子さまはマイスケート靴を持参。以前行っていた神宮のリンクよりも「氷(の状態)がいいの」と。
〆は忘れました、済みません。
331名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/15(火)08:55:28ID:LgTIBMAHP
サンデー毎日レポします。
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

サンデー毎日2011.2.27号
ワイドガチンコのとき
ウィリアム王子結婚式で愛子さまの花束贈呈計画
特集記事の中の1頁弱の記事

・皇太子夫妻の訪英検討を3ヵ月も前に発表したこと、しかも英王室から打診の直後だったことはまさに出来レースではないだろうか。(宮内庁関係者)
・皇太子夫妻の出席は大いに疑問。格が違う。伝統と格式が重んじられなければならない。(橋本明氏)
・秋篠宮同妃両殿下が出席されると思っていた。(山下晋司氏)
・なぜ皇太子夫妻なのか。
「その鍵は発表の時期にあるのではないか。以前から皇太子夫妻出席の方向で協議が重ねられてきた。この時期に発表することで、結婚式までの3ヵ月間で雅子さまは徐々に公務に復帰する。春季皇霊祭や神武天皇祭など賢所のお祭りに出席されるかもしれない」(前出・山下氏)
・これが2ヵ月前なら、公務復帰の時間が足りなくなるという見方だ。
・サプライズプランも浮上しているという。
「英国からの要請があればだが、愛子さまに花束贈呈といった役割があれば、愛子さまも訪英できる。それは雅子さまが最も望まれる形での訪問だろう」(宮内庁関係者)

〆は、ウエストミンスター寺院で、雅子さまの笑顔と愛子さまがウィリアム王子らに花束を贈る姿が見られるかもしれない。
ウィリアム王子結婚式 雅子さま訪英に向けて問われる「皇太子妃の覚悟」
週刊朝日2月15日(火)15時45分配信

 4月にある英王子の結婚式に、皇太子ご夫妻の出席が検討されている。実現すれば、雅子さまにとって2002年以来の海外公式訪問となるが、体調問題と愛子さまの通学問題を抱えて国内の公務も十分にこなせていないだけに、外国訪問に向けた国民の視線は複雑だ。
 2月5日午前9時すぎ、皇太子ご一家が銀座のデパート松屋に姿を見せた。
 8階の大催場で開かれていた「第26回東京私立小学校児童作品展」を鑑賞するためだ。作品展には、愛子さまが通う学習院初等科の3年生も、カラフルな粘土で作った「やおやのおばけ」を出品していた。
 皇室担当記者が言う。
 「ご一家は愛子さまのお友達家族や学習院初等科の三浦芳雄科長(校長)と一緒に、ゆっくりと鑑賞されていました。午前10時の開店を過ぎても15分ほど会場にとどまり、デパートを出たのは10時45分ごろでした」
 開店とほぼ同時に、会場には数十人の一般客が入ってきた。孫の作品を見に来たという男性は、ご一家に気づいて写真を撮ろうとしたが、制止されたという。
 「記念になると思ったのですが、きつい言葉で『お控えください』と注意されました。ご一家は10人近いダークスーツの男性に囲まれ、孫の作品の近くにいたのでしばらくは見学もできなかった。何だか釈然としません」
 複数の同店関係者によると、ご一家はこの日、展示会場に入る前に地下1階の食品フロアと6階のおもちゃ売り場を回り、買い物を楽しんでいた。地下では、チーズフォンデュ用のチーズやはちみつを、6階では小学生の女の子に人気の「アクアビーズ」というおもちゃを購入したという。
 「2、3日前に上司から、『皇族方が見えるから、早朝出勤するように』と命じられたんです」(デパート関係者)
 皇太子さまや雅子さまは買い物をしながら店員たちに笑顔を見せ、楽しそうな様子だったという。
 だが、皇室取材を50年続ける皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏は首をひねる。
 「皇太子ご夫妻は、社会体験を積ませようという教育方針で、愛子さまをデパ地下にお連れになったのだと思います。でも、雅子さまが愛子さまの通学にかかりきりで、公務にお出ましになる機会が極端に少ない現状を考えると、私的な外出とはいえ、やや軽率だったのではないでしょうか」
 前出の皇室担当記者も言う。
 「ご一家は昨年もこの作品展を鑑賞され、開店後も会場にとどまっていました。写真を撮ろうとした一般客が制止され、不満げな表情を浮かべていたのも今年と同じです。いまはご夫妻での訪英が注目を集めているときなのですから、国民の理解を得る上でも、少し急ぎ足で回るなどの配慮があってもよかったと思います」
 宮内庁がご夫妻の訪英を検討していると公表したのは、1月31日のことだ。
 4月29日に英国・ロンドンで行われるウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式について、1月27日に英王室から宮内庁に打診があり、天皇皇后両陛下とも相談した結果、皇太子ご夫妻の出席を検討することになったのだ。
 実現すれば、雅子さまにとっては06年8月にオランダで静養したとき以来の外国訪問となる。公務としては、02年12月にニュージーランド、オーストラリアを訪問して以来だ。
 なかなか外国を訪問できないことに、雅子さまは苦悩を深めてきた。それだけに、今回の訪問が実現すれば、体調問題で大きな転機となる可能性がある。
 宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏が指摘する。
 「宮内庁の早い動きに驚いています。恐らく妃殿下の体調はかなり良くなってきておられるのでしょうね。天皇皇后両陛下と、皇太子同妃両殿下のお気持ちの方向性が一致し、妃殿下の公務復帰を前提に、両陛下と両殿下、宮内庁が一致団結して勝負に出たんだと思います。妃殿下の公務復帰の舞台づくりともいえますね」
 だが、雅子さまは昨年10月23日、「都内を離れての公務は難しい」と、千葉市で開かれた第10回全国障害者スポーツ大会の開会式を欠席しながら、千葉県と隣り合う東京都江戸川区内のスポーツ施設で、愛子さまのスケートに付き添っていたこともある。いきなり海外での公務ということになれば、違和感を持つ国民もいるだろう。このため、山下氏は次のように推測する。
 「訪英までは2カ月以上あります。その間にいくつかの公務をこなしていただきながら、医師団とも相談して4月上旬に宮内庁として決定し、4月中旬に閣議了解、という流れになるのではないでしょうか。ひょっとすると、3月の春季皇霊祭や、4月の神武天皇祭といった宮中祭祀にご出席になる可能性もありますね」
 昨年3月に生じた愛子さまの通学問題も大きなハードルだ。雅子さまはいまも愛子さまに付き添って登校し、下校まで校内に滞在している。
 「訪英の可能性が報じられ、通学問題でも動きがあるかと思ったのですが、いまのところ目立った変化はありません」(学習院初等科の関係者)
 ただ、愛子さまの状態が良くなってきているのは、明るい兆しだという。
 「最近は登校時間も早まり、最後の授業まで受けることが多くなっています。休み時間には雅子さまのことを気にする様子もなく、友達とふざけあってのびのびと過ごしている。初等科から入学してきた友達と親しく、男子とも楽しそうに遊んでいますよ」(前出の関係者)
 愛子さまは週に1、2回は、迎えの車に乗らずに歩いて帰宅する。2月9日も午後3時すぎに徒歩で下校したが、
 「名残惜しそうにしばらく後ろ向きに歩き、友達に手を振っていました。雅子さまを振り切るように、途中で元気に走りだされることもあるんです」(宮内庁関係者)
 となれば、愛子さまの通学問題は解決が近いのか。皇室担当記者が言う。
 「雅子さまの『覚悟』次第です。訪英までの2カ月あまり、付き添いを送り迎えだけにするとか、1時間目から登校するなど、“子離れ”を試みる頃合いではないでしょうか」
 宮内庁は2月9日、天皇陛下が、一定以上の運動負荷がかかると心臓の血液の流れが悪くなる「心虚血状態」になることが判明したと発表した。陛下には特に自覚症状はないものの、11日には再検査を受けた。
 皇太子ご一家は12日も、江戸川区のスポーツ施設にスケートに出かけた。訪英が雅子さま回復のきっかけとなり、両陛下の安心につながるだろうか。 (安藤麻子)
156名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/16(水)21:50:24ID:9xyryBF50

週刊誌最新号レポです。
「新潮」は全3ページ、うち天皇陛下のご病状についての記事が約1/2。
ここでは東宮がらみの内容を中心にレポします。
詳細は各誌をご確認ください。

週刊新潮(2010.02.24号)
冠動脈硬化 「天皇陛下」が口にされないご心痛

・このたびの検査で、心臓のまわりの冠動脈に動脈硬化が見つかった天皇陛下。
・天皇陛下はご自身の公務について、格別の思い入れがおありになる。強い決意と信念で公務をお続けになっている。そのため、これまで何度かご体調の不良があったが、陛下ご自身が公務数を減らすお気持ちはさらさらなかった。
・今回のご病状、および検査の発表に至るまでには、ある経緯があった。「実は発表に先立ち、御所の職員は両陛下に、発表内容の確認をお願いしたそうです。元より陛下は、昭和天皇が崩御されたときのような情報統制はしたくない、というお考えです。今回も職員が詳しい病名や経緯を伏せた点を指摘され、ディテールまで明らかにするよう指示されたとか。」(皇室ジャーナリスト)
・「医師団は陛下のご病状を考慮し、もしものときに東京で緊急治療にあたれる体制を維持するため、できるかぎり遠出をしないように求めています。ウィリアム王子の結婚式は皇太子ご夫妻にご出席いただこう、という背景にも、同様の事情があると聞いています。」(宮内庁関係者)
・このように今回ご病状が明らかになったことで、陛下が心血をそそがれる「公務を減らすべき」、「お休みください」とお願いする公然の理由ができた。
・「陛下は公務でのお言葉ひとつとっても、資料を読み込み、ご自身で最終チェックまでなさる。祭祀についても、昨年の新嘗祭など、深夜は神職が代拝しているというのに、午前1時すぎまでご自身も臨まれた。お身体への負担が大きかろうと、そうなさるのがいわば“生きがい”なのです。」(宮内庁担当記者)
・それを奪われることになる陛下のご心痛は、いかばかりか。しかし、心臓を病まれた陛下のご心痛のタネは、ほかにもないわけではない。
・陛下の心臓の異変が初めて明かされた2月9日、両陛下がウズベキスタン大統領夫妻を招いた午餐に参加されているころ、「雅子さまは愛子さまにつきっきりでした。」(東宮一家ウォッチャー)
・「しかし、下校時に友達と一緒に初等科の校舎から出て来られた愛子さまは、雅子さまからだいぶ離れての徒歩での下校で、その様子からは、不登校の問題はないように見えました。公務より愛子さまへの付き添いが優先なのは、あくまでも雅子さまご自身の問題ではないでしょうか。」(同)
・「両殿下がウィリアム王子の結婚式に参列されることに、両陛下は賛成されています。しかし、イギリスからご帰国後、雅子さま妃殿下がまた療養生活に戻られるようでは非難される。天皇陛下はそのことを非常に心配されていると思うのです。」(元宮内庁職員 山下晋司氏)
・検査入院から退院されるや否や、すぐに公務をこなされた天皇陛下。「早い退院と公務への復帰は、皇太子殿下に対する意思表示かもしれません。」(皇室ジャーナリスト 松崎敏弥氏)
・「雅子さまの方ばかり向いておられる殿下に向けた、早く目を覚まして自分の立場を認識してほしい、というメッセージではないでしょうか。殿下は1日も早く陛下のお気持ちに気づかなければなりません。」(同)
・「将来の皇室がどうあるべきか、という重要な問題について、皇太子は天皇陛下と話し合われることもない。雅子さまのご病気に触れられたくないからだと思いますが、そんな状況では、ますます陛下の心臓に負担がかかります。陛下は公務に向かうことで、足下の東宮問題から気分を紛らわせておられるのではないか。」(橋本明氏)
・ちなみに、秋篠宮家は両陛下と密に交流し、「2月2日から7日まで両陛下が葉山でご静養されたときも、4日に紀子さまと悠仁さま、5日には秋篠宮殿下が合流され、6日まで一緒に過ごされました。」(皇室ジャーナリスト)
・「黒田清子さんもよく皇居を訪れ、両陛下と一緒に時間を過ごされています。一方、東宮ご一家だけは。去年の誕生日の会見で天皇陛下が話されたように、なかなかお会いになられていないのです。」(同)
・皇后陛下は時間が許す限り、連日陛下に同行し、付き添うようにされていた。その同じ12日の朝、江戸川区のスポーツセンターの周囲は、皇宮警察の警備車両や白バイが待機し、あちこちに私服警官が立ち、物々しい雰囲気に包まれていた。そこに午前10時過ぎ、現れたのは皇太子ご一家だった。
・「天皇陛下が検査入院されている最中、しかも三連休の中日に、公営のリンクを貸切りにして、初等科のご学友たちとスケートを楽しまれたのです。」(先の東宮一家ウォッチャー)
・「この日は私を含め、みなさん中止になると思っていました。参加したのは数名ですが、みな“いいのかしら”と複雑な気持ちだったみたいです。」(初等科のさる父兄)
・スケートに行ったと聞いて「耳を疑った。」「陛下は検査入院されるにあたり、公務に影響がでないように配慮して、祝日の金曜日と土曜日をお選びになったようです。皇太子殿下はその点に、もう少し心を配られた方がよかったかもしれません。」(宮内庁関係者)

「陛下のご健康のためには、公務の見直し以上に、このご心痛の種を取り除くことこそが急務に違いない。」で〆。
301名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/16(水)23:50:29ID:9xyryBF50
週刊誌最新号レポです。
「文春」も「新潮』同様全3ページ、こちらは皇后陛下のこれまでのご活動などの記事が約1/2。
友納の記名はありません。ここでも東宮がらみの内容を中心にレポします。
詳細は本誌をご確認ください。

週刊文春(2010.02.24号)
<深層リポート>雅子さまが「皇后」になる日
〜即位の礼で御帳台に昇られる日から始まるご公務と宮中祭祀の日々。美智子皇后の“思い”は引き継がれるのか。

・天皇皇后はいま、皇太子ご夫妻の返事をお待ちになっている。4月におこなわれる英国ウィリアム王子の結婚式ご出席の件だ。2月10日、宮内庁の羽毛田長官は、皇太子ご夫妻がまだ検討中であることを会見で触れた。
・「皇太子ご夫妻のご出席は、両陛下のご意向であることを念押しするように話していました。雅子さまはこれまでご病気や愛子さまの通学問題で、なかなかご公務がお出来にならなかった。その状況を打開されるチャンスになればと期待されているのです。」(宮内庁担当記者)
・その後、ウェストミンスター寺院での挙式に参列されるかどうか、東宮御所の発表はまだない。「英国ご訪問の件が公になってから、雅子さまと愛子さまのほうにも何らかの変化があるのではと期待感がありましたが、(中略)2月7日、そして三年生の授業参観のあった8日と、愛子さまは連日ご欠席。ところが、12日にはご一家そろってスケートにお出かけ。ご一家の矛盾とも思われる行動には、学習院の父兄からも『どうなっているのかしら』と疑問の声が上がるようになりました。」(皇室担当記者)
・人格否定発言の衝撃からもうすぐ7年。今の状態の雅子さまが皇后になられたら、皇室はどうなるのであろうか。
・「天皇皇后両陛下はまさに『皇室の中心』です。(中略)極めて重要性が高い。今の状態で雅子さまが皇后となられて時、体調面の不安のために大きな行事にもご欠席が多くなる可能性があるのではないかと心配しております。」(橋本明氏)
・世界各国の代表を前に皇后としてお目見えするのは「即位の礼」からだ。まさにこの日から、皇后として国内外の重い責務を担われる日々がはじまる。
・皇后は御帳台に昇られ、国の内外に即位を正式に宣言する、「即位の礼」のクライマックスだ。「あのきらびやかな御帳台の帳(とばり)が開かれた時、もしそこに雅子さまのお姿がないとしたら、たいへんなことですね。」(宮内庁関係者)
・即位の礼にはじまり、歌会始、宮中祭祀といった宮中行事に対して、皇后となると皇太子妃時代とは違った環境が待ち受けているのはまちがいない。立場の違いがはっきりと表れる。
・皇后としてのご公務は健康なお体であっても激務といわれる。ご公務の数も膨大なものである。「ご公務が増えた理由のひとつには、冷戦終結後、国の数が増加したためです。また、女性の社会進出に伴って、式典などに両陛下揃っての参加要請が増えたことも背景にあります。三つ目の理由として、美智子皇后が天皇と独自にはじめられたご公務が多いことも挙げられます。」(元宮内庁職員 山下晋司氏)
・天皇皇后が独自にはじめられたご公務には、「慰霊の旅」や、身障者や高齢者にかかわる福祉施設へのご訪問がよく知られている。
・「ここ数年、皇后陛下は慰霊の旅について、『あとにつづく者に引き継いで欲しいのだけれど…』と懸念をたびたび口にされています。これは、ご期待と同時にご心配もあるようですね。皇后陛下が陛下とともに築かれたご公務の“遺産”はいろいろあるのですが、とくに先の大戦への思いは深く、とりわけ皇太子ご夫妻には、ぜひとも受け継いでもらいたいとお考えのようですね。」(宮内庁関係者)
・ご公務には、美智子皇后が単独で、先代から受け継いで行っているものもある。代表的なものは、日本赤十字社名誉総裁や、明治時代の昭憲皇太后から続く「ご養蚕」だ。
・実は、一切報道されていないが、雅子さまは以前から(ご養蚕に)高い関心を持たれ、すでに複数回、ご養蚕を受け継がれる準備をされているという
・皇后となれば、年に何回か行われる菊栄親睦会やご結婚式やお葬式など、女性皇族のトップとしてプライベートな面でも、取りまとめが期待される。
・宮中祭祀や皇族のあり方など、皇室には文書ではなく人から人へつたえられる事が多い。「昭和天皇のもとに、皇太子同妃時代の両陛下が原則として毎週1回、吹上御所に参内されていましたが、今のところ皇太子同妃が直接両陛下にお会いする機会が少なくなっていますのは心配です。」(宮内庁OB 中島宝城氏)

「皇后となる日、雅子さまがご健康であられることを祈りたい」で〆。

急いでうちましたので、誤字脱字があるかもしれませんこと、ご了承願います。
【皇室ウイークリー】(172)皇太子ご夫妻、初等科の音楽会へ 陛下の外出で“態勢変更”2011.2.1907:00(1/4ページ)

 皇太子ご夫妻は18日、長女の敬宮愛子さまが通う学習院初等科(東京都新宿区)を訪問された。この日は学校行事の音楽の会があり、ご夫妻は一般の父母らとともに、演奏をご覧になったとみられる。(略)
 宮内庁の野村一成東宮大夫は16日の定例会見で、「陛下を案じるお気持ちについては、直接殿下(皇太子さま)から陛下にお伝えになっていらっしゃるのではないかなと、これは私の拝察ですけど。思います」と述べた。
 皇太子さまは23日が51歳のお誕生日。誕生日に伴って例年記者会見が開かれているので、来週は陛下のご体調に関する皇太子さまのご発言が、ニュースで伝えられるかもしれない。
 皇太子さまは14日、東京都立産業貿易センター台東館(東京都台東区)で「第85回国風盆栽展」をご覧になった。同展は昭和9年に始まり、故高松宮夫妻や故秩父宮妃も鑑賞した歴史がある。
 近年は皇太子ご夫妻が71回(平成9年)、75回(13年)、80回(18年)に足を運ばれたが、今回は皇太子さまお一人だった。「雅子さまからもよろしく、と…」。皇太子さまは会場を後にする際、日本盆栽協会の竹山浩理事長にそう言葉をかけられたという。(略)
 会場には日本盆栽協会会長で前衆院議長の河野洋平氏が特別出展したエゾ松があり、皇太子さまは河野氏に「樹齢は?」と質問された。また、小さなピンク色の花が一輪咲いた小ぶりの盆栽をみて「イワカガミ。山に!」と笑顔を見せられた。イワカガミは多年草の高山植物で、登山が好きな皇太子さまはよくご存じだったようだ。
<愛子さま>学級閉鎖に 複数児童がインフルエンザ症状毎日新聞2月19日(土)2時31分配信

 皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)が通う学習院初等科(東京都新宿区)3年南組は18日、インフルエンザの症状で欠席や早退する児童が複数いたため学級閉鎖となった。21日まで閉鎖される。愛子さまにインフルエンザの症状はないという。
 学校関係者によると、18日は授業参観日で、皇太子ご夫妻も参観した。愛子さまは他の児童とともに合唱を披露。その後、インフルエンザの症状の児童がいることが分かったことから、午後から学級閉鎖となった。
<愛子さま>学校への不安和らぐ 在校時間延び、徒歩帰宅も
毎日新聞2月20日(日)20時41分配信(最終更新:2月20日(日)20時41分)

 皇太子ご夫妻の長女で学習院初等科3年の愛子さま(9)が、欠席が重なるなどしてから間もなく1年になる。母親の雅子さまが付き添い、時間を区切っての通学が続いているが、授業を受ける時間は長くなっている。昨年に比べて学校生活に対する愛子さまの不安感は、徐々に薄らいでいるようだ。【真鍋光之】

 愛子さまが学校を続けて休むようになったのは昨年2月22日からだった。野村一成・東宮大夫は、当初は「風邪の症状」としていたが、3月5日、「乱暴な男子児童が複数おり、通学に強い不安感をお持ちだ」などと発表。学習院側は「乱暴はない」と説明した。
 3年生進級後は、雅子さまが車で登下校に付き添い、授業も参観する毎日となった。1学期は昼食を取らずに下校することが多かったが、2学期からは、在校時間や徒歩での下校が増え、11月には、同級生とは別の車だったが、神奈川県での校外学習にも参加した。
 3学期は、6時限目の最後まで学校にいることが多く、3日に1回程度、徒歩で帰宅している。1月18日は雅子さまが父母会に出席したこともあり、付き添いなしで歩いて帰宅。今月18日の参観日には皇太子さまも学校を訪れ、元気に合唱する姿を見守った。
 ただ、いまだに1時間目から授業を受ける日はなく、給食も食堂で友達と一緒に取らず、雅子さまと一緒に教室に残って弁当を食べるなどしている。法政大の尾木直樹教授(臨床教育学)は「皇室という特別な環境。不登校などの児童への対処としては、一般のケースが適用できない。過去に例がない試みをしているようなものだ」と指摘する。
 学習院の東園基政常務理事は「宮内庁と話し合って対応してきた。早く通常の通学に戻れるように努力していく」と話した。

■愛子さまのこの1年の登校状況■
<2010年>
2月22日 欠席(〜3月1日。2月25日は出席)
3月5日 宮内庁が「通学に強い不安感がある」と発表
4月9日 始業式。ホームルームは出席し、式は欠席
7月23日 ホームルームは出席し、終業式は欠席。3年生進級後初めて付き添いなしで歩いて帰宅
8月4〜8日 須崎御用邸(静岡県)で静養。海水浴を体験
10月11日 初等科の運動会。フォークダンスにも参加
12月1日 9歳の誕生日

<2011年>
1月11日 3学期始業式。ホームルームは出席し、式は欠席
  18日 前年7月以来久しぶりに付き添いなしで歩いて帰宅
学習院:愛子さまの組の学級閉鎖延長毎日新聞 2011年2月22日 2時34分

 学習院初等科(東京都新宿区)は21日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)が所属する3年南組のインフルエンザによる学級閉鎖を、24日まで延長することを決めた。
 同組では、インフルエンザの症状で欠席したり、早退する児童が複数おり、「小さな小さな音楽会」と名付けられた合唱の発表会が終わった18日午後から21日までの予定で学級閉鎖となっていた。【真鍋光之】
786名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/22(火)07:44:02.52ID:fR5ICbH/0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

週刊女性2011.3.8号
雅子さま英国訪問特別企画T
宮内庁OB(山下晋司さん)が断言!
雅子さまがイギリスを訪問する2つの「理由」!
2頁の記事

・そもそも私は、ウィリアム王子の結婚式には秋篠宮同妃両殿下の出席が順当だろう思っており、各週刊誌からの取材に対してもずっとそう答えてきた。
・今回、自分の読みが違うと感じたのは、まず1月28日の発表の異例ぶり。打診があったのは前日の27日のことなので、すぐ翌日の発表。この発表には違和感を覚えた。
・私は23年間、宮内庁に勤務し、報道室でメディア対応の仕事もしてきたが、こういう発表は少なくとも私の記憶にはない。
・宮内庁記者クラブから何度も催促があったことを差し引いてもこの違和感は拭えなかった。今までの外国王室の結婚式のときに、先方からの連絡はどういうものだったのか、また招待に関する打診の内容などの情報は基本的には公表してこなかったのではないか。
・ひとつの例を挙げると、平成16年に行われたブルネイのビラ皇太子の結婚式。
結婚式は9月9日で、結局、日本からは皇太子一人が参列。当時の8月17日付けの新聞朝刊では、「16日、宮内庁は皇太子同妃両殿下が招待されていると発表した」「妃殿下の出席について、東宮職は検討中としている」「7月7日にボルギア国王から両陛下への招待状が届いたが、両陛下が出席できないため8月11日になって皇太子同妃両殿下が招待された」といった内容の記事が掲載された。
招待状が届いたのが7月7日。公表したのが8月16日と1ヵ月以上の間があった。
・つまりこの度の訪英は、両陛下、両殿下、宮内庁の間で事前に検討され、ほぼ決まっていたからこそ異例の速さで発表されたのでは、と推測出来る。
・また、皇太子同妃両殿下が訪英されるかもしれないというもうひとつの理由としては、英国女王から両陛下を招待したいとの打診があったことを発表し、「両陛下は公務でお忙しいので代わりに誰かを出席させます」としたこと。こうすれば皇位継承権の“格”ではなく、“両陛下の代理”のほうに関心が向き、代理なら皇太子同妃両殿下でもおかしくないという流れになる。
・国としての決定は閣議了解だが、閣議はおそらくは4月に入ってから。まだ2ヵ月近くもある。
・妃殿下は「適応障害」の療養中で、公務はほとんど欠席している。この状況のまま英国訪問だけすると非難の声があがるのは間違いない。
・東宮職としては、『いくつかの公務をこなしていただきながら、医師とも相談して決定する』ことになると思われ、2ヵ月はそのための期間だろう。
・少なくとも早い段階で方針を発表したことから、妃殿下の体調はかなりよくなっておられ、英国を訪問出来る可能性が高いとみていいのではないか。ただ、最終的に今回も断念するという可能性は残っている。
・妃殿下も参列を希望していると思うので、多少の無理をしてでもある程度の公務はされるのではないか。
・訪英中は愛子さまに付き添いできないことを心配する声もあるようだが、訪英は短期間になるだろうし、ちょうどゴールデンウィークだから支障はないだろう。愛子さまのことも含めて、今回の方針決定だと思っている。
・妃殿下が公務に復帰すれば喜ばしいが、ただ、訪英という目的を持って頑張っておられる時はいいが、その後が心配。
・陛下も訪英前、訪英後の妃殿下の体調を心配しておられることだろう。妃殿下の健康に関しては陛下の意志ではいかんともしがたく、ただただ心配するよりほかないと思うが、それは陛下の心的ストレスの増大になるかもしれない。

〆は、宮内庁には陛下の肉体的負担の軽減だけではなく、皇室全般に関する心的負担の軽減についても積極的に努力して頂きたいと思っている。
そういう面からも、妃殿下の回復と訪英の成功をお祈りしている。
792名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/22(火)07:48:06.28ID:fR5ICbH/0
雅子さま英国訪問特別企画U

雅子さまドタキャン願い/愛子さま2時間目登校
皇太子ご一家イギリスを目指して―2つの“大準備”!
1頁の記事

・「先週の18日、皇太子ご夫妻は学習院初等科の音楽会に出席されました。先生方と愛子さまの今後についての話し合いもされたかもしれませんね」(宮内庁関係者)
・いまだ不規則登校が続く愛子さまだが、学校でお父様と過ごした嬉しさからか、この日のお帰りは超ご機嫌!校門前をバーッと元気よく走り出して帰ろうとすると、後ろから雅子さまに呼び止められたのか急ストップ。インフルエンザによる学級閉鎖のため、集団下校するクラスメートや先生に笑顔でバイバイ。再びダッシュで車に乗り、下校。
・「実はこの日、愛子さまは2時間目が始まる9時45分ごろに登校。3時間目からが当たり前になっていたので、かなりお元気になっているといえるかもしれません」(前出・関係者)
・愛子さまには英国の結婚式で花束を贈呈する役を務められるのでは?という報道もされている。実際に行かれるかどうかは別にして、不登校発覚から1年。「通常登校」に向けた準備のため、早い登校を心がけているのだろう。
・さらに雅子さまの英国訪問をめぐっては、着々とその計画が進められているようだ。「異例なことかもしれませんが、英国から最終的な招待状をいただいてから、“あるおうかがい”をするようです」(東宮関係者)
・おうかがいとは?
 「“雅子さま妃殿下がドタキャンしても大丈夫か”というお願いを改めて英国にする方向で話し合いをしているそうです」(前出・関係者)
・逆にそういう準備があるほうが、雅子さまも安心して英国行きに向けて調整出来るかもしれない。

〆は、ご夫妻そろっての訪英決定の知らせが今から待ち遠しい。
216名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/02/22(火)08:17:20.10ID:GnQNNDPl
週刊誌レポ。至極簡単で済みません。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性 (2011,03,08)宮内庁OBが断言雅子さま訪英急転2つの理由

・山下真司氏による、皇太子夫妻の訪英決定は両陛下・夫妻・宮内庁の三者合意。
でなければ1/28の段階で発表するはずがない。などを2頁に渡って。
〆は忘れました、済みません。
・・・・・・・・・・・・・・
・山下氏の記事に続く形で、2/3頁ほど使って、皇太子夫妻と愛子さまの記事。
・2/18の授業参観後、あいこちゃんは超ご機嫌。(迎えの)車にバーッと走り出し雅子さまに「ご挨拶は?」と呼び止められる。友達に挨拶をした後、車に駆け込む。
・この日の登校時間は9:45ごろだったので、通常時間登校に向けて少しずつ早めているのかもしれない。
・(以下太字)夫妻訪英決定後も雅子さまのドタキャンが許されるか、英国側に許可を求めるよう(ここまで)
793名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/22(火)07:50:09.51ID:fR5ICbH/0

女性自身2011.3.8号
皇太子さま美智子さまがキャンセルされた「融和の音楽会」
2頁の記事

・2月18日。学習院初等科では2年生と3年生による『小さな小さな音楽会』が開催された。生徒たちが合唱や合奏を披露する行事である。愛子さまは雅子さまに付き添われて登校した後、皇太子も初等科を訪問。平日の昼間ということもあり、父親たちの参加は少数だったという。「舞台の上で歌われる愛子さまを、皇太子さまも雅子さまも優しく見守っていらっしゃいました」(学習院初等科に子供を通わせる保護者)
・2月23日には51歳の誕生日を迎える皇太子さま。最近では愛子さまと二人でのお出かけも多いが、皇太子さまの“パパ奮闘ぶり”は二人でのお出かけばかりではない。
・「昨年9月ごろから皇太子さまは知人たちに相談されています。“愛子にテニスを始めさせようかと思っています。いい先生はいらっしゃいませんか?”とおっしゃっていたそうです。しかし残念ながら、半年ほどたったいまでもコーチは決まらないそうです。声をかけられた人たちの辞退が続いていると聞きました(後略)」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・皇太子のテニス仲間は、両陛下と共通の知人も多い。なかには“まず両陛下のご了承を得てください”という人もいたという。
・「皇太子さまは、愛子さまがテニスを始めれば、両陛下とお会いする機会も多くなる、とお考えになっているそうです。それいうことならば、愛子さまのテニスコーチの件も、両陛下にご相談すればいいと思うのですが…。ご多忙の両陛下に、負担をおかけしたくないということなのでしょうか(後略)」(前出・松崎氏)
・昨年12月の天皇陛下の誕生日会見のお言葉で、天皇陛下と皇太子さまの“溝”を感じた宮内庁担当記者も多かったという。
・この溝を埋めるため、皇太子さまも両陛下とご一緒の時間を過ごすための機会を作ろうと、陰ながら努力されている。実は1月には、美智子さまと皇太子さまの共演による“ミニ音楽会”も計画されていた。「モーツァルトのピアノ協奏曲を、美智子さまのピアノ、皇太子さまのヴィオラなどで奏でようという趣向でした。その場には、天皇陛下や雅子さま、ヴァイオリンを習われている愛子さまもお集まりになる計画でした」(皇太子夫妻の知人)
・しかし、美智子さまとの演奏会はまだ実現していない。どうやら、美智子さまのご都合により、キャンセルになったという。
・「皇太子殿下が、よき夫、よき父であろうとされていることは間違いないと思う。しかし、国民が皇太子殿下に求めているのはそればかりではない。国民は“ご高齢の両陛下を支えていただきたい”そう願っているはず。天皇陛下も皇太子殿下には、“将来の皇室がどうあるべきかをもっと考えて欲しい”とお考えになっているだろう。皇太子殿下が努力されていることと、天皇陛下が求められていることにはズレがあるようにおもう」(皇室ジャーナリスト・橋本明氏)
・ある宮内庁関係者も嘆息。
「古参の宮内庁職員のなかには、『あの素晴らしかった皇太子さまが最近はいったいどうなさったのだろう』とはっきり口にするものもいます。陛下が一番懸念されているのは“皇室と国民の結びつきが弱くなってしまうこと”だと思います。陛下は皇太子時代から、美智子さまと一緒に全国を飛び回られ、地元の人々と触れ合うことに尽力されてきた。しかし最近の皇太子さまの地方公務は、日程も短く、スケジュールもゆるめに調整されています。これは、もし雅子さまが参加されても負担が少ないようにと考慮されているからです。(以下太字)しかし陛下は“1泊2日など、そんな短い日程で本当に人々との交流がはかれるのか”と心配されているのです」
・あくまでも雅子さまと一緒に公務をすることを目指している皇太子と、単独でもいいから、もっと国民と触れ合うべきと考えていらっしゃる天皇陛下。ここでも考え方の違いが見られる。
・「皇太子さまは、家族のことを“コミュニティの最小の単位”と表現された。国家という大きなコミュニティを支えているのは家族であるとお考えになっているのだろう。また、雅子さまとの婚約の際には“全力で守る”と決意を語られた。そのお言葉通り、ひたすらご家族を守り続けでていらっしゃるのでしょうが…」(精神科医・香山リカ氏)

〆は、両陛下と皇太子さまのすれ違う思い。その溝が埋められる日を切に願いたい―

以上です。
16名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/02/22(火)08:17:20.10ID:GnQNNDPl

女性自身(2011/03/08)皇太子さま、美智子さまがキャンセルされた「融和の音楽会」
・2頁の記事。皇太子出席。2/18の授業参観、平日の昼間と言うこともあって父親の姿は少なかった。
・皇太子・愛子さまと外出の機会が多く、昨年もニッセイ劇場のミュージカル鑑賞。鑑賞後脚本家の佃信彦氏と懇談。その際の様子を氏のブログから引用。その場になじめていない愛子さまをフォローする皇太子。
・皇太子は愛子さまにテニスを始めさせたいと考え、コーチを紹介してくれないかと声をかけているが、半年以上たった現在も未定。愛子さまがテニスをすれば両陛下とも交流できるのではないかと考えたらしい。
・1月に「梓室内管弦楽団」が東宮御所内で演奏。皇后陛下と皇太子が共演されるほか、今上・雅子さま・バイオリンを習う愛子さまも出席予定だった。しかし「皇后陛下との共演は行われていない」(楽団)
・皇太子の地方公務も雅子さま出席を考えた1泊2日の短い、スケジュールも緩いものだが、それで国民と交流ができるのか、国民とのつながりが弱まるのではと案じる今上。両者の考えの違い。
・皇太子はよき父親・よき夫であろうと考えているようだが、国民が求めているのは両陛下を支えること。
〆は両陛下と皇太子との溝が埋められる日を願う、とかなんとか。
皇太子さま51歳 誕生日会見の詳報(1)(2011年2月23日付朝刊掲載記事)

「タイガーマスク 心温まる」
 皇太子さまは23日に51歳の誕生日を迎え、これに先立って記者会見された。
 この1年を振り返る質問では、若者の就職難に「心が痛みます」とした上で海外留学の減少などに触れ、「若い世代に『内向き志向』が強まっていることも心配です」「外から日本を眺めることも大切」などと語られた。またタイガーマスクの主人公らを名乗る善意のプレゼントが広がったことを心温まるニュースに挙げられた。高齢になられた天皇、皇后両陛下を案じ、「皇太子としてお助けしなければならない」としつつ、公務のあり方の検討は「天皇陛下のお気持ちに沿って進めるべき」と述べられた。
「良い方向」愛子さま
 皇太子さまは会見で、学校生活への不安から雅子さまに付き添われての登校が1年近く続いている長女、愛子さま(9)(学習院初等科3年)について、「学校で過ごす時間も長くなり、行事にも元気に参加するなど、良い方向に向かっている」と話された。
 関係者によると、愛子さまの出席は当初3、4時限目の授業だけが多かったが、2学期以降は運動会など行事にも参加、2〜6時限目に出席する日が増えた。雅子さまが参観されない授業も増えたが、付き添いは続いている。学習院の東園基政・常務理事は、雅子さまと学校側が必要に応じて連絡を取っているとしたうえで「信頼関係は深まっており、対応を続ける」と話している。
皇太子さま、御所を訪問 誕生日で両陛下にあいさつ2011年2月23日19時57分(共同)

 皇太子さまは51歳の誕生日を迎えた23日、皇居・御所を訪れ、天皇皇后両陛下にあいさつをされた。
 東京・元赤坂の東宮御所では皇族や宮内庁職員から祝賀を受けた。雅子さまも祝賀を受ける予定だったが、体調不良のため取りやめた。
 夜には両陛下が東宮御所を訪れ、夕食を共にした。
82名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/24(木)06:48:00.18ID:rM/3hhxY0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性セブン2011.3.10号
皇太子さま51才のお誕生日/この笑顔があってこそ
1頁のカラーグラビア・皇太子、雅子さま妃、愛子さま、愛犬由莉、猫との1枚。

皇后美智子さま「いつも陛下のおそばに」悲痛献身に皇太子さまの「覚悟」/2頁の記事
・2月18日。美智子さまはおひとりで亡き師の書道展を鑑賞。
しかし、前日の段階では、“もしかしたら美智子さまは書道展へのご訪問をお取りやめになるかもしれない”という話が持ち上がっていた。(宮内庁関係者)
・陛下の検査入院の際も、当初は美智子さまも病院に宿泊され、付き添われたいお気持ちだったようだが、陛下に諭され御所に戻られ、翌朝、再び病院へ。
・「美智子さまはとても陛下のお身体を心配されている。
片時も陛下のおそばを離れるわけにはいかないという思いが強く、そのため書道展のご訪問も取りやめることが可能なら、陛下のおそばにいたいとお考えになられたようです。
しかし、陛下が“せっかくの機会だから”と後押しされ、予定通りのご訪問となったそうです」(前出・宮内庁関係者)
2月12日に退院された天皇陛下はわずか2日後にご公務を再開。15日には宮崎県知事に会われ、励まされるなど、退院後4日間でのご公務は12件。美智子さまがいつもおそばに…というほど心配されるのも無理はない。
・「日課とされている朝夕の皇居内の散策も、いままでは陛下が美智子さまを気遣っていらしたが、退院後は、美智子さまの方から手をつながれたり、寄り添って歩かれているようだ」(前出・宮内庁関係者)

・「陛下のお体を考えられ、美智子さまは大膳課と相談し、お食事に自らの手料理を加えられているようです。
悲痛な思いで陛下のために献身なさっている美智子さまですが、お気持ちの隅には皇太子夫妻にご公務の名代を、という強いお気持ちがおありのようです」(ある皇室関係者)
・2月23日に51才の誕生日を迎えた皇太子は愛子さまと雅子さまについて、国民に温かく見守ってほしいと述べられ、両陛下のご健康については、あくまでも慎重な発言ではあったが、両陛下の意志を尊重しつつも、今後はご公務の名代を務めるという覚悟が表れているようだ。
〆は、この4月には皇太子夫妻での英国訪問も実現の方向で進んでいる。
皇室は今、転換期を迎えようとしている。
84名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/24(木)06:50:02.71ID:rM/3hhxY0
週刊文春2011.3.3号
ウィリアム王子結婚式にいち早く手を挙げた日テレの“思惑”
1/2頁の記事

・英国ウィリアム王子の結婚式に、日本では皇太子、皇太子妃両殿下が出席するか否かに国民の注目が集まっている。
・そんな中、いち早くロイヤルウェディングのゴールデンタイム生中継を発表したのは日本テレビ。何故、日テレが張り切っているかといえば、それはダイアナ妃のときの高視聴率をマークした成功体験があるから。
・「今回の結婚式は地味婚とも言われているが、日本人が大好きなダイアナ妃の忘れ形見であるウィリアム王子だから、視聴率は高いだろう。雅子さまが出席するとなれば尚更です」(皇室担当記者)
・肝心の雅子さま妃の出席は?
23日の宮内庁・次長会見では「招待状は発送したそうだが、まだこちらに届いていない」とのこと。

〆は、もし出席可能なら、めでたいことなのだが―
以上です。
愛子さま:1週間ぶり登校毎日新聞 2011年2月25日 15時00分(最終更新 2月25日 15時08分)

 インフルエンザによる学級閉鎖のため登校できなかった皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科3年=は25日午前、1週間ぶりに登校した。愛子さまは午前9時半過ぎ、雅子さまに付き添われて車で登校した。
【皇室ウイークリー】(173)「ご治療に悪影響」記者質問に東宮大夫が“注文” 放駒理事長皇居へ、八百長問題わびる2011.2.2607:00

 皇太子さまは23日に51歳の誕生日を迎えられた。皇太子さまは当日、朝の参内(皇居ご訪問)後に東宮御所に戻られた。皇族方による皇太子ご夫妻への祝賀、宮内庁幹部らによる皇太子さまと雅子さまお一人ずつへの祝賀−などの行事が予定されていたが、雅子さまはいずれも欠席された。「ご体調」が理由という
 午後7時前には天皇、皇后両陛下が赤坂御用地を訪問された。東宮御所での誕生日恒例の食事会で、雅子さまの親族も集まり、この会には雅子さまも出席された。ご家族で和やかなひとときを過ごされたようだ。
 誕生日に先だって東宮御所で行われた記者会見では、50代最初の1年を過ごした感想や、雅子さま、長女の敬宮愛子さまへの思いなどを明かされた。
 皇太子さまは愛子さまについて、「この1年近く、親として、愛子のために何をしてあげられるのかという思いで、雅子さまとともに考え、歩んできました」「愛子は学校で怖い思いや、つらい体験をしましたが、それを乗り越えようと、前向きに頑張ってきており、私たち親としても、精いっぱい支えてあげたいと思ってここまで来ております」と心情を明らかにされた。
 ご登校の問題は昨年3月に発覚したため、前回の誕生日会見では触れておらず、皇太子さまがここまで公の場で発言されるのは初の機会となった。
 皇太子さまは雅子さまについても、「限られた形であっても、できるだけの努力をしてきているのが事実…」「私自身そばで見ていて、大変だと思いますし、雅子さま自身の体調が万全でない中で、毎日本当によく頑張っていると思います」「雅子さまの並々ならぬ努力を身近に見ている私としても…」などと明確な言葉を使い、今後も雅子さまをサポートしていく姿勢を示された。
 さらに昨年2月の東宮職医師団見解における「患者さんが治療に取り組み、それが実を結びつつあるときには、できていないことではなく、小さなことでもできたこと、あるいは努力していることが認めてもらえるような、安心できる温かい環境が不可欠です」という部分を引用し、報道関係者に「一層のご理解とご配慮を頂けますよう改めてお願いしたいと思います」と付け加えられた。
 特に「できていないことではなく…」というお気持ちが強かったのか、25日に行われた宮内庁の野村一成東宮大夫の定例会見でも、この点が強調された。
 野村東宮大夫は、誕生日会見での記者会側の質問にある「この1年も、雅子さまは地方行啓など外出を伴った公務にほとんど出席できない状態が続いている」「日々の公務への出席機会が少ない現状について」といった表現を取り上げ、「全体のトーンが東宮職医師団が懸念しているような妃殿下の治療にとり悪い影響を与えかねないものであったと危惧します」と指摘。「今後、質問における問題提議の仕方において、妃殿下のご治療へのあり得べき影響という観点から配慮をお願いしたい」と念を押した。
 なお、今回のご会見の全文はすでにサイトに掲載している。そちらもご覧になっていただきたい。
 野村東宮大夫は25日の定例会見で、愛子さまが学級閉鎖のため、18日から24日まで、学校を休まれたと発表した。愛子さまご自身は元気で、25日は従来通りの通学をされたという。
 野村東宮大夫はまた、「女性自身」3月8日号に掲載された「皇太子さま苦悶(くもん)…美智子さまキャンセルされた『ご一家“融和”音楽会』」と題する記事について、「1月に予定されていた皇后陛下と(皇太子)殿下の演奏会が皇后陛下のご都合によりキャンセルされたと報じられているが、これは事実関係の明らかな間違い」と指摘し、発行元の光文社に25日付で訂正を求める文書をFAXしたことを明らかにした。
 野村東宮大夫によると、皇后さまと、皇太子さまが楽団長を務める「梓室内管弦楽団」との演奏会は、近々行われ、日程も確定しているといい「一度決まった日程がキャンセルになったことはない」と強調。野村東宮大夫は「皇后陛下に対して大変失礼なこと」と不快感を示した。「女性自身」編集部は「小誌編集部では、1月に計画されていた演奏会が、開催されなかったことを取材により確認し、記事作成をいたしました。今後、演奏会があらためて行われた際には、小誌にてこれを記事にする所存です」としている。
 天皇陛下は25日、ニュージーランド南島のクライストチャーチ付近で発生した大規模地震に対するお見舞いの電報を、同国のサティアナンド総督に送られた。宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は地震について、心配されているという。また野村東宮大夫によると、皇太子ご夫妻も心を痛められているという。皇太子さまは、誕生日の記者会見が地震発生直前の21日に開かれたため、23日に報道されたご自身の会見の記事などに、ニュージーランド地震に対するお見舞いの気持ちを表すことができなかったことを心残りに思われているという
皇太子さま:インフルエンザに 28日の公務取りやめ毎日新聞 2011年2月27日 22時35分

 宮内庁東宮職は27日、皇太子さまがインフルエンザとなり、28日の公務を取りやめると発表した。東宮職によると、皇太子さまは27日午前から、のどの痛みやせきがあり、夕方には38度の発熱があった。東宮侍医が診察したところ、インフルエンザB型の陽性反応が認められたという。
皇太子さまがインフルエンザにご感染2011.2.2722:45

 宮内庁東宮職は27日、皇太子さまが季節性のインフルエンザに感染されたと発表した。28日に予定していた東京国立博物館での展覧会の視察は取りやめられる。
 皇太子妃雅子さま、敬宮愛子さまには症状が出ていらっしゃらない。
 東宮職によると、皇太子さまは27日午前、のどの痛みやせきなど風邪の症状を訴えられた。夕方に38度の高熱が出たため、侍医が診察したところ、インフルエンザB型と分かったという。
52名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/28(月)09:26:43.81ID:IOacusbj0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

週刊現代2011.3.12号異色レポート/父兄が明かす
愛子さまと学習院初等科3年生南組の春
4頁の記事

・2月18日(金)、学習院初等科では、2年生と3年生による音楽会が行われた。音楽会のテーマは「みつけよう大切なもの」。クラスごとの合唱と、縦笛を使った合奏も行われ、愛子さまも大きく口をあけて歌っていた。皇太子夫妻はビデオカメラを手に熱心に愛子さまが歌う姿を撮影。
・ところが、この音楽会の最中に異変が。愛子さまがいる3年南組に、10名近いインフルエンザによる欠席者が出た。心配した雅子さまは、東宮関係者に対し、「大丈夫でしょうか」。結局3年南組は、音楽会の日の午後から21日まで学級閉鎖となった。
・「最近の愛子さまは以前よりも活発になり、積極的に勉強や運動に取り組んでいます。とにかく運動が得意で、ドッヂボールなどのスポーツが好きだそうです。手足もすらりと伸びて同級生のなかでもかなり背の高い方ですからね。それから、書道や音楽がお好きなようです。親しい友人と話したり笑いながら、休憩時間を過ごしているそうです。依然として雅子さまが付き添われての“時短登校”は続いていますが、最後の授業(6時限目)まで学校にいらっしゃる日も増えていますね」(学習院に子どもを通わせる父兄)
・愛子さまが登校拒否に陥った騒動からちょうど1年が経った。先日の皇太子の誕生日の記者会見を聞いた宮内担当記者の感想。「1年経ってもまだ、『怖い思い』とか『つらい体験』という厳しい言葉を使わざるを得なかったところに、皇太子一家の苦衷を感じる。1年生、2年生のあいだに経験したことが、愛子さまの心にはまだ重いものとして残っているのだろう」。
・愛子さまはようやく、穏やかな日常を取り戻しつつあるように見えるが、実際にはどうなのか。「確かに1年生から2年生にかけて、4〜5人問題がある児童がいたようです。東園理事の言うように、授業中に歩き回って、先生に怒らるとそのまま教室を出ていってしまったり、体育の時間にじっとしていることができず、他の子を叩いたり、通学の途中、別の児童の帽子を放り投げたりという行動があったと聞きました。しかし、最近はそういった行動もおさまり、学年も落ち着きを取り戻しています」(学習院初等科OB)
・一時は学習院初等科内で「数人の問題男子児童がいる」などの噂が流れたが、なかでももっとも乱暴と思われている一人は、放課後のボール遊びを得意とする活発な男子児童で、愛子さま以外の女子児童を小突いたりすることもあった。
・問題行動がもっとも顕在化していた2年生の夏休み前には緊急父母会が開かれ、児童一人が退学を申し出るという一幕があった。しかし、この児童の退学理由はいまだに明らかにされないまま。
・噂になった男子児童以外にも、乱暴と思わあれる児童はいた。東園理事は会見で、「突然廊下をもの凄いスピードで走ってくる二人の男の子がいて、愛子内親王が恐怖を感じた」と話していて、愛子さまが「登校拒否」に陥ったのは、3月初めのこの廊下事件が直接のきっかけだったという。
・事態を憂慮した、雅子さまは「付き添い登校」を始め、愛子さまが出席しているときは、教室の後ろのスペースで子ども用の椅子に座り、授業を見守ることを続けている。
・「学校側でも、これまで以上にきめ細やかな指導を徹底していくつもり。愛子さまが校庭で遊ぶようなときは、主管や副主管、副院長などが望遠鏡で注視している。望遠鏡は愛子さまだけを見ているわけではなく、腕白なこどもの行動にも注意していて、何かあったらすぐに対応できるようにする目的で使っている。以前のように、教室に鍵をかけたりということはしていない」(学習院初等科関係者)
・こうした手厚い態勢によって、愛子さまは徐々に勉強に集中できるようになってきている。「授業中の愛子さまは、挙手をすることはあまりない。主管が愛子さまを呼ぶときは、敬宮さまと言って指名するが、答えられないことはほとんどない。ただ、声は小さいですね。時々、教室の後ろにいる雅子さまを見やるときがあるが、そういう時雅子さまはにっこり笑い、うなずいている。先生の質問に答えなさいと、促しているのでしょう」(別の学習院父兄)
・「書き取りの授業では、愛子さまの文字の丁寧さ、まとまりがクラスでもっとも美しいと評価されたことがある。その時愛子さまはクラスメイトから拍手されて、かすかに笑みを浮かべたそうです。学業は優秀で、字も上手ですし、習字が得意のようです。最初は『愛子さま』と呼ばれていたが、最近は親しいクラスメイトから、敬宮さまとか、トッシーと言われることもあるようですね。食事は相変わらずクラスメイトとは別行動で、雅子さま妃とともに教室でお弁当を食べていますが、月に一度の『お弁当の日』は、友達と一緒にお弁当を広げられる」(前出・別の学習院父兄)
・皇太子一家は、昨年夏の那須での静養の際、数人の親しい同級生を御用邸に招いている。「学習院幼稚園時代からのお友達のほかに、初等科に上がってから親しくなったご友人も招いたそうです」(前出・宮内担当記者)
・こうした友人たちについて、前出の学習院OBはこう違和感を語る。「愛子さまが初等科に進学されてすぐの頃、お迎えの時などに雅子さまに積極的に話しかけている父兄がいた。ほかの方はあまりそういうことはしないのですが…。結局、いまも雅子さまと親しくしているのは、そういう積極的な方達ですね。愛子さまも、比較的よく話しかけてくるお友達と仲良くされているそうです。3年生のご父兄に聞くと、多くの同級生の方が一度は御所に招かれて御所内で遊んだりしているそうですが、なかにはまだ一度も招かれていないという子もいるようです
・旧華族などの出身者は、愛子さまや雅子さまに積極的に近づくのをむしろ抑制する傾向にあるという。
・また、自らも学習院を卒業したという父兄は、学習院が変質した、と嘆く。「最近は生活費を切り詰めても子どもをお受験塾にやり、名門小で学ばせたいという親御さんもおり、そういう方にとって、学習院の教育が物足りない思うことがあるようなんです。『もっと丁寧に勉強を教えて欲しい』と要望する親が増えていると聞きます。私は、小学校なんだからそれほどガツガツ詰め込み型の勉強をする必要はないのではないか、と思っているんですけど」
・「愛子さまと同じ学年ではないが、何人か初等科在学途中で公立や別の私立小に転校された例も耳にしている。学習院に通う子どもたちの父兄も、時代と共にかなり変わってきているのではないだろうか」(ジャーナリスト・渡辺みどり氏)
・「学習院から転校する子がいるのは、なにも愛子さまのこととは関係なしに、たまに公立に移る子はいますよ。初等科の雰囲気が進学校のようになっているかどうかは分からないが、私自身は一貫校の学習院らしさを持った学生が好きなんですよ。学習院らしさというのは、品がいいとか、人間関係がいいとか、そういうことです。小学校お受験から開放されて、初等科に入ってから児童が乱暴になるということはないと思う。私にとってもそれは最も望ましくない話ですし、一貫校だからといって勉強はラクではないですよ。(中略)一部で報じられているように、愛子さまが課外授業で管弦楽を希望されているかどうかは知りませんが、音楽はお好きですね。それから、抜群の運動神経ですから、スポーツはとてもお好きなんですよ。これまでの伝統に基づいた学習院らしさというものを、なんとか維持していきたいと思っています」(学習院・波多野院長)

〆は、かつて院長を務めた乃木希典が「質実剛健」を唱えた学習院がいま、大きな岐路に立たされていることは間違いないようだ。

以上です。
216名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/28(月)12:03:32.98ID:IOacusbj0
月刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
THEMIS 3月号
英王室結婚式ご出席へ
皇太子ご夫妻「皇室外交」重視への批判
天皇陛下のご病状が勝れない中プライベートの延長での“公務復帰”に疑問の声

■“両陛下に代わって”のご出席
・4月29日、英国ロンドンで行われるウィリアム王子とケイトさんの結婚式に皇太子夫妻の出席が検討されている。実現すればなかなか海外訪問が出来ずに苦悩を深めていた雅子さまにとって、’04年のオランダ静養以来の海外訪問となる。1月27日、英王室は宮内庁に両陛下の招待を打診。31日、風岡次長が皇太子ご夫妻の出席を検討すると公表。
・宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下氏はこう指摘する。「宮内庁の対応の早さに驚いている。私は秋篠宮同妃両殿下が出席されると思っていた。しかし、英国が両陛下を招待したいと打診してきたために、“両陛下に代わって”ということで、皇太子同妃両殿下の出席が検討されたようだ。おそらく、ファックスが届く前から英国側と宮内庁の間で事前折衝があり、皇太子同妃両殿下の訪英“シナリオ”がすでにできていたのではないだろうか。両陛下、両殿下、宮内庁が一丸となって妃殿下の公務復帰の舞台づくりをしたのだと思っている」
・しかし、訪英の可能性が高まってきても、雅子さまが愛子さまにかかりきりの状態に変化はない。
・たとえば陛下が検査入院から退院された2月12日。雅子さまは月に一度の恒例となった愛子さまのアイススケートに付き添って、午前10時過ぎに東京、江戸川区にあるスポーツ施設を訪れた。皇太子さまと愛子さまの友達家族約10人も一緒だった。施設は午後1時まで全館貸し切り。事情を知らずに施設を訪れた一般人を、職員や警備に当たる警察官が追い返すのも見慣れた光景になった
・「皇太子一家は午後1時のタイムアップ直前に東宮御所に向けて出発されました。ご夫妻はニコニコと笑顔をお見せでしたが、愛子さまは不機嫌そうに車窓から外を見ていらした。お疲れなのか、座席に浅く腰かけ、無理な姿勢で背もたれによりかかっておられた」(皇室担当記者)

■「松屋」のデパ地下でお買い物
・2月5日、皇太子一家は銀座にあるデパート、「松屋」を早朝9時過ぎに訪れた。8階大催場で開催していた「第26回東京私立小学校児童作品展」を鑑賞するのが目的。一家は10時の開店前に帰路につく予定だったが、開店後もしばらく会場に留まっていた。
・実は、一家は会場に到着する前、買い物を楽しまれていた。最初に向かったのは地下1階の食品フロア。皇太子さまが店員に「チーズは何種類ありますか」と声をかけたり、雅子さまが「(売り場のチーズは)フランス産ですか」と気さくに声をかけるなどして、チーズフォンデュピアーノを購入。続いてはちみつ売り場で「銀座はちみつ」と「ブルターニュ」を購入。雅子さまは、「いまチーズを買ったから、それに合うものが欲しいわ」「銀座で採れるはちみつなんて珍しいわね」と声をかけられていたという。
・一家はその後、お菓子売り場を一回り。「愛子さまはお菓子売り場を歩くときはさすがに嬉しそうでしたが、全体的にとても落ち着いたお嬢様という印象を持ちました。ご一家は約20分程地下1階にいらっしゃいました」(同デパート関係者)その後、6階のおもちゃ売り場で愛子さまが“アクアビーズ”を計5点、迷わず選ばれた。「昨年もご一家は同じ作品展にお出かけになり、アクアビーズを購入された。しかし、デパ地下に足を運ばれたのはおそらく今年が初めて。皇族方が、ご自分で食べるための食料品をデパ地下でお求めになるのは極めて異例だと思う」(皇室担当記者)
・いくら皇太子一家が「普通の生活を楽しみたい」と思っても、周囲はただ黙って見ているわけにはいかない。お付きの人達や警備の陣容など、万全の体制を敷かなければならないのは当然のことである。
・皇室担当記者たちは決して紙面では書かないが、スケートといい、デパ地下の“お買い物”といい、皇宮警察や私服警官が大勢動員されていることを指摘しているのだ。

■愛子さまが訪英する可能性も
・学習院初等科は例年、4月29日からゴールデンウィークで学校は休みになる。だが、皇太子夫妻が訪英されるならば、少なくとも4月27日には出国するだろう。この場合、愛子さまは一人で登校するのか。それとも、学校を欠席し、皇太子夫妻に同行するのかがここへ来て注目されてきた。
・「結婚式とはいえ、公式訪問になるので、普通に考えれば愛子さまはお留守番。お世話をするひとは多くいますしね。でも、英王室が愛子さまに結婚式での何らかの役割をお願いした場合、受ける可能性はあるだろう。その場合は愛子さまも正式な招待客となるので、当然同行することになる。ただ、もしそうなれば、それも“シナリオ”に織り込み済みだったのかと思ってしまうが…」(前出・山下氏)
・重要なのは、3月の春季皇霊祭や4月の神武天皇のお祭りを始めとした宮中祭祀だ。宮中祭祀に目を向ける前に雅子さまの訪英が実現したら、“皇室外交”も“治療の一環”となっていく可能性もある。

〆は、今回の訪英は伝統を重んじてきた“皇室のあり方”を根本から変える危険も孕む。

THEMIS3月号レポ、以上です。
606名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/28(月)16:57:12.32ID:Uy0DE6Xz0
週刊朝日2011年3月11日号
ワイド塞翁が馬
お誕生日会見は答弁漏ればかり
51歳孤独を深める皇太子さま

・2月23日の51歳誕生日会見は、記者団からの事前の質問に正面から答えず、“答弁漏れ”が目だった
 ・その1: 愛子様の登校状況について、「乱暴な男児のために怖い思い」と主張する東宮側と、それを否定した学習院側の説明が食い違ったまま
 ・その2: 雅子さま妃の、この1年も公務に出席できない状況が続いていること皇太子は「できないことではなくできたことを」などと述べたが、国民の期待に答えられず「心苦しい」などの言葉はなし
 ・その3: ウィリアム皇子の結婚式出席について、皇太子は「招待状が届いていないからお話は控える」雅子さま妃が出席・欠席のどちらでも重い課題が突き付けられることに「勤労奉仕団へのあいさつも難しい状況での出席は、国民の反発必至。欠席でも皇太子妃としての立場や義務を問われる」宮内庁関係者
・最近では愛子様の学校での様子も少し落ち着いてきている
・騒動の直後、小山女官が大変な剣幕で「愛子様が怖がった理由」を学校側に並べ立てた
・「夏以降は野本侍従が窓口に。東宮側から具体的な発信はない。愛子様は食堂で給食を食べられず、特別室で雅子さま妃と食べている。食堂でなにかトラウマが?と考えればつじつまが合うが」学習院関係者
・「取り巻きの友達はいるが、このままでは本当の友達も離れる。以前の愛子様は朝7時半には来ていた。雅子さま妃が結婚式に出席なら、愛子様一人で登校か休みか、分岐点に」同関係者
・皇太子ご一家は毎年春スキーを恒例に。今年も常宿が予約で埋まり、出掛ける可能性大。これも訪英を国民が納得できるかの判断材料になる
・国民の苛立ちも高まっている。訪英を非難するビラが何種類も作成され、ネットで拡散。さらに印刷され、各地でゲリラ的にばらまかれている
・「2月上旬、銀座の交差点で50代の女性がビラを大量にカバンにつめて配っていた」ビラを受け取った男性
・皇太子夫妻が次代の天皇皇后にふさわしいと、国民が思える日が来てほしい。
884名前:GLOWレポ1[sage]投稿日:2011/02/28(月)19:07:33.71ID:UdmjTaKF0
GLOWwithPeople話題のあの人をスタイリング!
第五回 皇太子 皇太子親王妃 雅子さま
コラム 辛酸なめ子  スタイリング 青木千加子

 雅子さまのコーデを考えてみました!
 御成婚前、20代の雅子さまのファッションは、近寄り難いコンサバ・キャリア系。仕事に行く時はネイビーのスーツで颯爽と歩き、ふだんのお出かけも毛皮やウールなど見るからに高そうな重厚感あふれるコートを着こなし、中には゛君島”的なスーツを着用、どこに出てもナメられない威圧感が漂っていました。
 当時、自分も30歳前後になったら大人の女としてああいう格好をしなければならないと、焦燥と羨望の入り交じった眼差しで見ていた覚えがあります。20代で若いはずの当時の雅子さまの写真は、なぜか今も年上に見えて、永遠のお姉様のようです。
 今「40代女子」とか「大人可愛い」といったアンチエイジングスタイルが定着していますが、コンサバ死守の雅子さまは絶対にそっちに行かなそうな、かたくなさがあります。「私はハーバード大&東大&オックスフォード大で学んで、元外務省のキャリアウーマンなのよ」という揺るぎない自尊心を、今もお持ちでいらっしゃると推察します。
 常に肩パッドが手放せないのも、そんな女のプライドからかもしれません。御成婚前からこれまでの写真を見ると、たいていジャケットなどをお召しになってやたらカッチリされています。
 美智子皇后陛下がおしゃれなワンピースを着こなされていたのと比べると、オーソドックスで型にはまった印象が。真面目すぎて不器用な生き方がファッションに表れているようです。美智子様は、皇室という閉じられた世界に入りながらも、絵本の翻訳をされたり、読書について英語で講演をされたり、ご自分の才能を生かせる方向を見いだされていたのに、雅子さまは「外国に行けないのが苦痛」と自分の殻に閉じこもってしまい、もったいないです
 しかし最近は徐々に公務の回数も増やされて、今年の1月2日は新年の一般参賀全5回に御出席。薄いブルーのスーツが鮮やかでした。雅子さまは不思議とセレモニーなどで他の妃殿下と衣装の色やデザインがバッティングすることが多かったのですが、今回の一般参賀は誰ともかぶらず、ご自身のスタイルを取り戻しつつあるようです。
 ただ、ふだんはベージュやグレーなど地味な色合いのジャケットをお召しになることが多く、超ロングヘアなので重い印象になっていました。気分をポジティブにするには、服だけでも明るい色にされるのがよいと、一般庶民として甚だ僭越ながら思う次第です。
 知的な雅子さまはブルー系がよくお似合いになられますが、これまで愛子様のご披露など慶祝の席ではよく白をお召しになっていて、実は白が勝負カラーなのかもしれません。キャリアウーマンという言葉の呪縛に縛られながらも、本質はピュアなお嬢様であらせられる雅子さまに白はぴったりです。「徳においては純真に、義務においては堅実に」という母校雙葉学園の校訓を象徴するような無垢なカラー、白。たまには肩パッドなしの薄手のワンピースなどいかがでしょう。肩の力が抜けてユルく生きられそうです。
 白いひらひらしたワンピ効果で、超ロングヘアも妖精っぽく見えてきます

 _____こんな感じでした。
214名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/02/28(月)21:56:50.37ID:7QyTj/870
避難所より転載

THEMIS3月号/THEMIS LOBBY
愛子さま“通学問題”
百貨店は早く登校は遅く

・「愛子さまの通学問題が始まってから約1年ですが、いまだに1限から登校されたことはありません。不文律のようです」(学習院初等科関係者)
・ここ数ヶ月で一番早い登校は2月4日。10時に来て2限から出席。翌5日の土曜日、愛子さまは皇太子夫妻と午前9時過ぎに開店前のデパートに到着。通学は遅刻が普通になっているが、この日は開店に間に合った。
・だが、週明けの7日と8日は“体調不良”で欠席。翌9日は雅子さまと一緒に登校。帰りは後ろ向きでグイグイ歩くなど、元気そうだった。
・学習院初等科関係者は戸惑ったように「なんで1から登校しなかったり、突然休むのかいまだに分かりません」
〆は、朝が弱い“大人の事情”に合わせていたりしたて!?
以上です。

レポありがとうございます。
2011年3月
459名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/01(火)07:57:11.53ID:MNdsznBx0

週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性自身2011.3.15号
雅子さま/美智子さまに誓った「皇太子妃“失格”」からの脱却!
2頁の記事

・「雅子さまの“ご体調不良”が明らかにされたのは、夕方のことでした」(宮内庁関係者)
・2月23日、皇太子の誕生日。「当日の夕方になって雅子さまが一連のお誕生日の関連行事にすべて欠席したことが発表され、とても驚きました」(前出・宮内庁関係者)
・雅子さまが公務を欠席するようになってからも、’06年以来ずっと、この皇太子の誕生日をお祝いする行事に出席されていた。
・「東宮御所で行われる行事なので、お出かけをする必要もありませんし、お祝いに参内するのは顔見知りの方が多く、それにテレビや新聞の取材もありません。雅子さまにとっても“ストレスの少ないお仕事”と目されているだけに、とても心配です」(元宮内庁職員・山下氏)
・「雅子さまは昨年までは5年連続で出席されていた。それに18日の午後から24日までは愛子さまのクラスがインフルエンザで学級閉鎖になっていました。登校の付き添いもなかったので、今回の欠席発表は意外だった。(以下太字)体調不良の詳細は一切発表されず、宮内庁内でも波紋を呼びました。職員の中には『4月の訪英がストレスになっているのではないか』という声も上がっています」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・「イギリス訪問による海外公務復帰が雅子さまの希望であっても、ストレスがないわけではない。『目標をうまく達成すれば回復に弾みがつく』と考える一方で、『失敗したら立ち直れないのではないか』という不安が大きくなっていく。特に雅子さまの訪英に関しては、『愛子さまの不登校問題が解決していないのに本当に可能なのか』などと、不安視する声も周囲から上がっており、プレッシャーになっていることだろう。それが体調不良の一因となった可能性はある」(精神科医・香山氏)宮内庁内に波紋を呼んだ雅子さまの皇太子さま誕生日行事欠席だが、異変はそれだけではなかった。「誕生日の夜には東宮御所で両陛下や秋篠宮ご夫妻をお招きしての夕食会が開催されます。私的な行事なので、どなたが出席されたのか、開催されたのかどうかも宮内庁から公式発表はありません。23日は職員の間で、『夕食会もキャンセルになるのでは』と言われていたのです」(前出・宮内庁関係者)
・しかしその日の夜7時前、天皇皇后両陛下や、池田礼子さん夫妻、渋谷節子さん夫妻らも東宮御所に集まった。「(以下太字)皇太子さまに愛子さま、そして雅子さまも体調不良をおして夕食会に出席された」(前出・宮内庁関係者)
・なぜ雅子さまは体に鞭打たれてまで夕食会に出席されたのだろうか。「2月23日の夕食会は、訪英が決まってから初めて、雅子さまが両陛下にお会いできる機会でした。雅子さまとしてはどうしても感謝の気持ちを両陛下にお伝えしたかったのではないでしょうか」(文化女子大客員教授・渡辺氏)
・「ご療養も8年目、特にこの1年は愛子さまの不登校問題のため、ほとんど公務をすることができず、“皇太子妃としては失格”という厳しい批判まで上がる事態になっています。雅子さま自身も忸怩たる思いがあるに違いありません。しかし夕食会では訪英への意欲を語られたことでしょう。(以下太字)愛子さまの不登校問題のめどをつけたうえで、両陛下から託された訪英を、しっかり果たし、9年ぶりに海外公務に復帰されることを話されたのだと思います」(松崎氏)

〆は、ウィリアム王子の結婚式まであと2ヵ月。
雅子さまは希望と不安の間で揺れ動く日々を過ごされている―
467名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/01(火)08:01:16.73ID:MNdsznBx0

週刊女性2011.3.15号
愛子さま不登校から1年!365日続いた「ご同伴」に―
「雅子さまは、もう学習院に来ないで!」
2頁の記事

・2月25日、学級閉鎖が終わった1週間ぶりの授業も、愛子さまは2時間目ギリギリの時間に車で登校。5時間目終了後、友達に笑顔でバイバイしながら徒歩で下校。傍らにはずっと雅子さま。
・「(以下太字)いまだ1時間目から授業を受ける日はなく、車でご登校。給食も食堂でほかの生徒たちと一緒ではなく、雅子さまと教室でお弁当などを召し上がることが多いようです」(宮内庁関係者)
・「妃殿下は貴賓室でお待ちのときもありますが、授業参観もよくされているようです。休み時間には、愛子さまが校庭で遊ばれているところも見学されているようです」(学習院関係者)
・この1年間、療養8年目の雅子さまにとって、校外学習にまで同伴された毎日の負担は想像に難くないが、その影響で公務まで手が回らなくなっているのは確か。
・東宮関係者が懸念を表明する。「(以下太字)実は23日の殿下のお誕生日の行事を、妃殿下は体調を理由にキャンセルされた。その後、天皇皇后両陛下をお招きした夕食会には出席されたようです。この日、愛子さまは学級閉鎖でしたから登下校の同伴もなく負担も少ないので余裕はあったと思うのだが…。これでは、英国訪問のこともまだ何ともいえません」
・「皇室が特殊な環境であることを考えれば、愛子さまは順調にお元気になっているといえると思います。授業を1時間分早く出られるようになったら、そのいい成果を学校や家庭で振り返りながら自信を深め、4年生へのいいイメージ作りをされていけばいいと思います」(教育評論家・尾木氏)
・昨年4月と6月に、本誌から学習院に、「1愛子さまの不登校に伴なう改善点について」「2愛子さまが怖がったという生徒の状況について」「3宮内庁との連携不足の対応について」質問しており、それぞれ、「1、6名の教員による休み時間の看護を徹底する」「2特に変わった点なし」「3教員や主管が女官と日常的にやり取りをしている」という回答で、6月もほぼ同じ回答だった。今回も同じ内容の質問状を出すと、「新学期に向けた新たな取り組みは特に予定しておりません。なお、『1』の6名による看護体制は特定の児童のためではなく、全児童の安心・安全な学校生活のための措置です」との答え。
・愛子さまが通常登校に戻っていないことに対しては、「(以下太字)すべての児童に安心して学校生活を楽しんで貰えるよう、ご家庭と緊密に連絡を取り合いながら学校としてできるだけのことをしてまいります」という回答だった。
・つまり、「愛子さまだけを特別扱いしない」という意味で差し支えないだろう。
・「愛子さまの不登校に対してこの1年、十分な対策をしてきたという自信があるなら、学習院は、これ以上ひとりの児童のために特別な配慮はとれないという態度をとってもいい時期だと思う」(教育コンサルタント・山本氏)
・「(以下太字)もし雅子さまの授業参観が続いているなら、畏れ多いことかもしれないが、そろそろおやめくださいと学校は申し上げてもいいと思う。(その理由として)雅子さまが教室や校内にいらっしゃることにより、児童が緊張を強いられ、休み時間のときにも楽しみきれていないのではないかという心配を親としては抱いてしまうから。先生も非常にやりにくい状況にあると思う」(前出・山本氏)

〆は、25日。学習院校門前。愛子さまは友達が出てくるのをお待ちになったり、お帰りになろうとするとUターンされたりと非常にご活発。もう、お元気をほとんど取り戻されているようだ。後は雅子さまがどうご判断されるか―

週刊女性、同頁内
渡辺みどりさんが提言!
「雅子さまには子離れ、愛子さまには留学されることをご提案します!」

・そろそろ雅子さまは愛子さまから“子離れ”する時期にきていると思う。
・愛子さま学校からお帰りの時は、校門前で先生やお友達と仲良く手を振られるなどしていると聞いているので、学校生活にもう問題はないのではないだろうか。
・雅子さまは適応障害の療養をされていることもあり、なかな通常通りにいかないことは承知しているが、むしろ雅子さまの方が過度に愛子さまに密着されているのではないかと思う。
・かねてから私はウィリアム王子の結婚式には愛子さまも一緒に行かれる方がいいと主張してきたが、愛子さまはそのまま英国に留学されるのもいいのではないかと思う。
・英国から遠くないオランダには雅子さまのご両親もいらっしゃって、愛子さまも寂しい思いはされないと思う。そうなれば、いい意味での親離れ子離れのきっかけになるし、雅子さまは皇太子さまとおそろいで公務される余裕も出来ると思う。
・今回の皇太子さまのお誕生日会見でも触れられていたが、皇太子夫妻の今後の公務のあり方についてはまだ必ずしも明確になっていないようだ。そろそろ雅子さまも一緒にそのことを考えなくてはならない。
・雅子さまの決断次第で、皇太子妃としての公務を優先していただきたいと思う。
・そうされることによって、国民の手本になるような明るい家庭を築いていただければと思う。

同じく週刊女性同頁内に、愛子さま「不登校」から1年の主な経過という年表の記載があります。
レポ、以上です。
441名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/01(火)08:05:17.57ID:BNK2sNe2
週刊誌レポ。至極簡単で済みません。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性 (2011,03,15)愛子様不登校から1年「雅子さま、もう学習院に来ないで!」

・学級閉鎖開けの25日、10時に登校ぎりぎり2時間目に間に合う。
・愛子さまは1時間目からの登校が未だに無く、給食も級友と一緒ではなく貴賓室などで雅子さまとともにお弁当を食べているらしい。
・皇太子の誕生日会見で雅子さまの公務について1年以上前のことにも言及せざるを得ないほどなのは事実。
・23日の皇太子の誕生日、皇族方や職員からの祝辞を受けることができず。
・これでは訪英も未定なのでは。(東宮職関係者)
・院は「すべての子供たちを等しく扱う」というスタンス。これには皇族も含まれるのだろう。
・院はこの一年で愛子さまへの対応に自信があるならそろそろ「雅子さまは院への付き添いをおやめください」と言ってもよいのではないか。(山本紫苑氏)
・(貴賓室にもいるがしばしば授業参観もしている)雅子さまが教室内にいることで
子供たちが学校生活を楽しめていないのではないかと、親として気にかかるので(大意・山本氏)
・記事右下1/4ほどに渡辺みどり氏の囲み記事。愛子さまは皇太子夫妻とともに訪英し、そのまま英国留学すればよいのではないか。
全寮制の学校もあるし、それほど遠くないオランダに小和田夫妻がいるので寂しくないだろう。
雅子さまは皇太子とともに「新しい公務の形」も含めたこれからについて考え、親離れ子離れした方がよいのでは。
〆は忘れました、済みません。

女性自身(2011/03/15)雅子さま、美智子さまに誓った「皇太子妃<失格>」からの脱却!
・雅子さまは23日の皇太子の誕生日、皇族方や職員からの祝辞を受けることができなかった。5年間、この行事には出席できていたのだが。挨拶の間立っていることが疲れるのだろうか。
・完璧を求める雅子さまは「失敗したらどうしよう」と考えてしまったのではないか。
・23日の職員の間では「食事会は中止だろう」
・しかし7時過ぎには両陛下・秋篠宮両殿下をはじめ、池田礼子・渋谷節子両姉妹の夫妻が東宮御所に。
・不調を押して雅子さまが出席したのは、(皇太子夫妻)訪英の意向を示した両陛下(美智子様だったかも)に謝意を伝えたかったからではないか。
〆は忘れました、済みません。
674名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/03(木)08:18:03.98ID:IMDl2ynw0
レポ輸入。500名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/03(木)08:11:20.87ID:ecVlLNiu

女性セブン(2011/03/17)雅子さま、悩まれる英国訪問と愛子さまの約束
・愛子さまは2時間目に登校する日も増え、(2/25も)帰りも6時間目が終わった3時20分過ぎ。雅子さまが校門前で立っているのに名残惜しそうに何度もバイバイ。(写真あり)
・英国王室からは両陛下が出席できない場合、他の皇族でもかまわないとの返事。皇太子夫妻の出席になるのでは。
・しかし愛子さまが雅子さまを頼っている。付き添いも愛子さまの希望で、「いつもいますよ」と約束している。
・両陛下のご名代として努めたい気持ちはあるだろう。〆は近づきつつある春のなか、公務と母親としての選択を迫られているだったような。
674名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/03(木)08:18:03.98ID:IMDl2ynw0
レポ輸入。500名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/03(木)08:11:20.87ID:ecVlLNiu
週刊誌レポ。至極簡単で済みません。詳細は各自ご確認ください。
週刊文春(2011/03/10),愛子さまが可愛がる由莉と猫−皇太子51回目の誕生日、撮影に同席した家族

・巻頭モノクログラビア1頁。皇太子の誕生日に公開された写真に写っていた犬の由莉と名前が未公開の猫について、それぞれが東宮御所で飼われるようになった経緯。週刊新潮(2011/03/10)ご家庭だけに目を向けられる「皇太子殿下」へのご諫言
・皇太子は会見で記者の質問に声のトーンがやや強めるなど、怒っていたのかなという印象。
・「いつの時点で愛子さまが怖い思いをしたということなのか」会見内容に困惑する東園理事。「皇太子様が言っているのは自分のことではないか、と気にする子もいるのでは」
・秋篠宮家と両陛下との交流について。交流がない東宮家。
・一人の天皇を22人の皇族が支える。しかし皇太子は「新しい形の公務」について打ち出さず、精密検査を受けるなど体調に不安を抱える陛下を支えているようではなく、国民の間には皇太子への不安が。
・皇太子夫妻の訪英は追い込まれた環境を変えるきっかけになるのでは。
・爽やかで快活な皇太子を知っている身としては今の彼がお労しい(松崎敏哉氏)
・皇族は他人をまず考え自己を犠牲にしてきた。過去を向いていても変わらないのでは。(大意・東園理事)
〆はこの"諫言"が届くだろうか、とかなんとか。
690名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/03(木)08:42:57.71ID:IMDl2ynw0
すでに週刊誌レポが上がっておりますので、補足・ご参考までに…レポ主さん、大変乙でした。
週刊新潮2011.3.10号
特集/ご家庭だけに目を向けられる「皇太子殿下」へのご諫言
4頁の記事

・皇太子の誕生日は2月23日。東宮御所で記者会見が行われたのは、それに先立つ21日。
・「会見での皇太子さまの発言で“おっ”と驚くものが2つありました」そう話すのは宮内庁担当記者。「まず、雅子さまのご病気や公務について聞かれ、“より一層のご理解とご配慮を頂けますよう、改めてお願いしたい”と言われたこと。記者の質問が“(雅子さまは)公務にはほとんど出席できない状態が続いています”と厳しい内容だったことに怒っていらっしゃるのかな、と思いました。実際、皇太子さまは幾分か声を大きくされ、怒りを滲ませているようでした」もう1点は、「愛子さまに関して、“怖い”“辛い”と言葉を重ねて強調されたことです。乱暴な子どもと接して“怖い”というのは分かりますが、“辛い”とまで言われるのは、学習院側の“イジメはない”との主張を踏まえると少々おかしい。これだけ強調されると、やっぱりイジメはあったのか、と思えてしまいます」

■学習院側の困惑それでは、学習院は会見での殿下のご発言をどう捉えたのか。
・「ご発言を、いつの時点のこととして捉えるかによって全然違ってくると思います。これは当然、1年前の話であって、現在も尚同じ状態であるとは我々は思っていません。1年経っても尚、そういう(怖い、辛い)お言葉を使われるということは、皇太子さまがどう思っていらっしゃるのか気になります」困惑した様子で語るのは学習院の東園常務理事。「自分が“乱暴児童”ではないか、と気にしている当人やその親、また学校の先生方は、この会見を聞いたら“皇太子さまはまだそう思っているんだ”と気に病むことでしょう。少なくとも今、学校で乱暴行為が行われていたり、誰かが怖い思いをするような環境には絶対に無いのですが…」(東園常務理事)
・雅子さまの“付き添い登校”については、「愛子さまは、最近は長い時間学校におられることも増え、友達とも仲良くお話されています。お付き添いは、愛子さまが望まれているのか雅子さまが望まれているのか。それは私にはわかりませんが、親子の麗しい関係と捉えるのか、トゥーマッチだと捉えるのかという点は、意見が分かれるところではないでしょうか」(前出・東園常務理事)
・「愛子さまは、給食に向かう他の組の児童とすれ違い、怖い思いをした。過去に児童が少し荒れていた様子を思い出され、学校が怖いと感じた。東宮の話と我々の調査でそういう判断になったのですが、何しろ愛子さまから直接お話を伺えていないので、正しいのかどうかよく分からない。今もって、愛子さまが何に対して怖い思いをされたのか、現在、何がご不安なのか、ハッキリとは分からないのです」(前出・東園常務理事)
・皇太子一家と学習院の間に走る溝は今尚埋まっていないようだ。それはまた、皇太子一家と天皇皇后両陛下との関係にも暗い影を落としている。
・不登校問題が発覚する直前に行われた昨年の誕生日会見で、殿下は愛子さまと天皇皇后両陛下とのご交流についての微笑ましいエピソードを披露された。が、今回の会見では、両陛下と愛子さまのご交流にまつわるお話はなし。ちなみに、秋篠宮殿下は昨年11月の誕生日に際した会見で、両陛下とのご交流について述べられている。それに比してもやはり、皇太子一家と天皇皇后両陛下とのご交流について今回、新たなエピソードがなかったことは国民の心配が募るところである。

■天皇家とのご交流は皆無
・宮内庁元職員の山下氏は、皇太子一家と秋篠宮ご一家との対比について、「お二人はご性格が違うので、誕生日会見で何を話されるかも必然的に異なってくる。また、東宮家と一宮家では、お立場そのものが違う」としながらも、こう語る。「それにしても今回の会見では、愛子内親王殿下に関する具体的なエピソードが少なかったですね。スケートや音楽会の話など、何か話されても良かった気がしますが…。今は何を話しても批判的な声が上がるので、“できるなら何も言いたくない”というお気持ちなのかもしれません」
・先の宮内庁担当記者の話。「東宮家と天皇家のご交流に関する話が昨年よりも少なくなった理由は明白。プライベートな交流がこの1年、皆無だからです。公式行事で一緒になることはあっても、プライベートで両家が思いのままに語り合うことがないといいます。そうして会わない期間が長くなる中で、親子の間でもスムーズな会話が出来なくなり、互いに気を遣われ、関係がギクシャクしてしまったのではないでしょうか」
・天皇陛下の動脈硬化が見つかったのは、殿下の会見の10日ほど前。これについて質問された殿下は、「心からご案じ申し上げております」と答えられたが、「ご病気が発見された後のタイミングでの会見となったわけですから、陛下の公務の多さというものを皇太子として、どのように重く受け止めておられるのか、また、今後の公務というものをどう考えていらっしゃるのかという部分をもう少し、ご自分の意見として出して欲しかったな、という気がしましたね」(皇室ジャーナリスト・久能氏)
・「天皇陛下お一人に対して、22人の皇族がいる。その22人が陛下を支え、バックアップしなければならない状況にもうすでになっているのです。中でも皇太子殿下は特に、国民との関係や今後の皇室について、真剣に考えなくてはならない。ご病気の陛下を支えるためには、東宮一家が3人揃って“お加減は如何ですか”とお訪ねするのが一番いい。そこから雅子さまと愛子さまの状況が変化することもあり得ます。それは皇太子殿下も嫌というほど分かっておられるのでしょうが、思うように行っていないのが現状です」(皇室ジャーナリスト・神田氏)

■親離れ子離れを…
・懸念ばかりが指摘される皇太子一家の現状。そんな中、皇室関係者が状況を変える良いキッカケになるかもしれないと期待を寄せるのが、ウィリアム王子の結婚式。
・両陛下に代わり、皇太子夫妻の出席で調整する方針であることが明らかにされたが、この点、殿下は会見で回答を避け、先の宮内庁関係者も、「実際に雅子さまが渡英できるかどうかは極めて不透明な情勢。今の雅子さまはいつ何時ご体調が悪くなるか全く分かりませんし、愛子さまの問題に全てのエネルギーを費やされている。その愛子さまを日本に置いて結婚式に出席できるかどうか…」
・しかし、皇室ジャーナリストの松崎氏は、「英国訪問は、“同伴通学”を続けられる愛子さまと雅子さまを引き離す良いチャンス。おそらく両陛下も、“愛子さまのためにもそのほうが良い”と思われているはずです」と、こう語る。「今回の殿下の会見については、“お労しや”という他ない。殿下の頭の中はご家庭の事情のことで一杯なのか、と思ってしまう。かつての爽やかで快活なお姿を知っている者としては、覇気も感じられず、とても信じられないような変わりようでした。これでは国民は不安を抱いてしまいます。ここは、何とか雅子さまの渡英を実現すべきだと思います。それは、雅子さまにとっても大きな自信回復につながるはずです」
・「愛子さまについて、両殿下のご心配は当然のことだとは思う。しかし、親離れ子離れをしていく必要もある。皇族の方々は、まず他人の幸せを願い、自分は犠牲になる。そうしたお立場でずっとこられました。過去に目を向けられても、良い方向にはいかないのではないでしょうか」(前出・東園常務理事)

〆は、果たしてこうした「ご諫言」は、東宮に届くのか。

同号に3頁のモノクログラビア記事。
不登校から1年「愛子さま」に〈ようやく吹いた〉「春一番」
・1枚目。下校時の愛子さまと雅子さまの写真。雅子さまはマスク姿。二人ともカメラの方を厳しい表情で。
・2枚目。6時間目終了後、学習院の門の前。雅子さまそっちのけで、友達に手を振る愛子さまと少し離れて見守るマスク姿の雅子さま。
・3枚目。SPや東宮職員と“大名行列”よろしく横断歩道を渡る愛子さまと雅子さま。
・学習院初等科の関係者に聞くと、最近の愛子さまは目に見えてお元気になられている、と口を揃える。「お友達との楽しげな姿を見ると、愛子さまはもう普通に学校に来られるんじゃないか、と思います。むしろ付き添いを必要としているのは雅子さまの方じゃないかって。最近は愛子さまがお母さんと離れて歩くことも多いですし」(学習院初等科関係者)

〆は、着実に立ち直りつつある愛子さまだが、完全に以前の学校生活に戻るには、周囲の“ご回復”も必須のようなのだ―
【皇室ウイークリー174】“英国ご指名”は雅子さまの健康問題と「関係なし」 異例…宮中行事に大臣が来られず2011.3.507:00

 宮内庁は2月28日、天皇、皇后両陛下が主催される春の園遊会を、今年は4月28日に東京・元赤坂の赤坂御苑で開催すると発表した。
 英王室は宮内庁に、4月29日に開かれるウィリアム王子の結婚式へ両陛下のご出席を打診したが、両陛下はご出席が難しいとして、皇太子ご夫妻の参列が検討されている。この園遊会の日程が、両陛下が英国を訪問されることが難しいとした最大の理由だったようだ。
 園遊会には毎回、皇族方も出席されているが、皇太子さまは今回はご欠席となりそうだ。
 ところで、週刊誌の報道では、結婚式に皇太子ご夫妻の出席が検討されていることについて、「雅子さまのご健康回復にプラスになる」ことを両陛下が考慮されて決まった−などと、雅子さまの健康問題と結びつけているものもある。
 ある側近は取材に対し、こうした報道について「正確ではない。両陛下がお忙しくて出席できないため、次の順番で皇太子ご夫妻に検討していただくことになった、という流れだ」とクギを刺した。
 宮内庁東宮職は2月27日、皇太子さまが季節性のインフルエンザに感染されたと発表した。せきなどの症状に加え、夕方には38度の熱があることが確認され、インフルエンザB型と判明。同28日に予定していた東京国立博物館での展覧会の視察は取りやめられた
 同日には熱が下がり、その次の予定行事(発表分)だった3日午前のご接見には予定通り臨まれた。
 宮内庁の野村一成東宮大夫の4日の定例会見によると、すでに「普通通り」に回復されている。同日午前には、都知事選をめぐって話題を集めている石原慎太郎東京都知事から、東宮御所で約1時間にわたって都政などについて進講を受けられた。
 皇太子妃雅子さま、敬宮愛子さまはインフルエンザに感染されなかったという。
 一方、2月28日午前にはエチオピア、ブラジルの新任駐日大使の信任状捧呈式が皇居・宮殿で行われる予定だったが、侍立(じりつ)大臣が確保できないため、日時が改めて設定されることになった。宮中行事が大臣側の都合で日程変更となるのは「非常に珍しいケース」(宮内庁幹部)という。
 侍立大臣は文字通り、式の最中に陛下の脇に立っている大臣のことで、通常は外務大臣が務める。外国から新しく来た駐日大使から、信任状を受け取った陛下は、一時的に信任状を侍立大臣に渡すことになっている。
 信任状は、その国の元首らが、新大使が正当な外交使節であることを証明することをしたためた書状で、大使が交代すると信任状捧呈式が行われることになる。
 宮内庁式部職などによると、式が行われるときにはまず陛下のご日程を確保し、その上で外務大臣が日程を合わせる。支障があればほかの大臣が臨んでもいいが、今回は予算審議などの国会の事情で「全閣僚が出席できない」ことになったため、当初検討した28日に式を行うことを断念した。「日程は正式決定しておらず、検討段階だったので、取りやめ、中止ではない」(式部職)という。

 ところで先月下旬、2頭のパンダの来日が話題となったが、パンダを受け入れた上野動物園は皇室と縁の深い場所でもある。上野動物園を含む上野公園は明治〜大正にかけて、帝室御料地として宮内省が管轄していた。それが大正13年、当時の東京市へ払い下げに。「東京都恩賜(おんし)上野動物園」という正式名称には、そんな歴史がある。
 古くは昭和38年、皇后さま(当時皇太子妃)に連れられて、当時3歳だった皇太子さま(当時の浩宮さま)が初めて上野動物園を訪問された記録があるように、近年も、未成年の皇族方がご両親とともに上野動物園を訪れている。
 上野動物園の“シンボル”であるパンダと対面して喜ばれたのは愛子さまだ。ほぼ5年前の平成18年3月6日、皇太子ご一家は愛子さまの友人家族と一緒に上野動物園をご訪問。ジャイアントパンダのほか、ゴリラやライオンなどを見て回られた。このとき愛子さまは、愛子さまのご誕生を記念してタイから贈られたゾウに、直接バナナを与えられたという。
 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは21年10月26日、上野動物園内の「子ども動物園」でウサギ、モルモット、ヒヨコなどの小動物と触れ合われた。
 悠仁さまがこれまで、「お忍び」でパンダをご覧になったことがあるかどうかは「分からない」(宮内庁)という。ただ、直前に飼育されていた「リンリン」が死んだのは20年4月で、このとき悠仁さまはまだ1歳7カ月でいらっしゃった。
 ある宮内庁幹部は「パンダを見ていたとしても、記憶に残っておられないはず。そう考えると、今後、悠仁さまが来日したパンダを見に行かれる機会があるかもしれない」と話していた。
660名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/06(日)18:53:51.50ID:sLfe3md40
週刊ポスト(2011/03/18)
・天皇、皇太子、秋篠宮が男だけで話し合われたこと:文芸評論家・富岡幸一郎/天皇、皇太子、秋篠宮、東大病院
・ワイド悪女伝説:女子アナ秋元姉妹の父は雅子さま妃ウィリアム王子結婚式出席のキーマン
819名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/07(月)06:25:29.23ID:ZW/+JJCfO
週刊ポスト、チラ見した。
タイトルは仰々しいけど、中身は曖昧な記事。
宮中祭祀が大切、皇太子は時代の変化に応える形で公務に積極的に取り組むことの大切さを先の会見で語っている、現代は家族やコミュニティの崩壊が進み、天皇家も例外ではなく、父と子で、どのような会話がされているのかを憶測するよりも、対話のなかで皇室という日本文化が保持されていくことを願っている。
そんな感じでした。
844名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/07(月)08:36:12.74ID:h7tR/tHwP
週刊ポスト3/18号
・秋元姉妹の父親は外務省勤務のキャリア官僚で現在は儀典長を務めている超エリート。
・儀典長とは、皇族や海外要人の往来に際し、公式行事の準備をする重要な役職。
・「特に秋元さんは、野村東宮大夫が駐ロシア大使だった頃、ロシア公使として働いていて、太いパイプがあり、雅子さま妃のウィリアム王子結婚式出席のキーマンとも言われている」(ある外務省関係者)
460名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/08(火)00:42:47.70ID:pQQTZsYt0
週刊ポスト「天皇、皇太子、秋篠宮が男だけで話し合われたこと」@富岡幸一郎
4ページの記事です。もうすっかり酔っているのでレポ無理ですが、文中、皇太子の誕生日会見での彼の発言を「皇位継承という大きな責務を意識してのことはあきらかだ。」とあることから皇太子擁護記事かよ・・・と思ってしまいましたが、美智子樣をage(俗な表現で申し訳ない。)ているし、女性誌の皇室記事とは全く違う趣ですので、これはレポに頼らずきちんと読んだ方が良いと思います。
肝心の「中身」に関しては語られていません。「会話の内容はもちろんわからない」て。
皇太子ご夫妻宛、ウィリアム王子結婚式招待状届く 駐英大使館に2011.3.714:58

 宮内庁は7日、来月29日にロンドンで行われる英王室のウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式について、皇太子ご夫妻宛ての招待状が5日(日本時間)、ロンドンの日本大使館に届けられたと発表した。
 宮内庁によると、招待状は週内にも宮内庁に送付される。今後、東宮職がご夫妻と相談の上、お二人でのご出席が可能かどうかを検討し、今月中の閣議了解で最終決定する予定。
560名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/08(火)07:44:43.17ID:8XiM+Niw0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

女性自身2011.3.22号
雅子さま深まる不信!「英国王室の招待状がいまだ来ない…」
2頁の記事

・3月4日の野村東宮大夫の定例会見でも、英王室からの招待状がいまだ届いていないとのことだった。“なぜこんなに時間がかかるのか?”と宮内庁内でも疑問の声が上がっていた。(宮内庁担当記者)
英王室が招待状を発送したのは2月16日〜17日ごろ。通常のエアメールでも、ロンドン〜東京ならば、一週間もかからない。
・「雅子さまが出席されるかどうかによって、英国滞在中のスケジュール、たとえば福祉施設ご訪問の可否なども決まってきます。雅子さまのご予定をはっきりしていただきたいのですが、宮内庁からの連絡を待つしかありませんからね…」(政府関係者)
・イギリスの新聞『サンデー・タイムズ』は、2月6日付で、『日本のダイアナがウィリアム王子の結婚式に出席へ』という記事を早々に報じている。記事には、雅子さまが体調を崩された経緯も書かれた。英王室内のプレッシャーに悩み続けた故ダイアナ元妃と、皇室で適応障害になられた雅子さまを重ね合わせてみているようだ。
・「宮内庁には、招待状の到着を発表できない事情があるのではないか。私は、雅子さまの体調が関係していると思う」(文化女子大客員教授・渡辺氏)
・「宮内庁が一番恐れているのは、雅子さまの結婚式直前のキャンセルなのです。雅子さまの体調を見極めるために、宮内庁は出来るだけ出欠の返事を先延ばしにしたいわけです。宮内庁にとっては、招待状の到着が遅ければ遅いほど都合が良いのは間違いありません(略)」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・2月25日の定例会見では、野村東宮大夫が記者たちに異例の要請をして話題になったばかり。野村東宮大夫の要請について、精神科医の香山氏は、「たとえ質問する側に非難している気持ちがなくても、雅子さまは自分に関する非難のように感じられ、傷つかれたのかもしれない。訪英の時期が近づき、雅子さまのプレッシャーが増大しているのは間違いないでしょう。世界中から報道陣も集まります。東宮御所と学習院初等科を往復する生活と、“世紀のウエディング”は、あまりにもかけ離れている。この不安感を乗り越えられれば、病状にも大きなプラスになるのだが…」

〆は、イギリスで、雅子さまの晴れやかな笑顔を見ることは、できるのだろうか―
25名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/09(水)19:42:54.95ID:pK+AWGcW0

発売中の「女性自身」3/22号の記事中に、3月4日歩いて下校する愛子さまとマスク姿の雅子さま、お付きの人々の写真があります。
写真の説明文「3月4日、愛子さまは初等科から歩いて帰宅された
562名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/08(火)07:46:51.36ID:8XiM+Niw0
週刊女性2011.3.22号
皇太子ご一家にも春が来た!愛子さまおひとりで学校!
春休みは「ウインタースポーツ」ざんまいでウキウキ&ワクワク
3頁の記事

3月2日、午後1時前。ワンボックスカーとシルバーの護衛車が、校門前に到着。1時20分ごろ、グレーのジャケット、黒のパンツスーツ姿の雅子さまが、お付きの人達と車に乗られた。ところが、いつも一緒にいるはずの愛子さまがいない。
・まだ学校にいるはずの愛子さまを残し、出かけた雅子さま。「実はこの日、愛子さまが在籍される3年南組ではママたちのランチ会があり、雅子さまはそれに出席されていたようです」(学習院関係者)
・「ランチ会は、幼稚園の時は頻繁に行われるんですが、初等科になると年に1回行われる程度で、クラス毎に幹事が主宰します。雅子さまはお昼過ぎに学校を出られたということで、食後のお茶会から参加されたのではないでしょうか」(同前)
・宮内庁関係者が驚いたように話す。「愛子さまが通常の授業の時に、おひとりで学校に滞在されたのはおそらくこの1年で初めてだったのではないでしょうか
その時間はわずかに70分ほどだったが、最近のお二人の状況を考えれば、かなり「前進」されたことになるのではないか。「大変いい兆候だと思います。これからもそういう機会を自然な形で増やしていくのがいいなと思います」(教育評論家・尾木氏)
・確かに最近、少しずつではあるが、元気を取り戻されつつあるように見える愛子さま。実は、お二人を勇気付けるきっかけが愛子さまの「春休み」にあった。「今月16日に初等科では修了式があり春休みに入りますが、その週の土曜(19日)にはスケート、下旬からは長野県奥志賀での1週間ほどのスキー旅行が計画されているようです」(東宮職関係者)
・最近はほぼ恒例行事になっている、皇太子一家の奥志賀での静養。「ご一家が宿泊されるホテルは、和室からロイヤルスイートまで全32部屋があるおしゃれなロッジ風です。3月下旬の8日間、全部屋がすでに予約済みになっていて、今年もいらっしゃるのではと地元では噂されています。去年は一般客を断って貸し切りにしていたので、今年もそうかもしれません」(地元の旅行業関係者)
・この時期は料金が2番目に高いシーズンで、ひと部屋2人で食事付きで宿泊したとして8日間、全部屋を貸し切ると、総額約1600万円!もちろん、貸し切りとはいってもご一家だけではなく、宮内庁の職員や警備関係者も宿泊する。
・「昨年、ご一家が宿泊されたホテルの前には、警備関係者が常時目を光らせている厳戒態勢でした。近くのホテルやペンションでも多くの関係者が宿泊して、ご一家の滞在中はものものしい雰囲気でしたね。一部には、ほかの一般客に迷惑がかかるので、警備関係者の宿泊を断っている宿泊所もあると聞きました」(前出・旅行業関係者)
・6年前にここで初スキーを経験された愛子さま。上級者並みという皇太子さまや雅子さまから手ほどきを受け、最近ではスキー講習にも参加し、メキメキと上達されているという。
・愛子さまといえば、昨年の秋ごろから都内のスケート場に月に1回のペースで通われているが、今回は、修了式とスキー旅行の間に行かれるようだが、こちらのリンクでもいつも貸し切り。ちなみに、このスケート場は公営ということもあり、午前中だけ楽しまれると費用は5万円前後。
・ウインタースポーツの利点を、前出の尾木さんが語る。「特にスキーをされるのはとても良いことだと思う。(略)自然の中で体を動かすということは、屋内より爽快感を感じることが出来、脳も活性化します。それらが心に元気をよみがえらせ、帰京されてからの生活に良い影響を与えると思います」
・そんな楽しい行事を控え、雅子さまも愛子さまも心をときめかせている。
・2日、食事会から戻った雅子さまは再び校内へ。それから約1時間後、6時間目を終えた児童たちが校門からワラワラ飛び出してくると、今度はマスク姿の雅子さまも校門前の車の横に。2分…3分…なかなか愛子さまが来ない。帰りも“別行動”かと思いきや、まだまださすがに―。4人の仲良しさんにバイバイすると、雅子さまと車に乗り込まれた。

〆は、しかしそんな場面からも、愛子さまから着実に「不安感」が無くなっている様子がうかがえる。愛子さまの「春」は目前だ。
以上です。
263名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/10(木)07:36:07.86ID:GcKxtDe40
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。

週刊文春2011.3.17号
がけっぷちワイド暴走人生「わが闘争!」全20本
雅子さまご出席「学習院父母会ランチ会」は4000円フカヒレ付き
特集記事の中の1頁強の記事

・(以下太字)「雅子さまは一時間ほど遅れてご参加になりましたが、フカヒレスープやあんずゼリーのせ杏仁豆腐など、お食事は大体残さず召し上がりになり、一時間ほどでお帰りになりました」(学習院関係者)
・3月2日。学習院初等科3年南組の父母ランチ会が午後12時から開かれた。場所は高級中華料理店『赤坂維新號』。
・「ランチ会は年に一度開かれる、いわばママたちの親睦会です。通常、予算は約五千円。ニューオータニや赤坂プリンスなど、初等科に近いホテルが選ばれることが多いようです」(前出・学習院関係者)
・「愛子さまのクラスは警備の問題も考慮しなければなりません。そのため、幹事は一年交代ですが大変なプレッシャーで、なかなか決まらなかったこともあるようです。今回この店を選んだのは、東宮関係者と話し合って決めたのだと思います」(皇室担当記者)
・当日は、25、6人の警察関係者が集まり、厳重な警備体制が敷かれた。事前の下見も2、3回行われたという。「一階が貸し切りとなっており、SPが店内に2、3人、入口の周囲に5、6人いて、ワンボックスカーにも乗っていた。これはすごい警備だと思って、どなたがいらっしゃっているのですかと聞くと、“エラいお方です”と煙に巻かれてしまいました」(居合わせた客)
・店で選べるランチコースは約二千円から五千円。「雅子さまが召し上がったのは、団体のお客さま用の予算に応じて作られた特別コース(この日は四千円)でした」(学習院関係者)内容は、前菜、フカヒレスープ、海老・魚・肉を使った料理三品と、主食、さらにデザートに胡麻団子と杏仁豆腐が付いたという。
・「妃殿下は、五つ並べられたテーブルの端、部屋の角にお座りになっていました。お飲み物はアルコールではなくお茶。ランチ会は約二時間半でした。ボリュームたっぷりです」(同前)
・不登校会見から一年が経過しているが、愛子さまは一時間目の国語や算数の授業を受けられず、食堂で皆と一緒に給食を食べることもまだ出来ていない状態だ。
・この一年を東園学習院常務理事が振り返る。「昨年は、初等科の科長、教頭、主管が野本東宮侍従と連絡を取り合い、時には両殿下もご参加になって、東宮御所で話し合いをする機会が何度かありました。最近では、愛子内親王が学校にいる時間も長くなり、お友達との関係は非常に良くなっていると聞いています。先日も内親王が『音楽の授業には絶対出たい』というご意思があって授業に出られ、音楽会が上手くいったことがありました。かなり良い方向に向かっていると思っています」「ご要望があれば、妃殿下でなくても付き添い登校をこちらから禁じることはできません。ですが、子どもたち同士は親がいると気になってしまうこともありますから、初等科の先生方は、四年生に進学されるのを節目に、お付き添いが不要になっていただければ、と思っています」

〆は、四年生になったら、お一人で通えるようになることを祈りたい。
265名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/10(木)07:37:49.45ID:GcKxtDe40

女性セブン2011.3.24号
愛子さま/給食時間、今日も別室で雅子さまとお弁当/もうひとつのいじめ事件
2頁の記事

・昨年4月の始業式欠席から始まった愛子さまの3年生は、3月16日の終了式をもって終を迎える。春休みには、毎年恒例となっている長野県へのスキー旅行へ一家で出かけられる予定。「昨年、愛子さまはパラレルに挑戦されました。傾斜のきつい斜面も滑れるようになって、スキーへの自信を深められました。そのため、スキー旅行がいまかいまかと待ち遠しい様子だそうです」(宮内庁関係者)
・3学期になると、これまでより1時間早い、2時間目から登校され、さらに6時間目の最後の授業まで学校にいられることが多くなられた。「3日に1日程度は徒歩で下校されていますし、1月に雅子さまが保護者会に出席されたときには愛子さま一人で歩いて帰られました。3月の音楽祭でも合唱を披露され、本当にお元気になられているように感じます」(学習院関係者)
・しかし、学習院関係者や宮内庁関係者によれば、まだ二つの懸念事項があるという。まず一つ目は、1時間目の授業に出席されていないこと。もう一つが児童全員が集まる食堂での給食にいまだに愛子さまが顔を出せずにいることだという。
・実はこの背景にはこれまで明かされなかったもうひとつのいじめ事件があるという。愛子さまへの“いじめ問題”が浮上する直前の昨年2月のこと。学習院初等科では、お腹にくる風邪が流行していたという。愛子さまも何度か体調を崩され、主管に「お腹が痛い」と訴えられたこともあったという。
・そんな中、愛子さまがお友達と食堂で給食を召し上がっているときだった。仲良しのお友達が風邪の影響で、愛子さまの目の前で給食を嘔吐。「すると一部の男子児童が“うわっ!きたない!”などと声を上げる騒ぎとなって、その女の子は顔面蒼白になって泣き出してしまったそうです。その事態をご覧になっていた愛子さまも、もう呆然とされて言葉も失われ、ショックをかくせないご様子だったといいます」(別の学習院関係者)
・更に前出の学習院関係者は、「このとき、愛子さまも同じような症状の風邪をひかれていましたから、“もしかしたら自分が同じようなことになっていたかも”と思われ、恐怖を感じ、トラウマとなってしまい、それが今も消えないのではないでしょうか(略)」
・本誌前号で伝えたとおり、雅子さまの同伴登校は愛子さまが強く望まれてのことだという。
・「愛子さまは、お昼の時間に一人になられるのが怖いのではないでしょうか。お昼だけでも雅子さまに一緒にいてほしいというお気持ちから雅子さまのご同伴を望まれているような気もします。しかし、いつかはこの状態を克服されなければ、これから先、前にはお進みになれません」(前出・学習院関係者)

〆は、4月から4年生に進級される愛子さま。
“お友達と給食”が大丈夫のサインを、いま雅子さまは待っておられるときなのか。

以上です。
http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/210311051.html

 地震の瞬間、天皇陛下は皇居の宮殿で、ご執務を行っていました。皇后さまは御所に戻ったところでした。お二人とも、ご無事だということです。東宮ご一家も赤坂の東宮御所にいましたがご無事です。雅子さまは愛子さまと一緒に学習院初等科からお戻りになったところでした
地震後の状況について学校法人学習院(抜粋)

 東北地方太平洋沖地震の影響による、学校法人学習院の各学校における負傷者等はおりません。また建物等に大きな損傷はありません。帰宅困難な学生・生徒・児童は安全確保のため、校舎内に宿泊予定です。なお詳細な状況は以下のとおりです。
学習院大学 帰宅が困難な学生約700名が学内に留まっています。学生は創立百周年記念会館及び西5号館1階学生ホールに避難しています。(3月11日21:20現在)
女子大学 帰宅が困難な学生約55名が学内に留まっています。学生は2号館1階に避難しています。(3月11日21:25現在)
高等科・
中等科
帰宅が困難な高等科生100名、中等科生6名が学内に留まっています。生徒は校舎内に避難しています。(3月11日21:00現在)
女子高等科・
中等科
帰宅が困難な生徒396名が学内に留まっています。生徒は校舎内に避難しています。(3月11日21:20現在)
(授業への影響:3月12日(土)の登校日を休校にし、3月14日(月)を登校日といたします。)
初等科 帰宅が困難な6年生・5年生31名、5年生の父母保証人19名が学内に留まっています。生徒は校舎内に避難しています。(3月11日21:10現在)
幼稚園 園児は幼稚園内におりません。
震災影響で春の園遊会が中止産経新聞3月14日(月)15時52分配信

 宮内庁は14日、4月28日に東京・元赤坂の赤坂御苑で開催予定だった春の園遊会を取りやめると発表した。東日本大震災を受け、園遊会を主催する両陛下が決定されたという。
 また、宮内庁は節電のために当分の間、信任状捧呈式と認証官任命式以外では原則として皇居・宮殿を使用しないことを決めた。両陛下のお気持ちに沿った措置という。
966名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/14(月)11:08:59.41ID:lX484l7a0
>>956
簡単レポならお察しスレにありました。
輸入します。

144:可愛い奥様:2011/03/13(日)20:58:12.69ID:7gn4ElzA0
サンデー毎日によれば愛子さまが朝一から授業に出られない4つの壁だかなんとか出てた。
簡単に言うと「乱暴男児の乱暴が収まらない。未だに大声を出したり走ったりする」「怖い思いのトラウマが消えていない。尾木氏によると数年、もしかしたら思春期が終わるころまで続くことも」
「学習院の対応が不味い。東宮が特別扱いするなと言ってるのに雅子さまの付添いや車通学と言った特別扱いをしている」
「皇太子夫妻の必死さが逆にプレッシャーに」
最後に春休みはスケートやスキー、さらには英国訪問と行事が目白押し。
春から良い再スタートが3人できれるのでは?
627名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/15(火)08:58:23.50ID:oSbtt4ww0
レポ輸入。レポ主さん、乙でした。

878名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/15(火)08:39:06.93ID:uhZ6VnXM[1/2]
週刊誌レポ。至極簡単で済みません。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/03/29)愛子様、地震で一転「春休みが…」

3/11の6年生を送る会は5,6年生のみで行った。3年生までは上級生の合奏などを見ているだけだが、最後に初等科の歌を歌うときは飛び入りで参加する子が多いので一体感が生まれる。(院関係者)
・前日3/10,この日で院の通常授業は修了1:40、女児3人が門前に。すぐに愛子さま(雅子さま)が出てきてそのまま約300メートル離れた東宮御所へ。「今日は敬(とし)ちゃんちで遊ぼー」となったのかも。
・院では下校途中に友達宅へ寄り道して遊ぶことは厳禁なのだが、と苦笑する前出・院関係者。お稽古事なども事前に場所や時間などお届けをしている。ただし、とフォローして「お友達は東宮御所で愛子さまと一緒に何か習い事をしているのかも。それなら院も許可するだろう」
・今回の震災で春休みに予定されていたスキースケートは中止だろう。06年に豪雪被害に配慮してスキーを取りやめたことがあるので。愛子さまは(もう4年生になるし)皇太子夫妻とともに慰問に向かってもよい(大意・渡辺みどり氏)
〆は愛子さまにとって祈りの春休みになるだろう、とか何とか。

女性自身(2011/03/29)雅子さま−皇太子さまと<最期の参観>決意伝えた「母娘密着」からの訣別!
・1頁の記事。3/10、通常授業最終日。愛子さま登校10:00。まもなく皇太子も南組へ突然の訪問だったので驚いた。
・9日に英国王室から結婚式の招待状が届いており、4月から雅子さまは公務へ愛子さまは通常登校へ復帰する、という決意のための授業参観だっのだではないか(大意・松崎敏哉氏)
〆は忘れました、済みません。

879名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/15(火)08:42:00.17ID:uhZ6VnXM[2/2]
>>878
自己レス。それぞれの日にちが1日ずつずれているかもしれません。送る会は12日など。
699名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/15(火)10:48:08.28ID:91oZa+xYO
週刊女性を立ち読みしての感想
・校門での愛子さま下校写真。一回り小さい女子の腕を引っ張って力比べ?
・渡辺みどりがスケートスキーは取り止めるだろうと勝手に予想。愛子さまは春休みに皇太子ご夫妻と被災地を訪問したらよいのではないか。

女性自身、皇太子が突然10日に参観したのは体育館で行われた体育の授業。
週刊女性に10日の下校時は三人の「お友達」が愛子雅子さまと一緒に赤坂御所に徒歩で、これは制服で立ち寄り禁止の校則違反では、と指摘。
平成23年東北地方太平洋沖地震に関する天皇皇后両陛下のお気持ちなど(平成23年3月14日)より抜粋

また,既に予定されているさまざまなご日程の内,先延ばしにしても支障がないものについては延期をすることとし,目下ご日程の見直しを進めている。両陛下の行幸啓については,現下の大災害に関連する諸々の対応に忙殺されている警備当局に更なる負担をかける結果にならないように配慮するという観点から考えて参りたい。この関連で,例年この時期には,両陛下は武蔵野陵,武蔵野東陵にご参拝されておられるが,計画停電に伴い,現地では信号機の滅灯などが予定されており,ご参拝された場合には,相当の交通渋滞を招く可能性があるので,これを取り止めることとした。また,今月末に御料牧場へ行幸啓なさることが検討されていたが,これについても取り止めということになった
更に,四月末に予定していた園遊会も取り止めることとした。
831名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/17(木)09:43:06.06ID:O8zrFxZt0
レポ輸入。レポ主さん、乙でした。

921名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/17(木)09:30:58.75ID:sqMXHXJD[1/4]
週刊誌レポ。8頁の特集のうちおよそ前半部を。後半は夕方にでも挙げられればと思います。
詳細は各自ご確認ください。1/3
女性セブン(2011/03/31・04/07合併号)皇太子妃雅子さまはなぜ同伴登校をお続けになるのか

・皇室ジャーナリスト山下晋司氏とセブン編集部による8頁の記事。
・持参した折りたたみ椅子に座る雅子さまはおもに国語の授業を参観し、他の時は入り口にSP2名が立つ別室で待機。
・「甘やかしすぎ」「他の児童にストレスが」と院関係者や保護者から批判的な声が上がりながらも、頑ななまでに付きそう姿勢を貫き通した。
・その強き思いの背景にあるのはいったい何なのか。

1.異例のコメントを発表した両陛下
・昨年3/5、東宮大夫が定例会見で愛子さま欠席理由について発表。
・院は乱暴児童が愛子さまに直接乱暴行為をふるっていない、と暴力によるいじめを否定。
・両陛下は長官を通じて異例のコメント。
・3/8物々しい雰囲気の中、11時半過ぎに愛子さま登校。傍らで心配そうに見つめる雅子さま。これが今なお続く同伴登校の始まり。
・同伴登校の謎を解く鍵はどこにあるのか、まず雅子さまの幼少期を振り返ってみる。

2.帰国子女として体験されたいじめ
・雅子さまは父・小和田恒氏が外交官である関係で生後まもなく海外生活を余儀なくされた。
・雅子さま1歳8ヶ月、当時のソ連モスクワへ移住。まもなく母・優美子さんは妊娠。優美子さんはモスクワでの出産に不安を感じ、恒氏が長期出張中のジュネーブへ行き双子の妹を出産。
・一足早くモスクワへ戻った雅子さまは恒氏・お手伝いさんとの3人生活。恒氏が「寂しいかい?」と聞いても「ううん」と答え「お母さんと一緒にいたい」などとぐずることはなかった。
・外交官と言うこともあって両親不在の夜も多かったが、雅子さまは寂しさを押し殺し強い責任感を育んでいく。
・雅子さま4歳半の'68年5月、一家はニューヨークへ。市立幼稚園に入園したものの英語がわからず誰とも会話しない日々。
・4ヶ月ほど続いたある日、先生に初めて「MayIgotothebathroom?」(お手洗いに行ってもよろしいですか?) この日を境にそれまでが嘘のように次々と英会話を。
・この沈黙の4ヶ月は雅子さまにとって頭の中のロシア語を追い出す期間で、英語で話せる自信がついてようやく言葉にしたのではないかと言われている。
・何事にも慎重で自分の力で忍耐強く物事に挑戦する雅子さまの原点が垣間見られる。
・'71年2月、7歳の雅子さま帰国。公立小に編入するが優美子さんのたっての希望で田園調布雙葉小の編入試験を受ける。
・試験後、優美子さんに「入学式って何?運動会はいつ?魚の背びれ・尾びれって何?」と質問した雅子さま。日米文化の差に苦しみこの年の受験は失敗。
・3年生の時、雙葉小へ編入したが当時まだ帰国子女という存在が珍しく雅子さまも少なからずいじめを体験。優美子さんは厳しく接する。

3.2時間に及んだ学習院との話し合い
・昨年の春休み、恒例のスキー旅行で塞ぎ込んだ気持ちを癒した愛子さま。3年生から通常登校するのではと期待されたが、4/9の始業式は式を欠席、HRのみを雅子さまの見守られて出席。
・その後、基本的に3時限目前に登校、給食を食べずに下校する日々。雅子さまは休み時間、鉄棒で遊ぶ愛子さまにぴったり付き添い。雅子さまのそんな姿に気づいた高学年児童は遠慮がちに遊ぶように。
・4月中旬、昼食を取る機会が増えるが3階の食堂に行かず、別室で雅子さまとお弁当。
・雅子さまがここまで徹底して同伴登校にこだわる理由の一つに院への不信感が挙げられる。
・始業式直前の4/7、皇太子夫妻は院と2時間話し合い。新学期から3年生の主管(担任)4人のうち2人をベテランの経験者へ、クラス替えでは愛子さまのクラスにおとなしい児童を集めることを院側は説明したが、夫妻は納得しない内容。
・しかも(以下太字)本来ならば責任者の科長(校長)が対応すべきところを教頭と女性教諭のみだったことに、雅子さまは"院はこの問題を軽視している"と不信感を強める
・4/16、3年生保護者を対象にした父母会。どの教諭からもいじめ問題について言及はなく唯一、三浦科長も「いろいろ言われているようだが今後も教育方針は変えるつもりはない」。"これまでの話し合いは何だったのか"と思うような"宣告"。
・院への不信感に加え雅子さまには、東宮職に対する疑念から晴れない思いが膨らむ。

4.個室の掃除や下着の洗濯も雑仕が
・当初、東宮大夫は「対応策について院と話し合いしている」と会見。しかしなんら伝わっていなかった。(以下太字)この件で東宮職への不信感は拭えないものになったと言っても過言ではない。
・東宮大夫を頂点に東宮職員の構成・東宮御所の大まかな間取りを説明後、(以下太字)24時間監視されているのと同じで完全なプライベートな時間は全く無いと言っていいほど。民間から嫁いだ雅子さまにはとてつもなくストレスだったことは想像に難くない。そのため結婚当初の雅子さまは体調を崩し、朝予定時間に起床できず、食堂で皇太子が雅子さまを待つことも。(ここまで)
・浜尾実氏や曽我剛氏といった名側近なら今回のいじめ問題にも全身全霊で解決に腐心しただろう。しかし今はサラリーマン化。両陛下は日頃から信頼関係を築かれていたが、(以下太字)今の職員達には「ちょっと用事があります」と私生活を優先する人も(ここまで)。雅子さまの失望はそんなところにも起因しているようだ。

ttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/news2/1297611125/921-924
941名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/17(木)12:06:14.29ID:O8zrFxZt0
女性セブン、後半部分をレポします。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン2011.3.31/4.7号
特別企画/皇太子妃雅子さまはなぜ同伴登校をお続けになるのか―

■“特別扱い”が呼んだ不協和音
・いじめ問題が発覚してから、雅子さまはご自分の体調よりも、まずは愛子さまのことを優先される日々を送ってきた。しかし、昨年4月の終わり近く、雅子さまの表情が日を追うごとにかげりを帯びるようになる。やはりご病気の体での同伴登校は肉体的にもきつく、負担が大きかったのだろう。
・4月末の会見で、「雅子さまが愛子さまの付き添いをされていることで、大変なお疲れがあると思う」と、野村東宮大夫は5月下旬開催の「みどりの愛護のつどい」への公務欠席を暗にほのめかした。
・5月7日に開かれた初等科の「父母総会」も雅子さまは欠席。これまで学校行事に熱心だった雅子さまの欠席に学習院関係者は驚いた。
・そんな雅子さまの体調と比例するかのように、愛子さまの登校状態は徐々に悪くなり、6月に入ると3時限目と4時限目の授業に出ると、再び昼食をとらずに下校する日が多くなる。
・水泳の授業も休み、写生大会や遠足も欠席。学校行事に参加できない状態で、お友達との距離ができてしまうことが懸念された。
・実際、愛子さまは2、3人の限られた友達とだけ遊ぶことが多かった。いじめ問題が公表されたことで、保護者の中には「なるべく愛子さまに近づかないように」と子どもに話している親もいたからかもしれない。
・加えて学習院側は、休み時間にも愛子さまの周りに5、6人の教師がついて護衛するという索をとった。
・このころから保護者から不満の声が噴出。学習院の愛子さまへの特別扱いがさまざまな不協和音を呼ぶこととなった。
・そんな状態の中で、現状打開のため、愛子さまの海外留学が水面下で検討されているとも伝えられてきた。だが、7月に入ると、少しずつ愛子さまに笑顔が戻り始める。休み時間にクラスメートとプロ野球ごっこ、ドッジボールなどを楽しむ姿が見かけられている。
・そして迎えた7月23日の1学期終業式。主管と話し合いをする雅子さまを学校に残し、愛子さまは一人で猛ダッシュで下校。

■その日、愛子さまは午後2時過ぎにご登校を
・愛子さまが学習院幼稚園年長組夏休みの、幼稚園内で1泊する恒例の「お泊まり保育」時のこと。お友達からこんな質問を受けた。「どうして愛子さまは、幼稚園に来るとき車で来るの?」「愛子さまは、テレビや本に出ているけど、どうして?」答えを見つけられない愛子さまは、困惑して立ちつくすしかなかったという
・愛子さまは雅子さまに「ママ、どうしてなの?」と尋ねられたという。民間から皇室に嫁いだ雅子さまは、その伝統や慣習に順応するために苦悩してきた。それゆえに、幼い愛子さまが疑問を持つことを理解しながらも、一方ではもどかしい思いを余儀なくされた。特別な立場を愛子さまが受け入れられるには、まだまだ時間がかかる。恐らく雅子さまは、胸を塞がれるような思いになったであろう。
・「その思いは、愛子さまが小学校3年生になった現在でも持ち続けられ、愛子さまがしっかりと皇室という立場を理解するまでは、自分がしっかりと傍らに付き添って守らなければ、という思いを募らせていらっしゃるのではないでしょうか」(皇室関係者)
・夏休み。雅子さまは愛子さまのために、初めてとなる海水浴の他、花火大会、美術館巡り、登山とさまざまなことにチャレンジする機会を設けられた。それが項を奏したのか、2学期が始まると、少しずつ変化が見られるようになる。
・これまで登下校時は必ず雅子さまと手を繋いでいたのだが、それをやめられたのだ。それどころか愛子さまは帽子を目深にかぶり、俯き加減で雅子さまに声を掛けることも少なくなった。
・また、いじめ問題以降、ほとんどコミュニケーションをとることがなかった男子児童とも楽しそうにおしゃべりする姿なども増え、学校行事への参加も増えていく。
・10月の運動会では3年連続のリレー選手に選ばれた。フォークダンスでは男子児童と手を繋いだり、応援の時はお友達と映画『E.T.』のように指先と指先を合わせ、笑顔を見せられた。
・「初等科祭」で3年生は合唱を披露したが、愛子さまはリーダーシップを見せ、本番前にはお友達を東宮御所に誘って練習をすることもあった。行き帰りは別だったが、12月には小田原のかまぼこ工場へ社会科見学に。確かな進歩を感じさせた。
・笑顔を取り戻す愛子さまだが、その一方で雅子さまの学習院への不信感は払拭されることはなかった。
・10月20日、皇后美智子さまのお誕生日。雅子さまは午前中、お祝いのために皇居に参内。この日、愛子さまが登校したのは最後の授業となる6時限目直前の午後2時過ぎのこと。雅子さまは自分が戻ってくるまで愛子さまを待たせていたという。
・(以下太字)結局、自分がいなければ愛子さまを学校へ行かせることは出来ないという雅子さまの気持ちを如実に表す結果となった。どんな批判を浴びても、愛子さまのことは他人任せにしたくない、雅子さまの誰をも寄せ付けぬほどの信念を示す結果となった。

■一に勉強、二に勉強、三に勉強
・昨年12月、’08年4月から愛子さまの養育専任の東宮女官として務めていた小山さんが退任。東宮女官への人事は、雅子さまのたっての希望で実現したといわれている。
・それがわずか3年足らずで退任となったわけだが、ある皇室関係者がその真相についてこう打ち明ける。「教育方針の違いから、雅子さまと小山さんの間がぎくしゃくするようになり、決定的となったのが愛子さまのいじめ問題を巡ってのこと。小山さんは状況を冷静に判断したうえで、“一学期をもって、付き添いをおやめになられては”と、雅子さまに進言したといいます」
・だが、雅子さまは小山さんの意見を受け入れることはなかった。そこで小山さんは、“自分がいる意味が無い、お役目が果たせない”という思いを強くして、その職を辞したといわれる。
・愛子さまの将来を思い、覚悟の進言をした側近を失ってまで、雅子さまがこだわった同伴登校。そのヒントは、小和田家のルーツにもあるようだ。
・雅子さまの祖父、毅夫氏は、新潟各地の旧制中学で教鞭をとり、市の教育委員長を務めるなど、一貫して教育者として活躍した人である。この毅夫氏がいつも子どもたちにいっていたのが、「一に勉強、二に勉強、三に勉強」であったという。
・恐らく雅子さまは、この祖父のことを、父、恒氏から聞き、人間として大切なことは、勤勉と努力であることを、幼少のころから座右の銘のようにされたのではないだろうか。
・その小和田家の教えこそが、雅子さまのなかにある“完璧主義”の精神を生み出しているのだ。
・小和田家で約25年間、家政婦として働いた女性はかつて本誌にこんなことを明かした。「雅子さまは、みなさんが想像するような決して強い性格のかたではなかった」
・「雅子さまはご性格として大変な完璧主義でいらして、とにかく何事も120パーセント頑張っていらっしゃるように見えました。例えば、皇太子妃に内定し、皇居に参内されて“お妃教育”を受けられるその2週間ほど前から、ご自分でも予備知識の勉強をなさっているのには、正直なところ驚きました。中途半端な気持ちでは不安だと思われたのでしょうが、いかにも雅子さまらしいと思いました」(元家政婦)
・「(小和田家は)家族揃って食事をされることはあまりなく、たまにあっても食事中は淡々とされていて、会話がほとんどなく、とても静かなんです。冗談を言い合うこともないから笑い声がないんです。そして食事が済むと、それぞれが食べたお皿を片付けて、ご自分たちの部屋に行ってしまわれるんです。(以下太字)いま振り返ると、お嬢さまがたが、あまりにしっかりされているのか、甘えたりなさることが少ない家庭でした。苦しいことがおありになったときに、人に頼ったりすることが苦手である気がしてならないんです」(元家政婦)
・3学期。愛子さまはこれまでより1時限早い2時限目から最後の6時限目まで在校する日も多くなり、3日に1日は徒歩で下校するようになった。同伴登校は愛子さまたっての希望であるともいわれる。だとすれば雅子さまがどこかでその思いを断ち切らない限り先には進めない。
〆は、しかし、これまで述べてきたように、雅子さまが同伴登校に固執されるのはそれだけではなく、さまざまな思いが複雑に絡まり合ってのことなのだ。3月16日、雅子さまと愛子さまは修了式を迎えた―

以上です。
<皇太子ご夫妻>英ウィリアム王子の結婚式欠席へ 震災で
毎日新聞3月18日(金)15時1分配信/最終更新:3月18日(金)15時1分

 宮内庁は、4月にある英国のウィリアム王子と婚約者のケイト・ミドルトンさんの結婚式に皇太子ご夫妻が欠席する方向で調整に入った。東日本大震災の被害を考慮した。欠席が正式に決まり次第、英皇室に連絡する。
皇太子ご夫妻 大震災で英王子結婚式の招待断る[2011年3月18日16:39]

 宮内庁は18日、東日本大震災を受け、皇太子ご夫妻が4月の英ウィリアム王子結婚式の招待を断ったことを明らかにした。英王室側に同日、伝えた。
 宮内庁東宮職によると、ご夫妻は大震災の発生以降、被災者の悲しみに心を寄せ、住まいの東宮御所で静かに過ごしているという。今月末に長野県で予定していた一家での静養は取りやめた
英王子結婚式ご出席見送りに3月18日17時16分

 来月行われるイギリスのウィリアム王子の結婚式について、皇太子ご夫妻は東北関東大震災の被害の大きさを考慮して、出席を見送られることになりました。
 来月29日にロンドンで行われるウィリアム王子と婚約者のケイト・ミドルトンさんの結婚式については、先月、イギリス王室から天皇皇后両陛下の招待が可能かどうか宮内庁に打診がありました。宮内庁は、両陛下と相談して検討を進めてきましたが、同じ時期の両陛下の日程なども考慮して、皇太子ご夫妻が出席される方向で調整を進めると返答し、今月9日にはイギリス王室から皇太子ご夫妻宛てに招待状が届きました。これを受けて、宮内庁は皇太子さまの出席に向けた準備を進めるとともに、療養中の皇太子妃の雅子さまの出席について検討してきましたが、2日後の11日に東北関東大震災が発生し、ご夫妻は被災地の被害の大きさなどを考慮して出席を見送られることになりました。宮内庁は、18日、イギリス王室に皇太子ご夫妻が出席を見送られることを伝えたということで、ウィリアム王子の結婚式への皇室からの出席者はなくなりました。宮内庁によりますと、皇太子ご夫妻は被災地の悲惨な状況に深く心を痛め、外出を控えて静かに過ごされているということです。そのうえで、ご夫妻は、広範な地域に甚大な被害が発生した未曽有の状況や被害に遭った国民の深い悲しみに思いを寄せるとせっかくの招待だが、断らざるをえないと考えられたということです。
皇太子ご夫妻、ウィリアム王子結婚式出席見送り(2011年3月18日19時10分読売新聞)

 宮内庁の野村一成・東宮大夫は18日、皇太子ご夫妻が、4月29日に行われる英国・ウィリアム王子の結婚式への出席を見送られたと発表した。
 英国王室から招待を受けていたが、野村大夫によると、東日本巨大地震の被害が甚大で、国内が未曽有の危機にあるためで、ご夫妻は被災地の悲惨な状況に深く心を痛め、「せっかくのご招待だが、お断りせざるを得ない」と判断されたという。18日、英国王室に伝えられた。ご夫妻は、お住まいの東宮御所のブレーカーを一定時間落とすなど節電にも協力されているという
563名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/20(日)08:59:47.87ID:rPrcadEm0
ポストレポ乙です。移植します
19名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/20(日)08:56:20.59ID:4dP+t7fA
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊ポスト(2011/04/01)すべてが想定外/「天皇が京都御所に避難」という流言飛語
・半頁強の記事。14日、ある官公庁の幹部の電話から編集部にもたらされた情報
「天皇は京都御所へ避難されたようだ」
・彼は寺社関係者より、原発が爆発したその日の夜に避難したと聞いた、報道関係者にも知らせていない、と。
・外資証券幹部から同様の話を聞いた人は「ヒルズ族の一人が日曜日の時点で家族とともに早々と京都へ。
何かしらの情報を早くキャッチし行動する彼らだから天皇にならって京都へ行ったのではないか」
・天皇が有事の際皇居を出て避難する----5年前に公開された
リメイク版『日本沈没』が思い出される。事実か?三種の神器は持ち出されたのか?
・宮内庁に問い合わせ。広報課「京都に避難?なぜ?震災の影響でということか。ない」
・(皇居にいらっしゃるのか?)「いらっしゃる。ネットにそういった話が書き込まれたようだが、東京は安全だから避難の必要はないだろう」
・「製油所爆発で飛散した有害物質が雨に混じる」「ヨウ素入りうがい薬が安定ヨウ素剤の代わりになる」といった流言飛語の類らしい。
・情報不足に疑心暗鬼となった国民の心情の裏返し。
〆は天皇はビデオメッセージで「一人でも多くの人の無事の確認を願っている」と被災者を案じられた。
以上です
286名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/22(火)06:20:58.17ID:h9GJepmT0

週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。女性自身2011.4.5号
美智子さま/雅子さま/紀子さま「切なる愛!」秘話3話
2頁の記事

美智子さま/撮影3時間延長した陛下との「激励ビデオ」
・3月16日、陛下ビデオでお気持ちを国民に伝えられたが、ビデオメッセージは初めてのこと。
・「東日本大震災が発生したとき、陛下は美智子さまと宮殿にいらっしゃいましたが、揺れが非常に大きく、宮殿の南庭に避難されました。いまはお住まいである御所にいらっしゃいます。宮殿は非常に広く、両陛下がいらっしゃるということになれば、暖房のための電気量もかなりのものです。両陛下はその点も苦慮され、執務のほとんどを御所で行われているのです」(宮内庁関係者)
・(以下太字)“国民と苦難を分かち合いたい”というお考えから、御所でも節電を実行されている。
・「具体的には計画停電の第1グループの時間に合わせて、御所の電気のブレーカーを落としていらっしゃいます。また御所では放射線被ばくなど災害に関する説明を熱心にお聞きになっているのです」(宮内庁関係者)
・ビデオメッセージも御所の応接室で撮影された。「撮影は、メッセージが流された16日の当日に行われ、美智子さまも立ち会われました。(以下太字)もともとは午前中で終わる予定でしたが、実際に終了したのは午後3時だったのです」(宮内庁関係者)
・陛下のお言葉がNHKで放映されたのは午後4時半ごろ。収録されてからわずか1時間半後のことだった。
・「両陛下は一刻も早くお気持ちを国民に伝えたかったのでしょう。98年の国際児童図書評議会の世界大会は、美智子さまの講演がビデオで発表されました。今回の陛下のメッセージも、美智子さまのご発案だったに違いありません。撮影は3時間以上延長されたそうですが、お二人で推敲に推敲を重ねていらしたからだと思います」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)


雅子さま/“帰宅難民”の母子たちに届けた温もりの(美智子さま直伝)コンソメスープ!
・大震災当日、東京では帰宅難民があふれたが、学習院初等科も例外ではなかった。
・「11日には『6年生を送る会』が行われました。愛子さまはすでに東宮御所に戻られていましたが、地震発生時は多くの初等科児童たちが学校に残っていました」(ある保護者)
・登下校には電車やバスを利用している児童も多い。交通網がストップしたため、初等科に戻ってくる児童もいたという。
・「結局、帰宅を断念し、初等科に泊まり込むことになった親子もずいぶんいました。彼らには学校から乾パンや水、それに毛布も配られたのですが、不安もつのるばかりだったでしょう」(初等科関係者)
・しかし、夜9時ごろになって突然、初等科に思わぬ“救援物資”が届いたのだ。「(以下太字)温かいコンソメスープと、オレンジジュースでした。雅子さまからの差し入れだと伺いました」(初等科関係者)
・「皇室には、お見舞いとしてスープを届ける習慣があるのです。特に美智子さまはオリジナルのスープ・レシピをお持ちで、体調を崩した知人などに送られています。(以下太字)雅子さまも、この美智子さまのお心遣いをお手本にされたのでしょう」
・3月18日には、皇太子夫妻のウィリアム王子の結婚式欠席が発表された。“今は国民みんなと心を一つにして復興を目指したい”雅子さまはそう決意されたはずだ。

紀子さま/7歳年下“最愛の弟”の乗った電車が津波で横転事故の惨劇!
・「(以下太字)紀子さまの弟さん(川嶋舟さん)が乗っていた電車は横転し、彼も現場付近の病院に搬送されました」(川嶋家の知人)
・3月11日、舟さんは、妻子の住む家に、仙台経由で電車に乗って戻る途中だったようだ。幸い大きなケガもなく、人々の救助、そして獣医師として馬の治療に奔走したという。
・「紀子さまは、二人きりのきょうだいということもあって、舟さんをとても可愛がっていました。舟さんのお子さんは悠仁さまと同じ4歳です。(以下太字)舟さんの被災については、紀子さまは、お母さまの和代さんから聞いて大変驚かれたそうです」(前出・知人)
・紀子さまは小学3年生の時に、『私の弟』という題の作文を書かれた。〈いつもいたずらをして、私を困らせる舟ちゃんですが、ほんとうは、わたしの心の中には、舟ちゃんのことをだいすきという心があるのです〉
・紀子さまは、最愛の弟が無事だったことをどんなに喜ばれたことだろう。
・しかし、いまだに舟さんは妻子とともに相馬市にいる。「(以下太字)舟さんは、一度東京に戻って来たのですが、それは相馬市で不足している物資を取りに来るためでした。すぐに妻子のいる相馬市に戻って、被災者たちの支援活動を続けています」(前出の知人)

〆は、紀子さまも、弟一家への闘いを見守り続けているのだ―


以上です。
94名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/24(木)07:30:22.42ID:uWNGDau50
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。週刊文春2011.3.31号

全力追跡気になるその後/震災で消えた「16の事件簿」
特集記事の中の1/2頁程

ウィリアム王子結婚式と雅子さま
・震災後の3月18日、皇太子夫妻がウィリアム王子結婚式の招待を辞退する、と報じられた。
・雅子さまの本格的な公務復帰の足掛りとしても注目されたが、欠席の判断は速やかに行われた。「皇太子殿下は震災直後の14日には辞退の旨を東宮職に伝えていたそうです。『せっかくのご招待だが、お断りせざるを得ない』との判断だったといいます」(宮内庁関係者)
・この決断の背景には、両殿下の苦渋の決断があると、ベテラン皇室記者が指摘。「阪神淡路大震災の直後、皇太子夫妻が中東を訪問したことが心無い批判を受けたのです」
・両殿下の中東訪問は、湾岸戦争や英米仏のイラク攻撃で二度延期されており、これ以上延期できないという政府決定があった。「震災の中で旅立たれた両殿下は後ろ髪を引かれる思いだったそうで、訪問国ヨルダンの国王に了承をもらい、異例の日程短縮もしている。以降、しばらく海外に行けず、雅子さまの適応障害にも影響を及ぼしたといいます。阪神淡路大震災十五周年の追悼式典では、体調の悪い中、雅子さまも出席され、遺族の体験談に涙する場面もあった。今回の判断にはこの時の思いが反映されているように思われてなりません」(同前)
■参考
・湾岸戦争1990年8月2日-1991年2月28日
・皇太子・雅子さま結婚1993年6月9日
・皇太子夫妻、サウジアラビア・オマーン・カタール・バーレーン歴訪1994年11月5日-11月15日
・皇太子夫妻、クウェート・アラブ首長国連邦・ヨルダン歴訪1995年1月20日-1月28日
95名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/24(木)07:31:16.82ID:uWNGDau50
週刊新潮2011.3.31号
[ワイド特集]「大震災」復興の群像
特集記事15頁の中のほぼ1頁

被災した「紀子さま」実弟の「2トントラック」奮戦記
・川嶋さんはその日、妻子の待つ福島県相馬市に帰省途中だった。目的地の相馬駅まであと2駅の新地駅付近で大震災に見舞われた。4両編成の車両は津波にのみ込まれ、バラバラに横転。だが間一髪、乗客8名と乗務員は避難することが出来た。
・命拾いした川嶋さんはそれから約2時間歩き続け、妻の実家である相馬中村神社に辿り着いたという。
・(大意)「安否確認のメールをしたら、震災翌日に無事を伝える返信があり、ホッとしました。その後、彼がフェイスブックに“現場は報道以上に混乱しており、支援を取り付けるために動き出した”と投稿しているのを読みました。すると、彼から電話があり、“2トントラックが手配できた。東京に向かうので、救援物資を調達しておいてくれないか”と頼んできたんですよ」(学習院高等科時代の同級生)
・「学習院の同級生を中心に声をかけ、お米、粉ミルク、紙おむつなどを大量に集めました。彼は、他の救援スタッフと一緒に13日の夕方には2トントラックとキャンピングカー2台で相馬を出発していました。都内の数カ所で救援物資を調達していたようで、私たちの所に到着したときは15日の昼過ぎになっていた。運転を交代しながら、東北自動車道を5、6時間かけて走ってきたそうです。ガソリン不足は深刻だと言っていました。荷物を詰めるとすぐに相馬に引き返していきましたね」(前出・学習院高等科時代の同級生)
・川嶋さんが集めた救援物資は、相馬市の担当者に引き継がれ、市内11カ所の避難所に身を寄せている被災者のもとに届けられたという。
・「やはり、紀子さまの弟ですし、仮に将来、悠仁さまが天皇になられると、その叔父にあたるわけですから、あまり目立ちたくないようです。ただ、本人としては相馬のためにできることを純粋な気持ちでやっているだけだと話していました。すでに紀子さまには家族全員の無事を伝えることが出来たみたいですよ」(別の友人)
〆は、救援物資調達が一段落すると、川嶋さんは被災者の身の回りの世話をするボランティアとして活動しているそうだ。

「朝日」は天皇陛下「お見舞い」全文をなぜ載せない?
1/2程の記事
・3月16日午後4時半過ぎ、テレビ各局からほぼ一斉に天皇陛下のビデオメッセージが流されたが、陛下のメッセージが配られたのはテレビ局だけではない。「宮内庁記者クラブを通じて新聞各社にも配布されました。全文は翌日の朝刊に、ビデオはホームページに掲載したのですが、いずれも反響は大きかったですよ」(宮内庁担当記者)
・ところが、だ。陛下のメッセージ全文を紙面に掲載しなかったところがある。朝日新聞だ。朝日はおことばがビデオで発表されたという事実と、その内容をかいつまんで掲載。全文はインターネットサイトでしか読めないという体裁なのである。
・これについて朝日新聞は、「天皇陛下のメッセージについては、紙面に抜粋を載せ、ウェブ版に全文を掲載しました」(朝日新聞広報)と、なんともそっけない回答。
・だがある皇室ジャーナリストは各紙面を見比べてこう嘆息を洩らす。「特に被災地の方が、インターネットで全文を見るなんて不可能に近い。陛下のおことばを熟読したい人も多いはずなのに、回し読みも出来ない。特別態勢で報道をしているのはわかりますが、陛下のおことばも震災報道のひとつなのでは」
〆は、これが見識というものだろう。

以上です。


津波で押し流された車両 福島県新地町2011年3月13日午後3時48分
津波で押し流され、横転したJR常磐線の車両=12日午前、福島県新地町で共同通信社ヘリから
<東日本大震災>御用邸職員風呂、被災者に開放へ毎日新聞3月24日(木)15時0分配信

 宮内庁は、東日本大震災の被災者に、栃木県那須町の那須御用邸用地内の職員用宿舎の風呂を開放することを決めた。宿泊はできないが、被災者をバスで送り迎えし入浴してもらう。早ければ26日から実施予定。同用地の施設が一般に開放されるのは初めて。
 福島県関係者によると、被災者数十人をバスで午前、午後の1回ずつ送迎し、入浴してもらう。休憩所では健康相談なども実施する。4月末までを予定している。【真鍋光之】

御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め2011年3月26日10時20分

 那須御用邸(栃木県那須町)の職員宿舎の温泉風呂が東日本大震災で同県に避難した人たちに26日から提供されるのを前に、宮内庁職員と皇宮警察の護衛官から集まったタオル計約3400枚が25日までに運び込まれた。同庁によると、タオルの袋詰め作業には、秋篠宮妃紀子さま、長女眞子さま、次女佳子さまも参加。同庁本庁舎で24日午後、職員と一緒に1時間半ほどかけて1セットずつポリ袋に詰めたという。
御料牧場から被災者へ、両陛下の意向TBS系(JNN)3月25日(金)19時46分配信

 栃木県にある宮内庁の御料牧場。25日午後、1台の車が食料品を満載して出発しました。向かった先は、福島県からの被災者たちが身を寄せている県内の避難所です。
 荷台から下ろされたのは卵1千個、サツマイモ100キロ。豚肉の水煮やレバーペーストの缶詰250缶。トリの燻製もあります。これらは、すべて御料牧場で生産された食料品です。
 「両陛下のお考えもあって、大変お困りの被災者のみなさんに少しでもお分けできれば」(宮内庁 櫻井保 御料牧場長)
 普段は皇族方のお食事、それに園遊会や晩餐会などといった宮内庁の行事に出される食材で、一般に流通するものではありません。しかし今回、被災者の身を案じる天皇・皇后両陛下の意向を受け、宮内庁から被災者に届けられたのです。
 「国民のことを考えてくださって、本当にありがたく思います」(福島県からの避難者)
 こちらの避難所では93人の被災者たちが避難生活を続けていますが、宮内庁によると、御料牧場で生産された食料品が提供されたのは極めて稀だということです。(25日16:58)
245名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/29(火)07:20:20.00ID:Z4mCBwCB0
週刊誌レポ。詳細は皆様各自でご確認ください。
女性自身2011.4.12号

静止を振り切り、崩れた宮中三殿に10人が参集されて…
報じられない皇室ご一家の全身全霊17日間
美智子さま/「被災者の苦しみを分かち合いたい―」
灯火を止めて雅子さまと「救国の祈り」36時間!

4頁の記事

・「3月21日には、大震災が発生して以来、初めての宮中祭祀が行われました。『春季皇霊祭の儀』です。参集されたのは天皇皇后両陛下や皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら10人の方々でした」(ある宮内庁関係者)
・実は今回、両陛下の祭祀ご出席に反対の声もあがっていたという。「神楽舎の柱が地震で傾き、皇霊殿へ向かう廊下の天井板も崩れており、側近たちは『余震も続いておりますし、非常に危険です』とお止めし、掌典長による代拝をお勧めしたのです。しかし、天皇陛下と美智子さまは、“私たちに祭祀をさせて下さい”と、強くおっしゃったそうです」(宮内庁関係者)
・結局、祭祀は建物の中には入らず、庭から皇霊殿を拝む『庭上拝』という形式で行われることになった。
・当日の午前10時ごろは、東京では冷たい雨。通常なら陛下は衣冠束帯、美智子さまは十二単風の古装束をお召しになるが、庭上拝ということで、それぞれモーニングとローブモンタントの洋装でいらっしゃった。
・「春季皇霊祭は本来、両陛下が皇室の祖先に五穀豊穣や国民の幸せを祈る儀式です。今回は、“日本をお守りください”“被災者をお救いください”と必死に祈られたことでしょう。いくら建物の倒壊の危険があるといっても、代拝ですませるお気持ちではなかったのだと思います」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・陛下と美智子さまは、特に’97年から’01年の間、頻繁に東北各県を視察されている。今回の震災で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町にも’97年10月に訪れている。
・雅子さまが成婚ご初めて地方公務に訪れたのも岩手県。雅子さまのお祖母様の実家も岩手県にあった。幼少期、お祖母様と二人で盛岡に旅行されたのも雅子さまにとっては忘れられない思い出だという。
・「“陛下と一緒に巡った地である東北へ、すぐにでも飛んでいきたい”そう美智子さまは願っていらっしゃると思います。(中略)しかし救出活動は今も続いており、さらに放射性物質流出事故のため、お見舞いの日程のめどが立っていないのが現状です。両陛下もいたたまれない思いでいらっしゃるでしょう。3月16日には史上初めて天皇陛下のビデオメッセージが発表されましたが、ほかにも初めての試みが続いています。それらはすべて両陛下のご意向によるものだそうです」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・天皇陛下は宮内庁の幹部たちにおっしゃったという。(以下太字)「ささやかでも宮内庁の施設を役立ててもらえないだろうか」
・このご指示により、宮内庁は24日に次の3つの支援を発表した。1那須御用邸の職員用の風呂を近隣地域にいる避難者に開放。2御料牧場の食料を避難所に提供。3東京都に避難している老齢の患者を宮内庁病院でも受け入れる。・実はこれらの施設のうち、栃木県にある御料牧場自体も甚大な被害を受けている。「乳製品や肉加工品などの製造の施設に被害があり、各製品を製造できない状態であるほか、貴賓館、集会所なども使用できない程度の被害を受けています。また職員の宿舎も居住できない程度の被害を受けています」(宮内庁総務課報道室)
・「(以下太字)まったく報じられていないのですが、御料牧場からの、御所や東宮御所、各宮家への食材の提供は、震災後にストップしています(太字ここまで)。震災は皇室の食卓も直撃していたのです。今回発表された御料牧場からの備蓄提供という支援は、両陛下の“私たちの食事より、被災者を優先させて欲しい”という深いお気持ちも込められていたのです」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・3月11日以来、両陛下は連日のように、震災関連の専門家から被害状況や対策についての説明を受けられている。17日に両陛下に救護活動について説明した日本赤十字社社長・近衛氏は、「(略)両陛下からの熱心なご質問の一つ一つに、被災者のみなさんへの思いがいかに深いものであるか、痛いほどに伝わってきました…」
・日々の専門家からの事情説明に加え、両陛下が続けていらっしゃるのが“自主停電”である。「執務を行われる宮殿は可能な限り使用されず、さらに15日以降は毎日、お住まいである御所のブレーカーを一定時間落とす生活を続けていらっしゃいます。1日に2回の停電をする場合は、合わせて4時間も電源を落とされています。その間は、明かりや暖房を止めるだけではなく、電気を使わない暖房器具の利用も控えていらっしゃるのです。夜にはそうそくや懐中電灯をお使いになり、暗い中で夕食を取られたこともありました。計画停電は実際には直前になって中止になることもあります。しかし両陛下はその場合でも停電をおやめになりません。陛下や美智子さまにならい、皇太子一家や秋篠宮ご一家をはじめとする各宮家も同様の生活をおくっていらっしゃるそうです」(前出・宮内庁関係者)
・震災発生の3月11日から27日までの17日間で、両陛下の“自主停電日”は13日間、のべ36時間にもなるという。
・「皇太子ご一家から秋篠宮家の幼い悠仁さまにいたるまで、皇室が一丸となり決行されている“自主停電”は、天皇陛下と美智子さまが呼びかけられたものです。“国民と苦しみを分かち合いたい”という強いお気持ちのあらわれです。さらに言えば、美智子さまが自主停電にこだわられているのは、この時間を“祈りのとき”とされているからに違いありません。(略)
灯火を消した闇の中で、両陛下がひたすら祈られているのは被災者の救済と、日本国民の幸せです。皇太子さま、雅子さま、愛子さまも、震災以来は東宮御所からお出かけにならず、お慎みに日々を送っていらっしゃいます。雅子さまも、美智子さまと同じように、祈りのときを過ごしていらっしゃるのでしょう」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)

〆は、天皇ご一家が心を一つにして捧げている“救国の祈り”は、きっと日本の未来を照らすはずだ―
248名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/29(火)07:23:54.50ID:Z4mCBwCB0
週刊女性2011.4.12号
「自主停電」お続けの天皇・皇后両陛下が、御用邸・牧場・病院を「開放」
1/2頁程の記事

・15日から自主停電を始められている両陛下が、24日にさらなる支援を申し出られた。那須御用邸の風呂の開放、御料牧場の食材の提供、宮内庁病院での被災者の受け入れだ。
・「今回、開放される入浴施設は側近が宿泊する供奉員宿舎内にあるます。古い木造の建物ですが、秋篠宮ご一家が御用邸にお泊まりの際はここをお使いになります(略)」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
・そんなご縁もあってか、秋篠宮妃紀子さまと長女の眞子さま、次女・佳子さまは、浴場で使うタオルの袋詰めを手伝われたという。
・一方、御料牧場は、皇室の方々が召し上がる農産物や畜産物が生産されることで有名。
・さらに、宮内庁病院といえば宮内庁職員などの紹介がなければ外来診療は難しく、ベッド数も27と、多くの被災者を受け入れることはできない。「それでも、一人でも多くの人たちを救いたいという両陛下のお気持ちなのだと思います」(同)
〆は、両陛下は、今後、被災地へのお見舞いを希望されているという。
以上です。
759名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/30(水)15:31:01.90ID:smzFWGs/0
テーミス4月号が届きましたのでレポします。

「雅子さま、子離れを」の声が
皇太子さまに向けられた「皇位継承」の不安
 公務よりも“私事優先”のスタンスに「いかがなものか」というバッシングが

【天皇陛下は御所で「停電」も…】
○ 3月16日の陛下のビデオメッセージを紹介。産経新聞・大島真生記者(元宮内庁担当)の解説。
陛下が大切にされているのは『慰霊』と『継続』、被災地への慰霊と励ましも同列。
警察庁からの公式発表で今回の震災が関東大震災以来と確定したので、お言葉を出されたのだろう。
陛下の「国民と苦楽をともにする」というスタンスは揺るぎなく、御所で自主停電もされている。「慰霊」と「継続」は次世代皇室にどう受け継がれていくのか(編集部)
○ 英王室結婚式招待辞退について
皇室ジャーナリストの発言。
少なくとも皇太子は夫妻での訪英を強く望まれていたと思う。
−’08年スペイン訪問の際、雅子さまの同行がギリギリのタイミングで見送られて以来、皇太子は閉塞感を持っているだろう。英国は二人とも留学経験がある特別な地。
早々に夫妻での訪英を発表することは、雅子さまが国内公務より同伴登校を優先させてきたという経緯や、地震の被害状況を考えると難しかった。

宮内庁関係者の囁き
皇太子夫妻は両陛下のご名代で日本のリーダーとして招待された。もし雅子さまの体調が悪いからと、国内公務同様ドタキャンするようなことになれば、外交問題に発展する可能性があった。
大震災を理由に今回は欠席となったが、却ってよかったのでは。

【音楽会で“インフルエンザ”に】
愛子さまの通学問題を理由に昨年3月から同伴登校が1年間続けられていて、その間の国内公務はごく稀。こんな状態に皇室関係者からも「いかがなものか」というバッシングが起こっていたという背景あり。

○ 2月23日の皇太子の誕生日会見の発言紹介。((同伴通学含めて)雅子さまはよく頑張っている。だか公務などの活動が限られたものとならざるを得ない。国民はこの状況を理解した上で、暖かく見守ってほしい。)  
 −雅子さまが療養に入ってもう8年、強烈な“私事優先”メッセージに国民が違和感を覚えても仕方がない(編集部)

○ 学習院初等科内では、皇太子が愛子さまに注ぐ深い愛情が評判
2月18日、学習院初等科で「小さな小さな音楽会」が保護者参観の下開催、皇太子夫妻も参観(雅子さまと愛子さまは2時間目に登校、皇太子は3時間目直前に到着)
当日、皇太子は笑顔で雅子さまと校内を歩いていた。
平日だったので父親の参観は極端に少なく、皇太子はとても目立った。在校生の父親の中でも、とりわけ“ご熱心なお父さま”と評判(学習院初等科関係者)
この音楽会のあと、愛子さまのクラスはインフルエンザのため急遽午前授業となり、24日まで学級閉鎖。皇太子も27日にインフルエンザ発症のため28日の公務とりやめ。

【ママ友と“ふかひれ”ランチ会】
○ 皇太子は「世界の水問題」に熱心に取り組んでいる模様。
宮内庁関係者の話
皇太子は水の問題に熱心に取り組んでいるが、メッセージが伝わりにくいテーマ。
水問題以外のテーマがないから、海外>国内ととらえられる。
皇太子が国民にわかりやすくメッセージ性のある新機軸の公務を見つけられないのは、野村東宮大夫はじめとする東宮大夫に知恵やアイデアがないと言わざるを得ない。

○ 雅子さまにも的確なアドバイスができない東宮職
皇室担当記者の話
3月2日、雅子さまは“ママ友とのふかひれランチ会”出席
このランチ会出席のため、1時間ほど学校(初等科)を“中抜け”した。
2学期後半からは、見たい授業だけ参観し、それ以外は別室にいる
 =愛子さまは1人でも学校で過ごせる。

橋本明さんの話
天皇陛下のビデオメッセージが皇太子夫妻のいい道しるべになったのでは。
この大震災は戦後最大の国難、英国の祝賀行事を欠席し、国民とともに歩む姿勢を出された夫妻に、国民は安心し共感を得ると思う。

その一方で、皇太子の古い友人の間からはこういう心配の声もあり
 「殿下はビオラばかり弾いていて、公務は大丈夫なのか。」

編集部〆
 このまま皇太子が「公務より私事優先」というイメージで皇位を継承したら、国民の次世代皇室への尊敬や信頼はますます薄れていく。(終わり)
142名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/03/31(木)08:46:26.09ID:oIem5xQg
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊新潮(2011/04/07)戦時中のことを思えば、何でもない…御所のブレーカーを落とした天皇陛下の「自主停電」

・被災し苦しんでいる人が大勢おり、電源すらない人もいるのだから。寒いのは服を着れば問題ない。体調を懸念する職員にそんな言葉で応じられた陛下。
・国民と困難を分かち合いたいという強いご意志で
3/15から御所での自主停電を続けられている。
・御所のある千代田区は計画停電の対象外だが第1グループの実施予定時間に合わせて2時間の自主停電を決定(宮内庁担当記者)
・第1グループの停電は28日まで20回予定されたが実際には停電が回避された回も含めて多いときには朝晩2回必ず実行。非常用電源以外はブレーカーを落とす。ろうそくの灯の下で食事。(事情通)
・自主停電を行っていないときでも節電。執務室はスタンドのみ。廊下ですれ違う人はよほど近く寄らないと誰だかわからない。側近らは陛下の体調や警備の不安から案じるが「戦時中を思えば何でもない」と。(同上)
・宮殿は事実上"閉鎖"。宮内庁舎も全域を原則消灯し暖房も原則使用しない、と職員も陛下と共に"被災地の寒さ"を疑似体験。
・東宮御所でも一部のブレーカーを落とす形で自主停電。事務棟でも。3/18の定例会見でそのことを問われた東宮大夫が"コートを着ていてもきつい"と思わず本音。普段は素っ気ないまでにシンプルな東宮の会見でこんな個人的感想が出るのは異例のこと。よほど寒いのでは。
・秋篠宮邸は、ブレーカーを落とすと事務棟の電気まで使えなくなってしまう。事務官の業務や殿下の公務に支障が出るためそこまではしていない。(高清水有子氏)
・タオルの袋詰めに秋篠宮家が参加したことに触れた後、御所や宮内庁から指示が出るのではなく、陛下のなさりようをご覧になって宮家ごとに対応されているのだろう。高円宮家も震災後は暖房を使用せず服を着込んで寒さをしのぐ。(久能靖氏)
・皇室の節電・節約に対する取り組みは今に始まったことではなく、平成20年度の電気料は約1億2600万円だったが、今年度は8700万円弱まで切り詰め。
・皇室費も平成13年度の76億1800万円から22年度の64億7500万円まで9年連続で減少。特に皇室の活動と財産の維持管理に当てられる「宮廷費」が減少。財務省が大鉈を振るったわけでは無く陛下のご指示による。皇室より、まず国民のためというお姿には本当に頭が下がる(財務官僚)
・陛下は被災者の生活を疑似体験されている。そのことでたくさんの被災者・停電で生活に支障が出た人々が陛下の"我、共にあり"メッセージを感じ取っているはず。自身の体調が万全でないなか他人を慮ることができる、日本人の美しさを体現。
総理も閣僚も頑張っているとは思うが、彼らが束になってもかなわない励ましを陛下は国民に示している。(橋本明氏)
〆は前立腺がん治療に伴う筋力低下防止には適度な運動が不可欠とか。
被災地が復興を果たし、陛下が停電の闇ではなくテニスコートの陽光の下に立たれる日が一日も早く訪れんことを。
以上です。

316名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/03/31(木)21:31:46.96ID:btZu6Kgi0
新潮買ってきました。
>>89-90の新潮レポに書いてなかったので、補足。
>・秋篠宮邸は、ブレーカーを落とすと事務棟の電気まで使えなくなってしまう。
>事務官の業務や殿下の公務に支障が出るためそこまではしていない。(高清水有子氏)

この後に続きます。

・ただ、皇族の中でもとりわけ環境問題についての意識が高く、日頃から節電・節水に心がけていらっしゃったのが秋篠宮ご一家でした。
・宮内庁は、平成21年度から4年計画で太陽光発電用装置を、宮内庁庁舎、東宮御所、皇居の吹上浄水場などに設置しつつあるが、秋篠宮邸では、すでに平成12年から導入している。また、雨水を溜め、それをお庭の木々に撒いているそうです
2011年4月
東日本大震災:皇太子ご夫妻も避難所を訪問へ毎日新聞 2011年4月2日 東京朝刊

 宮内庁の野村一成・東宮大夫は1日、皇太子ご夫妻が近く、東日本大震災の被災者が過ごす東京都内の避難所を訪問することを明らかにした。日時や訪問場所を都と詰めている。また、秋篠宮ご夫妻も避難所訪問を検討していると発表した。秋篠宮ご夫妻は、地震や放射性物質の専門家らから説明を受けている
83名前:ポスト20110415−1[sage]投稿日:2011/04/05(火)06:22:54.34ID:aYbqFEfZ0
ポストレポ輸入
今号の記事に直接皇太子一家は出てきませんが、日赤も日本ユニセフも関係は深いと思うので。
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊ポスト(2011/04/15)日本ユニセフ協会「被災者に渡らない募金」が暴かれた

・日本ユニセフ(日ユニ)が3/14にHP「で1億円の緊急支援」を告知したことが発端。
・但し書きから募金が被災者に行き渡らないと気づいた募金者が「俺の募金はアフリカに行ってしまうのか」「これでは"ユ偽セフ"だ」
・批判が殺到した日ユニは24日に全額を被災者に渡す旨などを釈明。
・方針転換の理由について日ユニ広報部「日本への支援は'64年に終了したが震災後にユニセフ(国連基金)が日本支援を決めたので、募金全額をお渡しできるようになった」
・当初から「大震災支援」を謳いながら被災者に募金を渡すことを表明したのは10日後。
・被災者に届かないのなら「東日本大震災の緊急募金」などやるべきではない。10日間にわたって被災者支援を口実に募金をかき集めていたと見られても仕方ない。
・同様の問題は'95年の阪神大震災・'05年の福岡県西方沖大地震の際にも起きていた。
・日ユニは「阪神や福岡の時は私たちが呼びかけたわけではない」(広報室)と"勝手に寄託してきた"という立場を強調。
・日ユニは「国連ユニセフの活動支援が目的の財団法人」であり国連機関ではないが、多くの国民やボランティア団体さえも誤解し、日ユニもそれを周知していない点に今回の騒動の根がある。
・'09年度は約190億円が募金収入。ユニセフ本部へは約163億円。約27億円が日ユニの"粗利益"。公益法人のため法人税は非課税。
・90年代初めの日ユニへの募金額は年間20億円程度だったが、20年間で8倍に増やした「功労者」が東郷平八郎氏の遠縁に当たる東郷良尚・副会長。
・遺産の寄付控除を政府に積極的に働きかけたほか、DMによる寄付呼びかけなどで「効果的な募金システム作り」を掲げ"収益拡大"に結びつけた。
・DMキャンペーンは疑惑が取りざたされたがそうした「裏の顔」はほとんど報じられない。日ユニが多くの大マスコミ幹部を役員に迎え入れていることと無関係とは言えないだろう。
・海外で大災害が発生すると大マスコミは自社媒体で募金を呼びかけ、集めた金を日ユニに寄託。それが広告や協賛金として戻ってくる構図は、まさに持ちつ持たれつ。
・13年間大使を務めるアグネス・チャンが「日ユニの募金が国内の被災地には届かない」ことを知らないはずがない。「被災者のために」と募金を呼びかけたことはミスリーディングと言わざるを得ない。
・大マスコミと並んで、政界との密接な関係も見逃せない。もともとの日ユニの活動を主導したのは橋本龍太郎氏の母・正(まさ)氏。東郷氏が入ってきてからビジネス化し、「母がやりたかった活動とは全然違うものになってしまった」と一度ならず嘆いていた(橋本氏の元秘書)
・現在のユニセフ議連会長は谷垣氏、幹部に与野党政治家。政治家が議連に参加するメリットはまずイメージアップ。票や金を持つ企業との接点。(政界関係者)
・近年は特に野田聖子氏との関係が深い。06年に岐阜県庁の裏金問題で一部が日ユニの献金に流れたことが判明し、県政に強い影響力を持つ野田氏との繋がりが囁かれた。
・裏金の件は推測の域を出ないが、野田氏のライフワークである児童ポルノ規制にアグネスが広告塔を努めることも日ユニ人脈の深い関係をうかがわせる。〆は協会の設立主旨や目的は立派だが、募金の集め方と使われ方には疑惑を持たれないための改革が必要ではないか。そうでなければかえって胡散臭さを感じさせてしまうだろう。

同誌同号/そもそも義捐金はどう使われるのか−支援金、救援金との違い、知ってますか
・寄付は大まかにふたつに分けられる。被災者に直接見舞金として渡される「義捐金」と被災地で支援に当たる団体の活動資金となる「支援金」。
・義捐金は日赤や中央共同募金会(いわゆる赤い羽根)などが窓口となり、被災した都道府県が設置する義捐金配分委員会に全額渡される。委員会には両団体や報道機関が参加し、分配対象や金額が検討され、被災者へ。
・被災者や各団体への支援ではなく自治体の復興資金に使って欲しい人は各自治体の口座へ直接。
・義捐金・支援金に加えて救援金という呼称も存在するからややこしい。
・阪神大震災では1世帯あたり40万円程度だったが今回は広範囲で被災者数も多いことから1人あたりの配分額は阪神大震災を大きく下回る可能性も。(大阪大学大学院教授・山内直人氏)
・阪神大震災の時は発生から1週間後に自治体や日赤兵庫県支部など26団体が構成する配分委員会が立ち上がり、半月後には第1次配分として死者行方不明者一人あたり10万円を家族に配布。しかし苦情が続出。〆は緊急小口資金制度・災害弔慰金などこういった制度からも明らかなように、義捐金は被災者を支える一助にはなるがそれだけでは十分ではない。中心となるのは税金。その意味で最大の"義捐"は経済を冷え込ませることなく各々が働き消費し納税すること。被災者の支援に終わりは無いことを肝に銘じておきたい。

同誌同号/平成の「行幸啓」−膝をつかれて被災者にお言葉
・巻頭モノクログラビア見開き2頁。左に今上、右に皇后陛下に分かれて被災者と話されるシーン。
・「戦のわざはひうけし国民を おもふこころにいでたちてきぬ」。昭和天皇の1946年から9年に及ぶ全国巡幸は、常に国民と共に、国民のためにとの思いからであり今上の精神にも通じている。
・両陛下はすぐにでも被災地を激励したい気持ちだが諸事情を鑑み、せめて都内の避難所に、と強いご希望から実現。
〆は今後は被災地にも直接、出かけるご意向だ。以上です
121名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/05(火)10:28:29.99ID:fUAmfzTo0
レポ来てました。レポ主さん、乙です。輸入します。

226:朝まで名無しさん:2011/04/05(火)09:20:26.73ID:xmuMQPhe
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/04/19)愛子様、お住まいで本格地震対策!

・見開き2頁の記事。膝をつき合わされ目線を同じに、時には手を取られながら一人一人に声を掛けられる美智子様。
・3/30、足立区の東京武道館を見舞われた両陛下。ビデオレターや御所での自主停電、御料牧場の食料提供、那須御用邸の職員用浴室の開放など、前例のない取り組み。連日のように医療関係者やボランティア団体などからの説明を受けられる。
・昭和時代の「祈り」から平成の「行動」に変化して皇室の方々が実際に被災地へお見舞いするように。両陛下とも高齢でけして十分健康とは言えない中でいたわり合いながらスキンシップを取られたので被災者達も励まされたのではないか。(渡辺みどり氏)
・一方、皇太子一家も自主停電を行い、スキー・スケート・訪英を取りやめ。震災当日東宮御所では食器棚から落ちた何枚かの皿が割れた。(元東宮職関係者)
・愛子さまは直後は怖がっていたが、今は落ち着いている。ただ大きな余震には敏感。震災の時は帰宅直後で、すぐにリビングの机の下に入って身を守った。(同上)
・愛子さまは自主停電の時以外も節電に努め、水をためて手を洗うなど節水も心がけている。
・4/1に皇太子夫妻が都内の被災者見舞いを検討中と発表。秋篠宮両殿下もそれに続かれる予定。
・雅子さまの訪問については体調をみながらだが、夫妻は都内の施設訪問を強く希望。特に雅子さまの国内初公務は岩手だったこともあり、知り合いやお世話になった人が多くいるため大変心を痛めている。被災地へ直接訪問も検討も雅子さまの病気・愛子さまの登校問題があるため、皇太子単独見舞いになる可能性。(前出、元関係者)
・初等科の始業式は9日と聞いている。4年生になった愛子さまに付き添いするかどうかは不明だが、もし"ひとり通学"が心配ならば学校が始まる前の今週が適当ではないか。(渡辺みどり氏)
・愛子さまは外出することもなく東宮御所で静かに過ごしているが"地震対策"をとっている。東宮御所は多数の部屋があるが、ここにいるときに地震が来たときはここ、あそこの部屋の時はどこそこに避難、と愛子さまが率先して決めている。両親に対しても大きな机の下に避難するよう、という感じ。飼っている犬や猫も誰が避難させるかまで決めている。(前出、元関係者)

〆は愛子さまにそこまで震災に対する準備があるなら、皇太子夫妻も安心してお見舞いに出かけられそうだ。
女性自身はウロな部分が多いのでメモとして。
・4/2正午、皇太子一家を乗せたワゴン車が御所へ。いつものように窓を開けることもなく雅子さまは目を閉じていた。秋篠宮家も参内。
・今回の震災は広範囲なので秋篠宮家の両内親王も被災地を訪問することが検討されている。以上です
皇太子ご夫妻、被災者お見舞いのため6日に都内避難所を訪問されることに
フジテレビ系(FNN)4月5日(火)18時37分配信/最終更新:4月5日(火)18時50分

皇太子ご夫妻が6日、東日本大震災の被災者へのお見舞いのため、東京都内の避難所を訪問されることになった。
宮内庁によると、皇太子さまと雅子さまは6日午後、東京都の受け入れ施設となっている調布市の味の素スタジアムを訪れ、被災者をお見舞いされるという。
長期療養中の雅子さまも、今回の震災被害に心を痛め、訪問を希望されており、当日の体調をみて、同行するかどうか判断するという。
皇居東御苑へ案内=都内避難所の被災者対象−宮内庁

 東日本大震災で宮内庁などは6日、東京都内の避難所で生活を送っている被災者を対象にして、桜開花の季節を迎えた皇居東御苑(千代田区)に招き、散策してもらう催しを行うと発表した。
 実施されるのは閉園日の8日、11日、15日で、味の素スタジアム(調布市)、東京武道館(足立区)、東京ビッグサイト(江東区)の避難所に滞在する被災者が対象。東御苑内では、ボランティアによる案内や皇宮警察音楽隊による演奏が行われる。避難所からのバス代や昼食代は都が負担する。
 宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は震災で避難生活を余儀なくされている人々を大変心配されており、「少しでも慰めになるようなことができないか」という両陛下の意向を受け、企画したという。(2011/04/06-12:56)
881名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/07(木)10:37:01.30ID:Hs3X9eSs0
レポ輸入します。レポ主様ありがとうございます。

269名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/04/07(木)09:11:26.17ID:OlXvgCia[1/2]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/04/21)秋篠宮紀子さま−娘に伝える「袋詰め」の心

・見開き2頁の記事。主人は震災以来4回ボランティアで相馬市に来ている。「こんなにも大変な時期で多くの人が苦しんでおられるのだから少しでも役立つことをしたい、と」そう話すのは紀子様の弟、川嶋舟さんの妻麻紗美さん。
・舟さんは東京農業大学の講師を務めているため単身赴任。3/11は電車内で被災。相馬の惨状に被災者支援を思う。
・3/13支援物資調達のため相馬を出発翌朝東京着。「川嶋君の顔は疲労困憊で、生きててよかったと思わず涙が出るほど。顔色は悪かったが一切無駄口も叩かず、黙々と救援物資を積み、そのままとんぼ返りで相馬へ。(学習院時代からの友人・関谷ふたば氏)
・途中2カ所で物資を受け取り翌朝、相馬市役所の担当者へ届ける。その後も何度も相馬と東京を行き来して支援活動を続け、Facebookで報告している。
・舟くんは救援物資の調達だけではなく長期的な視野に立った支援もしてくれている。そのひとつが"子ども文庫"。東京から持ってきた子供用の本を相馬中村神社内に設置。また被災者のために動物介在療法を提案。その必要性に仮設住宅ではペットを飼うことを許可。(かねてより親交のある立谷英清・相馬市長)
・紀子様は舟さんと数日連絡が取れず、また被災地の状況に心を痛められた。(川嶋家知人)
・紀子様は'95年3月、7月、'96年10月に阪神淡路大震災の被災地を訪問、被災者を激励。そんな紀子様の思いは美智子様の思いに通じている。
・皇室に嫁がれて以来の紀子様は美智子様を敬愛し何事にもお手本とされてきた。公務に対する姿勢もそうだし、"皇室は祈りでありたい"の思いをしっかり受け継ぎたいと願われている。(宮内庁関係者)
・3/30両陛下は東京武道館を訪問。4/2、皇太子一家、秋篠宮ご一家が参内。今回の大震災のことで話し合われたらしい。両陛下から東京武道館の様子を聞き被災地への思いをことのほか強くされていたそう。一刻も早く被災地へ行き励ましたい思いでいっぱいだが両陛下より先へ行くわけにはいかないので"今は東京でやれることを"という(前出・宮内庁関係者)
・那須御用邸の職員用浴室が解放された際、被災者に渡されたタオルセットは紀子様が袋詰め作業を申し出られ、眞子様・佳子様も手伝われた。これは美智子様から受け継がれた皇族としての心を伝えていかなければならないという紀子様の思いが詰まった行動だったのではないか。(前出・宮内庁関係者)
・両殿下が災害に関するご進講を受けた際には紀子様の取り計らいで両内親王も同席し専門家のレクチャーに耳を傾けられた。
・両殿下は4/7に都内の避難所を訪問されるが、実際に被災地を慰問するときは両内親王も同行するプランも上がっているという。

〆は美智子様のお心は確実に若い世代にも受け継がれている。
同誌同号/板の間にひざをつかれて−天皇皇后両陛下20日目に実現したお見舞い
・巻末カラーグラビア1頁。


以下はメモとして
週刊文春(2010/04/14)
・東宮御所は窓際の蛍光灯を抜くなどしており、夜は非常用の電灯のみで真っ暗。
・愛子さまは節電に積極的。10人前後の友人を頻繁に招き、おやつから夕方まで遊ぶ。

週刊新潮(2011/04/14)
・両陛下が訪問された際、あぐらをかいていた若者がいたことに疑問のコメントを寄せる松崎敏哉氏としつけ教室(?)の某氏(名前失念)→4月8日に宮内庁サイトがフォロー(若者が外国人であること、辛い避難所生活であることなど)の記事掲載


以上です
115名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/07(木)17:01:32.39ID:Zv6cWXZG0
週刊文春よりいくつか抜粋
(以下)
・「愛子さまは東宮御所の私邸で、キッチンや自分の部屋のスイッチを切ったり、使わないコンセントを抜いたり、節電に努めていらっしゃるそうです」(皇室ジャーナリスト)
・雅子さまは、三月二十一日の春季皇霊祭はご体調不良のため欠席されたが、避難所ご訪問は前向きに検討されている。
・愛子さまだけでなく、眞子さまや佳子さまも震災関連のご活動に熱心に携わっている。(抜粋終)

愛子さま、お友達を呼ぶのはスケート、スキーをキャンセルした「代わり」だそうです。
41名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/08(金)22:39:37.67ID:QoEbTXij0
>>18
今週の文春では、「当初の予定は20分だった」とも書いてある。
211名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/09(土)13:15:56.23ID:ksVDG1hr0
サンデー毎日の記事に
記者「皇太子ご一家が京都へ避難されているという話があるが?」
野村「答えるに及ばずです」
といってる。
愛子さま:始業式出席毎日新聞 2011年4月9日 15時00分(最終更新 4月9日 16時03分)

 皇太子ご夫妻の長女、愛子さま(9)が学習院初等科(東京都新宿区)4年生に進級し9日、始業式に出席した。学校生活に不安感がある愛子さまは3年生だった昨年度、1学期から3学期までの始業式、終業式をすべて欠席していた。
 雅子さまはこの日、愛子さまの登校に付き添った。雅子さまは1年間、登下校だけでなく、授業も参観した。愛子さまが4年生に進級した初日も車で登校し、付き添う形となった。
愛子さまが始業式にご出席2011.4.914:47

 皇太子ご夫妻の長女、敬(としの)宮(みや)愛子さまが通われる学習院初等科(東京都新宿区)で9日、始業式が行われた。宮内庁東宮職によると、4年生に進級された愛子さまも式典に出席された。
 ほかのクラスの児童も出席する始業式などの学校行事に出席されたのは、昨年3月に正常な登校ができなくなったことが発覚して以来、初めてとみられる。
 登下校はこれまで通り、皇太子妃雅子さまが付き添われた。この日は、地震の影響で、3月にできなかった修了式も合わせて行われたという。
866名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/11(月)09:23:17.31ID:+l5paFXs0
+レポ来てましたので輸入します。レポ主さん、乙です。
353:朝まで名無しさん:2011/04/11(月)09:08:28.71ID:8txf8SHe3
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊ポスト(2011/04/22)45分間延長の祈り−避難者たちの誰もが正座でお迎えした皇太子ご夫妻

・巻頭モノクログラビア見開き2頁。正座する皇太子夫妻と被災者男性の背中。夫妻から数メートル後方、入り口そばでしゃがみ込んでメモする宮内記者会の担当記者二人、その後ろにスタジアム職員らしき男性と女官?入り口SP二人。やや離れた右側で取材する記者。がらんとした印象。
・写真左上部に「スタジアム内は多数の避難者がいるが、一時帰宅などで今は多くない」(大意)
・私たちの目線に降りて来ていただいた、と実名で感激する被災者女性。足立区に両陛下が訪問されたときは多くの避難者がいたが、ここではパーティションの区切りもゆったり。
・両陛下の前ではあぐらをかいていた人もいたが全員が正座。
・病気療養中の雅子さまの外出公務は半年ぶりだが、少しほっそりした印象。
・翌日、秋篠宮両殿下も避難所を訪問された。
867名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/11(月)09:23:58.36ID:+l5paFXs0
輸入レポ、続きです。
355:朝まで名無しさん:2011/04/11(月)09:12:11.10ID:8txf8SHe
↓他スレに、このレポのコピペは慎重にお願いします。
週刊現代(2011/04/23)佐野眞一×原武史特別対談「見えてきたこの国の本性」


・3.11以前と以降の日本についての対談から。
・(孤立した集落が70kgの米を分け合って救援を待ったことに触れた後)
佐野・・そういう集落の姿を見て思ったのは、唐突に聞こえるかもしれないが、 近代天皇制にとってもっとも手強かったのは地域とか共同体じゃないか。天皇と皇后が足立区の避難所を見舞い、被災者にひざまずいて声かけしていたが、 天皇のああいうお姿をもってしても、この天変地異にはかなわないということ。天皇が被災者を見舞うのは、阪神大震災の時には効果があった。ところが今回、地方で発生した歴史的大惨事に対して天皇の祈りは届いていない気がする。なぜなら近代天皇制というのは都市型だったから。
原・・天皇制が都市型になっているというのはすごく重い指摘。もともと宮中祭祀は新嘗祭を見てもわかるように日本が農業国家であることを前提としていた。戦後の高度成長と共に祭祀の中身が実態を伴わなくなってしまった。それでも現天皇は高度成長以前の記憶を持っているけれども皇太子の世代にはそれ以降の記憶しかない。そうなると例え宮中祭祀自体が継承されようと実態は違った物になって行かざるを得ないのではないか。
佐野・・近代天皇制は発展から取り残された地方を取り込めないままにしてきたんじゃないか。天皇皇后が被災者を見舞ってから皇太子夫妻が見舞うまで1週間のタイムラグがあったことも、 都市型天皇制と地方の距離を物語っているように思える。もちろん天皇制はこれからも続くと思う。しかしある意味、この平成の御代で実質的には終わりなんじゃないかという気さえする。
原・・天皇制が都市型になり、東京や東北の新幹線ルートが便利になる一方で、 三陸地方では経済的合理性では説明のつかないことが起きた。(後略)

以上です。
8名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/11(月)17:02:11.47ID:wZ0WioUD0
週刊朝日2011年4月22日号
ワイド「ずっとウソだったんだぜ!」
「お見舞い」に行ったはずがアラ!?
被災者に励まされちゃった雅子さま

・4月6日、皇太子夫妻は約130人の被災者が避難している味の素スタジアムへ。
・すべてのグループに声をかけ、ケータイの記念撮影にも気さくに応じる。
・「津波で家も船も流された。夫が『漁師は陸に上がるとかっぱになっちまうんです』と言うとご夫妻は大爆笑。私が『ご病気なのに来ていただいて』と申し上げると雅子さまは胸の前で手を左右に動かしいえいえと繰り返された」福島県浪江町から来た山形さん
・「愛子様は大丈夫ですかと聞いてしまった。孫が5年生だというと皇太子様が『愛子は4年になります』というのでつい…雅子さま様は『私も愛子も大丈夫です』と答えてくださいました」いわき市からきた70代女性
・被災者に雅子さま妃の同行が知らされたのは、到着の直前
・「それからバタバタと花が飾られ、身の回りを片付け、普通に会話するように注意を受けた」富岡町からきた20代女性
・雅子さま妃の体調が万全でないことは、集まった近隣住民にも一目でわかった
・「車から降りた雅子さま様は顔色が悪く緊張しているようだった。お帰りの時も私達に背を向け、すぐ車に乗り込まれた」近所の住民
・「当日の雅子さま妃の体調はきわどかった」宮内庁関係者
・「見知らぬ人と話さなくてはならず、雅子さま妃にはハードルが高い。だが未曾有の大震災で行かない訳にはいかず。2日には夫妻で両陛下を訪ね、行きますと決意を表明されたと聞く」同じ宮内庁関係者
・3月末に両陛下が被災者のお見舞いに赴くと、夫妻も素早く動いた。
・警察庁長官から震災に関する説明を受けたのは、5日のこと。
・両陛下や秋篠宮ご夫妻は放射線の影響などの説明を受けたが、これははしょった
・「ご夫妻にとって、両陛下が避難所を訪れたのは予想外だったのではとにかく早く、とのことで東宮職も放射線についての知識は報道で間に合うと判断したのだろう」皇室担当記者
・阪神・淡路大震災以来、16年ぶりに震災見舞いに出向いた雅子さまの心に、被災者の励ましと心遣いの声は届いただろうか

最後の一行、これ原文のままです
特集のラストに複数の記者の名前があがっていて、誰がどの記事を書いたかは不明。
永井貴子、安藤麻子記者のどちらか?
両陛下、御所で黙祷される2011.4.1115:11

 宮内庁によると、天皇、皇后両陛下は東日本大震災から1カ月を迎えた11日、地震が発生した午後2時46分に合わせ、お住まいの皇居・御所で黙祷(もくとう)された。
 皇太子ご夫妻も同様に東宮御所で黙祷されたという。
 また、両陛下はこの日の午前中に休園日の皇居・東御苑を訪問し、都内の避難所から宮内庁が招いていた被災者18人に声をかけられた。訪問は予定されていたものではなく、両陛下が決められたという。
356名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/12(火)11:04:39.76ID:bMD/qCzX0
レポ輸入

370名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/04/12(火)09:13:59.47ID:jRvXi6Wg[1/2]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/04/26)希望を届けに−ご静養中の雅子さまも、被災者と心を通わせられ−
・巻頭カラーグラビア、3頁。雅子さま、紀子様(秋篠宮殿下)、皇后陛下の順で1頁ずつ避難所訪問の様子を。同誌同号。雅子さま、真心の「板の間」正座60分に被災者129人が涙した!
・見開き2頁。携帯電話しかないが、写真を撮ってもいいか?と尋ねる被災者に気軽に応じる徳仁氏夫妻。当初の予定より45分もオーバーして被災者全員に声かけ。
・「陸に上がったカッパのようです」福島第一原発から5kmの自宅が倒壊した漁師の山形さんの冗談にほほえんだ雅子さま。
・山形さんの妻千春さんは雅子さまと同い年。ずっと憧れていたので感激で涙が出た。元気そうだった。
・小学生の孫を持つ70代の女性は、愛子さまは大丈夫ですかと尋ねたところ雅子さまは大丈夫、と。顔色も良く元気そうだった。最後の最後に「おばあちゃんもお元気でね」と声を掛けてもらい感激した。
・被災者の中には中(畳)へどうぞと促したが夫妻は前に進まず、板張りの床に最後まで正座していた。
・適応障害の患者は見知らぬ人との会話が負担だが、雅子さまは回復してきているのではないか。(大意・香山リカ氏)
・4/8に両陛下は埼玉県の避難所を訪問されたが下旬に宮城県を日帰り訪問予定。自衛隊機で仙台に向かい、ヘリコプターに乗り換えて避難所へ。徳仁氏夫妻も各地を訪問するのではないか(大意・松崎敏弥氏)
425名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/12(火)14:08:33.79ID:NHrMPIKq0
ああ、そういえば「女性自身」も立ち読みしてきたのですがその中に

・阪神淡路大震災直後に中東を訪問し、華やかなドレスをまとって予定されていた行事に参加した
 このことが批判された
 これが雅子さまにとって ト ラ ウ マ になった
と書かれていました。
ちなみに、
中東帰国後はがんばって被災地へ行って国民を励ました(まとめるとこんな感じだったと思います)
なんて書いてありました…
358名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/12(火)11:05:54.30ID:bMD/qCzX0
371名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/04/12(火)09:16:34.57ID:jRvXi6Wg[2/2]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。2/2
週刊女性(2011/04/26)雅子さま様被災者慰問も悩みは同伴登校
・見開き2頁。右上部に4/9下校時の雅子さまと愛子さま。傘を差す二人が歩道を並んで歩くシーンを、横から撮った写真あり。二人とも笑顔。
8時過ぎ、雅子さまに左肩を抱かれるようにして登校。11時過ぎ下校。横殴りの雨のなか雅子さまを待ち楽しそうに下校。
・愛子さまの院での滞在時間は増えており、各クラスごとの修了式、始業式にも参加できた。
・東宮職からの要望で学年を越えたドッジボールをすることに。保護者の付き添いについてはいつでも可能なので、院から特にお願いすることはないと思う。(東園理事の文書回答)
・愛子さまはお母様から離れるべき。被災した人のお見舞いに行くのだから、とよく言い聞かせればいい。(大意・渡辺みどり氏)
・トラウマ後の成長(PTG)というのがある。震災で家を失った引きこもりが活発になったというように。愛子さまは被災していないが、テレビなどで被災児童達を見て自分も頑張らなければ、と思ったのではないか。(大意・教育評論家・尾木直樹氏)
〆は忘れました、済みません。以上です。
560名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/12(火)19:41:22.05ID:gqj9MCzA0
>・愛子さまの院での滞在時間は増えており、各クラスごとの修了式、始業式にも参加できた。
この書き方だとどちらの式も各クラスごとに読めますが、正確には修了式がクラスごろ、始業式は全体で、です。
35ページより引用
「昨年度の愛子さまは、始業式と終業式をすべて欠席されていましたが、
この日は震災で中止になり各クラスでやることになった修了式に出席された後、全体で行われた始業式にも出席されました」

>・東宮職からの要望で学年を越えたドッジボールをすることに。
「学年を越えた」などとは書いてありません。
同じく35ページより引用
≪東宮職からの希望もあり、ドッジボールなどに他との児童との交流の機会を設けることに協力してまいりました≫
412名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/12(火)13:14:21.58ID:NHrMPIKq0
レポ乙です。私も一時間ほど前に、出先から帰る途中の買い物で週刊女性を立ち読みしたのですが、先に上がっている輸入レポの

>愛子さまは被災していないが、テレビなどで被災児童達を見て自分も頑張らなければ、と思ったのではないか
確かこの辺りは「テレビなどで被災地の惨状を 体 験 して『私も頑張らなくちゃ』と思っているのでは」
(その前の「もう雅子さまが付きまとわなくても大丈夫なほど元気にしている云々」という記述を受けて)
こんな感じでした。確かに「 体 験  し て 」と書いてありました。
416名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/12(火)13:29:04.06ID:ju4q26XUP
本屋で『別冊宝島』をナナメ読みして来た。
記憶に残ってる部分だけでごめん。

・長年子供が出来なかったのは、浩宮が幼い頃にひどいオタフク風邪に罹ったから
・人工的な妊娠、増して産み分けなどは望まなかった
・皇族方の集まりで、皇太子も弟宮さまの出産計画に賛成した
・雅子さまがオカシくなったのは、愛子さまに対する心ない中傷があったから
878名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/13(水)16:20:29.84ID:4F9Q3YbJ0
週刊誌レポ来てました。輸入します。レポ主様、乙です。

402:朝まで名無しさん:2011/04/13(水)15:48:51.28ID:CQ6GVzxH
月刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。文藝春秋(2011/05)
天皇皇后両陛下の祈り/川島裕侍従長

・3/16発表のお言葉を含め9頁の記事。
・3/11午後。両陛下は蓮池参集所で3団体の奉仕団の労をねぎらい、厩舎で伊勢神宮に献進される神馬をご覧後、今上は執務室で公務の準備、皇后陛下は御座所・芳菊の間まで今上をお送りになり御所へ戻られるところ。
・揺れを感じられた今上はTVのスイッチを入れ、皇后陛下は廊下を隔てた前庭に面するガラス戸を少し開けて出口を確保。
・部屋の棚に並べてある各国元首の写真立てが倒れ始め、今上は皇后陛下を伴われて前庭中ほどへ。ひと落ち着きして部屋に戻られた皇后陛下は女官や職員と手分けして飾り皿や花瓶を床に下ろし始めたところ再び揺れ、お庭へ。
・皇后陛下。御所へお戻り間際に勤労奉仕団、参観者の安否確認を侍従に依頼。
・TVをご覧の今上。10bの津波警報に職員と共に息をのみ、H5年7月の北海道南西沖地震の際、沖に出ていたイカ釣り漁船が無事戻ってきたことを思い起こされ「沖合まで出られれば大丈夫」と祈るように述べられる。
・11日夜、帰宅困難となった一部の勤労奉仕団約60名が窓明館に宿泊。帰宅できずに二名態勢になった侍医ひとりが皇后陛下の依頼を受け館を訪問。
・夕刻までには皇族・旧皇族全員の無事を確認。お子様方・各宮家からの電話。
・同夜、スペイン・ソフィア王妃よりお見舞いの電話を皮切りに、各国元首からの電報が到着。
・12日、両陛下6時起床。7時朝食。これまでの災害ではお見舞いの言葉は災害発生県の知事に伝えていたが、今回は広範囲・甚大な被害であることから総理大臣へ伝えるご判断。
・7時半、皇后陛下、窓明館訪問。8時頃出発予定だった大学生の一団を見舞い、体調不良の学生1名が宮内庁病院で休めるよう手配依頼。前日本看護協会会長、南祐子氏から電話報告。
・午後3時36分。福島第一原発一号機爆発。両陛下のご意向を受け、今後お会いになる人々と連絡を取り合う。
・13日。6時起床。散策後朝食。今後の対応をいろいろ検討するようご指示。計画停電に御所でも遭わせてはどうかとご示唆。庁内より発見された蝋燭立ては旧帝国海軍艦艇内で使用されたらしい。
・被災地訪問についてはこれまでは知事の判断に信を置いてきたが、今回は忙殺されている関係各所へのさらなる負担にならぬよう今後の日程調整。行事予定についても警備当局に更なる負担を掛けぬよう見直し。武蔵野陵参拝、御料牧場へのご静養、園遊会は取りやめ。
・14日、羽毛田長官とともにお召し。ワーキングランチ。宮殿の原則閉鎖など3点を決定。千代田区は計画停電区域外だが、ノルマが課されていないということは逆に自分を厳しく律していくということ、また皆と分かち合うという意味でも自主的に停電を実施。同夜、参与始め御用掛、長官、筆者の計7名と会食。
・15日、6時起床。両陛下午前中、御所にて田中俊一前原子力委員会委員長代理より説明。午後、安藤隆春警察庁長官より衛星写真も使っての報告。
・同日、今上はご自身の気持ちを国民に伝えたいお考えを長官、筆者に相談。ビデオレターの作成を決定。皇后陛下と話し合われながらお言葉の作成。午後3時半から5時半まで自主停電。皇后陛下、今上のご心労を案じて願われ、4時半からお二人で30分ほど戸外散策。
・16日。午後2時頃、ビデオ収録時間のセット。3時、収録開始。4時半、各局一斉に放映。収録後、宮川清東京大学院医学系研究科教授から放射線被曝についての説明。今上、放水作業のニュースを成功をご念じながら熱心にご覧。久常節子日本看護協会会長、皇后陛下へ、被災地に赴く看護師が携帯する「緊急被ばく医療」に関する冊子お届け。同夜、来日中の根岸英一夫妻と会食。
・17日。両陛下、日赤社長・同副社長から報告聴取。午後、5月の植樹祭日程ついて総務課長・担当侍従とご相談。大幅な短縮日程。二度の自主停電。30分の散策。同夜、官房副長官任命式。
・18日。6時半からの自主停電に合わせて両陛下は散策へ。8時51分、ニュージーランド地震犠牲者への黙祷。午後、海上保安庁長官より報告聴取。皇后陛下、国際日本語普及協会・西尾珪子氏に在日日系人の安否確認の現状について電話でお尋ね。EPA関係で来日中の看護師研修生についても早くよりご案じ(23日、看護協会より全員無事との回答)。

〆は、両陛下はこれから長きにわたり、この厄災を被った人々に思いをお寄せになり、日々を送られることと思う。
本稿は、厄災発生からの一週間に絞って記すこととした次第である。以上です。
32名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/13(水)22:21:05.66ID:2KnVTsnq0
週刊誌最新号レポです。

週刊新潮(11.04.21号)
ワイド「大震災」曙光の荒野
〜「愛子さま」付き添いで難しい「雅子さま」の被災地訪問

・「陛下は一日も早い被災地への訪問を望まれていたが、宮内庁は世情を見て4月20日ごろ解禁とした。それが、大きな余震などの影響で月末にずれ込んだんです。」「最初の訪問地が宮城県になったのは、村井知事自らが要請した結果です。知事曰く“動ける職員は3分の2なのに、仕事は30倍もある。だが、全国の警察の協力も得て、ぜひともお迎えしたい”。それだけ県民が行幸啓を待ち望んでいるということでしょう。」(宮内庁関係者)
・両陛下はそれに先立つ4月14日、千葉県旭市を訪れる。「阪神や中越でも両陛下はマイクロバスで移動し、沿道に人が出ていれば、窓を開け手を振ってらっしゃいました。広い避難所ではなるべく多くの方と話せるように、陛下が右回り、美智子さまが左回りと手分けされることもありました。」(皇室ジャーナリスト 高清水有子氏)
都内の避難所訪問がそうだったように、いずれは両陛下に倣って皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻も順に被災地入りすることになりそうだが……そこで心配されるのが、病気療養中の雅子さまの体調である。「4月6日、皇太子ご夫妻は調布の味の素スタジアムの避難所を訪問されました。雅子さまにとっては半年ぶりの公務でしたが、声も強張らず自然で、お顔も穏やか。ご病気とは見えませんでした。ただ、気になったのは到着時の様子です。入り口には両殿下の出迎えに大勢の人が集まっていましたが、車を降りた雅子さまは群衆を一瞥しただけで、微笑みもなければ手も振らずに中に入ってしまわれた。数十分前から待っていた人たちはガッカリしたでしょうね。」(宮内庁担当記者)
・その3日後の9日には学習院初等科の始業式が行われ、4年生になった愛子さまも出席されたが……。「全校生徒が集まる式に出るのは1年ぶり。“登校への不安感”をやっと克服されたのでしょう。ただ、もう4年生というのに。通学に相変わらず雅子さまが付き添っているんです。不登校問題が顕在化した昨年来、雅子さまは何よりも付き添い通学を優先されてきましたから、今後、被災地訪問が本格化しても、学校のある日は無理、ということになりかねません。」(同記者)
・「最近では、愛子さまは校門をお母様ではなく友達と一緒に出てきますし、友達と別れた後、すたすた帰ろうとして雅子さまが慌てて追いかけることも。昨秋の初等科祭でもずっと友達と校内を回っていて、ご両親とは別々でした。雅子さまの方が“子離れ”できていないように見えますね。」(ある皇室ウォッチャー)

愛子さま同様、被災地も皇太子ご夫妻の励ましを待っているのだが。 で〆。

週刊文春も立ち読みしましたが、今回は予算の都合で購入しませんでした。すみません。
訪問時間をご延長された、など概ねage記事でした。
71名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/13(水)23:23:23.21ID:ifuGsPGg0
週刊文春4月21日号 美智子皇后と雅子さま被災者との知られざる「ご交流」
読後の感想は雅子さまageで紀子樣sage。きちんとしたレポではないのでご容赦を。

愛子さまが4月9日、初等科の始業式の為、雅子さまと学校に到着したのは正門が閉まった10分後。10時台の登校が続いていた愛子さまにとって、8時半登校は一歩前進と言える。当日の下校時、傘をさしても服が濡れるほどの雨が降っていた11時過ぎに愛子さまは一人で門から出てきて傘を揺らしながら、5分ほど雅子さまを待っていた。雅子さま合流後、愛子さまの手提げ鞄を車に乗せたのでそのまま車で帰宅かと思われたが歩いて帰った。雨の中、歩いて帰るのは珍しい

皇太子と雅子さまの味の素スタジアムの慰問の様子は既出な記事のなぞり。
目新しい情報は「雅子さまの目はうるっとして涙ぐんでいるようでした。」との福島から避難してきた実名公開の47歳さん。雅子さまと話した方。

皇后陛下は、それこそご日程に発表されない知人、友人からも震災関連の情報を収集し、八面六臂のご活躍。両陛下が訪問された埼玉では、御到着時に「キャー」「天皇陛下〜!」と拍手や歓声が上がった。by地元住民
>こうしたご姿勢を受け継ごうとご熱心なのが紀子さまだ。
>「私たちも一人ひとりが出来ることを考えていきます」という言葉を決めゼリフのようにおっしゃっていました」(女性被災者)原文ママ

悠仁親王殿下のロケが3月18日千葉で静養する際に、ご成長の記録のため予定されていたが流れてしまった。着袴の儀も5月に予定されていたが延期だろう。
142名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/14(木)03:17:16.22ID:GQ0OdokP0
>>71文春、私も先ほど読みました。
私が気になったところは、

・皇太子夫妻訪問の前日、被災者たちに向けて、「(夫妻に対して)普通に話してください。プライバシーもあるので、立ち入ったことは聞かないでください」とレクチャーがあった。
・撮影は最初の5分間だけ、被災者2組だけ、の取り決めだったが、3組まで延長。これは東宮職も「歓迎」したようで、東宮にしてはサービス満点と。
・悠仁さまのご成長の記録のため、3月に撮影の予定があった。(静養先??ごめんなさい、ウロです)遊んだり自然とふれあう悠仁さまのお姿を取材陣に公開する予定だったが、それも震災の影響でキャンセルに。
・おなじく、今年予定されてる着袴の儀も延期になるのでは?
243名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/14(木)10:47:55.45ID:KN1gLUS80
同じレポ主様から文春補足がありました。

文春に補足という形で
・4年生には理科の実験で使うソーラーカーと電池のキットなどが配られ、重めの荷物だった。
・雅子さまの避難所訪問は、当日朝まで未定だった。
・記者会による撮影は最初の5分・2組までだったが3組に延長。一家族5分以上話し込み始めたので、時間がずれ込むと予想。実際45分も延長し、案内役を務めた都知事が東電副社長のブリーフィングを受けるために中座せざるを得ないほど。
以上です。
188名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/14(木)08:30:15.64ID:OQYc9A2Z0
レポ主さま、乙です
輸入します
417名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/04/14(木)08:21:36.96ID:UKAc5ccw[1/2]
歴史通5月号レポはもう少しお待ちください。
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/04/28)雅子さま「子離れ」実現に被災者への誓い
※巻頭カラーグラビア、被災児童達の笑顔の写真と、
避難所を訪問された皇后陛下・紀子様・雅子さまの順で構成された3頁あり。

・7時40分。正門前に警備担当の車着。1年ぶりの通常登校か、と期待される。8:20分、正門閉鎖。8:30分。雅子さま、愛子さまを乗せたワゴン車着。
・各クラスで3月に行えなかった修了式後、正堂で始業式。こまめに明かりを消したりコンセントを抜くなど節電に努めている愛子さまは科長の話にうなずく。
・今後の対応に活かすため、保護者には地震発生時どこで何をしていたかのアンケート配布。
・3月までの雅子さまは折りたたみ椅子持参で教室にいたが、この日は教室にも正堂にも付き添わず、愛子さま下校時まで貴賓室で待機していた。
・味の素スタジアム訪問。孫が5年生になります、と話したA子さんに徳仁氏が「愛子は4年生になります」と答えたので、A子さんは思わず「愛子さまは大丈夫ですか?」と。娘のBさんは「母はなんてことを言い出すのかと驚いた」が雅子さまからは「愛子も私ももう大丈夫です」。
〆は忘れました、済みません。 
【皇室ウイークリー】(175)両陛下、膝をつき、手を握ってお見舞い 愛子さまもご黙祷2011.4.1607:00

 東日本大震災から1カ月が過ぎ、休載していた皇室ウイークリーが、今回から復活することになった。天皇、皇后両陛下や皇族方による避難所ご訪問、自主停電といった震災以降の取り組みは随時、一般のニュース記事で伝えてきたが、今回は通常通りの「今週のご動静」とともに、3月以降のご動静をまとめて振り返ってみたい。まずは今週から。(中略)
 皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは小学4年生に進学し、9日、学習院初等科(東京都新宿区)の始業式を迎え、式典にも出席された。ほかのクラスの児童も集まる始業式、終業式などの学校行事に出席されたのは、登校の不安が明らかになった昨年3月以降初めてとみられると報じたが、宮内庁の野村一成東宮大夫の15日の定例会見によると、愛子さまは、3月に行われた「6年生を送る会」には出席されていた。
 野村東宮大夫によると、愛子さまは震災から1カ月となる11日、皇太子ご夫妻と同様に黙祷(黙●(=示へんに寿の旧字体(示壽)))をささげられたという。愛子さまは、ご自身でつけられている日程に「黙祷」と書くなど、意識して臨まれたという。書かれた文字が漢字かどうかは明らかになっていない。
 また、野村東宮大夫は、皇太子妃雅子さまが避難所を訪問されたことについて、雅子さまの担当医が「(雅子さまにとって)よかったのではないか」という感想を話していたことを明らかにした。
 ここからは、前回の【皇室ウイークリー】(174)がアップされた3月5日から4月8日までの、休載していた1カ月余りのご動静を振り返りたい。(中略)
 陛下は3月9日、セルビアのタディッチ大統領と皇居・宮殿で会見し、午餐(昼食会)に臨まれた。午餐には皇太子さまと常陸宮さまが同席された。
 宮内庁では今回から、会見と午餐の間に10分間の休憩を設けるようになった。会見と午餐を合わせると2時間を超える“長丁場”となるが、これまでは続けて行われていたという。
 皇室の国際親善を担当する式部職は「賓客のためにも調節時間が必要と判断したもので、去年から検討していた。陛下のご負担軽減が主たる目的ではない」と強調した。
 「調節時間」とは「お手洗い休憩」を意味するといい、これまでもゲスト側から午餐の前に休憩したいという申し出がたびたびあったそうだ。「余計なことを考えずに、心おきなく食事ができるように」との配慮だという。(中略)
 最後に、宮家のご動静を、今週分も含めて振り返る。
 紀子さまは3月6日、学習院女子中・高等科(東京都新宿区)を訪れ、「学習院女子中・高等科創立125周年記念式典」に臨まれた。常陸宮妃華子さまも同席された。華子さまは新校舎の視察もされた。(中略)
 昨年8月中旬から行われていた高円宮邸の改修工事が終了し、久子さま、長女の承子さま、次女の典子さま、三女の絢子さまは3月30日、仮住まいをしていた赤坂東邸から宮邸に戻られた。宮邸へのご帰還に先立ち、同日、故高円宮の霊代を赤坂東邸から宮邸に移す儀式が執り行われた。(中略)典子さまは3月20日、学習院大学(東京都豊島区)を訪れ、卒業証書を受け取られた。震災のため卒業式は中止になった。今後、成年皇族として活動されるという。(略)
606名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/18(月)00:18:20.45ID:el2jgiyF0
読売新聞東京版2011年(平成23年)4月17日(日曜日)
日曜版2面「皇室ダイアリー」No.92 皇太子ご夫妻
(本文・以下原文ママ)

 皇太子ご夫妻が中東3か国訪問に出発されたのは1995年1月20日、阪神大震災の3日後だった。
 「大変しのびない気持ちです」。皇太子さまが出発前に見せられた苦渋の表情を覚えている。
 中東情勢で2度延期され、3度目の設定。同行した旅は、日を追って拡大する被害に空気が重く、ヨルダン国王の気遣いで予定を2日早めて帰国となった。
 あれから16年。英ウィリアム王子の結婚式出席に向けた準備が進む中で、東日本大震災は起きた。静養が続く雅子さまも同行しようとされていたが、苦い記憶のある皇太子さまは、被災者のことを思い、早期に中止を決断されたという。
 4月6日。ご夫妻は東京・調布の避難所に被災者を見舞われた。「怖かったでしょうね」「お子さんはお元気ですか」。目を合わせ、何度もうなずいて被災者の話に耳を傾け、記念写真の求めにも応じられた。
 お見舞いは、予定を40分も上回る1時間10分。被災者を驚かせたのは、雅子さまが一緒だったことに加え、体育館の土足の床に、お二人が靴やブーツのまま正座されていたことだった。「こちらは畳なのに、床に正座されて……。親身に話を聞いて下さった」。興奮はしばらく冷めなかった。
(編集委員 井上茂男)
69名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/19(火)10:05:57.55ID:yrS30JHe0
レポ来てましたので輸入します。
レポ主様、いつもありがとうございます。

505:朝まで名無しさん:2011/04/19(火)08:38:27.80ID:gOyTFe6w
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/05/03)雅子さまの前で担任の先生に愛子さま「深々と2度お辞儀」の決心

・見開き2頁の記事。右下に'10年・'11年4月の愛子さまの登下校時間一覧表あり。
・4/13下校時、仲良しの女子二人と出てきた愛子さま。雅子さまと主管が立ち話を始めると主管の前へ。主管が腰をかがめて何かを話すと深くお辞儀。友人と話した後また主管のもとへ行きお辞儀。
・この日の朝8:20に正門前にSPの車。愛子さま登校30分前に来るので、1時限(9時前)に間に合うよう登校か?結局9:27の登校だった。
・「(9時前の登校だったのでは?)そういう予定だったと思う。職員はこの時間に、と言われたら行くので…」(大意・宮内庁関係者)
・水曜日1時限目は、どこの学校でもホームルームのような楽しい時間のことが多いので、愛子さまも行きたい気持ちを持ったのでは?(大意・教育評論家小木氏)
〆は忘れました、済みません。
429名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/20(水)00:18:02.34ID:nRwGGGgDO
週女の愛子さま深々と「2度お辞儀」の決心!のレポですが本文読むと、先生にお辞儀する前に友達2人とバイバイしてますね。
なので、レポにある、「先生にお辞儀→友達と3人とおしゃべり→先生のところに再び戻ってお辞儀」ではなく「先生が腰をかがめて愛子さまに何やらお話→単に挨拶かと思われたが、その後も少し3人でお話に→再び愛子さまが先生に深々とお辞儀」が事実のようです。
3人=先生と雅子さまと愛子さまですね。
71名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/19(火)10:06:38.30ID:yrS30JHe0
506:朝まで名無しさん:2011/04/19(火)08:42:29.77ID:gOyTFe6w
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊朝日(2011/04/29)負けないぞ!ニッポン/天皇ご夫婦が見せた「決意」と「象徴天皇」の形

・岩井克己氏による見開き2頁の記事。
・「あの日」の公務を済ませた両陛下は直ちに御料牧場での静養・園遊会などの日程をキャンセルし、警察庁長官・防衛大臣・放射線医学の専門家などを連日御所に呼んで説明聴取。
・3/16夕、ビデオメッセージ発信。(結びの言葉引用後)その言葉は、今後長く被災者に心を寄せ続ける決意表明でもあった。
・3/30の東京武道館を皮切りに各地の避難所を見舞い、今後、茨城、GW前後には宮城・岩手・福島を訪問予定。
・昭和天皇の玉音放送・全国巡幸を思わせる行動は、天皇として今回の大災害を「国難」と捕らえたことを物語る。
・羽毛田長官は4/13の会見で国民を案じる今上の様子を述べた後「象徴天皇がどういう役割を担うか、そして陛下がどういう形で(象徴天皇を)追求しておられるか、私どももひしひしと感じる」と続けた。

・今上は健康問題、徳仁氏一家は雅子さまの精神疾患、愛子さまの登校問題を抱え、皇室も宮内庁スタッフもどこか沈んだ空気だったが、この正念場に遭遇して両陛下の並々ならぬ決意が窺える。
・もちろん象徴天皇としての様々な制約下では関東大震災での昭和天皇のようにはいかない。しかし両陛下は疎開生活に耐え東京の焼け野原を目に焼き付けた世代。数々の災害に打ちひしがれた人々を励まし続けてきた歩みの「総決算」
・「魂は細部に宿る」という言葉を大災害報道の中で報じられなかった小さな出来事に際して何度か思った、として、帰宅困難になった勤労奉仕団に宿泊場所の提供。那須御用邸の浴室開放に際して宮内庁関係者から浴用タオル3400枚に対してバスタオル437枚しか集まらず、長期の提供にとても足りない報告を受けた今上は500枚を提供。袋詰めには紀子様・両内親王もお手伝い。悠仁様の着袴の儀も延期。
・阪神大震災で焼け跡に水仙を手向けた皇后陛下は、桜が満開の東御苑に被災者を招き、11日には両陛下が東御苑に足を運んで被災者を激励。
・両陛下のお見舞いをいただいて、疲労の極みにあった町民達にやっと笑顔が戻った。頑張ろうという気持ちに変わったと思う。(8日に訪問を受けた、福島県双葉町の井戸川克隆町長)
・東京武道館で「そっちに行ってもいい?」と皇后陛下に話しかけられた幼女は「うん、いいよ!」と明るく答え、ピョンピョンとはしゃいで「おばあちゃんだ!おばあちゃんだ!」と叫び「おじいちゃんは?」物心つくかつかないかの女の子にとって両陛下は「優しいおじいちゃん、おばあちゃん」として記憶されていたのだろう。
〆は昭和天皇以来の「国民と共に歩む皇室」の姿から踏み込んで「親しく国民の中へ」を実践してきた両陛下の長い道のりの一つの到達点ではないか、との感にうたれた。
以上です。
852名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/21(木)08:13:48.19ID:IG7qmnBn0
週刊誌レポ、来てました。輸入します。
レポ主様、いつもありがとうございます。

535:朝まで名無しさん:2011/04/21(木)08:05:53.60ID:EZZGj/J1
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/05/05)雅子さまに届いたダイアナ元妃の遺言−ウイリアム王子からの手紙に綴られ−
・3頁の記事。愛子さまは毎日登校している。雅子さまの付き添いは変わらないが新年度から大きく変化した点として、1.雅子さまは教室で授業参観をせず、下校時まで別室で待機している。2.愛子さまは今まで別室で雅子さまと昼食を食べていたが、新年度からは4時限目が終われば友達と食堂へ行き食べている。
4/19には途中からだが1時限目に間に合う登校ができたので、朝から登校ももうすぐだろう。そうすれば雅子さまの公務復帰の道にも光が。
・4/29、ウィリアム王子・ケイトさんの結婚式が行われる。英王室は両陛下の招待を考えていたが宮内庁は体調等を考えて徳仁氏夫妻へ。しかし招待状が届いた2日後に東日本震災が。
・徳仁氏夫妻はお祝いの品と欠席をわびる手紙を送った。
・ダイアナ元妃と雅子さまは無二の親友のように打ち解け、また日本に来たいと願いながらもかなわずに死去。
・王子から手紙が届き、いつか妃(ケイトさん)と日本へ行き被災地で子ども達を慰問したい。それは地雷撲滅やエイズ患者に心を寄せたダイアナ妃の意志であり遺言だろう。
・王子は3/18にニュージーランドで行われた追悼式で日本を思う発言をしている。
〆はダイアナ妃の意志は受け継がれている、だったような。

以上です。
【皇室ウイークリー】(176)「何もないけど…」被災者が折り鶴で陛下迎える 雅子さま、連続でご活動2011.4.2307:00抜粋

 皇太子ご夫妻は先週から今週にかけて、東日本大震災に関連し、説明や進講を受けられた。ご夫妻は15日、防衛事務次官と自衛隊の統合幕僚長から、震災における自衛隊の活動について説明を受けられた。21日にも、中央防災会議の専門委員で、地震や津波の専門家である阿部勝征・東大名誉教授による進講をご夫妻で受けられた。
 宮内庁の野村一成東宮大夫は21日の定例記者会見で、今後のご夫妻の被災地などのご訪問について「両陛下の被災地へのお見舞いが連休前後に検討されていることを踏まえつつ検討する」と話した。具体的な日程は「まだお話しできる段階にない」と明言を避けた。
 野村東宮大夫はまた、7月に予定されている学習院OB管弦楽団の定期演奏会が、東日本大震災のチャリティーコンサートとなることが決まり、皇太子さまが積極的に参加する意向を示されていることも明らかにした。
459名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/26(火)09:27:04.27ID:+6GEiXsX0
635:朝まで名無しさん:2011/04/26(火)09:08:44.49ID:HyvT/zgB
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/05/17)大震災が変えた運命/愛子さま−現場撮!学校への不安が再燃−

・1頁弱の記事。写真が2枚。正門前で振り返っている愛子さまのランドセルに手を掛けている雅子さまの後ろ姿と、震災前、下校で正門前の道路(?)に出ている愛子さまと斜め後ろの雅子さまを見下ろした構図。
・某日(記事中では時間も不明)ワゴン車から雅子さまが降りてから1分ほどしても愛子さまが降りてこない。雅子さまは車内に引き返ししばらくしてから二人で降りてきて院へ。愛子さまのその足取りは重そうだった。
・その前日も愛子さまのランドセルに手を掛けて付き添う雅子さま。〆は忘れました、済みません。同誌同号・美智子さま−放射能に震える地元民と<被曝の海>へ涙の黙礼!
・津波被害を受けた港で黙礼をされた両陛下。
・被災者一人一人と話を。放射能への不安と長引く避難生活に疲れていたが「大丈夫、元の生活に戻れますよ」と美智子様からの言葉で元気が出た、と81歳の女性が実名で。美智子様はずっとひざまずいて被災者と話されていたが、時折痛むのか手で押さえながら立ち上がるときも。
・昨年、原爆の恐ろしさを画いた絵本を皇后陛下に献上したとき、知識の深さに驚いた。専門書を読むなど勉強をされているのだろう。(幼少児国際教育研究所所長・久野登久子氏)
・昼食の弁当には港で水揚げされたヒラメや穴子が出されたが、今上は「コウナゴはどうなの?」
・両陛下は4/27・5/2・5/11にそれぞれ日帰りで東北を巡幸される。ご高齢で健康に不安を抱えるお二人を案じる声もあるが、強い希望。〆は忘れました、済みません。
460名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/26(火)09:27:33.19ID:+6GEiXsX0

636:朝まで名無しさん:2011/04/26(火)09:10:47.22ID:HyvT/zgB
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/0510-0517合併号)愛子さまも悠仁さまも被災者へ天皇ご一家お子さま方の「祈り」
・各地の避難所を訪問される両陛下。
・徳仁氏夫妻の強い希望で、5月下旬東北の避難所を訪問することが東宮職で検討されている。
・愛子さまは地震に敏感で揺れると「今は震度3?」と尋ねる。5月中旬の課外宿泊も中止。4/11には祈ったのだろう。
・秋篠宮家でも、眞子様はガソリン不足が懸念された頃から公共交通利用で通学に切り替え、佳子様はご両親と受けた専門家からの説明を元にレポートを出された。4/11には悠仁様も4歳なりに「祈り」を考えて祈られたのだろう。
〆は美智子様の(「皇室は祈りでありたい」)心は受け継がれている、だったような。以上です。
623名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/26(火)15:55:04.16ID:rBIgr661O
週刊誌補足します。
週刊女性
避難所訪問後雅子さまはお疲れが出たのかしばらく咳がとまらなかった(元東宮職関係者)

女性自身
愛子さまが学校に行くのを渋るようになったのは、
震災当日よほど怖い思いをしたからでは(皇太子夫妻の知人)

だそうです。

673名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/26(火)16:35:02.34ID:rBIgr661O
週刊誌レポ補足した者です。
週刊女性
皇室ジャーナリストの山下晋司氏によると、東宮夫妻の慰問がいまだ一カ所なのは
「避難所ではなく被災地を夫婦で訪問することを強く希望してる」から。
そうすると雅子さまの体調を考慮しなければならないので5月下旬頃で検討してるらしい。
とのこと。
930名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/27(水)08:16:50.63ID:iG9M7jtW0
レポ輸入します。ありがとうございます。

656名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/04/27(水)08:09:11.67ID:KoxONTYh[1/2]
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
週刊文春(2011/05/12)「消えた主役」を追え!/黒田清子さん−ご兄弟よりいち早く御所に
・約2頁の記事。今上のお子様の中で一番早く参内したのは黒田清子さん。ビデオメッセージが収録・放映された3/16。野鳥の観察で赤坂御用地にも行っているので、御所から何か言いつかったのではないか、とも。(宮内庁職員)
秋篠宮家は3/19、徳仁氏一家は3/22に参内して昼食を共にしている。また4/17に種籾まきが行われたときは、徳仁氏・秋篠宮一家と共に黒田さん夫妻も食事を共に
・黒田さんは日舞や(内親王時代の)アイメイトからも身を引いている。
・結婚直後は数人のSPに囲まれていたのですぐにわかったが、今では女性SPが一人付くぐらいなのでわかりにくい。開店直後くらいにスーパーを訪れ、じっくり見て回りながら買う。割高に思える物や値下げ品は選ばず、真ん中ぐらいのを買うので普通の主婦だな、と思っている。一回に4〜5千円くらい。
・話し方や動作が上品でおっとりしている。ドアを押さえていてもらったことも。
・軽井沢で夏休みに過ごした幼稚園が今年廃園になった。記念誌をお送りしたところ皇后陛下からお電話。黒田さんのことを尋ねたら「人様に差し上げた娘なのでなかなか(会えない)」だったようだ。(幼稚園元職員)
〆は両陛下を支える日は続く、だったような。
997名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/27(水)11:02:50.96ID:Vwdj4xgR0
原文確認。「清子さんが訪れて3日後の19日には秋篠宮ご夫妻、6日後の22日には皇太子が訪れて昼食(略)
清子さんは23日にも皇居に参内(略)」
「(略)もみまきのあと恒例の夕食会に皇太子、秋篠宮ご夫妻とともに黒田清子さんも参加し(略)」
931名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/04/27(水)08:17:32.58ID:iG9M7jtW0
657名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/04/27(水)08:11:23.53ID:KoxONTYh[2/2]
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
週刊新潮(2011/05/12)追憶の3.11/慰問「天皇陛下」を撮影する「避難所のマナー」
・1頁弱の記事。各地の避難所を訪問される両陛下。雰囲気というかオーラが違い、入場時にはざわついていた館内が静まった。
・両陛下は揺れに怯えるようになってしまった幼児の手を包むように握ったり膝を付いて話しかけてくださったが、避難者の中には胡座をかいていたり50センチぐらいの距離で携帯のカメラで撮影する若者も。
・携帯で"激写"している人には話しかけにくい雰囲気。
〆は天皇陛下と話す機会を逃してしまっている、だったような。
以上です。週刊朝日レポはもう少しお待ちください。
【皇室ウイークリー】(177)被災者の遺影を手に取られた天皇陛下 今週も皇太子ご夫妻で説明お受けに2011.4.3007:00(抜粋)

(略)
 両陛下は28日、英王室のウィリアム王子の結婚につき、エリザベス女王夫妻に祝電を発せられた。宮内庁によると、当初、結婚式に招待された皇太子ご夫妻もお祝いの気持ちを伝えられたという。(略)
 皇太子ご夫妻は今週も震災に関連し、専門家などから説明を受けられた。25日には放射線基礎医学が専門の草間朋子・大分県立看護科学大学学長、26日には斉藤正樹・東工大原子炉工学研究所教授を御所に招かれた。
 宮内庁の野村一成東宮大夫によると、ご夫妻は熱心に質問され、説明はそれぞれ2時間近くに及んだという。皇太子妃雅子さまも強い関心を持ち、長時間の説明にも疲れた様子は見せられなかったという。
 28日にはご夫妻で、近衛忠●(●は火偏に軍)・日本赤十字社社長らから説明をお受けになった。
 皇太子さまは28日、「水関連災害有識者委員会」の創設議長で、韓国元首相のハン・スンス氏ら3人と懇談された。同委員会は、皇太子さまが名誉総裁を務める国連「水と衛生に関する諮問委員会」と関係の深い組織という
 ハン氏ら3人は東日本大震災について世界の有識者が集う「水と災害に関する東京会議」に出席後、会議の内容などを報告するため東宮御所を訪ねたという。(略)
2011年5月
337名前:264=336[sage]投稿日:2011/05/01(日)00:23:13.04ID:YahIZGUh0

再度テーミス5月号のレポします。

天皇陛下の「伝言」に対して
皇太子さまの「覚悟」−皇室崩壊は防げるのか
 両陛下が御所のブレーカーを落とされたり被災者を訪問される中、次世代皇室の行方は

【ネット上で本誌記事が議論に】
○ 震災後の両陛下のご様子を紹介(ブレーカー落として節電、千葉県旭市での慰問、連休後には岩手・宮城・福島を見舞われる予定。お見舞いを受けた現地では「感激」の声が多い)
<宮内庁関係者の解説>
 ・両陛下のお気持ちは『国民と苦楽を共にしたい』>『励ましたい』
  ブレーカーを落としたのも、被災地の人々の“極寒”を体験されよういう姿勢の表れ。
 ・震災直後から両陛下は被災地を一日も早く訪問されたがっていた。
 ・不便な生活を強いられている被災者の気持ちに寄り添おうというのは、皇室本来の気持ちにつながる。○ 心配されている皇太子夫妻の「被災地訪問」「愛子さま問題」
 ・編集部は4月号にて「皇太子夫妻は“公務”より“私事”を優先しているのではないか」と明確に指摘。結果、賛否両論(賛成の声が多かった)で、 ネット上で大いに議論が高まった。<皇太子夫妻による味スタ訪問の様子>
 ・雅子さまが被災者を見舞うのは、阪神・淡路大震災以来、実に16年ぶり。
 ・当初予定されていた1時間を45分もオーバーし、床に正座し、すべてのグループに声をかけられていたという。
 ・30代女性の話(福島県浪江町から子供2人を連れて避難)
  「雅子さまとお話しできるとは思わなかった」
  「雅子さまは小2の次女が近くの小学校に転校したことを知ると、次女に『学校は楽しいですか。お友達はできましたか』と優しく聞いてくださった」
  「ご自身もご病気なのに、ご体調も顧みず来て下さったと思うと申し訳なくて…前を向いて頑張ろうと思った」
 ・8歳男の子の話(福島県いわき市から避難)
  「雅子さまは『何年生ですか。頑張ってね』と、僕に直接声をかけてくれた」
  「雅子さまはキレイなオバチャンだった」
  「うちのお母さんとおばあちゃんは雅子さまとお話しできたのが嬉しくて、泣いちゃったよ」
 ・被災者の目をまっすぐ見つめて話を聞いたり、ケータイでの記念撮影に応じる気さくなお見舞いで励まされた被災者は多かった。【皇太子ご夫妻の予定は立たず】
 皇太子夫妻の次のお見舞いの予定は発表されていない上、専門家による震災関連の説明すら受けていない(4/19現在)
○ 新学年が始まった愛子さまの様子
 <始業式の日(4/9)>
 ・朝8時半に登校(「通学問題」発覚後、一番早い登校。)
 ・始業式に出席(欠席続きだった)
 ・強風と氷雨の中、傘をさして徒歩で下校(これまでは、晴天の日にはたまに徒歩で下校)→付き添い問題に何らかの変化があるのではと周囲は期待
 <授業開始の日(4/12)…10日(日)が入学式だったため、11日(月)は代休>
 ・朝9時50分に登校。雅子さまに付き添われて2時間目から
 <4/13の様子…学習院関係者の話>
 ・警備の車が8時20分に到着、このため8時50分開始の1時間目に間に合うように登校されると思っていた(宮内庁関係者も「今日は1時間目から登校されると聞いている」と発言)
 ・でも実際の登校は9時半過ぎ(雅子さま同伴)、下校は午後4時過ぎ。
 ・愛子さまは全校児童が下校してから友達2人と校門の外に出てきた。
 ・雅子さまと担任の先生は、外でも長い間立ち話していた。 <皇室ジャーナリスト・松崎敏弥氏の話>
 ・いまだに愛子さまは一人で登校できる状態ではない=雅子さま付添再開
  → 夫妻揃っての震災お見舞いが後回しになってしまう可能性が高い。
 ・皇太子一人でお見舞いに赴いた方がよいと思うが、皇太子は二人一緒にとの思いが強く、  なかなか一人で赴く決断ができないのだろう。
 ・お見舞いは普通の公務と違って、自発的なアクションがなければ実現しない
  =側近が御膳立てしてそれに沿うようなものではない。
 ・あくまでも愛子さまの通学が最優先という雅子さまの姿勢が当分続くならば、次はいつ
  お見舞いに赴くかわからない。【秋篠宮ご夫妻の存在が高まる】
○ 英国・ウィリアム王子の結婚式について、震災を考慮して出席見送り
 ・結婚式出席は“公務”だが、雅子さまの病気療養に有効という説もあり、“私事”的要素が含まれているという見方も強かった。
 ・夫妻にとって英国は互いに留学時代を過ごした特別な地なので、欠席の決断はつらかっただろう。(宮内庁関係者)
 ・3/19の江戸川区での愛子さまのスケートもキャンセル

○ 秋篠宮ご夫妻、4/14に新潟県長岡市と小千谷市にある避難所を訪問
 <皇室担当記者の話>
 ・あまりお見舞いに赴いていない皇太子夫妻に比べて、秋篠宮夫妻は複数の被災地を訪問されている。
 ・4/2には皇太子・秋篠宮両夫妻が両陛下を訪問され、お見舞いについて話し合われたと見られている。
 ・おそらく秋篠宮夫妻はマイペースな皇太子夫妻に遠慮せず、自発的に動こうとしているのではないか。
 ・震災を契機に、秋篠宮夫妻の存在感がますます高まると思う。
編集部〆震災を機に両陛下が示されたさまざまな姿勢は、皇太子夫妻に向けられた“伝言(メッセージ)”でもある。今後は皇太子の“覚悟”が問われるのではないだろうか。
【皇室ウイークリー】(178)両陛下ご宿泊のホテルもなくなった… 皇太子ご夫妻もきょう避難所へ 
2011.5.707:00(2/3ページ)

(略)
 皇太子ご夫妻はきょう7日、埼玉県の三郷市立瑞沼市民センターを訪問される。皇太子妃雅子さまは当日のご体調次第となるが、実現すれば、ご夫妻での避難所訪問は4月6日の味の素スタジアム(東京都調布市)に次いで2回目となられる。
 ご夫妻の長女、敬宮愛子さまのご通学には、現在も雅子さまが付き添われている。7日は土曜日。学校が休みであることが、避難所ご訪問の日がこの日になった理由の1つのようだ。
 震災関連では、ご夫妻は4月28日にも、お住まいの東宮御所で、今回の大震災に関する日本赤十字社の活動について、同社社長らから説明を聞かれた。
 宮内庁の野村一成東宮大夫は6日の定例会見で、ご夫妻での東北地方訪問についても調整を行っていることを明らかにした上で、「一番のポイントは現地の事情。両陛下は被災地(訪問)が現在進行中ですから、その辺も併せて考えないといけない」と述べた。
 また、訪問場所や交通機関、時期について具体的な質問が出ると、「現地の関係する方々のご判断によるところが大きいのでは。それとアクセスの問題と、両方バランスを取っていかなければいけない」。現地の要望を勘案しながら、極力警備面などで現地の負担にならないように配慮する、というご意向のようだ。
 また、4月29日にイギリスで行われたウィリアム王子の結婚式についても質問が出たが、「両殿下との間で、その件は話題に致しておりません」とシャットアウト。中継されたテレビをご覧になったかどうかも明らかにならなかった。(略)
845名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/09(月)11:44:24.63ID:DlOa7CUR0
レポ輸入。
レポ主さんいつもありがとうございます。

887名前:朝まで名無しさんメェル:sage投稿日:2011/05/09(月)08:07:48.66ID:VdwEJlhO
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/05/24)美智子さま、慈しみのまなざし−東北地方をご訪問、被災者に癒しと希望を
・巻頭モノクログラビアの1頁

女性自身(2011/05/24)キャサリン妃、「雅子さまの苦悩」が生んだ英国王室長男の嫁特別シフト!
・見開き2頁の記事。キャサリン妃の初公務は6月の慈善団体主催のパーティー出席。7月にはアメリカ・カナダを訪問。ベッカム選手主催のパーティーに招待されている。
・英空軍の救助ヘリのパイロットとして勤務するウィリアム王子と、勤務地の島で家賃約10万円の家を借りて生活。最小の警備。
・王室は2年間は公務を優先させない方針だが、ダイアナ元妃が直後から公務が続きとまどったことが(のちの悲劇に)特別シフトの理由ではないか。
・雅子妃は1ヶ月後から分刻みの地方公務で壇上でウトウトする姿も。
・キャメロン首相は4/19、王位継承に関する法律の改正に言及。欧州王室は長子継承が全体の流れの中で、英王室は日本と同じように男子継承を優先させていることに批判があり、ウィリアム王子夫妻に長子誕生前に法改正を目指しているようだ。
・渡辺みどり氏による、「日本のダイアナ」雅子さまの苦悩の解説。
・5/7に皇太子夫妻は埼玉県三郷市の避難所を訪問予定。
4/6の味の素スタジアム訪問以降2度目となるが、2日続けて専門家から説明を受けている。
〆は忘れました済みません。
以上です。今回からレポでは「徳仁氏・雅子さま」を止めてみました。記事本文に近づいたかと思います。
221名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/10(火)11:30:23.71ID:4Mr9VWvw0
雑誌レポ輸入。
レポ主さまいつもありがとうございます。

週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
SPA!(2011/05/17)これでいい/一時はいろいろ言われたけれど、やっぱり皇室あってよかったね
・坪内祐三(T)、福田和也(F)、両氏の対談。
F・・天皇陛下がいてくださってよかったって感じ。震災4日後にビデオメッセージがあって、今美智子妃殿下と一緒に被災地を回られてる。あれで雰囲気が変わった。
T・・(味の素スタジアム訪問に触れた後)雅子妃、これで元気になるのでは?
T・・ナマズの殿下、髪染めたよね。言葉を覚え始めた息子さんに何か言われたのかね。
F・・(紀子妃タオルの袋詰め報道に触れた後)そういう仕事は昔からの慣習。
T・・そういえば美智子妃は日本赤十字の名誉総裁だもんね。
T・・今回は原発問題があるからさ、両陛下が被災地回るのに、放射能が議論になったんじゃないかな。
F・・まぁで、も皇室はほとんどそういうことはソロバンの中に入れないから。
F・・佐藤優さんが「3/16のビデオメッセージは統帥権の発動だ。翌日から急にハイパーレスキュー隊が動き出した」って言ってたな。07年から川島裕っていう元外務次官のヤリ手が侍従長で、皇室の振り付けはその川島がやってる。これは本当に怖い人らしい。
T・・ああいう天皇の”お言葉”というのは、誰が原稿を書いてるんだろう。
F・・たぶん原稿も川島さんだと思う。そういえば今、小泉純一郎待望論がやっぱり出てる。がっつり空気を変えられるのは小泉しかいないって。
T・・今日4/29は昭和天皇の誕生日だけど、昭和天皇って現人神的な"天皇力"がすごく強かったじゃない?オレは今上天皇の天皇力には疑問を持っていたんだけど、人間としてすごく立派な方だと思う。
F・・今回の震災で国民がどれだけ励まされたかを考えると、少なくとも50年は皇室は大丈夫。
(後略)
〆は、T・・こういうリアルタイムでの雰囲気って活字だと5年後、10年後に貴重な資料として残ると思うんだよね。ツイッターやブログは後で修正できちゃうから。
223名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/10(火)11:33:05.07ID:4Mr9VWvw0
もう一つ。
レポ主さまありがとう。

>外出のため文藝春秋6月号のレポは後ほど上げたいと思いますが、かいつまむと。
・両陛下が迅速かつ精力的にお見舞いされているのに皇太子夫妻が行かないのは雅子妃が公務に行きたがらないのでは、と見方があるが事実ではない。熱意があっても千代田側の判断や受け入れ先の都合など順番があるため。
・雅子妃は教師や母親達ともコミュニケーションを取ろうと心がけている様子。
・親の子どもへの関わり方は年齢によって違ってくるという。一年以上経過した今こそ、雅子妃が校門までは見送られても、くるりと背を向けて車に乗り込んでいただきたいとも願っている。
・愛子様は大きな地震があったとき、誰がどの生き物を抱いて保護するか悩んでいる(犬は大きくて抱っこできない、猫は捕まえるのが大変、亀は外にいるのでどうするか)。
・愛子様は(義捐金や寄付が送られている中)自分で何ができるか何日も考えて折り鶴を数羽折った。
以上です。
週刊女性に皇室関連の写真・記事を見つけることはできませんでした。
629名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/11(水)08:51:43.58ID:4OeHYNOR0
>>614レポ輸入させていただきます。

月刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
文藝春秋(2011/06/01)雅子妃、被災者とともに回復す−避難所訪問で被災者からの言葉に励まされた1/4
・友納尚子氏による6頁の記事。
・味の素スタジアムを訪問した雅子妃は、深い悲しみの中でも懸命に生きていこうとする姿は言い表せないほど感銘した、と知人に感想を述べた。
・半年ぶりの外出公務、16年ぶりの避難所訪問は大きく報じられ、雅子妃の回復がはっきりと現れた日でもあった。
・3/11。皇太子一家は東宮御所で過ごしていた。
・雅子妃と愛子様は初等科から帰宅直後。愛子様は「6年生を送る会」に出席し、自信に満ちあふれた表情で内容を何度も雅子妃に伝えた。
・2時46分。地震発生。雅子妃と愛子様はその場に座り込む。愛子様は皇太子を呼んだというが別室で聞こえず。雅子妃は愛子様をテーブル下へ避難させ皇太子の元へ。同時に別室から皇太子が出てくる。二人は揺れの続く中、脅える愛子様を宥める。
・皇太子はいつまでも収まらない地震にただならぬ異変を感じ取った。雅子妃にしばらく愛子様をしっかりと抱き離れないこと、机などの下に隠れるよう指示すると両陛下の安否を確認。
・皇太子は70人からなる東宮御所を束ねる長としての職責がある。敏速で冷静な対応に努めた。
・皇太子は報道以上に被害が広がっていることを心配し、すぐにでも避難場所に行く意志があることを職員に伝えた。
・深夜になっても皇太子夫妻は被災地の情報をくまなくチェックする作業を続けた。侍従達に震源地と震度を再確認し自らも活断層を調べる
・後日、関係者などから進講を受け、国民の被害状態を懸念し続けていた。荒れ果てた地や死者行方不明者が増えていく悲惨な状況を見聞きするのは、心の病を抱える雅子妃にとって健常な人よりショックの強いことだったのではないか。
・震災直後の雅子妃は想像を絶する被害状況や度重なる余震から抑鬱的な気分になった日があったと言われている。一方で妃殿下としての義務感から被災者を見舞いたいという強い気持ちからすぐに前向きな気持ちに切り替えることができたそう。震災直後から皇太子と一緒に避難所訪問を望んでいた。(東宮関係者)
・だがこれまでの症状からすれば、訪問実現のために越えなければならない二つのハードル。一つは被災者と至近距離で接して長時間励ますことができるか。二つめは大きな緊張感を伴うことがある病気の性質から、大勢から突然、しかも近くからの声かけや見られることが負担になるのではないか。
・オランダ訪問の際には外国人カメラマンが声を掛けながらシャッターを押したためリラックスした表情ができたが、日本のカメラマンは無言で撮影することが多いためストレスを生じていた。
・東宮職から報道側に説明しておけば無問題。御会釈・園遊会への出席が無理なのも同じ理由。
・避難所訪問については主治医の大野氏に相談。(本人は)バッシング報道などから妃殿下として人気がないと思っている。被災者を励ますことができれば逆に自信につながるのでは(宮内庁記者)
・両陛下が迅速かつ精力的にお見舞いされているのに皇太子夫妻が行かないという批判、また、雅子妃が公務に行きたがらないのでは、という見方があるが明白に事実ではない。熱意があっても千代田側の判断や受け入れ先の都合、両陛下お見舞いの日程や場所などの兼ね合いなど順番があるため勝手に行けない。
・東宮御所では昼間でも薄暗い場所があるが時間制限をしてブレーカーを落としている。愛子様も「節電、節電」と言いながらスイッチを切ったりコンセントを抜くなどちょっと忙しい。「昼間はほとんど電気が付いていない。両殿下は毛糸の洋服で非常に厚着をしていた」(野村東宮大夫)
・3/22。NZ地震の犠牲者へ「ご黙祷」。漢字の成り立ちや言葉の意味に関心がある愛子様は意味を両殿下に尋ね、4/11には予定表に「黙祷」と書く。
・雅子妃避難所訪問の発表は当日朝。到着時には緊張した様子だったが、被災者と話し始めると迷いやためらいは感じられなかった。予定時間をオーバーし板の間で正座し続けて励ます姿に被災者は涙した。
・被災者と笑顔で(携帯電話の)写真に写る雅子妃は(公園デビュー)その頃とは別人のよう。静養中に初めて国民と長く対話した日でもある。取材を続けている筆者にとってここまで回復を実感したのは初めて。
・毎年出席の5月のみどりの愛護のつどいに出席して、6月には被災地に行くのではないか。 (前出・宮内庁記者)
・理想は静養中に負担がないように公務を増やしていきいつの間にか復帰。今回の訪問は大きく復帰に踏み出したと言ってもいい。(宮内庁幹部)
・雅子妃にとって愛子様の不規則登校も気がかりだろう。妃は教師や母親達ともコミュニケーションを取ろうと心がけている様子。長期休みには多くの友人を招くが、去年の夏祭りには「乱暴男子」まで招いていた。学校の指導もあり、乱暴男子達も落ち着いて仲良く過ごすように。(同級生母親)
愛子様は2時間目の授業から出席することが目立つように。9時台に登校し6時間目の授業をうけてから徒歩で下校することも。(女性誌記者)
・愛子様の心は想像以上に傷ついたため通常登校ができるまでに時間が掛かっており、夫妻も焦らずに見守る考え。
・だが親の子どもへの関わり方は年齢によって違ってくるという。一年以上経過した今こそ、雅子妃が校門までは見送られても、くるりと背を向けて車に乗り込んでいただきたいとも願っている。今回の訪問をきっかけに進講や国連大学の受講再開という話を野村氏の会見から聞けることが楽しみ。
・春休みの愛子様は節電で薄暗い室内で楽しそうに遊び、外へ出たのは雅子妃と犬の散歩に出たときくらい。
・愛子様は大きな地震があったとき、誰がどの生き物を抱いて保護するか悩んでいる(犬は大きくて抱っこできない、猫は捕まえるのが大変、亀は外にいるのでどうするか)。
・4/11、愛子様は夫妻と共に初めての「ご黙祷」。(義捐金や寄付が送られている中)自分で何ができるか何日も考えて折り鶴を数羽折った
〆は両陛下から受け継がれた国民への想いは夫妻を通じて受け継がれている。
638名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/11(水)08:55:25.47ID:4OeHYNOR0
933:朝まで名無しさん:2011/05/11(水)08:24:30.00ID:0Zv/ZttV
外出のため週刊新潮のレポは後ほど上げたいと思いますが、かいつまむと。
・日帰りで避難所・被災地訪問を精力的に行う両陛下は移動のマイクロバスの中でも中腰で手を振り続けられていた。かなりのご負担だったのでは。
・皇室の慣例で両陛下、皇太子夫妻、親王夫妻という順にお見舞い。4/6に皇太子夫妻の見舞いが実現すると ("制約"から)待ちかねたように 秋篠宮両殿下も翌日の避難所訪問を皮切りに日帰りで計4回。
・雅子妃は今回、真摯に立派に対応した(久能靖氏)が、逆に避難民から気遣われる場面が多く、両陛下には「有り難い・嬉しい」が返るが、雅子妃はむしろ避難民に「申し訳ない」という気持ちを抱かせてしまった。(神田秀一氏)
・警備の物々しさが気になる。前後に黒塗りやパトカー6台が連なり、夫妻の乗るワンボックスカーの窓カラスは黒く半分ほどしか開けないため、中で雅子妃が手を振ってもよく見えない。周辺には数十人の警官が配置。避難民が携帯電話で写真を撮ろうとすると「写メは撮らないで」と大声で叫ぶ。(皇室ジャーナリスト)
・市民センターでは事前に館内放送で写真と握手は厳禁。夫妻の意向かはわからないが両陛下とのあまりの違いに違和感。

・両陛下は車列を作らないようにヘリポートの有無が条件だが、夫妻は雅子妃の体調次第に加えて付き添いのため、学期中は週末しか設定できない
---------------------------
レポ主さま、有難うございました。
278:可愛い奥様:2011/05/12(木)08:44:25.26ID:zIdRzFok0
レポ輸入。レポ主様ありがとうございます。

979名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/05/12(木)08:33:04.12ID:mlIrV+bk
>>970、スレ立て乙でした。
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/05/26)野球談議に花咲いて、懸命のお姿に涙あふれ−被災者お見舞いの旅
・巻頭モノクログラビア見開き。左に皇后陛下、右に雅子妃@避難所。右下に小さく後ろ向きで靴を脱ぐ雅子妃の全身。

同誌同号 雅子さま「私の娘も・・・」、被災者にかけた<再起>のお言葉
5/6、初等科では「1年生を迎える会」が正堂で行われ、1時間目前に登校した愛子様は上級生らしく見守っていた
・雅子妃は付き添いで登校したが別室で待機。
・5/7、三郷市の市民センターを皇太子と訪問。
妃の学生時代のソフトボール部活動や野球談義で話が弾み、1時間半の予定が約3時間に。
・女性が10年前に勤労奉仕で東宮御所の除草を行ったことを知ると、(緊張で話題に出来なかった)皇太子に「殿下、よろしいですか」と声を掛け、引き返した皇太子に説明。
・愛子様のことを触れた女性には「私の娘もいろいろあったが少しずつ進んでいる。共に頑張りましょうね」
〆は忘れました済みません。
以上です。
708名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/13(金)12:12:21.81ID:Jevt7/wV0
文藝春秋 六月特別号176頁「雅子妃 被災者と ともに回復す」友納尚子(ジャーナリスト)
避難所訪問で被災者からの言葉に逆に励まされた…

 四月六日、東日本大震災の避難所「味の素スタジアム」(東京・調布市)を初めてご訪問された皇太子ご夫妻。雅子妃殿下は、後日、お見舞いの感想を、避難された方々の声を聞くことができて本当に良かった、深い悲しみのなかでも懸命に生きていこうとする姿は、言葉で言い表せないほど感銘しました、と知人に述べられたという。雅子妃が皇居外のご公務にお出掛けになったのは、半年ぶりだった。さらに震災被害者のための避難所へのご訪問は、阪神・淡路大震災以来、十六年ぶりのことになる。皇太子ご夫妻がひざまずかれて被災者を励ます姿は、ニュースでも大きく取り上げられ、雅子妃のご回復がはっきりと現れた日でもあった。
 東日本大震災が起こった三月十一日、皇太子ご一家は、東宮御所で過ごされていた。
 雅子妃と愛子内親王は学習院初等科から帰宅されたばかり。愛子さまは、不規則登校になって以来、初めて、全校生徒が出席する行事「六年生を送る会」にご出席になり、その後、自信に満ち溢れた表情で何度も行事内容を雅子妃にお伝えになられたという。雅子妃も愛子さまが一歩前進されたことを心から喜ばれていたに違いない。
 午後二時四十六分。東京を震度五強の地震が襲った。雅子妃と愛子さまはその場に座り込まれたという。愛子さまは皇太子を呼んだというが、別室にいた皇太子に声は届かない。
 雅子妃は、愛子さまをテーブルの下に避難させ、すぐに皇太子のもとへ。すると、同時に別室から皇太子が出てこられたそうだ。揺れが続く中、お二人は脅える愛子さまのお側に行き宥められたという。
 皇太子は、いつまでも収まらない地震にただならぬ異変を感じ取られた、といわれている。
 そして、雅子妃にしばらく愛子さまをしっかりと抱き離れないことと物が落ちてきた時のために机などの下に隠れるよう指示をされると、すぐに天皇皇后両陛下の安否を確認されたという。両陛下をはじめ秋篠宮ご一家など皇族方がお変わりないことを確認すると何よりも安堵されたそうだ。
 皇太子には七十人からなる東宮御所を束ねる長としての職責がある。周辺によれば、敏速で冷静な対応に努められたという。東宮御所の地震による被害は、「グラスが二、三個割れて書類や書物などが落ちた程度だった」と宮内庁関係者は語る。が、皇太子ご自身は、テレビのニュースをご覧になり、全国の被害の大きさに愕然とされたそうだ。定例記者会見に向う途中だった野村一成・東宮大夫も急いで電話を掛けてきた。
 皇太子は、ニュース報道以上に被害が広がっていることを心配され、すぐにでも被災者たちが避難している場所に行く意志があることを東宮職に伝えたといわれている。

すみませんでした。もう終わりにしておきます。
お目汚しいたしました。
【皇室ウイークリー】(179)両陛下、福島の野菜でご昼食 被災者に雅子さま「私もソフトボールを…」2011.5.1407:00

(略)
 皇太子ご夫妻は7日、福島県広野町などから避難する人々を見舞うため、埼玉県三郷市の瑞沼市民センターを訪問された。ご夫妻が避難所を見舞われるのは、4月6日の味の素スタジアム(東京都調布市)に続き2回目。ご夫妻は膝をつき、目線を合わせて一人一人に声をかけ、予定を1時間20分ほどオーバーして避難所に滞在された。
 皇太子さまは避難生活が長引く人々に「いつかお帰りになれるといいですね」「一時的にはお帰りになる機会はあったんですか」と気遣われた。
 皇太子妃雅子さまは子供たちに優しく声をかけられた。広野町から避難する鈴木拡樹くん(9)が三郷市の少年野球チームで野球を続けているという話を聞くと、「私も高校生のときソフトボールをしていたんですよ。ポジションは?」とお尋ねに。校外学習が楽しみと話す中学1年の遠藤琢矢くん(12)には「天気がいいといいですね」と話された。
 寝そべって絵を描いていた3歳の女の子の足が、お声がけする皇太子さまの膝にあたる場面もあったが、皇太子さまは「どうぞどうぞ、(足を)伸ばしてね」と語りかけられ、周囲に笑いが広がった。
 宮内庁の野村一成東宮大夫は12日の定例会見で、被災地入りを希望されているという皇太子ご夫妻の今後の予定について、「これまでの説明に付け加えることはございません」と、具体的な計画が固まっていないことを明らかにした。「受け入れ先になる現地の事情を十分に踏まえ、慎重に調整している」としている。
 皇太子さまは13日、空路で富山県に入られた。14日に富山市で開かれる「第22回全国みどりの愛護のつどい」出席のためで、13日は同市の「八尾曳山展示館」を視察された。前述のように、雅子さまは4月6日の東京都調布市に続き、5月7日にも埼玉県三郷市の避難所を訪問されていたが、今回は皇太子さま単独でのご訪問となった。
 一方、野村東宮大夫と学習院初等科の関係者によると、ご夫妻の長女の敬宮愛子さまは、最近では以前より早く、2時限目から登校されることが多くなっている。先週の6日には1時限目から通学するなど、学校におられる時間が長くなっている傾向がみられるが、雅子さまが登下校に付き添われる状況に変化はないとしている。
 宮内庁は12日、両陛下のご意向を受け、栃木県内に避難する被災者のために始めた那須御用邸の職員用宿舎の温泉施設の提供と、御料牧場で採れた卵などの避難所への提供を終了すると発表した。栃木県内に避難する被災者の多くが、旅館やホテルなどの二次避難所に移ったため、県と相談の上、終了することにしたという。宮内庁によると、温泉施設は3月26日から4月19日までの間、9カ所の避難所から延べ449人が利用。御料牧場の卵や缶詰は6カ所の避難所に提供された。
 各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。
 秋篠宮ご夫妻は9日、お住まいの宮邸で警察庁警備局長から、11日には防衛省運用企画局長と統合幕僚監部運用部長から、東日本大震災に関連しそれぞれ説明を受けられた。(略)
皇太子さま迎え「みどりの愛護」のつどい2011年05月14日

 皇太子さまをお迎えして富山市の富岩運河環水公園周辺で全国「みどりの愛護」のつどいが14日に開かれ、全国で緑化活動に取り組む功労者が表彰されました。
 皇太子さまをお迎えして富山市総合体育館で行われた式典には全国で地域の緑化活動に取り組む団体の代表など約1500人が出席し、初めに出席者全員が東日本大震災の被災者に対して1分間の黙とうを捧げました
 式典では花作りに力を入れている富山市の「救護施設八尾園」など全国101の団体が国土交通大臣表彰を、また「高岡バラ会」など県内31の団体が知事表彰を受け、皇太子さまは「緑の愛護活動への取組は大変意義深いものであり、皆さんの努力に対し深く敬意を表します」とお言葉を述べられました。
 そして、富岩運河環水公園では皇太子さまがソーラー船にお乗りになった後、芝生広場で大畠国土交通大臣や功労者の代表とともにエドヒガンザクラなど5種類の桜20本を記念植樹しました。
 また、会場には東日本大震災の被災地から富山県に避難している被災者のうち、5世帯が招待され、皇太子さまが激励されました。
 子どもの転校や親の就職などで富山に定住することを決めている家族もいるということです。
 皇太子さまは「仕事が見つかって良かったですね」「お元気で体に気をつけて」などと声をかけていらっしゃいました。
 皇太子さまは14日夕方、富山空港発の東京便で富山を離れられました。
・動画の中で、インタビューされた家族(福島県大熊町から非難)が「小学校の運動会が22日の日にあるんですけど、そのときにリレーの選手に選ばれましたって話をしましたら、うちの愛子もリレーの選手なんですよって、頑張って走ってくださいねってことを話しされました」と発言
愛子さまに学習指導係採用2011年5月16日(月)15時44分配信 共同通信

 宮内庁は16日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)=学習院初等科4年=の個人学習を指導する御用掛として、東京都の元公立小教諭、糸川順子さん(56)を採用した。宮内庁によると、長年の教職経験が期待されているほか、学習院側との事務連絡も担当する。愛子さまは学校への不安感をきっかけに、昨年春から雅子さまが付き添って時間を限った通学を続けている。御用掛は専門知識を生かして皇室を支える非常勤の国家公務員。
愛子さまに家庭教師役 御用掛に元公立小教諭・糸川さん2011年5月17日5時4分

 宮内庁は16日、皇太子ご夫妻の長女で学習院初等科4年生の愛子さま(9)の学習を指導する糸川順子さん(56)(ごようがかり)として、東京都の元公立小学校教諭、糸川順子さん(56)を採用した。学校と連絡調整をとりつつ家庭での学習指導にあたるという。御用掛は非常勤の国家公務員。過去には紀宮清子(さやこ)内親王(現・黒田清子さん)にも家庭教師として御用掛を採用している。
 愛子さまは昨年3月から、雅子さまが付き添う形での登校が続いている。
皇太子さま:6月にドイツ訪問へ 震災考慮し日程短縮毎日新聞 2011年5月17日 2時33分(最終更新 5月17日 10時02分)

 皇太子さまが6月21日から25日までドイツを訪問することが分かった。当初は8日ほどの日程だったが、東日本大震災を考慮して短縮された。療養中の皇太子妃雅子さまは体調を考えて同行しないと見られる。
 今年は「日・プロイセン修好通商条約調印150周年」に当たる。日独両国で交流事業があり、皇太子さまとウルフ独大統領が名誉総裁に就いている。外務省関係者によると、皇太子さまは大統領やメルケル首相を表敬訪問するほか、大統領主催の晩さん会や150周年記念式典に出席する。
443名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/17(火)08:49:41.72ID:2IlZDzNF0
レポ来てましたので輸入します。レポ主さん、いつもありがとうございます。

68:朝まで名無しさん:2011/05/17(火)08:40:12.68ID:7nuLDf1f
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/05/31),美智子さま、被災地に行かない雅子さまへ福島から送った「嘆きの野菜」!
・被災地で細やかな心遣いをされる皇后陛下のエピソード紹介。
・風評被害で苦しむ農家を気遣い、県側が献上予定で用意していた野菜の詰め合わせ3箱を私費でお買い上げ
・両陛下、東宮家、秋篠宮家で使用のためだが、被災地を訪問しない東宮家へ奮起の意味合いも込められているのでは。
・両陛下、東宮家、秋篠宮家の順番で行動(被災地訪問)が慣例となっているが、5/10に秋篠宮家が青森の被災地を訪問されたのは、東宮家の予定がなかなか決まらず、慣例を崩さざるを得なかったため。
・東宮職は数度、被災地訪問の予定を提案したが実現しない。愛子様の登校に不安があるため。
・5/9、雅子妃は初等科管弦楽部入部希望者のための保護者向け説明会に出席。担当教諭は「練習に参加でき部の調和を乱さないこと」が希望者に望まれると説明。朝2回、放課後1回が毎週、月2回土曜日練習。
・この週に(入部希望)児童向けの公開練習があったが、愛子様は欠席。4年生の活動は6月からだが大丈夫なのか(大意)
〆は愛子様の登校に不安を覚える雅子妃に皇后陛下の心遣いは伝わるのか、だったような。
444名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/17(火)08:50:34.13ID:2IlZDzNF0
レポ続きます。

69:朝まで名無しさん:2011/05/17(火)08:42:23.76ID:7nuLDf1f
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/05/31),美智子さま、頑張ってポーズと金一封
・ご高齢ながら今上と共に強行軍の被災地訪問を続けられる皇后陛下。余震に脅える女性の手を握って声を掛けられたり、この花のように頑張りたい、という被災者にその水仙を頂けるか、と尋ね受け取る。
・このような細やかな心遣いは皇室に入られてからだけではなく、家庭と学校での教育によるもの(渡辺みどり氏)
・両陛下は金一封を贈られている。
〆は忘れました済みません。
393名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/19(木)11:24:25.57ID:WbOgypP/0
雑誌レポ輸入。
レポ主様いつもありがとうございます。

週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/06/02),頁:39
美智子さま、側近が明かした「命懸けの決意」−被災地ご訪問直後に・・・
・1頁の記事。
・体育館の隅で4ヶ月の子どもをあやしていると皇后陛下が歩み寄って言葉を掛けてもらい感激した。
・7週連続で被災地を訪問されたが、どうしたら被災者と同じ気持ちになれるだろうか、東北3県を回ったがまだ一握りでしかない、と相談。体調を案じて「ご無理のない範囲で…」と答えたところ「今はそんなことを言っている場合ではない」(側近)
・両陛下は地図を広げ次の訪問地について相談されているようだ。
〆は忘れました済みません。

週刊朝日(2011/05/27)和歌でたどる天皇家「祈りの心」−阪神・淡路大震災、東日本大震災・・・
・永井貴子記者の記事。古来から災害に多く見舞われた日本と皇室の歴史について。
・明治天皇は被災地を視察させた部下からの報告が当日上がらないと不機嫌になった。
・関東大震災で摂政宮と秩父宮が被災地を見舞ったのは大正デモクラシーの時代で、このままでは皇室消滅につながることを(牧野大臣が)恐れた宮中事情があったのではないか。(大意)
・大正天皇と貞明皇后の動きと御製御歌。
・それまで宮中ではハレを詠むことが慣習となっていたが、昭和天皇は地震などの災害を題材にすることでリアリズムを持ち込んだ。(大意・岡野邦彦氏)
〆は忘れました済みません。
以上です。
皇太子ご夫妻宮城県を訪問へ5月20日11時49分

 皇太子ご夫妻は、東日本大震災の被災者を励ますため、来月初めにも甚大な被害を受けた宮城県を訪問される見通しとなりました。東日本大震災を巡っては、天皇皇后両陛下が、先週まで7週連続で東北3県の被災地などを訪問され、今月下旬には、秋篠宮ご夫妻が岩手県を、三笠宮寛仁さまが宮城県を、それぞれ泊まりがけで訪問されるほか、常陸宮ご夫妻と高円宮妃の久子さまも避難所や被災地を訪問される見通しです。
 皇太子ご夫妻は、震災の被害の大きさに深く心を痛め、先月と今月の2度にわたって東京と埼玉の避難所を訪れ、被災地から避難してきた人たちを励まされました。ご夫妻は、一日も早い被災地への訪問を望まれていて、宮内庁が県などと調整を進めた結果、来月初めにも甚大な被害を受けた宮城県を訪問される見通しとなりました。雅子さまの訪問は、最終的には体調を見ながらの判断になりますが、関係者によりますと、訪問は日帰りで来月4日を軸にして調整が進められているということです。皇太子ご夫妻が、震災から間もない被災地を訪問されるのは、平成7年の阪神淡路大震災以来のことです。東日本大震災を巡っては、天皇皇后両陛下が、先週まで7週連続で東北3県の被災地などを訪問され、今月下旬には、秋篠宮ご夫妻が岩手県を、三笠宮寛仁さまが宮城県を、それぞれ泊まりがけで訪問されるほか、常陸宮ご夫妻と高円宮妃の久子さまも避難所や被災地を訪問される見通しです。
【皇室ウイークリー】(180)珍しい? 陛下がコンサートで“合唱”される 小学4年愛子さまに「家庭教師」2011.5.2107:00

 (略)
 一方、宮内庁東宮職は20日、東日本大震災の被災地を見舞うため、6月上旬に皇太子ご夫妻が宮城県を訪問されることを「最終調整」していることを明らかにした。皇太子妃雅子さまは、長女の敬宮(としのみや)愛子さまの登校に連日付き添われていることから、今回も、ご訪問は学習院初等科が休みとなる日が候補になっている。
 ご夫妻はこれまで、東京都調布市と埼玉県三郷市の避難所を訪問している。被災地に入られるのは初めて。東宮職は、雅子さまについては、当日の体調をみて同行されるかを判断するとしている。
 また、先週木曜日の12日午後には、ご夫妻で「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」の河田恵昭センター長(関西大教授)から、お住まいの東宮御所で東日本大震災に関する進講を受けられたことも明らかになった。河田氏は東日本大震災復興構想会議の委員を務めている。ご進講の予定時間は1時間だったが、結果的に約2時間に及んだという。
 宮内庁は16日、小学4年生の愛子さまの家庭学習を指導する「御用掛」(ごようがかり)として、東京都の元公立小学校教諭、糸川順子さん(56)を採用した。
 糸川さんは国語、算数など5教科の指導を担当するという。宮内庁幹部は「愛子さまは学年が進まれ、勉強の内容が高度になってきているので、ご家庭での学習をサポートする御用掛を採用することになった」と説明する。
 宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫によると、両陛下の長女、黒田清子さんについても、小学2年から中学3年までの間(当時は紀宮さま)、同様の御用掛がいたという。野村東宮大夫は今回の採用の目的について「(当時と)軌を一にするもの」と説明。皇太子ご一家と糸川さんは過去に面識はないというが、「十分な経験を持った、とてもいい方に来ていただいた」と述べた。
 宮内庁御用掛は専門知識を生かして皇室を支える非常勤の国家公務員で、糸川さんを含め宮内庁には現在、通訳や和歌の指導などで15人が働いている。御用掛にはこのほか、「侍従職御用掛」などの役職もあるが、それは含まない人数だ。
 愛子さまのご養育をめぐっては「養育専任女官」のポストが東宮職にあったが、昨年12月27日付で養育専任女官だった元学習院幼稚園園長の小山久子さんが退官。その後補充はなく、東宮女官は定員5人のうち4人しかいない状態が続いていた。
 宮内庁は「糸川さんはあくまでも愛子さまの学習指導を担当する御用掛で、身の回りのお世話を担う女官とは違う立場」としている。
 皇太子さまは13、14の両日、富山県を訪問された。14日には、富山市で開催された「第22回全国『みどりの愛護』のつどい」の式典にご出席。「国内外に広がる助け合いの輪が、被災者一人一人の上に行き届くことを願います」と、東日本大震災に関連してお言葉を述べられた。
 式典後は原発事故や津波被害で福島、宮城両県から富山に避難している被災者15人と言葉を交わされた。
 福島県の伝統行事「相馬野馬追」のポスターを皇太子さまの目の前で広げ「俺の人生でした」と涙ぐむ男性の話に、皇太子さまは何度もうなずきながら耳を傾けられた。
 東京電力福島第1原発の臨時雇用作業員として、地震当時、原発内で作業していた男性の話を聞いた皇太子さまは「怖かったでしょう」と気遣われた。
 その後、富山市内の富山大付属特別支援学校にも足を運び、小学部のダンスを見学された。
 天皇、皇后両陛下は17日、お住まいの皇居・御所に来日中のルクセンブルクのギヨーム皇太子を招き、ご昼餐(昼食)を一緒にとられた。両陛下がギヨーム皇太子に会われるのは初めて。
 皇太子さまも同日午後、東宮御所にギヨーム皇太子を招き懇談された。玄関で出迎えた皇太子さまは親しげに「Nice to meet you again(またお会いしましたね)」と声をかけられた。皇太子さまがギヨーム皇太子と懇談されるのは公式には初めての機会だったが、東宮職は「昨年、スウェーデンで行われた結婚式に、ギヨーム皇太子も出席しているので、そこで言葉を交わされたことがあるのではないか」と話した。(略)
59名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/23(月)23:45:05.89ID:WPBWyzAN0
サンデー毎日6.5号を読みました。レポではなくざっと記憶に残ったことを。
学習院関係者によると愛子さまは「休み時間には大きな声を出しながら校庭でボール遊びに興じるなど、充実した学校生活を送られています。」(原文ママ)昨年まで教室の後ろで授業参観していた雅子は別室で待機するようになった。
が、給食の時間になると、給食室の前の廊下で愛子さまの様子を見守っていることが多いようだ、とのこと。
糸川さんは都内随一の教育レベルである品川区で勤務していた。
ナルマサと学習院の間に立って折衝をする役割が大きいと考えられる。
愛子さまには個人的な家庭教師がいて、遊びながら勉強をみる指導者が週に数回、東宮御所を訪れているし、他に音楽や体操などで一流の講師がついている。
糸川さんは、学習面での指導というのは表向きの理由で、実際は学習院との「緩衝役」の意味合いが強い。小山さんも福迫さんも幼児教育の専門家だったのに、何故、これまで初等科教育の専門家がいなかったのか不思議だが、宮内庁関係者によると「なかなか適任者がおらず、この時期になってしまった」とのこと。

詳しいレポが上がるまでの暇つぶしにでもなれば幸いです。
451名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/24(火)09:31:50.50ID:8le+f0Le0
週刊誌レポ来てました。輸入します。
レポ主様、いつもありがとうございます。

171:朝まで名無しさん:2011/05/24(火)09:02:20.01ID:7v+e4aS1
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/06/07)愛子さま新教育係の「なるほど!素顔」
・3頁の記事。下校時や避難所訪問などの写真多め。糸川氏の写真あり。
・6/4皇太子夫妻は宮城県訪問を予定。仙台市内などが予定されている。岩手・福島へは未定。
・小2から中3まで紀宮に御用掛が付いたことがある。家庭教師としての仕事が主なものとして、学校との調整役については否定的。(東宮大夫)
・愛子様は不規則とはいえそこまで勉強が遅れているわけではないようなので、家庭と学校との連絡係を期待されていると思う。(宮内庁関係者)
・「不安感」を覚えた愛子様は昨年3月以降雅子妃に付き添われて時限登校。1時間目からの登校も見られるようになったが、5/20も2時間目が始まる9:45ぎりぎりに車で付き添われ登校。雅子妃はそのまま同伴。
・宮内庁は昨年末に小山氏退職後から後任の人選を進めていたよう。愛子様の不規則登校を解決して雅子妃の本格的公務復帰を進める意味もあったのでは。(前出・記者)
・東宮女官という立場では愛子様に仕えるという立場なので、言いたいことも言えなかった可能性がある。"御用掛"というフラットな関係を考慮したのでは。家庭教師という立場も、公立の先生ということを考えれば勉強よりも情操面を考えているのでは。(元・東宮職関係者)
・小山氏は幼児教育の専門家にもかかわらず、つい半年前まで担当を続けていた。今になってようやく小学生の専門家を採用したのかという印象。(山下晋司氏)
・御用掛の説明に続いて、糸川氏のプロフィールや元校長が語るエピソードなど。
・(糸川氏は聞き上手で)息子に対する意思を聞いてくれて、それを親の意思だとわからないように子どもに伝えてくれたこともあるので、連絡役をうまく務めることも出来るのでは。(不登校気味だった息子の母親)
・糸川氏が現役のころの教頭が聖心女子学院初等科に引き抜かれた。聖心といえば皇后陛下の出身校でパイプのある職員や関係者もいるはず。しかも東宮ではなく宮内庁御用掛としての採用なので、美智子様と聖心との繋がりの中で選ばれた可能性も。(宮内庁関係者)
〆は糸川氏という力強いスタッフを得て、愛子様が以前のように一人で通学が出来るようになり、
雅子妃も被災者が待つ各地へより訪問できるようになれば……。
452名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/24(火)09:32:27.02ID:8le+f0Le0
172:朝まで名無しさん:2011/05/24(火)09:06:19.71ID:7v+e4aS1
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/06/07)雅子さま、<三重苦>の愛子さまを託す元公立小教諭のサリバン先生!
・4月の訪英、6月の訪独に強い意欲。新年度から雅子妃は公務復帰を予定していた。ドイツには同行しない。
・愛子様の三重苦。1.朝、登校したくない。2.ママから離れられない。3.大勢の人に見られるのがつらい。
・不登校の問題を抱える子は1時間目から登校できないことが多い。家庭教師などを付けることは有効。
雅子妃との関係が濃密なので(御用掛という)第三者を入れることで(大意・精神科医、磯部氏)
〆は忘れました済みません。
724名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/24(火)16:45:04.31ID:iHRIGJhxO
自身レポ上がってますがちょっとだけ。

愛子さまのご養育係をつとめていた福迫さんが退職して以来東宮職は2年以上に渡って後任を探し続けていた。
その間に何人もの女性と話し合ったそうだが辞退続きだったそうです。
糸川さんにはすでに三歳のお孫さんがいる。
糸川さんの採用に関しては皇室関係者や宮内庁関係者の紹介があった。
皇太子夫妻は環境問題をライフワークにしているので糸川さんが環境教育に熱心だったことにも共感されたのでは。

名目上は家庭教師としての採用だが皇太子夫妻が糸川さんに求めているのは愛子さまに勉強を教えることだけではないそうです
今後は糸川さんが愛子さまの登下校に付き添うことも検討されているそうです。

糸川先生のつとめていた区立小学校の関係者によると高学年の担任をしており、温和な人だそうです。
学校の環境委員会の顧問も務めていて、児童が環境問題について研究発表する際は熱心に指導していたそうです。
紙の原料になる植物のケナフの栽培を通じて環境教育に力を注いでいたらしい。
492名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/26(木)06:19:17.56ID:SepaXz/Q0
朝日新聞朝刊社会面@神奈川

『授業最初から愛子さま出席 昨年3月以降で初』
皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)は25日、学習院初等科で1時限目の最初から出席した。
宮内庁によると、愛子さまは昨年3月に時間を限って登校するようになって以降、通常授業で1時間目の冒頭から出席したのは初めて。雅子さまが付き添った。
4年生の始業式や1年生を迎える会などの行事では1時間目の冒頭から出席している。
授業前の朝の会には出席していない。
皇太子ご夫妻の長女・愛子さま、2010年3月以降初めてすべての授業に出席される(05/2619:32)

皇太子ご夫妻の長女・愛子さまが、2010年3月以降、初めてすべての授業に出席された。
学習院初等科4年生の愛子さまは、2010年3月以降、雅子さまの付き添いのもと、一部の授業にのみ出席する状況が続いているが、2010年の秋ごろからは、2時間目から6時間目まで出席されるなど、授業を受ける時間が長くなってきている。
愛子さまは25日、雅子さまの付き添いのもと、1時間目からすべての授業に出席されたという。
588名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/26(木)09:10:13.65ID:1Uq2/QUj0
議論版にレポあがってたので輸入。
レポ主様ありがとうございます。

206名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/05/26(木)08:56:48.25ID:QZvyYC3w
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/06/09)雅子さま、「次は英語家庭教師を」<チーム愛子>再生計画
・見開き2頁の記事。
5/23、2時間目途中の9:55、雅子妃に付き添われ車登校。「1年生を迎える会」には朝から登校できたが、また2時間目登校に戻ったよう。
・一年以上1時間目を受けていないため学習の遅れが懸念され、また小4ともなると親のフォローが難しくなってくるので、御用掛として糸川氏を招いたのではないか。(宮内記者)
・福迫氏、小山氏、木幡氏、と雅子妃を支え愛子様がなついていた人が相次いで去り、「チーム愛子」は崩壊。
・糸川氏のプロフィールや、聞き上手であったというエピソード紹介。
・雅子妃は愛子様のために英語の教師を捜している。雅子妃も英会話は堪能であるが、話すと教えるは別と考えているよう。
・皇太子夫妻は6月上旬、宮城県を訪問予定。糸川氏をきっかけにチーム愛子を再生させ、雅子妃の公務復帰につなげていきたいのではないか。(大意)
〆は忘れました済みません。
588名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/26(木)09:10:13.65ID:1Uq2/QUj0

週刊新潮(2011/06/02)援金1300億円を届けぬ「日本赤十字」の怠慢(2)
・社会福祉法人「さぽうと21」の理事長、吹浦忠正氏が、日赤の義捐金配布遅れ・硬直化・巨大化・天下り体質などへ苦言を呈する記事。
・CSKの大川氏は日赤の対応に怒り、10億円を当法人に一括寄付してくれた。
〆は忘れました済みません。

週刊文春はもう少しお待ちください。
723名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/26(木)11:50:53.62ID:XUmGBFwg0
輸入。レポ主様感謝。

211名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/05/26(木)11:01:33.85ID:QZvyYC3w[2/4]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。1/3
週刊文春(2011/06/02)悠仁さま、4歳の春−幼稚園ではダンゴムシに興味津々!
・巻頭モノクログラビア3頁。腰ぐらいの高さの植え込みからジャンプなど。
・「ゆ〜うちゃ〜ん!」4月の終わり頃、お友達にそう呼ばれながら幼稚園内を元気に走り回る悠仁様。植え込みからお尻をぴょこんと出してダンゴムシを探し、紀子妃からジップロックを受け取って持ち帰り。
・「典範改正がなければ悠仁様は継承権三位。子どもの成長は早いので記録した方がいいし見てみたい。悠仁様の帝王学についても気になる」(高橋紘氏)
〆は、震災、原発と心ふさぐ話題が多い今だからこそ、悠仁様がすくすくと成長される姿を、というのは国民のわがままだろうか。

同誌同号・プリンスの幼少時代−しっかりものの浩宮さま、元気いっぱいの礼宮さま
・上記に続く巻頭モノクログラビア2頁。
・当時は取材機会が大変多く設けられ、飾らない姿を国民に伝えることができた。そのため国民は利用殿下に親近感を持ちご成長を見守った。(松崎敏弥氏)
・近年の宮内庁は味気ない「記念写真」ばかり発表する。
〆は悠仁様についても、子どもらしい普段の様子が国民に伝えられるべき。
宮内庁も報道陣もそうした努力を重ねることによって、皇室国民の距離が縮まっていけばいい(松崎氏)

同誌同号・天皇の「心臓疾患」本当のご病状−美智子皇后が被災地訪問で憂慮
・七週連続の被災地訪問という過密日程に周囲は心配し通し。今上の動作も非常にゆっくりになって、本当にお年を召されたと感慨深く感じるほど。今はまだ気持ちが張っているが今後どっとお疲れが出るのでは、と案じている。(宮内庁幹部)
・一連の被災地訪問には侍医が同行し、現地の医療機関との連携やドクターヘリの手配など、いつでも緊急治療に当たれるよう備えている。これまでの地方行幸啓ではそういった準備はなかったが、今年初めからは都内でのお出かけでも出来うる限り侍医が随行するようになった。(別の宮内庁担当記者)
・両陛下は被災地訪問前、様々な説明を各専門家から受けられたが、放射線によるがん治療についての話題の歳に今上は「炭素線でがん治療が出来るのか」とお尋ね。お元気そうに見えても今もがん治療中なのだと、はたと気づかされた。(前出・記者)
・今上のお顔のむくみが気になった。薬のせいではないかと心配(3/16のビデオレターを見た両陛下の知人)
・今上がふっくらされたのは「フェミナイズ」というホルモン療法の副作用。7年続けてきたので顕著になったのだろう。治療法を切り替えたとは聞いていない。(手術を担当した北村唯一氏)
・2/11、今上の心臓検査で異状が発見される。検査後の会見で冠動脈全体にある程度の動脈硬化像を認めたが、カテーテル治療やバイパス手術は行わず、服薬による経過観察と報告。
・(側近たちは胸をなで下ろしたが)皇后陛下は今上の詳細な病状を聞き、心配を口にされることも。被災地では気を張られているが、震災前はご体調が優れないこともあったらしい。(皇室ジャーナリスト)
・今上の心臓血管には二カ所の「粥腫(じゅくしゅ)」があり、その一つが冠動脈にあるそう。発表ではここまで触れていないが、皇后陛下がご心配になるのも無理ないこと(今上の病状をよく知る、ある皇室関係者)
・今後は心電図や冠動脈CT検査を定期的に実施し経過観察するのではないか。
・5/14・15の両日、両陛下は卓球を楽しまれる。皇宮警察本部前の旧窓明館内ではないか。今上の卓球テニス同様スピンを掛けたりしない確実に打ち返すスタイル。(宮内庁職員)
・今後のご静養について羽毛田長官は「訪問などによる疲れは当然ある。陛下の体調管理も事務方の仕事」と発言し、ようやく葉山での静養が決定。(前出・記者)
〆はしっかり充電していただいた上でこれからも末永く日本の復興を見守り続けていただきたい。
以上です
【皇室ウイークリー】(181)「悠仁はジャガイモより…」両陛下でお話し 雅子さま「総合的判断」でドイツ同行せず2011.5.2807:00

 (略)
 両陛下は毎年5月、こどもの日の前後に、子供に関連する施設を訪問されているが、今年は東日本大震災の被災地お見舞いのため、この時期になった。宮内庁によると、両陛下が地域の親子を対象とした子育て支援施設に足を運ばれるのは初めて。
 両陛下はまず施設の庭で、地域の親子らがジャガイモの苗に土を寄せたり、落花生の種をまいたりする様子を見学された。
陛下は作業する親子らと、ジャガイモの花について歓談し「悠仁はジャガイモより虫のほうに興味があるんだよね」と秋篠宮ご夫妻の長男で、お孫さまの悠仁さまの話をされていた。(略)
 ところで、両陛下が11日の福島県訪問で購入された同県産の野菜やイチゴについて、宮内庁羽毛田信吾長官は26日の定例会見で、両陛下がすでに召し上がったことを明らかにした。同じ野菜セットが皇太子ご一家にも届けられたことも以前書いたが、こちらは「召し上がったと思いますが、具体的にうかがっておりません」(宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫)とのことだった。
 今週は、皇太子さまが6月21日から同25日の日程でドイツを訪問されることが27日の閣議で了解された。当初はベルリン以外にも足を伸ばし、1週間程度の訪問期間とすることも検討されたが、震災の情勢をみて、皇太子さまが日程短縮の気持ちを持たれたという。
 宮内庁によると、皇太子さまは昨年10月に「日独交流150周年」の日本側の名誉総裁に就任されており、ドイツ側から震災直前の3月10日に皇太子ご夫妻を招待する申し出があった。
 野村東宮大夫は27日の定例会見で、震災後は避難所訪問など活動の幅を広げている皇太子妃雅子さまが、ドイツに同行されない理由を、医師の意見を踏まえた上での「総合的判断」と説明した。
 記者側から「敬宮愛子さまの通学に付き添われていることも関係があるのか」とする質問が出ると、野村東宮大夫は「まあねえ」と肯定したが、「誤解がないように言えば、病気療養中であることが、同行されない理由の中核部分です」と補足した。(略)
398名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/30(月)16:44:26.05ID:udrGmxzi0
月刊誌レポ。
THEMIS6月号
皇太子ご夫妻へ届くか
天皇皇后両陛下「鎮魂の祈り」が齎す真意
―被災地へのご訪問で皇室の存在感が高まるなか次世代への継承が危ぶまれるが
2頁の記事

□警備が過剰にならないように
・天皇皇后両陛下は、4月14日から5週連続で東日本大震災で大きな被害を受けた太平洋沿岸の五つの県を訪問された。
・両陛下はいずれの被災地でも、津波で大きな被害を受けた地区では黙礼して犠牲者に哀悼の意をささげ、避難所ではひざをつき被災者の話に耳を傾け、手を添えて慰められた。
・「警備が過剰にならないように」とのご配慮から、自衛隊機とヘリコプターを使われ、日帰りの強行軍。両陛下の被災地訪問は、まさに「鎮魂の旅」だった。
・仙台では、両陛下は臨時ヘリポートの仙台市民球場から、マイクロバスで移動。およそ500人もの近隣住民は「両陛下、ありがとうございます。生きててよかったです」と、涙交じりの歓声で迎えた。
・両陛下は中腰のまま窓から半身を乗り出して、手を振り続けていた。だが、両陛下は相当お疲れだったようである。
「陛下のお顔がむくんでおられて…。皇后さまはスリッパも履かずにずっと裸足でした。皇后さまに『冷えますからスリッパをお履きになってください』と申し上げても、『大丈夫よ』とおっしゃるばかり。立ったり座ったりの連続で、皇后さまのお膝の痛みがぶり返さなければいいのですが…」(70代女性の被災者)
□皇居に“帰宅難民”を受け入れ
・両陛下が5月8日に岩手県を訪問された時、余震が襲った。皇后さまは被災者に「落ち着いてください」と、不安を和らげられた。
・11日には福島県を訪問され、原発から半径45q圏内の南相馬市をご視察。帰京する際は風評被害を一蹴するように野菜や果物を私費で買い求められた。
・「悲しいかな、平時に比べて今は皇室の存在感が非常に高まっています。両陛下の『国民と苦楽をともに…』という姿勢は、皇太子同妃時代から変わりませんが、国民もそのお気持ちを信じているからこそ『ありがたい』と感じるんだと思います。こういう信頼関係は一朝一夕でできるものではありません。皇室と国民がともに築いてきた長い歴史ゆえのことだと思います」(皇室ジャーナリスト・山下氏)
・計画停電では、延べ130時間も自主的にブレーカーを落とされた。震災当日は皇居に“帰宅難民”を受け入れた。
「宮内庁の施設を役立ててほしい」というご意向もあり、那須御用邸の風呂を近隣地域の被災者に開放するなど、避難生活の不便さにも思いを馳せられたほどだ。
・震災から5日後、原発事故の不安がピークに達するタイミングで出された陛下のビデオメッセージは、政治家の発言よりも説得力があった。


□皇室典範改正を再び議論せよ
・皇太子ご夫妻も4月初旬の味の素スタジアムに続き、5月7日、埼玉県三郷市をご訪問された。
・雅子さまにとって短期間のうちに2回連続で公務にお出かけになるのは稀有なことといえる。
・だが、天皇皇后両陛下ご訪問に比べると、どうしても少ないと言わざるを得ない。
・東宮職は「数の多寡ではない」と反論しているようだが、仙台の避難所では、「陛下が高齢でもハードなスケジュールをこなしているのに、皇太子さまと雅子さまはなんとも思っていないのだろうか」といった厳しい意見を口にした被災者が複数いたことも事実である。
・6月初旬、皇太子ご夫妻は宮城県をご訪問される見通しだ。だが、雅子さまの同行が決まるのは「当日のご体調次第」(宮内庁関係者)だ。雅子さまは相変わらず愛子さまの登校につきっきりなので、「ご訪問は学習院初等科がお休みの日に設定されるのが有力です」(皇室関係者)
・「皇室が大事であるなら、国民側も『皇室に心を寄せる』という姿勢を示すことでしょうね。まずは、陛下がご体調を崩されるほど憂慮されている皇統の問題について、これは皇室典範改正も含みますが、真剣に考えるときに来ているのではないでしょうか」(前出・山下氏)
・雅子さまの“ご体調”と愛子さまの“通学問題”。この二つの条件をクリアしないと実現しない、ご夫妻揃っての被災地お見舞いとは!

〆は、次世代皇室は大丈夫なのか―

詳細は皆様各自でご確認ください―THEMISレポ、以上です。
764名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/31(火)11:05:26.47ID:gsmGVXGM0
レポ輸入します
レポ主様ありがとうございます

262名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/05/31(火)11:03:11.17ID:IGi6tYBE[2/2]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
サンデー毎日(2011/06/12)「3・11と皇室」座談会−宮内庁現役・OBが初めて明かす
・宮内庁現役職員・OB2名ずつの匿名座談会。6頁の記事。
1.東日本大震災について
・現地訪問が約1ヶ月後からだったのは被害が広範囲・甚大だったため、早い段階で(これまでの2週間前後では)無理だろうと判断だろう。
・大規模災害時ですら政治の世界では駆け引きがあるだろうが、皇室と国民の関係にはそういうことがない。陛下のメッセージによって国が一つに団結している感じ。
・(ビデオメッセージでは今上お一人だったが皇后陛下がご一緒というわけにはいかなかったのか?)今上の隣に皇后陛下がいらっしゃる、それだけでも良かったのかもしれないが、両陛下で相談されてああいう形のメッセージになったので何らかの理由があるのだろう。
・両陛下はお見舞いに行かれた数年後にも、再び被災地を訪問して復興状況を視察しておられる。災害が起きたときだけでなくその後もずっと心を寄せ案じておられることを知っておいていただきたい。

2.今上の健康問題とご公務について
・ご自身の健康状態についてそれが周囲に及ぼす影響を、今上自身がよくご存じだと思うので、定期的な健康診断で早期発見・早期治療を常に心がけている。
・もう少しくつろぐ時間をお持ちになり、ゆったりと過ごされるといいのではと思う。
・(皇太子に公務代行をしてもらった方がいいのでは?)皇太子が摂政や国事行為臨時代行として「天皇の公務」を行うのか、「皇太子の公務」として行うかの違いは大きい。
・天皇が高齢だから「皇太子の公務」になり、代替わりがあるとまた「天皇の公務」になるのはおかしい。国家は何ら変わることはないわけだから。
・以下、「一ヶ月ルール」と「ゴリ押し引見」について。
・(皇太子は公務と健康に対してどう考えているか?)気持ちとしては今上と同じだと思うが…。
・(編)今上・皇太子のポリープ手術の違いを説明後、今上は早期発見、早期治療で公務に支障を来さないよう心がけている。天皇というのはそういう姿勢が必要・大事だが、皇太子には欠けているのではないか?
・そう言われても仕方ない部分があるだろうが、公務に対して真摯に取り組んでいることは間違いない。今は雅子妃の病気に意識が向いていると感じることはある。試行錯誤か悩んでいるのかはわからない。
・(09年に皇太子が眞子・佳子両内親王に「さま」を付けたときには愕然とした。疲れていたのか?)OBの問いかけに、う〜ん、お子様のことなので、柔らかい表現にしようと思って、つい付けたのでは。
・(編)雅子妃と紀子妃、両陛下との関係ついてどう見ているか?
・性格の違い、立場の違いもさることながら、入内までの経緯が違いすぎると言うことがあると思う。
・紀子妃は大学入学後すぐ東宮御所に遊びに来ており、「次男のお友達の紀子ちゃん」「お友達のご両親」で「皇太子同妃」。雅子妃は最初から「長男の嫁」として会っている。その時は天皇・皇后両陛下。性格や考えの違いとして捉えるべきではない。
・以下、両陛下即位前の東宮職と本庁、東宮事務職の職分、関わり、交流について。
・現在の東宮職は、毎年ではないが東宮職内の文化祭のようなことをやって交流を図っている。
・当時(昭和時代の東宮職)、仕事以外で直接両殿下と話す機会は多かった。現在はそうした機会が少なくなってしまったので、忖度し理解するのは難しいのでは。
・だが通常の事務仕事は問題なく行える。内舎人などは違うだろうが。
・(編)プライベートな部分に立ち入らないようにしている?
・(04年の皇太子の発言と秋篠宮殿下が皇太子から聞かされた言葉を引用したあと)東宮御所での環境も病気の原因なのに、その環境の中で治療するのは非常に難しいと思う。環境を大きく変えることが難しいので、プライベートゾーンにはできるだけ家族以外立ち入らないようにしている。
・病気とは関係なく、そういうライフスタイルと考えていいのではないか。私は雅子妃や愛子様とは東宮御所内で普通に会っていた。妃が療養に入ってからも、避けられているとか嫌われているとは全く感じなかった。
〆は、愛子様は、よく知っている職員には本当に明るく接する。新任職員などに対しては緊張するというか、まあ、人見知りをする。
「皇族は人見知りしてはいけない」と非難する人もいるだろうが、よく言われる職場のピリピリした雰囲気などはない。
771名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/05/31(火)11:17:38.37ID:gsmGVXGM0
267名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/05/31(火)11:16:42.61ID:IGi6tYBE[6/6]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
同誌同号・祈りの日、東宮御所で開かれた「ある行事」

・見開き2頁の記事。
・4/11、初等科は4/9始業式の振り替えで休日だった。
・3/10や8月の原爆の日など、皇族は「お慎みの日」として心静かに過ごされるのが通例。4/11も同様で、両陛下は公務をこなされながら黙とうを捧げておられた。(大意・両陛下側近)
・皇太子夫妻も東宮御所内で黙とうしていたことが宮内庁ホームページから窺える。しかし、と顔をしかめながらある東宮関係者が話す。この日、愛子様の学友10人前後が集まり「お楽しみ会」が開かれていた。お慎みの日、しかも両陛下が被災地訪問を始めた時期にワイワイガヤガヤとした会を開催するのはいかがなものか、という声が内部から上がっていた。
・4/11AM11時、数台の車に分乗した学友らが東宮御所へ。愛子様と雅子妃が笑顔で出迎え。
・東宮御所の庭ではボール遊びや鬼ごっこなどを東宮関係者二人がつきっきりで面倒を見ていた。疲れると室内でゲームに興じ、昼食にはサンドイッチ、3時のおやつにはオレンジゼリーが出される。
・よほど楽しかったのかお楽しみ会は夜7時近くまで続く。驚いたのは皇太子夫妻がそろって一緒にいたこと。皇太子はビデオカメラ、雅子妃は小型カメラで子どもたちの様子を常に撮影していた。(東宮関係者)
・震災の発生時刻になると皇太子一家と学友たちはそろって1分間の黙とう。5時過ぎに震度4の余震が発生すると子どもたちは慌ててテーブル下などに。1ヶ月前の恐怖がよみがえり不安な表情を浮かべる子も。
・皇太子夫妻も子どもたちも笑顔が絶えなかった。しかし多くの皇族の方々が静かに過ごされていることを考えていると、喜んでばかりもいられないと思う。(東宮関係者)
お楽しみ会は4/6の予定だったが、夫妻の避難所訪問が決定したため11日に変更になった
・高齢な両陛下は病気を押して被災地に出かけている。今回の件は日程変更が良かったのではないか。(前出・側近)
・昨年8/6の「お慎みの日」皇太子一家は友人や家族と共にホテルディナーを楽しんでいる。今上はそれを知って大変困惑されたという。
・例年は関係者が手作りで行う夏祭りを、昨年は業者が屋台を出すなどで必要以上に派手な印象を残したことが「鎮魂の季節にふさわしくないのでは」と指摘された。
・一方で雅子妃は、3/11帰宅困難者になった学習院児童たちに対してコンソメスープとオレンジジュース差し入れを発案した。
・自分の家庭を極度に重く見て、公人としての活動、つまり皇室の祈りという伝統の尊重と実践がかなり薄い気がする。こうしたことが続くと国民の気持ちがどんどん離れてしまう。今まさに皇室は危機的状況にあると言わざるを得ない。(橋本明氏)
・出来ればこの日は避けたかった。どうしても、というのであれば皇太子夫妻と子どもたちで千羽鶴を折ったり励ましの手紙を書いて被災者に送る、ということも出来た。(渡辺みどり氏)
〆は、震災後1ヶ月という「祈りの日」に東宮御所で開かれた会。
「次代の重責を担う皇太子家に皇族としての自覚が欠けているのではないか」(宮内庁関係者)という声も上がる。
その波紋は広がっている。

以上です
2011年6月
117名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/02(木)00:29:46.08ID:+VBRzBBk0
お待たせしました。週刊新潮最新号レポです。詳細は各自ご確認願います。記事は全3ページです。
週刊新潮(2011.06.09号)
「雅子さま」一人授業参観 350日の波紋

・愛子さまの不登校が明らかになって1年と3ヶ月。今も雅子さまによる送迎と“一人授業参観”は続いている。その期間は、優に350日を超えようとするほど。
・「登校時間も今年に入ってからは2限目まで早まっています。しかも最近になって2回、1限目から出席できた日があったんですよ。」(学習院関係者)
・「1回目は5月6日。ただし、この日は正規の授業ではなく、全学年による『1年生を迎える会』でみんなで歌ったりするだけでしたがね。」(同)2回目は25日。この日は普通の授業日で、不登校になって以来1限目から授業に出席できたのは、実に340日ぶりという“快挙”だった。
・「1限目は8時50分からですが、この日は学校到着が8時48分なので、授業そのものには数分の遅刻でした。それでも、とにかく1限目から出席できたんですから、大きな前進です。」(同)
・ちなみに、2限目から出席する際も、授業開始は9時45分なのに何故かいつも数分だけ遅れてくるのだとか。「普通、授業中にガラガラと教室のドアが開いたら子供は注目するし、される方も嫌でしょう。だから愛子さまもせめてあと5分早く来られればいいと思うんですがね。」(同)
・「(雅子さまも)以前は、登校してから下校するまで授業中は教室の後ろに座ってずっと見ておられたのが。最近は、給食の時間も含めて貴賓室で待っていることが増えたそうです。それに、校庭で愛子さまが遊んでいる際も、目に入るところに雅子さまが見当たらないことも増えているらしい。」(同)いずれも、愛子さまの回復ぶりを示すよい兆しには違いない。
・「(下校の様子は)お二人とも塞ぎ込んでいるというか、元気がないというか、あまりいい表情ではない。何だか重い空気が漂ってる感じなんですよね。」(皇室ウォッチャー)
・「最近でも、愛子さまが登校を渋っているような素振りを見せる時がある。例えば5月9日のこと。9時50分に登校しましたが、いつものように先に雅子さまが車から降りて歩き出したのに、愛子さまが出てこない。それで雅子さまも声をかけたんですが、それでも愛子さまは2、3分、出てこなかった。渋々出てきた後も俯いて足を引き摺るようにして歩き、足取りが重くて時々立ち止まる。雅子さまが背中に手を添えて、ようやくとぼとぼと歩き出すって感じで、何だか見ていて切なくなってしまいました。」(別のウォッチャー)
・さらにその翌日も同じような光景が見られ、しかも、校門をくぐってからは教室の方ではなく、2人とも貴賓室のある方向に入っていったという。どうやら、まだ完全とは言えない状態が続いているようなのだ。
・5月16日、御用掛として糸川順子さんを任命。「発表の際、野村大夫が人物について、“とてもいい方”なんて表現をするのは非常に珍しい。」(宮内庁担当記者)
・ここ2年の間に、次々と重荷を背負った人物が去っていった。「小山さんは“緩衝材”役を期待されていたのが、逆に板ばさみになって最後は心身症のようになって辞められた。木幡さんも、雅子さまとの間で軋轢を抱えたのが原因でした。」(同)
・その直後から新たな養育者探しを始めたらしいが、難航の末に決まっただけに、野村大夫もひときわ感無量だったのだろう。
・糸川さんは、教育者としても人柄も高評価の人物。大学では算数教育も専攻したが、現場では国語教育のエキスパートとして有名。加えて書道にも造詣が深い。
・「女官や御用掛は縁故以外ありえませんから、誰か関係者の紹介には違いない。ご主人が東京都の職員ですから、ひょっとして黒田清子さんのツテかもという情報も流れましたが…。」(別の記者)
・当の糸川さんも、「まったく関係ございません。ただ、(経緯など)詳しいことはお話しできないことになっておりますので、申し訳ございません。」ともかく、単なる家庭教師以外にも、東宮家と学習院の調整役も任されるらしく、極めて大役なのである。
・「選考にあたっては、雅子さま愛子さまお二人との面接を何回も行ったと聞いております。一番の決め手は愛子さまとの相性であり、雅子さまと上手くコミュニケーションが取れるかでしょう。すでに糸川さんは東宮でも“なかなかの人”と好評のようですよ。」(松崎敏弥氏)
・「4年生すなわち10歳というのは、自我の意識が芽生え、子供が自立する年齢。4年生になったタイミングで“そろそろ一人で学校に行こうね。あなたにまかせるよ。”と雅子さまが背中を押してあげれば、愛子さまにも励みになったと思うんですがね。」(教育評論家 長谷川孝氏)
・「むしろ心配なのは雅子さまの方でしょう。そのいい例が、4月11日という大震災から1ヶ月の節目に愛子さまのご学友たちを東宮御所に招いてパーティーを開いたこと。被災者の人たちへの配慮がなさすぎます。そういう配慮の余裕がないほど、まだ雅子さまの病状は回復していないのでしょう。」(橋本明氏)
・東宮関係者の多くが、むしろ愛子さまの不登校より雅子さまの回復の遅さに不安を感じているのだ。
・「愛子さまが2限目からでさえ微妙に遅刻なさるのも、朝起きるのが辛い適応障害の雅子さまが原因ではと言われています。実際、愛子さまが1限目から出席できても、野村大夫は“付き添いの有無が重要”と言った。つまり、雅子さまの付き添いが続いている限りは異常な状態だということです。」(前出の宮内庁担当記者)
・「本当の問題は、雅子さまが子離れできるかどうか。もしも愛子さまと糸川さんが良好な関係を作れても、雅子さまがそれを嫌がり、巻き戻しをかけてしまえばまったく意味がなくなってしまう。母親というのは、すべてをぶち壊せる力がある立場にいますからね。」(教育評論家 長谷川孝氏)
・その試金石とも見られていた皇太子ご夫妻による東北へのお見舞いも、結局、6月4日の宮城県仙台市行き決定が4日前までずれこむ始末だった。宮内庁は明かさないが、理由は明らか。わずかに見え始めたかに思えた曙光が、幻ではないことを祈るばかりである。で〆。

1ページ目の写真のキャプションは「いつまで続けるおつもりなのか」、です。急いで打ち込みましたので、誤字脱字があるかと存じます。ご了承願います。
愛子さま 1時間目から学校「このところ増えている」[2011年6月3日16:37]

 宮内庁の野村一成東宮大夫は3日の記者会見で、学校への不安感から時間を限って学習院初等科に通学している皇太子ご夫妻の長女愛子さま(9)の近況について「朝の1時間目から(の通学)というのも、このところ増えている」と紹介した。雅子さまの付き添いは続いているという。
 愛子さまは現在4年生。3年生の終わりごろから通学に雅子さまが付き添うようになり、これまでは2、3時間目からの出席が多かった。
【皇室ウイークリー】(182)皇太子ご夫妻、きょう初の被災地入り 皇族が陛下お迎え「ごきげんよう」 2011.6.407:00

(略)
 皇太子ご夫妻はきょう4日、宮城県を訪問される。ご夫妻が東日本大震災の被災地に入られるのは初めて。自衛隊機で仙台空港に入り、岩沼市で被災状況を視察し、山元町で被災者を見舞われる。
 岩沼市は空港に近い場所にあり、両陛下が視察された南三陸町などと比べると被害は少ない地域。宮内庁の野村一成東宮大夫の3日の定例会見では、「県、地元からの提案に沿って私どもが対応したということに尽きます」と、被災地側の主導で訪問先が設定されたことを説明した。
 また野村氏は、過去2回の避難所ご訪問が、4月6日(春休み)、5月7日(土曜日)と、いずれもご夫妻の長女、敬宮愛子さまの学校がなかった日だったのに続き、今回も休日の土曜日となったことについても同様の説明をした。すると記者側から「県によると、宮内庁側から訪問日の指定があったとしている。どうなのか?」という質問が出た。
 これに対し野村氏は「やり取りの詳細は控える。ポイントは現地の事情を一番考慮したことで、その上で私どもの都合に合わせて決めさせていただいた」と述べた。宮城県まで新幹線ではなく自衛隊機で入られることになったのも、警備の負担が少ない点などが考慮されたとのことだ。
 宮内庁は、当日の体調によっては、雅子さまが同行されない可能性があるとしている。被災地に入られるのに当たり、東宮医師団が病気療養中の雅子さまに対し、何らかの「心のケア」をするのか? という質問については「うかがっていない」(野村氏)と返した。
 一方、この会見では、愛子さまの登校時間が傾向として早くなり、「1時限目から登校される日が、ここのところ増えている」ことが明かされた。これまでは2、3時限目からのご出席が多かった。雅子さまのお付き添いは続いているという。(略)
283名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/07(火)09:14:13.83ID:64+L56S+0
輸入します。レポ主様、いつもありがとうございます。
487名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/06/07(火)09:08:46.85ID:FRCdwNXZ[1/2]
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/06/21)雅子さま「ご病気8年目」に識者5人が覚悟の提言!

・4頁の記事。皇太子夫妻は長らく被災地訪問を望んでいたがそれが叶ったのは6/4。宮内庁の反応は冷ややか。両陛下が4/27,秋篠宮両殿下が5/10に訪問されている。(以下太字)雅子妃の体調問題や愛子様の学校問題があったとはいえ、お見舞いが遅すぎるのではないか、の声も上がっていた。(ここまで)
・同日、両陛下と秋篠宮両殿下悠仁様は葉山へ。(以下太字)意図して組まれた日程ではないだろうが、皇太子夫妻の孤立や両陛下との距離を感じさせる(ここまで)
・宮内庁内での皇太子夫妻への批判や公室内での孤立は、雅子妃の長引く病気とは無関係ではない。膠着状態打破のために何が必要かを5人の識者が提言する。
橋本明氏:「使命を果たせぬ皇太子妃を両陛下は嘆いておられます!」(各見出し、以下同)
・被災地訪問スケジュールについて側近が「ご無理をなさらないように」と進言したとき皇后陛下は即座に「今はそんなことを言っている場合ではない」とお諭し。
・今上の体調を案じる皇后陛下も76歳。それでもお二人は被災者と苦しみを分かち合い、復興の一助になりたい、と命がけのメッセージを込められていた。
・しかし皇太子夫妻が両陛下の願いをきちんと受け止めているとは私には思えない。
・久子妃、寛仁親王よりも遅い現地入り。
・(以下太字)月1回、週末のお見舞いだけではいかにも少なく、とても両陛下の御心に沿う物ではない。皇太子・皇太子妃としての使命を果たしておらず失格と言わざるをえない(ここまで)
・雅子妃の病状については野村東宮大夫ら東宮幹部から聞いた。一時期は、とても世間には発表できない面もあったそう。国民の理解を得るためにもきちんと知らせるべきではないか、と野村氏に言ったが雅子妃が公表を望まなかったよう。
・皇太子夫妻の被災地訪問が少ない理由が雅子妃の体調によるならば、皇太子一人で被災地を回り使命を果たしていただきたい。
・被災地訪問でも他の公務に関しても、両陛下が皇太子夫妻にああせよこうせよと命じることはない。
・そのことに甘んじて公人としての義務を軽視し続けるなら両陛下のお気持ちに反している。更に言えば夫妻のみならず、皇室全体が国民の信頼を失う姿につながってしまう。
・(以下太字)今後も皇太子・皇太子妃のご使命を果たすことができないなら、その地位を、秋篠宮ご夫妻にお譲りになるべき(ここまで)
・日本が未曾有の危機を迎えている今、皇太子夫妻にはもう一度ご自身の立場を厳しく見つめ直していただきたいと思う。
田原総一朗氏:「雅子様は18年間、人権すら剥奪された環境にいます」
・はっきり言えば、雅子妃は皇室にお輿入れするには"エリートすぎた"
・この結婚は皇太子が一方的に惚れたことで成立した。
・成婚の成立過程を忘れて雅子妃を批判する人も多いが、私は日本人は雅子様に対して冷たすぎると思う。
・04年の「人格否定発言」は物議を醸したが皇太子は宮内庁や世の中に雅子妃の悩みや彼女を取り巻く問題点をもっと主張した方がいい。
・その結果雅子妃の体調が回復するならその方が日本にとっても良いこと。
香山リカ氏「強すぎる使命感ゆえの苦悩。雅子様、頑張りすぎないで!」
・療養期間も8年になるが病状がなかなか回復しないのは、本人の性格的な要因もあると思う。
・今の雅子妃にとって"中途半端"は耐えられない。「愛子が1時間目から学校に行けるようになるまでは私が見守らなければいけない」という考えに固執している。
猪瀬直樹氏:「雅子様の真摯さが、逆に周囲を困らせる事態を…」
・4/7、秋篠宮両殿下がビッグサイトの避難所を訪問された際、案内を務める。実際の滞在人数に少数の差があったことを口頭で伝えたとき、お二人はほぼ同時に資料へ書き込み。国難に立ち向かう、皇族のお覚悟を目の当たりにした気持ち。
・4/6、皇太子夫妻が味の素スタジアムを訪問したとき、予定時間が40分ほどオーバー。
・雅子妃に励まされたことで被災者に明るさが戻った一方で(以下太字)40分の変更が大勢の人間に多大な影響を及ぼすことも理解していただきたい(ここまで)
・家族や学友、PTAといった関係ではなく、同世代の、第一線で活躍している女性たちと会える場を東宮職はもっと(ホームパーティーなどで)作ってはどうか。
・キャリアウーマン7,8人と社会問題を同世代同士で語り合う、そんな場が回復に役立つのでは。
斎藤環氏:「真の回復には、愛子様と一緒に数年以上の海外静養が必要です」
・"夫との実家の関係"、"子どもの学校問題"この二つは多くの女性が抱えている問題。
・雅子妃の体調回復は膠着状態に。皇室という特殊な環境で一挙手一投足が国民から批判的に注視されるストレスフルな状況では回復が順調に進むはずもない。
・(以下太字)皇統の問題とは関係なく、雅子妃の回復を真に願うなら愛子様と一緒に数年以上かけて海外静養を、というのが精神科医としての私の結論だった(ここまで)
・しかし東日本大震災の発生で状況が変わった。
・雅子妃に被災地訪問を望む声が高まったが私も現地で被災者を励まし、犠牲者のために祈っていただきたいと考えていた。
・"皇族の義務"ではなく、被災地訪問こそが回復の糸口をもたらすのではないか。意義を見いだしやすく、元気や希望を与えることができれば、自身の存在価値を再確認できるだろう。
・(以下太字)形式だけの祈りはストレスになるが、適切なときと場所での"祈り"はその対象だけではなく、自分自身を癒す力になる(ここまで)
・6/4の宮城県訪問が大きなきっかけになることを願っている。
同誌同号・雅子さま・願いはただ一つ−被災地を初めてのご訪問、懸命なお励ましを
・巻末カラーグラビア1頁。雅子妃が幼女に笑顔を向けている大きめな写真。
287名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/07(火)09:19:44.86ID:64+L56S+0
輸入続き、ラストです。
493名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/06/07(火)09:19:01.88ID:FRCdwNXZ[5/5]
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/06/21)17ヶ月ぶり遠方本格ご公務で被災地・宮城ご訪問 雅子さま心配された「激務」と「悪臭」
・愛子様は1時間目から登校の機会が増えているが、2日は2時間目からの登校。3時ごろ雨の中を雅子さまと下校
3日は職員研修のため休校。前日が休みとわかっていたからこそ4日に被災地訪問ができた。6〜7時間学校に滞在した翌日に被災地訪問では現在の雅子妃への負担が大きい。
・被災地では予定をオーバーしてご聴取や避難所訪問。途中咳き込むこともあった。
・現地では海産物、もしかしたら犠牲者の遺体も?の腐敗臭と埃。
・雅子妃は元気だったころから臭いに敏感だった。
・今回の訪問は雅子妃の自信になったのでは。しかし今回成功したからすぐに次を、というのではいけない。(大意・精神科医野田秀樹氏)
〆は雅子妃には十分な休みを取ってもらい、笑顔で被災者を励ましてもらいたい、だったような。以上です。
458名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/09(木)08:37:13.83ID:4lXuNMKd0
議論板からレポ輸入。レポ主様、ありがとうございます。

581名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/06/09(木)08:31:30.38ID:U0C81JV7
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/06/23)雅子さまへ、避難所おばあちゃん「遠慮なしの人生指南」

・見開きの記事。被災者一人一人に声かけしていく雅子妃。段々声が小さくなって聞き取りにくなっていった。
・病気の雅子妃に来てもらって有り難い。
・今回の震災で国の恩、土地の恩、親の恩、先生の恩の四つを強く感じた。雅子妃もこの四つの恩をこれから感じることがあるだろうし、今までもあっただろう。
・二人の母親(皇后陛下、小和田優美子氏)を大切に。
〆は忘れました済みません。
784名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/09(木)17:17:08.04ID:GyzrzKac0
>>458-459
亀ですが、レポ主さん・輸入奥様乙でした!
女性セブンだけコンビニで私も読みました。
憶えている範囲で載っていないエピを(ウロですが)ご紹介しますと、、、

雅子さまと小学4年生男児との会話にて、、、
 雅子さま「(小4と自己紹介があって)うちの愛子も4年生よ」。
その後運動会でのリレーの話になり、小4男児「リレーは2位だったんだ。いつもの練習では最後なんだけど。」
 雅子さま「一所懸命頑張ったじゃない」

>段々声が小さくなって聞き取りにくなっていった。
そしたら被災者の方が雅子さまを激励したそうです(「頑張って下さい!」か「しっかりなさって下さい!」みたいな言葉で)

少々耳が遠くなった80歳の女性に雅子さま「被害はどうでしたか?」と何度か質問。女性「大きな津波がきてね…」と言った後、
 「そんなこと聞かれるとまたこわくなるのよ〜〜〜」
そう言われた雅子さまはちょっと戸惑ったそうです。でもその女性「助かったんだから、しっかり生きなきゃね」となお続けたとか。
458名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/09(木)08:37:13.83ID:4lXuNMKd0
議論板からレポ輸入。レポ主様、ありがとうございます。

581名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/06/09(木)08:31:30.38ID:U0C81JV7
週刊文春(2011/06/16)ゼロから這い上がろう!/雅子さま−初の被災地ご訪問「完全密着」
・自衛隊機から降りた雅子妃の表情は硬いようだった。その後ろを女官・東宮職がバッグを三つ重そうに運んでいく。
・山元町は今上が立太子礼を行ったときに使った馬を献上するなど皇室とは隠れた繋がりがある町。
・宮内庁と自治体との間で訪問先が二転三転。
・「歓迎」の段ボール看板を持った人など多数が集まったが、関係者を乗せたマイクロバスは窓を閉め切ったまま、あっという間に通過。「スピードを落としてくれなかったから」と警備に苦情を言う人も。
・雅子妃は、ぽろりではなく、じわっという感じで涙ぐんでいた。
・帰りは集まった住民に数十秒ゆっくりと手を振り、バスも速度を落として窓を開けてお手振り。
・翌日予定されていた、愛子様のこどもの城プール行きはキャンセルした。
〆は雅子妃にはゆっくり休養していただきたい、だったような。
以上です。
709名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/09(木)14:22:56.90ID:lv+50n8P0
文春追加。
二人は空港について30分休憩したそうです。
皇室ウイークリー】(183)1分手握る、腕さする…被災者癒された雅子さま 両陛下、ご静養は3泊 2011.6.1107:00

 皇太子ご夫妻は4日、東日本大震災の被災者を見舞うため、自衛隊機を使って宮城県を日帰りで訪問された。今回の震災で、ご夫妻が被災地に入られたのは初めて。
 ご夫妻による震災関連のご訪問は避難所の東京都調布市(4月6日)、埼玉県三郷市(5月7日)に続くもので、1カ月1回のペースとなっている。宮内庁の野村一成東宮大夫は10日の定例会見で、1カ月1回ペースとなっているのは、病気療養中の皇太子妃雅子さまの医師団などから意見があったわけではなく、「たまたま」そうなっているだけだと説明した。
 宮城に入ったご夫妻は、180人が亡くなった岩沼市で、特に被害が甚大だった相野釜地区をご視察。黙礼された。
 井口経明市長が地盤沈下について触れ「天明の飢饉(ききん)以来の史上最大の惨事です」と訴えると、ご夫妻とも農業被害について心配されたという。視察を終えると「早く復興していただきますように」と話されたという。
 続いてご夫妻は671人が犠牲になった山元町に車で移動し、避難所になっている学校施設2カ所を続けて訪問し、被災者を見舞われた。
 雅子さまは、子供たちにも優しく話しかけられた。斎藤桃香さん(3)には「かわいいお名前ね」。中学3年の女子生徒には「部活は何ですか?」と尋ねられ、ソフトボール部でショートを守っていることを聞くと、「私はサードをやってました。そっちのほうがかっこいいですね」と笑顔を見せられた。
 津波の話をしている最中に涙ぐんだ鈴木弘子さん(67)に対しては約1分にわたって手を握り続け「お辛かったですね」「大変でしたね」などと声をかけられた。
 ほかの被災者に対しても真剣な表情で話に聞き入り、ハンカチで目を押さえられる場面もあった。突然泣き出した女性(45)には「辛かったでしょう。今まで我慢されていたんでしょう」と目を真っ赤にしながら、相手の腕をさすり、慰められた。
 また、9日はご夫妻の結婚記念日だったが、今年は両陛下が出席されての夕食会は行われなかった
 長女の敬宮愛子さまは、今週も1時限目から登校する日が続かれたという。(略)
63名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/12(日)23:02:30.57ID:OTK01l/50
ポストちょっとだけ見てきた。
お酒入ってるので、気になったところだけ。

・雅子さまの体調に配慮してか、体育館は窓をしめきっていた(カーテンも閉じてたと書いてあったような気もする)ため非常に暑かった。「私らは薄着だからいいけど、両殿下は汗びっしょりだった」(被災者談)
・お付の人がちょろちょろしていた。時間が気になっていたのか会話をストップさせるような場面も。
・この日、近くの小学校では運動会があったのだが、皇太子夫妻訪問のせいで午前中で運動会終了。これには近隣住民から不満の声があがった。「お昼までだったのですぐ終わっちゃった」(残念そうな小学生談)
196名前:1/2[sage]投稿日:2011/06/13(月)08:43:05.10ID:nvr1KDSB0
輸入します
元レポ主さまありがとうございます

661名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/06/13(月)08:25:57.68ID:3dECHSov
週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
週刊ポスト(2011/06/24)雅子妃相手に独演5分間、避難所ばあちゃん<お説教>の中身

・3頁の記事。写真は3枚。1枚には「8秒にわたって黙礼した皇太子と雅子妃」のキャプション付き。
・住民が皇太子夫妻訪問の一報を聞いたのは6/2の宮内庁発表。半信半疑だったのか、当日朝、緊急災害ラジオ放送局が「午後から訪問」を告げるとどよめきが走った
・「警官が多く立っている」を根拠に山下小中学校沿道に、100人近くが1時頃から集まる。
・皇太子夫妻を乗せたマイクロバスは厳重警備のなか午後3時頃到着。「雅子様〜」の黄色い声が盛んに飛ぶ。
・被災者にとって雅子妃が「ご病気なのに、わざわざ来てくださって私たちを励ましてくださった」(60代女性)ことが何より嬉しかったよう。
・山下小体育館に避難する40代女性は雅子妃の様子に、つい「どうぞお体を大切に」と声を掛けてしまった。蚊の鳴くような小さな声で全く聞こえなかったため。
・二人のお母さんを大切に、と話しかけた女性は、お説教するつもりではなかった。親(母親)を大切にすることは大事だと率直に思っただけ。女同士だから通じるものがあった。
・4つの恩に感謝して日々を暮らして欲しいと話しかけた68歳女性は、愛子様の名前についても言及。
・見舞いされる側の被災者から雅子妃に多くの励ましの言葉が掛けられたのは、周囲の過敏な対応も一つの要因だったよう。
・年配の男性が時間のことばかり気にしていらいらしている様子で、皇太子夫妻は会話を望んでいるようだったのに、被災者の話にストップ掛けるような行動もあり気分は良くなかった。24時間監視されているようなもの?雅子妃をがんじがらめにしているのは宮内庁だと感じた。体調が悪くなるのも無理はないと思った。(50代女性)
・宮内庁職員が同行のカメラマンに、雅子妃の正面からカメラを向けないよう撮影場所を指示。体育館では窓とカーテンを閉め切って蒸し風呂のようで、皇太子夫妻は汗びっしょり。
6/4という日程は山下小学校の運動会だったため、一部住民から不満の声も。教室に帰ると廊下に警察が既に立ち、先生に出迎えたいと申し出たが、早く帰るように言われた。(小6女子)。午後忘れ物を取りに行き警備にストップを掛けられた児童も。
・土曜日になったのは愛子様に付き添い登校する雅子妃を慮ってのこと。県から訪問受け入れの打診があったのは1ヶ月ほど前。宮内庁からは6/4にという話。小学校の運動会の日だったので正直調整が大変だった。(地元関係者)
・もともと午前中で終了予定。プログラム変更と言うことはなかった。(山下小学校教頭)というが子どもや保護者にはきちんと伝わっていなかったよう。
5時半過ぎ、被災者たちの「ありがとうございました」という声に送られて現地を後に。

〆は今後は岩手県や福島県への訪問も希望されているというが、周囲の過剰な気づかいが続くようではかえって被災者の雅子妃に対する心配を増してしまうのではないか。
以上です。
宮内庁「ご病気なので」と被災地訪問の雅子妃の正面撮影禁ず2011.06.1407:00※週刊ポスト2011年6月24日号

 6月4日、皇太子殿下と雅子妃が宮城県の被災地を訪問。しかし、雅子妃が被災者からお体を心配される光景も見られた。被災者が雅子妃を気づかったのは、周囲の過敏な対応もひとつの要因だったようだ。
「お付きの人なのかしら、年配の男性が時間のことばかり気にしてイライラしている様子でした。両殿下はもっと話をしたい、聞きたいという感じだったのに、被災者側の話を途中でストップをかけたりするような行動もあって、いい気分はしなかったですね。あれでは雅子さまもかわいそう。
 だって24時間監視されているようなものでしょう? 雅子さまをがんじがらめにしているのは宮内庁なんだなと感じましたね。あれでは雅子さまの体調が悪くなるのも無理はないと思いました」(50代女性)
 仙台空港から最初に向かった被災地では、宮内庁職員が同行のマスコミ陣に対し、「妃殿下はご病気なので」と繰り返しながら、雅子妃の正面からカメラを向けないように撮影場所を指示。この職員曰く「ご病気の妃殿下にとって、カメラのレンズを向けられると、ご負担になるから」というのだが、そうした特段の配慮は避難所でもみられた。
 警備上の理由によるのか、避難所となっている体育館は両殿下がいらっしゃる間、窓も全て閉じられ、カーテンが引かれていた。そのため被災者の間からは、「蒸し風呂のようになっていて暑くてたまらなかった。私らは薄着だからまだいいけど、皇太子さまと雅子さまは汗びっしょりになっていた」という声も漏れていた。
528名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/13(月)15:58:54.82ID:MMsdY95D0
週刊朝日2011年6月24日号
週刊朝日新聞(という特集コーナーがある)
皇室 震災後初の被災地入りにも 皇太子ご夫妻への微妙な空気

・6月4日、皇太子夫妻は午後一時半過ぎに自衛隊機で仙台空港に到着
・宮城県岩沼市下野郷を視察、犠牲者に黙礼
・その後、被災者を見舞うため避難所の山下小学校、山下中学校へ
・夫妻は気さくに被災者に声をかけ、励ましたが、逆に被災者から雅子妃を気遣う声が
・「疲れてきたのか雅子様の顔色が白っぽくなった。ご病気なのに来てもらって悪かったかねえ」80代女性
・「雅子様に『私達はなんとか頑張ります。愛子様が心配な状況だから無理しないで』とつい申し上げてしまった」50代女性

・一方、両陛下と秋篠宮ご夫妻・悠仁さまはご静養のためこの日葉山へ
・両陛下が初めて被災地入りされたのは4月27日、秋篠宮ご夫妻は5月10日。皇太子ご夫妻の被災地入りはなぜ3カ月近くかかったのか
・「皇太子ご夫妻のお見舞いはいずれも愛子様が休みの土曜。雅子様にとって愛子様の付き添いが最優先。両陛下のご静養と初の被災地入りが重なれば、皇太子ご夫妻が出遅れた、と思われてしまいますね」宮内庁関係者
・「意図的に組まれた日程ではなくても、結果的に皇太子ご夫妻と両陛下・秋篠宮家の距離感が浮き彫りに」松崎敏弥
・皇太子ご夫妻の次回の被災地訪問は、愛子様が夏休みに入ってからなのだろうか

仲村美希記者 半ページ強。
22名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/14(火)08:29:48.67ID:qb9wCW0P0
レポ輸入します。

725名前:朝まで名無しさん[sage]投稿日:2011/06/14(火)08:25:32.99ID:7e0UxdpU
週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性自身(2011/06/28)雅子さま「次は岩手、福島へ!」−被災者の感涙で<巡礼>決意
・見開き2頁の記事。小さいながら愛子様単独の写真あり。制帽をかぶっていても前髪を切ったことがわかる。
・今月下旬の皇太子訪独、8月上旬の静養予定、夫妻の意向もあり7月中に福島、岩手を訪問予定。東宮職は二県と日程の調整に入っている。
愛子様は吹奏楽部に入部。「お姉様」と慕う上級生がおり、仲良しの友達も入部。
6/11には朝8時からの練習に参加。皇太子に送られて7:50には学校着
〆は雅子妃は皇太子、愛子様と被災地訪問の計画を立てているのかも、だったような。
76名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/14(火)10:05:01.77ID:WNK+sYtjO
ちょっとだけ、確認程度に立ち読みしてきた。

愛子さまが入部したのはやはり「管弦楽部」。
以前からヴァイオリンを習っていたから何ちゃらとか書いてありました。
22名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/14(火)08:29:48.67ID:qb9wCW0P0
レポ輸入します。

週刊女性(2011/06/28)雅子さま連日「一限登校」と結婚記念日「お慎み」
6/8,9の両日、愛子様は雅子妃に付き添われて8:40ごろ登校。1時限目に間に合う。帰りは迎えの車が来ていたが徒歩で。"べったり"から先に歩く愛子様の後をやや離れて追う雅子妃。
・糸川氏が御用掛に就いたことが大きいのかも。公立校出身の糸川氏には学習院、聖心、雙葉のような名門私立にあるしがらみが少なく、様々な親子に接してきた経験も多い。(大意)
・6/4、避難所に向かう雅子妃の顔はこわばっていたが、帰りは笑顔でバスの窓も開けて手を振るなど、大野医師が驚くほど。
6/9の成婚記念日には両陛下・親族を招いての食事会が昨年を除き開かれていたが、今年は震災から三ヶ月しか経っていないということで慎んだようだ。
〆は忘れました、済みません。
以上です
18名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/15(水)18:43:29.46ID:CkhnxAB70
「週刊女性」6/28号p162より引用
6日の月曜日には、明るい水色のジャケット姿でお付き添いをされたとの報道があった雅子さま。
雅子さま、愛子さまが電車にご乗車2011/06/1416:53更新

 東京都豊島区の学習院大学で14日、学習院初等科(東京都新宿区)の児童らを対象にした郷土芸能の「芸術鑑賞会」が開かれ、初等科4年生の皇太子ご夫妻の長女、愛子さまが、雅子さまと出席された。
 終了後はお2方で電車に乗車し、東宮御所に帰られた。雅子さま、愛子さまが電車に乗られるのは珍しい。
104名前:サン毎日1[sage]投稿日:2011/06/15(水)21:33:30.63ID:iU8wq8UA0
サンデー毎日「皇族方は地方に分散してお住まいを」
宮内庁OB2人、現役2人座談会です。
・トウグウ夫妻の被災地入りが遅かったのは、両陛下と話し合いがほとんどないせいではないか。昭和の時代のように1週間に一度というような参内はない。
・東宮職と両殿下や側近との交流がほとんどない。仕事以外の付き合いはほとんどない。
・雅子さまの病状は、医師の診断が出ているのでそれを踏まえなければならない。大勢の人の前に出ると表情が固くなる。
・愛子さまの表情はあまりあかるくない。
・愛子さまに家庭教師が採用されたが、なぜもっと早く採用しなかったのか。小学入学されたら採用するという構想はあったが、理由は解からないがうまくいかなかった。
・小学校入学の時点で幼児教育の専門家を採用したことに疑問を持っていた。
・愛子さまが国内外に転校するということはない。皇族は学習院以外の学校でまなぶこともある。
・皇室典範改正の話は、立ち消えになっているが、愛子さまがどのような将来を背負ってお育ちになるかたいへん心配している。
・皇室報道について何を書かれようが信念をもって仕事をされることが大事でしょう。
・大震災の影響で結婚式出席のための英国訪問を取りやめたが、国内公務をしないでイギリスにいかれたらメディアに非難されていただろう。ただできることからする方針を貫いた方がいいと思う。そして結果が出なければ東宮大夫が責任を取ればいい。
・危機管理という視点、地方の人々が親しみをもてるという視点から皇族方が地方に分散してお住まいになってもいい。悠仁さまお一人になるので考えられない。
・皇室のあり方について「公」と「私」の線引きがはっきりしてくるだろう。国民がプライベートの部分で今より厳しくなるのを危惧している。若い世代ほどプライベートに関しても厳しくなってくるだろう。
・天皇陛下も即位された頃は、マイホーム過ぎるという声が聞かれたが、今はほとんど聞かれない、皇太子殿下が即位されれば同様の道を辿られると願っています。
157名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/15(水)23:20:15.84ID:rqpdXi3H0
週刊新潮最新号レポです。
詳細は各自ご確認願います。記事は約1ページ。

週刊新潮(2011.06.23号)
<ワイド特集>土砂降りに破れ傘
学級崩壊クラスも担任した 愛子さま新家庭教師の腕前

・5月16日に家庭教師に任命された糸川順子さん。「彼女の勤務シフトはまだはっきり固まっておらず、今はまだ慣らし運転中。」(宮内庁担当記者)
・実は最近愛子さまにちょっとした変化が起きていた。「6月8日と9日の2日連続で1限目の授業から出席できたのです。2日連続で1限目に間に合ったのが、不登校が始まって以来初めてのこと。しかも水曜日に限っていえば、3週連続で1限目に間に合っています。」(学習院関係者)
・ひょっとして、愛子さまの心持ちに糸川さんの存在が好影響を与えているのだろうか。さすがベテラン、なかなかの手腕ではないか。
・「子供のどんな些細な意見でもちゃんと聞いてきちんとコメントをしてくれる姿を見て、感激した覚えがあります。あんな先生は初めてでしたからね。」(ある男子児童の祖母)
・何でもそのクラス(注:前出の男子児童のクラス)には授業中に奇声を発したり教室を飛び出す情緒不安定な男児がおり、それを囃す数人のやんちゃ児童もいて、授業が成立しない学級崩壊状態だった時期があったという。この孫もやんちゃの一人。
・「暴れん坊でしたが、糸川先生はちゃんと抱きとめてくれてね。地域の野球の試合も覚えてくれてて応援に来てくれる。だから孫も認めてもらえたと思ったんでしょう。後にはクラスの騒ぎを収める側になりましたよ。」(前出の男子児童の祖母)
・「一般論として、先生を困らせてしまう子は何かしら欲求不満を抱えており、そういう子に接する上で大切なのは受け止める姿勢。愛子さまと糸川先生との間にも信頼関係が築けるかが大切ですね。同時に、雅子さまがご自分の仕事に一生懸命取り組む姿を愛子さまにお見せすることも重要です。」(教育評論家 長谷川孝氏)

「4年生に進級されて音楽系のクラブ活動も始められたという愛子さま。よき兆しがこのまま定着すればよいのだが。」で〆。
240名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/16(木)07:07:15.20ID:hgS4IvbX0
女性セブン立ち読みしました。
細かいところはいつもレポしてくださる方にお任せします。
学習院の芸術観賞会、保護者同伴は1,2,3,6年のみだった。
女子会については大親友のAさんが海外に転校して愛子さまが沈んでいるために開かれたもの。
Aさんは幼稚園は違ったが小学校から同じクラスで、
各ご静養、スキー、スケートにも同伴された子だっただけに大きなショックを受けてたようだ。
295名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/16(木)08:47:03.55ID:u88bsLzX0
レポ奥いつもありがとうございます、輸入してまいりました。

週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/06/30)雅子さまは苦悩8年、英国騒然「キャサリン妃不妊症」報道の衝撃
・3頁の記事。米誌「InTouch」が、4月に結婚したウイリアム王子、キャサリン妃は子を持つ喜びに恵まれないという記事を掲載したと英大衆紙が報じる。
・妃は成長期にかかった病気が原因で不妊症であり、ブライダルチェックを担当した王室の医師が認めるコメントを寄せていること、またエジンバラ公(ウロです)ガン報道の時には即座に否定した王室が、2週間経っても何のコメントも出していないことが信憑性を高めている、と国民は噂。(大意)
・英王室には皇室のように男子継承が明文化されていないが、女子が継承した後は男子の継承者がいてもその女子の子孫が継承していくことになっている。また女子にも継承順位が決められている。
・夫妻に子どもが授からなくてもハリーがいるのだし、ウィルは故ダイアナ元妃の不倫の子という噂があり、ハリーに継いで欲しいと思っている国民もいる。
・以下、皇后陛下と雅子妃の流産の経緯、傷心を周囲の重圧を絡めて。
〆はキャサリン妃は新しいプリンセス像を作り上げていって欲しい、だったような。
同誌同号:愛子さま、大親友と別離の傷心埋める東宮御所内「女子会」
・2頁の記事。6/14、学習院大学で初等科児童を対象にした芸能祭が開かれ、雅子妃と愛子様も出席。1.2.3.6生のみ保護者同伴が許可されていたが、雅子妃は4年生の愛子様に付き添い。
・愛子様は夏休み明けから本格的に活動する特別クラブの管弦楽部に入り、チェロを教わっている。
・3年生修了時に大親友のA子さんが父親の赴任に伴って海外へ。長野のスキー、夏の静養、スケートにも同行するなど院内外でとても仲の良かった。
・愛子様は大変ショックで門前に到着した車からなかなか降りてこなかったり、ジグザグに歩いた
4/9(始業式)午後、最初の女子会が東宮御所で開かれる。沈んでいる愛子様を励ますため。4年生南組の女子がよく招かれている。
・恋バナに花を咲かせることもある年頃になり、同年代の女子とつながっておくことが大切と雅子妃は考えたようだ。(大意)
〆は忘れました、済みません。
【皇室ウイークリー】(184)皇太子ご一家、「お忍び」で夜の皇居へ…目的は?2011.6.1807:00

 皇太子妃雅子さまと長女の敬宮愛子さまは14日、東京都豊島区の学習院大学で、学習院初等科(東京都新宿区)の児童らを対象にした「芸術鑑賞会」に出席された。伝統芸能の舞踊を鑑賞されたという。
 終了後は電車に乗り、赤坂御用地に近い駅で下車。東宮御所に戻られた。電車の利用は、最初から予定されていたわけではなく、現地に行かれてから決まったという。静養先に向かう新幹線などを除けば、雅子さま、愛子さまが電車に乗られるのは珍しいといえる。
 愛子さまは東京・目白の学習院幼稚園に通っていた平成19年、帰宅の際に雅子さまと一緒に普通電車に乗られたことが3回ある。警備上の問題から、愛子さまは普段、車で幼稚園に通われていたが、皇太子ご夫妻の「一般の子供と同じような経験をさせたい」とのお考えから実現したという。
 雅子さまと愛子さまは今回、車窓から見える光景を当時と比較しながら、車内で言葉を交わされたかもしれない。
 一方、皇太子さまはこの日朝から、昭和天皇と香淳皇后の陵墓である武蔵野陵と武蔵野東陵(東京都八王子市)を参拝された。「日独交流150周年」の日本側の名誉総裁として、21日からドイツを公式訪問するのを前に参拝されたもの。モーニング姿の皇太子さまは武蔵野陵と、隣接する武蔵野東陵を順に回り、それぞれ玉串を奉納した後、深々と拝礼された。
 このように14日は、皇太子ご一家それぞれに忙しく過ごしたわけだが、夕方すぎには、そろって皇居を訪問された。これは、宮内庁発表の公式日程には掲載されない「お忍び」のご訪問だった。
 宮内庁関係者によると、ご一家は、宮内庁車馬課が管理する馬を皇居内の厩舎(きゅうしゃ)でご覧になり、夜に帰ったという。天皇、皇后両陛下には会われなかった。
 この馬は、前回の【皇室ウイークリー】(183)のメーン写真にもなっている「空勇号」。伊勢神宮(三重県)の神馬(しんめ)となることが決まったのを受け、3日には取材設定がある中で両陛下が厩舎を訪問し、ニンジンを与えられていた。
 空勇号は18歳で、皇太子妃雅子さまをはじめとする皇族方が乗馬に使われてきた。15日に空勇号が、神馬になる準備のために宮内庁の御料牧場(栃木)に移動することになったため、前日にご一家で様子を見にいかれた、ということのようだ。
 皇太子さまは17日、ドイツご訪問を前にした記者会見に臨まれた。会見は外国訪問前の恒例。今回は21日から25日までベルリンを訪問される。
 会見の詳報は、別途MSN産経ニュースに掲載しているので、合わせてご覧になっていただきたい。皇太子さまは、雅子さまと3回行われた東日本大震災の被災地・避難所訪問については「今後とも、受け入れ先のご都合を十分に配慮した上で、お見舞いや現地の事情を伺う機会を、持っていかれればと思っております」と、今後も行っていく考えを示された。
73名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/21(火)08:17:27.80ID:XnvrhP8M0
>>1スレ立&ハリハリ乙です。

朝イチで輸入してきました〜
レポ奥いつもありがとうございます。

週刊誌レポ。ウロな部分が多いのでメモとして。詳細は各自ご確認ください。
週刊女性(2011/07/05)雅子様、皇太子様と午前8:20絶妙バトンタッチ
・巻頭カラーグラビア1頁目に、ホーム上での愛子様とやや後ろの雅子妃。ひざまずいて撮ったような角度
・6/14、皇太子は21日からの訪独に向けた参拝をしたが雅子妃は欠席。この日の芸術鑑賞会出席に備えたのかもしれない。
・1,2,3,6年生のみ保護者同伴が許可されたが、雅子妃は付き添い。昨年3月から登校に不安を覚える愛子様なら仕方ないか。
・しかしこの日の愛子様はとても元気そう。仲良しの子2人と出てきて、池の鯉を眺めた後、そのまま駅へ向かって歩き出す。
・雅子妃は時々侍従と会話して懐かしむような表情。
・侍従や女官、皇宮警察、四谷署警官など20名あまりの集団
・信号操作の警官も配置され、それに気づいた女性たちが声を掛ける。
・これは少し前から計画されていたようだ(宮内庁担当記者)
・電車体験は被災地訪問の雅子妃の体験をなぞるものではないか。
6/15、皇太子に付き添われ、朝練に参加。8:20,雅子妃、歩いて初等科へ。皇太子と交代。皇太子はイクメン。
6/18、授業参観。8:30ごろ、両親と共に登校。12:00ごろ下校。招いた4,5人の女子と東宮御所へ駆けていく。
〆は忘れました、済みません。
女性自身はもう少しお待ちください。
女性自身7月5日号ざっと見てきた。

14日の芸術鑑賞会からの帰宅を電車でと希望したのは愛子さまだそうな。
東宮女官さん、あわてて車に荷物を取りに走ったとか。東宮御所に着いたのは4時ごろ。
その後の東宮一家の動静をマスコミはキャッチしていなかったけれど、ネットなどで目撃情報が出たため宮内庁幹部に問い合わせ。当初は見間違いではないかということだったが、確認してもらうと確かに東宮一家が皇居に出かけていたことがわかったんだって。
記者たちはてっきり両陛下の下へ参内したと考え、どんなお話をしたかなど質問。
でも「両陛下には会っていない」との返事。
普通なら千代田側と赤坂側がきちんと打ち合わせをするのに、千代田側が東宮の動きを把握していないのはこの関係がきちんといってないから?千代田側が知らないなら両陛下も御存じないだろうと。
渡辺みどりいわく、千代田ときちんと連絡しない東宮職が悪い。東宮夫妻に両陛下にお会いになるべきと進言する東宮職はいないのか?
雅子さまの病気、愛子さまの不登校が解決していないので両陛下には会いにくいのかも。
愛子さまは管弦楽部でチェロをやることになったんだから、そのことで話ははずみそうなのに…。
−−−−−−−
以上、完全に自分の脳内でこんなことが書いてあったかな、というのをまとめただけです。
原文ママではないことをご了承ください。
116名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/21(火)08:56:52.15ID:t1m4lw9u0
女性自身'11.7/5号をざっとレポ。
3頁の記事。
雅子さま 愛子さまと皇居に駆けつけて美智子さまを“素通り”の愕然

・14日の皇太子一家の皇居訪問は、宮内庁は事前に発表しておらず、宮内庁担当記者たちにも知らされていなかった。
・しかし、皇太子一家の目撃情報が徐々に広がり、宮内庁担当記者が宮内庁幹部に取材したところ、「皇太子一家がいらしたことは聞いていない」「目撃情報が間違っているのではないか」などと、口々に答えた。両陛下の側近である侍従たちでさえ、聞いていなかった。しかし、侍従の一人が確認したところ、皇太子一家の皇居訪問が事実であることがはっきりした。(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・14日の電車帰宅は愛子さまの希望で、雅子さまが急遽決めた。待機していた車に、東宮女官が荷物を取りに慌てて走っていた。(皇室担当記者)
・雅子さまと愛子さまが帰宅したのは午後4時半頃。その後、皇太子一家はワンボックスカーで皇居へ。
・当初、宮内庁担当記者たちは、皇太子一家の皇居訪問は、天皇皇后両陛下への久しぶりのご挨拶のためと推測していた。「皇太子ご一家と両陛下はどんなお話をされたのでしょうね?」そう聞いたところ、侍従は強張った表情で、「…その日、両陛下は皇太子ご一家にお会いしていません」
・皇太子一家がいらしたのは、御所ではなく、宮内庁の厩舎。雅子さまも、愛子さまとご一緒に、愛馬であった空勇にお別れを告げたかったのでしょう。(松崎氏)
・雅子さまは一時期、治療の一環として頻繁に乗馬をされていた。白馬の空勇は雅子さまのお気に入りの一頭だった。だが、この愛馬とのお別れは、宮内庁関係者たちの間に波紋を呼んでいるという。
・両陛下と皇太子ご夫妻のスケジュールに関しては、基本的には侍従と東宮侍従が連絡を取り合う。皇太子ご一家の皇居訪問を、侍従たちが知らなかったということは、すなわち天皇皇后両陛下もご存じなかった可能性が高い。宮内庁幹部のなかには、「せっかく皇居に愛子さまといらしたのに、両陛下にご挨拶もされないとは…」と愕然とする者もいたそうだ。(松崎氏)
・半蔵門と御所の距離はわずか数百メートル。この日の出来事が関係者たちにとってショックだったのは、両陛下と皇太子夫妻の“すれ違い”が最近、宮内庁内でも強く危惧されていたからだという。
・皇太子夫妻は6/4に初めて被災地訪問したが、同じ日に両陛下と秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、ご一緒に葉山御用邸で静養されている。
・さらに皇太子一家が愛馬を見送った前々日の12日にも、秋篠宮ご夫妻は両陛下のもとに参内されたばかり。5/25に両陛下は都内の子育て支援施設を視察され、その際、天皇陛下はじゃがいも栽培をしていた親子と歓談され、「悠仁はじゃがいもより虫のほうに興味があるんだよね」と、嬉しそうにお話された。
・皇太子ご一家に比べれば、明らかに秋篠宮ご一家のほうが、両陛下と頻繁に会われているのです。(宮内庁関係者)
・6/14のお出かけについて、渡辺氏は、「東宮侍従たちに問題があると思う。もし愛馬とのお別れが雅子さまの急な思いつきであったとしても、東宮侍従は侍従にきちんと連絡を取るべきだった。それが出来なかったとすれば、東宮侍従と侍従たちの日頃のコミュニケーションがうまくとれていなかったからではないか。さらに言えば、なぜ東宮侍従たちは、皇太子ご夫妻に『両陛下にご挨拶してはいかがでしょうか』と進言しなかったのか不思議。ただ、皇太子ご夫妻としても、両陛下とは気軽に顔を合わせづらい心境なのかもしれない。雅子さまには“美智子さまのご期待に沿えてない”という気持ちもあるだろう。特に、美智子さまが精魂を傾けられた被災地ご訪問にしても、皇太子ご夫妻のお見舞いの動きは早かったとは言えないし、回数も秋篠宮ご夫妻に比べれば少なすぎです」

詳細は皆様各自でご確認を―
皇太子さま、ドイツへ出発 交流150周年記念の訪問2011年6月21日12時20分

 皇太子さまは21日午前、東京・羽田空港から政府専用機で、ドイツへの公式訪問に出発した。同日午後(日本時間深夜)、首都ベルリンに到着。25日に帰国する。
 日独交流150周年を記念した訪問で、ウルフ大統領夫妻主催の晩餐(ばんさん)会に出席するほか、メルケル首相との面会、環境や防災に関するシンポジウムへの出席などが予定されている。当初は8日ほどの旅程が想定されていたが、東日本大震災の直後であることを考慮し、短縮された。
 ドイツ側からは皇太子ご夫妻の招待の申し出があったが、雅子さまは病気療養中のため同行を見送った
(写真説明文:ドイツに出発する皇太子さまを東宮御所で見送る雅子さま。朝、長女愛子さまを学習院初等科に送り届けたのち、見送りのためいったん帰宅したという=21日午前11時25分、東京・元赤坂)
319名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/23(木)08:09:05.17ID:+JMKvkL+0
レポ主様、いつもありがとうございます。
朝イチ輸入でございます、どうぞご覧あれ〜〜〜

週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/07/07)愛子さま、父の日に送られた「パパとママの絆」手紙
・6/14、電車で帰宅した雅子妃と愛子様、皇太子は皇居を訪問。5時前に入り約2時間、一家で乗馬を楽しむ。空勇号に別れを告げるため。皇太子は愛子様と楽しいひとときを過ごしとても満足そうだった。
15日7時過ぎ、ワゴン車で愛子様登校、皇太子付き添い。朝練は7時半から20分間
・音楽室まで付き添った皇太子は(以下太字)音楽に造詣が深い皇太子は、愛子様が同じ管弦楽に興味を持ったことが嬉しかったのか、食い入るように練習を見ていた(ここまで)(学習院関係者)
・1時限目が終わった(←おそらく「練習が終わった」の間違い)8:20ごろ、登校してきた雅子妃とバトンタッチ、帰宅。
・6/18、授業参観に夫妻そろって出席。徒歩で登校。(皇太子は車で帰宅)下校時の愛子様は皇太子出席が嬉しかったのか、スキップしたり、バイクの運転をするような仕草で左右に走ってみせる。(皇室記者)
19日、父の日。午後、一家3人で楽器演奏。愛子様はチェロを。ミニコンサート会場のような美しい調べ。
ドイツのDVD鑑賞。愛子様から大好きなパパへ手紙。これからもパパとママとの絆を大切にしていきたい、という内容に夫妻は目頭を熱くする。
・昨夏は反抗期で両親と距離を置いていた愛子様だが、感謝の気持ちを自分の言葉で伝えられるほどに成長されたよう。
〆は愛子様からのかけがえのないプレゼントを胸に皇太子はドイツへ出発した。
以上です。
【皇室ウイークリー】(185)陛下「ブラックジャック」話題に 愛子さま4年ぶり?スイカ使われる2011.6.25 07:00抜粋

 皇太子さまは21日、日独交流150周年の関連式典などに出席するため、羽田空港から政府専用機でドイツ・ベルリンに向け出発された。
 日独交流150周年の日本側名誉総裁を務める皇太子さまは、ベルリンで式典のほか、ウルフ大統領夫妻が主催する晩餐(ばんさん)会、環境や災害対策の日独協力をテーマにしたシンポジウムなどに出席された。きょう25日に帰国される。
 21日にお住まいの東宮御所(東京都港区)を出発される前には、皇太子妃雅子さまをはじめとする皇族方が玄関で見送られた。
 宮内庁東宮職などによると、皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは今週も、1時限目から出席する日があったほか、お付き添いの皇太子妃雅子さまと歩いて通われた日もあった。皇太子さまがドイツに発たれた21日は2時限目に合わせてご登校雅子さまは直後に東宮御所に戻り、着替えて皇太子さまを見送り、再び学習院初等科に戻られた
 一方、同日の宮内庁の野村一成東宮大夫の会見では、前回の皇室ウイークリーでも紹介した、愛子さまの電車のご乗車に関する言及があった。記者側の質問に答えたもので、小学校入学以降は、こうした形で普通電車に乗られるのが初めてだったことを明らかにした。また、愛子さまの希望で電車に乗られることになったことを示唆した。
 雅子さまと愛子さまは、学習院大学(東京都豊島区)で14日、学習院初等科(東京都新宿区)の児童らを対象にした「芸術鑑賞会」をご覧になった後、JR目白駅からご乗車。代々木駅で乗り換え、東宮御所に近い信濃町で降りられた。
 このルートは、愛子さまが目白にある学習院幼稚園に通っていたころにもたびたび利用されており、宮内庁が報道各社に対して取材を許可したこともあった。小学4年生の愛子さまは今回、当時と同じく乗車カード(電子マネー)の「スイカ」を使われたという。
 スイカは電子マネーとして一般商店などでも使えるが、電車に乗るために使われたのは、おそらく約4年ぶりだったのではないだろうか。このスイカが、幼稚園のころ使われていたものと同じかどうかは「分かりません」(野村東宮大夫)という。
愛子さま 付き添いなしで登校6月25日 19時8分

皇太子ご夫妻の長女の愛子さまは、25日、雅子さまの付き添いなしで学習院初等科に登校されました。愛子さまが通学への不安を感じるようになられた去年の2月以来1年4か月ぶりのことです。
愛子さまは、25日午前8時前、雅子さまの付き添いなしで、宮内庁の職員らと共に東京・新宿区の学習院初等科に歩いて登校されました。紺のセーラー服に白い帽子姿で、時折ほほえみながら正門をくぐられました。小学4年生の愛子さまは、クラブ活動の管弦楽の練習に参加したあと、お住まいの東宮御所に歩いて戻られました。愛子さまは、去年2月、通学への強い不安を感じ、雅子さまに付き添われて一部の授業にだけ出席される日が続きました。去年の秋からは学校で過ごす時間が長くなり、最近ではすべての授業に出られる日もあるということです。愛子さまが、雅子さまの付き添いなしで登校されたのは1年4か月ぶりで、宮内庁は、学校と連携しながらひとりでの通学が続けられるようサポートしていくことにしています。
144名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/28(火)07:25:22.10ID:WlWELh3/0
週刊誌レポ。
女性自身’11.7.12号
愛子さま お一人登校を生んだ3日前の母娘「予行演習」!
2頁の記事

6/25の朝8時前、愛子さまが登校。8時から管弦楽部の練習があるからだが、最近の登校とは大きな違いが2つ。1つは東宮御所から歩かれたこと。もう1つは雅子さまの付き添いがなかったこと。
・これは、皇太子一家にとって大きな一歩。これを生んだのは、皇太子不在5日間での、雅子さまの知られざる奮闘だった。
・実は3日前の22日には、雅子さまと愛子さまは、お一人登校の“予行演習”も敢行していた。22日も、管弦楽部の朝練習がある日だった。「朝練は、平日は7時半、土曜日は8時からスタートします。愛子さまも何度か参加されていましたが、その際の付き添いはこれまで皇太子さまが担当されていました」(学習院関係者)
・この日の朝も初等科周辺には、雅子さまと愛子さまを待つ東宮職員や皇宮警察管らがいた。しかし7時過ぎ、無線で連絡があったようで、彼らが驚きの表情を浮かべた。そして6、7人が猛烈な勢いで東宮御所へ走りだしたのだ。雅子さまと愛子さまが歩いて初等科にやって来たのはその数分後
・最近、ときどき徒歩で下校するようになった愛子さまだが、歩いて登校する様子は確認されていない。慣れない早朝の徒歩登校に緊張しているのか、愛子さまはうつむき加減。そして初等科正門の20メートルほど手前で、雅子さまは愛子さまの顔を近づた。
「愛子さま、ここからは一人で行くのよ」そう激励したのだろう、愛子さまはうなずき、雅子さまに微笑んで、駆け足で校内へ。
・「この日の徒歩登校は予定されていなかったのでしょう。雅子さまが急きょ決められ、初等科付近の警官たちが警護のために急いで駆けつけたようです。雅子さまのお付き添い登校が始まった昨年の3月8日から数えると、480日ぶりの出来事でした」(皇室ジャーナリスト・松崎氏)
・22日の徒歩登校で愛子さまは自信をつけられたようだ。「23日、24日も、お車での登校でしたが、愛子さまは1時間目から出席されました」(学習院関係者)
・皇太子さま不在の間に3日間連続で愛子さまは1時間目から出席。これも不登校問題発生以来、初めてのこと。後押ししたのは雅子さまの並々ならぬ熱意だったに違いない。
・「皇太子さまは、管弦楽部の朝練習に積極的に付き添われていましたが、それも、“部活動が、登校しぶり解消のきっかけになれば”と、お考えになったからだと思う」(渡辺みどり氏)
・愛子さまは管弦楽部の活動にはとても積極的。入部を決めた直後の5/25には不登校問題発生以来、初めて1時間目から出席している。
・「雅子さまも皇太子さまの考えを酌まれたのでしょう。土曜日練習のあった25日には、“今日は一人で行ってみたら”と、お勧めしたのだと思います。愛子さまも、『パパがいない間も、ちゃんと練習に出るから心配しないでね』と、皇太子さまに約束されていたのかもしれませんね」(渡辺みどり氏)
・「お一人で登校されたことは、愛子さまにとって大きな成功体験。このことを皇太子ご夫妻が褒めることで、愛子さまはさらに自信を深めるだろう。今回の件は、雅子さまにとっても成功体験になると思う。この1年4ヵ月間、ずっと付き添いを続けたことがまさに実を結んだ。雅子さまの自信にもなり、ご体調回復へのプラスになると思う」(精神科医・香山氏)
・皇太子夫妻は7月に被災地訪問を検討。「7月上旬で日程を調整しているそうです。訪問先は、岩手県か福島県になりますが、皇太子夫妻のスケジュール、交通の便、被災地側の都合など、さまざまな条件を加味して決定されます」
・これまでのお見舞いは愛子さまの学校のない日に限定されていた。しかし、今後も愛子さまが一人で登校するようになれば、調整は今よりもやりやすくなるという。
〆は、1年4ヵ月という長い苦難の時期を乗り越えて、いま皇太子一家は夏を迎えられる―
146名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/28(火)07:26:31.33ID:WlWELh3/0
週刊女性’11.7.12号
愛子さまが守ったドイツ訪問中パパとのお約束!
2頁の記事

・「今回のご一家のご様子はとても印象的だった。というのは、去年の皇太子さまのアフリカ(3月)やスウェーデン(6月)ご訪問の送迎の際、愛子さまは報道陣の前に姿を見せなかったが、今回は笑顔でお父様をお迎えしたから」(宮内庁関係者)
・昨年の3月や6月は、愛子さまが学校での「不安感」に苦しんでいたころ。それがここに来て持ち直してきているのだろう。皇太子が出発した21日から、皇太子一家にその様子は見られた。
・その日、雅子さまは9時40分過ぎに愛子さまの同伴のために初等科へ。愛子さまは2時間目からの授業。明るいグレーのパンツスーツの雅子さまはすぐにUターン。「今度はスカートにお召し替えになり、皇太子さまをお見送りされ、ご夫妻はいつにない笑顔で“余裕”を感じることが出来ました。その後、再びパンツスーツ姿で昼過ぎに学校に戻られました」(同前)
・翌22日はいつもより早く警備が配置。7時20分ごろになると、警察官たちが校門前や通学路に張り付いた。すると、数百メートル離れた東宮御所の方から10人ほどの集団が。初等科校門前に到着すると、管弦楽部の先輩だろうか、愛子さまよりひと回り大きい女子児童が鉢合わせし、手を振って「オハヨー」。愛子さまもはにかむように挨拶しながら校内へ。
・「愛子さまが不登校気味になられて以来、通常の授業、しかも朝練がある日に徒歩でいらっしゃったのは初めてだと思う」(学習院関係者)
・今回の“快挙”だが、先々週の電車での帰宅、18日の授業参観日には両親と徒歩で登校するなど、その前兆はあった。
・「もしかしたら、皇太子さまがドイツを訪問されている間に、歩いて1時間目から登校する“お約束”があったのかもしれませんね」(渡辺みどり氏)
・「愛子さまがお留守番中に、管弦楽部の朝練や1時間目から徒歩登校されるという“宿題”をきちんとこなすことが出来れば、お父様がドイツで楽器のお土産を買ってこられることになっていたのかも」(渡辺みどり氏)
・ドイツへ出発される時、皇太子夫妻の表情がいつになく和やかだったのも、実はそういった愛子さまの順調さがあったからなのかもしれない。
22日、朝7時20分に登校され、夕方4時に下校されるまで9時間近く学校に滞在することになった雅子さまだが、最近は、当初言われていたように、休み時間を含めて全ての授業に付き添っているわけではないという。
・「野村東宮大夫は会見で、“(参観を)お休みになる時間がある”“最初の頃とは大いに違っている”などと、最近の雅子さまはフルタイムで授業参観をされていないようなことをいっています。学習院初等科には、皇族方用の貴賓室のような部屋もあるので、最近はそこで過ごされていることも多いのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
・23日、24日も車に乗られていたが1時間目から登校。パパのお留守を守る間に、3日連続の「1時間目登校」となった。
・最近、帰りのときは迎えの車は来るものの、徒歩は珍しくなくなった愛子さま。雅子さまも同伴するが、愛子さまが先に元気よく東宮御所に向かう場面が多く見られることもあり、今後は一人でも大丈夫そうだ。
・残るは一人で登校出来るかどうかだが、そのきっかけ作りを渡辺みどり氏は次のように提言。「愛子さまは、夏休みに東日本大震災の被災者のために折り鶴を折ったり絵を描いてお届けになったり、被災地の子どもたちと交流される機械をもたれればいいと思う。いい刺激になり自立心も養われて、通常の学校生活にお戻りになるきっかけに
なるのではないでしょうか」

〆は、先週の週末は、皇太子さまのドイツ土産を広げながら、ご一家で今後のご登校計画や、被災地ご訪問の予定を話し合われていたのかもしれない―

―詳細は皆様各自でご確認ください。
レポ、以上です。
皇太子ご夫妻:7月下旬、福島慰問へ毎日新聞 2011年6月28日 15時00分(最終更新 6月28日 15時19分)

 皇太子ご夫妻が7月下旬に東日本大震災の被災地、福島県を訪問することがわかった。県などによると、26日を軸に宮内庁と調整している。8月上旬には岩手県を訪れることも検討している。ご夫妻が東北の被災地を見舞うのは6月4日の宮城県以来。
 県関係者によると、ご夫妻の訪問は自衛隊機を使って日帰りとなる見込みで、今のところ二本松市、郡山市の避難所などを慰問する予定。皇太子さまは17日にあったドイツ訪問前の会見で被災地に触れ「これからも長く心を寄せ、復興への道のりを見守り続けたい」と述べている。【真鍋光之】
669名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/29(水)08:39:34.40ID:yPXdf3I10

週刊誌レポ。
週刊女性’11.7.12号
天皇ご一家 妃の悲劇の陰に/現在も続く/嫁姑問題
2頁の記事

・「嫁が跡継ぎを産まない」「家のしきたりを守らない」「そのくせ海外旅行やレストラン通いは大好き」
こんな、一般家庭でもありそうな、ありふれた“嫁いびり”を現に受けている女性がいる。それは日本一、古い家系、天皇家に嫁いだ皇太子妃雅子さまだ。
・雅子さまは現在も長期の静養生活を送られている。この“プリンセスの悲劇”で常に囁かれているのは、“皇室でのイジメが原因”“嫁姑問題が原因”という風評である。しかし、「体調を崩され“嫁姑問題”を囁かれたのはかつての美智子さまもたどった道だった」(皇室番組ディレクター)(美智子さまもと香淳皇后のエピソードは中略します)
・美智子さまも流産後、静養生活を過ごされた。約4カ月でご静養を終えられた美智子さまに比べ、静養生活が8年目に入った雅子さま。最近では、一部の“乱暴な”児童に不安を感じられている愛子さまの登下校にほぼ毎日付き添われている。
・体調を崩された原因のひとつとして皇太子さまの“人格否定”という指摘は余りにも有名。
・華麗なるキャリアで“新時代のプリンセス”と期待を一身に集めてのご成婚だったが、結婚11年目での長期静養入り。それ以後、出席するべき公式行事、宮中祭祀もほとんどご欠席。
・ご静養に入って8カ月後に発表された病名は“適応障害”。そもそもご成婚の直後から、「“お世継ぎ出産”に関し、さまざまなプレッシャーをかけられ、雅子さまは皇室全体と宮内庁に不信感を抱かれていました」(皇太子夫妻の知人)
・雅子さまは、そのキャリアから、皇太子妃となってからも国際親善に力を発揮していきたいと望まれていたという。「しかし、皇太子妃の仕事の中心はあくまで、毎月のようにある地方公務に、皇太子さまと一緒にご臨席することなのです」(前出・皇室番組ディレクター)
・事実、皇太子さまもかつて「外国訪問をなかなか許されなかったとことに大変苦悩しておりました」と述べられている。(平成16年5月の記者会見で)
・平成の皇室で噂される嫁姑問題の“真実”を語る人物はいないし、入江相政日記のような資料も世に出ていない。そのため、雅子さまと“皇室環境”との軋轢に姑の美智子さまが直接関係されているかははっきりとは分からない。
・しかし、陛下は誕生日のご会見で、「愛子は私どもと合う回数が少ない」と述べられている。(平成18年)
・皇太子一家、そして雅子さまの足が両陛下の住む御所から遠ざかっているのは確かなのだ。
・「勤労奉仕団へのご会釈や御養蚕といった公務や伝統を重んじ、“私”の部分を二の次にするのが美智子さまの姿勢なので、病気療養のため公務に出られない雅子さまが、愛子さまに付き添っての登校は毎日のように続けている姿勢とは、対照的に感じられるのは事実です。ただ、お世継ぎ問題については、男子を産むプレッシャーに悩まされた点で、お二方は共通しています」(産経新聞元宮内庁担当・大島氏)
・“公と私”の考え方と理想の皇太子妃像の違い。このような目に見えないものが、雅子さまの足を美智子さまから遠のかせている可能性はある。
・公務を完璧に務めるのはもちろんのこと、“国民と苦楽を共にすること”を第一と考えられるのが両陛下。一方の皇太子夫妻は、“しばしば私事を優先される”と批判を受けることが多い。
・皇太子一家が東京ディズニーランドに出かけられたこと、皇族では初めての、海外静養としてオランダに滞在されたこと、雅子さまの公務欠席が常態化する中で、しばしば高級レストランに出かけられることなどは特に厳しい声があがった。
・ただし、美智子さまご本人は、ご静養中の雅子さまをご心配するお言葉をたびたび述べられている。

〆は、美智子さまと雅子さまの“嫁姑問題”は、むしろ雅子さまと、皇室周辺が
勝手に想定する“理想の皇太子妃像”との軋轢なのかもしれない。

詳細は皆様各自でご確認ください―レポ、以上です。
305名前:可愛い奥様[sage]投稿日:2011/06/30(木)06:51:57.32ID:bnPMuydR0
週刊誌レポ。
女性セブン’11.7.14号
皇太子さまドイツからご帰国/愛子さま はにかんだ手

1頁のモノクログラビア記事。
・皇太子を迎える雅子さまと愛子さまの正面からの写真と、東宮御所の中に戻る際の後ろから撮った皇太子一家の写真。
・皇太子を迎えた愛子さまの手の動きがとてもかわいらしかった。4日ぶりの皇太子の姿に思わず手つなぎしたくなるのをぐっと我慢するように、ずっと手を後ろに組んでいて、話したのは住まいに戻る時。
〆は、小学四年生、甘えたいけど、もう大人ですもん。
皇太子妃雅子さま 学習院初等科 貴賓室9時間の謎

3頁の記事。
・学習院初等科の正門→右手に進むと本館の来賓用の玄関があり、ここは児童はもちろん、教職員も利用しない入り口となっている。
・そこから2階へ上がると、観音開きの重厚な木製の扉の部屋が。この扉は常時閉められており、中をうかがうことは出来ない。その扉が醸し出す厳かな雰囲気から、子どもたちでも、ただならぬ部屋だとわかる。そこは「貴賓室」と呼ばれる特別な部屋。
・昭和15年、今上陛下が初等科に入学される際に建てられたのが現在の本館で、貴賓室もその際に作られた。
・「貴賓室は、皇族方が来校された時に使用する“特別室”で、これまで運動会などの学校行事のときに、休憩場所としてお使いになっていました」(学習院関係者)
・だが最近では、この貴賓室の用途に変化が起こっている。
・6月22日、雅子さまは管弦楽部の朝練のため、午前7時過ぎに愛子さまと登校。それから授業全てが終わる午後4時近くまで、実に9時間近くもの間、初等科の校内にいた。しかも、その大半を貴賓室で過ごしていたという。
・「3年生までは、雅子さまは愛子さまの教室で授業を見学されていました。しかし、4年生となられた4月からはほとんど授業には姿を見せられず、貴賓室で過ごさるようになったそうです」(前出・学習院関係者)
貴賓室は20畳ほどのゆったりとした空間。初等科内には、貴賓室とは別に応接室があるが、広さはその約3倍だという。貴賓室は白壁と木目が調和し、シックで落ち着いた雰囲気。
・「室内にはいくつかの観葉植物が飾られ、部屋の中央には応接セットが置かれていて、テーブルを挟んでベージュの3人がけのソファが並んでいます。あくまでも皇族方が小休止するための部屋ですから、テレビや娯楽等の機器は置いていないということです」(前出・学習院関係者)
・この貴賓室には南側に大きな窓があり、天井から床まで舞台の緞帳のようなビロードのカーテン。そのカーテンを開けると校庭が一望に見渡せるという
・「雅子さまも窓際に立たれて、愛子さまのご様子を遠くから見守られていることでしょう」(前出・学習院関係者)
・貴賓室に雅子さまがいるときには、周囲の様子で児童や教職員はすぐにわかるという。
・「貴賓室の前に2人、階段の下に1人と、合わせて3人のSPが警護にあたります。なので、“ああ、雅子さまはいま、ご在室なんだな”と認識します。いらっしゃらないときは、せいぜいSPは1人だからです」(前出・学習院関係者)
・雅子さまは長い日には9時間近くもこの部屋に滞在される。テレビもオーディオ機器もないこの部屋で、雅子さまはいったい何をしているのだろうか?学習院関係者や児童たちの間では、気になることのひとつだ。
・「基本的には女官が一緒に貴賓室にはいって、お話し相手になったりしています。また授業が行われている間は静かなので、読書をなさることが多いようです。その日、東宮御所からお持ちになった洋書や、国際関係などの本をお読みになっているそうです。ひとり静かに読書に専念されたいときは、女官に退室してもらうこともあるようです」(宮内庁関係者)
雅子さまにとって、この貴賓室は、“勉強部屋”の役割も果たしているようだ。以前はこの貴賓室で、愛子さまと一緒にお弁当を食べていた。
3年生の3学期から、徐々に愛子さまはみんなと一緒に給食を召し上がるようになりましたから、雅子さまは、東宮職員が運んでくるお弁当をおひとりで召し上がられているようです」(前出・学習院関係者)
・雅子さまの時間が空いているときは、貴賓室に科長、副科長、それに主管が訪れては、学内のことや、愛子さまの現在の状況などをお話しすることも。
・「初等科の保護者は、比較的頻繁に学校に行く用事があり、その際、貴賓室の雅子さまをお訪ねする人もいるようです。それだけではなく、雅子さまがお呼びになって、来校する保護者もいて、雅子さまのお好きな紅茶を飲みながら歓談される日もあるみたいですよ」(前出・学習院関係者)
・この貴賓室、以前は必要であれば教職員も出入りすることが出来たが、昨年来、雅子さまが使用し始めてからは、教職員であっても近づくことすら難しくなり、そのため、関係者のあいだでは、「東宮御所の別宅」「雅子さまのお部屋」などと呼ばれるようになっているという。
・いつの日か、雅子さまがこの部屋を使わなくなる日がくるのだろうが、実は最近、こんなことがあった。6月25日の土曜日、学校は休みだったが、管弦楽部の朝練のため、愛子さまは1年4ヵ月ぶりの“お一人登校”。そのためか、正門付近にはいつもより多い警備陣が配置され、ピリピリムードの中を愛子さまは校内へ。学校周辺の喧騒をよそに児童たちはいつもと変わらぬ様子。
・「児童たちの間では、愛子さまには雅子さまが同伴されるのが普通になっていましたが、この日、愛子さがお一人で音楽室に入ってこられた時も、特にざわめきが起きたりすることはなく、いつも通り、みんなが愛子さまに“おはよう”と声をかけ、愛子さまも“おはよう”と返されたそうです。そして愛子さまはペチャクチャおしゃべりされることもなく、先生の指導にうなずきながら、一生懸命練習に励まれたそうです」(別の学習院関係者)
・約1時間の練習を終えると一人徒歩で帰路に。その足取りはとても軽やか。
週明けの6月27日は再び雅子さまと同伴登校。だが、明らかに愛子さまには変化が訪れている。

〆は、このような状況が少しずつでも進展すれば、雅子さまが貴賓室をお使いにならずにすむ日が、そう遠くないうちにやってくるのではないだろうか―

詳細は皆様各自でご確認ください―レポ以上です。